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■祖父からの通信/相対性理論と賢治 「文藝家協會ニュース」2005年7月 13 Aug. 2005


祖父からの通信/相対性理論と賢治

寮 美千子(りょう みちこ)

 今年はアインシュタインが特殊相対性理論を発表した一九〇五年から百年を記念した世界物理年。アインシュタインと同時代に生きた宮澤賢治は、相対性理論に強い影響を受け、「四次元幻想」と呼ばれる独自の文学世界を形成したと言われている。
 わたしが賢治に出会ったのは高校一年の夏のことだった。「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」などの童話は幼い頃から知っていたが、それが「春と修羅」や「銀河鉄道の夜」などを書いた人物だと知ったのが、その頃だった。「賢治が生まれた後に生まれて、よかった」と、わたしは、つくづく思った。でなければ、自分の中にある名状しがたい宇宙的感覚を、わたしはきっと自分で捕まえることも、表現することも、他者に伝えることもできず、孤独な日々を過ごしただろう。賢治の描いた四次元幻想の世界に遊び、はじめて「文学」を意識した。思えば、それが作家への出発点だった。
 だから、賢治の遺した蔵書目録のなかに、明治生まれの祖父・寮佐吉が翻訳した物理学の本『通俗電子及び量子論講話』を見つけた時の驚きといったらなかった。しかも、それは、賢治の蔵書目録の中にある唯一の、日本語で書かれた物理学の本だったのだ。
 この本は一般向けに書かれた科学解説書「通俗科学講話叢書」として出版された四冊の内の一冊で、ほかの三冊はすべて相対性理論関連の本。うち『通俗相対性原理講話』と『通俗四次元講話』は、寮佐吉による編訳だった。
 情報の少ない大正時代、単行本の巻末にあるシリーズの広告を見て、その本を注文するということは、当然考えられる。もしかしたら賢治は、祖父が手がけた本から相対性理論を学んだのかもしれない。祖父は、わたしの生まれる十年前、終戦直前に肺結核で命を落としている。科学ライターだった祖父の夢は、科学が心の深部と融合し、望ましく美しい世界を拓いていくことだった。そんな祖父の思いが、賢治という天才を生みだす触媒のひと欠片となり、めぐりめぐってわたしに届き、わたしがいま物書きをしている。そんな幻を見て、思わず胸が熱くなった。
 これをきっかけに、わたしは大正時代に出版された相対性理論の本を調査し、論文を発表した。「宮澤賢治『四次元幻想』の源泉を探る書誌的考察」(和光大学表現学部紀要2004年版)がそれである。ご興味のある方はご連絡ください。お送りします。

(作家)

初出:日本文藝家協会「文藝家協會ニュース」2005年7月(第647号)7頁


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