▲2003年10月の時の破片へ


■30 Sep 2003 おひさま大賞授賞式


おひさま大賞授賞式。受賞者のひとりが、わが師・小沢正先生のお弟子とわかってうれしかった。

■27 Sep 2003 ドキュメンタリー映画スペシャルVol.5@さいたま芸術劇場


草思社の宮本さんが中心となって企画している映画祭が今年もやってきた。今回も、伊勢真一監督の映画がかかる。「つくる」をテーマにして、漆の人間国宝、大西勲氏のドキュメントがかかるという。大西氏も来場というので、見に行った。

伊勢氏の映画は、ほんとうによかった。自治体の依頼で地元の芸術家を撮る、というテーマだったそうだが、さすがプロの手腕を感じさせるすばらしい出来だ。映像だけではなく、音もきれいに録られているところがすばらしい。淡々と、余分なことを入れずに、けれども正確に映しだしていく。

大西勲氏のきゅう漆という手法は、一旦滅びた技法。それを大西氏の師匠赤地友哉が再現、いま、それを受け継ぐ人は大西氏ひとりしかいないという。昨年、59歳の若さで人間国宝に指定された。

きゅう漆は、まず秋田の曲げわっぱのように薄く削った板を重ねて土台をつくっていく。これに、漆を塗り重ねて行くわけだが、まず、土台作りに膨大な時間がかかる。さらに、漆に時間がかかる。一個作るのに、4ヶ月〜半年はかかるという。

わたしは、大西氏は、いくつかを並行して作っているのだとばかり思った。しかし、本人に確かめると、一度にひとつしかつくれないという。つまり、一年かかって、2〜3個の作品しか作れない。値段を聞くと、およそ150万円くらいだという。年収に換算してみれば、妥当な線だ。というより、安いかもしれない。けれども、それがすべて売れるわけではない、というのだから、生活の大変さは推して知るべしだろう。給料を支払えないので、弟子も取れないという。「人間国宝に指定されて助かったんですよ。月に20万ほど年金が入るから、やっと暮らしの心配無しに作れるようになりました」と大西氏。

軍事費などに莫大に使うくらいなら、国はこういうところにもっとお金を使うべきだとつくづく思った。月50万の年金を支払って、後継者育成をしてもらったら、どんなにいいだろう。ここで伝統が途絶えれば、また再現する人が現れるまで、この技法は沈黙せざるをえないというのに。

「わたしは芸術家じゃない。職人です」と大西氏はいう。「なんでもない。なんでもないことの積み重ねを、ただ馬鹿正直にやってきただけです。職人は、頭がよくちゃだめだ。わたしみたいな馬鹿だからできるんです。ただそれだけを、ひたすらまっすぐにやるから。だから、だれでもできることなんですよ、ほんとうは。積み重ねさえすれば、だれでもできるんです。できなきゃ、技術じゃない。職人の仕事じゃない。芸術家には才能がいるけれど、これは才能はいらない」

奈良の樽井禧酔氏も、同じようなことをいっていた。技法をひとつずつマスターすれば、だれにでもできる仕事だと。できなければ、技術とは呼ばないと。

到達した人は、同じ真実を語る。そのことが、とても興味深かった。

■22 Sep 2003 リト氏帰道


リト氏、北海道に帰る。

■20 Sep 2003 ライト・ブレーン絵画教室


相棒、ライト・ブレーン絵画教室4日目。受講生仲間の横顔を描いてくる。実にきちんと観察しているのがわかる。デジカメでとってきた写真と見比べても、そっくりだ。絵画は辛抱なのかもしれない。

■20 Sep 2003 星と話す人々@山梨県立科学館


山梨県立科学館に、プラネタリウム番組「星と話す人々−モンゴロイドの宇宙像」を見に行く。中央線の高架切り替え工事の大幅な遅れのため、八王子から先の電車が不通。もうだめかと思ったが、車で行く野川和夫氏と連絡が取れて、運良く八王子駅まで迎えに来てもらった。相棒、田所氏といっしょに、野川氏の車に乗せてもらっていった。

「星と話す人々−モンゴロイドの宇宙像」は、大阪の写真家赤坂友啓氏のシナリオと写真による構成。高橋真理子さんの意欲作でもある。おもしろい切り口の作品だったが、作中、もっともっと、たくさんの写真が見たかったと思う。それだけ、赤坂氏の写真はいい。写真だけの力でなんとかなるかもしれないと思うほどだ。

同時上映の猿学者ジェーン・グドールの伝記映画も見た。不思議な映画だった。彼女の出自は、いったい何なのだろう? 彼女は、何の予備知識もなく、20代前半の若い時期に、いきなりタンザニアに研究に入ったという。なぜ、彼女は抜擢されたのか? その研究のはじめの時期から、どういうわけか、悩める彼女の姿が映像に残されている。まだなんの成果も上げていないのに、ジャングルをひとりさまよう美人研究者の姿が、つぶさに映されているのだ。しかも、いわゆるドキュメンタリーの映像ではない。美しい彼女を、まるで女優のようにして撮った映像。この映像を、いったいどこのだれが、何の目的で撮ったのだろう? 研究費を得るための、プロパガンダ映画だったのだろうか? どうもよくわからない。

赤坂さんご夫妻もきていて、みんなでほったらかし温泉に行く。なぜか、男性陣がすごい長湯をして、女性陣は冷えてしまった。お風呂で話が弾んだらしい。いったい、なんの話をしていたんだろう。やけに楽しそうだった。お風呂からあがってきたら、赤坂さんのしごとのこともなにも、相棒はとても詳しくなっていて、うらやましかった。うーん、わたしもいっしょに入りたかった。入れるものなら。

プラネタリウムには、まだまだソフト開発の可能性がある。ラジオの可能性がセント・ギガでとんでもなく開かれたように、きっとすばらしいことができるはずだ。チャレンジしたい。

■18 Sep 2003 リト氏上京


北海道早来のアイヌ文化の研究家、リト氏、上京する。明日からわが家へ。

■15 Sep 2003 番田神代神楽


相棒は、きょうもデッサン教室である。部屋を描いてきた。

このところ、イオマンテ絵本の制作に取りつかれていたわたし。朝、新聞折り込みの市報を見ると、きょう、亀ヶ岡八幡宮で番田神代神楽があるという。かなり遠いけれど、地図で見れば行けないこともなさそうだ。たまには体を動かした方がいい。頭が過熱して発熱しそうだ。ご近所の翻訳家アキン氏を誘って、片道8キロの道を、いっしょにサイクリングすることにした。

途中、曲がり角を間違えて、道保池自然公園の前に出る。せっかくなので、公園を見ていくことにした。さして歩かないうちに、風景はがらりと変わり、まるで別世界。なだれおちるような緑に囲まれた谷底に、湧水の泉があった。その一面に茂ったやわらかそうな草はクレソン。ちぎって噛めば、その苦さがすがすがしい。上を見れば、樹木の梢にまあるく切り取られたような青空。そこから射した光が、クレソンの葉にあたって、みずみずしい緑に輝いている。

寄り道をして、たどりついた亀ヶ池八幡宮。境内では少年剣士たちが、御前試合をしていた。持参のお弁当を食べる。自家製のパン、ピクルス、スモークチキンのサンドイッチ。境内では、小さな舞台がしつられられて、少年少女によってお囃子が奏でられ、獅子舞やおかめひょっとこの踊りが絶え間なく行われている。その音色が途切れたら、いよいよ神代神楽だ。

お神楽は、本来20も演目があるもの。今回は3つだけが上演された。最初に女性の舞。後の二つは、ヤマトタケルが天皇から「クマソ征伐」を命じられる場面と、女装したヤマトタケルが、クマソタケルを酒席で刺す場面。

なぜ、相模原でクマソ征伐? 幕間に突撃取材にいくと、着物をたたんでいた老婦人が、答えてくれた。九州から伝わったことはわかっているが、その由来を知っている夫が亡くなってしまったので、わからなくなってしまった。古文書があるので、そこに書かれているはずだが、自分には読めないとのこと。この老婦人は、神楽の伝統を受け継いできた亀山家の方だという。

剣道も、踊りも舞も、「地元」と密接に結びついていたよき時代、「芸術」もまた、日常と切り離されたものではなく、溶け合うように存在していたのだろう。「朝廷」は、このような「芸能」をも制して、その勢力を拡大していったのかもしれない。人間と芸術の関わり。さまざまなことを感じた。番田の神代神楽、いつまでも続くことを願ってやまない。

http://ryomichico.net/bbs/cafe0026.html#cafe20030917002813

■14 Sep 2003 ライト・ブレーン絵画教室


ライト・ブレーン2日目。自分の足を描いてくる。実にきれいに描けている。足に向かっての遠近の感覚が、よくとれていて驚いた。

椅子の絵も描いてきた。画面全体をまず鉛筆の粉で灰色に着色。消しゴムで消しながら描くという変わった手法だそうだ。

■13 Sep 2003 ライト・ブレーン絵画教室


きょうから、相棒が「ライトブレーン・リサーチ」のデッサン教室に通いはじめた。2月に高松の漆芸研究所の入所試験を受けるために、デッサンが必要なのだ。教室は麻布十番。わずか5日間で驚くべき効果が上がるという。右脳を使って描くのだという話だ。話だけきくと、いかにもいかがわしい。5日間の講座で89250円という破格の価格も困りものだ。しかし、門坂流氏がそこの講師をつとめていて、内容を保証してくれるので、思い切って受けることにした。どうなるだろう。

一日目のきょうは、手を描いてきた。赤いアクリル・パネルと、あたりをとるための十文字の線の入った透明のアクリル・パネルを使ったという。かのダ・ヴィンチも使った道具だそうだ。そのせいか、とてもきれいに描けている。

袋のなかに入ったものを、左手で輪郭を手探りしながら、同時に右手で鉛筆を持って、画用紙に再現していく。目は使わない。これも、何かの訓練らしい。

■10 Sep 2003 イオマンテ絵本執筆開始


イオマンテ絵本の原稿執筆に本格的にとりかかる。

■ 9 Sep 2003 月と火星とアルビレオの観測所


「見てごらん。月と火星が南の空に……」
その電話があって、ぼくはいそいでヴェランダに出た。
南に大きく開けた空には、もう少しで完全に満ちるという一歩手前の
わずかに歪んだ形の月が輝き、
その下で、ひどく明るい火星が煌めいていた。
宝石だ、天の滴だ、とぼくは思った。
それは、天上に成る不思議な光の果実。
ルビー色の滴をしたたらせる、銀河の波に浮かぶ檸檬。

その遙か下界、月と火星の真下から少しだけ西に
ひとつの灯りが灯っては消え、灯っては消えていた。
水晶のような光と、エメラルド色の光が、交互に巡ってくる。
キャンプ座間のヘリポートの灯台だ。

けれどもあれは、今夜はアルビレオの観測所だ。
ぼくたちも身を浸している銀河の水の速さを計っているに違いない。
もう絶対にそうだ、とぼくは思い、
そのことをきっと、明日は電話のあの人に伝えよう。
そう思った。

月と火星とは、いまも寄り添い、
アルビレオの観測所は、静かに光を巡らせている。

ぼくたちは、秋の戸口に立っていた。

■ 8 Sep 2003 三角窓インスタレーション


玄関の三角窓のコーナーの展示替えをする。「インスタレーション」と称して、壊れた計算機の残骸(旧式のもの)と、ビーチグラスや貝殻などを雑然と転がしてあったのだが、その窓を殺して!本棚を置くことになり、思い切って展示替えをすることにした。

素材は、流木と巨大な硝子の卵、そして羽。硝子の卵は、釧路の硝子作家・嶋崎誠氏の作品。ダチョウの卵ほどあり、磨りガラス状の表面のわずかな部分が透明になっている。中に金箔銀箔がはいったもので「月の卵」とわたしが名づけた。その月の卵のまわりを、流木が巣のように囲んでいる。

縦長の窓の空中には、鳥が翼を拡げた形の羽根を一対、空中に浮かばせた。消しゴムの滓を払う羽根を画材屋で買ってきて、分解して羽根したもの。テグスで天井から吊りさげた。羽根の根本には、小さな光るビーズをつけた。バックは天竺木綿の帆布。ちょっとダークな感じの少女趣味。本人的には、満足。

■ 6 Sep 2003 コピー機廃棄


コピー機と乾燥機を廃棄する。電話帳で安い業者を探してきてもらったが、それでもかなりかかった。廃棄手数料5500円+税。

■ 3 Sep 2003 DVDレコーダー購入


さくらやで現品限りで出ていたDVDレコーダーを買う。71800円+税。相場からしたら安いが、わたしには安くない。それでも買うのは、旧セント・ギガでの放送されているわたしの作品群を整理整頓するため、だと相棒はいう。よくわからないが、信用する。

■ 2 Sep 2003 MDレコーダー購入


サトームセンで現品限りで出ていたMDレコーダーを買う。32800円+税。相場からしたら安いが、わたしには安くない。

■ 1 Sep 2003 糠床をつくる


生まれて初めて、糠床をつくる。日本古来の発酵食品。さあ、どうなるか。部屋を掃除。コンポ(使用可)とプリンター(故障)をゴミに出す。

■ 1 Sep 2003 伊福部玲氏工房訪問/ライト・ブレーン絵画教室最終日


▼伊福部玲氏工房
相棒は、ライト・ブレーン絵画教室最終日。終了後、パーティがあるというので、そこで合流することにして、その前は、田所氏とリト氏とともに、七沢の伊福部玲氏工房を訪れることにした。

雨がひどかったのだが、玲さんは、たくさんの料理を用意して待っていてくださった。玲さん作のざっくりとした大皿に盛られた料理は、ダイナミックかつ繊細。ほんとうにおいしくて、いくらでも食べられる。見習いたい。囲炉裏の火にあたりながら、ゆっくりとお話しできてうれしかった。わたしは、ライト・ブレーンのパーティがあるので、一足お先においとました。

▼ライト・ブレーン
静かな七沢山中から、いきなり麻布十番へ。ライト・ブレーンは、小さなビルのなかにあった。行くと、まだ制作中の人もいる。真剣そのもので、その集中力はすさまじいほどだ。やがて、合評会。きょうの課題は自画像。実は、講座が始まる前に出された課題が自画像。その自画像と比べると、みな一様に驚くほど上手になっている。ほんとうに、びっくりするほどだ。ところが、みな上達しているのに関わらず、ほんとうに十人の受講生それぞれが、実にその人らしい表現をしているのが面白い。十人十色というけれど、まさにその通りだ。文は人なりというけれど、絵もまたしかりであると思った。

最後まで頑張っていた人が、ようやく描きあげ、けれども、隠すようにしまってしまった。みんな、無理矢理見せろとはいわない。けれども、パーティが進むと、彼女はおずおずと自画像を取りだした。最後までがんばったという気迫とともに、なんともいえないやさしさが滲みでている絵になっている。オリエンタルな聖母、という雰囲気だ。そして、確かに本人のなかにも、そういったものを感じることが出来る。そのことを伝えると、彼女は感極まって泣きだしてしまった。絵を描くということは、まさに自己表現なのだと知る。

相棒は、意外なほどにうまい。器用なだけに、危険かもしれない。気を引き締めてがんばってほしい。

▼2003年08月の時の破片へ


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