ハルモニア Review Lunatique/寮美千子の意見

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■まんとくん音頭♪試案

Tue, 01 Jul 2008 17:21:59

【まんとくん音頭♪】試案

        作詞/寮美千子


ハァー
そらをとぶなら そりゃ まんとくんのまんと
びゅんびゅん
ならのみやこは
ならのみやこは あおによし
だいぶつでんを とびこえて
ごじゅうのとうで ひとやすみ

※大和人まんと まんとくん
 なんとなんと 南都に
 みんなみんな みんな来い


ハァー
シカのつのなら そりゃ まんとくんのつのさ
つんつん
ならのみやこの
ならのみやこの まんなかにゃ
ゆうゆうあるく シカさんに
テンやタヌキも おりまする

※(くりかえし)


ハァー
やまじゆくなら そりゃ まんとくんのひづめ
ぴょんぴょん
ならのみやこは
ならのみやこは まほろばよ
まちのなかにも もりがある
せかいいさんの げんしりん

※(くりかえし)


ハァー
あかいやねなら そりゃ まんとくんのぼうし
るんるん
ならのみやこの
ならのみやこの すざくもん
きんてつせんから みえてます
ひろいのはらは みやこあと

※(くりかえし)


ハァー
たいこばらなら そりゃ まんとくんのおなか
ぽんぽん
ならのみやこの
ならのみやこの うまいもん
ちゃがゆならづけ やまとどり
あれこれたべて まんぷくだ

※(くりかえし)


ハァー
めいしょみるなら そりゃ まんとくんのならさ
どんどん
ならののやまの
ならののやまの かみさまや
こふんカメいし おてらさん
めぐりあるけど きりがない

※(くりかえし)

■まんとくん音頭♪試案 漢字ヴァージョン

Mon, 01 Jul 2008 17:20:58

【まんとくん音頭♪】漢字ヴァージョン


ハァー
空をとぶなら そりゃ まんとくんのマント
びゅんびゅん
奈良の都は
奈良の都は あおによし
大仏殿を とびこえて
五重塔で ひとやすみ

※大和人まんと まんとくん
 なんとなんと 南都に
 みんなみんな みんな来い


ハァー
鹿の角なら そりゃ まんとくんの角さ
つんつん
奈良の都の
奈良の都の まんなかにゃ
ゆうゆうあるく 鹿さんに
貂や狸も おりまする

※(くりかえし)


ハァー
山路ゆくなら そりゃ まんとくんの蹄
ぴょんぴょん
奈良の都は
奈良の都は まほろばよ
町のなかにも 森がある
世界遺産の 原始林

※(くりかえし)


ハァー
赤い屋根なら そりゃ まんとくんの帽子
るんるん
奈良の都の
奈良の都の 朱雀門
近鉄線から 見えてます
広い野原は 都跡

※(くりかえし)


ハァー
太鼓腹なら そりゃ まんとくんのお腹
ぽんぽん
奈良の都の
奈良の都の うまいもん
茶粥奈良漬け 大和鶏
あれこれ食べて 満腹だ

※(くりかえし)


ハァー
名所みるなら そりゃ まんとくんの奈良さ
どんどん
奈良の野山の
奈良の野山の 神さまや
古墳 亀石 お寺さん
巡りあるけど きりがない

※(くりかえし)

■まんとくんのうた♪

Mon, 30 Jun 2008 15:00:00

「まんとくんのうた♪」

作詩/寮美千子 作曲・歌/清田愛未


そらとぶまんと まんとくん
じかんをこえて とんできた
すてきなみらいを つくるため
みんなでちえを だしあおう

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい


あかいぼうしの まんとくん
じだいをこえて やってきた
とおいむかしに まなんだら
かしこいちえが わいてくる

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい


しかのひづめの まんとくん
のやまをこえて かけてゆく
ないてるこどもに やさしくて
おとしよりには しんせつさ

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい


きいろいからだの まんとくん
ときのかなたを みつめてる
あかしんごうに なるまえに
みどりのちきゅうを まもるため

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい


つのはすてきな アンテナさ
みんなのこえを ききながら
しあわせはこぶ ほうほうを
いっしょけんめい かんがえる

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい


みんなのみかた まんとくん
じくうをこえて がんばるぞ
とおいみらいへ うつくしい
おもいではこぶ まんとくん

 やまんとまんと まんとくん
 どんとどんと どんとこい
 なんとなんと なんとか
 いいせかいを つくろう!

▼youtubeで聞けます。
http://jp.youtube.com/watch?v=epFZ976353Y

■資料/奈良県議会 平城遷都1300年祭に関する質疑応答 08/3/5

Tue, 11 Mar 2008 09:59:26

奈良県議会で、遷都1300年祭のマスコットに関する質問が出て、知事が答弁を行った。荒井知事は答弁の中で「県民は参加者」「主催者は県」であると発言。「途中でいろいろな揶揄がはいると思いますが、主催者ではない、参加者であると私は心得ております。意見は十分に聞くつもりでありますが、責任の所在が違うと思っております」と、県民のマスコットに対する不評の声を「揶揄」扱いしていた。

当該部分を文字に起こしたものを探していたが、県のサイトでは掲載されるまでに2カ月ほどかかるとのこと。質問を行った共産党がいち早くテープ起こしをしているというので、質問者である宮本次郎県議にお伺いしたところ、テープ起こしを快く提供してくださり、ネット発表も快諾してくださった。以下「日本共産党奈良県議団」によるテープ起こし原稿より、当該部分を掲載させていただく。
【奈良県議会】
2008年3月5日 代表質問より
「平城遷都1300年祭」に関する部分の宮本次郎議員質問と荒井正吾知事答弁

宮本次郎議員  次に、平城遷都1300年祭についてです。
 平城遷都1300年祭の新たな実施計画が発表されました。当初計画からは縮小したものの、総事業費は100億円であり、あまりにも莫大です。しかもこの100億円は、事業協会の分のみ、市町村負担分や人件費などは含まれていません。また、現在に至るまでの、記念事業にかかった決算額も莫大です。事業費だけでも、2010年委員会を立ち上げた99年度からの8年間で、9億5600万円。人件費については、過去の資料はいただけませんでしたが、2002年度からの5年間で10億8400万円。あわせると、20億円以上の巨額の決算額が、今回の計画以外に、既に使われているのです。
 いま、県民の暮らしも、奈良県財政も厳しい状況にあるときに、こうした巨額の支出は見過ごしにできません。さらに、年間6万人近い利用者がある県営プールを、いとも簡単に外資系高級ホテルに売却したり、大型道路を次々と建設するなど、1300年祭を開発に利用するやりかたは、県民に大きな財政負担をもたらします。
 事業の内容という点でも、県民不在で進められています。デザイン料・著作権料で500万円、12名のデザイナーのコンペ参加経費で500万円と、すでに1000万円も投じられた、例のマスコットは、「いつ、どこで、誰が決めたのか」と県民の評価はきわめて不評です。また知事は初日の議案説明の中で、このお祭りの目的を「日本の歴史・文化が連綿と続いたことを?祝い・感謝する?」「?日本のはじまり奈良?を素材に過去・現在・未来の日本を考える」ことだと述べられましたが、きわめて抽象的で、内容が不明です。律令制システムができて1300年を祝う、という考え方は、特定の価値観を押しつけるものであります。また、展示施設での国宝レプリカの展示や、バーチャル映像やアニメーションでの再現、といった企画が、なぜ「日本の過去や未来を考える」ことにつながるのか、全くわかりません。
 費用の面でも、事業内容の面でも、県民不在の1300年祭計画は、根本的に見直すべきと考えますが、いかがでしょうか。

荒井正吾知事答弁  遷都1300年事業について根本的に見直すべきではないかという意見がございます。実施計画を発表したばかりでございまして、見直すつもりはございません。
 今回の平城遷都1300年事業実施基本計画は従前の平城宮跡一極一過性型から、国営公園化とあいまって継続・全県型に見直し、1300年祭を機に、奈良全体を関西の国際的な歴史文化観光拠点として、発展させ、継続的な観光周遊システムの構築につなげたいと思っております。
 事業費については、平城宮跡事業を有料。囲い込み型の博覧会型から無料・開放型を基本とする季節リレー方式に見直したことにより、協会事業費は100億円程度とするなど、できるだけ事業費縮減、リスク軽減を図ったところでございます。今後、さらに個々の事業の計画策定や進捗状況にあわせて、収支を精査し、効率的な事業実施に努める所存でございます。
 マスコットキャラクターについては、先進例もふまえ専門性が必要との観点から、コンペを実施いたしました。12名のデザイナーから21の提案があり、有識者によるデザイン選定委員会において審議選定したものでございます。現在、愛称を募集しておりますが、現時点で6000件を超える応募をいただいているところでございます。
 今後、多くの方々に親しまれるよう活用につとめていくつもりでございます。
 1300年祭の趣旨については、歴史文化との対話と交流というテーマを継承しつつ、内容について、できるだけ簡潔でわかりやすいメッセージとして、整理しております。祝い感謝するというのは、平城遷都1300年を期に、日本の歴史文化が連綿と続いてきたことを率直に感謝し、お祝いしようというつもりでございます。また1300年祭では、日本のはじまり・奈良の地で保存継承されてきた歴史文化を素材に、過去現在未来の日本を考える機会を提起したい、そのために平城宮跡では古代の体験などの祭事を充実させるとともに、映像、解説等により平城宮や平城京の歴史文化などを体験できるよう、わかりやすく展示する、また国宝レプリカ等の展示や県内の観光案内などにより、来訪者に平城宮跡をゲートウエイとして、県内各地の国宝など、本物の歴史文化資源の担保、周遊の促進をして参りたいと思っております。
 現在、実施基本計画はパブリックコメントを実施中でございます。県民からの意見・提案を聞いて、今後、計画の策定や事業の実施に向け鋭意、反映の工夫を図るために、多くの県民の参加をいただいて、1300年祭を大きな意義のある魅力的な事業として、実施してまいるつもりでございます。
県の誇りを、より活用する場にしていきたいと思っております。

宮本次郎議員再質問  1300年祭は県民不在というのは、多くの県民の実感ではないかと思います。マスコットにしてもインターネット上では批判の声が噴出しています。また、見直してほしいという書名まで始まろうとしています。私、これは県民の知らないところでどんどん進められている、たとえいいお祭りだとしても、そうであるなら理解は得られないと思います。
 それが典型的に現れたのがプールの売却騒動だと思います。利用者の声も聞かずに一方的にホテルに売却する、代替施設はない、プールを壊す予算だけで5億7000万円。水泳連盟にしても1年間の競技会予定を組みなおさなければならない。そもそも宿泊率4割の奈良県で、高級ホテルを建てたところで宿泊客は増えるのか、疑問も聞かれます。このことは、明日、田中美智子議員の一般質問で掘り下げる予定です。
 事業内容の祝う、感謝するという点ですが、私は平城京の時代が栄光に満ちた時代だったのか、疑問をもちます。平城宮には国々から税、庸や調を運んできた民衆が、しかも費用は自弁です。いき倒れていく、飢えてたたずんでいるというような民衆の苦しみの地だったということも歴史のいったんです。出土した遺品によれば、そういったことが多く、書かれています。また、行基が三笠山で民衆に訴えたのは、そうした苦しみがあったからだと思います。
 そういう点で、古代の栄光を礼賛するということは、こういった歴史事実をゆがめることにもつながるということを申し上げておきます。

荒井正吾知事答弁  いろいろとおっしゃいましたが、県民の方は参加者であろうと思います。主催者は多少のお金を県がつかってやるわけでございます。ああせい、こうせいといわれても、無理なことはできないわけでございます。そのバランスをとり、最後、どういうことで評価されるかは私ども主催者の責任でございますので、最大限努力して、奈良の経済発展、今後の観光発展に必ずよい結果があるものと信じていますし、そのようにしたいと思いますが、途中でいろいろな揶揄がはいると思いますが、主催者ではない、参加者であると私は心得ております。意見は十分に聞くつもりでありますが、責任の所在が違うと思っております。
 祝うことについてのことがございました。奈良時代を祝うというつもりはないわけでございます。私は、奈良が国家の形、ほぼ輪郭が多少できて、1300年もほぼ同じ地で国家が続いてきたというのはほとんど稀有なことだと思います。いろいろな考え方があろうかと思いますが。たいがい、いろいろな民族に侵略されたり、移って行ったりということが多い中で、この地に紆余曲折はあっても比較的平和で繁栄してここまでいたったということは、日本人が祝わないと、他の国の人は祝ってしかるべきだと言っておられるわけですから、私は奈良の地で祝うきっかけを提示したいと思っておりますので、1300年の歴史が連綿として続いたことをお祝いしたいと思っております。
 奈良時代が平和であったかどうか、そのときの政治を祝えというつもりはございません。

■「夢見る水の王国」原画展 朗読原稿2008

Mon, 21 Jan 2008 18:38:37

「夢見る水の王国」原画展 朗読会 1/19@金沢文芸館

●さかさまの泉

 海に屹立する島。その島の大きさを知る者はいない。さして大きくない、と言う者もいれば、いや、無限に広いと言う者もいる。
 少年は、その島に生まれた。遠い昔、海から盛りあがってできた火山島だ。島のまわりはぐるりと外輪山に囲まれ、そのなかにすり鉢の形をした土地が広がっている。外輪山の峰は鋭く尖り、まるで切りたった山脈をそのまま海に沈めたような姿をしている。
 けれど、少年はそのことを知らない。自分が住んでいる土地から、一歩も足を踏みだしたことがなかったからだ。少年の世界は砂漠。それが、どこまでも地の果てまで続いていると思っていた。
 島の土地の大部分は海抜より低い。一度隆起した島が、徐々に沈んでいったからだ。それでも水没してしまわないのは、外輪山が堅固な堤防の役割を果しているためだった。とはいえ、外輪山からは常にわずかずつの水がしみだしてくる。海水が地層に濾過され真水となって湧きだしてくる泉が、いたるところにあった。雨も降る。当然、すり鉢状の島はいつしか水で溢れてしまうはずだ。
 それなのに、そこには渇いた土地があり、砂漠さえあり、人々が暮らす村がある。水は、一体どこへ行くのだろうか?
 島の中心には「さかさまの泉」と呼ばれる泉がある。それは、水が集まってくる場所。雲だった水、雨になった水、草原に降りそそぎ草になった水、草を食べた羊だった水、花を咲かせた水、林檎を実らせた水、林檎を食べた子どもの頬を薔薇色に輝かせた水、暗い地中から光のなかへと躍りだし旅人の喉を潤した水、せせらぎを音を立てて流れ、河となり舟を運んだ水、月を映した水、風に光る水……。すべての水がそこに集まってくる。
 水はそこで地中に消える。闇に吸いこまれる流れ星のように、底知れぬ井戸の底に。

■流れる水

 青い月の光に満たされた夜、花崗岩の大地を、水が海に向かって流れている。岩の割れ目からしみだしたひと粒の滴、草の葉の尖からしたたったひと粒の露、森の苔が抱いていたひと粒の雨。それらが集まってせせらぎとなり、せせらぎは渓流となり、渓流は川となって、音をたてながら、海へ海へと流れていく。
 水のなかを雲母のかけらが転がっていく。魚の側線をなで、蟹の甲羅をすべり、白い円石の間にはさまって流れに震え、また流され、転がりながら、月光に満たされた水とともに、絶え間なく海へと駈けてゆく。
 あなたがここにいるこの瞬間も、水は絶え間なく大地を削り、光と風は一時も留まることなく、大地を風化させてゆく。流れだした雲母のかけらは、あらゆる流れのなかを、いま海へと向かっている。
 たったひとつの大きな海へ。

●雲母鉱山

 島を囲む外輪山には、無数の坑道が交錯する迷路のような鉱山があった。
 鉱夫はただ一人だけ。誰も覚えていないほど遠い昔からここにいて、誰も見たことがないほど年老いている。
 そして、その長い年月、彼はただ黙々と雲母を掘り続けてきた。何のために? 
 鉱夫は言う。「雲母のなかに閉じこめられた夢を、再び世界に解き放つために」と。

●夢の鉱床

 いいかい、覚えておくんだ。見られた夢は、ひとつも失われることはない。どんなにひどい悪夢も、どんなにすばらしい夢も、地下深くに静かに堆積していく。それは透明な薄い膜になって、暗がりで光を浴びることもなく眠っている。
 そう、そこでは夢が眠っているのだ。長い眠りは死に似ている。深い死の沈黙のなかで、夢は音もなく結晶する。
 そうやって時を過ごすうちに、どんな夢も、時を経たものだけが持つことのできる独得の美しさを帯びはじめるのだ。愛も憎しみも悲しみも何ひとつ消えたわけではなく、失われたわけでもなく、また何か別の高貴なものが加わったわけでもないのに、それは確かに美しく気高いものに変わっていく。
 坑道の底から発掘されたばかりの雲母は、まるで洞窟から発見された古代の壁画のようだ。たったいま描かれたような鮮やかさを保ちながら、それでいて、いまここで描いたのではどうしても及ばないような、不思議な美しさをたたえている。
 新しい雲母の一片を手にするたびに、わたしはいつもその美しさに打たれてしまう。もう思いだせないほど長いこと鉱夫を続けてきたのに、いつだってそれは新しい驚きだ。その歓びゆえに、わたしはこんなにも長い年月、鉱夫をしてきたのかもしれないし、気が遠くなるほど生きながらえているのも、次の一枚が見たいという、その欲望からかもしれない。美しい一枚を見た歓びがわたしに力を与え、また新たな一枚を掘りつづけさせる。
 そうやって掘りだした雲母をどうするのかだって? もちろん、世界へ還してやるのさ。そのために、わたしはここにいるのだから。

 夢のない世界なんていうものが、どんなに愚劣なものか考えてみたことがあるかね。夢を見るのは人だけではない。鳥も獣も魚も夢を見る。木や草や苔も夢を見る。ひと粒の砂や、空を渡る風、地下深く眠る鉱物たちでさえ、夢を見るのだ。
 でなければ、どうして木が空を目指して伸びるだろう。草の種が、あれほど色彩々の花を咲かせるのか。水晶はなぜ、いつも規則正しく六角に結晶するのか。
 世界は夢を見ている。だから世界はめぐっていく。

 この世界をより美しくするためには、夢を還してやらなければならない。それがどんなに美しくても、手元に置いておきたいものでも、海へと投げ捨てて壊さなければならない。この世を美しくするために、すべての夢を世界に戻してやること、それが、わたしがこの人生で選んだ仕事なのだ。

●音の万華鏡

ぼくは立っていた 
ひとり砂漠のまんなかに
耳にあてていたのは 
大きな白い巻き貝

打ちよせる波の音
風をきる羽根の音
流れゆく砂の音
はじめて飛んだ蝶のはばたき
ひらいてゆくつぼみのきしみ
吸いあげられる水のざわめき

万華鏡のように
貝殻からは
次から次に音が溢れだし

ぼくは立っていた
ひとり宇宙のまんなかに
耳にあてていたのは

青く光る 地球
 
●空の水紋

 その日、まるで永遠が見えるかと思われるほど空は澄みわたり、その高みには白い絹のような雲がたなびいていた。
 少年は、砂漠から、すべすべとした卵形の小石をひとつ拾うと、空に向かって投げた。
 石は落下せず、どこまでもただまっすぐに、鳥のように空を翔ていった。
 少年は、あっけにとられて空を見つめた。掌に握っていたのは、ほんとうに小石だったのだろうか。それとも石のように固くうずくまった小鳥だったのだろうか。いや、それとも、あれは卵で、空のただなかで鳥に孵って飛んでいってしまったのか。
 けれども、掌には確かにひんやりとした石の感触が残されている。
 石が消えた空の果てで、ふいに水の音がする。その瞬間、空の一角に小さな水しぶきがあがる。それは、幾重もの輪を描く水紋となって、ゆっくりと空いっぱいに広がってゆく。
 空が波打つ。水紋は、空を覆いつくし、地平線でも跳ね返されることなく、その彼方へと、どこまでも広がっていく。
 やがて、空は静まり返る。何もなかったように。
 少年は黙って、空を見つめている。その水の輪の行方を思いながら。

●水の輪

 水の輪は広がる。空を越え、月を越え、火星を越え、木星、土星、天王星、海王星、冥王星を越えて、オールトの雲を波立たせ、さらに深宇宙へ。遠い銀河に触れ、その先の球状星雲に達し、光の速さで遠去かってゆく星たちを追いかけていく。

■遺跡の町

 いまから半世紀ほど前のことだ。天にも届きそうな高い山の連なる山脈のふもとに、小さな村があった。村はずれの荒れ地からさらに砂漠のなかへと、古い石積みが続いていた。村人たちはみな、それを知っていたが、崩れかけた石積みのことなど気に留める者など一人もいなかった。ただ、村はずれに棲んでいた羊飼いの少年だけが、そのそばを通りかかるたびに、かつてはそこにあったであろう失われた都市の姿を思い浮かべるばかりだった。
 どこからその情報を手に入れたのか、ある時、遠い国から調査隊と称する者たちがやってきて、石積みの周辺の大規模な発掘を行った。大勢の村人が人夫として雇われた。羊飼いの少年も、羊たちのことは犬たちに任せて、発掘の人夫としてそこに参加した。もちろん、わずかな賃金が目当てだった。
 発掘が進むと、それはぐるりと都市を取り巻いていた石の壁であることがわかった。そのようなものであれば、城があって当然なのだが、その都市からは城跡らしきものは何も見つからず、ただありきたりの家の土台が並んでいるばかりだった。
 変わっていたのは、その都市の構造だ。城壁には東西南北、四つの門があった。そこからそれぞれ、石畳の道が中央にある広場へと続いているのだが、まっすぐに十文字を描くような道ではなかった。門を入ると、道はいきなり右に曲がる。そして、城壁に沿うようにゆっくりと湾曲しながら、ぐるぐると何周か街を巡り、ようやく中央の広場へと通じているのだった。
 鳥瞰すると、四つの門から出た四本の道が、それぞれゆるやかな曲線を描きながら、全体で巨大なひとつの渦巻き模様となって、中央の広場へと集まっていたのだ。そして、その四本を途中でつなぐ枝道もまた変わっていた。まるで、そこではまっすぐな道が許されていないとでもいうように、枝道もまた弧を描いて渦を巻き、さらに小さな路地さえもまた渦を巻いている。
 研究者たちはそれを見て、いろいろな説を唱えた。外敵を迷わせるための道であるとか、独特の呪術的な意味が隠されているのだろう、と言った。
 羊飼いの少年は思った。こんな道では、さぞかし暮らしにくかったに違いない。旅人どころか、棲んでいる者だってたやすく方向を失ってしまっただろう、と。
 それでも、少年はこの都市に棲んでみたいと思った。こんな迷路のような都市で、迷いながら暮らすのもいいかもしれない。
 少年のいるところといったら、どこまでも見渡せる荒れ地。自分の行く道の果てが、地平線まですっかりわかってしまう。
 けれども、この都市なら違う。見通すことのできない道。一歩先に何があるのか、行ってみなければわからない。何が飛びだしてくるか、予測もつかない。だから、いつだってどきどきしていられる。
 ほとんど土台しか残っていないその都市の遺跡から「それ」を見つけたのは少年だった。
 崩れた壁の端に、きらりと光る物があった。なんだ、また雲母か、と少年は思った。遺跡からは大量の雲母が出土していた。それまでの調査で、それは窓にはめられた明かり採りだいうことが、わかっていた。
 ところが、少年が見つけたものは、雲母ではなく分厚い硝子の破片だった。深い瑠璃色だったものが、長い間砂に埋もれていたために銀化し、雲母と見間違えたのだ。光にかざすと、小さな虹が浮かんだ。それは、その遺跡で発掘された初めての硝子製品だった。
 見とれていた少年は、いきなり大声でどやしつけられた。発掘品は、見つけたままの状態で調査隊に知らせなければならなかったのに、その規則を破ったからだ。
 少年の手から硝子片は取りあげられ、それがどこにどういう形であったのか、何度も詳しく説明させられた。
 しかし、それがきっかけで、少年は調査隊の考古学者と懇意になった。その学者は、少年が聡明なことを見抜き、こんな辺境で埋もれさせるのは惜しいと考えた。この少年に、教育を受けさせたい、と思ったのだ。
 学者には、親から引き継いだかなりの財産があった。辺境の貧しい子どもたちを養子にして育てることは、生真面目な彼の、唯一の「道楽」だった。
 やがて調査は終了し、調査隊は国に戻ることになった。学者は少年に、自分といっしょに国へ行こうと誘った。大学まで進学させてやるからと。
 少年は静かに首を横に振った。
 祭りのような騒ぎは終わり、何百年と変わらぬ昔ながらの静かな暮らしが戻ってきた。
 遺跡の周りには粗末な杭が立てられ、ロープが張られて、立入禁止の札が下げられた。
 しかし、ほどなくそれも朽ちて、遺跡は再び砂漠の砂に埋もれるがままに放置された。
 羊飼いの少年は、少年が思い描いていた通り、羊飼いのまま青年となり、老人となった。羊飼いとして生まれたら、羊飼いとして死んでゆく。それは、ここでは当たり前のことで、彼は自分の人生を不満に思ったことなどなかった。むしろ、終生満たされていたといってもいいだろう。
 それでも、雨上がりに砂漠から荒れ地へとかかる大きな虹を見るたびに思った。一度は自分の掌のなかにあった小さな瑠璃色の硝子のかけらのことを。そのなかの虹を。そして、虹のように弧を描いて、先を見通すことのできない迷路のような道のことを。まったく別の、もうひとつの人生を。
 
●砂の顔

 吹きすさぶ風のなか、少女は目を凝らして四方を見回した。足許の砂が、恐ろしい勢いで流れていく。激しく渦巻き、様々に形を変える。やがて、恐ろしい形相の顔が浮かんだ。大きく口を開け、叫ぶ顔が、浮かんでは消え、浮かんでは消える。少女の周りは無数の砂の顔で埋まっていった。それが口々に叫ぶ。
「そら来た、そら来た」
「あの子だ、あの余計者だ」
「あはは、やっぱり追い出されたんだな」
「お気の毒にね、あははは」
「しょうがないさ、お荷物だもの」
「生まれてきたのが悪いんだ」
「足手まとい」
「面倒をかけるだけだ」
「おまえさえいなければ」
「生まなければよかったんだ」
「死んでしまえ」
「消えてしまえ」
「くたばれ」
「消えてしまえ、世界の果てへ」
「世界の果てへ」
「生きている価値なんかない」
「ない、ない、ない」
「そんなことない。わたしがいるよ」
「おまえはわたしの宝だ。一生離さない」
「わたしだけの宝。わたしだけの宝」
「誰にも渡さない」
「渡さない、渡さない、渡さない」
「放さない、放さない、放さない」
「一生閉じこめておく」
「一生わたしのものだ」
「閉じこめておく、時の果てまで」
「いつまでも、いつまでも」
「限りなく、永遠に」
「やめてーっ」
 少女は耳を塞ぎ、叫んだ。
 どんなに絞っても、もう一滴も出ないほど乾ききった少女の目から、涙が流れた。涙に砂がこびりつき、それを風が無理矢理もぎとっていく。頬は赤く剥け、ひりついた。
 少女は、ただ歯を食いしばって風のなかを歩いた。砂に浮かぶ顔を踏みつぶし、踏みつぶしながら、彼方に幻のように浮かぶ青い火を目指して歩いた。
 そしてとうとう、倒れた。横たわる少女のうえに、砂が積もっていった。
 砂嵐のなか、獣の形をしたまっ黒な影が、一歩、また一歩と、這うように少女に近づいていった。

●木馬の子守歌

  もう ここにはいないから
  わたしは あらゆる場所にいる
  風になって 光になって
  空と海とを 経巡りながら
  いつも おまえのそばにいる

  もう わたしではないから
  わたしは あらゆるものになる
  花になって 雪になって
  天から地へと 経巡りながら
  いつも おまえに降りそそぐ

  いつも おまえとともにある

■金沢市立港中学校創立20周年記念講演 生徒たちの感想

Mon, 14 Jan 2008 13:55:23

港中での寮美千子講演「疑り深い人になろう」(2007年11月2日)への感想文(抜粋)

  • 勉強とは、たくさんの人の意見や、新しいことを知り、自分で考えることだということを知りました。そして、自分の得た知識から、ものごとを深く考え、すぐに信じこまない、「疑り深い心」をもつことが大切だということも知りました。
    最後に、寮さんのように「勉強」を一番楽しい遊びだと思えたらいいと思います。(3年)
  • 寮美千子さんの話を聞いて、分かったこと それは「情報を得た時に、それをどう考えてどう行動するか。」ということです。(3年)
  • 「良い話だからと言って、チェーンメールで送ったりするのではなく、誰が書いて、本当にこの数字はあっているのか?」など、私は考えたこともありませんでした。寮美千子さんの話を聞いて、疑うことも大切なんだなと思いました。(3年)
  • 寮さんのお話を聞いて、今あるたくさんの情報たちを、すべて取り入れてしまうのではなく、どれが正しいかというものをしっかり判断・区別していくことが大切だということを知りました。(3年)
  • 『世界がもし100人の村だったら』の中にある、「異性愛者が90人、同性愛者が10人」というところで、私は「同性愛者がいる」ってことは「そういう人もいる。」と思っていたけど、心の中では、少し引いてしまっていました。でも、寮さんに、説明されて、「人数が多いから、あたりまえ。じゃなくて、人数が少なくても、差別はいけない。」ってことを教えてくださって有難うございました。(3年)
  • 寮さんの講演で、自分の未来の可能性を知ることができました。
    勉強することの意味…それは自分の世界を広げることだと思いました。勉強にもっと興味を持ってたのしめると思います!!
    私は疑り深い人ではありませんでした。これからは、「なんで? どうして?」とどんどん疑問をもっていけたらいいなと思います。(3年)
  • 私も寮さんのように、自分の夢をかなえ、お金がなくても楽しめるようにしたいと思います。(3年)
  • 寮美千子先生の講演をきいて僕が一番心に残っているのは、「勉強はなぜするのか」という最後のほうに話していただいたことです。正直僕も同じ思いを持っていて、将来のためにするのか、働いてお金をかせいでいい生活をおくるためにするのかなどいろんなことを考えていました。でも、今回の先生のお話をきいて、「すべては世界をみるためにやっている」ということが分かって、勉強するということの意味も理解できたし、なるほどと共感することもできました。(2年)
  • とにかく、寮さんの講演は、今までにきいた話の中で1番面白くて、深くて「もう1度ききたい!」と思えるものでした。(2年)
  • 私も小さいころから素直に言うことを聞くことはいいこと、疑うことは悪いことだと思って育ってきたけれ、今日の講演を聞いて、自分で調べて、考えてすることはすごく大事なことだと思いました。寮さんの話を聞けてよかったです。(2年)
  • りょう先生のお話の中で一番考えさせられたのが「お金が有れば人間は幸せになれるのか。」と聞かれた時です。確かに、お金が有れば、欲しいものは何だって手に入るし美味しいものもたくさん食べられる。だけど私は、そんな生活よりも、欲しいものを少しがまんしなければいけなくても大切な人や大好きな人たちと一緒に毎日いろいろなことをしたり話したりする方が幸せだと思います。(2年)
  • 寮さんの言うように「疑ぐり深い人」になれば、色々なことに興味を持ち、調べ、自分自身の答えを出すことができるようになると思い、感動しました。自分も「疑ぐり深い人」を目指し、さまざまなことに興味を持ち、調べ、多くの事を知れればいいと思います。(2年)
  • 勉強という言葉を将来のため、などと考えると嫌になる時もあるけど、違う考え方をしてみると勉強も面白いなと感じることができました。(2年)
  • なぜ、勉強をしなければいけないのかという理由も、社会は今の世界がどんな道をたどってきたのかもわかるし、国語も相手の気持ちを伝えるために必要だから、ただいい大学に入るとかじゃなくて、自分のやりたいことが、できるように力をつけるんだと思った。(2年)
  • 私はいままで、良い成績、良い職業だけが人生を幸せに生きれる条件だと思っていました。でも今日の講演で、それだけがすべてではないということを知りました。
    先生のお話しを聞いて自分の中で漠然としていた疑問が、答えにまた一歩近づいた気がします。
    このことを通して、自分の人生の中でその“答え”を見つけられるといいな、と思います。(1年)
  • 「当たり前だから」だけじゃなく「なぜ?」と自分で考えて、自分で判断することが必要なんだと思いました。だから、そういう知識をつけるために、今、勉強しているんだなあと思いました。
    人の話をしっかり聞いたり、素直なことはいいことだけれども、ただ人の言うことを鵜呑みにしないで、自分で調べて自分で感じ、自分で判断することがとても大切なんだと分かりました。(1年)
  • 疑り深くなって、自分自身のためにいろいろなことを調べて、そのことをもとに、自分の人生の道をつくっていきたいなと思いました。(1年)

http://ryomichico.net/bbs/review0010.html#review20080114113304

■金沢市立港中学校創立20周年記念講演「疑り深い人になろう」原稿 2007年11月2日

Mon, 14 Jan 2008 11:33:04

▼プロローグ

みなさん、はじめまして。寮美千子と申します。

金沢市立港中学校創立20周年、おめでとうございます。
20年といえば、人間であれば、成人式を迎える節目の年。
その大切な式典にお招きいただき、ありがとうございます。
みなさんにお話しする機会をいただき、光栄です。

わたしの仕事は作家です。詩や小説や童話を書いています。
わたしは、子どもの頃、あまり勉強の好きな子ではありませんでした。
でも、なぜか言葉には興味があり、小学校の終り頃からこっそり詩を書いていました。
中学生の頃には、詩の好きな友だちを集めて「詩のノート」をつくり、
みんなで回して、順番に詩を書きました。いまでも、そのノートを持っています。
好きなことを仕事にできたわたしは、とてもしあわせ者です。
でも、簡単に作家になれたわけではありませんでした。
お役所にも勤めたし、会社員もしました。
作品を書いて賞に応募し、落選したことも何度もあります。
童話を書いて賞をもらい、やっとデビューしたのは31歳の時です。

大学を出ていないので、専門の勉強をしたことはありません。
だから、本を作るときはいつも、自分で勉強します。
『ほしがうたっている』 『遠くをみたい ―星の贈りもの―』の二冊は、
星の絵本です。星が好きなので、本を読んだり講座に通って、天文学を学びました。
『父は空 母は大地』はアメリカの先住民の絵本。
『イオマンテ ―めぐるいのちの贈り物―』は日本の先住民族アイヌの絵本です。
先住民とは、大昔からその土地に棲んでいた人たちのことです。
先住民文化にも興味を持ち、独学で学びました。
本で調べるだけではなく、実際にアメリカに行ってインディアンの居留地を旅したり、北海道へ行って、アイヌのおじいさんやおばあさんに話を聞きました。
旅をして人に会うことで、本だけでは学べないたくさんのことを学ぶことができました。
それを、絵本にしたのです。
小説は、少年を主人公にしたものを何冊も書いています。
『小惑星美術館』はSFファンタジーです。今年の夏にラジオドラマになり、
NHKのFMで放送されたので、聞いた人もいるかも知れません。
一昨年には小説『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞をいただき、
金沢とのご縁ができました。
いまは、北國新聞社の『アクタス』という雑誌に、
少女を主人公にした「夢見る水の王国」を連載させてもらっています。
これは、少女が、一角獣とともに、幻の島を旅する冒険小説です。
金沢ではどこでも簡単に手にはいるので、ぜひ読んでみてください。

わたしは、いま、奈良に住んでいます。
金沢に住んでいるわけでもなく、ましてやこの学校の卒業生でもないのに、
ここでこうして、みなさんにお話しさせていただくことになったのには、
ひとつの「ご縁」がありました。
それは、今年の1月に行われた「金沢市小中学生創作文コンクール表彰式」です。
わたしはそこで、記念講演をさせていただきました。

このコンクールの作文のテーマは、
「新発見!再発見! 私のふるさと 美しい金沢」でした。
金沢には、古い街並みがあり、加賀百万石の歴史があり、
伝統工芸があり、新しい美術館もあります。とてもすばらしい文化都市です。
受賞作品はみな、すばらしいものでしたが、
なかでも特に心を打たれたのが、当時、港中学の1年生だった中川恭兵くんの作品
「地域の人たちと交流して」でした。
これは、中川君が、地域に伝わる獅子舞を練習して、
お祭りに参加した体験を書いた作品です。
そこには、観光ガイドブックには書いてない金沢が描かれていました。
一つ、読ませていただきます。
秋祭りの一ヶ月前から、練習は本格的にはじまります。地域の公民館に集まり、夜8時から9時まで練習します。棒振りにはいろいろな振り付けがあり、学年が上がるに連れ、どんどん複雑になっていきます。ジャンプやスピードが加わり、どんどんむずかしくなり、覚えるのも大変です。
秋祭りの日、朝早くから、それぞれの衣裳を地域の方に着付けてもらいます。すそをすぼめた袴をはくと、身が引き締まり、「いよいよ本番だ」という気持ちになります。
ぼくたちが行くと、家の人たちが喜んで出迎えてくれます。「がんばっとるね」と励ましてくれたり、「どれくらい練習したん」と、気軽に声をかけてくれたりします。こんな時、獅子舞をしていて本当によかったなと思います。
(中略)
獅子舞を始めた最初の頃は、嫌々だったし、祭りが終わった後も体中のあちこちが痛くなって、もうやりたくないなと思ったこともありましたが、毎年毎年獅子舞をしていくに連れて、秋祭りの日が来て、獅子舞を演じるのが楽しくなっていきました。獅子舞をするのも楽しいけれど、獅子舞を通して、地域の人と話ができるのが、なによりもうれしいです。これからも、昔から伝わっているこのような伝統を、大切に受け継いでいきたいです。
わたしの育ったところは、野原だったところを開発した新興住宅地でした。
そこには、古い神社もなければ、伝統のお祭りもありませんでした。
ですから、中川君の作文を読んで、ほんとうにうらやましく思いました。
そして、歴史と伝統のある金沢という町を、すばらしいと感じました。

みなさんは「新発見!再発見! 私のふるさと 美しい金沢」
というテーマを与えられたとき、どんなことを書こうと思うでしょうか。
つい、観光ガイドブックに書いてあるような金沢を書いてしまいがちです。
けれども、中川君は、そうではなくて、
ほんとうに身近なこと、自分自身が体験した地域のことを書きました。
自分の心と体で感じ、自分の頭で考えて、自分の言葉で書いたのです。
身近な当たり前のことほど、言葉にして人に伝えるのはむずかしいことです。
けれども、中川君は、それをしました。わたしはそこに、とても感動しました。

表彰式で、そうお話ししたところ、会場に、前川校長先生がいらして、
今回、わたしを港中に呼んでくださることになりました。

人生は、ほんの小さなきっかけで、進む方向が違っていきます。
中川くんの作文に感動したことがきっかけで、わたしはきょう、ここにいます。
同じように、きょうここでお話しすることが、きっかけとなり、
みなさんの未来が少しでもよい方向へと向かえば、こんなにうれしいことはありません。、
みなさんも、何か役に立つことをつかんでやろう、という気持ちで聞いてくださいね。

前置きが大変長くなりましたが、きょうのお話の本題に入りたいと思います。
タイトルは「疑り深い人になろう!」です。



「疑り深い人になろう!」だなんて、変なことをいう人だなあ、と
みなさんは、お思いかもしれません。

世の中では「素直」なことが、いいことだとされています。
「勉強しなさい」「お手伝いをしなさい」「塾へ行きなさい」と言われ、
素直にそうするのは、いい子です。

「えーっ。なんのために勉強をするのー?」
「お手伝いなんか、やだ。見たいテレビがあるんだもん」」
「塾なんか、行きたくないよー」
なんていう子は、怠け者で反抗的、と言われるでしょう。

さて、素直ないい子は、ほんとうにいい子でしょうか。
素直でない子は、ほんとうに悪い子でしょうか。

▼世界がもし100人の村だったら

そのことを考える前に、ちょっと寄り道してみましょう。

いまから5年ほど前に、一冊の本が出版されました。
『世界がもし100人の村だったら』という本です。
読んだことのある人、いますか。手を挙げてみてください。

ちょっと 最初の方を読んでみましょう。
世界には 63億人の人がいますが
もしも それを100人の村に縮めると どうなるでしょう。

100人のうち 52人が女性です
        48人が男性です

100人のうち 30人が子どもで
        70人が大人で
        そのうち7人が お年寄りです

90人が 異性愛者で
10人が 同性愛者です

70人が 有色人種で
30人が 白人です

61人が アジア人です
13人が アフリカ人
13人が 南北アメリカ人
12人が ヨーロッパ人
あとは南太平洋地域の人々です

33人が キリスト教
19人が イスラム教
13人が ヒンドゥー教
6人が 仏教を信じています
5人は 木や石など すべての自然に
霊魂があると信じています
24人は 他の様々な宗教を信じているか
あるいは なにも信じていません

いろいろな人がいる
この村では あなたと違う人を理解すること
相手を あるがままに受け入れること
そしてなにより
そういうことを知ることが とても大切です
本は、もっともっと続きますが、これくらいにしましょう。

これは、もともとインターネットのメールで広がった文章でした。
これを読んで「すばらしい」と思った人が
「ぜひ読んでください」といって、メールで友だちや知っている人に送ったのです。
受け取った人が、また誰かに送ったので、
たちまちのうちに多くの人に知られるようになりました。
このように「転送自由」といって送られるメールのことを「チェンメール」と呼びます。

本を作った池田香代子さんという翻訳者も、
そのように友だちからメールを受け取り、感動して本を作ることにしました。

では、誰が最初にこのメールを送ったのでしょうか?
たどっていくと、中野裕弓さんという日本人だということがわかりました。
中野さんが、アメリカの友人からこのメールをもらい、
感動して、日本語に翻訳し、友だちに送ったのがはじまりだというのです。

では、その中野裕弓さんが最初に送ったメールから引用してみましょう。
メールの最初には、こんな言葉がありました。
もしも今日がついていない一日だと感じたあなたも、
これを読んだら、現実が違って見えるかもしれません。
そして、本と同じように「世界がもし100人の村だったら」ということが、
いろいろと書かれています。そして、こんなふうに続きます。
6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています

ひとり (そう、たったひとり) は大学の教育を受け
そして ひとりだけがコンピューターを所有しています

(中略)

もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じることが出来たなら・・・ 
あなたは今週生き残ることのできないであろう
100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、
あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・・・ 
世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または
死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら・・・・ 
世界の30億の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、
寝る場所があるなら・・・・
あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福で

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、
家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら・・・・・ 
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・・・
それはとても稀なこと

もしこのメッセージを読むことができるなら、
あなたはこの瞬間、2倍の祝福を受けるでしょう。 
なぜならあなたのことを思って、これを伝えている誰かがいて、
その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです
みなさんは、これを読んで、どのように感じましたか?
「ああ、世界には、色々な人がいるんだな」と思ったでしょうか。
「わたしは恵まれているなあ」と思った人もいるでしょう。
「だから、しあわせだ」と思ったり
「恵まれてない人のために、何かをしなければ」
という気持ちになった人も、いるかもしれません。

さて、中野裕弓さんのメールの最後には、このように書かれていました。
このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください。

    アメリカの友人からのメッセージ 3.2001
    作者不詳          訳 なかのひろみ
メールはどんどん伝えられ、広がっていきました。
そして、とうとう本になり、さらに多くの人に知られるようになったのです。



さて、ここでみなさんに質問させていただきたいと思います。
もし、みなさんのところに、こんなメールが来たら、どうしますか?

世界の様子がわかる、感動的な文章です。「伝えてください」とあります。
お友達にも知らせてあげたい、と思ってメールを送りますか。
送りたい、という人、手を挙げてください。

では、メールは送らないという人、手を挙げてください。

送らないと言う人は、なぜ送らないのでしょうか。
面倒だから、送らないという人、手を挙げてください。
他に理由のある人は、手を挙げてください。
(理由を訊く)



わたしも、本が出るずっと前に、このメールを友だちからもらいました。
みな、感動的な文章だと思って、送ってきてくれたのです。
けれど、わたしは誰にも、このメールを送りませんでした。

なぜでしょう。
それは、わたしがとても「疑り深い人」だからです。

わたしも、このメールを読んで、なるほど、と思いました。
こうやって、世界を100人の村に例えてみると、
物事がとてもわかりやすくなります。
当たり前だと思っているわたしたちの暮らしが、
世界から見たら、大変に恵まれたぜいたくな暮らしだ、
ということも、よくわかります。
こんな世界を何とかしなければ、という気持ちにもなりました。
そのようなことに気づくことは、とても大切なことです。感動しました。

けれど、納得がいかない、何かヘンだな、と思うところもあったのです。

ひとつは、その数字。それは、本当の数字でしょうか。
どこで調べてきたものでしょうか。
メールには、それがどこにも書いてありませんでした。

「同性愛者」と「異性愛者」の数字には、特にひっかかりました。
同性愛、というのは、自分と同じ性別の人に恋をすること。
ホモセクシュアルや、レズビアンは、同性愛です。
異性愛、というのは、自分とは違う性別の人に恋をすることです。
男の子が女の子を好きになり、女の子が男の子を好きになる。
その方が圧倒的に多いので、それが「普通」だと言われています。
「同性愛」は少ないので「異常」だといわれ、差別されてきました。
少数派だからといって、差別するのは、いけないことですね。
人にはそれぞれの好みや個性があるのです。それを尊重しなければなりません。

では、実際にどれだけの人が異性愛で、どれだけの人が同性愛なのか。
しっかりした統計が、あるのでしょうか。
それ以前に、そんな統計がとれるのでしょうか。
アンケートを採って、きちんと答えてもらえるでしょうか。
差別されてきた人たちは、差別されたくないので、隠すでしょう。
統計も取れないのに、数字が出ているとしたら、これはとてもおかしなことです。
おかしいどころか「嘘」になってしまいます。

そういうことも含めて、この数字はインチキ臭い、と思いました。

ほかにも、納得のいかないことがありました。
例えば「白人」と「有色人種」という言い方です。
もし皮膚の色で人間を分けるなら、
白い人が何人で、黒い人が何人で、黄色い人が何人で、褐色の人が何人
と言わないと、おかしいですね。それが平等な考え方です。
そもそも、誰の肌が何色などと、分けることができるのでしょうか。
ところがこの本は「白人」と「それ以外の色の付いた人」という分け方になっている。
つまりこれは、白人中心の、ものの見方をしているということです。

「有色人種」という言葉は、人種差別と結びついた概念なので、
最近では、あまり使わなくなっています。
世界の全体像を正しく知ろう、差別をなくそう、というこのメッセージのなかに、
こんな差別的な言葉が混じっていることを、わたしはとても不思議に思いました。

ほかにも納得できないことがあり、
結局、わたしはこのメールを、誰にも転送しませんでした。
内容が納得できない、ということもありましたが、
本当の問題はそこではありません。
情報の発信元がはっきりしない、不正確な数字が書かれたものを、
そのままコピー&ペーストして転送するのは、無責任なことだからです。
間違いが広がれば、その責任が取れないからです。

「だって、こんなにいいことが書いてあるんだもの。
数字なんて、適当でもいいじゃない。
誰が言いだしたかなんて、関係ないよ。
小さなことにこだわらないで、いいことは、みんなに伝えた方がいい」
と思う人がいるかもしれません。

でも、それは間違っています。
どんなにいいことが書いてあっても、すばらしいことでも、
それが本当かどうかわからない、誰が言いだしたかわからないことを
確かめもせずに、そのまま人に伝えるのは、とてもいけないことです。
罪、といってもいいくらいです。

このように無責任に人から人へと送られるメールのことを
「チェーンメール」と呼びます。
「転送自由」と書かれたこんなチェーンメールは、世の中にあってはならないものです。
なぜいけないことなのかを、これからみなさんにお話ししましょう。



みなさん「デマ」という言葉をご存知ですか。
誰が言いだしたかわからない、デタラメな噂が、世間に広がることです。

1923年、関東大震災の時「朝鮮人が暴動を起こす」というデマが流れました。
その頃、日本の植民地だった朝鮮半島から、たくさんの人が日本に渡ってきていました。
その人々が、暴動を起こす、という噂話が流れ、
そのため、罪もない朝鮮人が、たくさん殺されました。
6千人もの朝鮮人が殺されたという説もあります。
中には、朝鮮人に間違えられて殺された中国人や日本人もいました。
ほんとうにひどい話です。

1973年には、トイレットペーパー騒動がありました。
この頃、中東で戦争をしていたため、石油の価格がとても高くなりました。
人々が不安に思っていたところに「紙がなくなる」という噂が流れ
みんながスーパーに殺到、トイレットペーパーを買い占めました。
そのため、お店からすっかりトイレットペーパーがなくなってしまいました。
ばかばかしい話です。

不確かな言葉が、そのままどんどん広がると、
このように、大変なことになってしまいます。
「本当かどうかわからない、情報元のはっきりしないこと」を
「いいことだから」といって、そのまま人に伝える癖がついていると、
恐ろしいデマが出たときも、同じようにそれを伝えることになってしまいます。

デマも、その時は「いい情報」だと思われていたのです。
「危険な人たちから自分の身を守るため」だとか
「トイレットペーパーがなくなると大変だから、いますぐ買った方がいい」とか、
みんな「役に立ついい情報」だと、その時は思っていたのです。

けれども、それはデマでした。

いまも、石油が値上がりし、人々は不安に思っています。
世界では、色々なところでテロがあり、戦争も起きています。
デマが広がりやすい下地が、すっかり揃っています。
その上、インターネットにより、情報がすごい速さで広まるようになりました。
一人一人がデマを流さないように、よほど注意しなければなりません。

そうです。「疑り深い人になること」が大事なのです。
みんなが、一度立ち止まって「ほんとうかな。どうかな」と思い、
きちんと自分で確かめみる。自分の頭で考えてみる。
それができれば、恐ろしいデマも流れたりしないでしょう。
社会が、おかしな方向へ行くことも少なくなるはずです。

港中のみなさんは、インターネットでメールをしている、とお聞きしました。
そこで、ネットをするときに大事なことを申しあげたいと思います。

情報を発信するときは、必ずその元情報がどこにあるのか、調べること。
その情報が、どれくらい確かなのか、調べて自分できちんと考えること。
本当に確かだと思われることだけを、発信すること。
情報元が本なら、そのタイトルを書くこと。
情報元がネット上の情報なら、そのURLを書くこと。
元情報のわからないものは、絶対に人に流してはいけません。

そして「転送自由」などと絶対に書かないこと。
転送するかしないかは、受け取った人が自分の判断で決めるべきことです。

逆に「転送自由」と書かれたメールをもらったからといって、
何も考えず、確かめもせず、「コピペ」して転送してはいけません。
それは、悪い情報を流通させる下地を作っていることになります。

これだけをきちんと守れば、間違った情報を発信することは少なくなります。
みなさん、どうか「疑り深い人」になって、立ち止まって考えてみてください。



さて、話を最初に戻しましょう。
「勉強しなさい」と言われた時に、
「なんのために勉強をするの?」と問いかける人は、かなり疑り深い人です。
なぜなら「勉強をするのはいいことだ」というのが、世間の常識だからです。

その常識を疑ってみる。本当の意味を考えてみる。
常識はずれ、と非難されそうですが、実はこれはとてもすばらしいことなのです。

「なんのために勉強をするの?」と大人に聞いたら、
どんな答えが戻ってくるでしょうか。
きちんと答えられる人は少ないでしょう。
なぜなら、その人たちも「勉強をするのはいいことだ」と両親や先生から言われ、
鵜呑みにしてきたからです。

こんなふうに答える人もいるでしょう。
「勉強をするのは、いい高校に入るため。
 いい高校に入れば、いい大学に入れて、
 いい大学に入れば、いい会社に入れるからだよ」

疑り深い人は、もっと聞きます。
「いい会社にはいると、何がいいの?」
「安定しているし、お給料がいい」
疑り深い人は、もっともっと聞きます。
「お給料がいいと、何がいいの?」
「お金をたくさんもらえて、なんでも買える」
「なんでも買えたら、人はしあわせになれるの?」

さあ、どうでしょうか。
みなさんは、どう思いますか。

わたしの同級生で、いい高校からいい大学に行って、いい会社に入り、
忙しくて、忙しくて、毎日家に帰るのは夜の11時過ぎ、
家族といっしょに夕飯を食べたことがない、という人がいます。
それは、しあわせでしょうか。

お金がたくさんあっても、しあわせではない人は、世の中にたくさんいます。
そんなにお金持ちではなくても、しあわせな人も、たくさんいます。
しあわせは、お金だけの問題ではありません。

じゃあ、何がしあわせなのか。
どう生きるのが、しあわせなのか。

それは、とても大きな人生の問題です。
哲学的な問題と言ってもいいでしょう。
大人でさえ、そのほんとうの答えを、毎日探しながら生きているのです。

「勉強するのはいいことだ」という常識を疑ってみて、
「なんのために勉強をするんだろう?」と考えだしたら、
こんな哲学的な大問題にまで、行き着くのです。

疑うということ、疑問を持つということは、よく考えるということなのです。
誰かのいうことを鵜呑みにしないで、自分の頭で一生懸命考えてみることなのです。

けれど、知識も少ない自分の頭だけでは、答えが出ません。
わからないことは、誰かに聞いてもいいでしょう。
でも、その誰かが、本当のことを言っているかどうかは、わかりません。
それが正しいかどうかは、自分で判断しなければならないのです。
判断するためには、知識が必要です。

そうです、それが「勉強」なのです。
自分で考えるための力を付けること。
物事を判断をするための材料となる知識を得ること。
それがほんとうの勉強です。

その基礎的な力を付けるために、いろいろな学科があるのです。

たとえば、歴史。
暗記して、いい点を取るだけが、歴史の勉強ではありません。
歴史は、いまわたしたちのいるこの社会が、どうやってできたのかを学ぶ学問です。

いま、イラクでは「自爆テロ」が毎日のように起きています。
爆弾を体に巻きつけて突っこむなんて、信じられない、気が狂っている、
だからイスラム教徒は恐ろしい、などという人がいます。そうでしょうか。

歴史を見れば、日本人もついこの間まで、同じことをしていたのです。
「神風特攻隊」がそれです。
飛行機に乗って、敵の船に突っこんで、自爆しました。
テロではありません。戦争です。国が命令してそうしていたのです。
若い人が「お国に命を捧げる」といって、たくさん死にました。
わずか60年ほど前、第2次世界大戦の時のことです。

いまとなれば、信じられないことです。
でも、その信じられないことを日本人は、やってきました。
自爆して死ぬのを立派なこととして、みんなで誉めていました。
どうして、そんなことになったのか。
みなさんは、知りたいとは思いませんか。
歴史を学べば、それが見えてくるかもしれません。

戦後62年の間、日本は平和を保ってきました。
「神風特攻隊」だった日本人が、全く戦争をしないできたのです。
どうして、それが可能だったのか。
日本国憲法第9条には「武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
という有名な言葉があります。
この平和憲法に、どんな意味があったのか。
わたしたちはいま、よく考えなければなりません。

歴史は、いろいろなことを教えてくれます。
戦争が起きた理由を知ることもできれば、平和を守るヒントもあるでしょう。
いま、自爆テロをしている遠い国も人々のことも、
自分とは関係ない、全然理解できないもの、とは思わなくなるでしょう。

外国語を学ぶことも、テストでいい点を取ることが目的ではありません。
その言葉を使って、外国の人と話ができるようになること、
外国の書物を読めるようになること、
そうやって、よその国の人々を理解することが目的なのです。
言葉を学ぶこと、それは、外国の文化を学ぶことに他なりません。
世界を知ることです。
そして、外国の文化を学ぶことで、初めて見えてくる「日本」があるのです。

科学もとても大切です。
観察や実験により、宇宙の法則を導きだすこと。
それが科学の本質です。
それを応用したものが、科学技術です。
ロケットやコンピュータなどの先端技術は、科学そのものではなくて、
科学の生みだした副産物なのです。
大切なのは、その元にある科学的な考え方です。
科学的な考え方ができるようになれば、
あらゆる分野にそれを応用することもできます。
迷信や占いなどにも、いたずらに惑わされなくなります。

その科学的な考え方をするために、絶対に必要なのが数学です。
もちろん、この世界を動かしている経済のことを理解するためにも、
数学はなくてはなりません。

国語だって、もちろん大切。
物を考えるためには、言葉が必要です。
言葉がなくては、考えられません。
そして、考えたことを伝えるのにも、言葉を使います。

勉強をすること。それは、世界を知ることです。
自分がいまいる世界がどんなところなのか、どんな法則で動いているのか。
どんな歴史の上で、こうなってきたのかを知ることです。
それを知ることで、自分の頭で考え、判断できるようになるのです。

そう思うと、勉強は楽しくなります。
どんどん知りたくなって、どんどん調べたくなります。
何かに興味を持てば、どんどん追いかけていきたくなります。
それは、喜びです。

わたしは中学高校の時にはまだ、そのことがよくわかりませんでした。
勉強とは、いい点を取ることだと思っていたので、あまり面白くありませんでした。
大損をしてしまったと、いまでは思います。
あの頃、勉強の面白さに気づいていたら、もっともっと世界が広がり、
人生の選択の幅も広がったのにな、と思います。
学校を卒業してからの方が、ずっと勉強するようになりました。
勉強は、面白くてたまりません。
調べれば調べるほど、もっと知りたいことが増えるので、キリがありません。



きょうは「疑り深い人になろう」というお話をさせてもらいました。
人の言うことを鵜呑みにしてはいけません。よく調べ、自分の頭で考えましょう。

しかし、それは「人の言うことを聞かない」ということとは全然違います。
人の言うことには、いつだってきちんと耳を傾けなければなりません。
ひとつ、例をあげましょう。

あなたがある物を見て「丸い」といいます。
友だちは「四角い」といいました。
どちらが正しいでしょうか。

実は、その丸くて四角いものは、こんな形をしていました。円柱です。

自分の判断だけが正しい、と思うのは、間違いです。
色々な人の意見を聞いて、色々な視点をもたなければいけません。
それを総合して、やっと正しい判断ができるようになるのです。

この「色々な視点を持ち、それを総合して判断する力をつける」
そのためにするのが「勉強」なのです。

「本を読むこと」もその勉強のうちの一つです。
ここに、わたしが、中学生諸君のために書いた文章があります。
それをみんなにプレゼントしたいと思います。
■中学生諸君へ/本なんか読まなくたっていいよ

本なんか、読まなくったっていいよ。
本を読むより、すてきなことはいっぱいある。
おひさまの光をいっぱいに浴びていたほうが、いい。
友だちとおしゃべりした方が、ずっと楽しい。
おじいさんやおばあさん、近所のおじさんやおばさんと話したり、
お父さんやお母さんの背中を見ていたほうが、よっぽど勉強になる。
手伝うならば、なおさらいい。
世界は知らないことでいっぱいだから、
自分の皮膚で、自分の心で、精一杯感じないといけない。

けれど、自分は一人しかいない。
たった一人の自分は、世界の全部を体験することはできない。
だれだって、自分の人生しか生きられない。
けれども、本のなかには、いろんな人生がある。いろんな体験がある。
男の子だって女になれるし、女の子だって男になれる。
百歳の老人にもなれるし、宇宙人にも兎にも花にもなれる。
遠い時代を生きていた人の心にさわることも、
まだ見ぬ未来に生きることもできる。
昔の人が何百年もかけて考えに考え、やっと得られた結論だって、
たった一冊の本で手にすることができる。
一人しかいないきみが、無数のきみになる。
きみの心のなかに、無限の宇宙が広がる。

だから、本を読むことはすてき。本を読むことは、やめられない。
想像力の翼に乗って、どこまでも果てしなく行けるから。

でもね、忘れちゃいけない。
その無限の世界を感じることができるのは、
たった一人のきみが、そこにいるからだということを。
きみの心が、皮膚が、耳が、目が、鼻が、舌がそこにあるから、
きみ自身が感じることが、すべての想像力の芯に、しっかりとあるから、
だからこそきみは、本の中に広がる世界を、リアルに感じることができる。
だからこそ、宇宙の果てのさらに向こうへ飛ぶことのできる
美しくてすこやかな心の翼を持てるのだ。

だからね、やっぱり
おひさまの光を浴びていたほうがいいって、わたしは思うんだけど、
それでも本を読むのは、やめられない。
無限に広がる世界が、わたしを誘うから。
「さあ、おいで。冒険旅行に出よう」と。
創作文コンクールで自分が体験した獅子舞のことを書いた中川くんは、
自分の心と体で感じたことを書きました。だから、すばらしいのです。
同じコンクールに入賞した阪口真樹さんは「三百八十年間の歴史」というタイトルで
金沢の用水について調べたことを書きました。
いつも見ている水路がどんな風に作られたのか、何の役に立っているのか、
どんな工夫があるのかを調べ、実際にその場所を見にいっています。
わたしはこの作品にも、とても感心しました。
当たり前と思っている風景のなかにあることを、わざわざ調べるというのは、
すばらしいことだと思います。それこそが学ぶ姿勢です。

みなさんも、自分の地域の暮らしや身の回りのことで、
気になることを見つけて、ぜひ調べてみてください。
そこから、大きな世界が広がることは、間違いありません。
学ぶことは、心の冒険をすることです。
学べば学ぶだけ、見知らぬ世界がぐんぐん広がっていきます。
学ぶ者はみな、心の冒険者です。
勉強は、どんな遊びより面白い、最上級の遊びだと、わたしは思っています。



みなさんは、あと10年もしないうちに、二十歳になります。
大人になって、色々な形で社会参加することになります。

どうか「疑り深い人」になって、自分の道をしっかり歩んでいってください。
いつも立ち止まり、調べ、考え、心の世界をぐんぐん広げていってください。
そして、いつまでもいきいきと心の冒険の旅を続けてください。
学び続ける、素敵な大人になってください。
だれもがしあわせに生きられる世界を創っていってください。
みなさんに美しい未来があることを、お祈りしています。
がんばってください。
わたしも、精一杯がんばります。

http://ryomichico.net/bbs/planets0012.html#planets20071015193850

■作品が後世に読まれるためにすべきこと/著作権保護期間延長に反対する

Mon, 10 Sep 2007 16:02:25

 後世に読み継がれること、それはすべての創作者の切なる願いではないでしょうか。かの芥川龍之介でさえこう記しています。
 時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館に、たつた一冊残つた儘、無残な紙魚の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。しかし――(中略)
 私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。
(初出:「東京日日新聞」大正8年7月27日
 「著作権保護期間の延長」という字面を見ると、いかにも大切にしてもらえるような錯覚を抱きますが、それは大きな間違いです。著作権保護期間が延長されると、後世の再出版を困難にし、小説を時の彼方へ埋もれさせることになります。つまり「著作権」という名の下に「作品が、後世の人々に広く読まれる権利」を著しく阻害することなのです。
 現行の著作権保護期間は五十年。著者の死後半世紀の長きに渡り、守られています。充分な期間です。これをさらに二十年延長し、死後七十年に延長するとどうなるでしょう。
 まず、著作権継承者を探しだすことがより困難となります。その全員の了承を得なければ、出版はできません。印税も発生します。出版のハードルが高くなれば、遺族を捜してまで出版しようとする出版者が減じることは、火を見るよりも明らかです。つまり、再出版され、読まれる機会が著しく減じるのです。
 データベースの整備をすればよい、との意見もありますが、莫大なコンテンツが出回っている今日、すべての著作権継承者を把握することは、ほぼ不可能。実際にデータベースを整備して後に、議論するべき問題です。
 逆に、著作権が切れるとどうなるか。著作権保護期間が切れたと同時に、大量の作品が出版される、ということを、わたしたちは目の当たりにしています。1984年に宮沢賢治の著作権が切れた時、多くの出版社が絵本や作品集を出版しました。それは、賢治再評価の気運を高め、いままで賢治作品に触れることのなかった人々さえ巻き込み、作品を広く世に定着させることとなりました。
 著作権が切れる、というと、あたかも権利を奪われるように思う人も多いようですが、むしろ、すべての人の共有の知的財産として認められ、より広く知られるきっかけとなるのです。時を超え多くの人に読まれてこそ、作品は真の理解者を得、未来に貢献できます。それこそが、文学のすばらしさではないでしょうか。著作権保護期間延長に反対します。

※2007/9/9 日本文藝家協会会報へ投稿

■食のアトリエ憲章

Mon, 25 Jun 2007 02:53:50

神奈川県の大和市を中心に活動している「食のアトリエ」というグループがある。

そのグループを立ち上げたひとりである、友人の小宮山利恵子さんに頼まれ、以前、グループのためにボランティアで詩を書いた。これが好評で「食のアトリエ憲章」として使っていただけることになった。光栄である。ここに再録する。「食のアトリエ」のみなさん、がんばってくださいね。

【わたしたちはみな命を食べている】

思えば不思議です。
食べるということは、無数の他者が自分になること。
さっきまで「りんご」だったものが、
一口かじったとたんに「わたし」になるのです。

そのりんごを育てた太陽の光や、ふりそそいだやわらかな雨、
吹きぬけた風や、大地の滋養が、めぐりめぐって、わたしになる。
つまり、
わたしはりんごを育てた「環境」そのものを食べていることになる。

そう思えば、
この世界を、いつまでも汚れのない、美しい世界にしたいと思います。
きれいな水、きれいな空気、きれいな大地があってこその、
わたしのすこやかな命なのです。

食べるということは、世界とつながること。
地球をまるごとかじること。
めぐりめぐる命のひとつとして輝くこと。

「いただきます」の一言に、みんながその気持ちを込められれば、
世界はきっと、もっともっと美しい場所になるでしょう。

                     Copyright by Ryo Michico

■相対性理論百年「四次元幻想」源泉への時間旅行/第15回宮沢賢治研究発表@宮沢賢治イーハトーブ館 2005年9月23日

Mon, 21 May 2007 02:15:15

移動しました⇒祖父の書斎/科学ライター寮佐吉


■5/16 著作権延長問題@文化庁 レジュメ

Sun, 06 May 2007 02:25:15

「延長に慎重な創作者」という立場から  寮 美千子(日本文藝家協会会員)

1 長く読みつがれることこそが、創作者への最大の敬意


作品が時を超え読み継がれることは、創作者としての最大の願い

 時を超え、多くの人に読まれてこそ、作品は正しく評価される。
 時を超え、多くの人に読まれてこそ、未来の人々と文化に貢献できる。

保護期間延長に伴う弊害

 保護期間延長されると、作品が利用される機会が著しく減じる。
  =作品が再評価される機会が減り、埋もれた名作が発掘される機会が減る。
  =既に評価のある作品も、利用される機会が減る。
  =社会全体(人類)としての多大なる文化的損失。

保護期間50年は長すぎる

 既に高い評価のある作品でも、没後50年を待たず忘れ去られる。
 埋もれた作品であれば、発掘され再評価されるのは絶望的。
 時の流れの早い今日、保護期間はむしろ短縮されるべき。25年で充分。
 50年でも長すぎるのに、70年になれば、文化的損失は絶大。

データベースの整備は過去の作品の利用の円滑化を促すか?

 自費出版が商業出版に迫る今日、作者のデータベースの構築そのものが困難。
 膨大な個人情報の蓄積となり、扱いもむずかしい。
 構築困難な架空のデータベースを前提に延長を議論するのは危険。
 延長議論は、データベースを実現してからにすべき。

パブリック・ドメインの早期実現は、創作を軽視するものか?

 「著作権を少しでも早く消滅させてパブリック・ドメインになれば良いという考えは、
 創作を軽視するものであり間違った考え方」(日本音楽作家団体協議会・川口真氏)

 著作権という壁によって、作品が埋もれれば、それこそが、創作を軽視するもの。
 読み継がれ、人類の共有財産となることこそ、創作者に対する最大の敬意。

2 作品は、万人にとっての「文化的財産」である


作家は誰のために作品を書くのか 誰が創作活動を支えているのか

 「作家は創作のため心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張るもの。
 創作活動を支えた家族に、作家の死後も利益があるべきだ」(松本零士氏)

 創作活動を支えているのは、家族だけではない。社会全体。
 「著作権法」という法によって、社会全体で作者の創作活動を支えている。
 作者自身による創作活動は、作者の死と共に終了。
 作品は、創作を支えた社会の人々に「文化」としてなるべく早期に還元されるべき。
 作者亡きあと、作品を読んだ人が再創造をしていく。=文化の発展

作品は、万人にとっての「文化的財産」である

 作品は万人が継承し享受すべき「文化的財産」。
 著作権保護期間の延長は、
 それを特定個人や団体の「経済的特権」として囲いこむ行為に他ならない。

3 結論


 より多くの人に、より長く読み継がれてこそ、作品は命を得られる。
 作品は、万人によって支えられて生まれた、万人のための文化的遺産。
 著作権保護期間の延長は、その作品の命を奪うものであり、
 読み続けられたいという創作者の最大の願いを砕き、社会の文化的発展を損なう。


補足:著作権保護期間を25年間と考える根拠 他


遺族の保護は25年間で充分

 遺された子が自立すべき年齢に達するまで、猶予期間を見ても25年間。
 それだけの期間、著作権が保護されれば、子どもは自立すべき年齢に達している。
 それ以上の不労所得は明らかに「特権」。
 現行の保護期間50年は、すでに充分以上の家族への保障である。

著作者人格権は、遺族や団体等の著作権継承者によって守られるわけではない

 著作権継承者は「作家本人」ではない。
 遺族により、著作者人格権が却って損なわれることもある。
 作品の真の理解者こそが、作家と作品を尊重することができる。
 真の理解者を得るためには、一人でも多くの人に読まれることが必要。
 そのためには、作者の死後、早期のパブリック・ドメイン化が必須。

 著作権継承者が企業である場合、保護期間の延長を主張することは、
 万人のものであるべき文化を独占し、経済的特権を得ようとする浅ましい行為。

「保護期間を70年とし、50年に縮めたい人は登録せよ」という意見に関して

 延長は、万人の利益に反して、特定個人の特権的な利益を追求するもの。
 50年に縮めたい人は登録せよというのは間違っている。
 その論であれば、70年に伸ばしたい者が登録すべきであるが、
 そもそも、そのような「特権」が認められること自体がおかしい。

 著作権保護期間は一律死後25年にして、
 50年にしたい人が登録すべき。

欧米に足並み合わせるのではなく、人類全体の利益を優先すべき

 欧米の選択が人類の利益につながるとは限らない。
 著作権を有する企業の利益を優先して、人類の文化的利益を損なっている。
 文化の発展にふさわしい選択は何かよく考え、日本が率先して諸国に示すべき。

■5/16 著作権延長問題@文化庁 発表予定原稿

Sun, 06 May 2007 01:06:41

文化庁の「著作権分科会 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第3回)」において「延長に慎重な創作者」という立場から、発言を要請されました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/kaisai/07042701.htm

日時 5月16日 10時5分〜10時35分 
場所 如水会館
【延長に慎重な創作者】
  平田 オリザ 劇作家、演出家
  別役 実   劇作家
  椿 昇    現代美術家、京都造形芸術大学教授
  寮 美千子  作家、詩人

4人合わせて、わずか30分。うち15分が質疑応答に取られるため、1人当たりの発言の時間は、わずか3分間です。発言のための原稿を制作しました。「補」の部分は、3分を超えるのでわたしの持ち時間内では発言できませんが、質疑応答の際などに、発言の機会があるかもしれません。「日本文藝家協会会員」とわざわざ書いてあるのは、日本文藝家協会が、著作権保護期間を現行の50年から70年にせよと、提案しているからです。わたしは会員ですが、保護期間延長には反対です。

ご意見のある方は、賛成反対を問わず、掲示板にどしどしお書き下さい。一番下のボタンより掲示板にリンクしています。
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「延長に慎重な創作者」という立場から  寮 美千子(日本文藝家協会会員)

1 長く読みつがれることこそが、創作者への最大の敬意

作品が、時を超え読み継がれることは、創作者としてのわたしの最大の願いです。
読まれてこそ正当な評価が得られ、未来の文化に寄与することができるからです。
作品が読まれなくなるということは、創作者にとって、もっとも悲しむべき事態です。

わたしは、保護期間延長に反対します。
それは、作品がより多くの人に読み継がれる機会を著しく減じるものであり、
作者個人にとって損失であるばかりでなく、社会全体にとっての損失でもあるからです。

現在、作者の死後もなお読み継がれる作品は、ほんの一握りに過ぎません。
自費出版の点数が商業出版に迫る今日、埋もれてゆく作品は膨大な数になります。
その中に、人類の宝となるような名作が埋もれている可能性もあります。

現行の保護期間50年は、作品が再評価されるためには、あまりにも長過ぎます。
また、既に高い評価のある作品でも、50年を待たず忘れ去られることも多くあります。
時の流れの早い今日、保護期間は25年で充分だと思います。

延長派である日本音楽作家団体協議会の川口真氏は、先日のヒアリングで
「著作権を少しでも早く消滅させてパブリック・ドメインになれば良いという考えは、
創作を軽視するものであり間違った考え方」と主張なさいました。

著作権という壁によって、死後の利用が阻害され、未来へ受け継がれる機会が減れば、
それこそが、創作を軽視するものであり、
作家が心血を注いだ作品の命を断つことにもつながります。
読み継がれ、人類の共有財産となることこそ、創作者に対する最大の敬意です。

データベースがあれば、問題ないという意見がありますが、
自費出版までふくめて、作者すべてのデータベースを整備することは至難の業です。
膨大な個人情報の蓄積となり、扱いも大変むずかしくなります。
実現困難なデータベースの整備を前提に保護期間延長を考えるのは、危険すぎます。
延長問題は、データベースを実現して後に、議論されるべき問題です。

2 作品は、万人にとっての「文化的財産」である

延長派である松本零士氏は
「作家は創作のため心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張るもの。
創作活動を支えた家族に、作家の死後も利益があるべきだ」と語ってます。

しかし、創作活動を支えたのは、家族だけではありません。社会全体です。
社会に余剰がなければ、作家は創作に専念できません。
「著作権法」は、法によって、作者の創作活動を保護し、生活を支えています。
しかし、作者自身による創作活動は、作者の死と共に終了します。
作品は、創作を支えた社会の人々に「文化」としてなるべく早期に還元されるべきです。
そこから、また新たな文化が芽吹き、育っていくのです。

著作権保護期間の延長は、万人が継承し享受すべき「文化的財産」を
特定個人や団体の「経済的特権」として囲いこむ行為に他なりません。

わたしは、著作権保護期間は、死後25年で充分であると考えます。
現行の50年は、それを大幅に上回るものであり、70年への延長は、
創作者としての最大の願いと、社会の文化的発展を傷つけるものだと考えます。

補 著作権保護期間を25年間と考える根拠 他

※遺族はどこまで保護されるべきか。最悪の場合を想定し、
 妻が妊娠してすぐ、夫である作家が亡くなったとします。
 遺された子が成人するまでに21年間、
 大学を出て就職するまでの猶予期間を見ても25年間。
 それだけの期間、著作権が保護されれば、子どもは自立すべき年齢に達しています。
 それ以上の不労所得は明らかに「特権」であり、子どもをスポイルだけです。
 現行の保護期間50年は、すでに充分以上の家族への保障をしています。

※著作者人格権が、遺族や団体等の著作権継承者によって守られるとは限りません。
 著作権継承者は「作家本人」ではないからです。
 お金のために、作品の改変をよしとする遺族もいるし、
 逆に、遺族が翻案や脚色を一切許可せず、作品の正しい利用を阻害する場合もあります。
 作品の真の理解者こそが、作家と作品を尊重することができるのであり、
 真の理解者を得るためには、一人でも多くの人に読まれることが必要です。
 そのためには、作者の死後、早期のパブリック・ドメインの実現が必要です。
 遺族が、故人とその作品を心から敬愛するのであれば、
 作品が読み継がれ真の理解者が現れることは、うれしく誇らしいことであるはずです。

※著作権継承者が遺族ではなく一企業である場合、保護期間の延長を主張することは、
 万人のものであるべき文化を独占し、経済的特権を得ようとする浅ましい行為です。

※「保護期間を70年とし、50年に縮めたい人は登録せよ」という意見がありますが、
 もしそのような方法をとるのであれば、70年に伸ばしたい者が登録すべきです。
 延長は、万人の利益に反して、特定個人の特権的な利益を追求するものであり、
 特権的利益を得たいと望む当人こそが、登録の労を負うべきです。

※延長派は、欧米に足並み合わせて70年にせよといいますが、
 欧米の選択が人類の利益につながるとは限りません。
 文化の発展にふさわしい選択は何かよく考え、日本が率先して諸国に示すべきです。

■奈良/マンション改装物語 その1

Sun, 16 Jul 2006 15:23:44

阪口製材所/阪口勝行氏ブログ 2006年03月28日 より

【高野槙の壁板】
東京より御越し頂いたR様。床板の材料を見学に来られた。
当社での提案しやすい杉の厚板(40mmや35mm)をお見せして、檜の30mmや15mmも荒材のままではあるが見て頂いた。

水に強い高野槙という樹種がある。風呂や手洗いにはうってつけの材料である。匂いのある、水に強い槙。杉や檜のようにどんどん出てくる材料ではないため、ある時かぎりの商品であるが、トイレなど小スペースにだけ特化して使ってもらえるなら、量的にはそろえて出せる品物でもある。洗面所で使う予定である。

今回のマンションのリフォームでは当社の材を気に入っておられるので自由な提案をしていくつもりである。床暖房用のフローリングに杉や檜を使っていこうとも検討中である。

出来上がりまでの現場中継も行えればいいなと思っている。
【寮美千子コメント】
R邸施主こと寮美千子です。首都圏に住んでいましたが、縁があって訪ねた奈良の風土と人情が気に入り、とうとう連れ合いと二人、奈良への移住を決断。徒歩圏内で奈良らしさを楽しめる場所をと探し、奈良町のはずれの築11年の中古マンションを購入しました。

部屋は一階。マンションでは一般にクッションフロアーの使用を義務づけられていますが、一階ならば無垢材でも許可がおります。念願だった無垢の床材を使うチャンスが到来しました。また、せっかく奈良へ来たのだから、ご当地の吉野材を使いたいと考え、林業関係者に話を聞いたところ、吉野にある阪口製材所さんの材がすばらしいとのことで、吉野まで足を運んで見学させていただきました。

近鉄の吉野神宮の駅を降りて、まず木の香りの強いことに驚かされました。製材所が集まり、大気そのものが芳しい木の香りなのです。なんというすばらしい場所でしょう。このような木の香りを我が家に持ち帰れたらと、その場で強く感じました。

阪口製材所さんは、駅のすぐそば。お父さまである阪口浩司氏が、案内をしてくださりました。その熱心さ、はっきりとした哲学をお持ちであることに、強く心打たれました。

阪口製材所では、以前は集成材を手がけていたとのこと。しかし、集成材は家を解体したときに再利用できず、産業廃棄物にしかならない。また接着剤を使っているので、燃やせば公害の原因にもなる。人体への影響も芳しくない、などなどがあり、思い切って天然木の無垢材に切り替えたとのこと。無垢材は、長い時間をかけてゆっくりと乾燥させないといい材にならないため、大量の材を敷地に積みあげ、売れる宛もないのにあんなに積んで、とうとう気が変になったのではと疑われたりしながらもがんばられたとのこと。その結果、現在のように、あらゆる要望に応えられる大量の在庫を持てるようになったこと、など、熱心にお話しくださいました。

わたしと連れ合いは、阪口浩司氏の哲学と、実際に見た木材の山に圧倒され、木の手触り、香りに心奪われました。また、到底手が出ないと思いこんでいた無垢のヒノキ材や杉材の価格も、阪口製材さんでは中間マージンを一切取らない直販方式なので安くなり、市販の合板のクッションフロアーを入れるのと大差ない価格で手にはいることが判りました。そんなわけで、ぜひ吉野の杉とヒノキで、マンションを改装したいと考えたのでした。

しかし、問題点が一つありました。床暖房です。奈良の冬はきびしいと聞きました。マンションの一階は湿気も多く、冷えこみます。前の住人の方は、ガス暖房を使用したため湿気がこもり、北の部屋の壁は腰の高さまで真っ黒にカビが生えていました。そのために、最初はこのマンションの購入をためらったほどです。ここはどうしても床暖房を使いたい。しかし、吉野材との相性は? ここから、阪口製材所さんと二人三脚の試行錯誤が始まりました。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/sakaguchi-seiza/

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