ハルモニア Review Lunatique/寮美千子の意見

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■癒されて昇華されたくない/イラク攻撃反対意見広告に感じた違和感とその代案の提案

Fri, 31 Jan 2003 00:04:18

▼一般市民による意見広告
1月29日の朝日新聞に「私たち4592人は、日本がアメリカのイラク攻撃に加担することに反対です」という意見広告が掲載された。十五段抜きの全面広告だ。

小さな黒い四角の中には、この広告に賛同して三千円以上をカンパした人々の名前が一つずつ書かれていた。それは、わたしには黒御影石に刻まれた墓石の名のようにも見えたし、ワシントンD.C.にある、ベトナム戦没兵の名前を彫った黒い石の壁をも連想させた。その名前を丹念に追っていくと、知人の名前もいくつか見つけた。

▼911の時のふたつの意見広告
2001年9月11日のテロの後、同じように日本人による意見広告がアメリカの新聞に掲載された。ひとつは「我々は常にあなたがたといっしょです!」と、アメリカ支持を強く表明したもので、これは在米日本人有志ということになってはいたが、実際にはワシントン在住の日本人商工会のメンバーが中心になって作ったものだった。いわゆる、日米経済の中枢を担うエリート・サラリーマンや事業家たちの声だ。騒動のさなか、米国に忠誠を誓う姿勢を示そうとしたものだった。

もうひとつは、ニューヨーク・タイムズに掲載されたもので、前者とは反対の、アフガニスタン攻撃反対の姿勢を表明したものだった。アメリカの退役軍人が大統領にあてて書いた手紙が意見広告として採用され、ネットで広く一般の人々からカンパを募り、一千万円以上を集めて打った広告だった。こちらは、以前から環境問題に積極的発言を続けてきたきくちゆみ氏らがたちあげた「グローバルピースキャンペーン」主催のものだった。

グローバルピース・キャンペーンでは、いまも新たな広告を打つべく、ネット上でカンパを募っている。

▼意見広告への出資は自己満足か?
わたしは、こういう広告を目にすると、多くの人が切実に戦争反対を願っているのだと感じるとともに、なにか微妙な違和感を感じないではいられない。

以前、勇崎哲史氏が「癒されて昇華されたくない」という名言を吐いたが、まさに、その気分だ。

「悲惨な戦争をくいとめるために、何かをしたい」「じっとしていられない」そう切実に思いながらも「でも、どうしたらいいかわからない」という人々にとって、三千円を払って「戦争反対」の意志表示をすることは、手軽で、身の丈にあった、わかりやすい手段だ。自分のしたことの成果が、きちんと目に見えることもうれしいだろう。そうやって声をあげた、ということで、やり場のない気持ちは、少しはおさまるかもしれない。少なくとも自分は身銭を切って声を上げたのだ、と思えるだろう。

もちろん、それが出発点になって、そこから自分の暮らしの細部にまで意識が届くようになったり、世界情勢が気になるようになれば、それはそれで価値があるだろう。けれど、それは、勇崎さんのいうように「癒されて昇華されてしまう」ことになってしまいはしないか。

そのような行動が、結局は体のいい「民衆のイライラのガス抜き」になってしまったら、せっかくのエネルギーが余りにももったいない。

▼広告代金の行方
そして、わたしが何より違和感を感じてしまうのは、その一千万円というお金が、結局は、朝日新聞と広告代理店に流れてしまうということだ。ニューヨーク・タイムズの時は、ニューヨーク・タイムズと代理店に、ワシントン・ポストでも同じ。結局、お金は大国の中をぐるぐる回っているだけで、本当に困っているアフガニスタンや劣化ウラン弾で苦しんで療養中のイラクの子どもたちには渡らないということだ。

となると、新聞広告が「わたしは戦争反対の声をあげた」という自己満足のための手段のように見えてならない。

▼代案の提案
例えば、こうしてみたらどうだろう。「アメリカのアフガニスタン攻撃反対」であれば「アフガニスタン攻撃反対の意志表示をしたい人々から、広くカンパを集めます。そのお金をアフガニスタンで井戸を掘っている中村哲医師にカンパをし、これだけの人々が、アフガニスタン攻撃反対の意志表示をしましたと、マスコミに訴えます」というような方法。

小さなオフ会のような集会を全国で開いてもいいし、ミニ・デモをしてもいい。ネットワークをつくって動き、タウン誌から全国紙まで広くリリースを出して記者を呼び、記者を巻き込んで、記事をたくさん書いてもらえばいい。

ただ一度、全面広告を打つより、地道に報道され続けるほうが、人々の意識を呼び覚ますのには、より効果的ではないだろうか。そのような地道な態度こそ、実は戦争をくい止めるためにもっとも必要なものではないだろうか。

▼物事の根源を見据えよう
などと文句をいったら「まず、隗より始めよ」といわれてしまいそうだ。「せっかくいいことをしようとしてる人の足を引っ張るな」ともいわれそうだ。

しかし、一千万円というお金の行方を思うとき、わたしはどうしても腑に落ちないものを感じてしまう。日本での一千万円も大金だけど、それがアフガニスタンにいったら、どれだけの価値があるか。どれだけの井戸が掘れるか。井戸掘り人夫の職を得られて助かる人がどれだけいるか。

「戦争反対」を唱えるということは、世界をより深くまで見ようとすることではないだろうか。そのような想像力を働かせようとすることではないだろうか。そうすることによって、目の前にあることだけではなく、広い世界の現実を知り、矛盾の根源を探りだそうとし、その解決を求めようとする行動ではないだろうか。

「新聞の全面広告」に訴えるという手段は、そのように世界を根源から見据えようとする視線を「癒して昇華」してしまいかねない危険性がある。というか、その一千万円の行方を思うとき、あまりに想像力に不足した安易なスタンドプレーに思えてしまうのだ。それだけの志をもった人々の誠意が、正しく報われないような方法に思えてしまう。

▼癒されて昇華されないために
新聞の世論調査など当てにならないけれど、まるでアメリカの腰巾着のような情けない振る舞いをしている小泉首相の支持率は、いまだ50パーセント前後という。この国の人の半分が、あれでいいと思っているのだ。残りは、そうではないと思っている人と、どうでもいいと思っている人だろう。「戦争支持はいけない」と断固として思う人々は、この国ではやはり少数派らしい。

その少数派が「癒されて昇華されて」しまったら、新聞の意見広告がいいガス抜きの役割を果たしてしまったら、と思うと残念でならない。不安と不満は、もっともっとくすぶらせるべきだ。そのエネルギーは、自己満足ではないより正しい方向に向けられるべきだ。

この意見広告のサイトには、カンパをした人々の声を掲載する欄さえ存在しない。話し合いをする掲示板もない。掲載資金がまだ足りていないからカンパを願うという記事のみが目立つ(1月30日現在)。カンパした一般市民が互いに意見を交換し深めあわなくて、どうして「声」を世界に届かせることができるだろう。一回の新聞広告の残響など、すぐ消えてしまうというのに。

戦争反対の声を実名で掲げた勇気ある人々にいいたい。三千円出して「いいことをした」と満足しないで、その三千円の行方を思ってほしい。結局日本の中でまわしているだけなんて、もったいないと感じてほしい。一万円あれば地雷を一個除去できたことを考えて欲しい。ものごとの根源に遡るような想像力を持ってほしい、とわたしは思う。

■現代詩に声を取り戻そう/明治学院大学言語文化研究所 第2回ポエトリー・リーディング

Mon, 27 Jan 2003 18:04:21

1月25日、明治学院大学言語文化研究所主催のポエトリー・リーディングを聞きにいった。この催しは今年で2回目。四方田犬彦氏が同研究所長になってからはじめたもので、昨年の1月は第一回。昨年は、わたしも出演させてもらった。今年の出演者は次の通り。(敬称略)
第一部
須永紀子
小池昌代
福間健二
第二部
天沢退二郎
石井辰彦
Lloyd Robson
第三部
高貝弘也
岡井隆
四方田犬彦

予定されていた守中高明氏は、お葬式があって欠席。といっても単に参列するのではなく、本職?が僧侶のため、読経しなくてははじまらず、欠席だそうだ。読経をするお坊さんは、たいがいいい声をしている。守中氏の詩の朗読も読経も、両方聞いてみたかった。

▼須永紀子
10分ほど遅刻してしまったので、もう須永氏に朗読がはじまっていた。聞いたのは途中からだったけれど、詩の朗読が終わると余韻もなにもなく、いきなり本人のおしゃべりがはじまったので驚いた。いま読んだばかりの詩の解説である。それが終わると、こんどは詩を読む前にいきなり次に読む詩の解説をはじめた。そして、読み終わるとまた、詩よりも長い自己解説がはじまる。

詩と解説との境界線をほとんど感じられないこの読み方はなんだろう? この人の詩は、そのまま心と直結して、自分でも止められないおしゃべりのように溢れだしてくるというのだろうか。それとも、詩を、詩の言葉として屹立させることが恐くて、沈黙に耐えられずにしゃべりだしてしまうのだろうか。

その両方の意味があったように感じられた。

巷で行われるポエトリー・リーディングのオープン・マイクを聞くと、そのほとんどの出演者が、与えられたわずか5分か10分の時間の多くを、おしゃべりに費やしてしまう。「おしゃべりはもういい、詩を聞きにきたんだ」と怒鳴りたくなる。彼らは、詩を、ただ詩として世界に投げだすことが不安なのかもしれない。詩とは、解説なしで独りで立っていられるはずの強い言葉だ、という自信がないのかもしれない。

いや、そもそも、詩とはそのような言葉であるべきだ、という考え方そのものがないのかもしれない。詩を、詩としてあがめたてまつるなんてナンセンス。日常の言葉と詩の言葉とが、途切れなくつながっている時間を生きたい、と思っているのだろうか。自作の詩を、長々と解説するなんて蛇足だ、と思っているわたしのような人間は、むしろ旧式の考えの持ち主なのかもしれない。

芸術家がみな自作の現代美術作品の意味と制作動機を語り、詩人がみな自作の詩の意味と制作動機を語る世界があるとしたら、そして、彫刻そのものや詩そのものよりも、周辺のおしゃべりのほうがありがたがられる世界があるとしたら、わたしはそこに住みたくない。

▼小池昌代
この人の詩は、ほんとうにいい。朗読する声も、その詩のようにふくよかで清楚な響きを持っている。前回聞いたときは、まるで深い森にある滝のそばで、霧になった水を浴びたような気持ちがした。今回は、少しこちらに余裕もできたのか、その清涼さのなかに、どこか少女のようなお茶目なところやかわいらしさがあることにも気づき、それにまた好感を呼んだ。この人の朗読は、なんどでも聞きたい。今回は雑誌「三蔵2 第二号」に掲載された「いざべらの秘密」他数編の自作の詩と、先日亡くなられた吉原幸子さん追悼のため、吉原さん作の「初恋」を読まれた。

▼福間健二
須永さん同様、911に多大なショックを受けたという福間さんは、そこに触発された詩を読んだ。昨年、911をテーマにしたのはわたしだけだった。今年は、須永さんと福田さん、そして後に出演した岡井隆氏も911に触発されたという詩を読んだ。事件から一年三ヶ月を経て、詩人たちはいまも触発され続け、それを沈潜させて詩の言葉にしている。

▼天沢退二郎
ストトン、と人が死んでしまう詩や、四角や三角や八角定規が言い争いをする「アンネリダ 環体論の試み」など、ずいぶんとお茶目な側面を見せてくれて、驚いてしまった。朗読も、とても交流的な感じがした。なにか、見えないあたたかいものが、ステージと観客とを行き来しているような感覚だ。

最後に読まれた「アノマーラ」というのは、夢の中で亡くなったお母さんに逢うという詩で、全体が夢の文法に委ねられ、つじつまが合わないのに納得させられてしまう。詩の中で「わたし」は最後にお母さんからビラの裏に書いた買い物メモを渡される。買い物にいって、お母さんは亡くなったのだと思い出す。手のなかのビラをよく見るとそこには、お母さんが好きだった歌の名前が記されていた。その歌の名前が「アノマーラ」。

どんな歌だろうと、後で天沢氏に直接尋ねてみると、それは夢の中に出てきた名前で、実在しないという。「でも、ほんとうにあったりしてね」と、また茶目っ気たっぷりに笑われたのがチャーミングだった。

数年前、花巻の宮澤賢治学会でお目にかかった時、千葉高校を舞台にしたファンタジーを執筆中とのことだった。いつ出版されるのか。気になってお伺いしてみると「もう、山場は書き終わったし、あらかたできあがっているんです。最後の仕上げをせずに、そのままにしてあるので、がんばります」とのこと。出版が楽しみだ。

▼石井辰彦
「三蔵2第二号」より (踊る男)と(着飾る女) を朗読。寄せては返す波のような調べ。この人の朗読は「音楽」だ。それも東洋の音楽。その音楽と、連作短歌の内容とが、今回は実に似合っていて、妖艶で、どこかもの悲しい、そしてすさまじい世界を生みだしていた。連作の中で、なんどか繰り返される言葉「羽も尾もないのに……」が、しっかりと耳に、そして心に刻まれた。以下抜粋。
人間という生き物を愛づるかな。羽も尾もない、けど、美しい。
羽も尾もない、のに、鳥の座を奪ふ(その)生き物を(やっぱり)愛す――
羽も尾もない、のに、耐えて、美しく、着飾る(然うよ! わたしは)女――
▼ロイド・ロブソン
1969年、イギリスのウェールズ生まれ。現在、ウェールズ大学ニューポート校のライター・イン・レジデンスとして制作している。セックスと俗語にまみれた強烈な詩を、吃音混じりのラップにも似た激しい調子で自らの声で奏でる。この詩人は、自らの詩集のレイアウトもするし、言葉の綴りも、ウェールズ訛りの若者言葉の「音」に寄った独自の綴りだ。

石井辰彦氏が東洋の音楽ならば、ロイド・ロブソンは、まさにパンク・ロック。やぶれかぶれな感じがいい。意味が分からなくても、音だけでも充分楽しめる。

翻訳を、福間氏がしてくれたが、語彙が上品すぎた。もっと「現役」のヤバイ若者言葉を使って欲しい。四方田氏は「下関あたりの方言でなくちゃあ」といっていた。

▼高貝弘也
とても繊細な感じがして、物語のなかに出てくる「詩人」のような人だった。「詩を朗読するのは、活字になった言葉をもう一度肉体化すること」と朗読の意味を滔々と解説。その試みとして、自作の詩に旋律をつけて楽譜つきで昨年の「ユリイカ」に発表したとのことで、その歌を歌った。音程の不安定な消え入りそうな声で、はらはらした。なにも「歌」にする必要なんてないから、もっといきいきとした「声」や「音」として「肉体化」してほしかった。

▼岡井隆
「樋口一葉、ウサマ・ビン・ラディンに会ひにゆく」と題された擬古文体の散文を朗読。間に、一葉が詠んだという設定の短歌が差し挟まれる。最新歌集『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』に収録されている作品だ。

「人がたくさん死んでいるのに、そんなふざけたことを書いて不謹慎きわまりない、といわれたりもしますが、弁護してくれる人もいます。詩とか音楽というものは、もともと不謹慎なものである、不謹慎で何が悪い、と開き直りたいのですが、メディアのまっただなかにいますと、そうもいかなくて」といいながら、正々堂々の朗読。ゆっくりと、時に天を見つめて読む立ち姿も美しい。

911やウサマ・ビン・ラディンが、大上段に語られるではなく、すべてが皮膚感覚を伴った等身大の言葉で語られる。詩が、詩であるというのは、こういうことかもしれない。イデオロギーに奉仕するために言葉が使役されるのではなく、あくまでも自己のために、自己の内部において、確実に実感を伴う質量のある言葉で、911やテロリストを語る。詩が、どんな圧力にも世界情勢にも負けずにきちんと自己の感性を源としていること。それは、少しも不謹慎でなことではない。むしろそうあることこそが、結果的に世界を美しい場所にすることに貢献するのかもしれない。

岡井氏は、先日逝去された多田智満子氏の歌集『水烟』の朗読もされた。

▼四方田犬彦
「三蔵2第二号」より「人生の乞食」を朗読。「40歳を過ぎてから詩を書きはじめました」なんていっていたけれど、四方田さんは、若い頃、詩を書いていた。それをまとめた私家版の詩集もある。しかし、それ以後、ほんとうに長いこと詩を書かれてはいなかったようだ。

今回の詩は、長い長い物語を聞くように聞かせてもらった。通り過ぎてきた人生の場面のひとつひとつが、くっきりと絵のように浮かび上あがる朗読だった。それが四方田さんご自身のものか、架空の人生なのかは知らないけれど。

▼まとめ
実に充実した朗読会だった。音楽がなく、素で読むというのがいい。ほんとうに人それぞれだ。声で読むことの面白さを痛感する。ただ、あまりにゴージャスで、体験としてオーバーフローしてしまう。もったいない。この半分の五人くらいをじっくり聞くような企画でも、充分豪華ではないだろうか。できれば、10人で年1回より、5人ずつ年2回やってほしい。

▼感謝
世話人の四方田さん、ありがとうございました。次回を楽しみにしています。

■ネット・リテラシー/匿名性と信憑性

Mon, 27 Jan 2003 02:33:03

▼「説教ババア」になんかなりたくなかった
最近、わたしは自分が「説教ババア」になってしまったのではないかと心配になってしまった。

ここのところ、立て続けに見知らぬ相手から、メールで講演依頼や質問を受けた。基本的に、講演を依頼してもらったり、なにか質問してもらえるのはうれしい。わたしにできることなら、なんなりと協力させてもらいたいと思う。

しかし、困ったことがある。相手が、なぜかきちんと自己紹介をしてこない。おおまかなことはいう。たとえば「環境問題を考える会の者」だとか「近代文学を学んでいる学生です」とかだ。個人名も明かす。

しかし、ではその人がだれなのかわからない。「環境問題を考える会」のサイトを見ても、その人どころか、会の責任者の名前すらない。学生なのか、主婦なのか、社会人なのか、年はいくつか、そんなことも皆目見当がつかない。後者にしても、なぜ大学の名前が伏せてあるのか、理由がわからない。

メールに名前が書いてあっても、それがどこの誰だかわからなければ、事実上それは「匿名」と同じだ。つまり「どこの誰ともわからない誰か」に過ぎない。そのような相手のいうことを聞いて、指定の場所へのこのこと行けるだろうか? 「お迎えに参りました」と駅に現われた車に乗れるだろうか? 質問に応えて、さまざまなことを明かせるだろうか? うかうかとそんなことをして、万が一事件にでも巻き込まれたら「不注意」と言われるのはわたしの方だろう。

しかし、相手はどうも、悪意があってそんなことをしているわけではなさそうだ。「うっかり」とか「礼儀知らず」ということらしい。コミュニケーションの基本的ルールについてわかっていないということらしいのだ。

がんばっている若い人々のことを、単に「礼儀知らず」と切り捨てたくない。しかし、わたしは相手が何者かを知らされぬまま、相手の要望に応えるわけにはいかない。しようがないあ、若者だからな。こういうときどう頼んだらいいのか教えてやろう、と老婆心を出して「きちんと自己紹介するものですよ。その理由は……」と教育的指導のメールを出すと、敬遠されて返事がこない。こちらは、時間とエネルギーを費やして、彼らの未来のために教えているのに、どうも煙たがられてしまうようだ。やれやれ。

いい志を持っているらしい若者だからこそ、惜しい。まったく、最初から一言、きちんと自己紹介してくれればいいのに。わたしだって「説教ババア」になんかなりたくないのになあ。やれやれ。

▼ネットの常識は現実の非常識
「自分のことを明かさずに、相手を使おうとする」というのは、どうも最近の風潮らしい。「なるべく自分のことは明かしたくない」というのは、慎重ともいえるけれど、臆病ともとれる。度を超せば「卑怯」だ。どうしてこういうことになってしまったのか。

思うに「インターネット」によるヴァーチャルなコミュニケーションのスタイルが、そのまま「個人対個人」のリアルなつきあいに応用されてしまっているのではないだろうか。

顔と顔をつきあわせて話さなければならないような場面では、こんなことが許されるわけがない。例えば、依頼の手紙ひとつ書くにしても、きっとこんな書き方にはならないだろう。必ず自分が何者なのかを明かすだろうし、住所だって書く。名前だけで、差出人の住所が書いてなくて、しかも誰だかわからないような相手からの手紙なんて、薄気味悪いと、だれだって思うだろう。彼らが、自己紹介抜きでいともたやすく何かを依頼してくるのは、きっと「メール」だからだ。メールなら、簡単に人に何か頼んでいいような錯覚に陥っているのだろう。

そんな感覚をもたらしているのは、メールという通信手段の手軽さだけではないかもしれない。ネット社会のコミュニケーションのスタイルそのものが、こんな事態をもたらしているのではないだろうか。

ネットでは「ハンドル・ネーム」は当たり前だ。大概の掲示板がハンドル・ネームを許しているし、自分のサイトを持っている人も、文筆家や有名人を除いては、そのほとんどがハンドル・ネームで運営している。

ネットでは、ハンドル・ネームで語ることが許されているし、また、自分の立場を明らかにしないで、一方的に情報を発信することも収集することも可能だ。

それが「当たり前」になってしまったのではないだろうか。メールでの依頼とはいえ、実は「個人対個人」の、とてもパーソナルな依頼や質問なのに「インターネット経由だから」と、ネットでのふるまいと同じ事をしてしまっているのではないか。つまり、自分のことは明かさないで、相手にだけ何かを要求するというスタイルが当たり前になってしまっているのかもしれない。

ネットの「手軽さ」ゆえの落とし穴だ。

▼匿名情報はスポーツ新聞の記事みたいなもの
わたしは匿名であることをすべていけないといっているわけではない。わたし自身は匿名はキライだが、他者にまでそれを許さないというほど頑なではない。

また、ネット社会では、匿名は匿名なりに、面白い効果をあげていると思う。2ちゃんねるなど、あの活気は匿名ゆえで、あれだけ大量の「つぶやき」が集まるというのは、面白い。いままでは、そのような「世間の声」を効率的に集めるシステムはなかった。「大衆」というものがどういうものなのか、どのように「世論」が形成されていくのか、それを目の当たりにできる壮大な実験場だ。

しかし、その情報には「信憑性がない」。匿名であり、発言の責任の所在がわからないような情報は、基本的に信用できない情報だ。それは単なる「噂」で、「ガセ」や「デマ」である可能性もあり、あるいは故意に流した「誹謗中傷」であるかもしれない。匿名情報を読むときは、それを前提にしなくてはいけない。

ところで、ある種のスポーツ新聞に「雪男発見!」などと書かれていても、大概の人は真に受けない。真に受けはしないけれども、一体なにが書いてあるのだろうと興味を引かれたりする。結局、ディズニーランドで架空の世界を楽しむように、怪しいとわかっていて楽しんでいるのだ。

ネットも、それと同じだ。匿名の情報、裏付けのない情報は、信用しない。信用しないけれど、楽しむ。これが世間のネット・リテラシーのスタンダードになれば「2ちゃんねるで誹謗中傷された」などと騒ぎ立てる人も減るはずだ。

▼「転送自由」の落とし穴
そして、ネットで信憑性のある発言を流したいと思うのなら、まず、文責を明らかにしなければならない。匿名は許されない。メールで「転送可能」なんていうのも、言語道断だ。なぜなら、だれも「元のメール」を確かめることができないから。元情報は、誰もが参照できるように、HPに収録されている必要がある。流れて消えてしまうような掲示板ではなく、少なくともログが残り参照できる掲示板に書き込むべきだ。

そして、そのように発信者がきちんと確かめられ、文責が明らかにされ、元の文章が確かめられ、しかもその根拠となった資料などがきちんと提示されている文章以外、いっさい信じてはいけない。

このようなネット・リテラシーが確立しない限り、ネットはデマゴーグを急速に流布させる凶器となりうる。

わたしが恐れるのは「いいことだから」といって、人々が「転送自由」情報を無責任に垂れ流すことである。いくら「転送自由」と書いてあろうが、内容が「いいこと」だろうが、メールを無責任に転送しては絶対にいけない。その情報の元情報が、どこかのHPできちんと参照され、文責が明らかな場合にのみ、転送が許されるのだ。

(ほんとうは、転送しないにこしたことはない。出入りの掲示板に情報元のURLを提示して書き込めばすむことだ)

なぜ「転送」してはいけないか。それは、そのようにしてやってくる「不確実な情報」を鵜呑みにする習慣を野放しにしておくと、人々がそれに慣れてしまうからだ。いつの日にか「いい情報」の振りをして「デマ」や、巧みな「情報操作のための情報」が流れてきたとき、普段から疑うことなしに「転送」をしつづけてきた人々は、それを無邪気に転送するだろう。自分は「いいこと」をしているのだと信じて。

▼「慎重」なのか「卑怯」なのか
話がそれてしまった。元に戻そう。はじまったばかりのネット社会の「ネット・リテラシー」は、かように未成熟な状態だ。

そして、未成熟なままに、その悪弊が現実社会まで侵そうとしている。おおげさだけど、結局はそういうことだと思う。自分は匿名の影に隠れ、相手にだけ何かを要求したり、何かを引き出そうとする。現実社会では、なかなか起こらないことが、こんなにも頻繁に起こるのは、きっとそういうことだ。

名前を明かしたくない気持ちはわかる。「ネットはどんな人が見ているかわからないから、自分の個人情報がわかるようなことをするのは怖い」という思いがあるのだろう。自分の意見に敵意や反対意見を持つ人に、実在の自分の名を明かしたくない、という思いもあるだろう。「慎重」なのかもしれないが、言い換えれば「臆病」で、それが行き過ぎれば「卑怯」になる。匿名性の影に隠れて、言いたい放題言う、他人を誹謗中傷する、ということも、よくある話だ。

だからといって、「ハンドルネーム」や「匿名」を一方的に責めるつもりはない。しかし、頭をクリアーにしてほしい。インターネットで匿名で語ることと、ネットを通じて「個人」に何かを頼んだり要求したりすることは違うことだ。それは、人と人の「個人対個人」の名前のあるつきあいでなくてはならない。

人にモノを頼んだり、人から情報を得ようとしたりするときは、最低限自分が誰かを明らかにしなければならない。当たり前のことだ。匿名と何ら変わらない「本名」など、何の足しにもならない。何者だかわからない相手のいうことを聞いてどこかへ出かけていったり、個人情報を出したりすることはできない。メールは手軽な通信方法で、だから気軽に何でも頼めるように思うけれど、人と人のつきあいの基本を忘れてはいけない。

▼発信側だけではなく、受信側の意識も大切
「匿名」はネット上で、それなりの役割を果たしていると思う。けれども、それが「慎重」なのか「臆病」なのか「卑怯」なのかは、使う側の意識次第だ。発信する側の意識が問われる。

そして、発信する側だけではなく、それを受信する側の目もきちんと養わなくてはいけない。匿名情報、裏付けのない情報には、信憑性を認めない。ごく単純なことだが、これをネット・リテラシーとして確立するだけでも、ネットが凶器に変わる可能性がぐっと減る。そして、メディアとしての有用性がぐっと高くなると確信する。

■ネット・リテラシー/メールによる正しい講演依頼の方法

Sat, 25 Jan 2003 01:45:52

1月15日「国際青年環境NGOセージ」というところから「「H2O]…水の絵本朗読イベント講演の依頼」というメールが届いた。見知らぬ相手からの、はじめてのメールだった。

基本的に、こういうメールはうれしい。わたしの知らないところで、知らない人が本を読んで心を動かしてくれた。そして「会いたい」といってくれている。うれしくないはずがない。

しかし、心が弾まなかった。メールの差出人が何者なのか、さっぱりわからなかったからだ。自己紹介らしい自己紹介がなく、ただこう書いてあるだけだった。
京都の若者を中心に、環境やグローバリゼーションに関する問題に対して取り組んでいる 「国際青年環境NGOセージ」の・・・・と申します。
イベントの企画書が添付され、そこにはイベントの内容が書かれていたが、驚くべきことに、わたしが『父は空 母は大地』と合わせて下田昌克著「そらのいろみずいろ」(小峰書店2001) という絵本を朗読することになっている。わたしはその本を知らない。第一、わたしは朗読芸人ではない。

とまあ、驚くことづくめだった。差出人を検索してみると、どうも京都大学の学生らしいとわかった。後で尋ねてみてはじめてわかったことだが、件の団体の今年度の代表でもあるそうだ。「国際青年環境NGOセージ」のHPも不備で、代表者の名前すらない。責任主体がどこにあるのかさっぱりわからない、リンク切れだらけのサイトだった。

経験不足の学生のやることだし、大目に見ようと思っていたが、交渉を進めるうちに、余りにデタラメなので、とうとう短気をおこして降りてしまった。「第3回世界水フォーラム」の関連イベントだということだし、志ある青年たちがやっていることだから、こらえようと思ったけれど、こらえられなかった。ちょっとだけ良心の呵責を感じている。

依頼者に、どうして断わったかを知らせ、今後の活動に生かして欲しいと思ってメールを書いた。レビューに載せておけば、そのうち誰かの役に立つこともあるかもしれない。レビューに掲載しておく。やれやれ。
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差出人 : "Ryo Michico"
件名 : 寮薬は耳に痛し?
送信日時 : 2003年 1月 25日 土 0:43


ご了解ありがとう。今後に生かしていただくために、ちょっと耳に痛いことをいわせてください。

講演を頼まれてお断りしたのは、今回が生まれて初めてでした。関西で、旅費なし謝礼1万円、という時も、相手の誠意と情熱に動かされ、自腹を切って行ったこともあります。要はお金じゃない。まず、そこのところをご理解ください。

では、なぜお断りしたのか? 以前メールに書いたことの繰り返しになる部分もありますが、今回のことをぜひ後に生かしてほしいので書かせていただきます。

▼はじめに、きちんと自己紹介すべし
見ず知らずの相手に何かものを頼むときは、まず、自分がだれであるかを明らかにすべきです。それが、人にモノを頼むときの最低限の礼儀であるということを、まず心得てくてださい。それは、こちらが作家であろうと誰であろうと同じです。人と人がつきあうときの、基本のルールです。

あなたが学生なのか、社会人なのか、それさえも情報を与えられないというのは、あまりにもアンフェアだと感じました。

さらには、こういう事情もあります。作家という仕事をしていると、かなりの部分のプライバシーが公になります。調べようと思えば、生年月日から出身校、それ以外のことまでわかる。いわば、こちらは丸腰で立っているわけです。

しかし、依頼者であるあなたのことは、こちらが調べようとしても簡単にはわからない。フェアな関係を結ぶためには、まずあなた自身がきちんとした自己紹介をしなければいけない。いつ、どこどこへ来て欲しいといわれても、相手が誰だかもわからずに行くのは危険です。こちらにしてみたら、目隠しで連れていかれるようなものです。

実は、あなたが京都大学の学生であることは、お知らせいただく以前にこちらで調べました。そのような手間をこちらにかけさせるということ自体が失礼だと感じました。

▼誠実に自己紹介すべし
どこの大学にいっているかとか、どこの会社に勤めているかとか、そういうことばかりが自己紹介ではありません。組織に属していなくてもいい。主婦でもフリーターでもいい。要は、自分が何をしてきた人間なのか、何をしていきたいのか、しっかりと伝えることです。

▼依頼の動機をきちんと伝えるべし
そして、なぜ依頼したいのかをきちんと説明すべきです。最初にいただいたメールで、依頼の理由はわかりました。少なくとも、その点については、しっかり書かれていたのでよかったと思います。

▼相手を事前調査すべし
しかし、「そらのいろ みずいろ」下田昌克/作 という作品を「朗読してほしい」とは、いったいどういうことでしょうか。HPをよく見れば、わたしが「自作朗読」しかしていないことは明らかです。朗読をする芸人ではありません。芸を磨き、どんなリクエストにでもこたえられるようにするのは、すばらしいことです。しかし、わたしはそういう活動をしてこなかったし、それを目指しているわけでもない。一人の作家として、自作を読むということをやっているだけです。そのようなことを把握せず、演目まで勝手に決めて「これを読んでください」とは、あまりに失礼です。

実は、その時点で怒りを感じていたのですが、調べてみれば相手はまだ学生、しかも千葉高校の卒業生ということで、経験不足なのだと思って寛容につきあうつもりでいました。会って話をすればわかるだろうし、いずれ学んでほしいと思っていたのです。

▼レスポンスは迅速に
ところが、レスポンスが遅い。日程のことなど、決めていただかないと、こちらも動きがとれません。わからない日程のために、ご要望の日のすべてを明けておくことはできないのです。せめて、それがいつ決まるかだけでもすぐに返答すべきです。

どうかこれから、気をつけてください。返事が来たら、すぐに「お返事受け取りました」のメールを一本いれること。礼儀というより、実務に欠かせない行為です。そして、だれかと協議しなければ決められないことならば、それを書き「いついつまでに決定事項をお知らせします」と書かなければなりません。

▼あやふやなことは書かない
お知らせいただいた日程が二転三転したことも、不安要素でした。実際、メールをいただくたびに、可能性のある日が変わるような状況でした。あやふやであれば、書かない方がましです。もっときちんと予定を組んで、確実な日を(できれば複数)用意してから依頼状を書くべきです。いくら依頼を引き受けたからと、あなたの都合でわたしの人生の時間を振り回されるのは理不尽です。

▼学生らしくきちんと頭を使おう
学生はお金がないというのが相場。けれど、使える時間も空間も、社会人以上にあるはず。イベントも、お金がないなら大学の教室を借りてやってもいいはずです。それならば、自分たちでスケジュール管理もできるはず。なぜ、市内のカフェでやらなければならないのか、わたしには理解できません。

わたしを呼ぼうというのも、思いつきのようにしか思われませんでした。本当に作品に心を打たれ、NGOでもなんでも利用して、なにがなんでも作者に会ってやろう、ということなら、理解できます。それだけの情熱としたたかさを持っているのなら、こちらも心意気で駆けつけたいと思う。

しかし、わたしの仕事もよくご存じないようだし、わたしの知らない他人の作品を朗読せよ、などといってくるし、わたしでなくてもいいのではないか?と思わされるようなことばかりでした。

であれば、なぜわざわざ高い旅費を支払ってまでわたしを呼ばなければならないのか。無意味です。わたしでなくともいいなら、ほかのだれだって構わないはずです。京都にはいいお仕事をしている人がたくさんいます。そういう人を探してお願いすれば、それをきっかけに今後の地元での活動も一層広がっていくでしょう。

ほとんど思いつきでわたしに声をおかけくださったのだと感じています。京都大学に入れるような頭脳の持ち主であれば、どうか、受験だけでなく、そういうことにもっと頭を使ってください。学生らしく、みんなで知恵を出し合って、最小のお金で最大の効果をあげる方法を模索してください。

▼交流的であることの大切さ
さて、わたしを呼んで、朗読させ、トークをして、それからどうしようと思われたのでしょうか。いただいた最終スケジュールを見ると、終わるのが午後7時。東京に戻るつもりなら、とんぼ返りしなければなりません。宿泊すれば、足が出ます。ご提示いただいた交通費ですら、新幹線代に満たないのに、自分の時間を使い、ボランティアで講演して、さらに宿泊費も自腹というのは……。

もちろん、そのような状況でも、ぜひその場に行きたいという「何か」があれば構わないのですが、何しろ相手は、いきなり「他人の作品を朗読してくれ」と頼んでくるような人です。「わたし」でなければならない必然も感じない場所に、そこまでして行くか?といえば、行きたくない。

では、帰るか。となると、一体何をしに丸一日を潰して京都まで行くのか。大切なのは「交流」です。もちろん、イベントも大事。けれども、そのイベントを通じてできる人間関係、人と人の心の交流こそが、後々へと響いていく大きな財産なのです。午後7時に終了で、宿泊費はでませんからお帰りください、なんていうイベントには意味がない。そんなスケジュールをなぜ組むのか、理解に苦しみます。

▼「ボランティアはいいこと」の罠に落ちないように
「ボランティアはいいこと」と世間から認められています。「だから、あなたはわたしたちに協力するのが当然でしょ」という罠に陥っていませんか? ボランティア活動だから信頼してくれるはずだと、タカをくくってはいないでしょうか。わたしは、そういう傲慢さをなにより嫌悪します。

>京都の若者を中心に、環境やグローバリゼーションに関する問題に対して
>取り組んでいる 「国際青年環境NGOセージ」の・・・・と申します。

最初にいただいたメールの正式の自己紹介は、それだけでした。それで信用してもらえると思っているとしか思えません。それは「ボランティア」という名前に依存したおごりです。わたしは、そのことも最初から不愉快でした。なぜ、京都大学の学生ですとか、何を勉強しています、という基本的自己紹介がないのだろう。「ボランティア」「NGO」という言葉が、まるで水戸黄門の印籠のような効力を持っていると勘違いしているようにしか思えない。

組織も、ボランティアであるかないかも、関係ありません。結局は、個人と個人の関係なのです。依頼するときは、依頼者である自分のことを、きちんと伝える。自分の社会的立場はもとより、求めるものをきちんと提示する。そして、一方的に決定するのではなく、きちんと「交流」する。そのなかでしか、ほんとうの「ボランティア精神」は育っていきません。


以上、キツイことを書きましたが、よい志を持っているようにお見受けできるだけに、今回のようなことが続いては、今後の活動に障りがあるだろうとの老婆心から、忠告させていただきました。短気を起こさずに、そちらまで出向いて、顔を見てきちんと話した方がよかったかなと、少し後悔もしているところです。しかし、そちらがお立てになったスケジュールでは、そんなお話をする「交流タイム」もなさそうだったので、後ろ髪引かれる思いながら、お断りさせていただきました。

近い将来「どうしても寮美千子を呼びたい」という必然が生じるようなことがあれば、ぜひ作戦を立て直してリベンジしてください。受けてたちます。

活動、そして勉強、がんばってください。
                          寮 美千子

■松本サリン事件と和歌山毒カレー事件/基本的人権を侵害されない社会をつくるために

Mon, 13 Jan 2003 03:07:03

▼松本サリン事件被害者の勇気ある発言
1月11日付け朝日新聞「わたしの視点」に、松本サリン事件で容疑者不詳のまま家宅捜査を受け、マスコミや近隣の人々から容疑者扱いされ多大な被害を受けた河野義行氏が意見を寄せている。「オウムと社会 排除の思想を超えよう」と題されたその主張は、地域住民や地方自治体が、宗教団体アレフ(元オウム真理教)の人々を地域から排除しようとしていることに対する異議申し立てだ。

アレフの信者は住民票を受理されなかったり、信者の子どもは就学拒否をされたりしている。わたしも以前からこれについてはおかしいと思い、声をあげなければと考えてきた。河野さんがいうように「アレフの信者に対して、この社会は、憲法で保障された信教や居住の自由さえ認めようとしていない」わけだ。「住民感情」という「市民の声」に対処した形で行われるこのような違法行為に対して、河野さんは言う。
 世間の声には法律のような強制力はない。しかし、それ以上の影響力がある。「町から出ていけ」という言葉が私や家族をどんなに苦しめたか。松本サリン事件での教訓が生かされていないことを寂しく思う。
▼松本サリン事件の加害者はだれだったのか?
このように一見アレフの肩を持つように聞こえる河野さんの発言をいぶかしく思う人も多いだろう。河野さん自身が、オウム真理教のサリン事件で人生のすべてが変わってしまうほどの被害を受けた人だ。河野さんの妻はサリンに蝕まれ、いまも意識が回復していない。妻をそのような目にあわせた宗教集団をなぜ擁護するのか。それに関して、河野さんはこう語る。
 松本サリン事件の発生当時、わたしは社会の敵にされた。私だけでなく松本市内に住む私の友人さえ、住民から「この地区から出て行ってほしい」と言われた。私にかかわるすべてが全否定されたのだ。
 一度「悪いやつ」というレッテルがはられ、その集団を地域社会から排除しようとする流れができた時、その力は法さえも超えてしまう。その結果、多くの権利侵害が発生する。違法行為や公正さに疑問のある行為が行われても、それが社会において是認されてしまうのだ。そうした力がアレフにも向けられている。
確かにオウム真理教は加害者だったが、松本サリン事件の加害者はオウム真理教だけではなく、マスコミや見込み捜査をした警察、そしてなによりも隣近所にすむ「普通の人々」だっとことを、河野さんの実例から思い知るのだ。

▼「排除の構造」そのものへの抗議
だからといって、河野さんは単に「一般市民」を非難しようとしているわけではない。これは「アレフか市民か」というような二者択一の論理ではない。河野さんは「排除の構造」そのものに疑問を投げかけようとしているのだ。
 私から見ると、私自身の松本サリン事件の被害者体験とアレフ信者らへの人権侵害の背景には、同じ構造が見える。
サリンを撒いて妻を意識不明にしたオウム真理教への恩讐を乗り越え、このような冷静な判断をし発言をする河野さんの心の強さにわたしは深い感銘を覚えた。「社会の敵」視されているアレフを擁護する言葉を公の場で語ることは、勇気の要ることでもある。そのような勇気も讃えたい。

▼ほんとうの意味で「自分を守る」ためにすべきこと
わたしも、河野さんのこの考えにまったく同意する。「世間」は恐ろしい。河野さんのいうように「世間の声には法律のような強制力はない。しかし、それ以上の影響力がある」からだ。そして「住民感情」と呼ばれるそのような強制力が幅を利かせると、憲法にすら反して、基本的人権の侵害など平然と行われるようになる。行政が「住民票を受理しない」だとか「就学拒否」をすることなど、許されるはずがないのに、そのことに反対の声があがりにくい。むしろ、アレフの人々を受け入れようとする人の方が非難されることになる。

わたしは、不思議でならない。そのように少数派を排除しようとする人々は、自分が少数派になり、排除される可能性を考えることはないのだろうか。河野さんの身に起こったことは、だれにでも起こりうることだ。自分がその立場になったら、ということを想像する力はないのだろうか。なぜ人は、自分が絶対多数のひとりであり、排除されるような立場にならないと確信できるのだろう。

アレフの信者を地域社会から排除することは、ほんとうの意味で「自分を守る」ことにはならない。守っているつもりで、実は自分で自分の首をゆるゆると締めている。自分が現在とは逆の少数派や弱者の立場に立ったとき、人々から忌み嫌われ排除される社会を、自らつくろうとしているというのに。「自分を守る」「家族を守る」ためには、排除の構造そのものをなくさなければならない。そのことに、多くの人が気づいてほしいと思う。

▼基本的人権を侵害されない社会をつくるためにすべきこと
この構造は、いまの社会全般にもあてはまる。ダムを造り、干潟を埋め立てれば、確かに仕事が発生する。目先で助かるように思うけれど、結局は生態系を破壊して取り返しのつかないことになり、自分の住む環境を自分で破壊することになるのだ。

昨年の、和歌山毒カレー事件の林真須美被告の裁判も、自白も目撃証言もなく、状況証拠の積み上げだけで死刑判決が出された。状況証拠といっても、断定ではなく「その可能性が極めて高い」というあやふやなものに過ぎない。それなのに、死刑という極刑の判決が出たのは、「住民感情」「世論」の後押しのせいだとわたしは感じている。そして、それに異議を唱える人の少ないことを憂いている。このような判決をよしとし、前例としてしまったら、以後「疑わしい可能性の極めて高い状況証拠」のみで、国の思い通りに死刑判決を出すことになりはしないだろうか。

河野さんのいうように、留意すべきは「構造」だ。冤罪の可能性を限りなく低くするための構造をこそ、わたしたちは求めなくてはいけない。そして、そのために、わたしたちはあるリスクを背負わなければならない。林真須美被告は、限りなくクロに近い。しかしクロと断定できない限り、いくら憤りを感じても有罪にはできないし、ましては死刑にしてはいけない。死刑判決に、両手をあげて賛成などしてはいけない。断定不可能な罪を罪だと断定したとき、人は既に加害者なのだ。

河野義行さんは、オウム真理教への恩讐を乗り越えて、人々が基本的人権を侵害されない社会をつくろうと声をあげている。排除の思想を超えようと。わたしは、その勇気に心から拍手したい。

■Voice/永訣の翼 ノイに

Sun, 29 Dec 2002 02:15:48

何度も繰り返し訪れる津波のような激しい痙攣の合間
小さな砂浜に打ちあげられた束の間の休息の時に
おまえは微かに喉を鳴らした 
わたしがその背を撫でると

そしてまた訪れる容赦ない津波
はじけた発条のように宙をもがく手足
粘りつく灼けた熔岩がおまえの喉を満たし
それを振りはらうように
おまえはいままで出したこともない深い声で哭く
昏い大地の底から響いてくるような獣の声で

そしてまた訪れる束の間の休息
短く苦しい息におまえのまっ白な綿毛の胸はせわしなく上下し
小さな心臓は狂ったように激しく脈打ちながらも
泡立ち逆巻く水がやがて鎮まるように
呼吸も脈も徐々に鎮まってゆく
それでもなお切ないほどに苦しげな息の下で
わたしがやせ細ったその背を撫でると
おまえはいつものように微かに喉を鳴らしたのだ
かすれた音色で

そしてまた訪れる容赦ない津波
そしてまた訪れる束の間の休息
いつ終わるとも知れぬその繰り返しの果てに

おまえは驚くほど強く嘔吐し
まるで魂そのものを吐きだすように大きく脇腹を波打たせると
魔神を押し戻すようにつっぱていたおまえの手足の力が
突然 
抜けた

抱きあげると
わたしの腕のなかには
ただぐにゃぐにゃと揺れる小さな体があるだけ

おまえはもう息をしていなかった
見開かれたふたつの大きな目のなかには
いつものつややかな深い闇はなく
光年の広がりを宿したあの宇宙の闇はなく
そこにはただ暗い空虚があるだけ

ノイ!

わたしの体の奥底から
狂った積乱雲が膨れあがり
耳の奥でごうごうと激しい嵐が吹き荒れる
吹きすさぶ風の音
溢れだす大粒の雨

なぜだろう
あんなに苦しんではいても
たったいままでここに確かにおまえがいたのに
あんなに苦しい息ではあっても
おまえは確かに呼吸していたのに
その目にしっかり光と闇を宿し
わたしを見つめていたのに

いま わたしの腕のなかにいるのは
おまえによく似たおまえではないもの
かつて確かにおまえであったはずの骸

ほんの一瞬前まで
ここはおまえのいる世界だった
それなのに いまはもう
おまえのいない世界
未来永劫 おまえの存在しない世界

  腕のなかで小さな体はみるみる硬直していく
  おまえがおまえでない物になっていく

ノイ
どこへいくの
どこへいってしまったの

耳の奥の風は鳴りやまない

  もしかしたら
   それはおまえが遠く 
    見えないほど遠く旅立とうと
     この夜ほども巨きな透明な翼を広げた
      そのはばたきの音だったのだろうか

       もしかしたら
        それはおまえが遠く 
         おまえ自身さえわからないぬほど遠く旅立とうと
          この星空ほども巨きな透明な翼を広げ
           瞳の底の宇宙もろとも去りゆく
            そのはばたきの音だったのだろうか

■猫介護/人生のギア・チェンジ

Sat, 21 Dec 2002 16:03:29

きょうあすにも息を引き取るんじゃないかと思っていたノイちゃんが、わずかだが元気になった。昨晩、往診してもらったK獣医師から、いままでとは正反対の見立てが出た。「糖尿病の可能性がある。もしそうであれば、治りはしないが、コントロールして改善できる可能性はある。腎不全の子が、こんなに元気で表情があるはずがない」といわれ、一気に光が射してきたのだ。

ノイがもうすぐ遠くにいってしまうと思っていた。相棒は「イオマンテ」ならぬ「ノイオマンテ」の儀式をすることを夢想したり、わたしも、この過酷な看護の日々が終わったら、外国に行こうかなんて考えていた。ノイが死ぬことを望んでいるわけじゃないけれど、死ぬかもしれないと思うとつらく悲しく、その向こう側のことを考えることで、いざというときのショックを和らげたいと思っていたのかもしれない。

しかし、状況は一変した。糖尿病であれば、これから長い長いいつ終わるともしれない介護の日々がやってくるのだ。それでも、生き延びる可能性があると獣医師からきいたとたん、ずっしりと思い肩の荷を降ろしたような、頭の上の岩の塊をどけてもらったような、そんな気持ちになった。自分がどんなにかノイの死を恐れていたか、苦痛に思っていたのかを思い知った。希望は心を軽くする。

介護はきつい。皮下注射も時間もかかるし、なにより細心の注意が必要だ。インシュリン・コントロールをするとなれば、なおさらたいへんだ。毎朝の尿検査の結果を見てのインシュリン注射。さらに皮下注射による補液。食欲がなければ、強制給餌も一日数回しなければならない。それが、だあっと目の前に広がってきたのだ。

そんな日々が「もうすぐ終わる」と思って頑張ることは、もうできない。ずっと続くかもしれないのだから。煩雑な介護のすべてを「いまだけがんばればなんとかなる特殊な状態」であると思うことから「当たり前の日常である」という認識に切り替えなければならない。

切り替えることはたいへんだなあと思いながらも、心が軽くなるうれしさはどうしようもない。外国旅行もいらない。相棒とゆっくり旅をすることもできなくなるだろう。それでも構わない、ノイが機嫌よく元気でいてくれるなら。

きつい坂道を、重いギアでひと思いに上ろうとしていた。いままでのノイ看護は、そういう気分だった。けれど、ここでギア・チャンジが必要だ。いちばん軽いギアにいれて、コンスタントに、持続的に力を出し続けよう。介護を「特殊な状態」だと考えないで「日常」にしてしまおう。そう思う。

思えば、サチコさんはもっとたいへんなギア・チェンジをしたのだ。待望の赤ちゃん。喜びの最中でわかった先天性胆道閉鎖という難病。肝移植が成功しても、一生付き合わなくてはいけない病気だ。それを夫婦ふたりで引き受けようという決意。きっと、わたしよりずっと大きなギア・チェンジがあったんだろう。そしていま、がんばっている。他人には恐ろしくきつい坂に見える道を、楽々とはいかないけれど、淡々と上っているのは、きっと希望があるからだ。そして、赤ちゃんが「生キル力」を必死で発揮しているからだ。ノイちゃんのように。

わたしも頑張ろう! さあ、ギア・チャンジだ。

■一寸先は光/セカンド・オピニオンの必要性 自信過剰と思いこみの怖さ

Sat, 21 Dec 2002 03:24:46

▼病院通いをやめて落ちついたノイ
18日、東京音楽大学の公開講座「千歳アイヌの歌と踊り」を見るために、ノイに100ccのリンゲル液を皮下注射して出かけた。「どうか効きますように」と願うような気持ちでいっぱいだった。

その2日前まで、ノイは見るも無惨な状態だった。一週間ほど前に多少熱があるからとA病院のA獣医師に抗生物質を投薬されてからというもの、ノイは吐くようになった。A医師にそれを訴えたが「絶対といっていいほど副作用のない軽い薬なので、抗生物質のせいではない。尿毒症が悪化しているのだろう」といわれ、薬を飲ませ続けることを指導された。そして熱が40度を超えた14日、A医師は「投薬では効かないので、もっと強い抗生物質を注射する」といった。不安だったが、そうしないと危険だといわれれば、そうするしかない。注射をして戻ると、ノイはさらに激しく吐きはじめた。翌日、それを訴えてもA医師は抗生物質と吐き気の因果関係を考慮せず「副作用がでるはずがない」「続けて打たないと効力がない」といって抗生物質の注射をし、さらに吐き気止めの注射をした。戻ると、ノイはさらにひどい状態になり、尾は膨らんだまま、背中の毛も逆立って、怯えたように物陰に隠れようとするようになった。結局、A医師の勧めのままに、3日間続けて抗生物質を注射したのだ。

その翌日はA動物病院は休みだった。正直いってほっとした。不安な気持ちで強い注射を受けなくていい。胃の粘膜は24時間から48時間で再生するというので、ノイに絶食をさせ、ただ静にさせておいた。しかし、補液は怠るわけにはいかない。A獣医師に休日診療を求めたくなかったので、八方手を尽くしてリンゲル液と注射器、翼状針を入手し、ノイにはじめて自宅でリンゲル皮下注射をした。「千歳アイヌの歌と踊り」に出かけたのは、その翌日のことだった。食べ物もその日になってごくわずかにあげただけだし、弱っても当然だ。ただ、きのう一日医者通いを休んで静かにさせておいただけで、ずいぶんと落ち着いたようだから、そのまま静かにさせてやりたいという気持ちもあった。

それでも、出先で心配で仕方なかったが、戻ってみて驚いた。見違えるように元気な顔をしていたのだ。ノイの個室にした押し入れから出てきて「にゃあ」と挨拶までする。信じられない気持ちだった。弱っていたのは、脱水症状のせいだとわかってひと安心。きちんと水分を補ってあげればきっとだいじょうぶ、と胸をなでおろした。A動物病院に行かなくなって2日目のことだった。

たった2日間、病院に行かず、注射を打たなかっただけで、こんなに元気になった。ノイが悪化したのは、注射の副作用のせいか、あるいは病院通いそのものがストレスだったのかもしれない。因果関係があるとは断定できないが、どうしてもそう思わされてしまうような状況だった。

▼安定はしたものの衰弱するノイ
ほっとしたのも束の間、ノイの病状は芳しくはなかった。その後大量の補液を続けても、ノイは徐々に弱り、足がふらついてきた。ぐったりと横になって寝たきりでいることもある。しかし、尾が膨らんだり、毛を逆立てたりはしない。家にいるせいか、いたって機嫌がいいのが救いだ。やはり、病院通いはやめてよかったと感じる。補液はしているので、ぐったりしているのは脱水症状のせいではないのは明白。となると、なんだろう? 

最初に疑ったのは、カリウム不足だ。腎不全のため尿を濃縮できなくなったノイは、水のように薄いおしっこを大量にする。その時に、カリウムもいっしょに排出されてしまうという。カリウム不足になると、筋肉への神経伝達が悪くなり、足がふらつく。心臓も筋肉でできているので、急に心臓が止まってしまうこともあるという。

A動物病院では、リンゲル液にカリウムを添加しているといっていた。しかし、在宅での皮下注射にしてから、リンゲル液にカリウムを添加していない。医師の指示により、カリウムが豊富に含まれているという乾燥バナナを粉末にして人参ジュースで練って与えているとはいうものの、経口投与では限度がある。とうとうカリウムが足りなくなったのだ……そう思うと、いてもたってもいられなくなった。ノイの心臓が止まってしまうかもしれない。

慌てたわたしは、カリウムを手に入れるべく頭をめぐらせた。そこで思いついたのが友人のJ子のことだった。ご近所づきあいで親しくしている獣医師がいるといっていた。その人なら、頼りになるかもしれない。J子経由で連絡を取ると「まず、見てみないとわからない」とのこと。早速、往診に来てもらうことにした。

ノイはかなり弱っている。もうだめかもしれない。いや、だめだろうとわたしは思っていた。ノイにどんなふうに最期を迎えさせてやるか、専門家に相談したかったのだ。そして、ノイにいちばん心地よい形で最期を迎えさせてやりたいと思っていた。わたしとしては、いわば、ターミナル・ケアの指導にきてもらうような心持ちだった。K獣医師は深大寺在住。車で1時間半かかるところを、K獣医師はかけつけてくれた。

▼見立て違い?
K獣医師はノイを診察するなりいった。
「おかしいな。強制給餌でもう2週間といいましたよね。腎不全なら、こんなにお腹が膨らんでいるはずがない。腎臓も萎縮するはずだが、反対に腫れている。腎不全は、原疾患じゃないかもしれないなあ。腎不全の子はたくさん見てきたけれど、この状態になると、もう表情がないんですよ。無表情になって、声も出さなくなる。でも、この子は違うでしょう」
K獣医師に頭を撫でられ、ノイはうれしそうな顔をしている。

わたしは耳を疑った。ノイは腎疾患であり、そのために肝疾患を併発しているといわれ続けてきたのだ。他の可能性など考えてみたこともなかった。A獣医師には「尿毒症が進むとぼんやりしてくる。返事もしなくなるし、音にも反応しなくなる」といわれてはいたが、ノイは呼べば必ず声か尻尾で返事もするし、物音にも敏感に反応して耳をぴくつかせる。頭がはっきりしているように見えるので、なんだか話が違うなあ、とわたしも思っていたのだ。「採血して血清を分析してみないと判断がつかない」ということで、K獣医師はいくつかの指導をしたあと、戻っていった。

結果は明日になると思っていたが、K獣医師は戻ってすぐに分析し、その結果をすぐに電話で教えてくれた。肝臓は弱ってはいるが、肝疾患の可能性は薄いとのこと。確かに腎不全で軽い尿毒症を呈しているが、それが元々の病気であるとは考えにくいとのこと。むしろ、血糖値が高いのが気になる。計測不能なくらい高いので、まずは糖尿病を疑うべきである、と伝えられた。

??????なんてことだ。糖尿病? つまり、糖尿だったので、その影響で腎機能不全を起こしたという可能性があるというのだ。しかし、これも詳しく調べないと確定できないとのことで、尿検査をするためのキットを早速送ってもらうことになった。

そういえば、ノイはこの秋ぐらいから急激にやせはじめた。人間でも、急にやせたときは、まず癌か糖尿を疑う。その上、多尿になり、水をたくさん飲むようになった。今思えば、すべてはぴったりと糖尿病にあてはまる。A獣医師には、ノイの状態を話したのに、どうして糖尿病の可能性を考えなかったのだろう。

それ以前に検査をしたとき、確かにノイの腎機能はよくはなかった。ノイが以前、膀胱炎を繰り返し、膀胱結石と膀胱腫瘍で手術をした旨伝えると、A獣医師はそれが影響して悪化したのだろうとして「慢性腎不全」と病名をつけた。膀胱が悪ければ、腎臓障害になって当然という考え方だったのだろう。その時点では、そうだったのかもしれない。しかし、それからというもの血清の検査はしていないし、その検査を勧められたこともなかった。A病院の医師は、以前にした検査を元に腎不全と断定、他の可能性を考えようとしなかったということのように見える。

みるみるやせていくノイを診察して、A病院の獣医師はいった。「カロリーを多く摂取させてやることが大切だ。砂糖をなめさせてもいい。無塩バターをあげてもいい」。また、カリウム不足を指摘して、何度も「人参ジュースを飲ませるように」と指導されてきた。ノイは人参ジュースは飲まないし、注射器で与えようとしても吐き散らしてしまう。苦肉の策で、カリウムの多い食品である乾燥バナナの粉を人参ジュースで練ってあげる方法を、わたしは自力で開発した。獣医師の勧めに従って、ブドウ糖とバターも混ぜることにした。その果、甘い甘いお菓子のような食べ物ができて、毎日それをノイに与えてきたのだ。

もしも、糖尿病だということになれば、それはまったくの逆効果だったということになる。力をつけるためと思ってしていたことが、逆にノイの体を傷つけ続けてきたことになる。そうであれば、悔やんでも悔やみきれない。

A獣医師は、なぜ血清の検査をしようとしなかったのだろう。尿検査と赤血球白血球の数を調べる血液検査はしたのに。ノイが痩せてきた時、A獣医師は「腎臓が悪いので肝臓もダメージを受け、肝臓で蛋白質の合成ができなくなったからだ」と断定した。そして、ノイに高価な肝臓治療の注射を何本も打った。毎日、強肝剤の投薬もあった。わたしはそれを嫌がるノイに飲ませ続けてきたのだ。大元の糖尿病を治療しなければ、結局はそれも焼け石に水だ。

A獣医師の勧めで、砂糖がいっぱいの甘い食べ物を与えたせいで、血糖値が高いのかもしれない。きょうも、同じように砂糖いっぱいの食べ物を与えた。わたしはその懸念を語ると、K獣医師はいった。
「計測不能、という値は、砂糖をたくさん摂取したから、という理由だけとは考えにくいのです。糖尿病である可能性が、かなり高く考えられます。けれども、断定はできない。2〜3日、砂糖抜きの食事をして、そのあと朝一番の尿で検査してみないと確定できませんね。まずは、検査をしてみましょう。ほんとうは、朝いちばんの血糖値を計るといいのですが、遠くてできないし、自宅で尿検査をしてもらいましょう」

というわけで、検査待ちとなった。検査キットを郵送してくれるという。もしもノイが糖尿病であれば、インシュリンをコントロールすることで体調を改善することは可能だという。そうなれば、引きずられて悪くなっていた腎臓の値もよくなる可能性があるという。

「腎臓だから、もう直らない」とA獣医師は見立てていた。わたしは、ノイがこれで最期なのだと覚悟していたし、これから家はホスピスになるのだと思いこんでいた。けれど、違うかもしれないのだ。検査結果が出なくてはわからないけれど、まだ可能性があるのだ。ここはホスピスなどではなく、ノイが生きるために頑張る場所なのだ。

▼「思いこみ」「強い自信」の持つ危険性
一寸先は闇という。一寸先は闇だと思っていたら、突然、光が見えた。「一寸先は光」とは、大長老こと馬渕公介氏の言葉だが、はじめて生々しい現実味を帯びて感じられた。

しかし、もっと早く他の獣医師の診察を受けていれば、と思わずにはいられない。セカンド・オピニオン、というほど高級な話ではない。思いこみによる誤診の可能性があったということ。それによって、却って病状を悪化させるような治療になってしまったのかもしれないということなのだ。

A獣医師は、自分の判断に強い自信を持っていた。言葉の端々にそれが見え隠れした。「絶対とはいわないが」といいつつ、そう思っているように見えた。
「素人さんにはわからないじゃないですか。わたしが正しいといったことを信じられないなら、信頼関係が結べないということですから、仕方ありません。注射はしません。しかし、しないと命にかかわりますよ」
そういって、A獣医師は吐き続けるノイに抗生物質を打ちつづけ、吐き気止めを打ちつづけた。その注射をやめ、A動物病院に行かなくなって2日、ノイは全く吐かなくなり、逆立っていた毛も収まって、体力こそなくなったが、機嫌はいい。頭ごなしに信頼せよ、といわれても、これでは信頼できなくて当然だ。

A獣医師は、そのように自分の判断の正しさを絶対だと思っているから、他の病気の可能性を考えることがなかったのだろう。そして、明らかに典型的な腎不全の症状と違いが見られるのに、それを無視し、吐き気も腎不全のせいにして、抗生物質が原因であると認めようとしなかったのではないか。予断、思いこみは恐ろしい。自信過剰は、危うい落とし穴だ。

▼「病気は他人が治すものではなくて、自分で治るもの」
B獣医師は、予断ではなく「いまのノイ」を観察し、そこから答えを導き出そうとしている。「以前、血清検査をしたときに、クレアチニンの値が悪くて、腎不全と診断されました」といっても「それは、その時のことでしょう。腎不全の典型的症状とは異なるし、他の原因を考えてみる必要があります」という。判断の基準を自己や過去だけにおかず、客観的な数字や観察を頼りに、真実を探り当てようとしていた。

投薬についても「医師は基本的に本人の自己免疫力を強めることを手伝うことができるだけである。薬が治すわけじゃない。治すのは、あくまでも本人」と語っていた。わたしが以前取材したプラザクリニックの松浦光奇医師と同じ意見だ。

ノイの検査結果がどう出るかわからない。けれども、K獣医師に診てもらってよかった。安心したし、腑に落ちた。一寸先は闇だと思っていたものが、急に光が射して驚いている。人生、何が起こるかわからない。さっきまでホスピスだなんて考えていたのに、いまはこれから新たな長い戦いが始まるのだと、心新たに覚悟している。

ちょっとでも具合がよくなると、ノイはふらつきながらも水を飲み、食べ物を口にしようとする。トイレも自分でいく。ノイを見ていると、生き物には生きる意欲、生きる力があって、いつも前向きなのだと思いしらされる。その意欲に報いたい。少しでも力になりたいと思う。ノイ、がんばってるね。わたしもがんばるからね。

追伸:グーグルで「原疾患」という言葉を検索してみたら、最初に出てきたのが「慢性腎不全の原疾患として頻度の高い順に並べると 1. 糖尿病性腎症(36.6%)2. 慢性糸球体腎炎(32.5%)……」だった。あきれた。

http://www.google.com/search?q=%8C%B4%8E%BE%8A%B3&lr=lang_ja

■猫介護/恫喝ではなく理解のためのインフォームド・コンセントを!

Wed, 18 Dec 2002 13:31:48

▼ノイの病状
わが家の息子ノイが病気だ。息子といっても猫で、もう15歳。長生きの猫は20歳を超えるというから、人年齢に換算すると75歳くらいだろうか。腎臓が悪いので、尿を濃縮することができなくなり、大量のおしっこをするために、脱水症状になってしまう。肝機能も低下し、蛋白質の合成がむずかしくなって、激やせしてしまった。

脱水症状には、水の補給がいちばんだが、ノイはもう自力では水を飲まない。水分を補給させたかったら、生理的電解質溶液(リンゲル液)を背中に皮下注射するしかない。一日に180ccほど必要だ。基本的に、これは獣医にやってもらうしかない。

食べ物も自力では食べなくなっているので、食べさせたいなら、小鳥のヒナに餌をやるように、注射器の先を切って筒状にしたもので口に入れなければならない。これは、自宅でできる。ノイには、特別処方された腎機能障害の猫向けの缶詰と、ブドウ糖とバナナの粉を人参ジュースで練ったものをあげている。後者は、肝臓に負担をかけず即エネルギーになるもので、同時に尿から多量に排泄されてしまうカリウムを補うこともできるという。

▼どこまで介護するか メイの場合
どこまで医療をするか。猫をよく見て、猫の気持ちを理解したいが、それには限度がある。結局は、飼い主であるわたしの判断によるしかない。わたし自身の死生観が問われる局面だ。

1995年に亡くなったノイの兄さん猫(血のつながりはない)のメイ(享年14歳)の時も、さんざん悩んだ。できれば、なるべく苦痛なく自然にいかせてやりたいと思った。いっそ、一切の医療をしないことにしようか、などと考えていたとき、横浜ドッグ・レスキューの主催者である北浦さんから、こういわれたのだ。

「自然に死なせてやりたいなんて、人間の不遜な考えだ。自然に反しているとといえば、家の中で飼っていること自体が、最初から自然に反している。元気なときは、自分の都合で自然に反した状態においておいて、死にそうになると『自然に』なんて、あまりに人間にだけ都合がよくはないか。生き物は、どんな悲惨な状況になっても、最期まで力を尽くして生きようとするのが本能。最期まで生きさせてやるのが、飼い主の務めだとわたしは思う」

悩んでいたわたしは、北浦さんのその言葉でふっきれて、メイには、わたしができる限りの徹底医療をしてやろうと思った。

当時かかっていた医師は、食事を口から摂らせる方法を教えてくれなかった。まったく食べないなら、血管に栄養点滴をするしかないといわれ、その方法をとった。やせ細ったメイの前足の血管に針を刺すのは困難を極めた。一端確保した血管はそのままにしたいという医師の意向で、前足に針を刺したまま絆創膏をぐるぐる巻きにされてしまった。そして、メイは死ぬまでその針を抜き取ってもらうことはできなかった。

▼最期まで立派だったメイ
猫は神経質な生き物だ。前足に刺さった針や絆創膏が気にならないはずがない。メイも、さかんに気にして口ではがそうとしたり、舐めたりしていた。それもかわいそうだったが、もうひとつ気の毒なことがあった。栄養点滴の結果、延命はできたことはわたしとしては歓迎なのだが、メイは足腰がたたなくなり、寝たきり状態になって尿や糞が垂れ流し状態になってしまった。それでも、必死でトイレまで這っていって自力でしようとする。わたしが疲れ果てて寝入ってしまい、ふと目が覚めると、メイがトイレの脇で糞尿にまみれて倒れている、などということが何度もあった。

最期の最期まであきらめず、何としても自力でトイレに行こうとするメイの意志の強さに、わたしはいたく打たれた。ひとつの崇高な姿だと思った。けれど、同時にそれを強いているのはわたしではないか、という自責の念も感じないわけにはいかなかった。自然状態なら、栄養を摂取できず、そんな状態が長引く前に息を引き取ってしまうだろう。けれど、栄養点滴をしているため、その状態が長く続く。メイの時は、2週間ほど続いただろうか。もっとだったかもしれない。記録を付けていなかったので忘れてしまったが、わたし自身が介護ですっかり疲れてしまったこともあって、なんだかひどく長い時間のように感じられた。

▼甘えん坊のノイにどう対処するか
メイは幼い頃からしっかりとした立派な猫だった。メイとノイとわたしの3人暮らしの時は、家長然としていたのはメイで、わたしもノイも、メイに頼っていたといっても過言ではない。しかし、ノイは違う。ノイは最初からひどい甘ったれだった。人間なしには生きていけないというタイプだ。メイが、最期まで毅然と戦ったのを見て、わたしは思った。ノイにこれはさせられないと。ノイにはここまで戦わせられない。もし、ノイにその時がやってきたら、栄養点滴はやめよう。そこまでいったときには、静かに息を引き取らせてやろうと。

ノイはいま、自力で食べ物を摂らなくなったというものの、口に食べ物をいれてやれば、噛み、飲み込み、消化してまともなうんちをする。栄養点滴をするつもりはないが、経口摂取できるうちは、最善を尽くしてやろうと思う。ノイが苦しくないように面倒をみてやりたい。

▼飼い主の死生観を投影するしかない
しかし、猫にとって何が最善なのか、それはいくら飼い主でもあずかり知らぬところだ。結局のところ、自身の死生観を投影するしかない。わたしならどうか。わたしなら、意識もない状態でチューブにつながれて生きながらえたくない。過剰な延命医療はしてほしくない。人工呼吸器にはつながないでほしい。とはいえ、食事を経口摂取できなくなったら飢え死ぬ、という覚悟まではない。意識があり、人と語らえるうちは、栄養点滴で生きながらえたい。そして、なによりなるべく苦痛なくあちらへいけたらと願っている。

けれども、もし回復の可能性があるのなら、もちろん人工呼吸器も輸血も拒否はしない。

しかし、ここがむずかしい。なにをして「回復の可能性」というのか。意識が戻り、会話が可能になる状態が「万が一」戻ってくるかもしれない、例えそれがわずかな時間であっても、というとき、それを「回復の可能性」と呼ぶのか。あるいは、いまは意識不明だが「億が一」意識が戻る可能性があるというときはどうするのか。例え1パーセント以下でも、奇跡の復活の可能性があれば、それに賭けたい、と思うのが家族の心情だろう。わたしはどうだろうか? 「億が一」なら、可能性はないと踏んでほしい。「万が一」でもあきらめたい。しかし、それが「百が一」なら「十が一」なら、どうだろう? ほんの一時、意識が戻るだけ、というのであれば、むしろまっすぐに死へ向かいたいといまは思う。いまはそう思うが、いざとなったらどうなるのかは、確証が持てない。

わたし自身のそのような死生観を投影しても、迷いは尽きない。甘えん坊で怖がりのノイの性格を考慮して考えると、なるべくなら、延命よりも、ノイ自身が苦痛が少ないことを選びたい。だからといって安楽死をさせたいとは思わない。ノイには、精一杯生きさせてやりたい。そのためにできることなら、なんでもしてやりたい。

▼獣医師とのコミュニケーション・ギャップ
しかし、だ。ここからが、さらに問題だ。では、そのための最善の方法とは何か? その専門的なことがわからない。結局、かかっている獣医の意見が必要になる。その獣医が、きちんとインフォームド・コンセントをしてくれればいいが、そうでなかったらどうするか? 幸い、ノイがかかっている獣医は、驚くほどきちんと説明してくれる。

しかし、それだけでは充分ではない、ということを、今回痛感した。その説明がつまり、自分の治療方針を強引に押しつけるために行われるのであれば、それは説明ではなくセールス・トークになってしまう。いまかかっている獣医は、徹底医療派であり、1パーセントの可能性でも捨てずになんとしても危険な局面を「乗り切らせたい」と思う人だ。それが動物への愛だと信じて疑わないらしい。

自説に自信を持つことはもちろん大切だと思う。しかし、飼い主の意向をきちんと汲もうとしないこととは違う。ノイを思って徹底医療はしたくないといっているのに、単に「ペットはいえ家族の一員なのに、医療にお金を出し惜しんでいる」と決めつけられては心外であり、こちらも苦痛だ。例えば抗生剤をどう使うか。「抗生剤を注射したために吐いたりしているわけではない。この抗生剤には、絶対といっていいほど副作用はない」と獣医師は言い切るが、実際、抗生剤を打ってから急激にノイの調子が崩れ、ひどく吐いて苦しがっているのを見ると、飼い主としてはどうしても不安に思わざるを得ない。

そのようなノイに、医師はさらに「吐き気止め」と注射する。しかし、ノイの吐き気は一向に収る様子がなく、何もしないのに背中の毛を逆立て、尻尾を膨らませたまま、部屋の片隅にうずくまるようになってしまった。とても見ていられない。

このような状態なのに頭ごなしに「信頼せよ」といわれ、不安を訴えると、さもこちらがお金を惜しんで注射をいやがっているのだといわんばかりの態度をとる獣医師とは、顔を合わせているだけでもこちらが精神的に参ってしまう。

昨日は獣医院が休診だったので、ノイを連れていかなかった。すると、なんということか、ノイの調子がわずかだがよくなり、昨晩から自力で水を飲んだり、少量の食べ物を口にするようになったのだ。しかし、それで足りるはずがない。補液しないと、脱水症状が進んでしまう。あの獣医に休日診療を頼むのは気が進まない。そこで、かかりつけの内科医に頼みこんで、補液の用具一式を揃えてもらい、八丈島にいる知人の獣医の指導を電話で受けながら、自宅で自力で補液をした。

ノイはわずかながら復調している。死には近づいているらしいと感じるが、抗生剤や吐き気止めを打った時のような苦しそうな表情もなく、自力で水を飲んだり食べ物を口にしている。

結局のところ、何がよかったのか、悪かったのか、わからない。抗生剤の注射がいけないのではなく、医者に連れていくことそれ自体が、ノイには激しいストレスだったのかもしれない。元気な時から、医者やペットホテルに預けることのできない神経質な猫だったから、病気の今はなおさらだろう。

やせ細ったノイを見て思う。嚥下でき、消化できるうちは、経口投与で食事を与えよう。補液も、自宅でしてやろう。そして、静かに見送ってやろう。そう思っている。

▼知人の獣医の励まし
八丈島の獣医院で働く中野まきこさんは、こんなメールをくれた。
延命よりは、できるだけ苦痛のない形で・・・とわたしは思っている(自分自身もそういうふうに最期を迎えたい)ので……。電話、出れるときは出ますので、のいちゃんも、みちこ様もがんばってくださいね。
そのような性格の猫ならば、なるべく自宅で看護してやってほしいとまきこさんはいう。そうしたいと思う。心あたたかいそのような励ましの、どんなに心強いことか。

▼恫喝ではなく理解のためのインフォームド・コンセントを!
ひとつの命を見送ることの、なんと重いことだろう。そして、介護の大変さ。介護それ自体の労力よりも、状態を見て、一瞬一瞬何をするかしないか、判断しなければならないストレスがきつい。そんな折り、まきこさんのようにいってもらえれば助かるのだが、かかりつけの獣医のように半ば恫喝のような口調で説得されると、なおきつい。これからの獣医業は、単に延命のための技術だけではなく、飼い主との心のコミュニケーションのスキルと生きる哲学そのものが問われると思う。もし、それがほんとうに「動物のため」ならば、恫喝ではなく、それが理解できるような形で語りかけてほしいと思う。それがほんとうのインフォームド・コンセントではないだろうか。

いまも、わたしには迷いがある。まきこさんの言葉は、わたしの気持ちと一致していたから、すんなりと受け入れられたが、獣医のやり方は受け入れがたかった。けれども。ほんとうは獣医の意見の方が正しいのではないか。ただ、獣医の態度が威圧的なので、わたしが聴く耳を持てず、それで間違った選択をしてしまっているのではないか。その不安を拭うことができない。

わたしの友人の赤ちゃんは、京大病院で生体肝移植を受けた。友人はいま、毎晩病院に泊まり込みで看護をしている。11月初頭に入院したから、もう一月半だ。拒絶反応が出て、それを押さえるとこんとは感染症を発症する。それを押さえるとまた拒絶反応が出て……と毎日が一喜一憂だという。猫の介護でこれだけ神経が参るのだから、友人はいかばかりか、と思う。艱難汝を珠にす、というけれど、ほんとうに鍛えられてしまうだろう。

わたしもがんばらなくては。ノイも精一杯がんばっている。サチコさんも、Kくんも。Kくんには未来があるけれど、ノイには今生での遠い未来はない。でも、明日という未来があり、一時間後という未来がある。ノイがこの地上にいる間、少しでも快適に、気持ちよく過ごせるように最善を尽くしたいと思う。迷いながら、苦しみながらでも、できる限りをしたい。

■高度医療社会の選択肢/Kくんの生体肝移植に思う

Sat, 09 Nov 2002 03:56:44


今年の3月に生まれた友人の息子Kくんが、きのう、京都大学で生体肝移植を受けた。肝臓の提供者は、Kくんの父親。息子を救うためなら、どんなことでもしたいというその気持ちが、少ない言葉のなかでも伝わってきて、胸を打たれた。

彼らが京都大学に発つ前々日、Kくんの母親でサチコさんから速達が届いた。開けてみて驚いた。11月16日に予定しているアイヌのおばあさん安東ウメ子さんのライブへのカンパ金だった。自分たちが大手術のために出発しようとしているそんな時に、どうしてそこまで人を思いやってくれるのだろう。うれしかったが、戸惑いもした。

Kくんの顔を久しぶりに見たくて、またお見舞い金も渡したくて、彼らが京都大学に発つ前日、わたしは彼女の家を訪れた。背中に、一眼レフを背負って。

「難病指定があるから、手術の医療費は全額戻ってくるの。わたしたちのことは心配しないで」
そういって、サチコさんはどうしてもお見舞い金を受け取ってはくれなかった。
「よかったら、絵本を送ってちょうだい。Kくんはまだ読めないけれど、小児病棟にはいっぱい子どもたちがいるから、みんな喜んでくれると思うの。寄付してきてもいいよね」
わたしは、Kくんの写真をいっぱい撮った。以前、病院であったときより、彼はずっと元気だった。生後3カ月で受けた胆道を回復する手術は、完全な成功とはいえなかったものの、わずかだが胆汁が流れるようになっていた。そのため、血中のビリルビン濃度も下がり、Kくんの顔色は以前よりずっと白くなり、笑顔も見られるようになっていた。

わたしは、たくさんのKくんの写真と絵本とを、京都に送った。

そして、昨日の朝、電話があったのだ。
「いま、Kくんが手術室に入ったの。手術は夜中まで続くと思うわ」
緊張した声だった。その声の前には、どんな気休めの言葉も有効ではないように感じられた。わたしはただ、手術の成功を祈るしかなかった。


日本ではじめて生体肝移植が行われたのは13年前のことだった。それまで、先天性胆道閉鎖の赤ちゃんは、胆道回復の葛西式手術が失敗した場合、生存の可能性はなかった。徐々に肝硬変が進み、2歳まではとても生きられなかったのだ。

はじめての生体肝移植から7カ月後、生体肝移植は日本ではじめて成功した。その時の赤ちゃんはいま、中学校の野球部で元気に球を追っている。

生体肝移植という高度医療がなければ、選択肢はなかったはずだ。親は、ただ赤ちゃんが衰弱して亡くなっていくのを看取ることしかできなかった。

生体肝移植が成功してから、親は選択を余儀なくされた。生体肝移植をするのか、しないのか。移植をしても100パーセント成功というわけにはいかない。あらゆる段階がある。例えば、7歳ぐらいまで生きて亡くなってしまうという可能性もある。一生高度医療を受けなければならない可能性も出てくる。完治ではなく、病気との二人三脚。それを予測し、受け入れて、手術を決断しなければならない。

なんという過酷な選択だろうか、と思う。まだ何もわからない乳児のままに旅立ってしまえば、それはひとつの避けられなかった事故のようなものとして記憶に残りはするが、それなりのあきらめもつくだろう。赤ちゃんはまだ親の顔もわからないまま逝ってしまうのだ。それはそれで、ひとつの救いだったのかもしれない。

けれど、医療が発達して、赤ちゃんは育っていく。京大に旅立つKくんの成長ぶりを見て、わたしはほんとうに驚いてしまった。人の顔を見て笑い、手を動かして何かをつかもうとし、意味不明であるが声を発して語りかけてくる。それはもう、わけもわからない生き物ではなく、すでにひとりの人間だ。その命が消えていくのを、みすみす見ていることなんてできるはずがない。できる限りのことをしたい。そう思う気持ちが痛いほどわかる。Kくんの両親であるふたりに、選択の余地なんてなかっただろう。Kくんの命を救うためなら、どんなことでもしようと思ったはずだ。


その気持ちは痛いほどわかりながら、それでもわたしのなかに釈然としないものが残るのも事実だ。医療はどこまで行くのだろう。臓器移植。その臓器を例えば再生できるようになったら。自分の臓器を培養して再生し、自身に移植できるようになったら、どうなるのか。体を部品の集成とみなして、修理しながら生きながらえる人生とは何だろう。

どこで線引きをするべきか。考えてみれば、人体に人工的に手を加えることは、すでに当たり前のこととなっている。壊れた骨をビスでとめることと、心臓移植の間に、どのような相違があるのか。角膜移植ならOKで、脳死者からの心臓移植は問題だといえる根拠はどこに?

わたしは、進化する高度医療に疑問を感じる者のひとりだ。それでも、目の前で笑うKくんを見れば、やっぱり生体肝移植という手だてがあってよかったと思わずにはいられない。


話は変わるが、うちの猫のノイちゃんの調子が悪い。腎機能と肝機能が低下して、週に数回、生理的食塩水を皮下注射しなければならない状態だ。腎臓はもう復帰しない。このままでは、弱っていくのを見守ることしかできない。ひとつだけ、手だてがあるという。腎移植だ。

猫の腎移植は、実は驚くほど進んでいると獣医から聞かされた。というのも、保健所で殺される猫がいくらでもいて、そこから腎臓や肝臓がたやすく得られるからだという。人間ほど倫理が云々されないので、望めば手術できる可能性は人間よりも高いという。

処分される猫から、腎臓をふたつとももらえば、腎臓を提供した猫は死んでしまう。どちらにしても処分されるはずの猫だから、ということで、そうする飼い主もいるそうだ。飼い主によっては、猫に腎臓をひとつ提供してもらい、提供してくれた猫も一緒に飼うという。なるほど、そのほうが少しは人道的?かもしれない。

わたしは、ノイには腎臓移植をしないという選択をした。移植すればもっと長く生きられるだろう。それを「しない」と判断することは、心の苦痛を伴う。助かる可能性があるのに、見殺しにするような気持ちになる。

以前、もう一匹の猫が、同じ腎臓病になったとき、わたしは悩んだ末、徹底医療を施すことにした。「無理をしないで自然に死なせたほうがいいのではないか」と悩んでいたときに、ある人にこういわれたからだ。
「猫の自然に反してずっと家の中で飼っていたのに、死ぬときだけ『自然に』なんていうのは、人間のエゴだ。生き物は、一秒でも長く生きようとするものだ。その助けになるなら、なんでもしてやるべきだ」
その時は、腎移植という手段を提示されなかったので、移植は考えもしなかったが、ともかく、最後まで獣医に往診してもらい、点滴をして命を長らえさせた。メイというその猫は、最後までしっかりと目を開き、動けなくなってからも、自分でトイレをしようとした。その態度に、わたしは深く心を打たれた。立派な最期だった。

けれど、苦痛を長らえさせたのではないか、という思いも拭うことができなかった。わたしは、その時、思った。ノイはメイに比べたら、ずっと甘ったれだ。ノイには、こんな過酷な思いをさせたくはない。ノイが同じ事になったら、過剰な医療はやめよう。

生理的食塩水を皮下注射する「補液」は、点滴と違い、栄養分を入れるものではない。排尿を促し、血中のアンモニア濃度を下げる効果があるだけだ。それで調子が良くなれば、ノイは自分で食べられるようになる。歩き回ったり、いつものように膝にのって甘えたりもする。だから、この治療は続けようと思う。

家庭療法も始めた。血中アンモニアを下げるために、活性炭を摂取させるといいと聞いたので、活性炭の粉末を投与することにしたのだ。効果が上がったのか、補液に通う回数が目に見えて減ってきた。このまま、小康状態を保ってほしいと願うばかりだ。

けれど、わたしはいつか決断しなければならない。栄養点滴をするのかしないのか。いまは、しないつもりでいる。ノイが自分で食べ物を摂取できなくなったら、あとは自然に任せようと。けれど、その場面が来たら、自分がどう決断するのか、わからないとも思う。


わたしは、自分が死に直面したら、過剰医療なしで死にたいと考えている。人工呼吸器はつけないでほしい。それについて、自分の気持ちが変わることはないだろう。

けれど、自己以外の者については、やはり心が揺れる。それは、選択肢を持ってしまった者に与えられた過酷な試練なのだと思う。そんな時、わたしたちは、誰もが選ばなければならない。運命の大きな手に委ねるわけにはいかないのだ。


そして、思うのだ。大切なのは、わたしたちが「選ばなければならない」という立場にあることを自覚することだと。誰かが決めてはくれない。自分で選ばなければならない。

そして、大切なのは、選ぶ自由を確保することだと。なにが倫理に合致し、合致しないのか。大枠では人々は同意できても、微妙な局面では何が正しく、何が間違っていると決めつけることはできないだろう。川で溺れかけている子どもがいれば、なんとしても助けなければならないけれど、脳死状態の者の人工呼吸器をはずすかはずさないか、そこに正しい答えはない。先天性胆道閉鎖で生まれた子どもに、生体肝移植をするかしないか、そこにも、これが絶対正しいといえる答えはないように思えるのだ。

そのどちらを選んでも、責めないこと。両親が、世間からのプレッシャーではなくて、自分の気持ちをよく見つめて物事を決定できること。その決定を尊重できること。そういう世間の有りようが大切なのではないか、とわたしは思う。

そして、人は皆、背負わなくてはいけなくなるのだ。自分自身の選択を。そういう世界を、人間社会はつくってきた。高度医療社会にあるのは、夢ばかりではない。そのような選択を一人一人がするという責任を、しっかりと持たなければならないのだと思う。

■書評/矢川澄子著「アナイス・ニンの少女時代」

Fri, 20 Sep 2002 13:45:42

「アナイス・ニンの少女時代」矢川澄子著(河出書房新社2002)

征木高司さま。ようやく矢川澄子さんの「アナイス・ニンの少女時代」を読みました。

美しい薔薇の絵の表紙。合田佐和子さんの絵でした。そういえば、経堂のギャラリー・イヴでの矢川澄子追悼展に展示されていた合田佐和子さんの作品も薔薇でした。巨大な鉛筆画の薔薇。けれど、不思議な形をしている。花びらの一枚一枚が溶けて、小さな滴になり、それが互いに癒着して一塊りになってガクの上にある、そんな絵でした。まるで、無数の胎児が溶け合ってひとつになってるようだった。絵のなかに文字がありました。

Thousands Babies

千の赤ん坊。13日のギャラリーでのワインパーティの後、二次会で訪れた店で、合田さんは話してくださいました。矢川さんが、生涯子どもを持てなかったことをとても悔やんでいらっしゃったことを。それを、とてもさみしく思っていらしたことを。亡くなる少し前にも、そんな言葉を書きつけた葉書が矢川さんから届き、慌てて電話をしたこと。そして、合田さんはおっしゃいました。

「子どもを持ってみると、ああこんなものかと思う。子どもはいてよかったと思うけれど、いなくても、だからといって格別に不幸だったとは思わない。一人の人間として生きていくのに、そんなに大きな差はない。けれど、子どもを持てなかった人には、それが超えられない大きな差に思えてしまうのでしょう。幻想が、妄想のように膨れあがって、子どもって限りなくすばらしいものに思え、それを持てなかった自分が、とても惨めになってしまうのかも知れない。そんなことないのに」

パーティでも二次会でも、たくさんの方がいたけれど、みんな矢川さんのことを口にしようとはしなかった。自死だったということが、口を重くしていたのかもしれない。語るべき言葉を探しあぐねていたのかもしれない。そんな中、合田さんはほとばしるように語られました。その無念さ、なんともいえない惜しむ気持ち、心の深いところから湧きでてくるあたたかさが、ひしひしと伝わってきました。


矢川さんには、何度も画廊のオープニング・パーティでお目にかかっていたけれど、わたしはそれが矢川さんだとは知らなかった。よくお見かけするけれど、どちらの方だろうかと思っていたのでした。まるで、童話のなかから抜け出してきたような小さくてかわいいおばあさんのようでした。

昨年の11月に銀座の青木画廊で建石修志さんの個展があったとき、わたしは矢川さんを矢川さんと知らず「何をなさっていらっしゃるんですか?」と訊ねてしまった。「子どもの本を書いたりしているんです」と答えられたその人に、わたしは思わずうれしくなって「わたしも子どもの本を書いてるんです!」と語り、お名前をお訊ねしました。「矢川澄子です」と答えられたとき、わたしは卒倒しそうになった。とても「わたしも」なんて言える立場ではなかったと、赤面してしまった。


子どもを持つことに、わたしも強い憧れを持っている。けれど、果たせないでここまできてしまいました。それが、とてつもなく深く哀しくなることがある。子どもの本に関わりながら、あの生命力溢れる子どもそのものに触れられない自分が、情けなくもなる。奈落の底に落ちていくような虚しさを覚えることがあります。そして、愛する男のために子どもを産めないであろう自分を、情けなく申し訳ないと思わずにはいられない。

矢川さんがあの時「子どもの本を書いています」とおっしゃったときに、他にもたくさんのお仕事をしていらっしゃるのにそれだけをいうなんて、と、わたしはただ謙遜かと思っていました。でも、違ったのかもしれない。もっともっと複雑な思いが、そこにはあったのかもしれない。いまになって、そう思います。


矢川さんが亡くなった理由は、もちろんそれだけではないだろうし、それが理由の一つにはいっていたかどうかもわかりません。けれども、矢川さんが子ども持てなかったことを、そのようにさみしく感じられていたということ、他人事とは思えないわたしです。

理屈ではわかる。子どものあるなしで、人生の価値のあるなしが決まるわけではないと。それでも、どうしようもない欠落感に苛まれることがあるのです。


わたしのなかのもうひとつの矢川さん像は、鎌倉の海岸で、澁澤龍彦氏とコイコイをしている矢川さんの写真。つばひろの帽子をかぶり、ワンピースで、長い手袋をはめ、そんな姿のまま乱暴にも直接砂浜に横座りしている。その野蛮さとエレガントさがないまぜになった一葉の写真が、わたしの心に強く灼きついています。それは、わたしのなかの憧れの女性像のひとつだった。


矢川さんは、なぜ死を決意なさったのだろう。初老性の鬱で、発作的にそんなことになったのでは、と想像を廻らせたりしました。

矢川さんが翻訳なさった、ポール・ギャリコの作品、その類い希な美しい言葉で、わたしはどれだけ救われ、癒され、勇気づけられたかしれない。「書く」という行為を通じて、そのように見知らぬ読者に多くの勇気を手渡してきた矢川さんが、そのようにして亡くなってしまうなんて……。ひどく勝手だけれど、できれば事故のような出来事であってほしい。そうでなければ、それはひどい裏切りに思えてしまうから。そのような感受性を持っていたら、結局のところ死を選ぶしかない、というメッセージに聞こえてしまうから。

けれども、そうではなかったようです。きちんとした遺書が残されていたそうです。「すべての妹たちへ」と題された遺書が。

矢川さんの作品や翻訳に触れ、心を震わせることのあった人すべてが「妹」であったと、わたしは思うのです。それならば、わたしもその一人。矢川さんは、公開を前提にその遺書を残されたのではないか。

遺書は、遺族の方の意志で、非公開になったそうです。


そして、遺書のようにして届けられた「アナイス・ニンの少女時代」。矢川さんの亡くなった翌日に、献本として多くの人々にその本が届いたと聞いています。「これは遺書だ」という声も聞きました。朝日新聞の書評でも、種村季弘さんがこのように書かれています。
 ここからは書評の範囲を越える。著者からこの本がとどけられた日の朝、私は矢川澄子自死の報に接した。まさか。年をとったからこそ森茉莉や今の若い人のようにぐうたらで生活無能力、甘やかされ続けてきた「スポイルド・チャイルド」みたいな生き方をしましょうよ、と老人ホーム(!)の講演でアジった、童女の顔をしたこの人は、それなのに永遠の美少女の絵で表現の時間を止めてしまった。

 おしゃれだな。いいよ。でもね、もっとあっけらかんとスポイルド・チャイルドで通してほしかったぜ、おスミさん。

わたしは、1997年に出版された 『「父の娘」たち 森茉莉とアナイス・ニン』という矢川さんの本も、実に興味深く読みました。そしてこんどの「アナイス・ニンの少女時代」も。

とても興味深いのだけれど、どこかつかみ所がない。肝心要の何かを隠しながら書いている、そんな気がしてならない。なんだろう、このもどかしさは。矢川さんは、「アナイス・ニンの少女時代」のなかで、繰り返し書いている。
いくら「親友」のつもりの「日記さん」でも、これだけは悟られたくない秘密、というのが、この少女にはたしかにあったのだ。
矢川澄子さんの書き方も、まるでそのようだと感じないではいられない。深い、奈落のように深い秘密の周りを廻る言葉たち。花芯を包みまだ開ききらない薔薇の花のような。

そう感じるほどに、合田佐和子さんの薔薇の花の絵は、この本の表紙にふさわしいと思うのです。

そして、薔薇の謎が解けないように、謎は解けないのかもしれないと。でも、だから美しいなんて、そんな美しさは必要ないとわたしはいいたい。赤裸々に吐露しても、なお美しい人であったと、わたしには思えてならない。自死は、ともすれば謎に包まれて美しく見える。けれども、自殺以上に無様なことはないとも思う。それならば、いっそ生きたまま無様さをさらけだし、さらけだすこと自体が強く美しくあるような、そんなしたたかさを持って欲しかった。

何人もの恋人を持ち、その関係を赤裸々に記録し発表し、さらには実父との性関係まで日記に記し、そのすべてを公開されることを望んだアナイス・ニン。その強さとしたたかさに憧れ、限りなく自分を重ね合わせようとしながらも、決して重ねることなく去っていった矢川澄子さん。「すべての妹たち」へ残された言葉は、アナイス・ニンへと限りなく近づきながらも、決して交わることのない斬近線の、その届かない微妙な隙間にあったのかもしれません。

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