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■日本の精神分析黎明期の啓蒙書/寮佐吉訳「精神分析學」 7 Jul. 2004


▼寮佐吉訳「精神分析學」入手

2004年7月6日。ネット古書店で見つけた祖父・寮佐吉の翻訳本「精神分析學」(ヒングレー著 東京聚英閣 1923)が届く。本の裏の見返しには、持ち主の署名がある。その上に古書店の札が貼ってあって、きちんと読めないのが残念だが、1924という数字がわかる。不思議なことに、この署名はフランス語だ。そして、本の奥付には、なぜか「MADE IN JAPAN」のスタンプが押されている。仏領インドシナにでも輸出され、現地の日本人が入手したのかもしれない。一体、どんな人が持っていて、どんな経路を経てわたしに届いたのだろう。

▼「国家」を精神分析するというアイデア

はじめて本の内容を見たが、目次には「精神分析學の起源と発達/夢/無意識/ユングの説」などの言葉が見受けられる。ひもとけば、フロイトの理論の紹介などが詳細にあり、精神分析学の入門・啓蒙書のようだ。

この本は、大正12年(1923)の発行。この時、ユングは48歳。その10年前、19歳上の師であるフロイトから訣別状を受け取り、以来、ユングは無意識をめぐる独自の論理を展開していた。1917年には、ユングは「無意識の心理学」を、フロイトは「精神分析入門」を出版。それから6年後の1923年という時期は、精神分析学という学問が一応の完成を見せ、認知され、世界へと広まっていった時期だろう。

大正リベラリズムの波のなかで、祖父・佐吉は「精神分析學」という目新しい学問を知り、胸躍らせたのかもしれない。それを紹介することを喜びとしていたのだろう。訳者前書きにも、その心意気が記されていた。

或る一人の個人の神経的疾患が直つても其の喜びは大なるものである。社會の神経的疾患の救済されたなら、社會の喜びは大なるものである、個人的立場から見ても私共は精神分析学の普及を計りたい。社会的立場から見ても、亦然りである。私は此の意味に於いて此の訳著を世に提供することに喜びを感じてゐる。(大正十一年十一月)

祖父は、精神分析学をただ一個人の心の病を考えるためにだけではなく、「社会」というものの考察するためにも有効であると考えていたようだ。

いまから二十五年ほど前だったと思うが、岸田秀が「アメリカ」や「日本」という国の行動パターンを精神分析の手法で解き明かして見せた。二十代だったわたしは大きな驚きを感じた。精神分析とは、一個人の心の内側を覗きこむものだと思っていたからだ。「国」のようなものに応用できるとは思ってもみなかった。

しかし、祖父は精神分析の黎明期に、すでにその可能性を示唆していた。この混沌とした世界を読み解き、より平和な、美しいものにするために、精神分析が役立つのではないかという希望を胸に、新しい学問の書を紹介していたのだ。

▼日本ではじめてユングを紹介?

国会図書館のネット検索で精神分析・フロイト・ユング関係の本を検索してみた。

大正9年 「愛の幻」(ウィルヘルム・ジェンセン,フロイド他著 良書普及会 1920)
大正11年「精神分析法」(久保良英著  中央館書店 1922 )
大正12年「精神分析學」(ヒングレー著 寮佐吉訳 東京聚英閣 1923)
大正15年「精神分析入門」(フロイト著 安田徳太郎訳 アルス 1926)
昭和2年 「聯想実験法」(チェ・ゲー・ユング著  日本精神医学会 1927)

大正9年の「愛の幻」が、精神分析関係ではいちばん古い本のようだ。大正11年に「精神分析法」を翻訳した久保良英は、大正期に米国に留学、日本に精神分析を持ちこんだ最初の人物だという。その翌年に祖父は「精神分析學」を翻訳。ユングの著作が翻訳されるまでには、昭和2年まで待たなければならなかった。ということは、ひょっとすると、祖父が翻訳した「精神分析學」が、ユングに関しては、日本で初めての紹介の書であった可能性もある。

▼相対性理論から精神分析まで幅広い興味

自然科学、物理学に興味を抱いていた祖父は、また心の科学にも興味を抱き、「精神分析學」の翻訳をしたのだろう。専門化が進んだいまの時代からみると、そのような守備範囲の広さに驚きを覚える。それだけ、学問の世界はまだ黎明期であり、人々は「科学」がもたらしてくれる未来に、大きな期待を抱いていたのだろう。

「精神分析學」出版の前年の大正11年、祖父は相対性理論の紹介の書を2冊翻訳出版、来日したアインシュタインの名古屋講演に招待され、アインシュタインに会っている。新進の学問に触れ、驚きと喜びを感じながら、それが世界をより良き方向に導いてくれることを夢見ていた祖父。相対性理論や精神分析を翻訳紹介していた祖父は、そのときまだ31歳。どれだけの明るい夢を、未来に描いていたことだろう。

しかし、それから、世界はがらがらと変わり、第二次世界大戦へと転がり落ちていく。夢を持って翻訳した相対性理論そのものが、原子爆弾の投下につながっていった。祖父は「マッチ箱ひとつで大都市を破壊させる」という爆弾の存在を戦前に雑誌で警告したという。夢が、ネガのように反転していくさまを、一体どんな気持ちで眺めていたのか。

戦争が終わる間際、祖父は肺結核で亡くなった。53歳という若さだった。

▼再び転がり落ちないために

終戦から60年近くの年月が流れた。世界はまた、恐ろしい方向に転がり落ちようとしている。同じ愚劣な歴史を繰り返そうとしている。繰り返せば、それは螺旋をより深い地獄へとわたしたちを導くのに。

出版から80年を経た祖父の本を手にして改めて思う。わたしたちはもう、祖父の頃のように「科学」が新たな未来を連れてきてくれると、簡単に夢見ることはできない。結局は、人の心の問題に帰していくしかない。扱いきれないほど巨大な科学技術を手にしたいま、人類はそれを制御する方法を模索しなければならない。科学をどう使うか、どんな世界を望むのか。あらゆる手段を動員し、病んでいる世界を望ましい方向へと導くよう、ひとりひとりが考えなくてはならない。

「精神分析」の手法は、病んでいる国家を分析し、新たな方向を模索するために、いまだに力を持っているかもしれない。


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