寮美千子ホームページ ハルモニア 祖父の書斎/科学ライター寮佐吉

■寮佐吉の序文


▼『精神分析学』訳者序

ヒングレー/著、寮佐吉/訳『精神分析学』(聚英閣 1923)

    訳者序

 巻頭に空疎なる言を列る罪を訳者は先ず詫ぶる。精神分析学の知識と応用とが、私共の間に少しでも行渡ったならば、私共はそれだけ幸福を増すのである。学校教師はその原則の洞察によって彼の態度を改めるであろう。そして従来よりも自然に育まれる生徒の数が増えるであろう。聖書に神を説く宗教家は之によっていと高きものの新しき意味を見出すであろう。理性を崇めて真の総合に失敗せる哲学は、理性と愛との調和への道を其の原則中に暗示せられるであろう。犯罪問題、失業問題等は、従来の皮相の応急策より転じて、その禍根へ第一の鍬を入れられるであろう。子女を有する世の父母は、真の父母として生きる新しき道への暗示をこの中に見出すであろう。恋愛も文芸もより深き意味を有する或るものになるであろう。要するに溟濛の世界に閉されていた人生の諸相へ微光を投じている暁の希望の星!其はこの新興の科学にして科学以上なる精神分析学の態度を表徴しているのではあるまいか?
 或る一人の個人の神経的疾患が直っても其の喜びや大なるものである。社会の神経的疾患が救済されたなら、社会の喜びは大なるものである。個人的立場から見ても私共は精神分析学の普及を計りたい。社会的立場から見ても亦然りである。私は此の意味に於いて此の訳書を世に提供することに喜を感じている。
 訳者は浅学微才にして誤の多々あらんことを恐れている。叱正の労を吝まれないことを大方の読者にお願する。

    大正十一年十一月上浣   訳者識

※表記を新字新かなに改めた


▼『原子のABC』訳者序

バートランド・ラッセル/著、寮佐吉/訳『原子のABC』(新光社 1925)

    訳者序

 本書は千九百二十四年英国ロンドンで発行せられたバートランド・ラッセル氏の「原子のをABC」全訳したものである。原著者ラッセル氏は誰も知る如く英国の哲学者であり数学家であり思想家であって、哲学数学及び社会学に関する幾多の重要なる著書を出して令名嘖々たるものがある。その中でも、「社会改造の原理」「神秘と論理」「自由への道」「数学哲学序論」「科学の将来」「心の分析」等が特に著名である。先年雑誌「改造」に椽大の筆を揮ったことは世人の記憶に猶新たなる所であろう。
 ラッセル氏は本書に序文を書いていない。それは序文を必要としない程、「原子のABC」なる書名が内容を明瞭に示しているからであろう。雑誌「スペクテーター」は、本書を評して次のように激賞している。
 『「原子のABC」は、専門的の物理学の知識を有しないでいて、而かもその最近の発達を知りたいと願っている読者のために書かれた通俗書の中の白眉であって、この上もなく感服すべきものである。ラッセル氏は数学嫌いの人々を怖気だたせる恐ろしい方程式を導入しないで、原子論の主要なる諸点の梗概を甚だ明瞭に説いている。要するに本書は甚だ平易であり、簡潔であり、斬新にして完全であるから、誰人も必読すべきものであることは多言を要しない。 』
 本書は単なる科学者の原子の解説ではなくて、一代の哲学者の頭脳をプリズムとして分析せられた美しい七色の虹であって、原子は生命あるものの如く取扱われていて、私共は知らず識らず科学の神秘境へ誘引せられるのである。
 ラッセル氏は本書の終に於て、『世界は「合理的」にできているか、或は「非合理的」にできているか。』の大問題を提出して而かも解答を与えていない。この一点を見ても、本書が如何に人間味に富んでいるかが分るであろう。
 附録として、ラッセル氏は、ボールの水素スペクトルに関する理論を初等数学を用いて説いている。原子の一般常識を得んとする人々はこの附録を敬遠しても差し支えなかろう。ラッセル氏が附録とした真意も恐らくそうであろう。
 ラッセル氏は本書の第五章水素原子の可能なる状態中に、「私共の目下の問題については、アインスタインと相対性理論は旧力学の最後を飾る王冠であって、新力学の濫觴ではないことを了解せねばならない。アインスタインの研究は莫大なる哲学的及び理論的の重要さをもっているが、それが実際の物理学に導入する変化は、私共が光速に左程劣らない程の速度を取扱はない中は、実に甚だ小なるものである。これに反して原子の新力学では、それは単に私共の理論を変じしめるばかりでなく、変化は屡々非連続的であり、且つ可能であるべき筈の運動の大部分は実際に於いては不可能であると云う結論を導いて、実際に行われていることに関する私共の見解を一変せしめるものである。」と述べている。本書の最後の二章の標題中に見えている「新物理学」という文字はこの意味に於けるもので、端的に言えば「量子論」のことであるから、一言注意して置く。

  大正十三年九月三日   訳者

※表記を新字新かなに改めた

参考:『原子のABC』訳者序(1924年9月3日) <バートランド・ラッセルのページ(分館)


▼『科学は何處へ』訳者序

マクス・プランク/著、寮佐吉/訳『科学は何處へ』(白帝書房 1933)

    訳者序

 学会無宿の私ではあるが、私は科学を愛する、そして世界の大きな深い科学思想を、我等の同胞に紹介することを、私がなし得る意義深き国家への貢献であると思っている、そしてそれはまた同時に、一般人類への貢献でもあるのだ。私は、こうした見地から、最近、エヂントンの名著『物的世界の本質』を訳出、岩波書店から刊行した。
 科学界の二つの大きな明星、それは、アインスタインとプランクである、アインスタインは、相対性論者であり、プランクは、量子論の創始者として、人類の思想上に大きな足跡を印している……この二人が、我等と同じ太陽の下に、同じ空気と同じ水を吸うて生活しているということは、おヽ何たる我等ホモサピエンスの力強さと、嬉しさであることよ!
 そして、今や我等は、万人の心を強く打つ、この大科学者超哲学者プランクの小説や詩以上に面白い、平明にして興趣尽くることなき全人類への贈物『科学は何処へ』を、特に我等が祖国日本の街頭人へ伝達する光栄と矜持とにおのヽいている。
 私は、これが、豕に投げ与えられたる真珠ではないことを確信する。昭和維新の科学日本は、しかく低級ではあり得ないはずだ。
 政治家よ、教師よ、軍人よ、実業家よ、文芸家よ、宗教家よ、学者よ、学生よ、オール日本のあらゆる職業層よ、わけても我等が熱愛する同志街頭人よ、いつまでも蠱惑低調回避の文藝でもあるまい、時代はまさに新しき衣を要求している、新しき皮嚢を要求している、『科学は何処へ』は、卿等のたましいを強く打つ新しき時代の聖書であるのだ。
 先ず本書の目次を一瞥せよ、
  1. 科学の五十年
  2. 外界は実在するか
  3. 科学者の物的世界の畫
  4. 因果律と自由意志 ――問題の陳述――
  5. 因果律と自由意志 ――科学の解答――
  6. 相対から絶対へ
 これ以上に、我等に強く訴える題目があり得るだろうか。
 動揺と不安の世界相を正当化し深刻化し脅威化するかの如く、古来の鉄則因果律が、最新科学の発展によって、根底から覆されたかの如き誤解が、近頃、燎原の火の如く世界をなめつくした。因果律が崩壊して、果してよいものか。
 否、因果律は、決して最新科学によって一敗地にまみれたのではないと、人間プランクは、秩序を愛する自然の女神の手先として、雄々しく因果律擁護の聖戦を起した。すヽめ、いざ立て、わがつわものだ。
 そして、今一つの世界人の誤解は、相対論による絶対の廃棄だ。――併し、事実は、これに反する、相対論は、その実、絶対性への道である――最新科学は、あらゆる方面に於て、着々とその絶対観を確立しつヽある、そして、世界第一の絶対論者は、読者よ驚くなかれ、やはりアインスタインとプランクである。絶対の誤れる壊滅を嘆いた人々よ、我等は本書で、絶対こそ、自然と人生の基礎石であることを知るの欣幸を有する。
 その昔、キリストは、山上で街頭人に教えをたれた。それはやがて、プランクが熱愛をこめて、科学による自然と人生観の確立という一大救世の悲願を本書で成就しつヽある姿ではあるまいか。
 そして、キリストと言えば、奇跡を連想するが、おヽ読者よ、我等のプランクは、本書で、このあまりにもひからびた我等の人生に、奇跡と驚異の科学的福音を齎しているのだ。
 奇跡の科学的信仰、因果律の擁護、絶対観の確立――それらのトリオを統率する我等の個我の解放されたる自由……がこヽに力強く人生の楽師プランクによって奏でられている。
 最後に、私は、本書を手にする人誰もが、近代人が味い得る最も深い最も大きい永久の喜びを経験することを確信し、且つ望みつヽ擱筆する。

    昭和八年五月七日   寮 佐吉  東京牛込市ヶ谷加賀町一ノ二

※表記を新字新かなに改めた


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