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■宮澤賢治の「四次元幻想」と寮佐吉「通俗第四次元講話」 18 Jul. 2004


賢治に「四次元」のイメージを与えたのはアインシュタインの相対性理論であることは明白だが、では、実際にどの本なのか? ふいに、そんなことが気になりだした。寮佐吉は大正11年に「通俗第四次元講話」を上梓している。賢治の「春と修羅」は大正13年の出版。年代的に考えてみると、寮佐吉の「通俗第四次元講話」が賢治のイメージの直接の源泉だったとしてもおかしくない。そこで、調べてみた。

宮澤賢治は大正13年に「春と修羅」を出版。そこにいわゆる「四次元」のイメージが初出する。「序」のなかの次の部分など、まさに相対性理論を彷彿とさせる。

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません

そして、この「序」はこう結ばれている。

すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます            大正十三年一月廿日  宮澤賢治

これ以降「四次元」のイメージは賢治作品の通奏低音というべきものになっていく。しかし、賢治はなぜ「四次元」ではなく「第四次延長」という言葉を使ったのか。それが気になる。

この四次元というイメージがどこから来たのか。大正11年にアインシュタインが来日し、その前後に多くの相対性理論の本が出ている。日本が空前のアインシュタイン・ブームだったから、賢治がそこから影響を受けたのは想像に難くない。しかし、では実際にどんな本を読んだのかというと、記録は残っていない。残された賢治の蔵書リストにも、相対性理論の本は一冊もない。

しかし、この蔵書リストには、寮佐吉訳の「通俗電子及び量子論講話 」(ジヨン・ミルス他著 黎明閣 大正11)が掲載されている。これは「通俗科学講話叢書」の 一冊として出版されたもので、このシリーズはこのようなラインナップになっている。

【通俗科学講話叢書】
1. 通俗相対性原理講話 / エル・ボルトン[他]. 寮佐吉訳 黎明閣, 大正11. (通俗科学講話叢書 ; 第1編)
2. アインスタインの哲学と新宇宙観 / シヤール・ノルマン[他]. 黎明閣, 大正11. (通俗科学講話叢書 ; 第2編)
3. 通俗電子及び量子論講話 / ジヨン・ミルス[他]. 寮佐吉訳 黎明閣, 大正11. (通俗科学講話叢書 ; 第3編)
4. 通俗第四次元講話 / 寮佐吉著. 黎明閣, 大正11. (通俗科学講話叢書 ; 第4編)

4冊出た叢書はすべて相対性理論と関係した本である。うち3冊が寮佐吉が関わった本だった。賢治が所蔵していた「通俗電子及び量子論講話」の次の巻は、その名もずばり「通俗第四次元講話 」だ。

いまある賢治の蔵書リストが、賢治が実際に読んだり持っていたほんの一部でしかないとすると、賢治が同じシリーズの「通俗第四次元講話 」を読んだ可能性は高い。もしかしたら、賢治に直接の影響を与えたのはこの本ではないか?

タイトルに「四次元」という言葉の入った本を、国会図書館所蔵の本のなかで検索してみた。すると、寮佐吉の「通俗第四次元講話 」が出版年ではいちばん早く大正11年。そして、その次にあがってきたのが、成瀬関次本だった。

【四次元】で検索
1. 通俗第四次元講話 / 寮佐吉. -- 黎明閣, 大正11. -- (通俗科学講話叢書 ; 第4編)
2. 第四次延長の世界 / 成瀬関次. -- 3版. -- 昿台社, 大正13

え?「第四次延長の世界」? それは、賢治の序の言葉そのままではないか。すると、インスピレーションの源泉はこの本? と思いきや、よく見ると、この本の発行は大正13年刊。賢治の「春と修羅」の序の日付は大正13年1月20日だ。賢治がこの本を読んで「第四次延長」という言葉を流用したとは考えにくい。するとやはり、寮佐吉の本が?!

相棒に頼んで、さっそく和光大学の図書館にある資料を貸し出してきてもらった。そのなかの一冊「宮沢賢治 その独自性と同時代性」(西田良子著 翰林書房 1995)に、既にその指摘があった。確かに「春と修羅」の序の日付のほうが「第四次延長の世界」の出版より早い。ではなぜ賢治はどこから「第四次延長」という言葉をひっぱってきたのか。賢治自身の造語か。可能性は二つあると西田氏はいう。

その一。成瀬関次は「第四次延長の世界」出版以前に、「第四次延長の説明」を大正3年ごろの日本師範学会誌上に掲載したという。盛岡高等農林学校時代の賢治が、これを読んだ可能性もあると西田氏は指摘している。しかし、その雑誌はまだ発見されていない。

もし、盛岡高等農林学校時代の賢治がそれほどまでに「第四次延長」に心奪われたのであれば、賢治の学生時代の文章の中にその言葉が見つかってもいいはずだが、それはないようだ。詩集出版の10年前に学会誌に掲載された「第四次延長の説明」から、賢治の「第四次延長」という用語と四次元のイメージそのものがやってきたとは考えにくいのではないか。

西田氏が指摘するもう一つの可能性はこうだ。「春と修羅」と「第四次延長の世界」の出版の経緯を詳細に追ってみると、こうなる。

1月20日 宮澤賢治「春と修羅」の序を執筆。
2月 8日 成瀬関次「第四次延長の世界」出版
3月25日 宮澤賢治「春と修羅」印刷完成

つまり、賢治は序を執筆した後、成瀬の本を読んで「第四次延長」という言葉を知り、推敲の手を入れて序を完成させた。確かに、可能性はある。

とはいえ、いくら時間的に矛盾がないといっても、地方都市花巻である。2月8日に出版された本を取り寄せ、読了し、その語句を反映させた詩集を3月25日に印刷完成させるということができるだろうか。可能ではある。しかし、時間的にはかなり無理がある。それでも、賢治が盛岡高等農林学校時代に読んだ論文から引用したという説よりは可能性が高いように感じられる。

もし、実際にそうだったとしても、では「序」の全体に流れる四次元思想はどうなるのか、という問題がある。「四次元」という用語を、ゲラの著者校正の時点で賢治が引用したとしても、詩の全体の流れを書き換えたということはないだろう。

賢治の「第四次延長」という「言葉」は、成瀬の本から来ている可能性が高かったとしても、「四次元」というイメージそのものは、それ以前から賢治の中に胚胎していたのではないか。

ちなみに「第四次延長」という言葉は成瀬関次独特の用語で「Fourth Dimension」の訳語だ。つまり「四次元」のことである。成瀬以外にこの用語を使っている例は、いまのところ報告されていない。

ということは、大正11年に出た寮佐吉の「通俗第四次元講話 」から直接のイメージを得た可能性も否定できない、ということではないか?

国会図書館蔵書で「四次元」の検索でかかってくるのは「通俗第四次元講話」「第四次延長の世界」の二冊だけだが、「相対性」で検索をかけてみると、大正10年から、賢治が詩集を出した大正13年までに限定しても、多数の書物がかかってくる。

【相対性】で検索
 1. 誰にも解かる相対性原理の話 / 浅野利三郎. -- 世界思想研究会, 大正10
 2. アインスタインと相対性原理 / 石原純. -- 改造社, 大正10
 3. 相対性原理 / 石原純. -- 岩波書店, 大正10. -- (科学叢書 ; 第1編)
 4. 相対性への道 / 三枝彦雄. -- 厚生閣, 大正11
 5. フイルムになつたアインスタイン相対性理論の基礎 / ハンス・ワルテル・コルンブリユム[他]. -- 大阪学校映画協会, 大正11
 6. 華厳の哲理と相対性原理 / 亀谷聖馨. -- 名教学会, 大正11
 7. 通俗相対性原理講話 / エル・ボルトン[他]. 寮佐吉訳-- 黎明閣, 大正11. -- (通俗科学講話叢書 ; 第1編)
 8. 相対性原理読本 / 岡邦雄. -- 春秋社, 大正11. -- (新学芸講座 ; 臨時増刊)
 9. アインスタイン相対性も是なら分る / 加藤美侖. -- 朝香屋書店, 大正11. -- (ゼントルマン叢書 ; 第1編)
10. アインスタイン相対性原理の話 / 原田三夫. -- 現代社, 大正12. -- (新知識叢書 ; 第1編)
11. 科学大系. 第7巻(第30至38編) / アーサ・トムソン[他]. -- 大鐙閣, 大正12
12. 誰にもわかる非ゆうくりつどと相対性 / 河合熊太. -- 南郊社, 大正13

さらには「アインスタイン」「アインシュタイン」でも多くの本がかかってくる。寮佐吉も「アインスタイン要約 」( ティリング[他]. -- 九十九書房, 大正11)という本を翻訳している。

そのなかのどれを、賢治は実際に手に取ったのだろう。もしかしたら、その本のどこかに、賢治の思想や言葉遣いに重なる記述があるかもしれない。「華厳の哲理と相対性原理」( 亀谷聖馨. -- 名教学会, 大正11 )なども、研究に価するかもしれない。仏教哲学と四次元のイメージの融合が、賢治の四次元幻想を形成したことを思えば、この本はかなり怪しい。実際、賢治の著作の中には華厳経からの引用もある。

わたしはまだ「通俗第四次元講話 」という本を直接見たことがないので、一度、国会図書館に調べに行こうと思う。

研究者の方が送ってくださった「通俗第四次元講話 」の目次が手許にあるので、これを掲載しておく。

訳輯者序
【第一部】
第四次元の序話(寮佐吉)  1
【第二部】(通俗講話論文雑集)
第四次元の一解説(懸賞当選)(フィッチ)  19
非ユークリッド幾何学と第四次元(フィッチ)  37
第四次元の妄誕(カトラー)  53
四次元的単位の境界と四次元的空間の他の諸性質(『プラトニデス「仮名」)  75
如何にして第四次元は研究せらるるか(リチモンド)  93
第四次元の代数学的考察(キャンプ)  109
第四次元の特性(ワーレル)  119
心眼と第四次元(ジョンストン)  135
第四次元講話の読者のために(マニング)  151
【第三部】
ミンコフスキーの四次元世界(バード)  215
【第四部】
幾何学と経験(アインスタイン)  249


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