近時純文學、大衆文學――所謂大人の文學に就ては、種々論議され乍ら、少年文學は稍々もすると等閑に附され勝である。
少年文學こそ最も愼重に、眞劔に檢討されて然るべきであらう。こゝに政界、官界、文人及び編輯者についてその代表的意見を聽くことを得た。質問は左の要項によつた。
一、少年文學は現在の儘で良いでせうか。
一、これからの少年文學に就ての希望、抱負(自身執筆の御意圖の有無)。
次の日本を背負つて立つべき少年の心の糧である最も良き少年文學の生れ出んことを心より望み、識者のより強き關心を要求するものである。
科學小説出でよ
森下雨村
日本の少年少女雜誌――一般大衆雜誌も同樣であるが――が、こゝ數年來、外國のどこを搜しても類似のない躍進振りを示したと同樣に、月々その誌上に發表せられる少年少女の讀物も、外國のそれに比して決して遜色はないと思ふ。
が、たゞ一つ日本の少年讀物に欠けてゐるのは科學小説である。純然たる科學小説でなくとも科學知識を織り交ぜた程度の讀物もいゝのであるが、さう云つたものも見當らないやうである。今の少年讀者が科學小説を渇望してゐることは雜誌編輯者は十分承知してゐる筈で、にも關らずそれが現れないのは、つまり、その適任者がないからであらう。
我々の知る範圍では、海野十三君、もしくは寮佐吉君あたりが、この方面に手をつけてくれゝば、面白いものが出來はしないかと思ふ。科學小説は日本の少年文學の領土では確に一骨折つて見る價値のある仕事である。敢て兩君と限らず誰かこの方面に鍬を打ち込む新人は出ないものであらうか。『衆文』昭和9年10月号 10頁