北インドの中央「風の宮殿」でも知られるジャイプール近くの、赤茶色の丘。城壁に囲まれたアンベール城は、記憶のなかにそびえる城のように、確かにそこにあるのに、どこか希薄な砂の色をしている。金糸銀糸で美しく飾られ象が、城へ続く石畳の道を、観光客を乗せてだるそうに、ゆらりゆらりとのぼっていく。手足が長く、白い毛をした顔の黒い猿が、哲人のように、門柱のうえでじっと空を見あげている。城壁から一歩なかに入ると、過剰とも思えるほどのモザイクによる装飾が、壁を埋め尽くし、乾いた半砂漠の丘に、突然色が溢れかえる。
その一角に「銀河の間」はある。半球上の天井に、瓶の王冠をひとまわり大きくしたくらいの凸面の鏡がびっしりと埋めこまれている。案内人は、部屋がいっぱいになると、扉を閉める。そうすると、思ったよりずっと遮光がよくて、部屋は一瞬まったきの闇に包まれる。二十人も入ればいっぱいになってしまいそうな小さなドームが、まるでどこまでも深い底知れぬ闇のように感じられるから不思議だ。人々は、太古の闇に怯えた無力の人間のように、わずかの間、声もなくその闇に身を縮める。
案内人は、手に持った蝋燭に火を点じようとマッチを擦ると、小さな灯りが闇を照らす。底知れぬ闇が、さっきにままの小さなドームだと知って、人々は安堵の声を洩らす。案内人は、二本の蝋燭に火をつけ、それを両腕でもって動かす。優雅な踊りのように。すると、天上の鏡に反射して、光が流れる。なだれおちる銀河のように。
ハルモニアの巨晶ペグマタイトに産する鉱石で、ここ以外での発見例は未だ報告されていない。古い書物に、ハルモニアの雲母鉱山より発見されたことが記載され、この国に於いては、古くから宝石のひとつとして日常的に扱われてきたことが示されている。
等軸晶系で八面体の方向に割れる劈開がある。透明で、通常は暮れかかった青空の色。
地平線に近い太陽の光をしばらく浴びさせた後、目に当てると、角度によって、澄んだ空の青が、一瞬にして草原に燃えひろがった炎のような紅に変わる。
古くは「虹の隠れ家」「夢の眠るところ」とも呼ばれた。ハルモニア産のすべての雲母には、夢を吸収するという性質がある。このため、ハルモニアでは、良質の透明な雲母の産出量は、極めて少ない。透明度の高い雲母は、窓の明かり採りとして利用される。透明なものも、いずれは夢を吸収して濁ってしまうため、耐用年数が限られている。夢を吸収した雲母は「屑雲母」と呼ばれ、破棄されるが、このとき「雲母供養」の祭りをする習俗もある。
それは「言葉」を「言葉でないもの」に還元して記録し記憶する結晶鉱石で「記憶水晶」と呼ばれている。純水のごとく無色透明な水晶で、どんなに大量の記憶を蓄積しても、その透明度は変わらず、色がつくことも、草入りになることもない。ただし、真実の言葉しか記憶しない。
言葉を記録するためには、ただそれを胸にあてて唱えるだけでいい。
満月の夜の月明かりのなかに限って言葉を再生することができる。
再生するためには一定の儀式が必要である。まず、祈りの言葉で浄めた器に、水を汲むむ。その水を、月光の射す場所に晒す。すると、水が微かに青みががってくる。その水を額にぬって身を浄め、水晶を浸している水に手を浸す。
心に濁りのない者であれば、それだけで言葉が聴こえてくる。心に大きな濁りがあれば、たとえ水晶に手を触れても、なかなかその言葉を聴きとることはできない。
といっても「言葉」として聴こえてくるわけではない。それはむしろ、映像に近く、言葉以前のひとつの想念として浮かびあがってくるのだ。
寺院においては、その想念を再び言葉に還元する修行がなされ「満月の行」と呼ばれている。そのようにして再び記された言葉は、教典「水晶の書」として大切に寺院に保存されている。