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五十嵐 舞 課題9/古内旭作品1B【るりえの帰還】の読んで 2003年06月23日(月)13時03分32秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答


とても読み応えある作品だと思います。でも、所々語尾や文章がオカシイのかツマズクところがありますが、それはご本人が手直しすればいいところなのでここで指摘しません。
まず、全体通していうと男性から見た女性はこんな見方で見えているのかと感じたのが、るりえなどの女の子の表現だった。(やはり女性が書くとは違うかな、微妙に・・・)また、物語の重要な伏線やキーワードがいくつか引いている感じを受けた。例えば、鍵や振り子時計の音、象や踏切の置石の事件(特にこれは余暮と僕が飲み込まれたとする世界ではミカを死なす事件と関わりがあるのか)などが挙げられるなと私は思った(間違えでなければ…)。これがどれか欠けてもあの儀式の事件に行きつかないと思うし、この世界で起こる出来事はすべて色んな偶然や行動が重なりあって引き起こされるもの、そうなってしまうものだと考えるから、あの3人が巻き込まれるあの事件でさえも色んなキーワードや行動が重なり合わなければ起きなかったことだろうと思うし、これは物語だから故意に作り出されている伏線であることは判っているのにこれがなければ〜と思うところに、古内氏の巧さが出ているし、魅力だと思う。

作品の傾向としては、青春小説なのだろうと思うが、1人の女の子めぐる恋愛関係の駆け引きがあると同時に何が影を落としているのか解らないが少し薄気味悪いホラー的なタッチを感じさせるものがある。
内容で疑問があったのは、2ページの最後のほうの「僕はそんな空想をした。」という部分のある意味が解らないし、そんな空想って何を指すのでしょうか。また、主人公が作り出した作り話や妄想が実際に起きてしまっている時点で彼の周りの人間が異世界というか何かに巻き込まれているんじゃないかという疑問も残る。そして、あちらの世界でなぜか彼の周りでやたらと死人が出る展開にしたのは何故でしょうか、彼に違和感を出すため、その世界に留まらせる理由をなくすためでしょうか。

しかし、最後の展開を見て思ったことは本当はどちらが現実の世界か疑問を感じるが、どちらにしろ主人公にとって、るりえという存在がいる=認識される世界こそが彼にとっての現実の世界なのであることは間違えもなく言えることだろう。
個人的に気にいったのは世界を支える象の話は古代インドの世界観(宇宙)の表現が書かれていることでした。(昔のアニメにあったような…記憶が定かではないので自信がないが…)
あまり、批評というか感想になってしまってすいません。授業ではどんなことがでるのでしょうか、楽しみです。これからも頑張って投稿して下さい。

東條慎生 課題9/「るりえの帰還」―認識論的オカルトホラー(青春小説風味) 2003年06月23日(月)17時29分44秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

●作品
全体の構成を二部に分けることができるようです。
最初は、るりえを好きだった蓮田の元に余暮が現われ、その関係が次第に三角関係へと発展していく様を、「後日談への序章」からは、小学校を卒業した後からるりえを取り戻すために余暮と儀式の準備を行なう様が中心となり、結末となります。
古内さんの作品の特色は、恋愛小説にノイズを持ち込み、それによって奇怪さを強調するところにあると思うのですが、今回もやはり、「姫」の発展型という形でそれは通底しています。

序盤は、小学生であった三人の関係を描いていますが、語り口は冷め切っています。ここでは主に後半への伏線を張っているところでもあります。線路の置き石や、コンクリに埋めたカギなどがそれで、「ぞう」も象徴的に意味を持ちます。これらの伏線は伏線であると同時に反=伏線とでもいうようなものであることが後に明らかになります。

今作での作品構造の特徴的な点は、世界の認識という主題を小説世界において表現する際に、ふたつの世界を導入していることです。ただ、単にふたつの世界を往還するというようなものではなく、そこにはネジレがあり、繋がっているようでねじれていて、ねじれているようで繋がっているという、繋がり方の不可解さがあり、またそれこそが作品の主題でもあります。
(ごく最初の導入を除いて)助走であるとも言える前半部分では、世界のネジレは現前せず、三人の関係の描写に費やされていますが、前半結部の儀式の場面からネジレは始まっています。しかし、ここの場面はラストになってその意味を逆転させられてしまいます。
世界から消えたのは誰か。もうひとつの世界へ入ったのは誰か。これが逆転するのです。
通読した人なら、タイトルとサブタイトルの関係がここに現われていることに気づくでしょう。
「るりえの帰還」とは、るりえが帰ってくる、と理解されるのが普通ですが、サブタイトルは、るりえへの帰還という意味になります。

後半の展開は、ごく普通に物語が進んでいるように思えるのですが、最後まで読んだ後に読み返してみると、実は決定的な矛盾が存在することが分かります。後日談への序章以降の物語は、もうひとつの、それまで余暮と蓮田が存在しなかった世界で展開しているのですが、ここで蓮田と余暮は、小学校の時にコンクリに埋めたカギを発見します。普通に読んでいくとごく当たり前の、いわばご都合主義的な展開ですが、カギを埋めたのは元居た世界であってこの世界ではありません。また、置き石がミカを殺す事件がありますが、あれは明らかに蓮田の「置き石の不確かな効果」の章でなされた行動を反映しています。そのようにして別であるはずの世界はここで繋がりを示すのです。そして、登場人物達が、今いる世界に対して特に疑問を抱かないところが、この作品の特徴の一端でしょう。
これは作品の矛盾か。そうではなく、元々このような矛盾が矛盾でない奇妙さを示すためにこの作品の構造はあります。世界を移動したとして、自分自身ではそのことに気がつかないという現象です。存在した瞬間、ただちに世界はその人間が存在していた世界を作り出すのですから。われわれの世界は数多ある世界のうちの一つに過ぎず、気がつかないうちに平行世界に落ち込んだり、戻ったりしているのかも知れない。
この作品は認識論的なホラー小説、と言えるでしょう。われわれの認識の限界を描こうとしていると言えます。われわれを見下ろす、超越的な、メタ的な視点を持つのでなければ、そのことは証明できないのです。

結末はそれまでの二人の行動を嘲笑するような、少年少女の淡い恋愛場面で終ります。幸せそうな場面ですが、この背後には蓮田の裏切りがあるせいで、文字通り受け止めることはできません。また、蓮田は無事帰還したように見えますが、本当にそうであるのかは分かりません。そもそも、世界を移動する時には移動する人の意識(歴史)は保たれていたはずなのに(蓮田と余暮)、最後の場面では、蓮田は時間が戻っています(歴史の消失)。移動の仕方が非対称になっているのか、それとも、るりえのいる世界が基幹の世界であるということでしょうか。それとも作者の不用意なのか。

●感想
上にはだいたい分かった範囲で「るりえの帰還」の構造をまとめてみました。
以下はいくつかの批判感想質問になります。
まず、この作品の語りですが、おそらく全体を語っているのは二十過ぎの蓮田なのだと思いますが、その語り口と登場人物である蓮田少年の台詞や行動に違いがないように見えます。つまり、蓮田は今も昔も二十代の蓮田であるような等質感があるのです。台詞の硬さは、古内さん風のユーモアにも思えるのですが、作中に「小学校」と出るたびに何か違和感を感じます。なぜ、これが小学生の話でなくてはならないのか。それが一つの疑問です。
古内さんの語りでは、小学生を描くには不適当な気がするのです。現在によって過去を塗り込めてしまっているようにも見えます。それは作品の語りの仕掛けなのかも知れないのですが。
また、るりえが異世界に行ったのではなく、自分が異世界に来たのだ、と気づくのですが、なぜ、蓮田だけがそれに気づくことができたのか、ほとんど書かれていないですよね?
だから、最後の展開が唐突になってしまっていると思います。また、これは小説の構成を崩してしまうのではないですか? 異世界に入ってもそれを認識できないと言う前提があると思うのですが、唐突に蓮田がその前提に違反している。私の読みが間違っていなければ、ここは重大な欠陥になります。
世界観や小説の主題は何となく分かるのですが、以上のような部分から、それが鮮やかに焦点化されていないようにも思います。「姫」は長さのせいもありますが、奇妙なねじれを抱えた関係が中心にあることは了解できるのですが、「るりえの帰還」にはちょっとぼやけたところがあるような気がします。うまく言えないのですが、ふたつの世界を行き来する時の、時間の経ち方など、不思議な部分があります。蓮田が帰還すると、二十代後半の蓮田とるりえが付き合っているもしくは結婚しているという風にすると、一応蓮田の時間の経ち方は保持されるので、その点は一貫性を持たせられると思うのですが、どうでしょうか。
上記の感想と食い違いますが、蓮田が「たこやきはとてもいい」とか小学生の癖に妙に大人びた表現をするのが笑ってしまいます。前半の最後の部分「二人の男の生き方を狂わせるには十分だ」35Pとあって、「お前、小学生だろ!?」とつい突っ込みが。語っているのは二十代の男ですが、伊高博士のこれはないだろうというような喋り方など、飄々とした顔をしてボケをかましているみたいな気分になるところがあります。ただ、こういう部分は、ユーモアなのか単なるミスなのか判然としない部分でもあると思います。伊高博士のところだけ展開が変で、明らかに浮いていると感じるのです。

●形式
語りについてですが、この小説の全体は帰還直前の蓮田の回想であると思うのですが、その点はもうちょっと詰めてみても良いのではないでしょうか。なぜ、蓮田はここで回想しているのか。ということです。小説において、語りの問題は避けて通れないものですが、これを詰めておくと、全体の印象をより強めることが出来ると思うのです。
たとえば、漱石の「こころ」では後半は全部「先生」の遺書という形式になっています。それを「私」に向かって書いているという部分が「こころ」にあっては特に重要です。論理を全部端折って言えば、「こころ」が強烈な印象をのこすのは、「先生」の話が「私」に宛てた「遺書」だからです。「私」と「先生」との関係や、血という言葉を意識して読むとそうだと思います。じっさい、漱石の構想では遺書を受け取った後の「私」の行動を書く予定だったということです。漱石の意識は「先生」と「私」の関係にあったはずです。

今はその話はおいておいて、形式はすなわち中身であり、中身はすなわち形式を規定するのだと思うのです。先生の「ノスタルギガンテス」がなぜ一人称でなければならないか。それは作品の主題と不可分です。それは私が書いた感想で少し触れています。
「るりえの帰還」でも、回想という形式をもっと生かすことが出来るように思えます。そもそも、今作には私の認識と他人の認識との相違という観点があり、蓮田と余暮はその点で食い違っている部分があります。そこにこの回想を手記なりの形で小説のなかに嵌め込んでみれば、(余暮への置き手紙として、とか)何か面白いことが出来るのではないかと思います。

東條慎生 課題9/評論代表より 2003年06月23日(月)17時37分20秒

今回の合評では、「るりえの帰還」の感想や批評だけでなくある程度の長さを持った作品の「構成」についても議題にしたいと思っています。
プロットを立てる際に注意しなければならないことや、全体のバランスについてや、語り方の問題などなど、提言や、気づいたところなどを書いて欲しいと思います。
せっかくこれだけの長さですので、私としては作品の合評以外に一回分まるまる使って、長篇を書く場合の参考例の討議をしたいと思っています。

なお、レジュメに投稿を反映させる場合は、水曜の夕方くらいまでに投稿するようにしてください。それ以降になるとちょっとむずかしくなります。

瓜屋香織 課題9/るりえの帰還を読んで 2003年06月25日(水)15時01分32秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

最初、作品を読むときに枚数が多くて大変そうだなと、正直思ったのですが、読み進めているうちにとまらなくなって一気に読んでしまいました。
内容では、小学生の場面で、会話や気持ちが小学生らしくなくて、少し違和感を覚えました。
小学生なら、もっと無邪気でガキな気がしました。余暮にしても、蓮田にしても、るりえにしても小学生なのに、どこか大人びているように、私には感じられました。
そのくらいの子の好きっていう気持ちって、気になるとか、この気持ちは好きってことなのか本人すら気付いていないような幼いもののような気が私にはするのです。だから違和感を感じたのです。頭のいい学校に通う生徒は、心まで大人っぽくなるものなのか?と思いました。
あと、個人的に疑問だったのは、るりえは果たして、余暮と蓮田どっちが好きだったんだろうということです。最終的には、蓮田はるりえのいる世界に戻ってきて、余暮は戻ってこれないわけだから、るりえは、余暮を選べないですよね?そこらへんはどうなんだろうとおもったのです。るりえが好きだ好きだと言っている割には、るりえの事を考えているわけではなく、るりえが好きな自分を、二人とも見ているような気がしました。まあ、恋愛なんてそんなものなのかもしれないけれど。よく女は男の外見よりも内面重視で、男は女の外見から好きになるといったことが言われているけどそれがよくわかる話だなあ、と思いました。

室橋あや 課題9/るりえの帰還批評。 2003年06月25日(水)16時10分57秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

るりえがエロかったです。
水泳のシーンとか、真っ白な太股とか、アンバランスな可愛さとか、読んでいて思わず苦笑いをしてしまいました。しかも頭が良くて可愛いとはそういうことだ〜みたいな文があったと思うんですが、これは本当にツボに入りました。しかし女の子から見たらるりえは嫌な女になっていたに違い在りません。余暮君の気障っぷりにも笑ってしまい、正直に言うとシリアスに読み込むことができませんでした。
ホラーなのか小学生の怖い話にしては恐怖の対象がリアルすぎるし、大人の読み物にしては若々しい衝動があるように思ったのですが、対象年齢は何歳くらいなんでしょう?
異世界と現実世界(なのか?)にはいくつか時間のゆがみがあるみたいなんですが、るりえのセリフで余暮と蓮田が似ていると言っているところがあって、これは線路に置いた石と同じで二人は元は同じ存在で次元を越えて出会ったのかと考えたりもしました。
それと”ぞう”は結局何を支えていたのでしょうか。具体的な変化がよく分からなかったので・・。
全体の流れとしては、最初の蓮田の想像はあまり必要ない気がします。それよりもオチに向けてすっきり進んで行ったほうが読みやすいんじゃないかと思いました。るりえとのシーンが長いことで、るりえの存在が際だっているのかと思いきや、途中に通り過ぎていく女の子達とのエピソードの方が短くまとまっていて悲劇的で感情移入しやすく、顔もなんとなく想像することができたので、そちらの方が私は印象に残りました。

個人的に、友達にするなら「姫」で、
結婚するなら「るりえ」がいいです。
やっぱり姫の方がとても楽しく読めたかなと・・・・

滝 夏海 課題9/「るりえの帰還」の批評 2003年06月25日(水)18時23分53秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

設定自体は面白いが物語としていまいちぴんと来ない、というのが一番初めに読んだ時の感想でした。それはリアルに感じさせる部分よりも、違和感(それも話の筋以外での)が目立ってしまうからではないかと思います。

まずみんなが書いているように、主人公達が年齢以上に大人び過ぎている点。
彼らが大人びている、ということをもし使う必要があるのならば、もっと彼ら以外の登場人物を出してきて際だたせなければなりません。彼らの中の誰かが大人びている、のならばその人物以外は年相応の(と読み手が思う)考え方や言葉遣いになるでしょう。

他に言葉遣いについて言うなら、地の文が回想している蓮田と当時の蓮田が混ざっているように思えるのですが。混ぜるなら混ぜるで、言葉遣いの違いをはっきりさせて書かないと年齢差が消えてしまうし、そうでなければ徹底的に回想の形を取った方がすっきりします。

回想の仕方も気になります。
この話の2/3は回想シーンで、しかもそのほとんどが小学校時代です。その後にざーっと残りの年数を埋めるような話が入り、走るようにして今の話が入り、締めが来ます。その所為でしょうか、私だけかもしれませんが夢落ちの物語を読んだような気になってしまいました。

そして何より気になったのが、話の流れと場面転換でした。
空想 → 今 → 小学校時代 → その後 → 今、となっていますが始めが飛びすぎです。いっそのこと流れを作らずにきっぱりと2〜3のパートに分けてしまってもいいのでは。


最後に付け足しですが、クラリネットを吹くシーンがやたらとリアルで笑えました。
そうなんだよ親指痛いんだよねぇ、と。

杉井武作 課題9/るりえの帰還感想 2003年06月26日(木)04時03分10秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

とても面白かったです。
必然性のないディティールが多く書き込まれているのが好みの分かれるところだと思いますが、僕はそれがこの作品の一番の魅力だと思うのです。
語り手の視点が「普段誰もが感じていることだけど、改めて描かれるとはっとする」というものであるところに魅力と才能を感じます。誰もが書けるものではありません。作者が楽しみながら書いているように見えますし、読んでいるほうも楽しい。古内さん的な「日々のかけら」であり、冷めているけど確実に現実への愛着が伝わってくる、氷の中で燃える炎のような魅力を感じます。
しかし、物語の全体の世界観は、むしろ現実に縛られすぎているような気がしました。
構成はとてもよくできていると思うのですが、長いものを読むのを僕が苦手なためか、あまりストーリーの展開自体に魅力は感じませんでした。作品になるレベルに物語を構築する能力はとてもあると思いますが、既成の話から外れていない、ミーハー的B級っぽさが、悪い意味で出てしまっているように感じます。
神話や魔術的なものを使っていますが、「好きなもの」をそのまま使用するよりも、振り返ってどこが好きなのかを発見して、古内さんにしかない世界観へと昇華させてみてはどうでしょうか。
古内さんの文体には人を引き込ませる力があると思います。この力強いリアリティーのなかに、すごく非現実的な世界観をぽんと投げ入れれば、一段と光るのではないかと思います。
セリフのしらじらしさなどは、意図的ならばすごくいいセンスをしていると思います。こういう意味でのB級っぽさは、読者がユーモアととれるようにすれば光ると思います。
世界観も文体も、B級といってしまえば聞こえが悪いですが、「現実やありきたりのものをどこか冷めた目で客観視しつつもそれを楽しんでいる」というのが、古内さんの小説の味であるような気がします。その能力をよく見つめて、古内さんにしかない世界へとジャンプできたらいいような気がします。



―放出論的オカルトオラー―
るりえの器姦

 四谷さんは丁寧に持ち方から教えてくれたが、親指への負担も大きかったし、ちょっと力を抜くとイッてしまいそうだった。何とか持てるようになると、次はアレの入れ方だったが、四谷さんは僕の隣にくっついて、「いや、そうじゃなくて」とか「こうなんだってば」とか言いながらあれこれと教えてくれた。
「そう、下唇をね、こう奥の方に………、あ、噛んじゃだめ。………うん、そう……アッソコ違う!ア〜ア〜ダメダメェ!もぉ堪忍して〜」
 時々、四谷さんの膣が僕のアレに触れた。それで僕は妙にどきどきしてしまった。渡り廊下には僕たちの他に誰もいなかった。開け放した窓からはぬるい風が吹き込んできた。長い髪が揺れると、スルメの匂いが漂った。
 ようやく汐が吹くようになると、「スゴイ!スゴイ!」と四谷さんは大きな声でイッてくれた。四谷さんは蕾閉じると細い襞がなくなってただの線になってしまうが、僕はそれは可愛らしいと思っていた。


なんだかよくわからんです。

圓山絵美奈 課題9/るりえの帰還 2003年07月01日(火)14時43分33秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

おもしろかったです。皆さんも言っていましたが、
ぐんぐん読んでしまう不思議な魅力を持っていると思います。
すごく書きなれているんだなあという印象を受けました。
ただどうしてもるりえ達が小学生というのに違和感を
感じます。せめて中学生くらいの設定にするのはどうでしょうか?
それと小学生時代の話はすごくよかったのですが、
その分それ以降の後半がちょっと弱いというか、起きてる出来事は
すごい事だったりするのに、なにかひっかかるかんじがします。
たぶん小学生時代はすごく詳しく長く書いているのに、
後半はページがないから短くまとめちゃえというかんじと言うか・・。
前半が強い分、後半がどうしても弱く感じるんです。
あとは、はっとさせられる仕掛けみたいなものがうまいと
思いました。「違うんだ」「そういうことだったのか」
みたいな事がよくあってうまくできてるなあと。
ただその分ぶつっと文章がきれているというか、文章のつなぎを
うまくできたらもっといいんじゃないかなあと思いました。

管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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