和光大学表現学部表現文化学科専門科目 物語の作法(2004年度) 露木悠太 作品3/ラジカル・ラジオ   『ラジカル・ラジオ』  ダッシュ! 縺れそうになる足を前へ!前へ! バタバタと音を立てて風をくらう釦のはずれた半袖のシャツは、サーキットを猛スピードで走り抜けるフォーミュラーカーに取り付けられたリアウィングのようだ。今よりももっと空力学が発達したならば、きっと僕の形を真似るだろう。背中にずっしりと伝わる重み、肩にかけたナイロン地のソフトケースを暴れないように片手で押さえながら、誰もいない海岸沿いの道を走った。  ジャンプ! して右足から飛び乗った防波堤。テトラポッドを越えて海。そこで僕は背中のケースを下ろした。「ジィィィィッ」とジッパーを一気に下げて、開いた隙間から見えた光沢のあるボディ。僕はそいつを胸に抱き、ポケットからピック代わりの十円玉を取り出した。  〈…ジャァァーン!!〉  う、う、う…「うおおおおっ!」と空へ一人歓声を上げた僕。  チューニングされていないために不協和音だらけで、鉄弦の錆がざらつくギター。サンバーストカラーのストラトキャスターだ。  もちろん、ソリッドボディのエレキギターは電気によって音を増幅させるものである。なのでその音色はか細く、とても頼りないものだった。しかし、それでも僕の胸の奥にある、バイオリンのようにfの形をした穴は、その振動を深く隅々まで満たした。それで僕はたまらず思い出したように、 「…ロンドンコーリンッ、イェー、ァィワズ、ゼアートゥー…」  と大好きな『ロンドン・コーリング yeah 俺もそこにいたのさ』という意味(たぶん)の歌を口ずさんだ。この曲を作った、死んでしまったザ・クラッシュのギターヴォーカル、ジョー・ストラマーも初めてエレキギターを手にした時には、喜びに震えたのだろうか、コインでギターをかき鳴らしたのだろうか。  〈ジャカジャーン!!〉と調子のはずれたCのコードを鳴らして、どこまでも続く観客のような海を相手に、もう一度口ずさんだ。 「ロンドンコーリンッ、イェー、ィワズ、ゼアートゥッ!」  やっと高校生になって、十六歳になったばかりの僕が初めてやったバイト、それは引越屋だった。この仕事が生まれて初めての労働なら、これから先これよりツライ仕事なんてないんじゃないかって思うほど大変だった。それでも僕はやっとの思いで一月を乗り切り、土日をフルに使った甲斐あって、財産62800円という超金持ちになったのだった。そして今日、七月の第一週の月曜日、学校帰りにダッシュして、この町で唯一中古を扱っている楽器屋『ワシオ楽器店』に飛び込んだのだ。しかし困った事が起きた。僕はどのギターを買うかまだ決められずにいたのだ。だが、そこで店主で店員の口ひげに白髪の混じったワシオさんは言った。それは、「『キュワァ〜ン』ならやっぱストラトだよ。シングルコイルの王様だね」というよくわからんしうさんくさいアドバイスだったが、僕はまさに『キュワ〜ン』がやりたかったのでそれに決めた。『王様』という響きも気に入った。ちなみに迷ったものが他に二、三あったがどれもフェンダー、ジャパン社製! …アメリカ製のものは高くて買えなかったのである。38000円のエレキギターに4000円の15Wのミニアンプ、に付属のシールドケーブル。…42000! 一気に僕は財産20000程度のちょい金持ちに成り下がった。だけれどそれでも僕の胸の高鳴りは止まなかった。なぜなら僕はもう今までの僕とは違う。言ってしまえばそう、『ムテキ』だ! 「俺ん時は、『クラッシュもラモーンズもピストルズもプレシジョンベースだよ』とか言って、あのおっさん、結局店にあるもので間に合わせようとしてごまかしてるだけなんだよな」  と前の席から半身でこっちを向いて、小声で言ったのは同じくフェンダージャパンの白黒プレシジョンベースを所有するバンドメンバー、『大橋』だ。そう、僕は十六歳にしてバンドをやっている。…てまだ二人しかいないけど。 「まあ、そんなことはどうでもいいよ。これでやっとあのおんぼろアコギとオサラバできるんだから」  大橋には言っていないが、そのおんぼろのアコースティックギターというのは、うちの母ちゃんが大学を卒業する時にフォークソング部から記念に頂いた、というか強引に持ってきたというものすごく年季の入ったものだ。もちろん僕が生まれる前から家にある。今までは暇さえあればそれでずっと練習していたのだ。何十年も前に作られたヴィンテージギターがものすごい高値で取引されるという昨今、僕には全く興味の湧かない話だった。 「これでスタジオなんかにも行けるな」  『スタジオ』、なんてミュージシャンぽい響きだろう。ああ、僕はミュージシャンになるんだ。 「ああ、バッチリだ」 「じゃあ今日はまず中原ん家で練習だな」 「おう、アンプも買ったしな!」  『中原』というのは僕の苗字で、下は『宗一』である。そんなことはどうでもいいが、さっきからせっせと日本史の年表を黒板に並べているこの授業の方がどうでもいい。  ずれた眼鏡を直しながら、チョークを黒板にぶつける教師。それを尻目にあくびしかけた僕と大橋の椅子の背もたれの間に、乳白色のカーテンが飛び込んできた。窓際の席から見渡す校庭とその先の家々は、時が止まってしまったかのように平和だ。僕は何だか落ち着かなくなって、どこからか聞こえる蝉時雨に耳を委ねた。  『キュワ〜ン』という音の根拠は、これの事に違いない。ボディの端っこで弦を乗っけているブリッジサドルの脇に取り付けられたトレモロアーム。こいつを持ち上げることによって生まれる『…ゥワ〜ン』という不安定な伸びの音色。チョーキングよりも長くも、短くも揺れるサステイン。ああ、頭がクラクラする。『不安定』…、そうなのだ、ロックとは不安定なのだ。いや、不安定というより、開放なのだ。自分自身を取り囲んでいる枠を消してしまうことなのだ。つまり、安定とはアンチな関係なのだ。 「何を目ぇ閉じてギターに酔ってんだよ。気持ち悪い奴だな」  僕はすっかりスポットライトの当てられたステージの上に立っているつもりだった。目を開ければ姉の部屋とふすま一枚で隔てられた、いつもの僕の部屋に大橋がいる。そう、いつもとなんら変わりない。 「…すまん大橋、何からやる?」 「そうだな、じゃあピストルズでもやるか」 「オーケイ」  「アーイ・アム・アン…」で始まるパンクのスーパースタンダードを、僕は恥ずかしげもなく歌い始めた。大規模なデモさえ滅多に起きないこの国で、『俺はアナーキーだ』なんて言っても何者にもなれはしない。もともと何者でもないのだから。つまり僕らは、ただ圧倒的にバカだった。「…デストローイ!」という最後の歌詞もただの勢いまかせ、何を壊すんだか…わからないままに。 「フェスもそろそろだし、気合入れねーとな」  大橋の言う『フェス』とは、この夏に市民会館で行われる『高校生バンドフェスティバル』のことだ。募集要項は『代表者が市内の高校生であること』、それだけだった。去年出場していた先輩いわく、「文化祭でやるのと大して変わんねーよ」とのこと。しかし僕らのやる気は止まることを知らず、とにかく気分が高揚していた。なぜならそのフェスティバルの延長に、きっとフジロックや、サマーソニックや、果てはウッドストックのようなものがあると信じて疑わなかったからだ。 「もっと練習しないとな」 「俺たちの欠点は何と言ってもやっぱ、『経験』とか、『場数』だよな」 「…そうだな」  そう、僕らはライブなんてものはやったことがない。というか行ったこともない。部屋にこもってヘッドホンをして、『NO FUTURE』や『D.O.A』に代表されるパンクスのドキュメンタリーフィルムを何度も何度も繰り返し見る。それだけだった。 「何か良い方法、ねーかなぁ?」  う〜ん。何か良い方法…ないかな? 「宗一ぃ〜!」  階段の下から母ちゃんの声。 「バウムクーヘンあるけどー!」  …だから何だよ…?  というわけで僕らは週末の夕方、それぞれ楽器を持ってチャリンコ漕いで駅前に来た。15Wのミニアンプには乾電池が詰まっている。 「緊張するな」 「…ああ」  ストリートデビューだ。僕たちは今日、初めて人前で歌う。  ぐるっと丸い小さな広場のような形になっている北口、幾人かがギターを抱えて地べたに座り込んでいるそのメインステージを僕らは避けて、駅の反対側、南口のベンチに荷物を下ろした。北口よりは少ないが、目の前を歩く人がちらほら。 「やっぱけっこういるもんだな、ストリートミュージシャン」 「な、でもさすがにアンプ使ってる奴はいなかったな」  そうなんだよな、やっぱエレキギターはまずいかな? …騒音とか。でもそのへんの奴らと一緒にされるわけにはいかない。ノスタルジーなフォークソングじゃ、世界は何も変わらない。僕はそう信じていた。差別化を図らなければならない、ロックを軽々しく扱われないために。警察なんて目じゃないぜ。  〈カキィーン〉とベンチで音叉を叩いて口にくわえ、簡単にチューニングした後、シールドをアンプからギターのジャックに差し込んだ。ストラップを肩にかけ、ぐっ、ぐっ…と合わせた両手の指を反らせて、ふぅっと小さく息を吐いた。 「やるか」 「ああ、最初は軽めに」  といってほんの少し迷った末ボリューム控えめにし、ノイズだらけのアンプをONにした。ラモーンズの『シーナ・イズ・ア・パンクロッカー』。なんのアレンジもなしに簡単なコードを繰り返し弾いて、下手くそなカタカナ英語で歌った。 「シーナ…イズ…」  僕の歌声はちょっと変だ。マイクの無いストリートで声を張り上げて歌うと、その特徴が自分でもかなり自覚できる。声量はもともとある方だと思うが、音域は狭いし裏声なんてもちろん使えない。だがそのせいもあって、声に『かすれ』が出るようになった。中域からテンションの高い声を送り出すことができるのだ。ただしそれは、弱点でもある。比率で言えば、マイナスに作用する面の方が多いのかもしれない。でも僕はこの声を気に入っている。きっとこれが、僕の才能だと思うから。 「いいじゃん、今日ノッてるよ」  曲を終えて大橋が言った。まるでレコーディングに向かうアーティストに声をかけるプロデューサーみたいだ。それがおかしくて「プッ」と少し笑った。しかし、 「サンキュ」  と気を良くした僕は、「クラッシュやろうぜ」と言った。  〈ジャララ……ジャッジャッ…〉とゆっくりとしたカッティングのイントロから入って、〈キュゥィ〜ン〉とさっそくアームでアドリブをかました。エリック・クラプトンのように音楽に身を委ね、体を反らせて。 「ダーリン、ユー、ガッタ、レットミー、ノウ…」  …ウっ! 歌いだしで目を開いたところに、ものすごい眼力のある女の子が座っていた。道行く殆どの人が見向きもせず通り過ぎていくなかで、その子だけがぺたんとアスファルトに座り込んでいる。一体いつの間に来たんだ。 「…シュッドァイ、ステイ、オア、シュッドァイ、ゴー」  なんだか時代遅れのロコな柄のワンピースを着て両脇に荷物たくさん、日に焼けて野生的な、どこでもリゾート感覚、風な女の子だ。おそろしくまつ毛の固まった、ぼろぼろと崩れてしまいそうなその目で、食い入るように熱い眼差しをこっちに向けている。 「イフ、ュー、セイ、ザッチュア、マァ〜ィン」  僕は間違えないように、『リラックス』と心で言った。…う〜ん、どうしたもんか。どう見てもロックやパンク好きには見えないんだけどな。 「…アイル、ビー、ヒァ、ディ、エンド、オブ、タイム」  いや、しかし彼女もたった一人何か思うところがあって僕らの演奏を聴いてくれているのだ。真剣に歌わねば…! なんせ僕達は世界を変えるのだから、ひとの心を揺り動かすことをするのだから。 「ソー、ユー、ガッタ、レッミー、ノ〜ゥ…」 〈パラピラリラピ〜♪〉  ちょうど歌の合間ですっとんきょうなデジタル音が鳴った。何をするにも不便そうなつけ爪で、女の子が折りたたみ式の携帯を開く。 「もしもし、まだ〜? …うん、もう駅だよ。…うん、なんか南口でメロコアのバンド見てる、…ん? うん、けっこうイイ線いってると思うよ〜」  メロコアじゃねーよ、パンクだよ。せめてメロディックパンクだろ。 「…え? う〜ん、そうだなぁ。…でも〜、ちょっとタイプかも、ちょっとだけね。…うん、まぁそうだけどぉ〜。カラオケ?…うん、うん、う〜ん。…わかった、曲が終わったら誘ってみる。うん…」  カラオケ? なんのこっちゃ。キラキラシールの沢山貼ってあるその携帯を見ながら、僕はなんとも言えない表情で続けて、サビの前の一節、 「…シュッド、ァイ、ステイ、オア、シュッド、ァイ、ゴー」  『教えてくれよ。オレ、居るべきか、行くべきか…』、大橋を見ながら、そう歌った。…ああ、できればここから逃げだしたい。夕日に照らされた目の前の女の子は、ほんとはそのディティールに及ぶまでツッコミ倒したいけれど、その前に言葉が通じるか不安だ。  1969年ね。 「69年の音楽というものを君たちにも感じさせてあげたかったな」  ビートルズはすごい。ストーンズもすごい。けれどその時代に戻りたいなんて思いを抱かせてしまうところが罪だ。 「おっちゃんはヒッピーだったのかい?」  ベースのネックをクロスで拭きながら大橋が言った。 「う〜ん、そうだな…どちらかといえばフーテンてやつかな」 「…ふうん」  リゾート中の女の子にビーチまでの道のりを身振り手振り教えて(ウソ)、どれくらい経ったか。日もすっかり暮れた中、ビートルズの『ゲット・バック』をやり終えた時、スーツに横分けの、おそらく会社帰りのおっさんが拍手をしながら声をかけてきた。  69年は伝説である。でも69年は69年だ。僕らには僕らの時代がある。 「ウッドストックがこないだペプシをスポンサーにして復活しただろう? ありゃダメだね。あんなのウッドストックじゃないよ、泥遊びもいいとこだ。いいかい? あんなのをロックの祭典だと思っちゃいけないよ」  わかってるよ。みんな昔の映像をもとに、泥をかけあったり、裸になったり、フェンスをぶち壊しただけだ。あんなの見たくなかった。 「こう見えてもね、昔は腰のあたりまで伸ばしてたんだよ、髪の毛」  想像できない。ただの白髪まじりの七三だ。 「おじさんもバンドやってたの?」  と僕が聞いてみた。 「もちろんやってたさ。ロックにジャズにグループサウンズ、もともとはブルースが好きだったんだけどね」 「…へぇ、楽器は?」 「ギターだよ。あの頃はまだ高くてねぇ、でも私は運よく親戚から譲り受けたんだ。モズライト、懐かしいな。今じゃ誰も使ってないね」 「ラモーンズが使ってたよ、それにカート・コバーンも昔の写真で使ってるの見た。本物かどうか知らないけど」 「へぇ、それは誰だい? 有名な人?」 「…おじさん最近のはあんまり聴かないの?」 「そうだな、もうずいぶんレコードなんて買ってないよ」 「…ふぅん」  なぜかな? いつからか大人が敵になったのは。 「最近のはどうもうるさくてね、ダメなんだ。大体みんな下手くそだろう? 私たちの時代じゃありえないね。ものすごく上手くなきゃ絶対レコードなんか出せなかったんだ」  と得意げに語る。なんか段々めんどくさくなってきた。 「バズコックスは? 知らない?」 「誰だい?」 「世界で初めてインディーズでレコード出したバンド」 「…へぇ」 「つまりさ、テレビのランキングなんか見てる奴は鼻クソだよ。今はね、いいものは自分で探さなきゃ絶対見つからないんだ。そしていいものを見極める目を持たなきゃね」 「…へぇ、大変だね」 「そんなこと言ったって、それが僕らの時代だからね」  というかその大変な時代にしたのは一体誰だ。と僕は言わなかった。 「宗一」 「何? 父ちゃん」 「お前、ずいぶんギターに夢中だな。ミュージシャンにでもなるのか?」 「ん? ああ、そのつもり」 「…そうか、がんばれよ」 「ああ」 「ばっかじゃない、なれるわけないじゃない」 「…うるせーよ」 「あんたねぇ、毎日毎日、隣の部屋にいる人のことも少しは考えてよね」  大体ねーちゃんときたらいつもああだ。僕のやることなすこと全部否定する。お前には夢も希望も無いのか? まったく腹立つぜ。  ああ、そんなことよりも曲を作らねば。バンドフェスティバルで最低でも一曲くらいはオリジナルをやりたい。僕はヘッドホンを装着して、アンプの電源を入れた。 〈…ブゥ…ウン〉  メジャーかな?…マイナーかな?…分数コードかな?…う〜ん…何かどっかで聞いたことあるような、…D…F…G…D…、うん、ロックだな。…F…D7…G7…C7…、う〜ん、ブルージー。…『ケーデンス』って何だ?  しかしどのフレットから弾いても結局、耳障りの良い誰かの曲になってしまう。才能無いのかな、僕。…いやいや、修行が足りないだけだ。 〈ジャァァァン!!〉  僕はイライラしていた。だからサポートでドラムスに入ってくれる吉野君が来ても、「練習を始めよう」となかなか言い出せないでいた。 「中原、どうした? 早くセッティングしろよ。吉野も待ってるぞ」  練習スタジオに入り始めて二日目、大橋が彼と同じ中学出身で隣町の高校に通う『吉野君』を連れてきた。小学生の頃からジャズ好きの父親に連れられて、スタジオでドラムを叩いていたとのこと。僕らとはレベルが違う。体格も良いし、センスも抜群だ。一緒にやってくれるだけでもありがたい。 「…ごめんな、歌詞はなんとなくできてるんだけどさ、曲がなかなかできないんだ。なんでだろうな、遊びで作ったりするぶんには五分もありゃできちゃうのに」 「いいって、いいって。気にすんなよ、俺もベースラインで適当に作ってるから。まあ、いざとなったらコードだけ言ってくれれば本番はルートでやるよ」 「わりい大橋、ごめんな吉野君」 「いいよ中原君、僕は楽しくやりたいだけだからさ」  と大柄で人の良さそうな吉野君に言われるまま、退室ランプが光るまで、結局今日もコピーばかりを練習した。僕は少しばかり気をつかって、大橋の好きなベイ・シティ・ローラーズをいつもより多くリクエストした。 「…タデナ〜イ、サタデナ〜イ…」  残り五日、バンドフェスティバルはついに今週末の土曜日にせまっていた。 「大橋君たち、ライブやるんだって?」  と彼に声をかけてきたのは、クラスメートの水森さんだ。クラス一の美人、いや、僕はうちの高校一の美人だと思ってる。まるでフランスの街角を歩くパリジェンヌのような女の子だ。もちろんパリジェンヌなんて見たこともないけど。 「うん、土曜日にやるんだ。良かったら水森も来てよ」  大橋はモテる。まぁ確かに端正な顔立ちをしてるし、僕なんかより背も高い。 「絶対行くよー」 「ほんと? ありがとう」  ああ、水森さん、君はなんて美しいんだ。そのモデルばりの長い手足、高いんだか低いんだかよくわかんない声。パーフェクトだよ。ああ、さっそうと歩き去る姿も美人だ。その背中にはきっと白い羽がよく似合う。プリッツのプレーン味なんかもいいだろう。 「…おい、中原…、…中原、…中原!」 「えあ? …ああ、大橋。お前だったら許せるかもしれない、いや、許せないかもしれない。わかんないけど信用はしてる。…水森さんを」 「何わけわかんねーこと言ってんだよ。お前、ほんと変な奴だな。早く歌詞、見せてみろよ」 「ん? ああ、これこれ…」  と言って僕は鞄から表紙に『詩ノート』とでっかく角マジックで書かれた大学ノートを取り出した。その3ページ目、 ――――― 【プラグド】   by中原 宗一 強烈な電気を捧ぐ、脳のシグナルへ直接つなぐ 氾濫せよ、反乱せよ! 絶縁体の壁を突き破れ 感銘を信号に変えて送る 応答せよ、応答せよ! 有能なる君の決断は、目を閉じ、耳を塞ぐことだった 崇高なる君の思いは、まだ大事にとってあるんだろ? 雷同するな旅人よ 雷光のもと、夜明け前に走り出せ 辛らつな言葉を捧ぐ、求めていた言葉を言ってやる 氾濫せよ、反乱せよ! 胸が痛むのなら 応答せよ、応答せよ! アンテナ錆びちゃいないだろ? エレキ飛ばすぜ… ――――― 「どう?」 「いいじゃん、ロックだよ!」  やっぱり僕らは圧倒的にバカなのかもしれない。でも僕らにはメッセージがある。誰かに向けて、もちろん自分に向けて。 「やばいよワシオさん、僕、緊張してきた」 「俺も…」  学校帰りにライブ用の長いシールドケーブルを買いにワシオ楽器店に来た僕らは、間近にせまったバンドフェスティバルのプレッシャーに押し潰されそうになっていた。水森さんも来るって言うし…。 「大丈夫だって、若いうちはたくさん恥かいといた方がいいんだぞ」 「そんなこと言ったって、進んで恥はかきたくないよ」 「まぁ、それもそうだよな。…確かに」  『そうだよな』って、納得しちゃうのかよ。なんかもっと落ち着かせてくれるようなこと言ってくれよ。大人だろ? 「でもさ、いいな…若いって。青春だなぁ」 「ワシオさん、『青春』ってなに?」 「…う〜ん、なんだろうなぁ」  なんだよそれ、わけわかんないおっさんだな。 「ま、いっか。なるようになれだよ! 今から緊張したってしょうがねぇもん。そこのワゴンに入ってる安いシールドください」  『なるようになれ』、大橋は切羽詰るとそう言う。けれど僕は言わない。なるようにしかならない事なんて、そう滅多に無いんじゃない? そう思うからだ。 「ワシオさんこれは? 何?」  中古のエフェクターのコーナーで、一つだけはみ出して置かれたオレンジ色のコンパクトエフェクターを指差して言った。 「ああ、それね。BOSSの『ターボディストーション』、通称『DS-2』って言うんだけど、フットスイッチでエフェクトをONにしてもね、ランプが点灯しないんだ。まぁ普通に使う分には何も支障はないんだけどね、やっぱり売り物としてはまずいかなと思ってさっきそこによけといたんだ」 「…ふぅん、どんな音?」 「まぁ、ハードロックとか、グランジ向けかな? 良かったら試してみなよ、そこのギター使っていいから」 「うん!」  ギターからエフェクター、エフェクターからアンプ、シールドをつないでDS-2のフットスイッチを強く踏み込んだ。 〈ギャウゥゥゥゥゥン!!〉  なんてこったい。僕が求めていたのは間違いなくこれだ。そうか、マルチエフェクターは高いから今まで手が出なかったけど、中古のコンパクトエフェクターくらいならいけそうだ。何で今まで気付かなかったんだ、バカ! 「ワシオさんこれ売って! 安くしてくれんでしょ?」 「お、気に入ったのかい?」 「大橋、オリジナルの曲できたぞ!」  ついにこの日が来た。『第7回、高校生バンドフェスティバル』。僕は歴代の市長たちが音楽を好きでいてくれたことに感謝する。全13バンド中(内一組棄権)8番手、『ラジカル・ラジオ』、それが僕らのバンド名だ。『過激、急進的、電波放送』、この嘘だらけの惑星を暴いてやる。それが信念だ。よく聞けよお前ら、世界は完璧なんかじゃないし、それにはほど遠い。騙されるな、従うな、間違っているものを正しいと思うな、感じるな。  なんて意気込んで来たものの、会場は実に穏やかな陽気で、どこもかしこも和やかさに包まれていた。当然といえば当然だ、市の力を借りて市民会館でやるフェスティバルなんてローカリズムの骨頂だし、それを見に来る者もほぼ身内、ほぼ内輪ノリだ。 「忘れもん無いか? ちゃんと酸素入りの水持ってきたか?」 「やっべ、ピック足りるかな…」 「大丈夫だよ大橋。ほら、スティックあるから。とりあえずこれさえありゃ平気だよ。中原君も、ピックなんか一枚ありゃ十分だよ」  それでも僕と大橋は完全に舞い上がっていた。唯一、父親やその仲間とジャズバーや小さなライブハウスでの演奏をすでに経験していた吉野君だけが堂々と自身に満ちて、歩きながら太ももにスティックを叩きつけてリズムを刻んでいた。 「ああ、錆びるより燃え尽きたい。錆びるより燃え尽きたい…」  僕はそうやってわけわかんない言葉を呟いて(ニール・ヤングだったと思う)、足早に控え室へ向かった。  ふん、馴れ合いはごめんだぜ。『談話室』と書かれた控え室で、僕らは他のバンド達と出番を待った。大橋は兄貴のエンジニアブーツとスタッズベルトを借りてきて、ブラックジーンズにセックスピストルズのTシャツでキメている。吉野君はいつもと変わりなく、ちょっとおっさんくさいハーフパンツにボタンシャツという出で立ちだ。僕はといえば、迷った末に結局、クラッシュのTシャツを着てきた。後はスニーカーにジーンズ、僕もいつもと変わりない。なんか三人こうして並んでみると、バラバラのような、不釣合いのような気がしないでもない。でもまぁ、いっか。服装なんてどうだっていい。…にしたってこの目の前の奴らときたら何だ。この軟弱バンドどもが! みんながみんなテレビの偽者ミュージシャンみたいな格好しやがって、お前らは何だ、ミーハーか? せいぜいレコーディングの時はスタジオミュージシャンに土下座でもして代わりにやってもらうんだな。  ふん、馴れ合いはごめんだぜ。…ああ、ナーバスになっているのが自分でもよくわかる。 〈ガチャッ〉 「じゃあ一番のバンドの方、準備始めてください」  やべぇ…。  えっと…見た目は軟弱のくせに、テクはけっこうすごいんだね。ステージ裏から覗き見して思った。ひょっとしたら僕は出演バンド中もっともギターと歌が下手くそなんじゃなかろうか。ポップスもいいかもしれない。あ、ラップもいいね… 「中原、そろそろだぞ。今日来てる客全員に、目にもの見せてやろうぜ」 「お、おう! やってやるぜ」  危ない危ない。これからこれから。 「きっと水森も来てるしな」 「え?」 「好きなんだろ? お前」 「な、なんで!」 「ばっか、バレバレだよ」 「う…」 「終わったらお前、告れよ」 「どうしてそうなるんだよ!」 「だってこんなチャンス滅多に無いぜ? カッコいいとこ見せて、しっかり掴んじまえよ。水森のハート」  『ハート』ってお前、恥ずかしくないのかよ。トレンディドラマじゃないんだから。 「でもさ…ダメだ。できないよ」 「何で?」 「だって革命者に家族はいらないって、そう言うだろう? だから…ダメだ」 「バカだなぁ、お前。シド・ヴィシャスにはナンシーが、ジョン・レノンにはヨーコがいるだろ? そんなの関係ねぇよ」 「う…」 「な? 告っちまえよ」 「う」 「な?」 「う、…ん」 〈ガチャッ〉 「じゃあ次の方、ええと8番の方、準備始めてください」 「ええと、はじめまして。ラジカル・ラジオです。…ええと、ライブは今日が初めてなんですけど……」  やっべ…次、何て言うんだっけ? ああ、カンペ作っときゃよかった… 〈中原く〜ん!〉  うおっ、水森さんだ。あの高低の無い声、間違いない。 「…今日を皮切りに、ロックスターへの道を、突き進んで行きたいと思います。じゃあまずはザ・ジャムで、『イン・ザ・シティー』」 〈ワン、ツー、スリー、フォー!〉 〈キュゥゥゥゥウ!〉 「ァィ、セイド、ユー!」  しかしこうして見るとやっぱり、みんな出演バンドのどれかの友達とか知り合いなんだろうな。だってほとんどの客が、見ているような、見ていないような。目的を果たして帰りだす奴までいる。 「じゃあ次はブルーハーツで…」  はぁ、誰も僕らを知らない。いや、僕を知らない。当たり前か、当たり前だよな。こんなちっぽけな僕に、何かできるんだろうか。何ができるんだろうか。教えて欲しい、誰か、教えて欲しい。 「教えてほしいー、教えてほしいー、終わることなど、あるのでしょうか、教えてほしいー……」  うちの父ちゃんはカッコ悪い。でも少しはカッコいいよ、わかってる。週五日、家族のために働いて、二日休む。日々暮らすため、日々を生きている。僕だって父ちゃんの金で学校行ってるわけだし、ごはん食べてるわけだし。うん、わかってるよ。できれば僕だっていつか結婚したいし、娘が嫁に行く日は号泣したい。社会なんて気にしないで生きていきたいけど、なきゃ困るし。政治家なんて大嫌いだけど、誰かがやらなきゃならないのかもしれない。でもさ、時々思うんだ。時間は加速する。日々を送ることは、そのまま、日々を送るってことなんだ。これから先ずっと、日々を送るだけの毎日なら、僕はどうにかなってしまいそうだ。 「…次は僕らのオリジナルをやります。聞こえる人にだけ、聞こえる歌だと思います。もしも、周波数がピタリと合ったなら、どうか自分の心で、真実を見極めてください。では、『プラグド』…」  かまわないよ、見てくれていなくても。あなた達と戦ってるわけじゃない。  僕はDS-2の出力を最大にして、アンプのイコライザーのつまみをフルにした。 〈…ゥゥ、ギィィィァァヤァァァァァァアアアアア!!ガガガ…〉  過敏になりすぎたピックアップマイクが、その上にある一切の電気を拒絶している。もはや音ではない、ノイズだ。ノイズの嵐だ。 「ウワァァァアアアア!!」  僕は絶叫し、何もかもを委ねた。脳で起こる様々な出来事が、電気信号によって処理されているのならば、その全てを一色に塗り変えられた。そんな感じだった。 「強烈な、電気を捧ぐ! 脳のシグナルへ、直接つなぐ!」  たったひとつだけわかっていることがある。何がどうあれ、日々がどうあれ、体制がどうあれ、世界がどうであったとしても、全ては圧倒的に、僕自身の戦いなんだ。 「ハンランセヨ! ハンランセヨ! ………」  溢れ出す、どうしたらいいんだ。拒むべきものを、どうにかして止めたいんだ。 「絶縁体の壁を、突き破れ!」  解き放てよ。滞る思いを、わだかまる思いを。 「感銘を、信号に変えて送る。  つまり僕を、生かしているものをね。 「オウトウセヨ! オウトウセヨ!! ………」  どう思う? 〈ギャィィィィィゥゥゥゥゥウアアアアアガガガ……ピィィー…〉 「アンテナ、錆びちゃいないだろ? エレキ飛ばすぜ」  燃え尽きた! のはもちろん僕らだけで、観客やスタッフはあっけにとられ、轟音に耳を塞ぐ人まででる始末だった。でも僕は何だかとてもすっきりしていた。  からっぽだ。またここから始められる。 「中原、ほら、いたぞ」  と大橋の指差す先には、ああ水森さん。 「お、おう。じゃ、ちょっくら行ってくる」  ケースに入れられたギターを大橋に持たせ走り出した僕、ぐんぐん加速して、水森さんの目の前。を通り過ぎた。  ダッシュ! 縺れそうになる足を前へ!前へ! ああ、水森さん。君のことが好きなのかもしれない。どうだろう、よくわかんないよ。  ジャンプ! して風に乗れ! 「お、おい、中原! どこ行くんだよー!」 「さあな!」  【THIS IS RADIO CLASH】   by THE CLASH  This is radio clash tearing up the seven veils  This is radio clash  Save us not the whales  This is radio clash underneath a mushroom cloud  This is radio clash  We don’t need that funeral shroud  Who-what-why-where?  Forces have been looting my humanity  Curfews have been curbing my tender liberty  Hands of law have sorted through my identity  But now this sound is brave and wants to be free  This is radio clash on pirate satelite  This is not free Europe  Nor an armed forces network  This is radio clash using aural ammunition  This is radio clash  Can we get that world to listen  This is radio clash using aural ammunition  This is radio clash can we get that world to listen  This is radio clash on pirate satelite  Orbiting your living room,  Cashing in the bill of rights  This is radio clash on pirate satellite  This is radio clash everybody hold on tight  こちらラジオ・クラッシュ、七つの帳を切り裂いて  こちらラジオ・クラッシュ  鯨じゃなくてオレたちを救ってくれ  こちらラジオ・クラッシュ、キノコ雲の下で  こちらラジオ・クラッシュ  そんな葬式の経かたびらなんてオレたちには必要ない  誰が、何を、なぜ、どこで?  武力はオレの人間性を略奪し続けてきた  外出禁止令はオレのささやかな自由を制限し続けてきた  法の手はオレのアイデンティティを型にはめてしまった  だけど今、この音波は勇気に溢れ自由を求めてる  こちらラジオ・クラッシュ海賊放送  これはヨーロッパ自由放送でもない  軍用ネットワークでもない  こちらラジオ・クラッシュ、弾薬を使って  こちらラジオ・クラッシュ  世界に耳を傾けさせることができるだろうか  こちらラジオ・クラッシュ、聴覚の弾薬を使って  世界に耳を傾けさせることができるだろうか  こちらラジオ・クラッシュ海賊放送  お前のリビングルームに入り込んで  権利の要求にケリをつけてやる  こちらラジオ・クラッシュ海賊放送  みんな、しっかり頑張るんだ (THE CLASH「THIS IS RADIO CLASH」沼崎敦子訳詞 『The Story Of THE CLASH』より) 「ディス、イズ、ラジカル、ラジオ……、どうなるかわからないけど、なんとか自分なりにやってゆくよ。…ディス、イズ、ラジカル、ラジオ……、僕の頭はいつも不安でいっぱいだし、勇気もないけどね……」 「それでも誰か発信し続け、その応答を待っているから」