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環境


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ミニルポ(2)



《西はりま天文台と周辺探訪》   [2002年4月1〜3日]

作家の寮美千子さんに 「とにかく、良い所だし良い人がいるから…」と半ば強制?されて、ご一緒させてもらった。寮さんおっしゃる"良い人"が【環境−ひと】の50人目になった黒田武彦さんで、インタビューをご参照願いたい。そして、"良い所"とは天文台であり、隣接地域の「平福(ひらふく)」である。2泊3日の行動をスケッチしてみた。

●出迎えてくれた黒田台長はどう見ても40歳代!?

島根・鳥取での取材を終えて、鳥取から「スーパーはくと」に乗る。ローカル線と思いきや、この列車、因美線→姫新線→神戸線→京都線のルートを走り、なんと倉吉を始点に鳥取から姫路・大阪を経由して京都が終点だと知る。それはさて置き、智頭(ちず)線と交差する「佐用(さよ)駅」で下車。

寮さんと黒田台長は旧知の間柄で、佐用駅には黒田さん自らが愛車(名前に反して?真っ赤なスポーツワゴン)を運転して出迎えてくれた。失礼ながら実際のお年(プロフィール参照)よりははるかにお若い。どう見ても40歳代に見える(なぜ若いかはその後、2泊3日の間に分かった)。

車内での寮さんとのやりとりは大テーマ「夕食をどうするか?」。折しも黒田さんはこの日(4月1日)に大先輩・森本雅樹さんの後を襲って公園全体の統括者・園長に昇格され、天文台長と兼務となった。年度初めとあって辞令の交付や挨拶回りやらで昼食抜きではらぺことか。それを聞いた寮さん、たちまち母性本 能を刺激されたのか、「それじゃあ私が作ります」と鶴の一声で、車はスーパーマーケットへ食材購入に。

あれこれ選んで、スーパーからは標高446メートルの大撫山にある天文台へ一気に上る。管理棟で所定の手続をして与えられた部屋は「土星」。部屋名は天文台ロッジらしくすべて惑星の名前がつけられている。2ベッドと3ベッドの洋室が2間、十分に広いリビングとキッチン、浴室・洗面・トイレという広めの2LDKだ。きちんと整頓され、しかも掃除が行き届いていて清潔。

寮さんが腕を振るってくれたパスタ料理と最近こっているというパン造りの成果を十分に堪能させていただいた夕食となった。


●掛け値なしに見事な朝霧

そう高地でもないのに地形の関係だろうか・・・

はっと目が醒めると5時40分。外はすでに明るい。あわてて身支度をして野外に飛び出す。息をはずませつつ山頂の天文台付近へ。多種類の鳥の声。まだ残っていた桜の花…。天文台付近で後ろを振り向いて一瞬息をのんだ。前夜、黒田さんから「朝霧もここの名物ですから」と聞いてはいたが、これは掛け値なしに見事なものだった。見とれているうちに太陽がみるみる昇り、下界が黄金色に照らされ始めた。数回深呼吸すると、体内がエアー洗浄されたと言っても言い過ぎでないほど久しぶりに心身とも爽快な感じを受けた。まさに"早起きは三文の得"である。芝生の中に何種類の糞がみとめられる。黒田さんに聞くと、鹿とイノシシとのこと。まだほとんどがフルコーラスできない中で、1羽だけ早くも仕上がったのかとうとうと聞かせてくれたウグイスのフルコーラスも心地よい。



●昼食は佐用名物「ホルモン焼きうどん」

黒田さんのインタビューを終えて、せっかく来たのだから周辺も探訪すべしと衆議一決し、黒田さんの車をお借りして下界へ。運転は何年ぶりという松永さんにお願いして、佐用町が町おこしの一環として取組んでおり、一度食べたらまずははまってしまうという「ホルモン焼きうどん」を勧められ、台長ご推薦のお店〈王将〉へ。オバチャンが一人で切り盛りしている。失礼ながら調理は簡単。大きな鉄板の上でまずホルモンを焼き、続いてうどんを焼き、それを合体させればできあがり。2種類のタレがあり、実はこれが絶品。はやりの安仕上げのテレビ番組なら"秘伝の味"ということになろう。でもオバチャンはそんな表現はしない。量的にも満喫し、かつ、先客の地元の人たちとの会話も楽しかった。佐用を訪れたらぜひともお勧めしたいスポットの一つだ。なぜ、佐用でホルモンか? 佐用牛はじめ一帯は畜産のメッカでもあり、有効利用も兼ねた一石ニ鳥のアイデアのようだ。



●400年の歴史・風情を保つ「平福」を散策

約400年前に形成された川屋敷や土蔵群は今は静寂なたたずまいで旅行者を迎える

満腹になったところで、車を〈道の駅 ひらふく〉の駐車場に置いて、周辺を歩く事に。道の駅そのものとしてはそう大きな者ではないが、智頭線の平福駅の駅舎より大きいのにはおかしくなった。

さて、この平福。一口で言えば因幡(いなば)街道随一の宿場町だったところ。因幡とは現在の鳥取県東部地区のこと。そう、あの日本神話の「因幡の白兎」の因幡で、当時、播磨の国の姫路を目指すにはこのルートが唯一で、したがって鳥取側からは「上方往来」とも呼ばれていたという。

観光協会によると、町並みが形成されたのは慶長・元和年間というから1596−1623年頃。ざっと400年以上も前のことになる。初めは城下町(姫路藩主の池田輝政の甥の由之が1600年に平福に入り、5年の歳月を費やして利神(りかん)山に城を築き、そのふもとの町として整備した)として栄えたが、幕府の一国一城令によっては廃城となり、この間わずか30年。以後は因幡街道きっての宿場町として発展したという歴史をもっている。

街中には随所にその趣が残されている。連子窓や千本格子の家並み、佐用川(熊見川)が商業上の交通要路として使われていたことの証左とも言える白壁の川屋敷、川座敷と土蔵群、川べりには幅1.5メートルくらいの"岸壁"があり、家々には舟をつなげたであろう切り込みがつけられている。全国版とは言えないだろうが、少なくとも関西では今や隠れた観光スポットの一つになっている感じだ。
散策の終わりは、寮さんご推薦の"白醤油"で有名な創業300年の醤油造り屋の〈たつ乃屋〉に寄り、白醤油と"菜もろみ"を買って天文台ロッジに戻った。



●"本ものの土星"の美しい輪に感激

親子連れに宇宙からの隕石を直接触らせて説明する黒田さん

夜7時30分。宿泊者向け観望会という名の本ものの星を見て、解説してくださるプログラムがある。恥ずかしながらプラネタリウムは幾度か経験があるが、天文台の中に入ることも実際に生の星を見せてもらうのも初体験。だいたい、天文台の外形はほとんどがドーム型だが、あの屋根が開閉式になっているということも知らなかったほどの無知ぶりであり、説明員の人の「それでは屋根を開けます」とか「暗くします」とか「望遠鏡を動かします」などの一声一声、一挙手一投足が新鮮に感じられた。

屋根の一部が開かれると、肉眼でもかなり見える。普段、都会で見る夜空の星とは数も輝度も全くと言って良いほど異なる。さすが歴史的に星の良く見える里であり、"キラキラランド"をキャッチフレーズにしているだけのことはあるなと感心する。

いまの西はりま天文台の望遠鏡は20等星まで捉えることができるというもので、この夜見せていただいたのは、あとでご紹介するマニアの鶴岡さんに整理していただいたら木星とその衛星、土星、オリオン星座雲、スバルなどで、土星のあの輪の色彩の美しさはおそらく一生我が脳裏に焼き付いて離れないだろう。他の親子連れグループなど十数人の人たちと時間の経つのも忘れて拝見した。

黒田さんの説明では、観望会は「大」と「一般」と「宿泊者向け」と「特別」の4種類があり、平成12年度実績は観望会には5402人、説明会には2281人の参加があったという。この輪がもっと広がることを祈って、真っ暗なため時々つまずきながらロッジへ戻った。



●盛り上がった懇親会。"少年の心"持ち続ける黒田台長が真価

懇親の会には、なんと2日前に黒田さんに園長のバトンタッチした森本雅樹さんが夫人ともども合流され、さらに黒田さんを中心に行なわれているサイエンスツアー仲間であり、その関係で寮さんとも知り合いで、しかも筆者とは旧知の鶴岡誠さんもご夫妻で合流という異色?のメンバー構成に。

寮美千子さん(右)と大いに議論が盛りあがった黒田さん

昼間のうちに、黒田−寮コンビが仕入れてくれた地元の佐用牛をBSEもなんのその、寮さんが一人一人に焼き方まで聞いてくれ焼いてくれたステーキをメインディッシュに様々な話しに花が咲く。

森本さんは、長野県の国立野辺山天文台に45メートルの電波望遠鏡を作った人で、黒田さんのみならず海部宣男・現国立天文台長の恩師でもある我が国天文学界の重鎮の一人だが、自らを"おじさん"と呼ぶ大変ユニークな方。絶えずウィットに富んだジョークやダジャレ(の方が多い?)を連発し、相手を煙に巻いてニヤニヤ楽しんでいるという先生で、話題は天文やアートなど様々というかメチャクチャ。しかし時間の経過とともに1人抜け2人抜けで、この日の宴の最後は黒田−寮のテロ事件を中心とする国際情勢を巡る高次元の議論で幕(となった由。夜の弱い筆者は最初に失礼したので翌朝聞いた)。

こうして、2泊3日の予定はあっという間に終わり、翌朝、天文台を辞去したのだが、最初に触れた黒田さんの外見の若さは実は正確な表現ではなく、議論や来訪者への星の話し、インタビューなどを通じて改めて理解したことは"少年の心"をいまなお持ち続けているということで、そういう意味では外も中も若い黒田さん、という印象をこのまとめにしたい。