寮美千子ホームページ ハルモニア 祖父の書斎/科学ライター寮佐吉

■森下雨村「科学小説出でよ」 14 Aug. 2005


2002年8月、SF研究家の池田憲章氏より、森下雨村が、寮佐吉について言及した文章があるという貴重な情報をご提供いただきました。さすが博覧強記の池田氏、古い雑誌の中のわずか一行の記述を覚えていらっしゃったのです。その後、池田氏がその雑誌『衆文』(昭和9年10月号)を探し出してくださり、コピーをお送りいただきました。ありがとうございます。ここに、その記事を再録します。


 近時純文学、大衆文学――所謂大人の文学に就ては、種々論議されながら、少年文学はややもすると等閑に付されがちである。
 少年文学こそ最も慎重に、真剣に検討されて然るべきであろう。ここに政界、官界、文人及び編集者についてその代表的意見を聴くことを得た。質問は左の要項によった。
 一、少年文学は現在のままで良いでしょうか。
 一、これからの少年文学についての希望、抱負(自身執筆の御意図の有無)。
 次の日本を背負って立つべき少年の心の糧である最も良き少年文学の生れ出んことを心より望み、識者のより強き関心を要求するものである。


科学小説出でよ

森下雨村

 日本の少年少女雑誌――一般大衆雑誌も同様であるが――が、ここ数年来、外国のどこを捜しても類似のない躍進振りを示したと同様に、月々その誌上に発表せられる少年少女の読物も、外国のそれに比して決して遜色はないと思う。
 が、ただ一つ日本の少年読物に欠けているのは科学小説である。純然たる科学小説でなくとも科学知識を織り交ぜた程度の読物もいいのであるが、そう云ったものも見当らないようである。今の少年読者が科学小説を渇望していることは雑誌編集者は十分承知している筈で、にも関らずそれが現れないのは、つまり、その適任者がないからであろう。
 我々の知る範囲では、海野十三君、もしくは寮佐吉君あたりが、この方面に手をつけてくれれば、面白いものが出来はしないかと思う。科学小説は日本の少年文学の領土では確かに一骨折って見る価値のある仕事である。敢て両君と限らず誰かこの方面に鍬を打ち込む新人は出ないものであろうか。

『衆文』昭和9年10月号 10頁
※表記を新字新かなに改めた ⇒旧字旧かな版

森下雨村は、大正9年創刊の雑誌『新青年』の初代編集長として知られる日本文学史上の重要人物。『新青年』には寮佐吉も寄稿していました。この文章は、雑誌『衆文』のアンケート特集に寄稿されたもの。池田氏によると「『衆文』は吉川英治がきも入りで出していた大衆文学研究誌でこの号が最終号となります(英治の弟が編集長でした)。」とのことです。


(補記1)

森下雨村氏は、この記事の中で「科学小説出でよ」と、祖父・寮佐吉に、少年向けの科学小説を書くようにうながしています。残念ながら、祖父が科学小説を書いたという記録は、いまのところ見つかっていません。以下の二点のみが、寮佐吉の小説関連の仕事として浮上してきたものです。

「生ける人脳図書館」
1931年(昭和6年)「科学画報」掲載
寮佐吉の創作として発表されたが、実は、アメリカのパルプ・マガジン「AMAZING STORIES」1931年5月号に載ったDAVID H. KELLERの小説 The Cerebral Library の翻案。佐吉は、これを「生ける人脳図書館」というタイトルで、「科学画報」同年9月号からに三回に分けて掲載した。大学生を集め、それぞれに専門書を大量に読ませ、その脳を取り出してリンクさせ、生体データベースをつくろうという物語。一種のSF怪奇ミステリーだった。まだコンピュータという言葉すらない時代のことである。日本におけるSF小説翻訳の最初期のもののひとつである。

「豪華なるX殺人事件」
1940年(昭15) 第26回サンデー毎日大衆文芸賞・佳作入選
作者は寮快太郎(りょう・かいたろう)。この作家は、いわゆる覆面作家で、受賞の資料には「生年経歴一切不明」となっている。寮佐吉と同一人物であるかどうかは不明だが、佐吉はサンデー毎日に多く寄稿していたため、その疑いが濃厚。

市ヶ谷の家が戦災で全焼してしまったため、祖父に関する資料は残っておらず、もしかしたら他にも何か書いた可能性もありますが、いまのところ発見されていません。

わたしの小説第一作は『小惑星美術館』(パロル舎1990)。スペース・コロニーを舞台とした少年向けSF小説です。遠く森下雨村の呼びかける声が、時を超え、知らず知らずのうちにわたしに届いていたのかもしれない、そんな気がしてなりません。


(補記2)

森下雨村が「科学小説出でよ」と呼びかける声は、いまの日本そのままに通用するものです。すぐれた編集者の眼力は、単にその時代だけではなく、どの時代にも通用する真実を見抜いていたように感じられてなりません。

このアンケートの回答には、まったく別の、時代の視点から書かれたものがあります。それは、その時代には全く正しく歓迎される思想だったのでしょうが、いまとなれば、その理不尽を感じないではいられません。時代に隷属して真実を見失うことの反省も含めて、その文章もここに再録したいと思います。

少年文学への注文

床次竹二郎

 近時文学の発達は著しく、ありとあらゆる方面に影響している。他の言葉で言うならば生活の伴侶になっているのである。文学が大衆の関心を引く様になったのも蓋し当然であろう。殊に少年文学は今日真剣に考えられつつあるが作品の上には未だ真剣さを見受けられないのは遺憾に思う。尤も自分は常に少年文学に接しているのではないが、自分が接した範囲に於いてである。自分の云う真剣さというのは所謂作品を書く情熱の真剣さではなく、真に少年を愛し、少年に満足を与える意味の真剣さである。
 少年文学は大人の文学と異って、その影響する処を充分に念頭に置かねばならない。少年の感受性は批判に欠けているので直ぐその侭を信じ易い。若し作品の中に思想的に風俗的に非愛国的な、退廃的なものがある場合なぞは、読者の少年に誤まてる思想観を培い、惰弱放蕩に身を崩す種を播くことになるであろう。それは結局に於て少年の不幸である。少年の不幸は云うまでもなく国家の不幸である。故に少年文学者は慎重に考慮して創作せねばならぬ。この意味に於て衆文社が少年文学を取り上げて論議に附したということを欣快に思う。
 自分は少年文学に次の意見――注文と云った方が適当であろう――を述べたい。
 1、形式的には多くの少年文学には文章、文字の正確さが少い。又少年文学として、平易さに欠けている。この点を考慮して興味的に、読者を知らず識らずのうちに読ませて感奪させ、自然に作品の印象を感ぜしめたらと思う。
 2、内容的には、飽まで少年に、世界に冠絶せる我が国体観念、我が国民の伝統的精神、我が国道徳の根源たる忠孝節義、日本民族固有の美徳美風、質実剛健なる気象、雄渾正大なる気魄、天空海闊なる気宇等を啓発するに足るものが真に少年文学としての使命を果すことが出来、又迎えられるであろう。勿論、芸術的にも秀れているものでなければならないことは言うまでもない。ここが少年文学の大人文学――こんな言葉は適当か如何か分らないが――と異っているところであり、少年文学の本質ではなかろうか。もう一つ大切なことは少年文学が読者に面白く読まるれば読まれる程、その影響は往々少年の学業にも及ぶことを考えなければならない。即ち、学業に興味を失い、或は怠り、文学に凝る少年がたまたまある。この結果は大いに憂慮さるべきで、その一つの方法として、少年文学者と雑誌記者等が機会を見ては、学業と読物とを調整することにしたら、更に少年文学を発展させることになるであろうと思う。

『衆文』昭和9年10月号 2〜3頁
※表記を新字新かなに改めた

床次竹二郎 とこなみ・たけじろう(1866‐1935)
大正・昭和期の官僚、政治家。鹿児島出身。第一次世界大戦後に多数成立した、博徒・土建業者を主体とする右翼団体のうち最も有名な「大日本国粋会」設立メンバーの一人。
(世界大百科事典/ネットで百科@niftyの記述を参考にした)


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