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■ 5 Sep 2012 人にものを頼めない子ら 奈良少年刑務所・社会性涵養10期5回目


きょうは奈良少年刑務所の社会性涵養プログラム。10期目の第5回目、詩の授業。みんなが書いてきてくれた詩を、みんなで読んで感想を述べあった。今回は新機軸で、日々の連絡ノートに書かれた言葉から、教官が抜粋して詩の形に編集した作品も。

「詩」といわれると、固まってしまってしまう子も、普段の連絡ノートにはぽろりと本音が。それを、教官たちが拾いあげて編集してくれた。文章はすべて本人のものだが、編集作業が加わることで「伝わる言葉」に。本人たちは「自分の気持ちを上手に表してもらった」と喜んでいた

毎回、授業の後に提出する連絡ノート。「なんか、さみしかった」「なんか、はずかしかった」「なんか、うれしかった」「なんか、元気になった」と、回を重ねるごとに前向きになっていく。「これは○○の授業の後に思ったこと」などと聞いて、役に立ててると知り、うれしかった

こんど栗東市で、刑務所の教官とわたしとで講演の予定があり、授業の後に打ち合わせ。わたしの講演はほとんど一方的に話すばかりだが、こんどの講演では、授業でやっていることと同じワークを参加者に体験してもらう。詩も書いてもらう。楽しみだ。

ワークの一つに「視点を変える」というのがある。「何事にも全力で取り組む」は実は「心身を壊すまでやってしまう」ことだったり、「理想を高く持つ」ことが「理想に追いつかない自分や他者を許せない」ことだったり。社会的に「いいこと」とされていることが、実は大きな抑圧だったりする

逆に「だらだらしている」、「嫌なことから逃げる」など、社会的に「悪いこと」とされていることでも、視点を変えれば、「くつろいでいる」「避難して、自分が壊れないようにする術を知っている」だったりと、プラスの評価も可能だ

刑務所に来るような子は、躾られてないだろうと思われがちだが、むしろ、厳しすぎる躾をされて「〜すべき」で全身凝り固まっているような子が多いという。その「べき」から逃れられなく、苦しくなって、内圧が高まり、やがて爆発して事件に。授業は「べき」をはずすワークだ

きょうの刑務所の授業でひとつびっくりしたのは、このクラスの子は「だれかに何か頼む」ことができない子ばかりなのだということ。「断られたらどうしよう」という思いが先に立つ。断られて傷つくのが怖いのだ。「気にすんなよ」といいたいが、それで解決できるほど簡単なことではない

なにか頼んで、断られることもある。しかし、快く聞いてくれることもあるし、相手が「頼りにされている」と感じ、うれしくなることもある。その成功体験を少しずつ積み重ね「頼むことは恥じゃない」「一人で抱え込まなくてもいい」と知るだけで、解決できることがたくさんある

奈良少年刑務所の社会性涵養のクラスの子は、みな「頼めない」子たちだったが、このクラスに出て「だんだん頼めるようになった」「頼んでみると、仲よくなれる」など、よくなってきている。一人で抱え込みすぎて孤独地獄に堕ちないよう、コミュニケーションの取れる人になってほしい


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