▲2010年02月の時の破片へ


■18 Jan 2010 ツルハシ屋の悲劇


日本で唯一、鍛造のツルハシを作っていた外川産業が廃業した。
http://www.mmjp.or.jp/soto/soto/Haigyou.html

外川産業は、中国産に押されぎみだったとはいうものの、
外川産業にしかできない高度の鍛造技術で、すぐれた製品を作ってきた。
撤退は、だから、売れないからではない。
姫路市の区画整理で、追いだされたのである。
その途中経過は、ここに書いてある。
http://ryomichico.net/diary/2006/11/index.html#d000604

大きな音のする鍛造工場は、声でのコミュニケーションができない。
声が聞こえないくらい、騒音があるからだ。
しかし、だからこそ、耳の不自由な人もハンディなく仕事ができる。
そのため、古くから障害者雇用をしてきた会社だ。

その会社を追いだす姫路市。
なんという理不尽なことだろう。
そして、日本の優れた技術が、またひとつ、失われたのだ。

姫路から外川産業を追いだし、廃業に追いこむなんて、
姫路市はバカである。行政はバカすぎる。悲しい。

----------------------(一部転載)
いろいろと残念なことも多いのですが、これも時代の流れとあきらめています。

しかし、日本の国から製造業を発達させることが難しい世の中になっているのが残念です。その昔は、家庭が貧しくて中学を出てそのまま商人に向いている子供は商売の道へ、ものづくりに向いている子は製造業への丁稚奉公に、勉強の好きな子供は高校、大学へと進学してきました。

その中で、才能のあるものはどんどんとその道のスペシャリストへなり、生計を立てていける世の中だったと思います。
でも、今はどのような製造業でも、営業でも派遣、派遣、を主な従業員として使い、安い人件費には外国人を雇い入れて使い捨てているように思います。

そのような中でも、当社は中学を出た子供を従業員として雇い入れ、一から教え、従業員の半分ぐらいは障害者を雇用し、いろいろなトラブルもありましたがひとつずつ解決しながら、みんなでツルハシ、ハンマーを製造してきました。これが、90年続けてきた中でも、ひとつの自慢でしょう。
-----------------------(引用終り)

こんな会社を、廃業に追いこんで、いいわけがない。
日本はいま、自分で自分の首をしめているも同然だ。

ツルハシ、という道具は、結局、国家の礎だ。
道をつくり、線路をつくり、修理する。
その大切なところで、どうしても必要となってくる道具だ。
すべてが機械化で、いいものがつくれるわけではない。

その大事な道具をつくる能力を手放す。
外国から輸入しなければ、手に入らなくなる。
これは、国家の安全保障の問題でもある。


■17 Jan 2010 「15才の君へ」関西電力のCMに思う 感動の搾取


神戸の大震災からきょうで十五年。
奈良に転居して丸三年半。
震災の爪痕が、さまざまな形で人の心に残されていることを、肌で感じる。
涙の川を、みんなで手を携えて渡ってきたのだと知る。
震災の記憶は、関東よりもずっと色濃くここにある。

関西電力が、それをテーマにCMを流している。
感動的なCMだ。
同じ思いを共有する人々にとって、
涙なしには見られないCMだと思う。

アンジェラ・アキ「手紙 拝啓十五の君へ」をバックに流しながら、
CMはさまざまな思いでのシーンをつないでいく。
CMには、次のようなテロップが重なる。

  15才の君へ。

  君がいたから、前を向けた。
  君がいたから、頑張れた。
  君がいたから、泣くのをやめた。
  15年前のあの日、
  傷ついた街で、
  わたしたちの背中を押してくれたのは
  生まれたばかりの君たち。
  「この子たちの未来を照らし続けるんだ」
  あの日の思いを胸に、
  今日も。

  君たちがいたから、15年でここまで来られた。
  君たちこそが、希望の光。

  1995→2010 関西電力
http://www.youtube.com/watch?v=LabvVu5rEmQ

復旧し、暗い街にはじめて電気がついたときの人々の喜びの声。
そこに重なる「この子たちの未来を照らし続けるんだ」というコピー。
電柱の上で懸命に修理している人の作業着姿。
感動せずにはいられない何か……。

しかし、わたしはこのCMに静かな怒りを感じた。
これは、みんなの感動を「搾取」しているのではないか?

関西電力は、日本で一番原発依存率の高い電力会社だ。
もしもほんとうに
「この子たちの未来を照らし続けるんだ」と思うなら、
地震という自然災害で、単なる震災以上の、
放射能汚染という人災をもたらす原発を推進することは、
完全に間違っているのではないか。

それでも、震災に遭った人はいう。
あの状況のなかで、必死でライフラインである電力を確保してくれた
関西電力に感謝していると。

確かに、感謝に値する。それは評価されてしかるべきことだ。
けれど、それと、原発問題とは切り分けて考えるべき問題だ。

震災をともに越え、復興の礎となった電力会社だからといって、
なにもかもにオーケーを出してはいけない。

震災、という人知を越える災害があるからこそ、
わたしたちは脱原発を目指さなければならないのだ。
そのために、ともにがんばらなくてはならない。

みんな、だまされてはいけない。
震災という、心のやわらかな部分をわしづかみにして、
原発推進をしている企業のイメージをよくしようだなんて、
卑劣な手段だと気づかなければならない。

関西電力よ。
「この子たちの未来を照らし続けるんだ」と本気で思うなら、
新たなエコエネルギーへの転換を目指してほしい。

そしてまた、わたしたち自身も「都市」のありかたを再考すべきだ。
大都市というものが、いかに震災に脆いか、危険なものか自覚し、
原発で大地震が起きたらどうなるのか、根本的に問い直さなければならない。


▼2009年12月の時の破片へ


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