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■ 6 Nov 2007 『父は空 母は大地』著作権侵害裁判 初公判


11月6日、元参議院議員・岩井國臣氏による『父は空 母は大地』著作権侵害問題の初公判が、東京地裁にて開かれた。

裁判は初めてなので、出席しようと思ったのだが、公判の1回目は、互いの主張を述べ、確かめ合うだけとのことで、上京してまで出席する必要はない、と言われ、弁護士さんにお任せすることに。

ところが! 被告側は本人訴訟ということで、岩井國臣氏ご本人が出席。そうか、岩井氏ご本人が来られるのなら、わたしも行けばよかったと、ちょっと後悔。

というのも、本人と会うと、実に多くの言語化できない情報まで受け取ることができるからだ。一体、どんな人物なのか、どんな雰囲気を纏っているのか、それを知ってみたい気がする。

被告の主張は「著作権侵害が疑われている件の文章は、友人である中村幸昭氏(鳥羽水族館名誉館長)からもらったもの。わたしは、寮美千子という人も知らなければ、その本も見たことがない。よって著作権侵害には当たらない」ということだったそうだ。

しかし、岩井國臣氏は、中村幸昭氏からもらったという紙を、証拠として提出していない。提出されたのは『阿蘇をサカナに川を語ろう』(全国川サミット 白川スペシャル実行委員会編)のみで、そのなかには『父は空 母は大地』の引用は掲載されていない。この時に、同時にもらったプリントに『父は空 母は大地』の文章が掲載されていたという。そして、そのプリントは、家のどこかにあるかもしれないが、どこへいったかわからない、そうだ。

さて、鳥羽水族館名誉館長の中村幸昭氏(当時は館長)は、どのような形で、この文章を引用し、配布したのだろう。

裁判長より、被告側に「この文章を友人から教えてもらったというが、その友人はどこで知ったのか、寮さんの本なのか、調べてほしい」旨の指示があり、岩井氏は抵抗したが、結局12月6日までに調べた結果を文書で提出してもらうことになったとのこと。

昨日、早速その文書が提出され、わたしもファクスで見たが、内容は驚くべきものだった。ぶっとびである。ここで公開していいかどうかわからないので、弁護士に相談の上、公開可能なら、公開したい。

さて、誰からどんな形でこの情報を得たのか、ということがいま、問題となっているが、私が思うに、本来の問題はそこにあるのではない。問題は「活字にして出版するときは、引用の原典が何であるのかを調べ、明記する」という基本的態度が、岩井國臣氏に欠けていたということだ。

引用をするときには、原典をはっきりと明記すること。これは、文章作法の第一歩である。個人から個人へと手渡されるコピーや、個人的なメールでも、本来はっきりさせるべき事項である。原典の明記のない言葉は、いつ改変されてもわからないし、間違った情報を流布させる可能性もある。最悪の場合は、デマの原因となる。

いわんや出版物をや、である。活字にして、広く世間に流布するときは、必ず引用の原典を明記しなければならない。岩井國臣氏がいかに不注意であったとしても、自分の著作物に掲載するわけだから「誰々からもらった情報だが」という但し書きは必要だった。岩井氏の文章には、それさえ記載されていないのだ。「誰々からもらった情報だが」という但し書きを書けば、そこで「ところで、本当に本当の原典はどこに?」という疑問も生じてきたことだろう。

岩井氏の主張を信じるなら「故意に著作権侵害をしようというつもりはなかったが、結果的に著作権侵害になってしまった」ということになる。しかし、だからといって罪がないわけではない。これが無罪だとしたら、「故意ではなかったが、結果的に事故を起こしてしまった」という交通事故など、全部無罪になるだろう。

とどのつまりは岩井氏が「引用の原典をはっきりさせる」という基本的な手順を踏まなかったことに原因している。簡単にいうと「不注意」ということだ。交通事故が、不注意が原因で起きるのと同じである。故意ではなかったから、被害者の損害賠償には応じられない、などという道理が通るはずがないだろう。

引用元は、調べようとすれば、いまやとても簡単なのだ。インターネットで『父は空 母は大地』と検索すれば、それだけでわたしの著作にたやすくたどりつける。その簡単なことすらしなかった、しようという気すらなかった。これは完全に「リテラシー」の欠如だ。京都大学出身で、元建設官僚であり、当時現役の参議院議員ともあろう人が、文章の書き方に関して、こんな基礎的な教養もないとは、どういうことだろう。

岩井國臣氏は、こちらが6月に『父は空 母は大地』の著作権侵害の旨の内容証明を出しても、一切の謝罪はなく、その後、弁護士を通じて警告書を発しても、返答すらしなかった。致し方なく、提訴。公判の1回目でも、尚「知らなかった」と主張、謝罪の言葉もない。

内容証明の時点、あるいは警告書の時点で「すいませんでした」とひと言あれば、何も提訴する必要までなかったのである。

岩井氏は「著作権」ということを理解していない。前参議院議員でさえ、こうなのだ。日本全体での認知度は、いかばかりだろう。

いま生きている著者の権利を守ることさえできていないのに、国は、著者の死後の著作権保護期間を延長しようとしている。現在、著作権は既に著者の死後50年間、保護されることになっている。充分すぎるほどだ。それをさらに20年延長しても、著作者本人にとっては、なんの利益もない。何しろ、著作者は死んでいるのだから。そればかりか、社会としては大きな損失だ。こんなあきれた法律を作ることに腐心するくらいなら、もっと生きている著作者をきちんと守ってほしいと思う。

とうわけで、次回の裁判は12月11日。「弁論準備」といって裁判官の部屋で机をはさんで話し合いを行うという形式で、傍聴はできない。わたしが出向くのは、その次か、次の次になりそうである。その時は、ぜひみなさんにお知らせしたい。傍聴に来てください。


■ 5 Nov 2007 祝開店! 書肆アラビク



夕刻より、京都のメディアカフェで著作権問題に関する講演。その前に、大阪に寄って、画廊と古書店をはしごした。奈良を出発して、大阪、京都、と一日で回れるなんて、なんだか夢のようだ。異なる文化を一日にして巡れるとは、関西とはなんとぜいたくな場所だろう。

gallery & books edge

梅田のそばの中崎町にあるgallery & books edgeは以前、門坂流氏の個展を開催した画廊。今回訪れるのは2度目。店主の今牧さんが、古くから門坂作品のファンで、昨年脱サラで画廊を開店した。この日は、大山記糸夫氏の「ブックオブジェ展」の最終日。相棒が、奈良県の「図書修理マイスター」の講座に通い、製本技術を勉強中なので、興味を持って行ってみた。

言葉と美術と本の合一。大変興味深い。いつの日か、門坂氏の版画に、わたしの言葉、相棒の室芸を生かした製本で、特製の限定本を作ってみたい。

書肆アラビク

わたしの作品の読者でもあるcakeさんもまた、脱サラをして11/3に、古本喫茶を開店した。このお店「珈琲舎 書肆アラビク」は、なんと、ギャラリーエッジの目と鼻の先。

古い民家を改造した古書喫茶、というので、どんなところだろうと半分心配、半分期待しながらいったところ、びっくりするほどすてきなお店だった。まず、その古い長屋風民家がすばらしい。昔は商売をしていたらしく、大きな硝子の引き戸があり、中がよく見える。それがまた、いい。大通りからちょっと引っ込んで、隠れ家のような安心感があるのに、閉塞感がない。こんなところなら、度々立ち寄りたい、と思わせられる風情だ。

店主の趣味を貫いて選ばれた古書や新刊も、独特の雰囲気を醸しだしている。盟友・七戸優氏の本が目立つところに置かれていたのがうれしい。そして、その絵が、とてもよくこの店に似合うのだ。

金子國吉のリトグラフが壁にかけられている。もちろん、売り物である。天井からぶら下がる古風なシャンデリアや硝子の照明器具が、レトロでいい雰囲気だ。

珈琲もおいしい。滅多にない水だし珈琲が五百円は安い。絶品だった。

居心地はいいし、古本などめくりながら、長居したくなるようなくつろげるお店だ。夜は9時までだが、お酒も飲めるという。ほんとうなら秘密にしておきたいようなすてきなお店だ。

中崎町界隈には、このほかに、やはり古本の読める喫茶や、画廊喫茶が相次いで開店。ちょっと昔のソーホーというか、勢いのある文化の町になろうとしている。これからが楽しみだ。

写真は、書肆アラビク。
店内:店主さんとわたし
店の前:店主さんと奥さま


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