▲2005年08月の時の破片へ


■31 Jul 2005 東川町フォトフェスタ2日目


東川町フォトフェスタ。今年は講師の数が少ないので出ずっぱり。夜遅くまで忙しかった。夜になって、U崎氏登場。ホテルのロビーで遅くまで話す。


■30 Jul 2005 東川町フォトフェスタ1日目


東川町フォトフェスタに出発。ゲスト講師として呼ばれた。
今年の写真は、いろいろな意味ですばらしい。


■ 7 Jul 2005 Piqueという技法


▼Piqueという技法
奈良の東向商店街「クロカワ宝石店」の展示会を訪れた。ヨーロッパのアンティーク・アクセサリーの技法「Pique(ピクゥエ)」の宝飾品を見るためだ。

Piqueは、白蝶貝や象牙などの生物由来の有機素材に、金属を象眼する技法。16世紀末頃にフランスで聖職者へ献じる為に作られ始めたとされ、その後イギリスに渡って発展を遂げ、宝飾品として盛んに作られるようになった。ところが、19世紀末にその技術が途絶えてしまったという。その技術を甦らせたのが、山梨の塩島敏彦氏。象牙による工芸作家のご子息で、アンティークのPiqueのアクセサリーに魅せられ、自力でその手法を編み出したという。クロカワ宝石店には、そのご本人がいらっしゃるというので、ぜひお目にかかりたいと思って出かけていった。

まずは、Piqueの技法を駆使したアクセサリーの美しさに目を奪われた。わたしは、もともと象眼という手法が好きでたまらない。異質なものが同一平面に滑らかに収っている様子に、何ともいえない快感を覚える。奈良漆の厚貝による螺鈿技法に心を奪われたのも、その象眼による美しさ故だ。Piqueのアクセサリーは、それを極小の世界に創りだす。ひと粒の真珠にさえ、美しい金属象眼を施している。その精緻さゆえ、そこにはまるでひとつの小さな銀河があるようにさえ感じられる。それは、小宇宙なのだ。

そんな思いを持って吸い込まれるように眺めていると、ご本人に話しかけられた。大柄な、どちらかといえば、鱒釣りが似合うアウトドア派、といった雰囲気。筋肉に漲る力を感じる。作品の繊細さとのバランスが興味深い。

聞けば、高校時代、山梨の科学館のプラネタリウムで、星座解説をしていたことがあるとのこと。同級生に、あの宇宙飛行士の土井隆雄氏がいて、土井氏と塩島氏、そしてもう一人の友人と3人で、科学館に入り浸っていたという。塩島氏の作品に、星の輝きや宇宙を感じたのも宜なるかな。山梨県立科学館といえば、わたしの作品『ラジオスターレストラン』を制作上演してくれたところだ。さらに、塩島氏は玉川大学の農学部に在席していらしたとのこと。玉川大学といえば、和光大学のお隣で、地続きのようなもの。講師をしていた頃、よく玉川大学の農学部の牛小屋の前を散歩しながら帰ったものだ。農学部の製造したアイスクリームを食べるのが、散歩のおしまいの楽しみだった。不思議なご縁があるものだと感じた。

Piqueの制作に関して、さまざまなお話しをお伺いすることができた。アンティークのPiqueの殆どは、鼈甲への象眼。というのも、鼈甲はやわらかくて細工がしやすいからだという。真珠の母貝である白蝶貝への象眼は、アンティークでは事実上ないに等しいという。というのも、白蝶貝は固く、過去の技術では細工がむずかしいからだそうだ。

現代になり、焼結鋼を使った超精密工作機械が誕生、それを使用して、はじめて白蝶貝への加工が可能になったという。ところが、焼結鋼は硬度はあるが粘りがないので、回転軸にブレがあると、すぐに折れてしまう。回転軸を中心に持ってくるために、精密工作用の顕微鏡を使用、十万分の一ミリの精度が要求されるという。それも、ただ計器に合わせればいいというのではないそうだ。最後の最後は職人的な勘の世界。ミクロン以下を感知する勘が必要不可欠だという。

使える刃物を作れるようになるために、何年かの修行が必要だという。塩島氏ご本人も、今では失敗は殆どないそうだが、それでも「これはいい」と得心のいくすばらしい刃物が生まれるのは、10本に1本あるかないかだという。

そのような技術的なお話を包み隠さずしてくださるのも、ご自分の技術に圧倒的な自信を持っていらっしゃるからだろう。使用機材のことを知られても、誰もが簡単にはそれを使いこなせないことを知っておられるからに違いない。

実際、塩島氏のところにPiqueの技術を習得しようと入門した者は300人に及んだそうだが、実際にその技術を身につけた者は7人しかいなかったという。驚くべき世界だ。

ブローチひとつが80万円というPiqueの世界。はじめはその価格の強気なことに驚いたが、実物を見て、さらにはお話を伺えば、なるほどと思わざるをえない。

「ところで、アンティークには白蝶貝への象眼はないといってたけれど、実はひとつだけあるんです」と塩島氏。トルコのトプカピ宮殿の秘宝で、白蝶貝に象眼を施したベルトがあるという。
「焼結鋼がない時代、どうやって作ったのか、謎なんです。普通の刃物だったら、一彫りしたら、歯が欠けてしまう。じゃあ、どうやって作ったのか。焼き入れじゃないかと、ぼくは推理している。何百本、何千本も焼き入れをした刃物を用意して、一彫りごとに刃物を代える。膨大なお金と時間がかかる。それができたのが、トルコの王様ではなかったのか。そう思うんです」
トプカピ宮殿には、わたしも行ったことがある。こんな話を知っていたら、もっと面白く見られたことだろう。

▼アクセサリーの心髄とは
過剰になりがちな加飾の世界。きらびやかだが、決して過剰ではないぎりぎりのところに収っているのが、塩島氏の作品の魅力かもしれない。その感想を述べると、塩島氏は豪快に笑いながらこうおっしゃった。

「ぼくだって、ほうっておくと過剰になるんです。これでもか、これでもかと、自分の腕を試したくなる。見せびらかしたくなる。工芸品ならそれでもいいかもしれない。自らが主役だから。しかし、アクセサリーは主役ではない。脇役です。主役の持ち主を引き立てるためにある。そのためには、アクセサリーは過剰になってはいけない。自己主張しすぎてはいけない。つけた人を美しく見せなければならない。そのためにこそ、アクセサリーは存在する。そこを忘れないことが、自分に対するブレーキになっています。でも、時々フラストレーションを感じて、工芸品をつくるんです」と見せてくれたのが、非売品の小箱と極小の香炉。これもまたすばらしい世界だった。

小箱は、ジャポニズムが大流行した頃に作られたものだそうで、黒い鼈甲は、一見、漆に見え、象眼は明らかに蒔絵を意識している。

塩島氏の作品は、そのほとんどが西洋の香りの高いものだ。それもすばらしいが、あのジャポニズムな感覚をもっと採りいれたなら、さらに新たな世界の展開があるのでは、と感じた。あくまでも、わたしの趣味の話ではあるが。

▼パート・ドーヴェール
塩島氏は、パート・ドーヴェールの作品にも挑戦。極小の精緻なブローチを制作している。一見して、パート・ドーヴェールとは思えなかった。もっと別の、たとえば珊瑚のような素材に感じられた。というのも、わたしの知っているパート・ドーヴェールとはまるで違って、余りに精緻で、しかも硬質なのだ。よく見れば、パート・ドーヴェールにつきものの気泡もない。

これは、ミクロン単位の硝子粉を使用しているためという。そのように微小な硝子粉では、色のコントロールがたいへん困難を極めるため、製品化はむずかしいという。塩島氏の工房でも、3つか4つにひとつ、うまく行けばいい方だそうだ。そのむずかしいハードルを越えた作品たちがそこにあった。すばらしい出来である。

パート・ドーヴェールのやわらかさ、やさしさとは別の世界。これは、新たなる素材の発明だ。ここには、塩島氏独自の世界がある。

ただ、パート・ドーヴェールのあの曖昧さ、やさしさが好きなわたしには、ちょっと硬質に過ぎるように感じられてしまったのも事実だ。

▼目を閉じても……
それにしても、塩島氏の徹底ぶりには驚嘆する。その努力あってのこの作品なのだと感じいる。いい物を見せてもらった。

午後10時27分発の深夜バスで相模原に戻る。バスのなか、目を閉じるとPiqueの象眼が浮かんだ。水晶山に行ったとき、目を閉じても水晶の結晶が消えなかったときのように。実に印象の強い作品たちだった。

塩島敏彦氏の作品展示会は、7月21日(木)〜7月27日(水)まで、池袋の東武百貨店で開催される。興味のある方は、ぜひ。

http://www.toho-pique.com/

▼2005年05月の時の破片へ


Copyright by Ryo Michico
Powered by Movable Type 3.171-ja