▲2005年01月の時の破片へ


■31 Jul 2004 図書館の怪



「宮澤賢治四次元幻想の源泉」の論文の資料にあたる。成瀬関次が『第四次延長の世界』を書くきっかけになったという『世界霊動』、相模女子大の図書館に入っていることが、大学図書館検索サービスWebcatで判明。和光大学から大学間協力で借りることもできるが、なんといっても相模女子大はわが家の隣の敷地、できれば自分で行って調べたい。

調べてみると、和光大学の紹介状でも利用できるが、相模原市在住なら市立図書館の紹介状で、一日限りなら利用できるという。すぐに相模大野図書館に申し込みに行った。許可に数日かかるとのこと。

相棒に、和光大学に行って『宮澤賢治研究資料集成』や『ユリイカ』『現代詩手帖』などのバックナンバーを借りてきてもらう。炎天下自転車で行ってくれて、感謝。

町田図書館にも行ってもらい、福来友吉関連の本を、都立図書館から貸し出し申し込みをしてきてもらった。不思議なことだが、収蔵図書館で貸し出しできないものも、別の館から申し込むと、貸し出しできるシステムになっている。これを利用した。

ユニクロで500円のバスキアのTシャツを買う。顔の絵描いてあるのだが、相棒の洋介の顔にそっくりだ。気に入ったので2枚買う。気に入ったものは、安かったら、いつも2個買うことにしている。壊したり汚したり、なくしたりすると嫌だから。


7月も終わりだ。31日締め切りの原稿が、全然できていない。稲生物怪物語からインスピレーションを受けた変奏としての短編、という仕事だ。昨日、参考にと北杜夫の『幽霊』の単行本を図書館から借りた。検索画面でみると、定価が28000円になっている。一桁間違えたのかと思ったが、出てきた本の奥付を見たら、やっぱり「二萬八千圓」と書いてあった。一体何事? と思ってよく見れば、限定750部の初版復刻版のうちの一冊ではないか。しかも、図書館の書庫には、その本が2冊も収蔵されていた。

出てきた本は、図書館本の常で、カヴァーの上からべったりと透明なビニールカヴァーが貼り付けられ、本体の表紙も見えない。中には北杜夫の直筆サインがあり、検印も捺印されている。こんな、好事家が求めるような本が、どうして図書館にあるのか? こんな風に図書館仕様にしてしまったら、その価値も激減だ。価格も破格に高く、これに5万6千円も出すなら、なかなか手に入らない学術関係の書物をもっと入れてほしいと思う。市立図書館は、一体、どういうつもりでこんな本を買ったのだろう?

と憤然としながらも、大きな活字で、旧字体で組まれた本は読みやすい。しかし、それにしても……なぜ?

■30 Jul 2004 植物の形姿其の二 ライトの空間で聴く「植物文様ピアノ曲集 」


作曲家の藤枝守氏主催のピアノ・コンサート【植物の形姿 其の二/フランク・ロイド・ライトの空間で聴く「植物文様ピアノ曲集 」から】を、自由学園の明日館に聴きに行く。

明日館の改装後、足を踏み入れるのは、わたしははじめて。過剰でなく、実に落ち着いた感じに改装されている。ライトのデザインは強い。けれども、なぜか押しつけがましくない。このような空間で過ごす学生時代というのは、とてもすばらしいものだっただろう。

相棒の松永洋介の丸亀の実家は、ライトの弟子による設計施工だという。彼は、実家の窓とまったく同じ形の留め金を見つけた。全体のデザイン感覚は大部違うけれど、落ち着いた風情は松永の実家とどこか似通うものを感じる。

その空間に、やはりライト設計の木の椅子が置かれ、古いドイツのピアノが置かれている。椎原保氏による光のインスタレーションも美しい。それとは気づかせないような、ごく自然な光の演出。窓の外からいっぱいに差し込む青白い光は、まるで満月の夜の月光のよう。その強い影が、天井にライト独特のデザインの窓枠の影を投げかける。テーブルには、水の入った何でもない硝子コップが置かれている。それを、LEDライトの懐中電灯が照らしている。それも、インスタレーションの一部だ。ピアノの脇に置かれた草の鉢にも光が当てられ、その影がピアノの脇の壁に映じている。障子に映る影のような東洋的な趣もある。そのような控えめな仕掛けが、もともと磁場を持っているこの空間のすべてに魔法をかけ、さらに緊張感のある、それでいて時間を遠くさかのぼったような、なつかしさに溢れたリラックスした空間を創りだしている。

三々五々、人が集ってくる。その空間で、これから起こる何かを、淡い期待を胸に待ち受けている。わたしにはそれがまるで、宮澤賢治の羅須地人協会の再来のようにも思われた。もちろん、賢治の空間のほうがずっと小さかった。けれども、芸術を通じて人々が集い、高めあおうとしたその空間を、賢治の理想のままに形にしたら、きっとこんなふうではなかったかと思わせるような空間だ。もちろんそこに集ってくる聴衆は農民でも学生でもなく、だから賢治の理想のままとはいえないけれど、それでも、その空間に属する人々はみな、どこかゆるやかにつながっているような、そんな気持ちにさせられる温かさが満ちていた。

そして、演奏のはじまり。長身の、たっぷりとした金髪を背中いっぱいにたらしたサラ・ケイヒル氏が、木の床をコツコツと音を立てて歩いてきて、無言の挨拶をし、すっとピアノの前に座った。その指から、古いピアノから、溢れだす音楽。

たっぷりとしたグランドピアノの音色とはまた違う、アップライトの音色だ。グランドに比べると、どこか玩具っぽいところもある。でも、それがまたふくよかなやさしさになっている。ちょうど、賢治が羅須地人協会にオルガンを置いたように、そこには、その音色が似合う。

その音楽を何に例えよう。月光が、ピアノストの金髪に踊って、まるで月光そのものを束ねたように見えた。ふと気づけば、彼女は豊かな月光の髪を垂らした人魚だ。「植物文様」というタイトルだけれど、わたしが幻視したものは、むしろ水のなかの映像。色とりどりのイソギンチャクが、月光の差しこむ海底で揺れている。音は波だけれど、まるで粒子のようになってやってくる。波であり粒子である光のような音。心地よい。ひたすら心地よい。なんという上等な時間。

休憩なしの一時間、少しもたるむことなく、飽きることもなく、あっというまに過ぎてしまった。

明日館という空間と、その空間を満たした光のインスタレーションと光のような音楽。すべてが「有機的に」ひとつになって、極上の時間と空間を生みだしていた。

ひとつだけ気になったのは、このホールのつくり故に、床も何もかも、異様に音が響いてしまうということ。観客の小さな動きも、みな音になって反映してしまう。だから、身を固くして、余計な物音を立てないよう、かなり緊張しなければならない。しかし、その緊張を入れても尚、その時空は極上の時空だった。体は多少緊張ぎみでも、心はゆったりとリラックスしていた。

隣に座る相棒が、目を閉じて聴いていた。時折、こっくりとする。大きな音を立ててはとひやひやした場面もあった。小声で「がんばって目を開いていて!」と頼む。

後で聞いたら、眠っているという自覚は全くなく、最初から最後まで、全部耳を澄ましていたつもりだったという。だから、わたしが何を心配しているのか、さっぱりわからなかったとも。

おそらく、すっかりリラックスして、脳からアルファー波が出っぱなしだったのかもしれない。軽い瞑想状態とでもいおうか。決して眠っているわけではない。けれども、体の緊張は解け、心と精神はいきいきと動いている。きっとそんな状態だったのだろう。

藤枝さんの音楽には、確かに人をそんなふうにさせる力があると思う。CDでは知ってはいたが、生で聴くと、さらに痛感した。ああ、こんなすてきな曲を書く人なんだ、と思うと、いつもの藤枝さんが、急にまぶしく見えた。

■29 Jul 2004 賢治と四次元と古武道



昨日は、おひさま大賞審査会の後、初顔合わせの世界文化社の編集者倉田さんと、学士会館の喫茶室で打ち合わせをした。仕掛かりの保育雑誌ワンダーブックの七画面の物語「すき! きらい!」の件だ。おしゃべりをして実に楽しく時間を過ごさせてもらった。作品にちょっと注文があったので、きょう、早速、手直しをいれて送る。

昨日、わたしが審査会や打ち合わせをしている間、相棒が九段下の昭和館に行って、祖父・寮佐吉に関する調べものをしてくれた。新たに「週刊朝日」と「改造」の記事を発見。さっそく「寮佐吉 雑誌発表記事」としてまとめてくれた。感謝。


またしても昨日のことだけれど、打ち合わせの後、神保町の科学書専門古書店・明倫館で古書漁り。昭和初期に春秋社から出た「世界大思想全集」のうち、ダーウィンとスペンサーの巻を手に入れる。この全集は、宮澤賢治が残した蔵書に全巻収められている。賢治が、世界の大思想家のうち、だれに強い影響を受けたのかは、その蔵書からではなく、作品から類推するしかないわけだ。

小泉八雲は、スペンサーの進化論にいたく影響されたという。その文章の中に「進化」の見える賢治もまた、ダーウィンやスペンサーに影響を受けたかもしれない。手に入れたのは、賢治が持っていたであろう版と同じ昭和2年の版だ。感慨深い。この関連の書物をネット検索する。明治期のスペンサー・ショックについて書かれた 渡部 昇一著『教養の伝統について』(講談社学術文庫 1977)が絶版になっていて残念。ネット古書店で求める。

ここのところ、論文のため、賢治のことを調べている。賢治の四次元幻想の源泉となったという説のある『第四次延長の世界』の著者の成瀬関次についての調査も進んでいる。成瀬関次は、後に刀剣専門家として名をなし、古武道の一派である根岸流手裏剣術3代目師範となった。その直弟子で4代目師範の斎藤聡氏の所在がわかり、連絡をする。来週お目にかかることにする。

調べることで、遠い時代がぐっと近づいてなまなましく息をはじめる。賢治と四次元と古武道。結びつかないと思われるものに線が引かれていく。そこから、何が見えてくるだろう。これは知の探偵のようなもの。探偵ごっこは実に面白い。わくわくする。

■28 Jul 2004 「おひさま大賞」審査会


きょうは「おひさま大賞」の審査会。長新太氏は審査表でのご参加。角野栄子氏、有賀忍氏、編集部とわたしとで審査をする。

今回は、はじめて童話部門と絵本部門、別々に審査。童話部門で物書きチームが推薦する作品は画家チームが不満、絵本部門で画家チームが推す作品は、物書きチームに不評。というふうにくっきり分かれたのが面白かった。物書きと画家の視点の違いか。素人と玄人、といって悪ければ専門家とそうでない者の違いかもしれない。

いずれにしても「どうしても書きたくて書いた」という感じの作品が少なかった。「童話」や「絵本」らしきものを捏造してやろうという感じ。「童話」「絵本」という既成概念に最初から捕らわれているのかもしれない。手際が鮮やかなら、それも腕のいい職人の仕事として楽しめるけれど、どちらかというと劣化コピー。既成概念にとらわれず、もっとのびのび、自分自身の内側にあるものを表出してくれたらいいのになあと思う。

そういうわたしも、既成概念にとらわれてはいけない! なんて思ったが、よく考えてみたら、いまでも充分はみだしている。『楽園の鳥』も小説の顔をしているけれど、なんだか違うかもしれない。わたしの場合は野放図に過ぎるから、もっと既成概念に合わせる必要もあるかも。

■27 Jul 2004 ゲラ読み2日目


ゲラ読み二日目。もう怖くないので、最初からぐんぐん飛ばす。徹底推敲しただけあって、大幅な直しを入れたいと思う場所は、ほとんどない。昨日第一章を読み終えたので、今日は第二章を終わらせるつもりだった。夜も更ける頃、第二章を読み終わり、ちょっとだけ第三章をのぞき見するつもりが、どうにも面白くなってしまってやめられなくなり、とうとうそのまま、夜中の三時過ぎまで読み、読了してしまった。

明日は「おひさま大賞」の審査会があるのに、すっかり夜更かししてしまった。反省。しかし、一区切りついて爽快。やればすっきりするんだから、早くやっちゃえばいいのに! どうしていつもこうなのか。またまた反省。

■26 Jul 2004 『楽園の鳥』初稿ゲラ読み


少し前、掲示板に『楽園の鳥』の「ゲラと格闘中」なんて書いたけれど、正確にいうとこうだ。
「ゲラと格闘する気持ちになるために格闘中」

ワープロで、徹底的に推敲したので、いよいよ初稿が上がるとなると、なんだか胸がどきどきしてしまう。直面するのが怖いような気分だ。もしも、つまらなかったらどうしよう? 怖くてならない。

校閲室から上がってくるのが7月終わりと聞いていたので、それまで時間緒余裕があるのをいいことに、直面を避けていた。それが、心を圧迫して、鬱になったり眠れなくなったりしていたのかもしれない。

どの道、読み始めればその世界に没頭してしまうのだから、そこから先は怖くないはずだとわかっているのだけれど、それでも、取りかかるまで、なんだか壁を感じてしまう。原稿にかかるときもそうだ。取りかかってしまえば、壁らしい壁を感じたことなどない。淡々と、その時自分にできる精一杯をするまでだ。いつだって、取りかかるまでの方が、ずっと壁が高い。

そんなわけで、きょうこそはと思いながらも、なかなか向かえない。朝からずっと、ゲラに向かうための儀式のようなことばかりして、夜になってから、ようやく取りかかることができた。

取りかかってしまったら、やっぱり面白い。眠らなければならないのが惜しいくらいだ。しかし、連日の不眠で、頭、朦朧。ゲラ読みをしても役に立たないので、眠ることにした。久しぶりに、眠れた。

■25 Jul 2004 ヴォイス 未整理分を入力


相変わらずヘタレである。他の仕事をしようと思っていたのに。未整理のヴォイスに手をつけたら、結局それだけで一日終わってしまった。結局新規に12編を追加。

夕刻、東林間のお祭りに行く。すごい人出である。地域社会の活気がある。相模大野と大違いだ。商店街の人ががんばっているからだろう。グリム書房さんも、そのがんばりをしているおひとり。フリーマーケットの割り振りなど、忙しく立ち働いていらっしゃる。臨時の絵本百円コーナーもお店の前に出して、大盛況だ。

楽しい雰囲気なのに、どうも元気が出なくて、ひとめぐりして戻ってきてしまった。元気が出ないのは、やるべき仕事に手が着いていないせいだ。やるべきことがいくつもあるのに、頭の中が混乱状態。なんとかしなければいけない。明日から、もっとしっかりしよう。

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■24 Jul 2004 ヴォイス 過去整理分149編を入力


へたっていたら、silicaさんが気にかけてくださったり、北海道のリトさんが励ましの電話をくださって、気分がぐっと楽になった。わたしは甘ったれである。申し訳ない。ごめん。

ともかく、ほかのことに一時専念しようと、ヴォイス(=詩)の入力をがんばった。すでにまとめてあったヴォイス、149編をようやくアップし終わった。2000年までに、約500編のなかから選び、推敲をかけてあったヴォイスのうち、物語詩の5編を除いたものと、新作の数編を足したものだ。

仕事は進んだが、水の中を歩くようだ。こういう、ちょっとしたことをきっかけに、頭がぼんやりしてしかも興奮状態ということは、たまにある。「鬱になる理由」なんて書いたけれど、理由なんてものはなく、それは単なるきっかけにしか過ぎないのだろう。螺旋の滑り台をぐるぐる落ちていくようなことがないように、自分で気をつけなければならない。眠れないので、きょうは眠剤を使用。

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■23 Jul 2004 わたしが鬱になる理由


鬱である。原因はある。「時の破片」に、ある人物の名前をあげた事に関して(だいぶ前のものだ)強い抗議が来た。本人からではない。その業界の某氏からだ。その方は、わたしが深く信頼を寄せている人で、いままでくじけそうになった時も、何度となく勇気づけてくれた人だ。その人も、立場としてはわたしの方法論に賛成の方で、今回もわたしの方法論には賛同してくださった。しかし、異なる意見の人との会話を、本人の了解なく掲載するのは掟破りであると注意を促されたのだった。

実名で書いた「本人」とは、ある大学に所属する学者なのだが、わたしがイオマンテを題材とした絵本に関して、民族学的な意味での原稿チェックの協力を求めたところ、「そのような題材を絵本にすること自体に反対であるから、原稿は見ない」と言われてしまったのだ。日記には、その顛末を書いた。その人が反対する理由を述べた言葉も収録した。

しかし、日記に苦言を呈してきた方は、寮美千子の意見には賛同するが、それは「個人的な会話」だから、実名で載せてはいけない、正確なつもりでも正確でないこともあるし、ニュアンスが伝わらないこともあるし、個人攻撃になるので、そういうことは礼儀に反する、というご意見だ。相手を思いやり、わたしを心配してくれての忠告だと言うこともよくわかる。

もっともだと思う反面、納得できない気持ちもあり、自分のなかで矛盾してしまって困っている。とても困っている。

わたしは「学者」「研究者」特に、市井の人ではなく、大学などの機関に属する人間には、ある責務があると思っている。それは、研究の成果を世界に還元すると言うことだ。というのも、研究者というのは、ある社会資本に支えられて成立しているわけで、それによって研究も進み、情報も集まる。それは社会に還元されなくてはならない。

情報を握った者は、情報のない者から見たら「権力」を持っているのと同等だ。情報を求める人に対して、その情報を開示しないというのは、権力の濫用であると思う。情報提供や原稿チェックに協力しないで、結果的に間違った情報が流通してしまうとしたら、それは情報提供を拒否した研究者の責任でもある。ほんとうに絵本にするのが間違っていると思うのなら、そのことを真摯に語って、絵本にすることを、わたしに断念させるべきではないか。それもまた、研究者としての責任ではないか。

それをしないで「わたしは原稿は見ません」というだけでは、研究者という権力者の責任を果たしていないのではないか、とわたしは考えた。研究者というのは、知の権力者であり、いわば貴族であり、権力者という存在は責務を伴うものだということを忘れないで欲しいと思う。相手の名を匿名で書けば、ただの愚痴になってしまうので、あえて実名で書いた。名指しでの問題提起だ。

しかし、それは個人攻撃で、プライバシーの侵害に等しいといわれてしまった。研究者といえども人間だから、口頭で確実な発言ができるわけではない。その真意を伝えることもむずかしい。不用意に再録されても困る。研究者としての名誉が傷つけられてしまう。それを平気でしてしまう人の方も、人格が問われる、というご忠告だった。

「絵本化するのは反対」という考え方は、あるだろう。ただ、なぜ反対なのか、それはきちんと語られるべきだ。もし、絵本化しようとする人間が助言を求めてきたら、絵本化してはいけない理由をきちんと述べて説得し、絵本化を中止させるよう努力すべきだ。

絵本化といっても、その内容は様々だ。絵本化反対といっても、もしその理由が「間違ったイメージを流布することになるから」という理由であれば、内容をチェックすべきだ。内容がデタラメでひどいものであれば、体を張ってでも出版を中止するよう説得すべきだし、訂正して何とかなるようなものなら、それを正すのが研究者という立場の人間の責務であると思う。

しかし、それをせずに、ただ原稿を読むこと自体を拒否するというのは、わたしは研究内容の問題ではなくて、研究者の姿勢として、間違っているのではないかと思う。そして、それを実名で挙げることは、誹謗中傷ではなくて、事実の提示であり、問題提起であり、原稿を見て意見を欲しいという強いラブコールでもある。

相手に反論の機会が与えられていないならともかく、反論できる掲示板もあるので、わたしとしてはアンフェアとは思わなかった。議論に乗ってきていただけて、なぜ絵本にしてはいけないのかを、きちんと教えていただければ、それもまたいいことだと思った。

ある民族の大切な儀式を絵本にするのは、不敬なことであるし、不遜なことだ。わかっている。しかし、そこにその民族のスピリットが凝縮しているのだとしたら、それを一般に伝えようと努力することも、また大切なことではないか。それが、伝統の灯が消えようとしている危機にあるなら、なおさらそこに目を向けることが大切ではないか。

しかし、その民族のスピリットを、では筆者が理解しているかといえば、心許ない。絶対とはいえない。しかし、だからこそ、その民族の人々の生の声を聞き、原稿をお見せしてご意見を伺い、研究者にも意見を聞いて、なるべくよいものに近づけるよう努力している。

ご忠告くださった方は、その努力には賛同してくださるとおっしゃる。けれど、名指しで研究者が原稿を読むのを拒否した事に関する会話を載せるのは、アンフェアで礼儀に欠くとおっしゃる。

わたしは、このような研究者の責務それ自体に関する根本的な考え方の相違は「個人的な会話」ではなくて、もっと大枠の大切な問題で、実名入りで発表されて然るべき公的なものに思っている。そのように考えている人がどこの誰なのかはっきりわかるようにして、その問題について、みんながきちんと考えていくべきではないかと思う。みんなから見えるところで堂々と議論したらいいと思う。

そういうことを、堂々と言い合えるような、そんな風土が一般に日本の学問の世界にはないらしい。罵倒合戦、恨み合戦ではなく、こういう理由でこうだから、あなたの考えは間違っていると思いますと、専門家は非専門家にきちんと語るべきだ。そして、それは恨みとか誹謗とか、つるし上げとか、喧嘩とは全然違うことだと思う。

でも、異なる意見を述べた相手のことを実名で掲載すると、それだけで誹謗中傷扱いになってしまう。議論という風土ができていない。穏便に穏便に事を進める日本のやり方が、もやもやとした、実名のない、つまり責任の在処のわからない世界を形成し、誰が何をいっているのかの情報もなく、閉じられた内側の世界のことは、ますます外に知られず、わからない靄を形成していく。

わたしは、そういうのが納得いかない。そういう霧や靄に包まれた状況が、閉じられた内側の不可解な世界をつくり、どんどん世の中を悪くしていくように思われてならない。

けれど、わたしが深く信頼を寄せるその人の忠告なので、受け入れることにして、実名を消した。それは、理屈での納得ではなく、信頼を寄せるその人が、感情的になるほど怒っているということを、真摯に受け止めたかったからだ。

実名で書いた本人からではなく、まったく別のところ、しかもある部分同じ考えを持っていた人から、このような指摘を受けたことに、わたしは大きなショックを受けてしまった。

というわけで、わたしのなかに大きな矛盾が生じてしまった。このような矛盾に直面すると、わたしは心が弱いのですぐに許容量を超えて、逃げだしたくなる。書いてみれば、問題の所在が明らかになって、もっとすっきりするかと思ったが、そうでもない。

とどのつまり、忠告をくださった方の思いを受け止めたいと思っているのに、理屈では納得がいかないので、自分の中で矛盾してしまい、結果的に、自分の信条に反したことをしてしまったことが、わたしを鬱にしているのかもしれない。

わたしは「隠蔽」というのが、世の中を悪くする原因だと短絡的に思っているところがあるから、自らが隠蔽工作をしてしまった事に関して、自責の念があり、だからといって、信頼する某氏の忠告を「納得がいかないから」と拒否することも心情的にできなくて、自分のなかの理屈と心情とが分裂してしまったらしい。

そうか、わたしは自分を責めているんだ。隠蔽工作をした自分がイケナイと思っている。弱い奴だと情けなく思っている。信じているところを貫けばいいのに。しかし、大切な助言者の思いを裏切ってまで、貫かなくてもいいようなことにも思う。だがしかし……と、どこまでもぐるぐるしてしまうのは、典型的な鬱の症状である。逃避でもいいから、ここから抜けた方がいいかもしれない。

■22 Jul 2004 『すてきなすてきなアップルパイ』原画完成/復刻版『赤い鳥』


▼『すてきなすてきなアップルパイ』
すずき出版の井上智絵さんと、ラシエットで打ち合わせ。保育絵本「こどものくに」来年3月号として制作中の『すてきなすてきなアップルパイ』の原画が完成、見せてもらった。

絵は篠崎三朗氏。今年の春のキンダーブック4月号「さくらえん」ではじめて組ませていただいた方だ。1937年生まれの大ベテランの方だが、実に若々しくのびやかな画風で、わたしははじめてその絵を拝見したとき、若い女の画家さんかと思った。しかし、よく見れば、ベテランらしく芯の通った揺るぎなさが感じさせられる。この方ならきっと、すてきな絵を描いてくださると思ったが、思った通りだった。

なんのケレンもなく、実にまっすぐな絵なのに、ファンタジーがある。心のなかに、世界がふわっと広がる。ベテランでなくてはできないお仕事だなあと、ほれぼれと見とれてしまった。感謝。できあがるのが楽しみだ。

▼『たいちゃんのたいこ』
井上さんから、うれしいお知らせもあった。1997年にすずき出版からでた保育絵本『たいちゃんのたいこ』が、来年の春に上製本として書店発売になるという。絵は大島妙子さん。楽しみだ。いい仕事をしておくと、後からごほうびがもらえてうれしい。当時の後書きを再録する。
●《地球の音とセッション》
音楽ができる人がうらやましくてなりません。ピアノなら、おとなになってから独学で 楽譜を見てなんとか弾けるようになったけれど、そういうのではなくて、ジャズや ブルースのセッション。ヴォーカルに反応して、サックスやギターが歌うように応えます。 息がぴったりあったときの心地よさは、ただ聴いているだけでもこたえられません。 そんなふうに、言葉ではないもので、言葉以上に心を行き来させることができたら、 どんなにかすてきでしょう。知り合いのミュージシャンで、それを人とではなく、 自然としてしまう人がいます。虫の音や鳥の声、風のざわめきや波の音とセッション してしまうのです。森や川や海のように、そのなかの鳥たちのように、彼もまた自然の 一部になって。そんなこと、もしかしたらおとなよりも小さな子どものほうが、 ほんとうにすなおにできるかもしれない。そう思ってこんなお話が生まれました。 こんなふうにできたら、いいのにな。
               【『たいちゃんのたいこ』(1997年/鈴木出版)より】
▼復刻版『赤い鳥』
夕方から、グリム書房の剱重さんが本を届けてくださった。復刻版の『赤い鳥』を破格の安値で譲ってもらったのだ。宮澤賢治の持ち込み作品を袖にした雑誌だし、このようなものを買うつもりは全然なかったのだが、祖父の寮佐吉の事を調べていたら、なんだかその時代に愛着が出てきてしまった。単行本収録されていない大作家の作品も多数掲載されている。当時の作家が全力投球した意欲作を読んで、志を新たにしたい。

それと引き替えといったらなんだけれど、こちらが売る本を持っていってもらう。売る本のなかには、グリム書房で買った物も混じっている。アイヌ語の辞書なのだが、増補新版が出たのでそちらを購入、古い版が不要になってしまったのだ。内々で売ったり買ったりしてて、しかも同じ本が行ったり来たりしていて、これで儲かるのかなと心配になる。「あなたにだけは心配されたくないよ」といわれてしまうかもしれないけれど。

こうやってみんなで物々交換して、生きていければいいのになあ、などと、思わずガキのような夢想に浸る。

剱重さんから、国会図書館の裏話や、絹の布に刷った大正天皇ご成婚の新聞!など、いろいろと面白いお話をいっぱい聞かせていただいた。古本の世界は、ほんとうに面白い。分け入ると、余りに魅力的で危険な迷路だ。いつか、そういう話をまとめて本になさったらいいのにとすすめた。

追記:剱重さんは「今日の一冊」を日記で公開中。書庫から出てきた珍しい本の話がぞろぞろ出てきて興味深い。でも、昭和14年の宝塚の役員名簿なんて、誰が買うんだろう。やっぱり心配になるわたしであった。

■21 Jul 2004 おひさま大賞予備選考/国会図書館にコピー申し込み


▼物語の明と暗
小学館の雑誌「おひさま」が主催する「おひさま大賞」の童話部門の予備審査をする。最終候補にあがってきたのは20作。じっくりと読む。読んでいるうちに陰々滅々とした気分になる。しかし、なかにはほっとするもの、思わず笑みがこぼれるものもある。やっぱり、笑みがこぼれる作品がいい。今年は一編、ダントツの作品があったので、うれしい。

考えさせられる、胸がえぐられるような哀しい物語があっても構わないとわたしは思っている。魂に響く純度の高い作品であれば、きっと読後感は爽快になるはずだ。けれど、ただ不潔だったり、じめじめしていたり、意地悪だったりするのはゴメンだ。物語の中で登場人物が競いあうにしても、どうして互いに意地悪をいいあったりしなければならないのか。「もっと楽しいよ」「こうするともっともっと楽しいよ」と、互いに楽しさを二乗三乗していくわけにはいかないのか。

宮澤賢治の童話のなかには、意地悪だったり欲深かったりする登場人物も出てくるけれど、読んでいて陰々滅々とした気分にはならない。結果的に教訓であっても、少しも教訓臭くない。ほんとうによく観察して、客体化し、カリカチュアライズしているからだろうか。生き物の「業」のようなものも含めて、命を深く愛しているからだろうか。悪者の言動にさえ、思わず笑ってしまうようなところがある。賢治の作品は、暗いはずの物語でも、透明に輝いている。

▼遠隔から頼める国会図書館コピー・サービス
相棒が、相模大野図書館に行って、国会図書館所蔵書籍のコピー申し込みをしてきてくれた。このごろは、わざわざ国会図書館まで行かなくても、書籍の請求番号やページを指定できれば、どこの公立図書館からも申し込みができるようになっている。請求番号は国会図書館蔵書検索システムNDL-OPACで調べられるようになったから、ほんとうに助かる。図書館の営業日3日で発送してくれるという。申し込んだ図書館宛に送ってくれるので、取りに行けばいい。だったら自宅に送ってよといいたくなるが、まあいい。送料がかかっても、交通費を考えたら得だ。

けれど、やっぱり実物の本にも触ってみたいから、いろいろとあたりをつけて、近いうちに国会図書館に行こう。

■20 Jul 2004 賢治書誌探偵


昨日に引き続き、賢治関連の調べ物をする。インターネットで検索できるようになって、家でもかなりのことがわかるようになったのがありがたい。賢治の蔵書を調べているうちに、あっと驚く発見があった。ますます興奮する。現物の資料を手に入れなくては。

いままで、賢治関連の研究書では、賢治の「四次元幻想」に関して、研究者が独自の読解をするといった方法が取られていることが多く、賢治が実際にどんな本を読んだであろうかという方面からの研究が、いまひとつ遅れていたように思う。当時出版されたもの自体に当たっての研究は、そう多くない。これは、面白いテーマかもしれない。わくわくしてくる。

賢治の書簡になにか手がかりはないか、読み直す。アインシュタイン来日の年、賢治は妹のトシ子を失っている。トシ子永眠が11月27日、アインシュタインの仙台講演が12月3日だ。賢治は、アインシュタインどころではない哀しみのまっただ中にいた。書簡などを見ても、アインシュタインや相対性理論のことには、少しも触れられていない。校本などに書かれているように、原稿の余白にわずかにメモ書きのようにして、アインシュタインの名があるばかりだ。

となると、決め手はやはり蔵書リストからの推測になる。少ない手がかりから捜し出すのは探偵のようで面白い。いかんなあ、面白いことが多すぎて困る。また夜明かししてしまった。

■19 Jul 2004 『第四次延長の世界』はトンデモ本?!


一昨日調べていた、宮澤賢治の「四次元幻想」の源泉、面白くなって深追いする。賢治研究家の西田良子氏が指摘している「第四次延長」という言葉の直接の源泉であるという本『第四次延長の世界』(成瀬関次著 昿台社1924)は、よくよく見れば相対性理論を援用した当時の「トンデモ本」の一種であるらしい。調べてみると、成瀬の「第四次延長」の発想の発端それ自体が、催眠術や念力だった。賢治は、ほんとうにそんな著作に心酔したのか? まさか、というわたしの思い入れはあるが、色眼鏡を廃して、ここは実物に当たってみなければならない。

大正11年のアインシュタインの来日により、日本に相対性理論の一大旋風が巻き起こった。多数の相対性理論の本が出版されたが、なかには四次元といった不可解なイメージを援用(濫用)して、超能力や、いまでいうところの「精神世界」に利用した著作もあったようだ。

果たして、宮澤賢治とそのあたりの関係やいかに? 俄然、調べてみたくなった。このテーマで、大学の紀要に論文掲載の申し込みをすることにした。調べ物をして、論文の梗概を書いていたら、徹夜になってしまった。明るくなってから眠る。

■18 Jul 2004 福田直樹CD「ドビュッシー・ピアノコンサート 夢」完成記念コンサート&パーティ


▼ジャケット画制作秘話
ピアニストの福田直樹さんが「ドビュッシー・ピアノコンサート〈夢〉というCDを制作、その完成記念コンサート&パーティに招いていただいたので、お祝いに紅白のワインを持って相棒と二人でかけた。

会場のプレジールは目黒大鳥神社のそば。CDのジャケットの絵を描いた画家の東逸子さんや、西はりま天文台の黒田武彦台長の顔も見える。五十人ほどの観客が集って、コンサート開始。ドビュッシーのことや、当時の音楽事情、印象派のことなど、奏者自ら解説を交えながらの独特のスタイルだ。知識を得ながら音楽を楽しむというこのスタイルが人気で、福田さんは全国の学校などからひっぱりだこだという。コンサートの自主企画をする人々とも交流があって、きょうも遠くは岡山からわざわざ駈けつけるサポーターの方もいらっしゃった。

演奏前に、このCD制作に関わった人々の挨拶があり、東逸子さんも、絵の制作について語ってくださった。CDには福田さんご自身が編曲なさった「牧神の午後」が入っているが、東さんは、CD収録後、その音を聞いて、そこから想起するイメージを絵にしていったという。

そのような制作手順だと完成まで時間がかかってしまうから、普通は音源制作とジャケット制作を同時に進めてしまうものだ。しかし、今回は福田さんたっての希望で、このスタイルがとられたという。効率的に制作することよりも、手間をかけ、CDそのものがひとつの工芸品であるような完成度の高さを、福田さん自身が求められたわけだ。確かに、すばらしい宝石がしまわれている美しい宝石箱のようなジャケットになっている。

絵は、表だけではない。なんと、CDの下にも別の絵が入っているという贅沢さ。東さんのおうちのそばの「こもれびの森」からイメージした木漏れ日の絵だとのこと。木漏れ日のちらちらきらきらと輝く感じを表現するために試行錯誤したところ、輪郭なしに様々な色を置き、時には霧吹きで絵の具水(訂正21Jul.2004)を吹きかけることになり、意識はしてなかったが、結果的に印象派的な手法になったと、制作秘話を語ってくださった。

▼音響論争から理想のグランド・ピアノの話へ
コンサート後半。話は、今回の録音のことからはじまった。録音についても、福田さんは「こだわり」を持たれ、徹底的な追及をなさったとのこと。録音技術者も交えて、どんな点を工夫したかを子細に解説してくださった。人間の耳は微妙な音のズレを感知してしまうので、水晶時計ではまだ精度が足りない、ということから、その二十倍の精度のあるルビジウム時計を使われたとのこと。音響メーカーのティアックが、技術供与をしたという。

しかし、さすが福田直樹氏のお友だちである、黙ってうんうんと聞いているわけではない。どしどし質問が飛びだす。意見も飛びだす。挙げ句、グランドピアノの天板の形状そのものを変えた方がコンサートには最適ではないか、という話にまでいたり、理想のコンサート・グランドの形状までが議論された。

参考までに結論だけ書いて置くけれど、天板の蝶番は鍵盤の側にあるべきで、ぱかっと空いた方を観客に向けるのが音がいい。けれど、そうすると奏者の顔が全然見えなくなってしまうので、反響の良い透明素材で出来れば申し分ない。硬質なアクリルなど、試してみる価値がありそう。それでも、奏者の手許が少しも見えなくては面白くないので、奏者の背後の壁を鏡にするなどの工夫が考えられる。などなど。

尽きない音響談義を一段落させて、演奏へ。少しお酒の入った福田さん、前半よりずっと固さが取れて、音もひとつひとつクリアに立ってくる。最後の「月の光」が絶好調だった。

▼絵を描く少女
終了後、みんなで近所の焼鳥屋さんへいって打ち上げパーティ。10歳になる娘さんが絵が好きで、酔っぱらいたちに囲まれて手持ちぶさたになり、紙袋に絵を描きだした。持っていたノートをあげると、喜々として何枚も何枚も描く。見ると、みんなの似顔絵だ。各人の雰囲気をよく捕らえている。「ずーっと描いてるねえ」と声をかけると「だって、みんな違うんだもの」という答えが返ってきた。なんて鋭い子だろう。このままどこまでもすくすくと伸びてほしい。といっても、もう155センチでわたしと同じ背丈だから、きっとこの夏休みには抜かれちゃうなあ。

■17 Jul 2004 四次元幻想の彼方の賢治と佐吉


きょうは「稲生物怪物語」とマラルメの「牧神の午後」の融合について考えようと思っていたのだが、途中から、ふいに、「四次元」をめぐる祖父・寮佐吉と宮澤賢治との関連が気になって、調べだしてしまった。書誌探偵に没頭。結果は以下に。
・宮澤賢治の「四次元幻想」と寮佐吉「通俗第四次元講話」

■16 Jul 2004 眠る女


昨日で和光大学の夏休み前の授業が終わった。ほっとした。効率的に深い議論を展開するため、ネットを使った授業を展開しているのだが、そのために四六時中授業に関わっているような気もする。学生も熱心で、次から次に作品を提出してくる。うれしいのだが、反面、授業のない日でも緊張感が取れない。わたしには妙に生真面目なところがあって、責任を感じすぎてしまうところもあるのかもしれない。

終わって心底ほっとしたのか、朝食をとったあと、吸い込まれるように眠ってしまった。目が覚めて、昼食をとると、また吸い込まれるように眠ってしまった。体が鉛のように重く、動けない。大学の翌日は疲れてしまってよくそういうことがあるが、それにしてもひどかった。目が覚めて、ようやく日記などしたためた。

きょうは、アイヌ文化交流センターで文化講座キロロアン「アイヌ工芸の魅力を語る」高野繁廣氏の講座があったので、どうしても行きたかったのだが、とうとう出かけられなかった。ウメ子さんを知っている人々と語り合いたかったのだが、残念である。

■15 Jul 2004 物語の作法/戦前の朝日新聞で寮佐吉検索/安東ウメ子さん訃報


▼和光大学「物語の作法」 
夏休み前最後の授業。露木悠太くんの短編「ラジカル・ラジオ」の合評を行う。はじめてエレキギターを手にした少年の心の躍動感を表現したいい作品だ。スピード感が溢れ、適度にユーモアも混じり、細部がとてもすばらしい。

しかし、全体像はと見ると、プロポーションが狂っている。引用したロックバンドの詞が不必要に長く感じてしまうのも、そのせいだ。全体の構成力が弱い。

全般に言えるのだが、みんな文章はうまい。数行の単位で見ていけば、実にソツなくできていて、時には驚くほど新鮮な表現もあり楽しめる。しかし、読み終わったときの満足感が低い。全体をきちんと構成していく腕力に欠けるのだ。器用だけれど、底力がない。

しかし、これが一年二年と合評を続けていくと、驚くほど力がついてくるから不思議だ。別に何を指導しているというほどでもないのに、まるで毎日腕立て伏せをしたみたいに、力がついてくるのだ。伸び盛りの学生たちにとって、毎週一回、他者の作品を批評したり、批評されたりするというのは、それだけ力になるのだろう。まぶしいくらいだ。

授業の最後に「この夏休みに、作品制作の計画のある人」というと、何人かが手を挙げた。ひとりひとり、その計画を発表してもらう。友だちと各駅停車の旅をして旅先で詩を読みたい、長編に挑戦、公募にチャレンジ、という学生もいる。希望に満ちた長い長い夏休みがすぐそこだ。みんなの前で宣言したことで、一層その気になっただろう。みんなの健闘を祈りたい。わたしもがんばろう。

▼「朝日新聞戦前紙面データベース」
授業の後、大学の図書館で寮佐吉関連の調査をする。朝日新聞社が「朝日新聞戦前紙面データベース」を制作、CD-ROMを発売した。すべての記事と広告のキーワードが索引化され、すべての紙面が画像として収録されている。定価で178万5千円もする高価なものだが、大学が図書館に入れてくれた。これを検索する。

「寮佐吉」で検索すると6件あがってきた。さっそく読んでみる。小川未明の、佐藤春夫の、大佛次郎の隣りに、寮佐吉がいる。上がってきた記事は以下の通り。
昭和6(1931)年
【5月20日朝刊9面】
光速測定に捧げた一生 マイケルスン博士の死【上】
【5月21日朝刊5面】
光速測定に捧げた一生 マイクルスン博士の死【下】

昭和8(1933)年
【10月19日朝刊9面】
パイナツプルとノーベル賞金(上)
【10月20日朝刊9面】
パイナツプルとノーベル賞金(下)

昭和9(1934)年
【5月31日朝刊9面】
みみず異聞(上)
【6月1日朝刊9面】
みみず異聞(下)

「朝日新聞戦前紙面データベース」による
http://www.asahi.com/information/senzencd.html
「光速測定に捧げた一生――マイケルスン博士の死」のなかには、こんな記述がある。
映画王国ホリウッド男女スターの一びん一笑は、忽ちにして世界中に喧伝せられる。大なる真理への戦争の学聖の末路の何と物さびしくて静かなることよ。新聞紙は僅かに一片の海外電報として、この自然科学史上の一代事件を余りに無関心に取扱っている。
芸能人の動向は逐一知らされるのに、科学に無関心なことは、今も変わらない。そのことを嘆く祖父の気持ちが時を越えて伝わってきて、わたしは思わず、図書館で涙ぐんでしまった。

「みみず異聞」は、みみずに関する古今東西の情報を短い記事のなかに網羅していて驚かされる。昭和9年に書かれたこの記事には、昭和13年に日本ではじめて訳出されたダーウィンの名著「みみずと土」にも触れられている。さらに「本草綱目」「倭漢三才図会」「東国通鑑」「今世開巻奇聞」などにも言及。平凡社の百科事典の記述の間違いまで指摘している。マオリス島の人々がみみずを食べるとあるが、そんな島はなく、先住民のマオリ族のことである、と指摘しているのだ。

ともかく、その守備範囲の広さには驚かされる。ネットもなく、情報も少なかったあの時代、一体どうやって情報収集したのか。「ポピュラー・サイエンス」「サイエンティフィック・アメリカン」の最新記事をわずか3カ月遅れで日本に紹介していたという情報もある。(「日本ロボット創世記」より) 市ヶ谷の家には、天井までぎっしりと洋書が積まれ、三省堂や丸善の洋書のお得意さんだったというから、よっぽど洋書収集にお金も労力もつぎ込んだに違いない。東京大空襲ですべて灰塵と化してしまった。もったいないことだ。

祖父の仕事を見ると、いつも頭が下がる。わたしももっとがんばらねばと思うが、とても足許にも及ばない。それだけの努力をする根性も、相対性理論を解す理解力もないけれど、できる範囲で精一杯がんばりたい。

▼安東ウメ子さんの訃報
帰りがけ、ひどい雷雨にあう。まだ明るい空に稲妻が光るのがはっきりと見えた。豪雨の中を水しぶきをあげて走ってくる電車は、オールスバーグの絵本の中の列車のようだった。

家に戻ると、訃報が届いていた。アイヌの古老・安東ウメ子さんの訃報だ。きょうの午前11時過ぎに息を引き取られたという。お昼には、もう北海道のリトさんから電話連絡をくれていた。姪御さんの青木悦子さんからもお電話をいただいた。それから夜にかけて、あちこちからウメ子さんのことでお電話をいただく。みんなみんな深く悲しんでいた。

ウメ子さんを相模大野にお呼びしたのは、2002年の11月16日のこと。作曲家の伊福部昭氏とウメ子さんが、おふたりとも「会いたいねえ」と互いにおっしゃっているとのことで、お二人の会合を実現させようとお招きしたものだった。せっかく来ていただくならと「安東ウメ子+寮美千子ライブ アイヌの歌と語り」も企画、相模女子大のホールでコンサートを開いた。いろいろ大変なこともあったが、いまとなれば実現できてよかった。みなさんの協力で、ウメ子さんおひとりの歌やムックリの演奏をビデオに収められたことも収穫だった。トンコリのOKIさんとのコラボレの映像は多々残っているが、ウメ子さん独りのものは少ない。そして、おひとりの演奏の方が、アイヌの伝統を色濃く残している。いまとなれば、貴重な資料だ。

現在製作中の絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」も、ウメ子さんにお話をお伺いさせていただき、それを元にイメージを広げた部分がある。ウメ子さんが、子熊の愛らしさを、すぐ目の前に子熊がいるようにありありと語ってくれたこと、それが、物語の中核を形成することになった。かわいい子熊を送るときに、哀しくて哀しくて、お母さんたちはみんな泣いて、子熊にお乳をやった人など「火の神を見ているから」と炉端から離れなかったと、ウメ子さんは話してくれた。「カムイの国に送るのに、やっぱり哀しいのですか?」と、わたしがバカなことをお伺いすると「そりゃあ、哀しいさあ。哀しくないわけないでしょう」という答えが返ってきた。ああ、神話を心から信じていても、現実の別れの悲しさは変わらないのだと、わたしはその時、はじめて実感した。その確信を持てなければ、やはりあの作品は生まれなかったのだ。

ウメ子さんのやさしい声が、いまでも聞こえるようだ。母なる大地のやさしさに包まれているような、そんな声だった。いつでも、どんなときでも、ふんわりとやさしい声で迎えてくれて、自分が受けいられているのだと感じることができた。いまごろは、一足先にあちらへ行かれた息子さんとご主人と、楽しく語らっていらっしゃると思う。ウメ子さんのご冥福を心からお祈りする。
・アイヌ文化の巨星・安東ウメ子さん逝く

■14 Jul 2004 ラシエット/ポエトリー・リーディング No.1


▼演目ぎりぎりまで決まらず
ラシエットのポエトリー・リーディングの会。ピアノ演奏でコラボレしてくださる作曲家の高橋喜治さんにも早く演目を伝えたいと思いながらも、どうしても決められずに当日になってしまった。テーマが決まっている朗読会ならたやすいのだが、小さな朗読会で読むときは、あれこれ迷ってかえって決めにくい。出がけにやっと決めて、印刷して出かけた。

今回は、鎌倉の朗読グループ「木蓮の会」のお二人、大石久子さんと志村悦子さんが参加してくださる。もうひとり「父は空 母は大地」を読む予定の方が来られないと連絡があったので、予定していた群読は中止とばかり思っていたのだが、お二人が「群読を楽しみにしていたので、ぜひ」とおっしゃるので、急遽やってみることにした。

手許にある群読用のテキストは「4グループ+指揮者」向けのものなので、これを「4人+1人」のものにして行うことにした。急に助っ人が必要になり、聞くためだけに来ていたsilicaさんともう一人の方に協力をお願いした。

▼寮美千子&高橋喜治コーナー
ラシエットの朗読会は今回が第1回目。どんな人が来るかわからない。ラシエットのオーナーの治子さんの主催だが、応援を求められたので、文芸年鑑で地元で詩誌を出している方々を探して、わたしからハガキを出しておいた。町田・相模原近辺で、6つもの詩誌が出ていることを知って驚いた。月曜日に慌てて出したのでどうだろうかと心配したが、なんと二つの詩誌の方々がいらしてくださった。詩誌「釣果」の川端進さんと、詩誌「るなりあ」の荻悦子さんだ。ほかにも治子さんが声をかけたJunJunさんと綾女さんたちもきてはじまりはじまり。朗読会は、ゲスト出演「寮美千子&高橋喜治コーナー」からはじまった。プログラムは以下の通り。
1 木蓮
2 父は空 母は大地/群読 
3 少年
4 おいしい水
5 水の彫刻
6 Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる
急ごしらえのチームでの群読だったが、楽しかった。木蓮の会のおふたりは、さすが日頃鍛錬しているだけあって、声も通り、読み方も美しい。感心した。

▼オープン・マイク
10分の休憩をはさんで、オープン・マイク形式で以下の方々の朗読があった。

外間さん(+高橋喜治氏)/山歩きの詩 沖縄戦で亡くなった父に捧げる詩
川端進さん(+高橋喜治氏)/森茉莉忌にちなんだ作品、他
綾女さん(+高橋喜治氏)
Jun Junさん/お人形ポエンジーより(+昔の起きあがりこぼし人形の音)
荻悦子さん/「るなりあ」より送り火、他
望さん

まだ時間があったので寮美千子が勝手にアンコールで『星の魚』を高橋さんのピアノで朗読。高橋さんがピアノで詩にぴったりのすばらしい間奏をしてくださって、感謝。終了となった。

▼オープンマイクのむずかしさ
第一回目にして、オープンマイクのむずかしさを痛感。今回は時間制限を設けなかったのだが、なかには長々とトークをはじめてしまう人がいる。これは、どこのオープンマイクでもあることだけれど、わたしは感心しない。詩を、直球でぶつけるというのは、確かに勇気のいることだと思う。その詩をどんな時にどんな心境で書いたとか、いろいろと説明したくなる気持ちも判る。しかし、それは往々にして「言い訳」に聞こえてしまう。せっかくの詩の言葉の緊張感もなくなってしまう。説明が必要なこともあるだろうが、最低限に留め、やはり詩は詩として勝負してほしい。そう感じた。

▼心に残った朗読
【外間さん】
外間(ほかま)さんは沖縄出身の59歳。高校の社会の先生をなさっていたそうだが、定年退職。悠々自適の生活をなさっている。2年前から、突然、詩を書きはじめたそうだ。今回、読んでくださったのは、山歩きの詩。淡々と、山歩きの風景を語った詩で、なんのひねりもない素朴な詩だったが、それがかえってよかった。耳から聞くと、山の清新な空気がすうっと流れてくるような気がした。終戦の時は生後6カ月だったとのこと。若き父を沖縄戦で亡くした体験を詩にしたものは、胸に迫った。実際の沖縄戦を記憶してはいないが、いまは沖縄戦の語り部として、神奈川県内の高校をめぐっていらっしゃるという。こういう、素直に心から流れでるような詩を、その人自身の生の声で聞くことは楽しい。

【荻悦子さん】
この方は、もう詩集を4冊も上梓なさっている本格の詩人。最新作は、思潮社から出版された「流体」という詩集だ。ご自分ではオープンマイクにエントリーなさっていなかったのだが、こちらから「ぜひ」とお願いすると、舞台に立ってくださった。「わたし、朗読というものは信じていなかったのですが……」とおっしゃりながらも、朗読がはじまる。詩誌「るなりあ」から「送り火」をいう詩を読んでくださったのだが、文字で読むのとはまた違う何かが、すうっと流れてきた。幻想のなか、海のうえを沖へと去っていく若きお祖母さまの姿が、その声のなかからたちあがってくるようだった。文字で読むのもいいが、朗読もすばらしい。この方の詩は、もっともっと朗読で聞いてみたいと切に思った。

【望さん】
乗るべき電車を間違えて遅れてしまったという望ちゃんが、最後に駈けこんできた。まだ汗を拭いている望ちゃんに「詩を持ってきた?」と聞くと、持ってきたという。さっそく読んでもらった。望ちゃんは、すっくと舞台に立つ。声に出そうとするのだが、その最初の声がなかなか出ない。周りの空気が、薄い氷のように結晶していく。その氷をぱりんと割って、望ちゃんの声が届いてくる。短い詩だ。けれど、研ぎ澄まされた言葉がすうっとよく切れるナイフのように心の奥にはいってくる。下を向きがちな望ちゃんに、マイクの位置を調整してあげて、もっと顔を上に向けるようにいった。それだけで、声はもっと鮮やかに届いてくる。きっと、次にはもっとくっきりと届いてくるだろう。先が楽しみだ。

▼これからはトーク禁止に!
様々な人の、様々な人間性が伝わってくる朗読会。読み方も詩も、それ自体も「上手」でなくても構わない。その人の心の形が感じられることが楽しい。ただ、他者性のない垂れ流しのようなおしゃべりや、自らの詩を補強するがごとくの(補強なんかできはしないのに)自慢話はごめんだ。そうではなくて、「詩」をきちんと「詩」として提示しようとするならば、きっとどんな詩でも、聞く側は楽しめるだろう。そのなかに珠玉の詩が混じってくれば、なおさらにすてきだ。

「詩」を「詩」として他者の前に「声」で投げだすことは、勇気のいることだ。けれど、その勇気を持ってほしいと思う。トークなしに読めないような詩なら、みんなの前で読む必要はない、とさえ、わたしは思う。主催者の治子さんに「これからはトーク禁止にしない?」と提案した。

▼音楽とのコラボレとの危険性
音楽とのコラボレもまた、むずかしさをはらんでいる。音楽に「頼って」しまう危険と、常に背中合わせだ。本当のコラボレは、真剣勝負だ。今回、わたしが高橋さんとコラボレしているのを見て「ぜひわたしも」と3名の方が高橋さんにコラボレを頼んだ。高橋さんは快く即興で応じてくださった。良き面もあったが、言葉だけで勝負した方がよかった部分もあったように思う。音楽がいい雰囲気をつくってしまうので、それに甘えてしまうところがあるからだ。わたしも、自戒しながらやっていきたい。

こんな会を地元相模大野で企画してくださったラシエットの治子さんに感謝。この会が、よりよきものに成長していくことを祈っている。

■13 Jul 2004 某プレゼン


カッとなり某所に某作品をプレゼンをする。なぜカッとなったかは、言わぬが花である。

■12 Jul 2004 意欲的な編集者/雑誌「ほっぺ」創刊2号入手


▼「ライオンくんのしんがっき」
フレーベル館の編集者・平岡さんと打ち合わせ。キンダーブック、来年の4月号の5画面の物語。4月号なので、2作出して欲しいといわれ「ライオンくんのしんがっき」と「ちっちゃなぞうくん」を提出してあった。4月号は年間の講読予約を取る号なので、選ぶ方も慎重。冒険よりも無難が好まれる傾向にある。

「ちっちゃなぞうくん」の方が無難なので、きっとそっちになると思っていたのだが、さにあらず。「ライオンくん」を採用したいというので、驚いた。「4月号はお行儀がよくて無難」という定型のイメージを打破して、新しい風を吹きこみたいという。意欲的だ。

意欲的な編集者はいい。打てば響く。こっちも響き返したくなる。やる気になる。

▼「おそらにはてはあるの?」
平岡さんは物理学者の佐治晴夫氏の絵本「おそらにはてはあるの?」のような物語をやってみたいという。
「なぜ夜は暗いの?」 小さい子どもがはじめて発する宇宙についての疑問に、真昼の星を見ることが大好きな科学者と国際的に活躍する絵本作家が答えます。99年福音館書店より「かがくのとも」として刊行されたものの再刊。  by Amazon.co.jp 紹介文より
この「根源的疑問に応える科学絵本」というのは、以前からわたしがやってみたかったジャンル。当の佐治氏にも「いっしょに組んで100冊の科学絵本を作りましょう!」と提言したこともあった。勉強チックなものではなく、だからといってただロマンチックに走るのでもなく、科学がもたらす「センス・オブ・ワンダー」をダイレクトに、ダイナミックに伝えられる絵本。そういうものを作ってみたい。

さすがに保育絵本という枠のなかで、しかもたった5画面となるとむずかしい。けれど、そんな条件の中でも、そういう野望を抱いた編集者がいるのは、すばらしい。わたしも考えてみたい。

▼雑誌「ほっぺ」
その平岡さんが、学研から新しい読み聞かせと遊びの絵本雑誌「ほっぺ」が出たと教えてくれた。創刊2号だという。さっそく書店で求めてみる。元気がいい。勢いがある。志も高い。「まどみちおや金子みすずのような童謡詩の新作を!」「いわゆる勉強というのではなく、物語と融合させた新しいスタイルの科学のページを!」「あまり知られていない世界各地の民話の紹介を!」といった、わたしが某雑誌に何度も提言しても一向に受け入れられなかった事項が、すべて実現している。編集責任は、中川ひろたか氏。すばらしい。「はっかんのじ」がまたふるっている。一部引用。
雑誌もひとつの「おもちゃ」です。
お互いの間にあって、お互いが、より、
仲よくなれるようなそんな雑誌でありたいと思います。
編集部には3つの合い言葉がありました。
それは、面白くて、きれいで、上品!ってこと。この3つ。
そんなぼくたちの心意気をきちんと受け止めて
日本のトップアーティストが、気持ちよく、
多数、参加してくれました。
「トップアーティスト」にいれてもらえなかったのはさみしい限りであるが、こういう雑誌が出ることはとてもうれしい。これからぐんぐん伸びていってほしいと思う。

■11 Jul 2004 父76歳のお祝いの電話/子どもと曼陀羅


▼父の誕生日
昨日は実家の父の76歳の誕生日。電話をする余裕がなかったので、きょうお祝いの電話をした。父も母も、体の故障をだましだましの状態だが、心だけは活気のある人生を送ってくれている。感謝。

電話をすると、墓のことや、お葬式のこと、終末医療のことなど、いろいろと指示された。お葬式は親族だけで、過剰な延命医療はいらないという。きちんと伝えてくれるのはありがたい。

「延命っていえば、いまでも延命治療だよ。素麺流しこんで、お汁を流しこんでさあ」とふざける父。父も母も、病気と二人三脚だが、それでもクオリティ・オブ・ライフが保たれている。これも、ひとえに二人の努力によるもの。感謝。

なんという子ども孝行な親だろうかと、感謝感謝である。

▼子どもと曼陀羅
先日、我が家に来そびれたサチコさんが、夫君の進一さんとKくんと連れだって遊びに来てくれた。

久しぶりに会うKくんはもう2歳半。ちょこまかと歩き、言葉もでる。こんにちわというと、大きな重たい頭をさげてコンニチワというし、何かを見つけては指さして、表情たっぷりに「ガアガア(=ライオンなどこわいものや、すごいものの総称)」「カアカア(=鳥の総称)」などというので、かわいいやら面白いやらで、目が離せない。

「ほしのメリーゴーランド」の絵本をあげると、とても喜んで自分でめくっては「ホシ! ホシ!」といって喜んでいる。その後必ず、窓の外を指して「ホシ!」という。空はまだ明るく、星は出ていないけれど、Kくんは、その空に星がでることを知っているのだ。

「ガアガア」と指さしているものは、なんと壁に飾ってあるネパールの曼陀羅。これがいたくお気に入りのようで、なんどでも「ガアガア」といっては指さす。よほどインパクトがあったのだろう。曼陀羅とは、そのように人間の原初的な感覚を刺激して眼を引きつけるものなのかもしれない。

Kくんのなかでは絵本も曼陀羅も天空の星も、等価に存在し、面白がっているように見えた。子どもだからと甘く見てはいけない。砂糖菓子にくるんだような甘ったるいわかりやすいものばかり与えるのではなく、いろいろなものに触れられる環境をつくってあげることが大切なのかもしれない。

このごろの絵本は「いかにも子ども向け」なものばかり。もっと志の高いものをつくっても、きっと子どもは喜ぶだろうになあ。

■10 Jul 2004 風花朗読会/『魍魎の匣』読了


▼ゲラ到着
「楽園の鳥」ゲラ到着。どきどきする。ずっしりと重い。

▼「風花」朗読会
夕刻、新宿のバー「風花」で古井由吉氏の朗読会があるのででかける。ゲストは島田雅彦氏と安達千夏氏。時間少し前に到着したのだが、島田人気か、バーの外にまで人が溢れていて入れない。仕方ないので、あきらめる。

▼居場所がない
かえりがけ、新宿駅の青山ブックセンターに寄る。最近本屋に行かないので、物珍しい。眼を奪われる。たくさんの小説が出版されている。どれを手に取ってみても「楽園の鳥」と似ていない。ここに、わたしの入る隙があるのだろうかと不安になる。

『小惑星美術館』を上梓した時もそうだった。「児童文学」の棚に並んでいる本は、私の作品と似ていない。ここにわたしの居場所があるのだろうかと不安になった。そして、居場所はやっぱりなかったようだ。

だからといって、無視されたわけでもない。評判にもなった。ただ、既成の流れには乗れなかったということだ。どうも、わたしは自分の居場所を見つけるのではなく、自分で居場所をつくらなければならない人種らしい。つくる腕力があるといいのだが。

▼『魍魎の匣』読了
『魍魎の匣』(講談社文庫 1999)を読み終える。なるほど。この人は、自分で自分の居場所をつくったのみならず、既成の流れを自分の流れに巻き込んで、大きな流れまでつくってしまったようだ。なんという腕力。

■ 8 Jul 2004 七夕飾り撤去


▼笹飾り撤去
和光大学「物語の作法」。きょうは、先日飾りつけをした「日常芸術化計画」の七夕飾りを撤去する。「ご自由にお持ちください」と学生たちの短歌「コイノウタ」を印刷したビラを、200枚ぶらさげておいたが、なんと半分はなくなっていた。100人の人に目を通してもらったことになる。なんという効率のよさ! 同人誌を作ったとしても、一週間で100人に読んでもらうのはむずかしい。大成功だ。

笹飾りに「自主短冊」が増えていたのも楽しかった。やはり「そそられる」のだ。短冊は願い事で、短歌にはなっていなかったが、ぶらさがっている短冊にみならって、きちんとパンチで穴を空けた色紙を使っているところがよかった。きれいなものをつくると、やはりそれにひっぱられるところがあるのだろう。

そうやって「世界が少しずつ美しく」なればいいのに!

▼プールへ
しかし、暑い。大学へ往復しただけでヨレてしまい、家に戻ったらバタンと倒れてしまった。夕方に起きだして、スポーツクラブのプールへいく。軽く泳ぐ。

■ 7 Jul 2004 七夕/心の現実と科学的真実


猫のメイちゃんの命日。わたしの腕のなかで息を引き取ったメイちゃんを思いだす。わたしは輪廻転生や魂の不滅や死後の世界を信じてはいないが、それでも、メイとノイがどこか遠いところで、仲良くしているという気がする。わたしが行くときは、そこで迎えてくれるのだと。

以前、対談をしたことがあるひろさちや氏が、浄土の思想はこよなくやさしい思想なので、いちばん好きだとおっしゃっていた。なつかしい父や母、祖父や祖母が、そこでやさしく自分を迎えてくれるというイメージが、心にぴったりくるという。

科学的に見た世界と、心の現実は一致しない。そのどちらかが「真実」なのではなくて、そのどちらも真実として受け容れることが大切だと感じている。科学的世界観は、誰が見てもそう見える客観的事実だが、心の現実は一人一人が違う。共有できることあれば、そうでないこともある。その違いを認め、例えそれが自分自身の心の現実と違っても、それはその人の心の現実なのだと尊重すること。そのように寛容であることが大切ではないだろうか。

先日、科学ジャーナリズムのMLで、アメリカの教育現場での、進化論と、神による宇宙創造論の論争についての話題が続いていた。科学的見解と宗教的見解を、同じ土俵で論じること自体が違うのではないか、とわたしは思う。科学という客観的視点から検証したところ、世界はこのようにできてきたはずだ、という認識は共通認識として必要だ。一方で、「心の現実」として、別の解釈と思想があると認めてもいいのではないか。同じ土俵に両立させるのではなく、別の土俵でそれぞれ堂々と立てばいい。

しかし「心の現実」は人それぞれだから「これが正しい」と押しつけることはできない。科学が客観としての唯一の真実を求めているのに対して、宗教は主観としての真実を求める。心の現実は千差万別にならざるをえないから、宗教の真実というものもまた千差万別になる。つまり、相対化されざるをえない。そのことが「唯一神」をいただく者には、大きな不満になるだろう。しかし、それが宗教戦争までつながってしまう。

「科学」を共通基盤として認め、そのうえで各自の「心の現実」を認め合う、ということが、できないものだろうか。いや「心の現実」が千差万別であるからこそ、「科学」という共通基盤を持つことで、互いが互いに寛容になれるのではないだろうか。

七夕の織女であるヴェガと牽牛であるアルタイルは15光年離れているという。その科学的事実を知っても、七夕の夜に二人が年に一度の逢瀬を楽しむという物語は少しも色褪せない。むしろ、科学的事実を知るほどに、伝説はますますその美しさを増す。そのような物語を生みだし共有してきた人類という生き物の心の深さを思わずにはいられない。

実際の天文写真と物語を合体させた絵本「ほしのメリーゴーランド」(フレーベル館 2004)が、幼い心に、科学と物語を無理なく両方受け容れる、小さな星の種を蒔きますように!

http://astro.ysc.go.jp/izumo/tanalink.html

■ 6 Jul 2004 寮佐吉訳「精神分析學」/佐世保事件 学生からの応答


▼寮佐吉訳「精神分析學」入手!
ネット古書店で見つけた祖父・寮佐吉の翻訳本「精神分析學」(ヒングレー著 東京聚英閣 1923)が届く。

本の裏の見返しには、持ち主の署名がある。その上に古書店の札が貼ってあって、きちんと読めないのが残念だが、1924という数字がわかる。不思議なことに、この署名はフランス語だ。そして、本の奥付には、なぜか「MADE IN JAPAN」のスタンプが押されている。仏領インドシナにでも輸出され、現地の日本人が入手したのかもしれない。一体、どんな人が持っていて、どんな経路を経てわたしに届いたのだろう。

調べてみると、この本は日本の精神分析の黎明期のものであることがわかった。ユングを日本に紹介した書としては、もしかしたら最初のものかもしれない。

詳しいことは「祖父の書斎」の以下の記事へ。
・日本の精神分析黎明期の啓蒙書/寮佐吉訳「精神分析學」

▼佐世保事件 学生からの応答
佐世保小六同級生殺人事件の件で「物語の作法」の学生に言葉を投げかけてみたら、反応が返ってきた。掲示板で言葉を投げかけたのは6月12日。そのまま話題は消えてしまうかと思いきや、学生たちは、心のなかで静かに思いを紡いでいたのだ。そして、いまになって言葉になって現われてくる。

それだけの時間、心に抱えていてくれたことに感動した。焦ってはいけない。すぐに答えを求めてはいけない。目に見えないところで、ゆっくりゆっくり育つものもある。その育つ力を信じて、待たなければならない。声が届いていることを信じて、語り続けなければいけないと、改めて勉強させられた。

昨年まで、心に不安定なものを抱えて苦闘していたある学生が、なにか「心の底力」のようなものをつけてきた。そして、実にしっかりした意見を述べている。それも、きちんと自分の言葉で。頼もしい。そして、うれしい。しっかり苦しんだからこそ、成長できた。そんなふうに感じる。

学生の応答に応えて、わたしも応答。この前後の一連の発言、ぜひ読んでみてください。
・寮美千子/死のインフレーション化について考える
・菊池佳奈子/痛みのリアル
・城所洋/薄れていく「死」のイメージ
・菊池佳奈子/「生命」という概念

■ 5 Jul 2004 キンダーブック4月号執筆


フレーベル館のキンダーブック年長版2005年4月号のための5画面のお話を依頼されていたので、書く。4月号なので、2本欲しいという。採用されるのはどちらか1本。うーむ。そういう方式だと、いまひとつやる気が出ない。題材は決まっているのに、ずるずると先延ばしにしてしまっていた。

ともかくも、依頼通り2本書く。一本は、ぼさぼさ頭のライオンくんが、新学期だからとおかあさんに髪の毛を切られてしまい、かっこわるくなったと気に病む話。ライオンくんの短い髪を見慣れていない友だちは、思わず笑ってしまい……さあ、どうなるか。もう一本は、体の小さな年長のうさこちゃんが、体の大きな年少のぞうくんをエスコートして、幼稚園に連れて行く話。天真爛漫なぞうくん、途中で花摘みはするし、蝶々を追いかけるしと、うさこちゃんは……。

どちらが採用されるか。わたしはライオンくんの話の方が好きだ。

■ 4 Jul 2004 保永堂版と双筆五十三次@町田市立国際版画美術館


町田市立国際版画美術館で「保永堂版と双筆五十三次 広重東海道五十三次」展覧会を開催中。午後2時からギャラリートークがあるので、出かける。

保永堂版は一番有名な五十三次。双筆は、当時一世を風靡した人物浮世絵の大家・三代歌川豊国と広重との合作で、保永堂版から二十年後の作であるという。豊国の人物画の背後に、半分だけ窓を切り抜くようにして、広重が背景の風景を描いている。

はっきりいって、広重の保永堂版のほうが格段に優れていて、芸術性が高い。しかし、当時人気があったのは、十歳も年下の豊国。広重は、その若き画家の描く人物の背景を描かなければならなかった。広重の気分やいかに。それでも、きちんといい仕事をしている広重の度量の広さに感服する。

しかし、ほんとうに感服したのは、そんなことではなくて、やはり広重の保永堂版の浮世絵。光の臭い、風のざわめき、点景のように見える人々のいきいきとした仕草が見えてくるようだ。刷りのいい物は、明るい空の季節感や、澄んだ空気感まで表現している。

コンピュータ画像で、ずいぶんいろいろな表現が出来るようになったが、静止した広重の版画一枚で、ここまで実感できる。そこから感じるリアリティや皮膚感覚は、コンピュータ画像を遙かに凌駕している。「表現の豊かさ」というのは、こういうことをいうのだと実感。

見れば、その風景はあたかもガンガサガルのよう。藁葺きの茶屋に旅人たち。海には帆掛け船。その頃の日本は、どんなにかのどかで美しかったことだろう。その場所に行ってみたい。切にそう感じた。

インドでは、宗教画が大量に売られていた。しかし、浮世絵には宗教という縛りはない。それでいて、そんなに売られ、作られ、洗練されていった。確かにそれは「江戸のみやげ物」だったかもしれないが、それだけではなく「芸術」としての楽しみもあったはずだ。人々が、それだけ芸術を楽しんでいた江戸という時代。それは、思いの外に文化的な時代であったのだろう。日本は結構、すごい。

■ 3 Jul 2004 「Voice/寮美千子の詩」開始



先日の「木蓮の会」の朗読に感激。わたしの詩が持っている可能性に、改めて気づかされる思いがした。作品は、親である作者を離れ、独立して、命を持って生きていくものなのだと痛感。

その作品を、誰の目にも触れない形で囲いこんでいては、親として失格。広い世間に出して、独り立ちさせてやらなくてはならない。さぼっていた詩集制作、少しずつでいいからがんばってみようと思う。手始めにまず、ホームページのコンテンツに「Voice/寮美千子の詩」というコーナーを新設した。旧セント・ギガに書いた詩を推敲して、順次載せていくつもりだ。

はじめたら、作業が面白くて止まらなくなり、23編も掲載してしまった。


「おひさま」に「ねむくまとっきゅう」(「眠りの国特急」の改稿)のプレゼン、4本まとめて出す。夜、田中彰氏が庭で採れたビワの種を持ってきてくれる。ビワ種酒に使うからと頼んでおいたのだけど、20個ぐらいなので、あんまり使えない。でも、親切がうれしい。ちょうど仕事をひとつ終えたところなので、ワインで一杯やることにする。サフランライスを炊いて、夏野菜のカレーやマリネを作る。興に乗って、結局3人でワイン丸3本空けてしまった。

■ 2 Jul 2004 「物語の作法」受講生の質問に掲示板で答える


「賞に応募するために傾向と対策は必要か」という質問が「物語の作法」受講生からあり、その質問にまじめに応えていたら、やけに時間を食ってしまった。しかし、学生に意欲があるのはうれしい。賞を獲ることが目的ではないが、やはり見かけの目標でも目標があれば励みになる。受講生の一人、越智美帆子さんが「あさよむ携帯文学賞」の最終選考6編に残っていることも、学生たちの大きな刺激になっているようだ。

「物語の作法」の授業は、あまりに自由に過ぎる、という意見もある。そうかもしれない。課題は出すが、それは書きたい物がわからない学生のための補助線でしかない。書きたい物がある学生には、どしどしそれを書くように勧めている。

結局、さまざまな形式の作品が発表されることになる。詩も短歌も短編も長編もある。そうやって、さまざまな表現形態に触れていくことで、学生たちは自分にふさわしい表現を見つけていく。

自由だからこそ、のびのびと育ってきているということもある。越智さんも、3年連続で「物語の作法」を受講してくれているが、その伸びには目覚ましいものがある。

「お題」を出して、それにふさわしい作品を提出させて鍛える、という方法もあるが、小器用な仕事の出来る人間を作ってもつまらない。自分が表現したいものは何なのか、どういう形式がふさわしいのか。そういう根源的なことを、ひとりひとりが見つけられるような場であれば、と願っている。卒業しても、創作という行為がひとりひとりの人生を深いところで支えられるようになれば、うれしい。

掲示板を使ってはいるが、そこにあるのはごく一部でしかない。やはりライブの醍醐味。みんなが顔を合わせて語り合う教室でこそ、彼らは磨かれていく。しかし、その語り合いを深めるために、掲示板がすばらしい機能を果たしていることも事実だ。単に週に一度の授業だけでは、ここまで濃い内容の授業を展開できない。

こちらが悲鳴を上げるほど、学生たちはどしどし作品を提出してくる。頼もしい限りだ。

■ 1 Jul 2004 メディアとしての七夕飾り



和光大学「物語の作法」。昨年に引き続き【日常芸術化計画】メディアとしての七夕飾りを制作。短冊に、学生が詠んだ「コイノウタ」の短歌を書いて吊した。

笹を提供してくださったのは大正橋のたもとの飯田さん。庭先に「志ん生の化石」(志ん生そっくりの石ころ)や、ソーラー電池で動くヘビの玩具などを展示してあるお家だ。もとはといえば、飯田さんのお宅に「七夕用の若竹さしあげます」の看板を見て思いついた企画だった。人生や生活を積極的に楽しむ姿に、こちらが影響されたようなものだ。

学生と共に笹飾りを設置したとたんに、興味を持って見ていく人々の姿が見受けられた。するっと読んでいく人も、じっと腰を据えて読む人も。

「SMを試してみたけど痛いだけ 縛る方も縛られる方も 雨宮弘輔」という短冊を読んで「がははは」と笑って通り過ぎて行く人。「悲しさは突然降りだす雨のよう やっぱりどこにも傘はないんだ 露木悠太」を、声を出して読んで「クーッ、かっこいい!」と一声あげて、去っていく男子学生の姿もあった。

同人誌をつくるより、効率よく多くの人々に読んでもらえる。発表した学生たちも励みになっているようで、友だちの手を引いて見せにきたりしていた。

「文学」と大上段に振りかぶる必要はない。こうやって日常の中で芸術や文学の楽しみを見いだせることは、これからもっともっと大切になっていくはず。学生たちが、そんな楽しさを覚えてくれたらと願う。


七夕飾りのポスターを貼っていると、表現文化学科のある助教授に話しかけられ、寮美千子の日記に事実と異なる記述があるので訂正してほしいと抗議を受けた。「授業のホームページならともかく、個人の日記まで云々される言われはない」と申し入れたが「ホームページというものは公共性の強いものである。例え個人の日記であろうと、裏を取らずに伝聞だけの憶測で物を書くことは許されない」と強く抗議された。訂正を求められた箇所は以下の部分。

>(学生たちには)「能力がない」を理由に、そうならなかったという話を聞いたことがある。

「聞いたことがある」とはっきり伝聞だとわかるように書いてあるのに、それでもだめかと念を押したが「誤解を招くから訂正せよ」とのこと。2003年12月11日の日記の該当部分、訂正に応じることにした。今年2月にも訂正申し入れがあり一部訂正したので、追加訂正である。


ついでだったので、わたしの方からも「学科内メールで罵詈雑言に等しい言葉で人を非難するのはやめてほしい」と抗議した。その方ご本人はそのような言葉遣いはなさらないが、ある教員がかなりひどい言葉遣いで他者を非難する。「寮美千子は電波系」などと書かれていたという。(非常勤講師には学科内メールは回ってこないので、伝聞で知った。裏は取っていない。)
某助教授:学科内メールは内輪の会話。飲み屋で話しているのと同じ事なので、そのような言葉が出ても当然。むしろ、それを外部に漏らす事の方が問題。あなたに学科内メールの内容を漏らした人間の責任が追及されるべき。
寮:学科内でのわたしに関する意見をわたしに伝えることは、学科専任教員の義務。秘密にして伝えないことの方が、問題だと思う。問題のある授業や講師を放置しておくのは、学生に対する背任行為である。伝えた方が正しい。むしろ、大学の教員たる者が、外に聞かれたら困るような言葉遣いをしていること自体が問題ではないか。適切な議論は、誰に聞かれても困るようなものではないはずだ。
某助教授:物事には内と外がある。内輪なら許される言葉がある。議論とは持ちあげたり非難したり、というものではないか。
寮:わたしのいないところで、わたしに対する非難の言葉があり、しかもそれを聞かせてもらえないということであれば、それは単なる陰口にしかならない。何の役にも立たない。わたしの授業に不満があるなら、正面切って聞かせてほしい。聞かなければ、わからない。「学科の総意」などでなくても、単にこんな意見もある、ということで、意見のある方はどしどしいってきてほしい。授業をよりよきものにするために、考える材料にしたい。
(記憶によって会話を再構成したので、一言一句正確ではありません。ご意見及び訂正依頼は寮美千子掲示板カフェルナティークへ)
某教授は、今後、わたしに対する意見は、人を介してではなく、なるべくわたしにダイレクトに伝えると約束してくださった。ありがたい。

大学経営に関する秘密事項もあるかもしれない。しかし、誰に聞かれても恥ずかしくない公明正大な議論をすることが、本来の理想的な姿ではないだろうか。「内と外」を激しく峻別して秘密主義になることは、大学という場にはふさわしくないと、わたしは感じる。

そこが、某助教授と意見を大きく異にするところかもしれない。「内と外」を激しく峻別する某教授から見たら、このようなことを日記に書くことさえ、非難されるべきことであるとお考えになるかもしれない。開かれた議論を望むわたしとしては、そうは思わないのだが。

わたしが担当する「物語の作法」は、ホームページによって、そのほとんどを公開している。「公開されては恥ずかしいレベルの低い授業」との評判もあると聞いている。「だから、リンクをすることに反対意見もあった」とのこと。しかし、そのように語っているというご本人からは、いまだに直接の批判の声がない。伝聞によって聞こえてくるのみである。

わたしとて、わたしの授業内容が完璧であるとは思っていない。しかし、だからこそ公開し、多くのご意見をいただければとも思う。隠蔽するのではなく、公表することで、育っていくことができるのではないだろうか。少なくとも、人に聞かれたら困るような言葉遣いは、わたしも、学生たちもしていない。

「物語の作法」の実際の授業で、わたしは一番留意しているのは「作品は忌憚なく批評するべきだ。しかし、それを書いた人の人格を否定するようなことをしてはいけない。思想や趣味志向の違う人間とも、きちんと話し合える技術を身につけよう」ということだ。学生たちは、それによく応えてくれている。わたしはそれを誇りに思う。

▼2004年06月の時の破片へ


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