▲2003年05月の時の破片へ


■27 Apr 2003 研究会「プラネタリウムの役割と使命を考える」


国立科学博物館新宿分館で、天文教育普及研究会関東支部を中心に開催された研究会「プラネタリウムの役割と使命を考える」に出席。二次会で見た、東京学芸大学の教授・水野孝雄氏の蝉芸に天文関係者の濃い友情と情熱を感じた。詳しくは下記へ。

Cafe Lunatique:
  ★夢のプラネタリウム白書♪
  プラネタリウム/わたしの提案
  プラネタリウム/神話の星と科学の星
  プラネタリウム/神話と科学の二面性に関する論考

Review Lunatique:プラネタリウム/天文教育普及研究会での発表 レジュメ
遊星たちの消息:イベント告知

天文教育普及研究会掲示板「プラネタリウムの役割と使命を考える」

■25 Apr 2003 テノヒラタンカ/新たな「座」の可能性



新型肺炎の影響で、マミさんが帰国予定の便が消滅してしまった。別便に振り替えてもらうために、有楽町のシンガポール航空に手続きに行く。


その後、青山で開催された「テノヒラタンカ」の催しにいく。この催しのボスは大嶋賢洋氏。古い友人だ。和光大学の学生・奥野美和さんも、この催しに関わっているのででかけることにした。歌壇からまったく離れたところで若い人々が五七五七七のリズムに乗せて、自由に心を表現している。とはいえ、その水準が高いとはいえない。結局の所、学生サークルに毛が生えた程度だ。だれか、強力な指導者がいれば水準もあがるだろう。しかし、それでは旧来の結社と変わりなくなってしまう。むずかしいところだ。

しかし、よく考えてみれば、優れた作品を生みだすことだけが大切なことではない。心の深い部分を表現することを知り、人生に物質やお金だけではない楽しさがあることを知ること。それを追求していくことの喜び。そんなものがもっともっと人々の間に根づいていけば、この世界はもっと豊かな場所になるだろう。「自己表現」というものが、このような「座」という形で自然発生的に力強く育っていけばいい。

■20 Apr 2003 レラチセ/キムンカムイからの恵み


マミさんは、知人と江ノ島見物に。わたしと相棒は、中野のアイヌ料理店「レラチセ」での催し「キムンカムイからの恵み」に行く。アイヌ独自の方法で、熊の神キヌンカムイを祀る儀式をして、その後に熊肉のオハウを食べるという催しだ。

熊の神を祀る儀式「カムイノミ」を司るのは、北海道日高郡浦河町出身の浦川治造氏。1938年生まれというから、今年65歳の堂々としたエカシだ。たっぷりと豊かなヒゲをたたえ、驚くほどがっしりとした胸板の厚い体をしている。

浦河の親類が、珍しい熊の肉を送ってきてくれたので、これをみんなでわけかって食べ、熊の神に感謝を捧げたいと、この催しを開くことにしたという。治造さん自身、熊の肉を食べるのは、もう20年ぶりぐらい。レラチセのご主人でさえ、はじめてだという貴重な機会だった。

炉を囲んで、神に感謝の祈りを唱え、酒や米などを囲炉裏の火にくべることで神に送り、自分たちで醸した酒を飲み回す。厳粛な儀式だ。治造さんが、祈りの言葉「カムイノミ」を語る。アイヌ語と日本語がまざっている。米や酒を火にくべると、くすぶって煙がたちのぼり、香ばしい匂いが部屋に充満した。

わたしはカムイノミを見るのははじめてだった。おおよそのことはビデオ資料を見たり本を読んだりして知っていたが、この匂いのことだけはわからなかった。アイヌの本式のチセに比べて、レラチセの二階は狭く気密性がいいから、余計に煙もこもり、匂いもするのだろう。しかし、じゅうっという音と香ばしい匂いは、本物のチセでもやっぱりしたに違いない。そして、それが神を送る儀式を、より体感的なものにしただろう。

儀式が終わり、やがて熊のオハウが振るまわれた。みんな談笑しながら食べる。お酒も飲む。いつもの変わらぬ宴会の風景だ。

けれど、心の底には、食べる前に心を静かにして熊に感謝の祈りを捧げたということが流れている。充分に感謝を捧げた上で、屈託なく楽しむ。それがすがすがしかった。

飽食の時代、という。それも、足許が危うくなってきたけれど、それでもまだ、わたしたちは飽食のまっただなかにいる。こうやって、わたしたちの命をつなぐために、命をわけあたえてくれたものに祈りを捧げる時間、それを人々と共有する時間を持つことが、とても大切な、すばらしいものに思える。

「アイヌの治造」にサインをしてくれた治造さんの手指の、太く分厚いことに驚いた。大地としっかり語り合って生きてきた指に感じられた。

■19 Apr 2003 虹


見たこともないくらいはっきりとした美しい虹を見た。二重の虹だった。この世界は、ときどき思いがけない贈り物をくれる。それに気づかずに歩く人もいれば、空を見あげ、気づく人もいる。せっかくの贈り物、気づかずに歩く人々に、わたしは11階の踊り場から大声で呼びかけた。「虹が出てますよー」

■16 Apr 2003 マダガスカル民話


マミさんから聞いたマダガスカル民話。小学館の雑誌「おひさま」に掲載してもらえないかと思い、編集者と会う。マミさんもいっしょ。感触悪し。マダガスカルの民話は、強烈。砂糖菓子のようなやさしくかわいらしい「子ども向け」に慣れたギョーカイには、ウケが悪いらしい。

■11 Apr 2003 ノイは死して毛皮を残す


このところ、私生活でいろいろと混乱している。経堂の長谷川剥製に昨年暮れに預かってもらったノイちゃんを、まだ受け取りにいっていない。それが気になって気になってしかたなったので、連絡して行くことにした。

剥製にするのではない。お骨にしてもらった。その時「毛皮を捨ててしまってはかわいそう。ぜひなめして手許に置いたら」と勧められ、どうしようかと迷いながらもお願いした。

ノイの毛皮に対面するのは、正直言って恐かった。いったい、自分がどのように感じられるか、まったく想像がつかなかった。気味悪いというのが先に立つような気もしていた。

しかし、ノイの毛皮を見せてもらったとたん、そんな疑念はすべて吹っ飛んだ。かわいい。ノイだ。そう思って、思わず手が伸びた。また、ノイに会えたようでうれしくてならなかった。涙がこぼれた。

ノイを連れて帰った。ノイがいつも座っていたその椅子に、ぬいぐるみを置いて、そこにノイの毛皮をかける。まるで、ノイが戻ってきたよう。ノイがいなくなってから、がらんとさみしくてならなかった空間が、一気になごやかな満たされたものに変化した。

ノイ、ノイ。ずっといっしょにいよう。毛皮はおまえじゃない。魂はどこは遠くにいる。それはわかってはいるけれど、それでも、ノイ。おまえのことを身近に感じられるだけで、わたしはこんなにしあわせ。

■ 8 Apr 2003 新思索社/西はりま天文台2m望遠鏡の絵本


新思索社の社長小泉さんと、相模大野センチュリー・ホテルのカフェで会う。何か執筆してほしいというお話に「西はりま天文台に2メートル望遠鏡が来年のオープンするので、それに間に合うように、記念の絵本が作りたい」とこちらから持ちかけた。わたしは、そんな絵本を作りたいし、小泉さんも、一般の人が楽しめるような科学の絵本を作りたいとそうだ。「残るようないいものを作りたいんです」と、いまどき珍しいことをおっしゃる。長年、図書流通の仕事をなさっていたが、退職し、倒産した思索社を買い取って新思索社をはじめられたそうだ。志のある人と仕事をするのは楽しい。ぜひ実現したい。

■ 4 Apr 2003 ママは天照大神/山梨岡神社 太々神楽


山梨岡神社、春の例大祭。岡神社は、わたしの母の実家の氏神さま。青春18きっぷを使って、マミさん、田中彰氏、相棒とわたしの四人組で出かけた。ここの神楽は「太々神楽」といって、古事記を題材としたもの。朝から夜まで、延々と古事記の物語が舞われる。詳しくはレビューを。

Review Lunatique:山梨岡神社/春の例大祭太々神楽 見物記

■ 3 Apr 2003 現代美術という名の茶番/美術とさえ名づけられなかった本物


▼ヘンリー・ダーガー展
青山のワタリウム美術館で開催中のヘンリー・ダーガーの展覧会に行った。ダーガーの絵がこんなに巨大なものとは想像していなかった。もっと小さなスケッチブック程度に描かれたものと思いこんでいたのだ。

これだけの大きな画面を、きちんと構成する力。その微妙な色彩感覚。コラージュの技法で盗んできたさまざまなイメージの破片がちりばめられた画面。その背景には、壮大な空と雲の広がりがある。彼は、この雲や空や平原の風景も、どこかの写真から借用したのだろうか。それとも、その背景だけは、自ら見た風景なのだろうか。空の雲は、まるでいまにも動きだしそうな力を内在し、壮観だ。

彼の絵に、このような広がりがあることを、わたしは画集の絵からは想像もしていなかった。

もしもこれが、ダーガーが自ら見た風景だとしたら、ダーガーは、自らが見た天然自然の風景の中に、想像力で得た少女たちや残忍な兵隊たちの姿を切り貼りし、象眼していったのだろうか。天然自然に象眼された切り抜きの少女たち。それが、微妙な変奏を遂げながら、音楽のように繰り返し現れては微笑みかけ、叫び、助けを求め、血を流す。

この風景の清浄なことに、わたしはまた驚きを感じた。この絵は「病んで」いない。奇妙に歪んだ鬱屈に毒されていない。ダーガーの絵は、血にまみれ暴力にまみれながら、限りなく清らかだ。それはもしかしたら、描くことによって、ダーガー自身が限りなく癒されていたからなのかもしれない。

▼偶然の邂逅
待ち合わせをしていたドロンコ氏と合流し、ダーガー展を出たところで、なんとグリム書房のご夫婦とばったり。おふたりもダーガー展を見にいらしたという。不思議な偶然だ。

▼「NiCAF 2003 TOKYO」展
わたし、相棒、ドロンコのいつもの「お笑い三人組」は、その足で有楽町東京国際ファーラムで開催中の現代美術見本市「NiCAF 2003 TOKYO」展へ。木ノ葉画廊のブースに門坂流氏が出展しているというので見にいった。

驚いた。現代美術の市場とは、こういうものなのか。ケレンだけの空疎な作品がどこまでも続いている。そのなかで、心惹かれたのは、Anish Kapporと草間弥生の作品だけ。

門坂流氏の作品はもちろんすばらしいが、この喧噪の中にその微妙な表現は埋もれてしまう。とても鑑賞できるような状況ではない。門坂作品が気の毒だった。もっと広々として、しんとした空間でこそ、彼の作品を見たい。門坂流の作品は、ケレンはないが、きわめて現代的であるとわたしは思う。文脈と無関係に屹立する力を持った現代美術の作品だ。

▼名前のない無垢なるもの
「現代美術」であることを意識した作品のつまらなかったこと。反面「現代美術」などという文脈にまったく無関係で、ただひたすらに己の美意識と内面に忠実に描き続けたダーガーの作品の、骨太ですばらしいこと。これをこそ、わたしは現代美術と呼びたい。門坂流の作品にも、ダーガーに通じる清浄さがある。鳥が、たとえ鳥という名を持たずとも虚空を飛翔する自由の風が、ダーガーや門坂流の作品には吹いている。

■ 2 Apr 2003 「うらやましがりやの犬と猫」「最初の人間」


朝から雨。家でマミさんから昔話を聞く。マミさんのシェヘラザード化計画が、着々と進んでいる。「うらやましがりやの犬と猫の話」「最初の人間イエツェ」のふたつを聞く。前者は嫉妬をいましめる教育的昔話。嫉妬する者に、容赦ない惨事がふりかかる。学校などなかったような昔、マダガスカルではこんな昔話で子どもたちを教育し、知恵を授けようとしたという。後者は、マダガスカルの土着の神さまの話だ。最初の人間に妻を娶らせようとした神さまが、人間を誘惑するために女に八つの水瓶をもたせる。そこから、つぎつぎに何かが飛び出してきて、男を困らせる。困った男が女に頼るようにしむけるためだ。しかし、男は少しも動じない。その動じなさが妙におかしい。何にも動じなかった男が、最終的には女の美貌にしてやられる。料理も親切も役に立たなかったのに、美貌にはイチコロだ。マダガスカルでも、男はそんな生き物なのだろうか。わたしも、なりふり構わず暮らしていないで、少しは身なりに気をつけなければと反省。

勝村さんが、マミさんの荷物を届けてくれた。マミさんの食費といってカンパもしてくれる。過分なカンパだ。恐縮である。マミさんのためになるように、有効に使わせてもらおう。

夜、久しぶりに大根おろしとツナの和風スパゲティをした。これをつくると、いつもノイがツナと海苔を欲しがって騒いだのに、と思い出して悲しくなった。ノイは、どこにいるのだろう。

ネットで見つけたマダガスカルの昔話「ワオキツネザルとクラゲ」について問い合わせをした。満月の夜、ワオキツネザルが海に浮かぶクラゲを背を踏んで島に渡り、島になったパパイヤをおなかいっぱい食べたという話だ。目に浮かぶ絵が美しい。発信者に問い合わせをしたところ、創作だと判明。死んだ猫を思って、どこかでしあわせに暮らしていてくれればと、こんな話を書いたという。他にも問い合わせがあったので、こんどはきちんと創作と書くと約束してくれた。ネットは便利だけれど、情報を鵜呑みにすると危ない。しかし、発信者に直接聞けるのが強みだ。不審なものは、確かめさえすればいいのだから。死んだ猫を思う気持ちは、だれもいっしょだなあと、じんときた。

新思索社の小泉氏から面会申し込みの電話。来週会うことにする。小学館の「おひさま」編集部に電話して、マダガスカルの民話を掲載させてくれないかと交渉する。再来週マミさんの交えて会って打ち合わせ。それまでに「おひさま」向けのたたき台をつくらなければ。実現するようにがんばろう。

■ 1 Apr 2003 フェンスの向こうの満開の桜


午前中、町田天満宮の骨董市にいく。晴れていてすごい人出。活気が戻っている。なじみの骨董屋水野さんも、きょうはめずらしく「不景気だ」とぼやかなかった。水野さんの店先には、硝子の浮子がバケツにいれてざくざく置かれていた。他の店には長細い形の珍しい硝子の浮子もあった。どれも値段は一個500円だ。やっぱり海で拾いたいと思って買わなかったが、いま思えば、あの長いのは買っておけばよかったかもしれない。きょう買ったのは、硯と筆。マミさんに書道をさせてあげようと思って、中国人から安く買った。端渓だという。真偽はわからない。

自転車で歯医者にいく。

家に戻ってくると印刷機が壊れていた。旅行から戻ってきた夜は給湯器が壊れて、修理に二万円もかかったのに、また物要りだ。印刷機がないと仕事にならないので、仕方なしにさくらやで新調する。ヒューレット・パッカードの5551。18800円で開店記念の18%ポイント還元だ。モノみな壊れる春。わたしも壊れないように気をつけよう。

▼2003年03月の時の破片へ


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