「物語の作法」雑談板 (0005)


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宮田和美 あっそうそう。 2002年06月26日(水)12時05分10秒

まつながさん直してくれてありがとう。

宮田和美 深谷公一1A/よんだ 2002年06月26日(水)12時02分47秒
▼掲示板:1A その時はまだ 世界に希望はなかった への応答

よんだよ深谷くん。
わかりづらかった、っつうのが正直な感想です。
アタシ神話とかくわしくないし。
なんだろ、
アタシにとってわかりづらいっつうのはつまり
日常において注意するところがアタシと深谷くんは
ちがうからかなって
おもった。
たとえば、
知的な好奇心を持ち合わせてるっつう言葉が
でてきたけど
つうよか、知的な好奇心てなんだっておもったけど。
極論なのかもしれんけど、
アタシは「知的な好奇心」って言葉よりか
「○○ってなに?」とか、好奇心の内容を
知りたくなる
あーもう。
自分なにかいてんのかわけわかランチ。

東條慎生 杉井武作1A/感想 2002年06月25日(火)19時27分33秒
▼掲示板:1A「悪食」 への応答

最初に医師への語りという形で口語体を用いているのが面白いです。
初めから続く小学生の時の罪悪感に満ちた告白の部分、思い出すと今でも心が締め付けられる、あんなことしな
ければ良かったという後悔が湧き上がるような、皆一つや二つ持っている思い出したくない体験にリアリティが
あります。子供の時というのはそういう「やってしまった」体験の宝庫ですね。
そこで精神科医が治療するのですが、この部分、気味が悪いですね。みんなそうだよ、とか、安易に解決し
てしまう部分だとか、私が前に書いた童話と感触が似ていると感じました。良ければお読み下さい。
最後に出てくる悪魔、これが何なのかこの話の重要な部分だと思います。
私は、心の中にある大切な部分ではないかと思いました。子供の頃に感じた罪悪感は医師が用意した箱に閉じこ
めるとそれは消えてしまいます。罪悪感を消してしまうという治療で人の大事な部分が消えてしまい、そ
れからの人生がひどく詰まらないものになってしまう(大人になるときに捨ててしまったもの、という古内氏の
作品と同根のテーマを見ることもできると思います)。最後に星空を見上げてうずき出したものの、箱から出し
たときにはその大切な部分は既に死んでいる。苦い後味を残す話です。
しかし、だとすると、それが悪魔だと呼ばれている点、それを閉じこめる箱が「パンドラの箱」である点は消化
不良になってしまいます。
罪悪感を喚起する存在であるから主人公にとって「悪魔」であるのか。
ここらへんはまだ考えがまとまっていません。

下のリンクが昔私が書いた話です。タイトルはその後「ゆうやけ」と変えて、それが決定稿となりました。

pttp0002.html#pttp20010528155124

東條慎生 深谷公一1A/感想 2002年06月25日(火)19時27分22秒
▼掲示板:1A その時はまだ 世界に希望はなかった への応答

バラバラだ、というのが最初に感じた印象です。
寓意が分からないというのではなく、全体的な話の筋が不明瞭だと思います。
三段めまではある程度定石をなぞっているのですが、分からないのは五段目の「そして、最後に
希望は解き放たれた。」という部分。普通のパンドラの話であれば、最後に箱の中に辛うじて
閉じこめることが出来たのは希望ですが(未来、兆しという説も)、この記述を読む限り、
それも箱の中から解放されてしまったと読めます。
ここの部分が既に作者の解釈(創作)であるならば、それの説明がないのは変ですし、元々の
一般的に知られている話とも違っているので、ここをどう受け取ったらいいのか分かりません。
その次の部分は、昼があるから夜があり、生があるから死があるというような相対立するものの
存在は片方がなければ成立しないということだと読めるのですが、前の部分とどう繋がっている
のかいまいち説明不足な気がします。
それにそうだとずれば、相対立するものの話なのに、結局すべては絶望だったのではないか、
という問いかけが理解しがたい。その論理で行くならすべては希望であったと言うことも可能な
のではないでしょうか?
また、神話部分の結末で結局箱の中についてのことが書かれてないために、最後の段落の部分が
全体から切り離されているように感じられます。オチ自体は印象的なのですが。
というか、やっぱりよくわかりません。

久我真紗子 感想の付けたし 2002年06月25日(火)16時45分58秒
深谷公一1A/自暴自棄なはなし? への応答

下の自分の「深谷公一1A/自暴自棄なはなし?」をさっき読み返したらなんだか自分でも言いたいことがよく分からないなと思ったので、付けたしです。すみません。

要するに、神話では

パンドラが箱を開けたとき、病、貧困、犯罪というようなあらゆる災いが中から飛び出してきた。パンドラは慌てて箱の蓋を閉めたが、その時一つだけ最後の災い「前兆」を中に閉じ込めることが出来た。もしこれが自由に飛び出していれば、世界中の人間は誰でも、その生涯にどんな不幸が起きるかを予知してしまい、希望を抱くことが出来なくなっていただろう。そんなことになれば、人間は滅んでしまったに違いない。だから箱の中は人間に最後に残った「希望」なのだ。

と、いう話なんですが作品が神話に忠実なら古い箱の中は「希望」のはずなんですけど、前の段落で「希望が解き放たれた」という表現を使っているのでここの所は創作で古い箱のなかは別の「何か」が入っているのかどうか。そこの所がよく分からないので神話と創作をはっきり区別した方がいい、ということを言いたかったのです。
 
それとも「希望が解き放たれた」という表現は=「前兆を封じ込めた」ということなんでしょうか?うーん、分からない。それに神話では 人生に絶望しないですむ→希望 の図式ですが、作品では 希望→人生に絶望する と逆の図式を作っています。ここでも混乱してきました。うーん、やっぱり神話と創作を区別した方がいいのでは。付けたしが長くなってしまいましたが、少しは言いたい事が伝わったでしょうか。

越智美帆子 杉井武作1A/感想 2002年06月25日(火)13時54分06秒
▼掲示板:1A「悪食」 への応答

 子供って残酷ですよね。本当に。たまに精神が子供じゃない子がいるけど、その子はつらいだろうなと思います。余談です。
 で、余計悪気がないのでたちが悪い。それを大人になってから、被害者は加害者が思ってもいないほど苦しみ、加害者は罪悪感で「悪かった、ごめんなさい」と。そんなことを思いました。
 発想がすごいなぁと思いました。文章もまとまっているし。最後に悪魔を食べたのはどういう意味だったのでしょう。

久我真紗子 深谷公一1A/自暴自棄なはなし? 2002年06月25日(火)13時25分11秒
▼掲示板:1A その時はまだ 世界に希望はなかった への応答

 深谷さん解釈を含んだパンドラの箱のお話のようでしたが、ちょっと矛盾してないかなって所がありました。たぶんギリシャ神話そのものと深谷さんの解釈の境目がはっきりしてないからだと思うんですけど、最後の「希望」って一つだけ箱の中に残りましたよね、確か。最初は「そして、最後に希望は解き放たれた。」と言っているのに最後の古い箱には「一つの何かしか入っていない」と神話との関連を匂わせている。希望が解き放たれたのが創作なら古い箱には読者自身の解釈で何が入っているか考えられそうですが、古い箱が神話そのものなら中身は「希望」。ここでかなり方向性が違ってくるのでちょっと混乱してしまいました。でも中身はこの際関係なくて古い箱は読者の好奇心を挑発しているのかなぁ、パンドラみたいに。
 私の読み方は、古い箱の中は「希望」で、人類に最初の災が放たれてから遠く遠く果てしない歳月が経った今第二のパンドラが箱を開けようとしている。人類がゼウスの残酷な罰を逃れ地球上に生き残れたのは、「希望」が人間に残されていたからなのに。人間は災から生き残ることはできるが希望なしに生きることはできない。パンドラの過ちからそれを知ったはずの人間がまた同じ結末を歩もうとしている。自虐的で同じ過ちを何度も繰り返す、人間臭くてあらステキ!!そういう話であって欲しい。
 

山口 文女 深谷 公一1A/考えだすと・・・ 2002年06月24日(月)20時42分46秒
▼掲示板:1A その時はまだ 世界に希望はなかった への応答

 神話は読んだ事がないのですが、世界の始まりや神様とのつながりって考え出すときりがないですよね。わたしは、どれだけ考えても頭がグルグルするだけで終わってしまいます。でも、深谷くんはそれを一つのお話にできていてスゴイと思いました。

 ラストがとても印象的でした。あのラストが無かったら、神話のようなお話で終わっていたかもしれません。開けて見るか否か・・・。作品をぐっと深くしていると思います。

 感想を考えながら、頭のすみっこで「神様から、どうやって火を盗んだのか・・・?」とか「火を盗んだ男と男の箱を開けた女は、仲良く暮らせたのか・・・?」なんて考えてしまってグルグルします。

古内旭 『テスト』で意図したもの、雑感 2002年06月23日(日)06時13分52秒
古内旭1A/古内さんへ への応答

先週の授業後、寮先生、松永さん、武井さん、東條さんらと議論を続けました。貴重なお時間を割いていただき、また3限サボッてまでありがたいことだなあ、と感謝しております。1A『テスト』に関して、多くのご感想をいただきました。掲示板にも、皆さん感想を長めに書いてくれていたので嬉しかったです。その中でご質問を結構いただいているので、合評で触れられなかったものを中心にいくつか返答させていただこうかと思います。
『テスト』に関しては、象徴的な表現を何箇所か書き込んでいますが、読者がそれらをすべて僕の意図したものと同じにとられなくても、全然構わないと思っています。「ここはこういうことなんだ。なぜ分からないんだ」とか、「ここはこういうふうに読み取れ」とかいう傲慢な気持ちはありません。どんな読み方をしていただいても結構です。今から『テスト』を書いた時に僕が意図していたことを書いていきますが、それさえも「ああ、言われてみればそういう取り方もあるかもな」といった程度で見ていただければと思います。

さて、まずは久我さん。少女の存在について書きます。
久我さんには評論をしてもらっています。評論は的確で、まさにその通りです。そう読んでもらえればいいと思います(ここまでちゃんと読んでくれたことに大変感謝しています)。僕が始めに考えていたものと若干食い違うところは、少女の存在に関するくだりです。
少女に関しては、きっとこんなことだろうと僕は考えています。おそらく実際に起こった(経験的)事実として、「主人公の少年が小学6年生の時に、かわいくて、賢くて、何でもできる理想的な女の子が彼のクラスに転校してきた。ある時、ちょっとした心霊スポット的な森に一緒に(肝試しか何かで)行ったらはぐれてしまって、帰りは別々だった。それからすぐに(一度も会わないうちに)女の子は転校してしまった」こんなことだろうと思います。それに対して、少年が色んな考えを巡らし、後から少女と彼女を取り巻くいくつかの事柄に色んな要素を付け足していきます。少年が少女に対し抱いていた憧れとかおそれが混ざって、彼女は宇宙論まで語る天才少女へと「昇華」してしまいます。実際にはそんな女の子ではなかったはずです。しかし、優等生だった自分よりさらに頭がよくてピアノも上手で絵も上手かったため、少年は少女を「非・人間なるもの」へと変身させることで、「彼女にかなうはずがない」、「彼女になら負けてもいい」、「彼女は超越者である」といいわけをしているとも思えます。ということはつまり、少年の一方的な想像で膨れ上がった彼女は少年の想像の産物ということになり、自分の長所を全て上回る彼女は「理想化されたもう1人の自分」であるとも考えられます。無理を承知であえてラカン的(あるいはジジェク的)に言うと『存在しない女』の典型とも言えます。
久我さんは少女を「宇宙の箱を移動する破壊者」として論じられていましたが、それは可能であると思います。少女は(少年の主観において)世界から世界へと橋渡しをしてくれる「媒介者」でもあります(なぜ「媒介者」なのかという理由は後述します)。世界を移動すること、すなわち久我さんの評論においては、「子供の世界観を失い、大人の世界観を手に入れること」は、喪失の一種に他なりません。すなわちそれは破壊です。

次に、「少女の話に出てくる箱と、森にあった青い小箱の関係」について回答いたします。また、話の核心にも触れたいと思います。
上記の少女論をふまえると、現実に存在した少女が事実として宇宙論や「世界を収める箱」について語ったかどうかは、定かではありません。しかしまったくありもしないことを作り出したというのはいかにも嘘っぽいので、何かしらの「箱」に関する話があったのは確かと言えるでしょう。個人的な記憶ですが、僕は幼い頃は(今でもそうですが)世界の果てについてよく考えました。その時に、世界の果ては何か壁のようなものがあるに違いないと漠然と思ったものです。壁が四方を取り巻いて「果て」を作っているのなら、それは「箱」です。「世界は箱である」。しかし、箱の外には何があるのだろうと考えるとやはりまたどこかに「果て」がなければおかしい。そうするとそれがまた箱状になっているので、世界は無限の箱によって出来ていると言わざるを得ない。しかし「無限」はイメージできないので何とかそれを説明できるものはないかと考えると、「極大=極小」という考えが生まれます。きっと少女は作品中にあった整理された言葉ではなく、もっと稚拙でとりとめのない言葉で「世界の箱」について語ったのです。やはり後になってそれを少年が頭の中で様々な要素を付け足し、現実には存在しない森の中の「青い箱」となったのです。ちなみに青という色には特に意味はありません。ただ、何度か話題に出しているお気に入りの映画『マルホランド・ドライブ』に青い小箱と青い鍵が登場していたのでそれへのオマージュです。
さて、話の基本的な構造ですが、「現実に起こった些細でちょっと不思議な出来事を、少年があとになって色々と付け足し想像で膨らませたもの」がこの話です。少年はおそらく少女がまた転校して自分のもとから去ったあと、初恋であったと気付いて、思春期に突入したのかもしれません。あるいはちょうど年齢的にも大人になったのかも知れません。とにかく「思春期以前」のあの不思議な世界観を失ってしまったのです。そこで、なぜあの感覚を失ってしまったのか理由付けをしたくなります。だから少女が語った不思議な宇宙の話や、たまたま離れ離れになった森への肝試しに、喪失の物語をこじつけたのです。少女が語った「世界を収めた箱」に、少女自身が案内をするのは、少年にとっては辻褄の合うことだったのです。
東條さんはこれらの宇宙論的なセリフが、一挿話であるのか、それとも話の根幹となるのか、と書かれていました。本来一挿話に過ぎなかったものが、それを根幹とし捏造された物語に発展したと言えます。

次に、「テストとは何か?」という質問はかなり多くの方からいただきました。
東條さんは「通過儀礼」と書いていました。それで良いかと思います。映画評論における僕の師匠に読んでもらったところ、「世界を終わらせるためのもの。世界を終わらせるためにはそれなりの手続きが必要」という事でした。これも良いかと思います。子供時代の「世界にもののけが住んでいる云々」の世界観を正しく継承しつつ大人になる為のテスト。これも東條さんのご指摘の通り、少年はこのテストに失敗しています(これは少年が手を離し少女と離れてしまうことに象徴されています)。少女は合格したとの事でした。前述の少女論によると、少女は理想化された自己の分身なので、その部分がテストに合格するのは必然です。最後まで手を離さず少女に導かれていれば、少年もテストをクリアできたのだと思います。そして正しく世界を終わらせ、新たな世界観を獲得できたはずなのです。
結果、少年はあまり理想的ではない大人になってしまいました。日々を不毛に過ごし、小6の時に何かを失った、と考える大人が、欺瞞性を含む回想によって言い訳しているとも考えられるでしょうか。


長くなってしまいました。
次回も合評の続きをやっていただけるということで感謝しています。

寮美千子 地上にあることの深い歓びに触れるまで 生きていてほしかった 2002年06月22日(土)23時16分37秒

今朝、わたしの三つ上の従兄弟の娘が亡くなりました。
二十三歳。彼女は、過食症だった。
つまり、食べては吐き、また食べては吐いてしまい、結局ちゃんと食べられない。
大学受験に失敗して、希望の学校に行けず、専門学校にいったあたりから、
変調を来したらしい。
東京の親類の家から、専門学校に通っていたものの、
過食症がひどくなって、休学して山梨の実家へ戻りました。
それから、入退院の繰り返し。
「家にいたい、家においてほしい」と強く願って自宅療養中のところでした。

従兄弟は、そのことを話してくれなかった。
大学受験に失敗して調子を崩したとは聞いていたけれど、
このごろ、なんの話もなかったので、ああ、彼女は切り抜けたのだ、
きっと元気になったのだと、勝手にそう思っていました。

壊れ物のような娘を、そっと「家族」という殻のなかで守ろうとしていたのかもしれない。

昨晩、彼女はいつもと変わらない様子で「おやすみなさい」を家族にいい、
自分の部屋に入ったといいます。
今朝、いつまでたっても起きてこないので、家族が見に行ったところ、
すでに蒲団のなかで冷たくなっていたそうです。
心筋梗塞だったそうです。

いまの彼女の体重がどれくらいあったのか知らないけれど、
きっと小枝のようにやせ細っていたのだと思います。
この病気の特徴は、本人が元気な気分でいること。
ハイな気分になっているというか、テンションが高い。
それに、体がついていけない。
体が悲鳴をあげているのに「まだだいじょうぶ」と思ってしまう。
本人が元気だから、家族も、だいじょうぶかなあと思ってしまう。
彼女の父親である従兄弟も、母親であるその妻も、
まさか娘が死に瀕しているほど衰弱しているとは思わなかったのかもしれない。

とうとう体が限界を越え、生命体としてのバランスを保てなくなって、
心臓が止まってしまった。
きっと、そういうことだったのだと思います。
冷たくなった彼女の枕元では、目覚ましがわりにかけたラジオが、
音楽を奏でていたそうです。
亡くなった彼女は、目覚めるつもりでいた。
ふいにやってきた、人生の終わり。
もう、二度とこの世界には戻れない。

きっと、いくつかの分かれ道があったと思う。
その分かれ道で、少しでも違う道を選んでいたら、彼女は、いまも生きていたはず。
その分かれ道のひとつに、わたしもいた。
彼女に、彼女の父親に「このごろどうなの?」と声をかけてあげられれば、
何かが変わっていたかもしれない。
ちゃんと、気づかってあげられなかった自分が、深く悔やまれます。

分かれ道を、なんとか生きる方に選んだとしても、
彼女の苦しみは続いていたかもしれない。
人間は、たやすく癒されない。
きれいさっぱり、青空のように爽快な気持ちになることなんて、
そう簡単にはできなかったはずです。

それでも、その苦しみを抱えてでも、やっぱり生きていた方がいい。
わたし自身も、少女の頃から心の中にさまざまな苦しみを抱えて生きてきました。
死んだ方がましだと、何度思ったかしれない。
それをくぐり抜けてここにあるいま、胸を張っていえます。
ぜったいに、生きていたほうがいい。
本人のためにも、周りの人々のためにも。

人ひとりが、精一杯生きていくこと。
そのことで、世界は、より豊かな場所になる。
一歩一歩、苦しみも悲しみも、踏みしめながら生きていく。
その体験は、確実に世界の記憶として降り積もり、
世界を厚みのある場所にしていく。

抱えきれないと思うほどの苦しみや哀しみを引きずって生きているとき、
それがこの先ずっと続くのではと思って、途方に暮れるとき、
どこか遠くへ去って行けたらと思ってしまう。
美しい世界の記憶だけを心に残して、
肉体を脱ぎ捨て、魂となって翔けていく空のかなた、
純粋な光に満ちた場所があるのではないかと、思いたくなる。
そこへ行けたら、どんなにいいだろう。
どんなに楽になるだろう、と。

けれども、それは違う。
そこは、哀しみもないが、喜びもない世界。
なにもない、空白の世界。
そして、地上に深い哀しみと悔恨の種をばらまいていくことになる。
癒えることのない傷を、人々の心に刻む。

哀しみもある世界だから、喜びもある。
けれど、ほんとうは喜びの方が強い。
生きている深い喜びが、哀しみや苦しみを、消失させることがある。
太陽の光が、霧を晴らすように。
生きているというそのことは、ほんとうは、
太陽を内に秘めているということ。
そこに触れることさえできれば、
人生の哀しみや苦しみさえ、深く味わいながら生きていくことができる。

彼女は逝ってしまった。
自分のなかの太陽に触れるまえに。
生きるという深い喜びに気づく前に。

とてもとても残念です。
彼女をこの地上に留める力になれなかったことが、深く悔やまれます。

学生諸君。生きましょう。
心の内を、言葉にして吐き出すことは、大切なことです。
世界に自分の心を投げかけることです。
そこには、本来、技巧もなにもありません。
真摯に心を投げかけること、それを真摯に受けとめること。
そのなかで、心を伝える技は自然と磨かれていくはずです。

言葉は、それがどんな深い哀しみに彩られ、苦悶を表現しようとも
「生きていることの表現」です。
表現するということそれ自体が、生きる方向へ向かおうとする肯定的な力です。
みんなのなかにある「太陽の欠片」を、ここでみんなと共有できることを、
わたしは大きな喜びに感じています。

越智美帆子 好きです。この感じ。 2002年06月22日(土)16時09分53秒
▼掲示板:9A 日々のかけら そのに への応答

 読んでいて、あるあるそんなときって思いました。素敵ですよね。普段の生活って本当に些細だけど、素敵なことが転がっている。そんな匂いを漂わせるものを書くって、簡単そうで難しい。でも宮田さんは、それをさらっと書いている。すごいなぁと思いました。

久我真紗子 古内旭1A/古内さんへ 2002年06月22日(土)11時14分19秒
▼掲示板:1A「テスト」(全文版) への応答

こんにちは。久我です。古内さんへの直接の質問なんですが、前回の授業では時間切れになってしまって聞けなっかったんですけれど、「テスト」の中で少女がよくする宇宙の話はどんなことを意味していたんでしょうか?宇宙の箱と二人が見つけた青く光る小箱には何か関係が・・・。とっても気になっている所なので教えてもらえると嬉しいです。あ、でも次回の授業でもう一度やって頂けるなら、その時でも構わないのですが。 

齋藤 亮 水落麻理1A/感想です。(遅) 2002年06月20日(木)01時23分51秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

 リズミカルで簡潔で、ストレートに伝わってくる文章でした。
 記憶が消えても残るものがあるというのは同感です。そうして人間は作られていくと思います。
 ところで一カ所よくわからなかった部分があります。
 『同じ時にのっても違う時を歩む』とはどういうことなのか理解できませんでした。
 なので、一晩じっくり考えてみます。以上。

奥山 伸太郎 水落麻理1A/同感 2002年06月20日(木)00時10分11秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

 最初これを読んだ時、なんだか当たり前の事をいってるなあと思いました。なぜだか見慣れた感じがあって、特別な感慨が生まれませんでした。なんでだろう?と思って考えたら、納得。僕はこれとおんなじ事をよく考えていたのでした。それがもうほっとんど同じで。「絶対にこの思い出を忘れたくない」とか、「この時間がずっと続けばどんなにいいだろうか」とか、その結論まで、そっくりでした。このとき考えたことが今も頭に根付いていたために、繰り返されたように感じたのでしょう。
 その時に僕も思ったことを、水落さんは、とてもきれいにまとめてあると思います。
まるで今そう感じているように。ただ、きれいにまとまりすぎててちょっと物足りない感じもします。

石黒美穂 水落麻理 1Aへの感想 2002年06月19日(水)23時59分14秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

ありがとうございます よませていただきました(^^:



んーーーーー・・・
ちょっと失礼かも知れないのですが
ありがちかな・・・ と おもったり・・・(、、;;;
いや わかるんです
思い出の切なさと 時間の無情さはすごくわかるのです
率直な詩だとおもうし・・・

それでももっとこう!
水落さんらしい色のあるものがステキ!!!
だと おもうのです(’’

雑記帳とか(あるかどうかはおいといて)
らくがきちょうとか そいうのにかくときって すごく 自分がにじみでたりするけど
そんな風なほうが あたしはすきなのかもしれないです(^^:


でも(’’

ほんと

過去とかって 思い返すと 切ないのです


と 思いました★ミ

石黒美穂 麻生 摂子 1Aへの感想 2002年06月19日(水)23時48分03秒
▼掲示板:1A「小さな箱」 への応答

読みました まず いつもどおり ありがとうございます(^^


幸せになるには やっぱり 努力って 必要なんでしょうか(;;



まず 最初におもったのは 
どんな場所に この箱はあったのかなー? ということです
なんでみんなはきづかないのか?



特別な人しかみつけられない箱・・・ ではなさそうで
じつは どこにでもあるのかもしれなくて
でも ふとなにかをおもった人しかみつけられなくて(でも 1人か2人しか見たことナイってあるから 微妙なんだけど・・・)
そんなに 箱を見つけられない人って おおいのかなsぁ(笑
いったい みつけられた彼と 他の人は どんなところがちがったんだろう?

むー きになるきになる

できれば これを題材に もっと具体的、(っていうと変だけど)な 小説に!(懇願

石黒美穂 山口文女 1Aへの感想 2002年06月19日(水)23時32分12秒
▼掲示板:1A「お空のパジャマ」 への応答

よし よませていただきました! ありがとうございます!


パジャマが主人公でびっくりした
さいしょ 僕がどれなのか わたわたしてしまったから

12階のマンションの部屋なんて ちっともみたことがないから
どんなに高い所なのか 実を言うとそうぞうができない
お空のパジャマ 12階のベランダでなびくそれは
鯉のぼり以上かもしれないなぁ(笑

パジャマも「君」がすきで 「君」もパジャマがすきだなんて
いいなぁ(’’
あたしも持ち物に そんなふうにおもってもらえてるかな?
もしかしたら あたしなら こんなやつといたくねぇ! とか おもわれてそう(w

ものにかたらせるのって すごくおもしろい
モノの気持ちとかって 絶対わからないぶん 形にしてみると
とんでもなかったり うれしかったりするのかもしれないw
そんなかんじで いい作品だとおもいました

 
と(’’;

石黒美穂 渡辺 愛 1Aへの感想(、、 2002年06月19日(水)22時53分33秒
▼掲示板:1A「ポスト」 への応答

*ごふっ(、、 
しばらく パソ環境から とうのいていたり 学校へこれなかったりして
課題だせていない 駄目人間な イシグロです

このさい じかんかかっても 提出期限ぜんぜんおそくても
感想全部かいてしまえ!!!!!!!!!! とか 思ったので書きます(すいません



『ポスト』 よませていただきました ありがとうございます(^^


可愛い詩でした
ポストがかわいくなって そこにたってるんです
もっとこう・・・
あたしがいつもみているポストは カッコイイイメージ・・・
モテそうなカッコイイやつなんですが
こいつは 可愛い男の子のイメージですね(w
しかも魔法使いとくらぁ!!!

家の前にむかしからあって
愛着のあるものが突然にきえるのって やっぱり悲しい

っていう 感じが よくつたわってきました

「今日でお別れなんだって」

の つぎに もう一言あるのもいいかなと 思いつつ

歯医者の音は いやでした(笑

東條慎生 水落麻理1A/感想 2002年06月19日(水)20時50分37秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

日常の中の小さな決意、とでも言えるような小さいながらも輝きのある作品であると思います。
詩のようにも見えますが、これは明らかにリズムのある随想ではないでしょうか。
比喩もなく、イメージもないために、やはり詩とは言えない部分があるように思えます。
ただ、それが詩の条件かと言われればよく分からないけれど。
そもそも詩として企図されたものというよりも、日々の随想をリズムに乗せて書くことに
重点があるように見えるので、まあ、それはどうでもいいことでしょう。

で、幾つか気になったところを。

  過去になった大切な時を
  心の中の小さな箱に入れ

この部分は少しリズムが悪いように思います。私の意見としては、

  過去になった大事な時を
  こころの小さな箱に入れ

とでもしたいところです。ただ、読んでみて感じるのは、私と水落さんとのことばのリズム
の基本のようなものが結構違うということです。
これは朗読すれば解決されるかも知れません。

というか、今回は新たに感想投稿する必要がないものだと勝手に思い込んでいたので、
気を抜いていたら遅れてしまいました。すみません。

山口 文女 水落 麻理1A/箱の中にあれば安心 2002年06月19日(水)15時56分15秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

投稿が遅れて申し訳ありません。

「思い出」を読んで、「忘れる」という行為について考えさせられました。わたしは、小学生の頃から、リコーダーやドリルなど忘れ物がひどく、先生に叱られてばっかりでした。そんな事もあってか、わたしは「忘れる」ことを怖いと思っていました。

とっても素敵な出来事や、どうしようもないくらい悲しい出来事も。時間の経過によって、リアルな感情はどんどん薄れていって・・・しまいには、なんであんなに笑ったのか、泣いたのか、怒ったのか、わからなくなってしまう事が怖いと感じました。でも、忘れないと前に進めないことも山ほどあって。わたしたちは、「忘れる」から歩いて行けるのかもしれません。

忘れなきゃいけない思い出も、自分のからだからは出して、小さな箱の中にそっとしまえればいいなと思います。もう二度と箱を開けることはなくても。そして、何より忘れたくない楽しい思い出は、たくさん箱に残しておきたいです。元気がなくなったときは、楽しい思い出の箱を開けてみれば、にんまりして元気が出そう出そうですね。忘れてなくなるのではなく、箱の中にしまってあると思えば怖くありません。

奥野美和 水落麻理1A/穏やかな前向き 2002年06月19日(水)08時51分02秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

とても流れの良い詩だと思います。
穏やかな前向きさがとても心地良いです。
とても好き。


箱=自分?


なんて思ったら、またすてき!

  そしていつか、その箱の重みが
  私の支えと自信になっていくでしょう。

いろんな思いを連れて
歩いていくのですね。
でも、どんな経験も
今の自分に繋がっているんだ、って思いたいですよね。

でも、昨日キャロルキングを聴いていたら、
思い出がポロリと落ちたりして。


とても水落さんの作品が気に入ったので
短歌化させていただけたら、
なんて思ったのですが、
ちょっと出来ませんでした!!

今日、考えてまた投稿できたら、と思います。

あと、水落さんがマーシー(馴れ馴れしい!)の
詩を読んだのが意外ですてきでした。

あ。そうそう。
水落さんの作品を読んだときに
すぐ、ポートオブノーツの音楽を思い浮かべました。



上村謙輔 水落麻理1A「思い出」の感想 2002年06月19日(水)02時30分02秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

クセのない作品で、あんまり特徴が感じられなかった。
箱という言葉を無理矢理使ってる感じがして、不自然さを覚えた。
テーマが「箱」だから、とりあえず入れたのだろうが、あの場所での箱って言葉の使い方は、脈絡がなくて違和感がある。
「小さな箱」なんて言葉を使わなくても、心の中に入れ、の方が文がスムーズにつっかえないで読めると思う。
もし、この場で「小さな箱」という言葉を使いたいなら、前もって心の中に小さな箱があるという設定をある程度匂わすか、定義しておくべきだったと思う。

あと、この文章は言葉のリズムに気を付けて造られたものだと感じることができる。
完全に詩の分野に入る作品だと思う。
読んでみるとすぐに気付くが、音数がリズミカルでテンポよく読める。
読んでて気持ちがいい一種の軽快さがあった。

そして、この文は本当に短いが、無駄な文節が一つもなくて要点を伝えるのに優れた作品だと思った。こういった短い文で話を纏めることは難しいと思うし、凄いことだとおもった。

久我真紗子 水落麻理1A/思い出します卒業式 2002年06月19日(水)02時06分23秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

タンスの中には体育祭のTシャツがあります。
背中にはもう何年も会っていないあの子の文字で
「100才のババァになっても友達だよ。」

懐かしいあの日を思い出しムフフとにやけてしまう
100才どころか1年も続かなかったなぁ
でもあの頃は楽しかったよ、絶対に。

この詩はそんな心の奥深くに眠っていたものを久々に呼び起こしてくれました。
ストレートな言葉のつむぎが心の琴線に響いてとても爽やかな気分です。

この冷たい水で心を洗われたような一点の濁りもない爽やかさは、卒業式を思い出します。
卒業前のなんとも言えず、爽やかで、満ち足りていて、少し切ない、
あんなに無条件にすべてがいとおしい感覚ってちょっとないんじゃないかと
私は思っているのです。
私は高校3年生の時、早く卒業してこの狭い世界とオサラバしたいとばかり考えていました。
ところが、いざ卒業間際になるとなんだか妙に切なくて
友達と教室でしゃべる時間が愛しくなってきたのです。
今のまま、今日も明日もみんなが変わらずにいる時間が永遠に続けばいいのに、
なんて考えたりもしました。
終わりが近づいてやっと、みんなと出会えたことが
どれだけ奇跡的なことかが分かったのです。

実際に卒業してしまえば現金なもので
あのセンチメンタルはどこへやら
非常にせいせいしました。
以来今までせいせいしっ放しです。
卒業前のあの時間はやっぱり特別なんだなぁと改めて思います。
自分の話が長くなってしまいましたが何が言いたいかというと
私は卒業式のようなイベントがないとつい
今の自分があるのは今まで出会った総ての人々のおかげだということを
忘れてしまうのです。
この詩を読んで大事なそのことを思い出すことが出来ました。
すぐに忘れてしまうでしょうが、そうしたらまたこの詩を読んで
自分のバックグラウンド(そのもの)を思い出そうかな。

最後の
  
  そしていつか、その箱の重みが
  私の支えと自信になっていくでしょう。

というところ。この考え方は素敵だと思います。

 

 
 

杉井武作 古内旭 1A「テスト」(全文版)感想 2002年06月19日(水)01時07分28秒
▼掲示板:1A「テスト」(全文版) への応答

書くのが遅くなりました。授業前にだれか見てくれるかなぁ〜。

非常におもしろかったです。
言葉の選び方がとても巧みで、きれいな散文詩を読んでいるような清々しさすら覚えました。一節ごとにさりげなく人生の哲学のような深いテーマを思わせるあたりはやはり春樹に似てますね。そして、想像力を喚起させる表現力に舌を巻きました。一番惹きこまれたのは、「小学校六年生」についてのくだりで、自分の過去とシンクロしました。
ただその散文詩に、前回の授業で言及されたように、トータリティが感じられなかったため、伝えたいことがとてもおぼろげにしか掴めませんでした。本もほとんど読まないし難しいことを考えられない僕には解釈しきるのは荷が重過ぎます。けれどもこの作品は、答えの無い漠然としたテーマを、あえて「パーツのみ」を提示することによって、読み手に導き出させるという話のようにも感じます。
ある種の作品というのは、圧倒的に独特の内面世界を見せつけた時点で価値があるものとなると思います。僕にとってこの作品はそれでした。

宮田 和美  水落 麻理1A 感想 2002年06月18日(火)19時34分55秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

黙っていても時間は流れるし、大切な人との別れは来る。
それはとても自然なことです。
だけど、時間の経過がかなしくて、
思い出を忘れていくのがかなしくて
さらに、忘れたくないっていう今の自分の気持ちすら
忘れて、たくましく日々を笑ったり怒ったりしてる
未来の自分に腹を立てたりする。
私は、そんな自分がいとしいです。
私は、そんな私がこれからも
しっかり前を見て生きていけるように
いま、言葉を残しているんだと思います。
だから、水落さんがこの作品を残したいと
思う気持ちが分かる気がします

ただ、「決して忘れることのないように」
という言葉にひっかかりました
結局、人は忘れます。
それも自然なことです。
その上で、私にとって重要なのは、
忘れないことじゃなくて
「忘れない」なんて不可能な決意をしてしまうほど
日々を愛していた自分のほうだから。

個人的な観点の違いなんだけど。

宮田和美 あ。 2002年06月17日(月)16時33分43秒
作品番号は? への応答

すいませんわすれてました。
5Aと6Aでおねがいします。

かっちょいいなっておもってたひとが
今日学校にきてなくて
ちょっとしょんぼり。

松永洋介(アシスタント) 作品番号は? 2002年06月16日(日)00時11分14秒
とりあえず。 への応答

おお、続々と投稿されていますね。

ところで
「大きな川」
「おにいちゃん」
の作品番号は5A、6Aでよろしいか?

宮田 和美 とりあえず。 2002年06月15日(土)23時46分56秒
▼掲示板:4A いばらぎのおばあちゃんのこと への応答

みやたです。
とりあえず書いてみました
わたしは、
日々のかけらをちょこちょこ書いていって
それらを紡いで大きな
ひとつの物語にしたいと
思っているのですが、いやはやいやはや。
きれいにまとまらないと
いやな性格みたいです
こんなでいいのかなあ。
不安です。




古内旭 帰国しました。ご迷惑おかけしました。 2002年06月14日(金)03時27分21秒

仕事で中国まで撮影に行きましたが、先日帰国しました。13日に僕の合評予定だったようで、ご迷惑おかけしてしまいました。出席された皆さん、本当に申し訳ありませんでした。いつになっても構いませんので、僕の作品の合評をやっていただける日があればと思います。

越智美帆子 水落麻里1A/感想 2002年06月13日(木)09時07分43秒
▼掲示板:1A 思い出 への応答

 仲間との大切な思い出を小さな箱に詰め、心の中に大切にしまっておく。とても素敵な詩だと思いました。きっと水落さんには小さな箱にいれる、大切な思い出があるのでしょう。うらやましいです。


麻生 摂子 古内旭1A「テスト」の感想  2002年06月13日(木)00時39分52秒
▼掲示板:1A「テスト」(全文版) への応答

とても面白く読ませて頂きました。
これは私のイメージなのですが、このお話は全体的に宇宙と森の色をしていたような気がします。
それは具体的にどんな色かと聞かれても答えられないのですが…。
少女と少年が話して宇宙について話している時、ぱっと浮かんだのは幾何学模様の背景をバックに話している2人でした。

私としては、もう少しこの話を読み解く為のヒントが欲しいです。
なぜ少女が転校してきたのか、世界はどう変ったのかとか。
でも、本当に色々なイメージが出来る作品でしたw

寮美千子 感想/奥野美和2B「東京タワーの見える場所から」 2002年06月12日(水)16時24分48秒
▼掲示板:2B「東京タワーの見える場所から」 への応答

▼注意
まず、はじめにひとつ。
自分が書いた作品に触れるときには、必ず作品の下にある「雑談板で応答」というボタンを押して書きましょう。でないと、リンクができません。みなさんも、気をつけてください。


では、本題に。

>わたしの短歌には季語がありません。
>短歌、という形式については、まだまだ勉強不足であります。
>どうなんでしょう?

季語が必要なのは俳句です。短歌に季語は必要ありません。
書き方の形式ですが、スタンダードには、一字空けも行かえもなく、一行で書きます。
石川啄木は3行に分けて書いて、斬新といわれましたが、特定の意図がないかぎり、やっぱり一行ですらりと流すのが美しいと思います。
場合によっては、一字空きくらいはいいかも。


  数えてた君のスカート水玉の数 もものあたりで終わりのチャイム

「数えてた」と「水玉の数」が重複。短い表現形式なので、このような重複は避けたい。例えば「数えてた君のスカートの水玉を」(ちょっと字余り)とすると、重複を避けられます。

  (改作案)数えてた君のスカートの水玉を もものあたりで終わりのチャイム


  比べないあの子は似合う苺パフェわたしの手には中ジョッキ

57575 になっています。「重たいジョッキ」「冷たいジョッキ」などとすると、57577 になります。気分も出るしね。

  (改作案)比べないあの子は似合う苺パフェわたしの手には冷たいジョッキ


  (2A)素顔より厚化粧のきみがすきはりきっていてかわいいからね
  (2B)素顔より厚化粧の君が好き 鏡台の前 真剣な顔

工夫はあったけれど、初々しさが失われちゃって残念。これだったら、前の方がよかったかも、ううん、指導はむずかしい。リズムが合ってないので、こんなのはどう?

  (改作案)素顔より厚化粧してるきみが好き はりきっていてかわいいからね


  もういいよ君のやさしさ あの頃の僕が浮かんで傷つけたくなる
  急行で君の住む駅通過する淡い風景 許せたよいま

これはとてもいいね。


すいかの短歌は、もうちょっと考慮の余地ありと思います。


短歌は批評と指導が割合楽なので、つい手を出してしまいます。ほかのみなさん、ごめんなさい。奥野さん、がんがん書いてね。みんなも書いてみるといいよ、短歌。

奥野美和 「東京タワーの見える場所から」 2002年06月10日(月)22時40分51秒

短歌の表記や、直接過ぎる表現へのご指摘を頂いたので、
書きなおしました。

わたしの短歌には季語がありません。
短歌、という形式については、まだまだ勉強不足であります。
どうなんでしょう?

わたしは、生活を書きます。
なんやら、かんやら、悩み中。
でも、たしかに、「帰り道に想う」(前に投稿したものです)
じゃ、なんか、不安定。まとまっていない、です、ね。

これからも、短歌作り、頑張っていこうと思う今日この頃であります。
音楽みたいな短歌が書きたいなあ。まだまだまだまだ。
 
合評会は短歌でお願いします。

山口さんの俳句、きれい。
すてきです。すごいなあ。
わたしも、日々精進。
人に読んでもらうって大切ですね。
同感です。



奥野美和 麻生摂子1A/感想 2002年06月10日(月)22時02分15秒
▼掲示板:1A「小さな箱」 への応答

みなさんの意見を読んでいて、ふむふむと思っていました。
なるほど、なるほど、そうか!って。
心の中、頭の中、いろいろ浮かぶけれど、
言葉にするのは難しい。みなさんの言葉にハッとさせられます。
すごい。

で。作品についてです。
すごくメッセージ性の強い話ですよね。
かたまり、というか。
だから、やっぱり焦らず、もうすこし書きこんでみたらどうかな?
と思いました。

幸せってなんでしょう?
努力ってなんでしょう?

幸せを追い求めることは、大切です。
求める気持ちは常に持っていたい。
いじけたくない。おきらめたくない。
けれど、それを「努力」という前向きな言葉で
くくるのは、わたしには出来ません。
ときには、なんにもしないで、部屋でひとり、考える時間も
大切だと思うし…。それも「幸せ」への道だと思うし。
というか、「幸せ」かあ。うーん。


わたしの頭のモーター、ブンブンいっております。



松永洋介(アシスタント) 誤字脱字の修整を承ります 2002年06月07日(金)23時44分51秒
間違えました・・・。 への応答

今回に限らず、投稿タイトルや投稿作品中の書き誤り等についてはこちらで修整することができます。
松永までメールで言ってきてください。あるいは雑談板に書いてください。
でも、たくさんになるとけっこうな労力ではあります。最初からないに越したことはありません。

作品中の誤字脱字や誤用等は、言いたいことを伝えるうえで、よい方向にまったく貢献しないノイズです。可能なかぎり減らす努力をしてください。辞書は手の届くところに置いておくこと。
この掲示板は投稿の前に一度といわず何度でも読み返せるようになっているので、その機会も活用してください。
それでも間違えたら仕方がない。
ぼくはべつに校閲係じゃないので勝手に直したりはしませんが、申告のあったものは直します。

これから合評会で扱われることになる作品の作者の人は、いまのうちに読み返して、誤字脱字を減らすこともできます。

山口 文女 間違えました・・・。 2002年06月07日(金)21時33分14秒

 昨日、俳句を掲示板に提出したのですが。題名を書き間違えました。題名まで自分の名前を入れてしまいました・・・。トンチンカンですみません。正しくは、2A「おひさまの季節」なのですが、どうすれば良いですか?

中里友香 麻生摂子1A/読みました。 2002年06月06日(木)03時54分26秒
▼掲示板:1A「小さな箱」 への応答

拝読しました。そして、これはとてもメッセージ性の強い、というよりも教訓そのものに終わってしまっているなあと感じざるをえませんでした。伝えたいメッセージや教訓があるのはいいのですが、それを伝えるための「物語」が描かれていないし、急いで書きすぎかな、と。‘幸せ‘についての作者自身の概念が読み手に提示されていないのも親切ではないと思います。伝えたいメッセージがあるのなら、それを伝えるための有効な方法も考えなければならないでしょう。役割を負わせた人物やディテ―ルを配置して、この作品を機能させるために、うまく置き換える作業をしてみてはどうでしょう。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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