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越智美帆子 課題1:星兎の感想 2003年04月21日(月)20時08分31秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

「ぼくは、誰のものでもない。ぼくは、ぼくのものだ。」
この兎が言った言葉がとても心に残った。兎はとても傷つきやすく、素直にしか生きることができない。他人のために自分をつくり、存在理由を他人に委ねたほうが楽じゃないだろうか、と思ったが、兎はあえてそれをしなかった。
 人は多数派を普通だと決め、少数派の人間を特別な目で見る。何故そのようなことが起こるのか、それは、不安だからだ。波風一つ立てない人生こそが良いとされる風潮のなかで、少しでもどこか変わっていようものならば、人は怪訝な目を持って非難する。種の本能なのか、自分と違うものを認識すると排除したり否定したりするのは不安だからだろう。不安を隠すために、最初から受け入れることをしないのだ。
 物語の核である兎は、その姿ゆえに人から怪訝な目で見られている。それでも兎は傷つきながらも楽しんで生きている。ユーリはそんな兎を受け入れている。が、最終的に兎はこの星から飛び立ってしまう。では、兎はどこに行ったのだろうか。あてもなく、ただこの星から出て行っただけなのだろうか。物語の中に兎の向かった場所は書かれていなかったが、私はこう思った。兎は自らが生きて行くべき場所を探し求めるために星から旅立だったのだと。
 兎=少数派であり、そんな人々が生きていきやすい星を他に求めたのは、今の現実を物語っている。つまり、まだ未到の地に思いを馳せたのは、現実問題としてとても難しいものだからだと思う。少数派で幸せに生きている人や成功している人もいるが、多くはない。
 いつかこの世界で兎が幸せに生きていけるといいなと思った。

 ところで、はじめて『星兎』を読んだとき、ペケという漫画に登場する、因幡君というどうみても兎にしか見えない高校生を思い出した。彼が舞台となる高校に転校してきた日、教師も生徒もみんなして彼が兎に見えるのは自分だけだと思っていた。なぜなら、あからさまに兎に見えるのに、誰も彼は兎だ、とは言わなかったからだ。マイペースに過ごす因幡君はその愛らしい仕種ゆえ、みんなに愛され慕われる。この話はギャグ漫画だが、『星兎』と同じ部分があるのに、全く反対だなと思った。おもしろいので、是非一度読んでみてください。

五十嵐 舞 課題1:『星兎』の感想です。+作品1:俳句!! 2003年04月21日(月)13時54分14秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 今日は予報では19℃になるはずなのに寒い!!っと思いつつ、パソに向かっています!!

 まず、読んで一言⇒「こんなウサギが知り合いにいたら面白いのに…」というのが一番最初に思ったことです。そして、この主人公であるユーリが子供にしてはというか(子供だからか?)冷めた目でウサギや母親のことを観察している(見ている)ことや、母親に対していい子供を演じている(本人もそう言っているが…)シタタカさを持っていることにちょっと驚きましたが、現代の子供の姿を反映しているのかなとも思いました
また、ウサギが宝物にしていたソーダの王冠や牛乳ビンの蓋(これは後でメンコ代わりにして遊ぶ)などを集めることが流行った時期(代)があったなと自分の幼少時代を振り返ってたら、このウサギに対して親しみを持ちました。また、このウサギのように他人からみたら価値のないものでも、自分にとっては宝物であって大事にしていた時期(今でも続いている人もいると思いますが…)が誰でもあるよなとも思いました。私が一時期集めていたのは貝殻とか面白い形の石とかでした。
 『星兎』の中で一番印象に残った言葉はウサギが言った言葉で,「―自分では決められないことがあるんだ―」という言葉が一番胸にガツンと衝撃を受けた言葉でした。
  それは出会いや別れかもしれない
  それは死なのかもしれない
しかし、そういう自分ではのがれきれない流れ(力?)とうものを人は宿命とか運命とか言う言葉で表していると私は思います。
 星兎とユーリとの出会いと別れはひとつ彼を成長させたように私は思います。出会いと別れは誰にしもあることです。だからこそ、わたしはいい出会いと別れにしたいなとおもいました。

 霧雨や 咲き乱れし 傘の花 / 雨露や 濡れる顔(カンバセ) 八重桜
 青き風 大地に流れ 夏を呼ぶ / 炎立つ 青葉染めにし 水鏡

外島理香 作品/1A「Contrast」 2003年04月20日(日)15時41分30秒

君の胸の上で
耳をあてて
心臓の音を
聞いていた

ドクン  ドクン  ドクン

外の世界から
君にあてて
電話の音が
鳴っていた

トルルル トルルル トルルル

永久不変の
愛の音

不協和音の
友の声

奥野美和 作品2A「恋の痣、ブローチにしてあげる」 2003年04月20日(日)12時13分38秒

あたたとのキスは突然目の前がゆらいでしまう魔法がかかる

この恋は賞味期限があるような気がするけれど見ないふりなの

かさぶたが照らしてくれた歩道橋忘れなくてもいいよたまには

歩くたびもっきんの音がたららららみんなわたしに続いて笑って

これでいい とんがりぐつで夜を蹴る明日はもっと幸せになる

奥野美和 作品1A「心臓さかあがり」 2003年04月20日(日)11時56分04秒


さわりたい合図なんです後ろから背中にパンチしたりするのは

いつまでも歩く速さを気にしない追いつけないのココロの距離も

君の肩借りて寝たふりささやかでせいいっぱいのアプローチです

ワンピース手にとり浮かぶきみの顔かわいいよって言ってほしくて

巻尺でこのきょり測ってみたいなあ そしたらあきらめついたりするの

恋にしかなれなかったのあの子とはわたしばっかり動けなかった



髪切ったウワサを聞いた会いたいなもう春休み終わっていいよ

後ろから恋をしていたうちまたでギター背負った猫背のきみに

呼ばれたの気付いたけれど階段に座ったふたりはお似合いすぎて

友達のふりしてそばにいたばつだ本当のこと言えないままで



きみと見る水面の光いまここがどこか混乱するほどまたたく

きっと今きみはほんのり色づいた桜の下であくびを2つ

改札で君を見れずにじゃあねって言って別れて急行いそいで

いつかまた普通のかおで会いたいな わたげを吹いて想い飛ばした


水落麻理 作品2A さよなら、あの人 2003年04月20日(日)00時08分39秒

今朝出て行ったあの人の背中が
モノクロで目の裏側に焼きついてしまった。
ピンクから黒までのいろんな恋をしてきた頭で
あと半年は消えないんだろうな、と思う。

水落麻理 作品1A かっこわるい恋とか愛 2003年04月19日(土)23時48分17秒

 待ち合わせ場所につくと今日ももう日が暮れ始めていることに気付く。私の一日が終わりに近づいてる。夕暮れは綺麗なんかじゃない。グレーの冬の空気が私の心をチクチクさせる。ただそれだけ。冬の空って重そうで、ズンって元気な気持ちに蓋しちゃうから嫌い。私はそっと自分の唇にふれてみる。真ん中のふんわりもり上がった部分を小指一本でなでる。そのままさっと右にずらしたら痛みが走って顔をゆがめた。唇の右の一番はし、上唇と下唇のさかいめに出来立てのカサブタがあること忘れてた。本人が忘れるくらいのものなんだから大したことないと思っていても、周囲の反応は意外に大きかった。
「何、あけみ!どうしたの、それ!」顔をめいいっぱい近づけて、朝の挨拶変わりに同僚の一言。ほほをはたかれて3時間たたないうちにカサブタの周りは青く赤く変色してたらしい。
「キスマークみたいなもん。」ニヤっと笑って言ってやったら、相手は心配してるときの顔のお手本みたいな顔をして
「全然そんなんじゃないじゃない。彼氏にやられたの?ねー、あけみその男のこと前からなんだかんだ言ってたけど、そいつやめたほうがいいんじゃないの?原因は?それって普通じゃないってわかってんの?」
そのときの彼女ったらありったけに眉毛下げててちょっと笑えた。
「ただのケンカ。言い合いの末よ。」
「だってどうせそのケンカの原因だって彼に非があったんじゃないの?」
そう。悪いのは健太だったのかもしれないね。でもあなたに何を言ったってわからないでしょ?女の唇のはしっこにカサブタつきのアザ作る男なんて普通じゃないって思ってるあなたには絶対何もわからない。はたかれても健太を手放すことのできない私と、謝るのが下手なあいつの関係が、私がどんなに痛いのかもね。わかりもしないのに、大げさに眉毛下げて心配するのはやめて。
「首の周りいっぱいに女のにおいぷんぷんさせて夜と朝のちょうど間に帰ってきて、ギューっていきなり抱きしめる健太は、ほんとは何も悪くないのかもしれない。なんて思っちゃうのよっ。」ロッカー閉めると同時にボソっとつぶやいたら、聞こえたんだか聞こえなかったんだか知らないけど彼女は隣でため息ついた。

 あごを少し上向きにしてしかめっ面で冬の空にらんでたら英子がむこうから笑ってやってきた。英子は高校時代からの友達で、今もよく飲みに行ったりで、細々ながら付き合いは続いてる。彼女のサバサバしたところが好きだった。酒が入るとかなり楽しいヤツになる。
「わー、ちょっとだけ久しぶり。てゆーか、その口どした?」
あ、そっか。今日はみんなにコレについて聞かれる日なんだ。
「ちょっとね。へへ。」苦笑いでごまかしてみる。
「痛そうだね。なーに、誰かと殴りあった?高校生じゃないんだから。」英子は笑って、それだけで何も聞いてこなかった。
 飲んで1時間したら私のほっぺはチークぬったときみたいに赤くなった。今日はアザも一緒に赤くなってるはず。彼女は目の前で上司の愚痴をおもしろおかしく話してるし、彼女の話は楽しくってケタケタと私は笑う。心のチクチクはもうしない。居酒屋のいろんな音の中に心を置き去りにできるから。
「あ、カンパリオレンジいっこ!」へんてこな制服着て、かわいそうに、金曜で混みあった店と格闘してるお兄ちゃんに手のばして大声で言ってみたら、目線の先に知り合いの姿。職場の近くだから会社の人間に会うことなんて珍しくもないけど、いいタイミングでいい人みつけた。
「見て見て、あっちの席に座ってる二人組の人たち。」
「んー?何、あけみの知り合い?」
「同じ会社の人。何回か話したことあるんだ。しかもさ、同僚の女友達の中で人気あるんだよー。」箸の先で空中に丸書きながら英子を見ると英子も乗り気で
「こっち側、あの手前に座ってる人も知り合い?いいじゃん。」なんて言ってる。お酒はほんと気持ちいい。
 2人で飲んで1時間たったそのまた1時間後には4人で合コンみたいになっちゃってた。笑いすぎるとカサブタがピリって痛むときがあったけど、そんなのは気にしない。久しぶりに健太以外の男とお酒を飲んだ。意味のない、きっと数時間後には忘れてるんだろうなって会話がよかった。私にはそれでよかった。いつもはやられっぱなしだけど、私だって遊べる。
 うまい具合に2、2に分かれて、私は背の高い、ヒゲはやしたら似合いそうな顔立ちしてる人と並んで歩いた。この人はおしゃべりではないけどよく笑う。仕事のときもテキパキこなしては、たまに笑顔で上司と話してたりする。前から友達から好かれてそうな人だなって印象があった。男友達に、事あるごとにまとわりつかれてその度にその顔で笑ってるんだろうな。そして、本当に背が高い。きっと健太より高い。ずっと先のほうを細目にして見ながら歩いてたら、彼が私の顔をのぞきこみながら言った。
「あけみちゃん、酔ってんの?」
「んー、酔ってるけど大丈夫だよ。」
私は焦点を彼のほうに合わせてから答える。
「背高いよね。どれくらいあるの?」
「ちゃんとはわかんないけど180以上はあるよ。」
「へー、私なんて160ないからうらやましいなぁ。」
彼はまた笑った。よく笑う人って絶対人から好かれるんだろうな。私にはできない芸当だわ。
「どっか座ったりしなくて平気?」
「うん、平気だよー。でもほっぺたがあつい!」
「はは、ほっぺ真っ赤だしな。」
そう言って前へ向き直る。
「でも空気が冷たいから気持ちいい。」
私もまた細目で前を向こうとしたらふいをつかれた。目の前が陰ったと思ったら彼の手が私の唇、カサブタのところに触れたのだ。
「これほんとに平気?」
 なぜかその瞬間、彼の背の高いところも、よく笑うところも、何より彼の指に一番腹がたった。私の顔はきっとそのときすごくゆがんでいたと思う。頭の中で彼に対する印象なんて全部ふっとんで、目の前の男はへらへら笑ってる芯のないバカだとしか思えなくなった。
「さわんないでよ。」
この言葉で片付けられてよかった。同じ会社の人だもの、手なんかあげたら会社で合わす顔なくなっちゃうしね。
 でもそんなこと考える必要なんてなかった。その場面で出るのは手じゃなくて涙だったから。
 吐き出した一言は自分で思ったよりずっと低く息だけの声だったみたいで、彼は、え?と聞き返すときの顔をしていた。私はそのまま足の力も抜けてお酒のにおいが漂ってそうな地面にしゃがみこんでしまったのだ。ひざにひたいをのせたら口から出る自分の生暖かい呼吸を感じた。そのとたんから涙は止まらなくなったんだ。もうそれは、ほほを伝うよりも前に私のヒザにはたはたと落ちて、一生懸命涙を出そうとする体は小刻みに震えた。これは涙じゃなくて、涙とは違う成分でできてて、この成分をたくさん排出することは私の中のどんよりした、違ってしまった感情を排出することになるんだ。きっとそうだったらいい。だって私本当はわかってるんだ。男がすべての私なんてちっともステキな私じゃないこと。男のことしか考えられない私なんてかっこいい女にはほど遠いこと。
 突然の私の発作にあわててる隣の男もほんとは健太なんかよりぜんぜんいい人なんだろうね。だってこの人は健太みたいに私を泣かさないし、健太みたいに嘘つかない。きっとマニュアル通りの幸せを私にくれる。マニュアル通りの幸せがほんとは一番幸せなのかもしれないってこと、私最近わかってきたもん。だけど、だめなの。だってこの人は健太みたいに笑わないし、この人は健太の体温じゃない。健太じゃない。わかってる。私の心はチクチクとかむくんでるとか、そんなこととっくに通りこしててもうグチャグチャに膿んでるんだ。
 そのまま固まってしまいそうなくらい小さくなってた体の私の手が上に持ち上げられた。化粧もはがれ落ちて、それこそグチャグチャの顔でその相手を見上げると困った顔して口だけ笑った英子の顔があった。
「何してんのよ、バカ。」
英子の後ろで心配そうな顔してる彼が涙でかかったモザイクのむこうに見えた。
「ごめんねー、この子飲みすぎちゃっただけだと思うから心配しないで。」
「ほんとに大丈夫なの?タクシーつかまえて送ろうか?」
「大丈夫、大丈夫、私がやるからさ。それより今日はほんとごめんね。」
そういえば英子がさっきまで一緒にいた人はどこ行ったんだろ。私はそんなことを考えながら二人の会話を聞いていた。
 
 健太が帰ってきてる。タクシーを降りて顔を上げ、部屋の明かりを確認する。冬の夜は濃くて、目の奥へ夜がじわじわと入り込んでくる。その夜の中にある明かりは夜の濃さと一緒に力強さを増す。目から入り込んできた夜は私の体のお腹の部分まで下りてきて、さっきまでパニックになっていた私の体も気持ちもすっと落ち着かせた。自分の家でもあるのに、入っていいのかどうかわけもなく戸惑ってしまう。いつもそうだ。健太に触れていいのかどうか、健太の心にこれ以上踏み込んでいいのか、戸惑ってしまう。健太の引いてる境界線はいつも笑顔で隠されてるけど実はすごくしっかり引かれていて、それを越えることは健太に嫌われることなのかもしれないと思う。
 寝てるかな、と思いそっとドアを開けると、テレビの音がいっきに部屋からあふれてきた。起きてた。さっきの戸惑いはさらに大きくなって私の緊張は途切れない。ケンカのあとはどんな顔していいのか分からなくなる。どうしよう。
「おかえりー。」
健太が私に気付いた。だけどなんとなく顔を見れない私はうつむいてしまった。
「あけみ?」
近くに来て私の顔を覗き込んだ健太の顔は笑ってた。ずるい。あんなに大喧嘩のあとでもこうして笑える健太はやっぱり私より一枚上手で、うつむいてしまう私は健太より何倍も健太だけなんだね。
「はは、お前酒くせーよ。」
肩を揺らして笑う健太。健太の笑った顔はすごく好き。ほんとに好き。私の口は自然にゆるんでしまった。チラっと目だけを動かして健太を見ると、私の目を見た健太の目が固まった。泣きはらした目に気付かれたのだ。失敗した。目の腫れがひいてから帰ってくればよかった。これじゃまるで今朝の健太を責めてるみたいだ。またケンカのむし返しになっちゃう。あせって私は目をそらしてまたうつむいた。
「英子と飲んできた。」
うつむきながら言うと健太の手が私の顔に伸びた。一瞬体に力が入ってかまえてしまった私に健太の手の動きが止まった。もう一度今度はしっかり健太を見ると健太の手は私のくちびるの横のカサブタにふれた。冷え性なはずなのに今日の健太の手はいつもより少しあったかい。親指で私のカサブタをなでる健太。それを見上げる私は胸の中の奥のほうでばれないようにこっそりドキドキしてた。この人も少しはドキドキしてくれてるのかな?健太はカサブタに自分のくちびるをあてた。目を閉じるのを忘れた私は、健太のまつげがおりて目の下に優しい影を作り、まぶたが健太の目を隠して、そしてまた健太の目が私の目に合わさる、その動作一つ一つを全部見ていた。それを終えると健太は私に背を向けて
「風呂は入ろーっと。」と言って伸びをした。その背中を見て私はまた泣きそうになった。嘘ばっかりついて、優しい顔してごまかして、キスが上手で、私を泣かすのも上手。ぼやけててはっきり見えない健太だけど、たまに本当をくれる。声にもなってない健太のゴメンナサイは声にだすよりはるかに重い。
 だからやめられないんだ。ダイレクトじゃないこの人の胸の中にいつだって私をひっかけていてほしい。そして私はこの背中を一人いじめしたい。カサブタに触れた手の体温も、まつげもまぶたも、全部。かっこ悪いけどたぶん私は今すごくかっこいい。                           


川村彩乃 自己紹介 2003年04月17日(木)10時40分41秒

好きな食べ物は梨。好きな画家はエゴンシ−レ。好きな建築家はルイス・バラカン。好きな版画家はムンク。好きな島は犬島。今読んでいる本は建築家なしの建築。好きな絵本はマックロネリノ。好きな詩人は中原中也。気になることは牛乳の白さ。今の色は黒。

杉井武作 課題1/自己紹介 2003年04月16日(水)22時55分14秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 提出が遅れて申し訳ありません。どうか律習させて頂けるよう検討お願いします。

 表現文化学科2年の杉井武作です。
 去年この授業を受講していましたが、多様なジャンルというよりも、突拍子もないものを多く書いてきたような気がします。小説・詩・エッセイ・ギャグもの・短歌・歌詞など、形式にこだわりなく自己の一部を自然に表現してきました。その結果、去年一年の自分の作品を振り返って「ソウルがこもっていない」ことに気がつきました。得体の知れない自分の内面世界を形にしたい欲求だけが先走っていて、思いつくまま自己表現を垂れ流していた。しかしそこに他者が共感するほどの切実な衝動は見られなかったのです。理由を検討してみると、自分にはまだ自己主張をするほど多くの経験がないのだと気がつきました。物語の作法は多くの刺激を受けられる場ですから、色んな人の世界を吸収し、自分がどんなスタイルでなにを訴えたいのかを探りたいです。
 昨年は自己表現の術が文章だけでしたが、音楽・映画・演技・コント・写真など興味はいくらでもあります。特に音楽は今のところ最も好きな表現形態なので、今年はさらに世界を広げられるようがんばりたいと思っています。
 というわけで、当面の目標は「技術を磨きつつ多くの経験をする」つまりは吸収の年になりそうです。もちろん、同時に自分の世界を形にする発散も怠りたくはないですが、今年は少し腰を落ち着けて外の世界に目を向けたいのです。吸収を経て自己の輪郭がある程度はっきりしてきたら、作品も自然と収斂の方向へ行きたくなるような気がします。
 松本人志の発想力・HYDEの美的センス・中島みゆきの言葉選びは僕の感性を刺激します。宮沢和史の音への柔軟性・小沢健二の生の喜びを表現する力も素晴らしい。本はあまり読みません。
 まるでサロンのようにしなやかな輝きを演出したいと思っています。
 「スタイリング上々!」

紺野 暁広 課題 自己紹介 2003年04月16日(水)22時04分34秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現学部文学科四年の紺野暁広といいます。

自分は小説が好きです。物語が好きです。現実にはない、ありえないような話が好きです。というかぶっちゃけ、ぞくに言うジュニア小説が好きです。この年になっても好きなことは正直恥ずかしいものです。ここに書くのも冷や汗ものです。が、どうせいつかはバレルもの、ずばっと書いてしまいます。小学生の頃に始めて読んで以来約十年、飽きることもなく読んでいます。普通の小説も読みますが、一番はといわれると、やはり頭にはジュニア小説が浮かびます。困ったものです。
今までに自分は何度か小説を書こうと思いました。が、結局書けませんでした。ほとんどが切れっぱしだけで、一つとして最後まで書ききることができませんでした。途中で投げたりすることがほとんどです。物語を書くことでできませんでした。頭に話が浮かんでもそれを文字として、文章として表現することができず、全てがただのアイディア止まりです。原因は明らかな読書のかたより、また文章を書くという作業の絶対的な不足です。
こちらの授業で自分は作品を書き、それを提出し、それに木っ端微塵になるまでの批判をされることを期待しています。また視野の狭さを補うために名作と呼ばれるあらゆるジャンルのもの、小説、エッセイ、漫画、映画、音楽やらなにやら…全てを目に耳にしたいです。皆様の名作をぜひとも教えてください。
夢として作家になりたいと思っています。が、今のままでは結局遠い夢に過ぎません。
気づけば大学四年生、そろそろ後がありません。夢を現実的に追うぎりぎりのところでしょう。本気で気張ります。
一年間どうぞ宜しくお願いします(って言えたらいいなぁ)。

室橋あや 自己紹介 2003年04月16日(水)21時58分16秒

初めまして、表現文化3年の室橋あやです。去年この講義を受講していた友人から様子をいろいろ聞いて、とってみたいと思っていました。最近ハマっているものは刺青と飛行船です。よろしくお願いします。

奥野美和 00x020 奥野美和です 2003年04月16日(水)21時57分34秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現文化学科4年生の奥野美和です。目標は、夢と憧れ、そしてユーモアのある
女の子向けの雑誌を作る事です。編集者で、デザイナーや挿絵画家でもあった
中原淳一さんがとても好きです。大学の入試は、彼についての作文で入りました。
卒論のテーマも「少女と雑誌」になると思われます。

女の子の足取りを軽くする事が、私のやりたいことです。
紙媒体がとても好きで、雑誌、小説、エッセイ、歌集、などなど
いろいろ読みます。ミーハーと言ってもよいと思います。

好きな雑誌は、「スポッティング」です。
エディトリアルデザインの流れのよさから、写真、言葉使いまで、
穏やかな時間を提供してくれる、カルチャー誌で現在は、写真家の
川内倫子さんの写真が使われてます。

好きな小説は、たくさんあるのですが女の子が出てくるものが好きです。
江國香織なら「ホリーガーデン」「流しの下の骨」「落下する夕方」
川上弘美なら「溺れる」「センセイの鞄」
角田光代なら「あしたはうんと遠くに行こう」
など。あと、佐野洋子の「コッコロから」山田詠美の「放課後の音符」
も好きです。

エッセイでは、辛酸なめ子の「自立日記」「ほとばしる副作用」
坂崎千春の「片想いさん」がとても面白かったです。
辛酸なめこさんは、雑誌サイゾーでも連載している漫画家ですが、
私は彼女の毒々しく、かつ謙虚な文体が好きです。

歌集では、岩城伸子さんの「それも気のせいでありますように」
が装丁から中身まで全部素敵で美しいです。スピッツや、椎名林檎の
ジャケットや歌詞カードのデザインも行っているセントラル67、
木村豊さんが担当しています。

短歌がとても好きで、5 7 5 7 7のリズムは、わたしをどこまでも
連れて行ってくれます。そして、わたしはこれからも5 7 5 7 7を
連れて行きたいと思っています。

二年生の頃からこの授業を取り始めたのですが、この場所で短歌に出会え、
書く事の楽しさや人に広がる嬉しさ感じる事が出来ました。

今年度、また取ることが出来たら(取りたいです!)
私の目で見たものをココロに通して書いて行きたいと思います。

宮田和美 課題1 自己紹介 2003年04月16日(水)21時32分25秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

私の日常
去年まで両目1.5だった視力が、1.2と1.0になってた。
生まれて初めて行った選挙はサザエさんが見たくて走って行って帰ってきた。所要時間約5分。
銭湯の窓からこぼれるゆげの匂いをよく嗅いでいる。
誰かを好きになると必ずananを読んでるような気がする。

なーんて、こんなことを書いたらまるでかわいい女の子みたい。
本当はそれだけじゃないです。いやもちろんかわいいし愛してやまないのですが、でもそれだけじゃない。

去年はピュア・ラブIIとかいう昼ドラ見てて、学校ほぼ行かなかったし、たまに学校行ったとしてもさみしすぎてお昼にひとりで学食にいられないし、ちょっと気になる子とか見かけたらひィーって逃げるくせに逃げながら「アタシのこと目で追ってろー」とかって、呪いにも近い祈りなんか捧げてみちゃったり、男の子の友達に恋人ができるとなんだかすっごくおもしろくないし。あーやっぱあたしってかわいいなぁー

そんなこんなではじめまして。
イメージ文化3年の宮田和美です。てんびん座のAB型です。
1年のころからこの授業をとっていました。去年は短い物語を中心に書いていたので、つうか力量たりなくてみじかいのしか書けなかったので、今年こそはなんとしても長いものが書きたいです。
好きな小説は町田康の「夫婦茶碗」、江国香織、ねじめ正一「高円寺純情商店街」、角田光代など。
じつは、小説あんまりくわしくないのです。

漫画をよく読みます。魚喃キリコとか南Q太、岡崎京子、高野文子の「るきさん」、やまだないとの「西荻夫婦」、くらもちふさこ、村上かつら、松本大洋、冬野さほ、朝倉世界一、吉田戦車ってあーきりがない。

漫画のようにお手軽で、音楽のようにしぜんと流れて、メールのように日常的で、話しことばに近い小説を書きたいと思っています。

音楽はくるりがすきです。日本の四季もすきです。しけた顔の男がすきです。
よろしくお願いします

越智美帆子 自己紹介 2003年04月16日(水)21時18分58秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 表現学部表現文化学科2年の越智美帆子といいます。昨年からこの授業に参加させていただいています。今年からの人ははじめまして、昨年も受講された方は今年もよろしくおねがいします。
 私は岡崎京子という漫画家の作品に影響を受けて、ものを書き始めました。彼女の代表作と言われる『pink』と『リバーズエッジ』の主人公は、自分を取り巻く現実に対し希薄な感情を持つことで自らを守り、結局最後もその世界に留まり続けます。しかし、最近7年ぶりに単行本が出された『へルタースケルター』の主人公は、自分が置かれていた現実から脱出します。私も、変化を望みながらも、結局は諦めを持ち現実との交信を断つ主人公の話を昨年は書きましたが、今年は『へルタースケルター』の主人公のように次の世界へと脱出する主人公の話を書きたいと思っています。
 私は楽しみながら物語を書いています。多分この先、その思いは変わらないと思います。これからよろしくお願いします。
 

外島理香 紹介文遅くなってごめんなさい。 2003年04月16日(水)20時40分52秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現文化学科3年の外島理香です。トシマリカと読みます。
「良い書き手は良い読み手である」という学科のスローガンに惹かれ、去年編入しました。これまでは、詩や小説を書いてきました。100作以上詩を書いてきていたので、以前いた大学では、詩の展示をしたことがあります。しかしこの学科に入ってから1年間は、全く表現をせず、読むことばかりをしていました。今年からは交互に、自分の書いたものも表現し、他の人の作品も読んでいきたいと思っています。自分の書いたものが、どう読んでもらえるのかということを知りたいし、私だけでなく、他の人の作品を、人はどう読むのかも知りたい。自分の読みと他の人の読みが、どう違うのかをということも発見したいと思うし、自分が好きな作品や自作のもののどこが良いのかなど、ことばで語れるようになりたい。寮先生の「物語の作法」は、編入前から受けたいと思っていた授業で、絶対にとりたいです。
好きな小説は「僕は模造人間」など。


東條慎生 課題1/感想文「ノスタルギガンテス」 2003年04月16日(水)20時10分47秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

「ノスタルギガンテス」 または、言葉の海におぼれ死ぬ


 たとえば、廃墟、ガラクタ、一本の木、キップル、ゴミ、といった、この作品の中心的役割を果たすことになる素材たちは、それ自体で興味深い素材だろうし、「廃墟」という言葉自体にもいい知れない魅力がある。しかし、それを羅列するだけでは、もちろん何らかの魅力ある話を語ることなど、とうていできないだろうし、自分の好きなものだけを寄せ集めた接着剤を欠いたプラモデルのような、それこそガラクタと化してしまう。「ノスタルギガンテス」という、作中の記述に添えばそれ自体が矛盾をはらんでいる名前を冠されたこの作品には、それらの素材を一つにまとめる強力なモチーフがあり、およそこの物語はそのモチーフをめぐって書かれている。
 この作品が全体的には無名/有名の対立を軸として書かれているだろうことは、繰り返し作品のなかで語られる、カイの「名づけること」への嫌悪からもはっきりしている。この作品は、前篇と後篇にわけることが可能だと思われる。前述の「無名/有名」の対立軸が作品を貫いていることを自ら示すように、前半ははっきりと「無名=名前がないこと」を基本的な原則としており、後半は「有名=名前があること」からスタートしている。ただ、ふたつの名づける行為、「ナギ」と「ノスタルギガンテス」とは相前後して起こるため、段落が空くようには正確にわけられているわけではない。しかし、名前のないことをモチーフとした前半から、名前のあることをモチーフとしている後半への転回が、その名づける行為の近辺で行われていることは了解できると思う。

 前半には、自分だけにしか見えない「神殿」に「生贄」を捧げるカイの行動に端を発した、ガラクタたちが集まってくる現象とそれが加速度的に甚大になる様が中心となる。そこに集まってくるのはいわばゴミ=元々あった役割から外れてしまい、最早有用なものではなくなってしまったもの=である。つまり、名前をなくしてしまったものたちだ。ゴミ、ガラクタとはいわば使えなくなってしまったものたちを、集合名詞的に一緒くたに呼ぶ言葉だが、それはつまり名前が持っていたはずの役割を失ってしまった状態=無名の状態だと呼ぶことができる。無名の住民たちにより持ち寄られたガラクタを、カイはキップルと呼ぶ。そのキップルたちは名前のない、一本の木に集まってくる。名前のない一本の木に集まってくる、無名のガラクタたちだ。
 そしてカイはその木をとても「すてき」だと思う。「神殿」であり、「メカザウルス」のある木は彼にとってとても大切ななにかであった。「すてき」という言葉はこの作品のなかでかなり頻繁に用いられる言葉の一つであることは書き出しを見てもわかる。では、なぜこの使いようによってはひどく凡庸になってしまいかねない単純な「すてき」という言葉が使われるのか。

 「すてき」や「きれい」といった言葉は、透明だが具体性に欠け、そのために内容の乏しさを感じさせてしまいかねない危険な言葉だと思う。しかし、おそらく敢えて計画的に、もしくは「確信犯」的にこの言葉は使われている。それはまた、この小説が少年による一人称であることと深く関わっている。少年はおそらく小学校程度の年齢で、奇妙に未来的な匂いのする「シティ」に両親と住む子供であることが作品からわかる。彼には学校もあり、母親も居、友達もいるのになぜひどく孤独だ。カイが「神殿」だと確信した森の木は、彼のアルファベットで呼び合う友人たちにはまったくそう言うものとしては見えない。彼がすてきだと確信している「メカザウルス」のすてきさを母親はまったく感じることがない。カイは自分の思っている感情を他人にうまく伝えることができない。それは一体なぜ。「言葉にできない」からだ。明確な言語によってその「すてき」さを名づけ、他人に伝えることにひたすら失敗し続けるのが、この作品のなかでのカイの運命である。

 他人に伝えるには少なくともそれを言語化しなければならず、その言語化に失敗することが彼の運命である以上、カイの「すてき」なものは名前のないもの=キップルで占められている。「メカザウルス」や「神殿」が、東原に名前を聞かれた時、カイがもうその名で呼ぶことのできなくなったように、「ノスタルギガンテス」のなかで称揚されているのは無名のものたちではないだろうか。
 一人称で語られるのは、言語化され流通した言葉としてではなく、カイ自身、名づけられない感情に満たされた何者かへの思いだろうか。それは言葉にできないが故に他人に伝わらず、それを共有できないが故に、この小説は、カイ自身の一人称で語られる他なかったと言えるだろう。この小説に満ちているのは、カイの詩情、ポエジーとでも言うべき幻想の数々だ。木の元へと漂着するキップルたちを見て、カイは世界が海に埋まっていると思う。世界はすでに生まれた時から廃墟であり、ぼくらはすでに死んでいるが、誰もが知っているから誰もそれを言わないのだと考える。世界をキップル化しようとでもいうようなその他彼の思い浮かべるイメージは豊饒で、詩的だ。過剰に詩的だとも言えるこの小説の文章を支えているのは、カイのその詩情なのだが、この小説はおそらくその他人に伝えることのできないイメージを伝えようとしようとする不可能を刻まれた試みによって書かれているのではないだろうか。

 振り返れば、「ノスタルギガンテス」という名。これは、「名づけ得ぬもの」の「名前」である。語義矛盾だ。しかし、言葉によって言葉にならないものを伝えようとしている語義矛盾によって書かれたこの作品が、そのような名を冠していることは相応しいと言える。
 名前は名づけられねばならなかった。無名であることの至福のうちにあったカイは、まず「ナギ」と名づけられてしまう。そして、重要なのはここからである。名づけられると言うことは、牢獄に閉じこめられることに他ならない、というシリアスなモチーフがここから展開していくことになるからだ。後半主要な部分を担う素材は、メディアである。メディア=言葉を流通させるもの。作中のイメージに従えば無数の鏡が生まれ落ちることになる。ボルヘスは確か(出典を忘れたが)、女と鏡は人を増やすが故に忌まわしいと言ったが、カイもまた、無限に増殖してゆく自らの虚像たちに苛まれる。カイは「ナギ」と名づけられてしまったために「神」になり、木は「ノスタルギガンテス」と名づけられてしまったが故に、芸術になった。メディアのなかで無際限に流通し始める言葉=イメージたちは、虚像を増殖させ、実像を見失わせていく。その象徴的な関係が、カイと母との関係である。後半、母は雑誌やテレビに釘付けとなり、息子であるカイが雑誌に映っていることにとても喜んでいる。そのうち母の眼差しはメディアのみに注がれるようになり、カイ本人は次第に母の視界から消えていくのだ。言葉として流通してしまうことにより、本質=実像が消失してしまうこと。後半の主な展開はこれをめぐって書かれている。

 名づけられることは、牢獄に閉じこめられることであるというテーゼ。それが最も端的に表れているのは、命名芸術家によって名づけられた「ノスタルギガンテス」がついには、芸術として琥珀のなかに生きたまま時間を止められて閉じこめられてしまうラストだ。無力さと哀しさと無限の苦しみ、絶望と巨大な残骸。最後に残された巨大な「ノスタルギガンテス」の骸。その「ノスタルギガンテス」のうえで、写真集にサインされた名前を、紙飛行機にして空に飛ばすラストのイメージは、鮮烈だ。
 言葉にしようとして言葉にできず、名づけられてしまった言葉はそれ故に名の持ち主を封鎖する。不可能性が刻印された困難な名=ノスタルギガンテス。この、言葉の海におぼれ死ぬようなイメージを私に残す作品は、名前という暴力について書かれている。言語の暴力に抗う装置として、作者が選択したのは、ある少年の「すてき」なものへの思いだったのだろうか。たった一人の持ちうる詩情によって、名前の暴力に抗すること?

 しかし、後半カイの思い描いていた海は死んでしまう。詩情が名前によって枯渇させられるのだ。後半の痛ましい展開はそのようにして詩の死を宣告しているとも読める。だが、ここで本の最初のページまで立ち返れば、そこにはプロローグがある。プロローグは、すべてが終った時点から書かれているのだが、そこでもカイは、名づけ得ぬものを語ろうとする不可能に挑戦しつづけている。「ノスタルギガンテス」は死んでもカイの詩情は死なない。


 [付記]
 火と水の対照性も気になる。東原が口にするのは燎原の火だが、カイが思い浮かべるのは海や、水である。この対照的なイメージの差は、名に対する二人のスタンスと通底するものかも知れない。今はそこまで検討する時間がないので、それはまた。
 そういえば、「キップル」や「レプリカント」という言葉にはなにやら聞き覚えがある気がするのです。「ユービック」と「ブレードランナー」?
 それにしても、この本のカバーはとても印象深い。無数の葉が茂って無数の枝や根が絡み合う様が、作品の印象と深く呼応し合っている気がする。
 同じことを何回も繰り返しているような文章を長々と失礼しました。

五十嵐愛 感想文と(改めて)自己紹介 2003年04月16日(水)18時03分51秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

■感想文
『ノスタルギガンテス』。いくつかある課題図書の中から、この本を選んだのは、一見意味のあるようなないようなタイトルにひかれたからだった。”ノスタルジー”+”ギガンテス”だろうか?本を開いて、最初のページの言葉に驚いた。「ぼくのメカザウルスがどんなにすてきかってことを、どんな風に話したら、きみにわかってもらえるのだろう。」
たいていの場合、作家は言葉を尽くして”メカザウルスのすてきさ”を主人公に語らせようとする。それなのに、ここでは言葉で語ることをあえてしない。一見サボっているようでいて、すごいと思うのは、言葉で規定しないことによって、読み手の想像力が広がっていく所だ。細かい描写は確かに目に浮かぶように説明してくれるけれど、その時点で限界も生まれる。リアルで細かい説明やテレビ・漫画などの視覚的な表現に慣らされていただけに、新鮮だった。この作品には名前をつけるということが重要なテーマとして出てきていると思うが、言葉で表現することは、”生み出すこと”であり”規定すること”なのだということを改めて感じた。
 寮先生の作品には、なぜか長野まゆみの『少年アリス』や宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と近い空気を感じる。独特の造語や、ふりがなのない漢字。鉱物のように冷たく透き通ったイメージ。一つ一つの言葉を選ぶのに時間をかけているように思う。独特の言葉の使い方や雰囲気は、外国語に訳すとしたら難しいだろうなと思った。

■改めて自己紹介の追加です。
好きな作家は、吉本ばなな、ル・グゥィン、M・エンデ、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ、プロイスラーなどなど。吉本ばななは、「キッチン」や「ムーンライト・シャドウ」、「TSUGUMI」など、比較的初期の作品が好きです。
 卒業するまでに1作は児童文学作品を書き上げて投稿するのが目標なので、この講義でいろんな人の意見を聞いて練り上げていけたらと思っています。

圓山絵美奈 小惑星美術館 2003年04月16日(水)17時10分29秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

エッセイ以外の分野を読むことをあまりしなかった私が、
この本に出会って初めてSF、ファンタジーのおもしろさを知った。
読んでいるうちにどんどんその世界にひきこまれて、ちょっとした
現実逃避を感じてしまったくらいだ。ユーリと一緒になって不思議な世界の
扉をたたき、一緒になって違う世界がどういう所なのか理解しようとする。
ユーリはこうしたけれど、私ならどうするだろうなと考える。
本の楽しみ方ってこういうことなんだな、と思った。
例えば嫌な事があったり、考え込んでしまった時に麻酔のような
役割を果たしてくれる。そんな本だと思う。
また作者が伝えようとしている「地球」についての考え方。
目がさめるような事が多くて、ファンタジーのはずなのに
現実に起こりそうな気でさえしてくる。私たちが地球を大切にしなければ
「れんがの月」のような世界が実際にできてしまうんじゃないんだろうか。
実際に私達人間は宇宙に自分達が住めそうなところはないか探している。
皆知らないうちに地球をあきらめてしまっている部分があるのかもしれない。
「私達がガイヤ(地球)、ガイヤが私達のために存在するのではなく、
私達がガイヤそのもの。」それを忘れずにいればれんがの月の人々の
ような結末にはならないだろう。私達はまだガイヤ(地球)で生きれる立場
にいるのだ。

自己紹介
圓山絵美奈(マルヤマエミナ)、表現文化の2年生です。
私は去年転部の試験を受けて経営学科からきました。
自分の存在理由、辛い事で悩みこんでしまったときに
私はそれを誰か(人)で埋めるのではなく、何か違うことで
埋めたいとずっと思ってきました。
中学のときに詩を書き始めて、紙に自分の意見をぶつけることに
よって気持ちを落ち着かせたり、自分を理解してもらう手段に
使ったりするうちに、これが私の埋めるものになるように
思えたのです。将来はそうやって自分を表現できる仕事ができたら
いいなと思っています。この授業で物語も書いてみたいし、
詩も書きたいです。どんどんいろんな事を吸収して、自分の視野を
広げ、いろんな文章、言葉をうみだせるようになりたいです。

古内旭 課題1/自己紹介 2003年04月16日(水)15時08分26秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

昨年から引き続き受講を希望します、文学科4年古内旭(ふるうち・あさひ)です。
私はあくまで小説という形にこだわり、その中で表現力を身に付けたいと考えます。もちろん、昨年の課題でも短歌がありましたが、その他のジャンルでも全力で文を書くことに違いはありません。それらも統合して、最終的に面白い小説を書く技術(あるいは感性)が備わればいいと思っています。また、提出する作品に関しては断片的な実験作というよりは、ある程度の長さをもった作品として完成されたもの(もちろん習作ですが)を目指していきます。昨年同様、比較的長めの作品を書いていきます。「物語の作法」は何より、発表の場を作ることができるという利点があります。ただ趣味で書いているだけでは、人の目に触れることはありません。自分自身を、また生み出した作品を研鑚すべく、この授業で洗礼を受けたいと思います。

理系時代が長かったためか、古典・近代の知識はほぼ皆無で、読むのも現代作家のものに偏ってしまっています。本屋を歩いて目についた面白そうな本を読むということを繰り返してきました。
好きな小説家はあまりにもメジャーですが村上春樹をまず最初に挙げます。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が何より傑作ですが、『ダンス・ダンス・ダンス』以降のオカルト要素の強い作品群も好きです。後は、最近になってようやく名前が知られ流行してきた感がありますが、小林泰三が自分のフィーリングに合うと思っています。有名なところでは『玩具修理者』でしょうが、最も心惹かれるのは『酔歩する男』です。ハードSFと独特のホラー観を融合させた新しいタイプの作家だろうと思われます。その他、好きな小説家にはドストエフスキーや三田誠広(流行遅れですが)がいます。ディックや最近はラヴクラフト(もちろんダーレス等も)も好きです。
映画に関しては、本格的な批評を学びたいと思っていますが、好きな監督はまずはデヴィッド・リンチです。『ツイン・ピークス』が有名ですが、昨年の『マルホランド・ドライブ』が今のところ一番のお気に入りとなっています。リンチと並び、黒沢清も深い作家性を感じる監督です。新作『アカルイミライ』もまずまずだろうと思いますが、やはりホラー作品(『回路』や『降霊』、『CURE』)が彼の真骨頂であることには間違いはありません。ヒッチコックやビリー・ワイルダー、デ・パルマ、タルコフスキー、ギリアム、ライミ、ロメロ、好きな監督は大勢いますが、単館系作品からハリウッド大作系まで広範囲で観ます(もちろん、B級ホラー愛好家です)。
音楽はクラシックを主に聴きますが、某S大学サークル「ショスタコーヴィチ研究会」の会長を務めています。あとはラフマニノフ、レスピーギ、マーラーといった作曲家を好みます。

以上、長くなりましたが自己紹介とさせていただきます。
意欲的に小説を投稿していきたいと思います。多くの感想をいただければと思います。また、参加者の皆さんの作品も楽しみにしています。



瓜屋香織 課題1/感想文・ラジオスターレストラン 2003年04月16日(水)14時47分21秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

主人公のユーリは、きっとボクだしワタシだ。
いつも、世界に自分は必要じゃなかったんじゃないかとおもうことがある。誰にも必要とされていない気になって、自分なんていらないような気になって、そういう気持ちが襲ってきて淋しくてたまらないときがある。でも、ラジオスターレストランは、そんな気持ちに少しだけ答えてくれる。自分なしでは、今の世界はありえないのかもしれないと。それは、ちょっと救いになる。ここにいてもいいのかなって思える。
私にはラグの気持ちはわからない、何年も、一人ぼっちでまっていたラグ。愛すべきロボット。私はラグを思うと胸がくるしい。ユーリにはラグが必要だったしラグにもユーリが必要だった。それってすごく素敵だと思う。
誰かと誰かがつながっているということ。
まだ見ぬ誰かが私と出会うためにまっていてくれるかもしれない。そして、そこから変わっていくこと、世界はけして自分ひとりでは完結しないということ。自分はいらなくなんかなくてここにいるだけでいいのかもしれない、いや、ここに居なくてはいけないのかもしれない。そんなことを思う作品でした。

自己紹介は別に書いたのですが、不十分だと感じたので、ここにもう少し書きたいと思います。

私が本当に書きたいことは、普段友達とはおしゃべりできない「本当のこと」です。
本当に話したいことを隠すために私たちは普段友達とおしゃべりしているのではないかと感じることがあります。その「本当のこと」を誰かに話すことがいいことか悪いかとかはわかりません。でも、いいたい。聞きたいのです。

東條慎生 課題1/自己紹介 2003年04月16日(水)13時49分37秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現文化学科四年、東條慎生です。カタカナで書くと「トウジョウシンセイ」となります。

一昨年からこの授業をとっているので、今回も是非参加したいと思っています。
ここにはいつも資質の多様な人たちが集まってきて、詩を書く人、小説を書く人、短歌を書く人などなどが混在して一つの授業におさまっています。
ここでは書いた作品を皆で合評することによって、自分の作品がどのように読まれるか、どういう感想を持たれるのか、そこのところをバネにして自分がどのような作品を書いているのかを知ったり、発見したり、不意撃ちされたりします。またそればかりではなく、自分が他人の作品を読むことで得た解釈=読みを他人の前で披露することは、自分がどのような作品を、どのように読むのか、いわばどういう読みの志向性を自分は持っているのかを知ることもあります。
読むこと書くことは同じことの裏表だと、後藤明生は言いました。この授業はその実践でもあります。
一人で書くこともなく、また一人で読むこともあり得ない、表現というフィールドにおいては、そのような作業はとても面白いものになると思います。
自己を不断に相対化する作業を、また学ぶことにもなるのではないでしょうか。

私自身は、主に小説を書きます。
長い話が書けなくて、というより物語を構築するより、細部を延々と書き連ねて一つのシークエンスだけをクローズアップするという感じの作品ばかりなので、読みづらく、また晦渋だ、と言われます。
自分は自分が思い描いてしまったイメージを、何とか形にしようと思ってそのようなものを書くわけですが、やはり可読性を犠牲にしすぎているのかも知れません。
それはそれで好む人が居るようなので、その点は嬉しいのですが、何とかできないものかと思ってます。
今は前に書いてたものより、もうちょっと違うものを考えているのですが。

そして主に読むものも小説です。
今年は卒論がありまして、その対象となるのが先に書いた「後藤明生」という作家なのですが、今読んでいるのもそして大好きなのが後藤明生です。
知らない人の方が多いと思うので簡単に説明すると、いわゆる「内向の世代」と呼ばれる一群の作家のなかのひとりです。説明すると長くなるのですが、端折って言えば、昭和一桁生まれで、1970年あたりに集中して現われた、古井由吉、阿部昭、黒井千次、後藤明生、日野啓三、などの作家達を「内向の世代」と呼びます。そのなかでも後藤は異質で、ロシア文学(ゴーゴリ)から出発して、現代文学の(1999年に逝去しましたが)なかでおそらく最も方法論的な作品を書きます。私は作品の登場人物の劇的なものを忌避する性向や、奇妙な語りが好きなのですが。
後藤明生には「挟み撃ち」という傑作があるので、興味のある方は是非。ただ、人によって好き嫌いが分かれるようです。
他にも、だいたい戦後以降の日本文学とか、海外SFとか、海外文学なども適当に読みます。
詩は、何だか苦手でほとんど読みません。
最近引っ越したので金もないし時間もないので本が買えないし読めないので辛い日々です。

長くなりすぎましたが、以上です。

西村 和(にしむら わたる) 自己紹介遅くなりましたm(_ _)m 2003年04月16日(水)12時50分26秒

表現学部文学科2年、西村和です。

僕は将来「書くこと」を仕事にしていきたいと思っています。小説家・編集者・記者……多種多様にある中で、僕は小説家になりたいと思っています。自分が感じたこと・思ったことをそのままに表現できると思ったからです。今までにも自分でこそこそと書いてきましたが、それはただの自己満足でした。何故なら、作品は誰かに見てもらってこそ作品だからです。
大学に入って初めて自分が書いた作品を他人に批評してもらいました。そのときになってはじめて、自分は自分を見つめなおしきれていないと感じました。自分の中で感じたこと・思ったことを捉えきれていないため、いざそれを文字にして表現――例えば作品の主人公に置き換えたりなど――したときに、どうしても浮いてしまうのです。今ここに生きている自分と、書き上げた作品の中で生きている主人公とが同一のものとして重なってしまうのです。
「小説家になりたい!」などと、まだまだ大口を叩けるほど当時から成長していませんが、夢だけは諦めていません。この『物語の作法』で、自分を見つめなおす機会、また、新たな自己を発見する機会が得られたらと思います。

滝 夏海 課題1「自己紹介2」 2003年04月16日(水)11時08分19秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 前の文を書きながらもやもやしていたものが、寮先生の言葉で少し形になりました。
 自己紹介文を提出し直します。

==============================

 表現文化学科3年目の滝といいます。

 日常ってなんだと思いますか?
 当たり前ってなんだと思いますか?
 現実ってなんだと思いますか?
 楽しいモノかもしれない、つまらないモノかもしれない。でもごく普通に使われている言葉の裏側に、その言葉には含まれない当て嵌まらないもっともっと面白いモノが隠されているんです。絶対に。
 その面白いモノは、綺麗なモノだったり怖いモノだったりどうでもいいモノだったりと様々です。それをちょっと拾い集めて形を作り直す、これが私の文章です。世界を創るのではありません。世界を見る、世界を探り当てるんです。

 今までは少し見つけては書き、見つけては書き、と小説に満たないスケッチのような文章を基本に書いてきました。今年はそれだけではなく、弱点である「長い物語を書く」事を克服する為にこの講義中、一つの物語を中心に据えてじっくりしっかりやってみたいと思っています。

五十嵐 愛 課題:自己紹介 2003年04月16日(水)10時23分28秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現学部文学科4年の五十嵐愛です。
時間割には2〜3年向けと書いてあるので、受講出来ないかも
と思いつつ・・・・書くだけ書いておこうと思いました。
私も書くことが好きで、中学の頃には原稿100枚書いて児童
文学雑誌に投稿したこともあります。ただ、高校・大学と書い
たものを他人に読んでもらう機会が少なくなってきたので、こ
の講義のような場で合評が出来たらと思いました。
 もし受講できたら、今年の参加メンバーの皆さん、よろしく
お願いします。

寮美千子 講師より/自己紹介に求めるもの 2003年04月16日(水)04時51分36秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

自己紹介とは、コミュニケーションの第一歩。自分が何者であり、何に興味があるのか、何を求めているのか、それをアピールすることです。

自己紹介第一号の五十嵐さんは、すなおに、自分の「書きたい気持ち」を語り、さらに俳句を添付。短いながらも人柄が感じられる自己紹介になっていました。つまり「やる気」が感じられる、ということです。好感が持てます。

ところが、すでにこの授業をとってきた諸君の自己紹介は、いまのところボロマケです。互いにもう知り合っているつもりになっているのかもしれないけれど、ここには、まだあったことのない新しい人々もやってくるのです。そのような初対面の人に、自分をきちんと伝えようとする努力を、諸君ははたしてしているでしょうか? 胸に手を当てて考えてほしい。ここでは「馴れ合い」は許しません。

昨年もこの授業をとった水落さんは、早くも感想文を提出してくれました。自己紹介の文は今ひとつ貧弱ではありますが、感想文それ自体が、水落さんの感受性や目の付け所を表していて、自動的に自己紹介の役目を果たしています。評価します。

全体に「一年間、よろしく」などの言葉が目立ちますが、この授業は、人数制限をすることを前提としているので、申し込んだ全員が履修できるとは限りません。ぜひとも勝ち残って履修してやる、ぐらいの心意気で書いてください。

水落麻理 課題1 感想文と自己紹介 星兎 2003年04月16日(水)01時46分09秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 等身大の兎って?はじめの章を読んだときはどうしても等身大の兎を思い浮かべることができなかった。想像すると、優しい文章や言葉達の中でそこに似つかない、少し奇妙で怖さを持った兎が私の中に浮かびあがった。
 結局最後のほうになれば、ユーリと兎の絶妙な会話のテンポややわらかい色とりどりの世界に、その兎がだんだん怖さの抜けたフワフワした優しい存在になっていった。読み手のこんな感情はそのままそっくりユーリの感情に置き換えられるのかもしれない。ユーリも最初は兎を奇妙なもの、かかわりたくないものとしかとらえていなかったが、最終的にはそれを恋心といってもいいくらいの淡い感情を兎に持ちはじめた。兎と手をつなぐシーンは、兎は雄?雌?とふと思い読み返してしまったくらい。
 そしてもう一つ、この作品は最後までもどかしいだけどキラキラしてる宝物のような謎をたくさん残して終わっていく。それを問い詰めることはこの作品を本当に味わうという意味にはならない。その残った謎へのもどかしさを、本を閉じたときにゆっくり味わい、何より、作品中にでてくる詩的で鮮やかな言葉を感じることが醍醐味である。
 
自己紹介
表現学部、表現文化学科、3年、水落麻理
吉本ばななが最近好きです。この前の授業では詩を主に書いていたけど、今年は物語になるようにがんばりたいです。途中まで書いてもいつも煮詰まってそこで書けなくなってしまうことが多いので、その作品たちを復活させたいなと考えています。これから1年よろしくお願いします。

滝 夏海 課題1「自己紹介」 2003年04月15日(火)23時36分55秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 初めましての方も、そうでない方も、今年一年よろしくお願いします。
 表現文化学科3年目の滝といいます。

 小説や詩や歌詞にも手を出してますが、そのどれにも満たないスケッチのような文章の欠片を基本にして書いてます。

 好きなジャンルは?と問われると困ります。が、ジャンルはともかく、日常から少しはみ出てしまった世界が読むのも書くのも好きなようです。或いは非現実的な世界の日常。

 去年は短いモノをぽつぽつ書いては発表してました。今年は例え作品の本数(番号?)は少なくなっても、今までよりも長めの物語を一つ中心に据えてじっくりしっかりやってみたいと企んでいます。

島本 和規 シマモト カズキの自己紹介文 2003年04月15日(火)21時55分22秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現学部表現文化学科2年の島本和規と申します。

 講義を履修するための条件である、自己紹介文を送らせていただきます。
 
 僕がこの講義を取ろうと思った理由は、表現したいなにかがあるわけでもない自分には、この講義はきっと向いていないだろうとは思ったのですが、大学に入って一年が経ち、入学以前よりも本や映画を見るようになり、自分の表現に対する関心が以前よりも強くなってきていると思い、それなら今年はこの物語の作法のような表現を実践していくという場所に身をおいて、自分はちゃんと表現が好きなのか、そしてどんなかたちの表現が、自分にぴったりくる表現のかたちなのかを見極められればと思い、物語の作法の講義を選ぶことにしました。

 僕が特に興味を持っている表現のかたちは、広告のことばである「コピー」で、興味を持っている理由は主に二つあります。
 一つは、広告のコピーのうまいことを言っている感じの表現が単純に好きだから。
 もう一つは、これは自分で勝手にそう考えていることなのですが、広告のことばは、詩のような芸術的表現の形を用いながらも芸術とは違う、世間の評価を気にしなくてはならない社会的な立場にある表現で、人を楽しませることが重要な課題になる表現であると、ぼくは考えていて、そうだとしたら自分のやりたい表現は小説や詩よりも、広告のコピーのような単純に人を楽しませるものなのではないかと思っているから。以上の二つの理由から僕は広告のことばに興味を持っています。
 
 僕の好きな人間は糸井重里、好きな映画は未来世紀ブラジル、好きだと言える作家はまだ見つけられていませんが、最近おもしろいと思って読んでいる作家は谷崎潤一郎です。自己紹介らしくできなかったので、自己紹介らしいことを最後に少し付け足させていただきました。
以上で自己紹介を終わります。

横田裕子 課題1 自己紹介 2003年04月15日(火)20時47分50秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 文学科4年の横田です。

 去年はさっぱり作品を書けなかったですが、今年は書く時間が増える(かも知れない)ので本気出して頑張って・・・・みます。
 書くのは大体超短編、というかひとつの話の中のワンシーン(ばっかり)。かなり気まぐれに短歌。短編のはもっと綺麗な言葉で濃い世界が書けたらな、と思ってます。
 本については作家ではなく内容で選んで読むので、一様には言えないですが森茉莉の「恋人たちの森」に少しばかり影響されている気がします。
 中島みゆきとGLAYのTAKURO氏が書く詞の、言葉の使い方がとても好きです(歌も大好きです)。
 毎度の方も初めましての方もどうぞよろしくお願いします。

瓜屋香織 課題1/感想文と自己紹介 2003年04月15日(火)13時40分33秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

初めまして。イメージ文化学科3年の瓜屋香織です。
この授業をとるのは初めてなんですが前々からすごく興味がありました。
高校時代、友達に私が書いた話を読んでもらったことが書きはじめたきっかけです。
ですが、最近は思ったことを書き留める程度で作品と呼べるものは書いていません。
だからこの授業で、自分なりに形にしていけたらなと思います。
私は、一人で書いて誰にも読まれずにいることがとてもいやなのでこの授業がとてもたのしみです。本の好きなジャンルはホラーです。
もちろんいろんな本を読みます。
一年間よろしくお願いします。

久我真紗子 課題1/自己紹介 2003年04月15日(火)12時15分44秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

表現学部文学科3年の久我真紗子と申します。
前年度いっしょだった方も、初めての方もよろしくお願い致します。
去年は提出数がかなり少なく不完全燃焼ぎみだったので、今年こそは頑張りたい!
と思っています。書きたいものは色々ありますが、自分の感じた世界をリアルに文字にして
読んでいる人を紙(掲示板)に引き込めるような、そんな文章を書いていきたいです。
今読んでいる本はアイスバーグ・スリムの『ピンプ』。
好きなものは、インラインスケート・もんじゃ焼き・ドキュメンタリー番組などです。

1年間どうぞよろしくお願いします!

五十嵐 舞 初めまして・・・ 2003年04月15日(火)12時08分42秒
▼課題と連絡:課題1/感想文と自己紹介 への応答

 この授業に参加したいと思った五十嵐です。子供の頃から、自分の頭の中で絵本や物語の続きのストーリーを考えたりするのが好きですが、それをいざ字に直したりするのはまだしたことがありません。けれども、詩・俳句は突然浮かんできてそれを書き留めたりすることなどはしていますが、技術がないのかセンスがないのか自分で見ても、巧く表現出来ていないのが悔しいのでもっと自分が表現したいことを表せるようなになりたいです。また、詩だけではなく、物語なども書いてみたいと思っています。また、自分が作った物を他の人に批評してもらいたいし、色んな人の作品も見てみたいし、読んでみたいなと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
  花曇り 遠くに霞む 不死の山 /貴婦人の 歩みに似けり 蝸牛
 この俳句 どうでしょうか??(前の句は今日作り、後の句は俳句の先生[学校の授業]に面白いといわれましたが・・・)

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