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仲田純 課題2(5) 2001年06月04日(月)17時02分57秒


    まちに 記号 がやってきた        仲田純

   あるひ まちのものが ぜんぶ 記号化 される日が やってきました。
 
『 ひとはどーしたら しあわせになれるのか』 幸せはかせは かんがえました。
 そしたら、コンピュータができました。
 いままでの 記号というのは、いわゆる (おつきさま) (おてんとさま) みたいに かんたんに  だれでも かけるように したものです。このたびのは  めのまえに あるもの そのものが コンピュータによって記号になります。ただしカガミにだけは うつりません。
  
 記号化しよう という かんがえは ずっとずっと むかしから あったのですが、 べつに そんなに あわてて やる ことは なかったので、 ひとびとは ゆったりと めに うつる オレンジイロの おてんとさまが おちてゆく すがたを みたり、 ちいさな ボウケンごっこ は あるく たびに いろいろな むしや いろいろな ヨウセイを みたりすることが できました。 
 このころには すこしの 記号化 された ものたち が いました。 それは おおくの ひとが きらう ような へび や クモ あるいは いえの中に げんてい された ゴキブリ などが記号でした。 ですから、まちのひとびとは すこしのひとの モヤモヤがあるくらいで、さほど 気には していなかったのです。
 ………しかし、このたび すべてが 記号化 されると きいて あるいは 記号化 された コトバ をみて  まちじゅうの ひとびとは それはそれは もう たいへんな さわぎよう です。 いえ ひとびとだけに とどまらず ちきゅうにすむ むしたちや 木々 あるいは そこらへんに ころがっている いしころたちも たいへんな さわぎようです。

 「 ねー 記号化って、なーに? 」 空を飛んでいる とりのこどもが おやどりに 
                       たずねました。
 「 『記号化』 っていうのはね 、目にうつる ものの うごきかたを カンタンに    
  してしまう ことなのよ。」
 「 ふーん、 ねー ボクが 記号に なったら どーなるの? 」
 「 そーねー わたしたちは つばさ だけに なっちゃうわね。」
 「  へー  」  
……ソノトオリ。
 トリのおやこは ものごとを わかっていました。
 トリたちは  みんな つばさに なるのです。
 しかし なかには トンチンカンもあります。  
つぎに ぞうのおやこが やってきました。
 「 ねー とーちゃん。 ボクたちが 記号に なったら どーなるの? 」
 「うーん、そーだなー からだが いまより かるくなるぞ きっと。」
 「 ふーん 」
 ……チガイマス。
 ぞうのおやこは ものごとを わかっていない ようです。 
 めにうつる ものが カンタンに なるからといって たいじゅうは かわりません。
 つぎに スカンクの おやこが やってきました。
 「 ねー おにいちゃん。わたしたち 記号に なるんだって。 」
 「 あー しってるよ。 」
 「 ねー おかあさん ワタシたちが 記号に なったら どーなるの?」
 「 そーねー わたしたちは いーにおいに なれるわね、 きっと。 」 
 ……ナリマセン。
 スカンクの ゆめは かないません。 スカンクのにおいは コンピュータが きらうため、 記号にはなりません。スカンクが にげるときに はなつ あのにおいは 
スカンクたちにとって とても すばらしいのですが………。

 さて、 いよいよ 記号化される ときが やってきました。30分 にわたる まちびと まちおさ まちせんにんの はなしをおえて まちこびとの 手によって 記号化コンピュータの ボタンが おされました。まずは 空ボタンです。
 
 記号化 されていく いっせいの 空もようの ひろがりに まちの ひとびとは おくちを おーきく まるく ほっぺを りんごのあかで みとれています。 とりは みんな つばさ になり、 おひさまや おつきさまも かわいらしい 記号 になりました。 つぎに 大地ボタンを おしました。 でっかな ちきゅうが 記号化されるのと いっしょに ちきゅうに どしどし のっかっている どうぶつたちや 木々たちも 
すべて 記号に なりました。 どうぶつたちは みつめあっています。  

 のこされた ボタンは あと1つ。 ひとボタンです。 
この ひとボタンは コンピュータが いちばん なやんでできた 
ボタンでした。

 ひとびとは いまかいまかと まちくたびれている ようすです。しかし まちのひとびとは じぶんたちが どんな 記号になるのか まったく しりません。 しかし 
いちにも はやく 記号になりたい ひとびとは ついに コンピュータの おかれている まちの たかだいを とりかこみました。ひとの ひとの 汗と 胸のドキドキで たかだいは熱気に つつまれました。 
 
 そんな、 熱気をきらったコンピュータ。 にげようとして あしをすべらせ 丘のうえから ゴットン ゴットン おちました。そんな ひょうしで ボタンはおされ  ひとは みてみるうちに 記号化 されて いきました。

 ……まっしろお顔に もじゃもじゃカミノケ。 りんご ひとつを おハナにのせて ほっぺたうえに おてんと おつきが おちました。それはまるで ピエロのようです。 たがいに まちのひとびとが みつめあったら わらいがおこり わらって ワラッテ とまりません。 なんだか わた しもワラッテ し  ま い、 はなしが なかな か はなせ ま せん。
 (あなたはピエロ?わたしはピエロ。)
カガミのなかで なみだが きらきら おちました。

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仲田純 課題2(4)手直し。誰か読んで。 2001年06月04日(月)16時35分41秒


 「人 僕 人」 
ぼくは 人と人の 間に ありたいのです。
あのひとはスゴイ、 このひとはやさしい。(君はいつもわらっている)
ぼくは 気づいたのです。 気になるひとが いることに。
気づくまでに、いろんな ひとに あいました。
小さな頃に。
 
むしがよける。くさがよける。
田んぼ道を とおりすぎて ぼくは いきどまりの砂場。
砂場は わすれられたかのように かなしく荒れています。
ぼくは なんだか  かなしいです。
なにかが砂の くぼみにかくれています。
なにかちいさい絵です。
僕の目は すこし 色づきます。
引きつけられた目の輝きが 足を運びます。 
はじめの1歩のいきおいで ぐんぐん ぐんぐん 近づきます。
そして僕は その絵と にらめっこしました。
 
 「王様」、「手品師」「ミイラのらみらみ」「幸せ学者」「ピエロッテ」。  
と、なにか 不器用です。名前に支えられて いかにもきゅうくつそう。 
みんなは 四角い小さな 紙切れの中に カッチンとはいって、砂場のすみに
ちいさく 円を描いて立っていました。ぼくはずっと そのうすっぺらい 砂場に立ち尽くす 紙切れを 見つめていました。 時間が いくら経ったのか わからないくらい。そして僕の 心が 色が 元に戻ってしまっていくのを感じていたそのとき……。 

「 ひきつけられたこの道に……」 何かがささやきます。
「 しあわせもとめてやってきて…… 」なにか かなしい 響きです。
「 きみも しゃべれば 友達さ! 」とってもようきな 調べです。
 ぼくは 円の中で ぐるぐる ぐるぐる 奇妙な声に 回されました。
 ……夢から さめたように 僕はいいました。
「 これは 夢なの?」
 僕は ふいに つぶやくように たずねました。
「 うん、 夢のようなせかいだよ。きみも 今日から 友達さ!」
目の前にさっきのピエロがいました。ピエロはやさしくわらってます。
しかし ここは どこでしょうか。
ここは いきどまりの砂場。ただの悲しげな砂場。
けれど ここはなにかの間でした。そのなにかはわかりません。

 ひとつ わかったことがあります。  
 みんなは よくしゃべるのです。
 悲しい時でも。うれしいときでも。

 
 王様はいいました。
「 わしは 人のうえには たちたくない。けれども、みながそれを好むなら ま  だまだわしは うえにいよう。」 と悲しげな王様。
 そんな横顔にピエロッテは言います。 
「 ねえねえ王様、そんなに しゅんしゅんしないでさ、笑顔のステキな王様だか  らみんながみんな好きなんですよ。」 
 ピエロッテのふんわり笑顔で 王様、悩みも 笑顔のかなたに消え去ります。
 ぼくは 間にいます。
 うしろのほうから 幸せ学者が言いました。
「 一人の幸せ みんなの幸せ どっちも大事な幸せだけれど、両方とるのは
  むづかしい。あなたはどっちがしあわせ? 今日も元気な、らみらみさん。」
 らみらみがいいます。
「 私は1000年生きたミイラです。いろんな幸せ見てきたけれど、どっちもと  るのはむずかしい。元気な時は楽しいけれど、ときどき病気は つまんない。  だからやっぱり 元気が一番!」
 と、今日も晴れの日 げんきな らみらみ。 

ぼくは みんなを 好きになりました。
みんなも ぼくと はなしてくれます。
しゃべることから うまれるものがあるからです。
みんなは 僕のことを 「僕」とよびます。
だから ちょっぴり うれしいです。
さいごに 僕と しゃべってくれた 手品師は 空たかく おおきく 紙切れを一枚飛ばしました。 紙切れには翼はありません。けれど、ゆっくりと ゆっくりと見えなくなるのが 怖くなるほど ゆっくりと 夕焼けの方へ飛んでいきました。
 ふと見れば みんなはまた、 紙切れにもどっていました。

人 僕 人。
ぼくは 気づいたのです。
気になる人がいることに。
ぼくは みんなの間 にいたことに。

…僕は いま 田んぼ道にいます。
くさや むしは もうよけません。
夕焼けは まぶしいです。
道は ながくながくつづいています。
道は うしろにもまえにもつづいています。
道は はてしなく広がっています。
しかし 僕は 一人ではありません。

まだ ぼくは 間にいます。 
まだまだ ずっと 僕は 間にいます。
まだまだ きっと 間にいれます。
みんなが ぼくを わすれなければ。 
ぼくが みんなをわすれなければ。


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宮田和美 課題2(2) 2001年06月04日(月)12時50分40秒

てのなかのゆうひ みやたかずみ


きょうは12がつ24か、クリスマスイブです。のんちゃんのようちえんのクリスマスかいには、サンタさんがきました。サンタさんが、
「さあ、みんなはなにが、ほしいのかな?」ときくと、みんなおおきなこえでこたえます。
「ぼく、ラジコンカー。」と、まっさきにいったのは、しげおくん。
「わたし、くまのぬいぐるみ。」と、みほこちゃん。
「ぼくねぼくね、ロボットでしょ、うんどうぐつでしょ、バトミントンのラケットに、でっかいひこうき!」といって、
「ははは、そんなによくばったら、わしのふくろがやぶれてしまうよ。」と、サンタさんにわらわれたのは、ゆうすけくんでした。
「のんちゃんは、なにがほしいのかな?」という、サンタさんのこえがして、のんちゃんのむねは、どきんといいました。おままごとのセットもおにんぎょうも、ピンクのドレスだってのんちゃんはもっています。だから、ほかにほしいものが、おもいうかばないのです。
のんちゃんはかんがえました。もし、「ありません」といってしまったら、ことしはプレゼントが、ないかもしれません。サンタさんはやさしくてあたたかいひとみで、にこにこ、のんちゃんをみています。のんちゃんは、なきそうになりながら、
「えほん。」
と、ちいさなこえでつぶやきました。


そのひのばん、のんちゃんはゆめをみました。
ゆめのなかでのんちゃんは、あたたかいおれんじいろのなかを、あるいていました。よこをみると、うすいぴんくのふわふわに、きんのレースがふちどりされています。
「うわあ、きれい。」
のんちゃんはいいました。
いったいこのみちは、どこにつづいているのでしょう。せかいでいちばん、しあわせなところに、つづいているのかもしれません。のんちゃんはどんどんあるきました。どんどん、どんどんあるいていくと、だんだん、だんだんまぶしくなって、まっしろで、なんにもみえなくなったころ…

めのまえの、ふわふわぴんくがやさしくちぎれ、おおきなおおきなゆうひが、かおをだしました。あたりはきんいろに、そまります。
のんちゃんは、りょうてをいっぱいにひろげながら、なぜだか、なきたくなりました。
「いいなあ、いいな。そうだ、のんちゃんこれがいい。クリスマスにはゆうひがほしい。
のんちゃんだけの、きれいいなゆうひ。」


あさです。
のんちゃんはおふとんから、のそのそとおきあがりました。さあ、ゆうひはどこに、あるのかな?
まくらもとには、ありません。ツリーのしたにも、ありません。おトイレにも、たんすのなかにも、ありません。のんちゃんは、テーブルのうえもさがしました。するとそこには、
てのひらにのるくらいの、ちいさなゆうひがありました。
「みーつけた!」のんちゃんはうれしくなって、テーブルのうえで、ゆうひをころころ、ころがしていました。すると、おだいどころにいたママが、
「あら、のんちゃんみかんがたべたいの?」といって、ゆうひを、むきはじめてしまいました。
「あーあ、ちがったみたい。」のんちゃんががっかりしていると、テーブルのうえにもうひとつ、ゆうひがありました。おさらにのったそのゆうひは、さっきのみかんゆうひよりも、つるつるで、ぴかぴかで、まんまるで、やっぱりおれんじいろです。
「みつけた、みつけた、ぜったいこれだ。」のんちゃんはそういいながら、ゆうひをつんつんさわっていました。すると、ゆうひはとつぜん、やぶれてしまい、なかからゆうひのしずくが、とろーり、でてきました。のんちゃんは、ゆうひのしずくを、ちょびっとだけなめてみました。たまごのきみの、あじがします。どうやらこれは、めだまやきのようです。
「やっぱり、どこにもないのかなあ。」
のんちゃんは、ためいきをつきました。

あきらめかけた、そのときです。なんと、のんちゃんのひだりての、おかあさんゆびのつめのなかに、あの、おおきなおおきなゆうひのおれんじが、きゅううくつそうに、はいっているではありませんか!
のんちゃんはびっくり!
こんなにちかくでゆうひをみるのは、はじめてです。あんまりまぶしいので、のんちゃんはおもわず、めをつぶりました。するとそのすきに、ぎゅうぎゅうづめのゆうひは、がまんしきれなくなったのか、にげだそうとしました。つめと、ゆびの、すきまから、ゆうひがにゅうっと、でてきます。
「だめっ!」のんちゃんはあわてて、てをぎゅうっとぐうにしました。そして、ゆうひをにがさないように、ぐうのてで、きがえて、ぐうのてで、ごはんをたべて、ぐうをしたまま「いってきます」と、ようちえんにいきました。

ようちえんは、あさからおおさわぎ。みんな、サンタさんがくれたプレゼントのわだいで、もちきりです。でも、のんちゃんは、てのなかのゆうひのことが、きになってきになって、
しかたがありませんでした。そこへ、
「のんちゃんは、なにもらったの?」と、ゆかちゃんがやってきました。
のんちゃんは、どうこたえたらいいかわからなくて、
「ええっとねえ、おれんじいろの、きらきらの、……ワンピース。」
と、どきどきしながらこたえました。そしてのんちゃんは、ゆかこちゃんからにげるように、おトイレにいったのです。

おトイレは、うすぐらくてぶきみです。だれかが、かげにかくれているようなきがして、のんちゃんはさっと、あたりをみまわしました。
ごくんと、つばをのみこんで、のんちゃんは,ぐうにしていたてを、そうっと、ひらきました。すると……
「あっ!!」
のんちゃんは、めをまるくして、おどろきました。おれんじゆうひは、いつのまにかおわり、まっくらくらのよるが、はじまっていたのです。ひだりての、おかあさんのつめは、まーっくろ。ゆうひはどこ?おとしてきちゃったのかな?のんちゃんは、かがみで、めや、はなのあなや、おくばのつめたところまでみました。うわばきとくつしたをぬいで、あしのつめもみましたが、どこにもありません。のんちゃんは、かなしくなって、ついになきだしてしまいました。


「おやおや、のんちゃん。いったいどうしたのかな?」
どれくらいなきつづけていたでしょうか、うすぐらいおトイレに、やさしいこえが、ひびきました。のんちゃんがかおをあげると、そこには、しゅじさんがたっていました。しゅじさんは、いつもにこにこしているので、みんなに「にこにこしゅじさん」と、よばれています。あさ、のんちゃんたちが、ようちえんにやってくるころ、にこにこしゅじさんはきまって、おはなにみずをやっています。
「きょうはクリスマスだよ。そんなひに、こんなかなしいかおをして。」しゅじさんは、こしをかがめて、のんちゃんにいいました。
「あのね…うえっ、のんちゃんのね…ひいっく、ひとさしゆびのゆうひがね…うっ、よるになちゃったの、ひいいっく」
しゅじさんは、「どれどれ」といって、のんちゃんのつめをじっとみました。しばらくして、しゅじさんは、かおをあげてにこにこ、こういいました。
「のんちゃん、ほーら、よくみてごらん。ゆうひはおわって、まっくらなよるになっちゃったけど、じーっとみてみると、よぞらに、ちいさなほしがきらきら、またたいているよ。」
のんちゃんは、じーっとつめを、みつめました。たしかにほしが、めにみえないくらいのほしが、ちらちら、きらきらと、またたいています。
「わあ、ほんとうだ。」そういってのんちゃんは、やっと、なくのをやめて、かおをあげました。しゅじさんは、そんなのんちゃんをみてまた、いつものように、にこにこ、ほほえんでいます。
あたたかい、きらきらのひとみ。まるで、しゅじさんのひとみのなかに、ゆうひがはいっているみたいです。やさしいやさしいそのまなざしは、まるでサンタのおじさんのようにもみえました。

おしまい。

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寮美千子 課題3/連句 水草の巻 第三句 2001年06月03日(日)11時03分14秒

課題3/連句 水草の巻 第三句


連句の付け句をします。
次の句に、三句目で 5・7・5 を付けてください。
最低二句、可能ならば三句つくって、寮美千子までメールで送ってください。

水草生う水の深きを悲しまず         四方田犬彦
  ただひたすらに昇りゆく泡         寮美千子


今回の提出は、必ずメールで。
掲示板へ書き込んではいけません。
なぜなら、後で匿名でずらっと句を並べて、
みんなで投票をするからです。わかったね。
締め切りは6月7日の木曜日。
もちろん投票集計後は、作者の名前入りで公表。

メールの件名は
和光/(自分の名前)/課題3


連句の最初の句を「発句」といいます。
二句目は「脇」。
座の場合、発句は、その日の主賓が挨拶として読みます。
有名な句、優れた句をよそから借りてくることもあります。
脇は、主賓の挨拶に対する主人の返答。
あまり奇抜な発想ではなく、発句を受ける、というつもりでつくります。


そして三句目。
これは「第三」と呼ばれ、その巻の流れを決定しかねない重要な句。
ここで、主賓と主人の軽いジャブのような挨拶の世界から、
一気に文学の世界へジャンプします。
発句と脇の形作った世界から離れ、関連のある、けれども全く別の世界をつくる。
「不即不離」つまり、つかず離れず、といった距離感で
「丈高く」格の高いものを読むのが、決まりです。


などと、決まりはいろいろありますが、
そのようなことに縛られず、自由な発想でのびのびつくってください。
楽しみにしています!

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奥野美和 たびたびすみません 2001年06月02日(土)11時36分13秒

よくよく考えてみたら、わたしの課題、
原稿用紙に書いたら8枚以上です。

多少、おおくても平気だと先生はおっしゃってましたが、
かなり出てしまいます。どうなんだろう?
先生、時間がありましたらその事に指示をください。
よろしくおねがいします。

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奥野美和 課題2(4) 2001年06月02日(土)11時13分16秒

時間をもらうことができたので書き直しすることに
しました。ラストの部分とか、、、。

なんだか、最初は、みんなすごくて、
この授業になじめないかも(!!)と
不安でいじけてたんですど、この前の授業の後、女の子たちに
はなしかけてもらって、とても嬉しかったです。
「ぼくの小鳥ちゃん」よんでみるね!! 


「あいちゃんのモモカン」

あいちゃんがかぜをひいた。
ぼくのあいちゃんがかぜをひいた。
あいちゃんはぼくのごしゅじんさまで
げんきであかるくて
とってもかわいいおんなのこ。

あいちゃんは
ぼくがかなしいとき
だまってずっとそばにいてくれる。

うれしいとき
ぼくいじょうによろこんで
かおをくしゃくしゃにして
ぼくのよろこびをばいにしてくれる。

だいすきなあいちゃんを
ずっとベットにしばりつける
かぜってやつをぼくは
おこってやりたいきぶん。

ネコはにんげんみたくながくいきられないけれど
ぼくはあいちゃんと
ずっとずっといっしょにいたい。
ただそれだけなんだ。



けさ、あいちゃんがおかあさんに
「モモカン」を
ねだっているのをきいた。
「あまくてつやつやのももかんだったら、
わたし、たべられそう」


ぼくはあいちゃんがすきだから、
あいちゃんがほしがる
その「モモカン」を
ぼくもほしい。

そしたらぜんぶ、あいちゃんにあげる。

でもぼくは「モモカン」が
いったいどんなものなのかわからない。

そんなときなんでぼくはネコなんだろうって
おもうけど、ぼくがぼくで
きみがきみだから、
ぼくはきみをすきになったんだとおもう。


かぜがふく。
カーテンがゆれる。
そらのあお。ふわふわのくも。
ぼくはきめた。

あいちゃんの「モモカン」をみつけだす。
ぼくのしんぞうはどくどくいっていた。
ちょっぴりあしがふるえる。
てもふるえる。
だけど、ぼくはあいちゃんがすきだから!

いきおいよく、まどからそとにでた。


はじめてのそとのせかい。
テレビでみるよりはくりょくまんてん。

きききききー!
うわあ!あぶないあぶない!
これが「クルマ」ってやつかあ!
ぼくものってみたいけど
あんなにおおきいとはしらなかったよ。
こわいなあ。こわいこわいこわいよう。


きょろきょろきょろきょろさがしても
あまくてつやつやはみつからない。

よくよくよくよくさがしても
「モモカン」はみつからない。

となりまち。
そのとなりまちにいっても、ない。

またはしるはしるはしる。
ぼくは、はじめてみるそとのけしきに
まけそうになりながら、
ただただつやつやであまい「モモカン」を
さがす。

でもさがしかたも、
「あまくてつやつや」もわからないから、
もう、どうしたらいいかわからない。
あいちゃんをすきってきもちだけじゃ
どうしようもないきがする。

とほうにくれて
そらをみた。

するとそのしゅんかん。
ぼくのみみがピーンとたって
ぞぞぞぞぞとけがたった。

空の上のほうに
あまくてつやつやがうかんでる。
なんだか、とってもピカピカしてる。

これだ!これだ!みつけたぞ!!
これがあまくてつやつやの「モモカン」だ!
やったー!!

ぼくは遠くまできこえるように
おおきなこえでいった。
まわりの木々がゆれる。
花がぱああっとひらいた。
すずめたちがぼくのほうをみてる。
いつもはこわいカラスくんも
きょうのぼくにはめにはいらない。

「ねえ!モモカーン!ぼくのあいちゃんがかぜをひいて
きみがひつようなんだ!どうかいっしょにきてくれないかー!
きみをちょっぴりわけてくれないかー!」


あいちゃんをすきなきもちを
いっぱいいっぱい
からだのなかからしぼりだしていった。
ぼくをうごかすのは
ただすきってきもちだけだった。

すると「モモカン」は
にっこりわらってゆらゆらゆれた。
そしてぼくはしった。
「モモカン」はあまくてつやつやで
ピカピカだ!

また、
はしる。はしる。はしる。
こんどは「クルマ」にきをつけて。
みぎみてひだりみてまたみぎみて、
こわいからもういっかいひだりみた。

そのあと「モモカン」ついてくる。
あまくてつやつやついてくる。

ぼくははしる。
「モモカン」もはしる。


「モモカン」にこにこにこにこはしる。
さんさんさんさんはしる。

はしってはしって
くたくたになったけど
まだまだげんき。
「モモカン」がうしろにいるとなぜか
元気が出てくるみたい。
なんだかせなかがあたたかいよ。


そしてやっとみえた。あかいやね。
「モモカン、ありがとう。」
そういってふりむくと。

おそらはまっくら、「モモカン」がいない!

いないいないいない!「モモカン」がいない。
あたりをぐるぐるさがしたけれど
「モモカン」どこにもみあたらない。
いなくなっちゃった!どうしよう!

「おーい!モモカーン!でてきておくれよう!」
さけんでみたけど、へんじはない。
おそらはくらいし、
ぼくのからだはぺっしゃんこ。
あわせるかおがないよ。
でもあいたくてあいたくて
あいちゃんのかおがみたくて
あいちゃんのおへやにむかった。
ごめんね。あいちゃん。ごめん。

ただいま・・・

あいちゃんのベッドにしずかにのった。
すると。
あれ?
あいちゃんがべっとのうえでなにかをたべている。

あれれれれ?
よくみるとあまくてつやつやだ。

あーっ!!わかったぞ!
「モモカン」さきまわりしてしてたんだ!
なあんだ、よかった。よかった。
よかったよう。ぼくのからだはふくれあがった。
わーい。わーい。わーい。

ぼくは、あいちゃんのつやつやであまそうなほっぺに
なんどもなんどもちゅうをした。
これからも、ずっと、ずっといっしょにいよう。
きみはぼくがまもるから、
きみもぼくをまもってね。

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竹野陽子 課題2(2) 2001年06月01日(金)23時44分32秒

家にパソコンがないので、奥野さんの
パソコンから送ります。


「すきまゴコロ」

光のこだまがはじまると それが夜のはじまり
太陽がかくれんぼして 街の灯りが目をさますと
それが夜のはじまり

すきまくんはいつもお月様をみている
空にうかんで  たったひとりで
すきまくんはふわふわとすきとおっていて
毎晩ちょっとずつ大きくなる

ヒトのこころのすみっこで時々うまれる
さみしいものやせつないもの
ポッカリあいた小さなあな

すきまくんはヒトのそういうきもちからうまれた

夜になると
いろんなヒトの体から  心の涙がぬけだして
しずかにしずかに空にあつまる
ふわふわゆっくり  あつまっていく

ヒトの目にはみえないけど
それがすきまくん

すきまくんはいつもお月様をみていた
キラキラ笑うお星様たちの中で
お月様はひとり  しずかにほほえんでいた

毎日毎日お月様  ちっともあきない
だってすきまくん すてきなことに気がついたから

すきまくんがまだ水たまりくらいの大きさで
プカプカプカプカういていたころ
お月様 バナナみたいに細かった

すきまくんがおふろくらいの大きさになって
プネプネプネプネういていたころ
お月様  オムレツみたいにふっくらしてた

すきまくんははずんだきもちになった
お月様も自分と同じように
だんだんだんだん大きくなるんだって
ひとりぼっちだと思ってたけど
ひとりじゃないんだって
そう思ったから

すきまくんがプールみたいに大きくなると
お月様もレモンみたいにふくらんで

ある日とうとうまんまるのキンピカになった

すきまくん 体中くぎづけでお月様をみつめた
とってもとってもうつくしくて
思わずふれてみたいと思った
お月様のまぶしい光がすきまくんの体をすりぬけて
もう  すきまくんとろけてしまいそうだった

すきまくんはこの時気付いていなかったけれど
お月様に恋をした

次の日
お月様はきのうみたいにまんまるだけど
きのうみたいにキンキラじゃなかった

すきまくんはふしぎだった
きのう確かにみたはずのうつくしいお月様は
一体何だったんだろう
あれはゆめだったの?
だけどすきまくんの胸のまん中は
なんだかドキドキ息苦しくて
なのにくすぐったくてあったかい
そんなきもちでいっぱいだった

すきまくんはまた少し大きくふくらんで
今日もお月様にあえるのを楽しみにしていた


お月様なんだか小さくなったみたい
すきまくんはなんだか胸がそわそわうごいて
おちついていられなかった

次の日も次の日も
お月様はレモンからオムレツ オムレツからバナナに
だんだんだんだん小さくなった

すきまくんはとっても苦しかった
胸のあたりを何かにギューンとつかまれているようで
せつなかった
そしてすきまくんは
お月様がまんまるにほほえんだあの日から
体のふくらむスピードが
ぐんぐんぐんぐん早くなっていることに気づいた

お月様もぼくも一体どうなっちゃったの?
すきまくんはわけがわからなくて
お月様をみあげたら
いつもと同じ しずかだった

すきまくんはお月様へのきもちが自分自身を
大きくしていることに気づかなかった

ついにお月様がバナナよりも細くなって
今にもみえなくなってしまいそうな夜
なんとかしてたすけてあげたかったけれど
すきまくん どうすることもできなくて
ただただ体がふくらんでいった

そして次の日
とうとうお月様は 空のどこにもみえなくて
何度も何度もさがしたけれど
夜空のどこにも いなくなってしまった

すきまくんは胸のまん中が痛くて痛くてはりさけそうで
今度は本当にひとりぼっちで
お月様にあいたくて  あいたくて

想いがあふれてついにすきまくんは
はれつしてしまった

あいたくて あいたくて すきまくんも いなくなってしまった

光りのこだまがきこえたら さあ夜のはじまり
さて 今夜の月はどんな月?

おわり

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仲田純 高橋阿里紗課題2(2)の感想 2001年06月01日(金)13時48分47秒
pttp0002.html#pttp20010530063723への応答


 「天体人観測」読みました。前回の心をくださいもそうなのですが、他に似ている作品があり、なにか味気ない。しかし、こころをくださいにしてもこの「天体人観測」にしても、そのありきたりをわざと持ってくることによって自分が一番伝えたいことが顕わになる?いや、強調されるという物語の作法には関心しました。今回の天体人観測は最後の文がそれにあたるのだろうと思い、繰り返し読んでみました。猫がみゃーと鳴く すると 星はよく見える。 地球も まだまだ捨てたもんじゃないという。何か 説得されてしまう力強さ。うーん、世界が広い。

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松永洋介 6月1日授業(二上貴夫氏による連句講義)レジュメ 2001年05月31日(木)22時58分04秒
pttp0003.html#pttp20010531105819への応答

あすの授業(二上貴夫氏による連句講義)で配付するレジュメです。ぜひ目を通しておいてください。

俳句・連句・モンタージュと「プロットの継ぎ方」

○俳句の二句一章体
足袋つぐやノラともならず教師妻(杉田久女)
近海に鯛睦み居る涅槃像(永田耕衣)
水枕ガバリと寒い海がある(西東三鬼)

○連句の力学
打越A   肩臂(けんびき)にはる湯屋の膏薬(利牛)
前句B 上おきの干葉刻むもうはの空(野坡)
付句C   馬に出ぬ日は内で恋する(芭蕉)
A=Cの観音開になってはいけない。

○モンタージュ
 [(フランス)montage](名)スル
 (1)カットの組み合わせ方により意味を表現する、映像の構成。
 (2)写真を合成すること、または合成された写真。合成写真。

○セルゲイ=エイゼンシュタイン(1898-1948)
旧ソ連映画の開拓者。その「モンタージュ技法」は、映画芸術に大きな影響をあたえた。

○『戦艦ポチョムキン』
ロシア革命から8年後の1925年、当時27歳の才気あふれる気鋭監督セルゲイ=エイゼンシュタインがつくった革命的無声映画。モンタージュ技法を駆使している。
見所は、なんといっても「オデッサの階段」シーン。赤ん坊を乗せた乳母車が階段を駆け落ちていく──。ショッキングな映像に、音楽と字幕だけで構成される短いカットの積み重ね。このシーンは、ブライアン=デ=パルマ監督の「アンタッチャブル」では、シカゴ駅の階段シーンに引用されていることでも有名だ。


観客同化型モンタージュに対して,1920年代ロシアに観客異化型のモンタージュ論が生まれた。いわゆる「モンタージュ派」である。その代表のセルゲイ・エイゼンシュタインのモンタージュ論は「葛藤のモンタージュ」と呼ばれ,映画要素間と要素内部において葛藤・衝突・対立・対照を生じさせることを映画作成の基本にしていた。ここでは画面を上手くつないで観客を物語へ同化させるのではなく、むしろ、画面を自然にはつながないことによって観客の知覚に違和感を覚えさせることで、観客を徹底的に作品から異化させることが目指された。彼自身は2つのものを対決させることで、それ以上のものが生み出されるということを弁証法に喩えるのだが、果たしてそれが本当に弁証法なのかどうかはここでは問題にしない。では、具体的に何を対決させるのだろうか。エイゼンシュタインは例えば次のようなものを挙げている。「図形的葛藤」「面の葛藤」「量の葛藤」「空間的葛藤」「光の葛藤」「リズムの葛藤」「材料と構図の葛藤」「材料とその空間性との葛藤」「過程とその時間性の葛藤」「光学的複合体の全体と他の全く異なる領域の葛藤」「視覚と聴覚の葛藤」……。
 具体的に『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段」のシーンを見てみよう。「突然」という字幕→女性の乱れた髪→乱髪の数ショット→階段を駆け下りる群衆の下半身→白い日傘→階段を手で這って下りる両足のない男性→兵士の一団→階段で転ぶ眼鏡の女性→階段をなだれ下りる群衆→階段で倒れる男性の足→ふらつく視界(その倒れる人物の視点)→倒れる男性の足……。対角線の構図と人間の動きの対立,階段、直立する兵士、影、横たわる子供などが構成する縦・横・斜めの線の対立,階段を駆け下りる群集とゆっくりと前進する兵士の動きのリズムの対立、群集と個人という数の対立、整列している兵士とばらばらな群集の対立など。果たして彼の葛藤の概念がどこまで普遍的に適用可能なものかは不明であるが、時間・空間・被写体をばらばらにした断片的映像を対決させつつ提示していく手法は、確かに何らかの効果を生み出しているようだ。
 ともかく、エイゼンシュタインにとってモンタージュは単に物語を円滑に叙述する手段にとどまらず,観客の意識を徹底的に揺さぶる積極的な手段とみなされたのであった。

○イメージ的連句の歴史
中世の連歌「百韻」飯尾宗祇
近世の俳諧「歌仙」松尾芭蕉
現代の連句「形式自由」への模索

○トルソー
トルソーというのは、デッサンに良く使う首や手足のない胴体だけの彫像。
寺田寅彦(俳号・寅日子1878-1935)は、このイメージを「歌仙」のような完結した連句ではなく、連句のある断片を作品化した形式にふさわしい名と思ったことだろう。
だから、第一句目(発句とは呼ばない)は短句七七でもいい。もしも長句五七五からのスタートにするなら、トルソーらしく無季の句を第一句目にしても良いだろう。句数も自由。花の句など大きいものは外して、四季が揃わなくてもいい。断片性を味にする。

○寺田寅日子の「TORSO」
 アップルパイを三つ食ふなり    寅日子
濃すぎたるカフェの後なる水呑んで  東洋城
 仕舞ふ見込みのつかぬ夜仕事      子
南部なる私大ときくからに        城
 勝手気儘はお互の事          子
涼しさは飛石づたひ折戸から       城
 松原つづき沖の白波          子
海道の小峠ながら打憩ひ         城
 餅食ふほどをあさる絵葉書       子
(岩波書店『寺田寅彦全集・第十二巻』所収、大正十五年五月、渋柿)

○「大四畳半」の巻        鈴木一人捌
少年や六十年後の春のごとし       永田耕衣
 剥き出しの牙舐める舌先          一人
目が合えば微笑むマッド、デンティスト     弘
 ピーカンの空顳かみに銃         佳代子
幾何学の模様宇宙に広がって         壱子
 大四畳半めぐる妄想             徹
膝小僧に顔を描かせてくれないか?       弘
 カッパの皿に満漢全席            佳
囚われの美女に海と砂贈る          美香
 引き出しの中思いあふれて          壱
テディベア腹を裂いたら白い粉         佳
 肉まんじゅうをほおばったまま        徹
野ざらしのはっぴいえんどを期待して      徹
 いっせーのせで眠りにおちる         弘

時・平成七年二月五日
於・東京芸術劇場5F大会議室

○前句付
 (前句)ブルーベリーのパンがふくらむ
前句を題材にして付句で応じる文芸形式を「前句付け」といいます。五七五に七七を付けるケースと、七七に五七五を付けるケースがありますが、今回は七七の「ブルーベリーのパンがふくらむ」に五七五の長句を付けて下さい。

作例:十才の乳房の尖に朝匂う(伊藤哲子)
千晴:みずみずしさの中に何ともいえぬ不安感があり、パンがふくらむことの連想としてのふくらみが素晴らしいと思いました。又、朝匂うという修辞も美しい、最高!
游児:前句のもつ期待感と朝の雰囲気を見事に捉えながら思い切って転じた素晴らしい付句。十歳といふ小少女も適切だし乳房の尖といふ表現もパンのふくらみと対照的でよい。
正博:ふくらむパンと十才の乳房のコレスポンダンスが楽しい.
建穂:これはうまく付きますね。第二次性徴を迎え膨らみかけた乳房とプルーベリーパンとの取り合わせ。しかも「朝匂う」とはなかなか言えそうで言えない。ちょっと付きすぎとの感もないわけでは ありませんが、予想していなかった方向性だったのでGOODです。
千胡:ふくらみはじめた少女の乳房。つぼみのようなその尖の初々しさ。清潔で、かつふくよかな未来を感じさせるイメージが、ふくらむパンによく似合っている。

○第八回「付句」募集‥‥メール、ファックス、葉書でお送りください。
 (前句)アクアリウムの犀の魚涕く(ざんのいおなく)
「アクアリウムの犀の魚涕く」に五七五の長句を付けて下さい。付けは、季語があっても無くても構いません。自由な付けを試みて下さい。

 ※「アクアリウムの犀の魚涕く」は、99連句文芸賞形式自由部門で大賞を射止めた、
 漢擬ソネット「璃宮乃儒良(りきゅうのじゅごん)」の巻の脇句、西岡恭平さんの作です。
 ★互選方式をお楽しみください。
 投句〆切=六月三〇日。
 *電子メールかファクスか郵便ハガキで、三句送り下さい。
 互選期間=七月十日〜二十日。
 *選句表を送りますので、三句選び、選句評感想を書いて、二十日までに返信下さい。
 結果発表=七月三十一日。ホームページに発表後、ファクス、郵便投句の方には、
 結果をお送りします。投句は無料です。
 【ホームページ】http://www.ignoramus.nu/tukeku

○俳諧新月座の案内
6月18日(月)午後3時〜7時半くらい。
(遅くまで居られない方は五時くらいでお帰り下さい。夕方から来られる方はお寄り下さい)
中庭のあるレストラン「ラシエット」(電話042−746−3737。相模大野駅から横浜銀行わきの大野銀座通り、徒歩5分。食事オーダーのみ)

 dome@ignoramus.nu 二上貴夫(フタカミキフウ)

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奥野美和 課題2(3) 2001年05月31日(木)22時23分39秒

わたしは、感情が先走ってしまう、ということがわかりました。
なんだか、大事な部分が抜けて、一人よがりにな作品になってしまうんです。
課題2(1)は、女王バチは実は、壁のしみだった。という内容に
したかったのですが、うまくいきませんでした。手直しもがんばります。

で。今回のあいちゃん。は、猫ちゃんは、桃缶と、
太陽をまちがえちゃった!というが最初にうかんだアイデアなんですけど、
友人に読んでもらった所、そう読めないみたいです。
なので、もう1度、冷静に読んでみると、確かによくわからなかったので、
かきなおししてみました。締めきりものびたので、
もっともっとかえてゆこうと思います。スーっとはいれる
物語を書きたいです。(いま)

あと、ラストと、タイトルを考えなくちゃ!!

みなさん、お忙しいとは思いますが、アドバイスください。
がんばります。

「あいちゃんのモモカン」

あいちゃんがかぜをひいた。
ぼくのあいちゃんがかぜをひいた。
あいちゃんはぼくのごしゅじんさまで
げんきであかるくて
とってもかわいいおんなのこ。

あいちゃんは
ぼくがかなしいとき
だまってずっとそばにいてくれる。

うれしいとき
ぼくいじょうによろこんで
かおをくしゃくしゃにして
ぼくのよろこびをばいにしてくれる。

ネコとにんげんのじゅみょうは
ちがうみたいだけれど
ぼくはあいちゃんと
ずっとずっといっしょにいたい。
ただそれだけなんだ。


けさ、あいちゃんがおかあさんに
「モモカン」を
ねだっているのをきいた。
「あまくてつやつやのももかんだったら、
わたし、たべれそう」


ぼくはあいちゃんがすきだから、
あいちゃんがほしがる
その「モモカン」を
ぼくもほしい。

そしたらぜんぶ、あいちゃんにあげる。

でもぼくは「モモカン」が
いったいどんなものなのかわからない。

そんなときなんでぼくはネコなんだろうって
おもうけど、ぼくがぼくで
きみがきみだから、
ぼくはきみをすきになったんだとおもう。


かぜがふく。
カーテンがゆれる。
そらのあお。ふわふわのくも。
ぼくはきめた。

あいちゃんの「モモカン」をみつけだす。
ぼくのしんぞうはどくどくいっていた。
こわれちゃうんじゃないかとおもった。
だけど、ぼくはあいちゃんがすきだから

いきおいよく、まどからそとにでた。

はしる。はしる。はしる。
くるまにきをつけて。
みぎみてひだりみてまたみぎみて、
こわいからもういっかいひだりをみた。

きょろきょろきょろきょろさがしても
あまくてつやつやはみつからない。

よくよくよくよくさがしても
「モモカン」はみつからない。

となりまち。
そのとなりまちにいっても、ない。

またはしるはしるはしる。
ぼくは、はじめてみるそとのけしきに
まけそうになりながら、
ただただつやつやであまい「モモカン」を
さがす。

でもさがしかたも、
「あまくてつやつや」もわからないから、
もう、どうしたらいいかわからない。
あいちゃんをすきってきもちだけじゃ
どうしようもないきがする。

とほうにくれて
そらをみた。

するとそのしゅんかん。
ぼくのみみがピーンとたって
ぞぞぞぞぞとけがたった。

空の上のほうに
あまくてつやつやがうかんでる。
なんだか、とってもピカピカしてる。

これだ!これだ!みつけたぞ!!
これがあまくてつやつやの「モモカン」だ!
やったー!!

ぼくは遠くまできこえるように
おおきなこえでいった。
まわりの木々がゆれる。
花がぱああっとひらいた。
すずめたちがぼくのほうをみてる。
いつもはこわいカラスくんも
きょうのぼくにはめにはいらない。

「ねえ!モモカーン!ぼくのあいちゃんがかぜをひいて
きみがひつようなんだ!どうかいっしょにきてくれないかー!
きみをちょっぴりわけてくれないかー!」


あいちゃんをすきなきもちを
いっぱいいっぱい
からだのなかからしぼりだしていった。
ぼくをうごかすのは
ただすきってきもちだけだった。

すると「モモカン」は
にっこりわらってゆらゆらゆれた。
そしてぼくはしった。
「モモカン」はあまくてつやつやで
ピカピカだ!

また、
はしる。はしる。はしる。
やっぱりくるまにきをつけて。
みぎみてひだりみてまたみぎみて、
こわいからもういっかいひだりみた。

そのあと「モモカン」ついてくる。
あまくてつやつやついてくる。

ぼくははしる。
「モモカン」もはしる。


「モモカン」にこにこにこにこはしる。
さんさんさんさんはしる。

はしってはしって
くたくたになったけど
まだまだげんき。
「モモカン」がうしろにいるとなぜか
元気が出てくるみたい。
なんだかせなかがあたたかいよ。


そしてやっとみえた。あかいやね。


「あいちゃん、あいちゃんそとをみて!モモカンだよ!」
ぼくはいそいであいちゃんのベットにとびのる。

するとあいちゃんは
ベッドのうえでなにかをたべている。
よくよくみると、あまくてつやつやだ。

あれれれれ?
ぼく、まちがえちゃったの?
あいちゃんはなにをたべているの?


たすけをもとめてまどのそとをみると、
「モモカン」はわらっていた。
まぶしいひかりをはなちながらわらっていた。

あいちゃんは、つやつやであまそうなほっぺを
ゆらせていった。

「きょうは、おひさまがまぶしいねえ!あっ。きょうの
おひさま、なんだかももかんみたい。おいしそう!」


おしまい

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根本 紗弥花 どきどき。 2001年05月31日(木)15時56分34秒

↓の二人は、わたくしの前の大学(名古屋)の友人たちであります。
宣伝して、書き込みに来てもらいました。 (ありがとーー!!)
でもちょっと、どきどき。友達にもまともに書いたもの(物語り)を見せたことがなかったので。
ラストですね・・・私もありきたりでしかも苦しいなー・・・と思いながら書きました・・・(−−;)実は。
締切りが延びたことですし、もう一度考えてみようと思っています。(天の恵みじゃぁぁ!!)
彼女たちには、また感想書き込みに来てね、といってありますのでまた来てくれるかもしれません。
ところで、こうやって遊びに(?)来てくれる人も、匿名不可にします??>寮さん。
やっぱりちょっと抵抗があるようなのですが・・・
“出来るだけ多くの感想を聞くこと”と、“発言に責任”と、難しい問題です・・・。

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伊藤奈菜 根元紗弥花 課題2(4) 2001年05月31日(木)15時25分18秒
pttp0002.html#pttp20010530010805への応答

 根本紗弥花さんの『夜の公園』の感想です。
 さやちゃん、スランプのようですががんばって下さい☆
 さやちゃんはかわいい描写がうまいですね。これは日々の生活の中でもよく表れていますが。
 さて作品の方ですが面白く読ませて頂いたものの、ちょっとありがちな話なんじゃないかと思いました。あと、最後が苦しそうです。よりちゃんがやっとこさおうちに着いてその後どうしたのかが書かれていてほしかったな。息を切らしてすんごい勢いで帰ってきたよりちゃんは、どの瞬間に現実世界に戻ったのでしょうか。よりちゃんがその夜の経験の後、夜の公園にきつね達を見ることができるようになったってことは、物語り全てが現実になってしまうような気もしますがどうなのでしょう。
 うおっ、すごーい、こんな作品始めて読んだって思えるような話を期待してます。さやっちファン1号として応援していますvvv

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栗木千恵 根元紗弥花 課題2(4) 2001年05月31日(木)14時26分19秒
pttp0002.html#pttp20010530010805への応答

『夜の公園』の感想です。
 基本的には好きです、こういう話。
子どもの頃の、夜に対する(闇に対する、かな?)恐怖。
でも、それすら覆い隠してしまうほどの”夜の世界”への興味や憧れ。
『パパ』や『ママ』が寝てしまうのを待って、そっと踏み入るもうひとつの”子どもの世界”。その昂揚感!
動物達のにぎやかな踊りに、いろいろな手品。
『よりちゃん』が時間を忘れるほどに楽しいひととき。
 夜が明ける!慌て出すうさぎ達。
帰らなければいけない動物達、残念そうな『よりちゃん』・・・
ところが、最初の”よるのどうしになる”という言葉が”ひるまのもののところ”から『よりちゃん』を引き離そうとする。
きつねが、その他の動物達が、怖い顔をして追っかけてきて・・・
 ここまではすごくスルスル〜って読めるんだけど、私はこの後、逃げ切った『よりちゃん』が、なんでまた「いつか、もうすこし大きくなったら、またよるのこうえんに いってみようかな」と思うのかな?って感じます。
だってすごく怖い思いをして、必死で逃げ帰って、
それ以来「よるもあそびたい」とは思わなくなったはずなのに・・・
しかも一番最後の「だって、あれからよりちゃんには見えるようになってしまったんですもの〜」のくだりは、ますます(?)と思います。
だってきつねさん、あんなにはっきりと言ってたのに・・・
「よるのどうしは、ひるまのもののところにはもどれない」って。
あれれ?ですよ。

 紗弥ちゃん、こんな素人的な感想でよかったら耳を傾けてやってくださいな。


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寮美千子 締め切り延びる! 6月1日いっぱいに! 2001年05月31日(木)10時58分19秒


学生諸君! 生まれてはじめての締め切りに追われる気分を味わった人も多いかと思います。みんな、よくがんばってくれました。きみたちが締め切りでがんばっているころ、わたくしまたも新聞連載原稿の締め切りでがんばっていました。そしてまだ、がんばっている最中です。

というわけで、みなさんの最終原稿にゆっくり目を通す暇がありません。ということはつまり、まだ出版社には諸君の原稿を提出していないということ。新聞原稿を入稿してからでないと、作業にかかれない状態です。ですから、出版社への作品提出が、少し遅れます。すみません。しかし、その件については、出版社に話をつけてあるので、ご心配なく。

というわけで、締め切りを延ばします! 明日、つまり6月1日いっぱい、掲示板にて受け付けます。まだ書き終わっていない諸君は、あきらめずにがんばって書きましょう! 


明日の授業は、俳諧新月座の二上貴夫氏による連句講義です。新月座のサイトがあるので、時間のある人は、ぜひ見ておいてください。

http://www.ignoramus.nu/tukeku

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西浦多樹 課題2(4) 2001年05月30日(水)23時34分25秒

[西浦多樹] 課題2(3) (2001/05/30 03:45:56)
に誤字及び修正したい個所がありました。
HPに「記事を削除/修正するとき」の指示がありますが、
あいにくメーラーが不調でメールの送信ができないため、
BBSに再投稿させていただくことにしました。
この投稿を「おひさま」に応募する原稿とさせていただきます。
(もう原稿の準備などされていましたら、ほんとうにごめんなさい。)

「海になる」

 風がふけば、その森はまるでもう、海の中です。
 よく晴れた明るい昼間、強い風が森の上をわあっと通りなかなか過ぎてゆかない時など、地にたって見上げれば、木々が風のゆくえにしたがって枝をしならせ葉をはためかせており、それはまるでたえず寄せては返す波のように、ひとつの大きな流れとなっているのです。森の底にじっとしていると、波の音はさらに風をよび、海の底のように、その音は耳をくすぐるには遠く、ただ、光が届かず、やわらかくしめった土のにおいだけが、たしかに地上を思わせるのでした。
 その森に、小さな木がたっていました。ずいぶん長い間そこにたっていたのですが、太陽の光はほとんどまわりの木々へとすいこまれてゆき、小さな木はいつまでも小さいままでした。
 小さな木は、それはもうずいぶん小さいことをかなしく思っていましたが、時々小さくため息をつくほかは、なにも言いませんでした。そして、きちんと時を刻んだようにのびたまわりの木々は、上空をかすめる風の渦に葉をわさわさとさせるほか、小さなため息には聞こえないふりをしてだまってたっているしかないのでした。
 そんな夏のある晴れた日の午後、風のかけらが道をふみはずして迷いこんだのか、いつもはかすんだ遠い歌にしか聞こえないまわりの木々の声が、その時ふいに小さな木のところまではっきり聞こえてきました。
「あの鳥はなんだろう」
「今まで見たことがないな」
「どうしたっていうんだろう」
「さっきからまったく休みなしだ」
「ここらをぐるぐる飛び回っている」
「なにかをさがしているんだろうか」
 木々が口々にいう言葉は、新しい通り道をたどってきた風とともに、小さな木のもとへ届けられました。そして、ふと森の中の音という音が一瞬止んだように思ったとき、その静寂のすきまへ差しこまれた時の使者ように、白い鳥がまっすぐ、小さな木のてっぺんに舞い降りたのです。
 小さな木はびっくりして身をかたくしました。しかし鳥は、それを知ってか知らずか、まるで自分の巣に戻ったかのような風なのです。
小さな木は途方に暮れていましたが、鳥のかすかなあたたかい呼吸を感じると、いつも昼間にわいてくるがさがさした気持ちをのみこまなくていいような気がしていました。そしていつのまにか、どこか遠い国の物語の中にでも迷いこんだような、それでいて遠い昔に住んでいた懐かしい場所であるかのような、ふしぎな気持ちになっていました。
 その日の夕暮れ時のことです。
 小さな木がまどろんでいると、ひとりの少女が、木々の間をぬって歩いてくるのが見えました。晴れた空にうかぶ入道雲をいっぱいくっつけたみたいな真っ白いワンピースをきたその少女は、まるで夕暮れに染まらない、たったひとつのもののように見えました。どこかしんとすきとおっていて、ひんやりと冷たくなっているようなのでした。
 少女はしばらく小さな木のそばに座っていました。そして、なにかを思い出すように見上げました。
 はたして少女の目に白い鳥はうつったのでしょうか。少女ははっとしたように目をきらっとさせると、ポケットからなにかを大事そうにとりだし、そっと指につまむと、光にかざすようにしたのです。
 それは小さな巻き貝でした。小さな木はどきどきしました。少女が泣き出してしまわないかと心配したのです。なぜって、光が届かなくて小さいままの自分よりももっと小さい女の子までなんて、ちっとも届かないと思ったから。
 けれど、少女は泣きませんでした。泣かないばかりか貝殻を見つめる目はまぶしいくらいに輝いていました。たくさんの生きものが住んでいる海みたいな目を、一心に貝殻に向けていました。そして、少女はなにかつぶやくと、その貝殻を埋めたのです。小さな木がたっている、その場所に。すると、小さな木は、時の流れに身をまかせるように、深い眠りへと落ちていったのです。
 小さな木が目覚めると、辺りはすっかり真っ暗で、夜に閉ざされていました。しかし、なにかがいつもとちがいます。小さな木のそばには、鹿がとろんと目を泳がせて寝そべっていたのです。
 鹿は、「ごきげんよう。すてきな夜ですね」とおちょぼ口ですまして言うと、大きな目を今度はぱちくりさせました。
「ご、ごきげんうるわしゅう、鹿さん」
 ずいぶん長い間話をしたことがなく少しがさがさした声でしたが、小さな木は思いつく限りでいちばんとっておきのあいさつをしたので、武者震いするように枝がふるえました。すると、聴いたことのない、染み入るような音色が、辺りいっぱいに飛び散ったのです。
「ああ、なんて美しいのでしょう。」
 鹿の声は、闇夜にひとつ明るい穴をあけて、小さな木にまっすぐ届きました。
「ねえ、そのきれいに光っているもの、ひとついただけないかしら」
 鹿は立ち上がって、木にいいました。
「え? 光っているものってなあに?」
「とって見せてあげるわ」
 鹿は小さな木に近寄ると、枝に口を近づけました。そして、かすかな音をさせて、それをとって、小さな木に見せました。
「あっ、あの女の子が埋めたものだ」
 それは白く輝く巻き貝でした。月から注ぐ銀の光がまぶされて、まるで星のような。
「あなたの枝にたくさん実っているわ。きれいな声が風にのって聞こえてきたからここまできたのよ。そしたらこの実が遠い海の話をしてくれたの。ああ、ほんとうにすてきだったわ。ありがとう。海のお話なんて、わたしはじめてよ」
 鹿はこれ以上はないというくらいていねいにおじぎをすると、暗がりへと消えていきました。そして、白い鳥は見届けるように、鹿についていったのです。
 その日から、そんなことが毎日続きました。白い鳥は毎日やってきて、次ぎの晩も、その次の晩も、目覚めてみると森の動物がきていました。そして、小さな木の知らない間に貝殻は海の話を動物たちにきかせ、動物たちは喜んで木にお礼を言っていきました。それなのに、小さな木は一度も貝殻の話を聞いたことがなかったのです。
 そうしているうちに、貝殻はどんどん小さな木の枝から消えていきました。そして、月が闇のすきまにほんのわずかな光を放つ夜、とうとう貝殻が最後のひとつになったとき、小さな木はほのかに感じたのです。自分の命も、もう長くはないことを。
 そうして、朝がきました。鳥が、いつもより早く、なにかの時をつげるようにやってきて、小さな木のてっぺんに舞い降りました。いつもよりずっと、風のようにからだを透き通らせ、大きな絵を描くように、ゆっくりと。
 鳥は、しばらくじっとしていましたが、やがて小さな木の枝から貝殻をとると、またゆっくりと飛び去っていったのです。
 風はいつものように森の上を通りすぎてゆきました。それは森をほんの少し海の匂いにつつんで、そして消えてゆきました。
小さな木はそうして消えていったのです。
 太陽はぐんぐんのぼってゆき、やがて夕暮れが森を訪れても、小さな風のかけらが森の中を通り過ぎると、森をつつんだかすかな海の匂いは、小さな木がたっていたすぐそばを、ひとすじの河になって流れてゆきました。
 それはやがて森に散っていった貝殻に届き、語られる物語を聞いてゆくのです。

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奥野美和  どうしよう! 2001年05月30日(水)23時17分51秒
pttp0003.html#pttp20010530225939への応答

なんだか頭がめちゃくちゃで、
よくわからないきもちです。
なにがなんだか。うわーん。

手直しもうまくできず、結局新しいものをかきました。

でもタイトルが微妙。
 
なんだか中途半端です。
ほげえ。

でも、お話をかくのって、大変だけど
おもしろい。。。なんて気付くのがおそいかなあ。
 
この何週間か、まわりのものに敏感になってた気がする。

これからも、はりきってがんばるワ。

みなさん、よろしくね。

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奥野美和 課題2(2) 2001年05月30日(水)22時59分39秒

「あいちゃんのモモカン」

あいちゃんがかぜをひいた。
ぼくのあいちゃんがかぜをひいた。
あいちゃんはぼくのごしゅじんさまで
げんきであかるくて
とってもかわいいおんなのこ。

あいちゃんは
ぼくがかなしいとき
だまってずっとそばにいてくれる。

うれしいとき
ぼくいじょうによろこんで
かおをくしゃくしゃにして
ぼくのよろこびをばいにしてくれる。

ネコとにんげんのじゅみょうは
ちがうみたいだけれど
ぼくはあいちゃんと
ずっとずっといっしょにいたい。
ただそれだけなんだ。

だいすきなあいちゃんを
ずっとベッドにねむらせる、
かぜってやつをぼくは
おこってやりたいきぶん。


けさ、あいちゃんがおかあさんに
「モモカン」を
ねだっているのをきいた。
「あまくてつやつやのももかんだったら、
わたし、たべれそう」


ぼくはあいちゃんがすきだから、
あいちゃんがほしがる
その「モモカン」を
ぼくもほしい。

そしたらぜんぶ、あいちゃんにあげる。

でもぼくは「モモカン」が
いったいどんなものなのかわからない。

そんなときなんでぼくはネコなんだろうって
おもうけど、ぼくがぼくで
きみがきみだから、
ぼくはきみをすきになったんだとおもう。

「モモカン」が
あまくてつやつやなのはしっている。
あいちゃんがさっきゆってたから。


カーテンがゆれる。
そらのあお。
ぼくはきめた。

あいちゃんの「モモカン」をみつけだす。
ぼくはおもいきって、うまれてはじめてそとにでた。
ふわり。


はしる。はしる。はしる。
くるまにきをつけて。
みぎみてひだりみてまたみぎみて、
こわいからもういっかいひだりみた。

きょろきょろきょろきょろさがしても
あまくてつやつやはみつからない。

よくよくよくよくさがしても
「モモカン」はみつからない。

となりまち。
そのとなりまちにいっても、ない。

またはしるはしるはしる。
ぼくは、はじめてみるそとのけしきに
まけそうになりながら、
ただただつやつやであまい「モモカン」を
さがす。

でもさがしかたも、
「あまくてつやつや」もわからないから、
もう、どうしたらいいかわからない。
あいちゃんをすきってきもちだけじゃ
どうしようもないきがする。

とほうにくれて
そらをみた。

するとそのしゅんかん。
ぼくのみみがピーンとたって
ぞぞぞぞぞとけがたった。

空の上のほうに
あまくてつやつやがうかんでる

あまくてつやつやの。
たぶんこれが「モモカン」

これだ!これだ!みつけたぞ!!

ぼくは遠くまできこえるように
おおきなこえでいった。
まわりの木々がゆれる。
花がぱああっとひらいた。
すずめたちがぼくのほうをみてる。
いつもはこわいカラスくんも
きょうのぼくにはめにはいらない。

「ねえ!モモカーン!ぼくのあいちゃんがかぜをひいて
きみがひつようなんだ!どうかいっしょにきてくれないかー!
きみをちょっぴりわけてくれないかー!」


あいちゃんをすきなきもちを
いっぱいいっぱい
からだのなかからしぼりだしていった。
ぼくをうごかすのは
ただすきってきもちだけだった。

すると「モモカン」は
にっこりわらってゆらゆらゆれた。
そしてぼくはしった。
「モモカン」はあまくてつやつやで
ピカピカだ!

また、
はしる。はしる。はしる。
やっぱりくるまにきをつけて。
みぎみてひだりみてまたみぎみて、
こわいからもういっかいひだりみた。

そのあと「モモカン」ついてくる。
あまくてつやつやついてくる。

ぼくははしる。
「モモカン」もはしる。


「モモカン」にこにこにこにこはしる。
さんさんさんさんはしる。

はしってはしって
くたくたになったけど
まだまだげんき。
「モモカン」がうしろにいるとなぜか
元気が出てくるみたい。


そしてやっとみえた。あかいやね。
なんだかかえりのほうが、はやくついたきがする。

「あいちゃん、あいちゃんモモカンだよ!」
ぼくはいそいでにかいにあがる。

するとあいちゃんは
ベッドのうえでなにかをたべている。
よくよくみると、あまくてつやつやだ。

あれれれれ?
ぼく、まちがえちゃったの?

たすけをもとめて、まどのそとをみると
「モモカン」がわらってた。
なにもかもしってたみたいにわらってた。

なんだか、よくわからないけれど、
あいちゃんのほっぺがあまそうで
つやつやになっていたから、
ぼくはなんだかうれしくなって
あいちゃんのもとにかけていった。

おしまい

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鈴木一業  課題2(5 ) 2001年05月30日(水)22時30分02秒

 大幅に書き直しました。書き直したポイントは、以下の2点です。
1.物語の順序を再構成し、分かりやすさに重点を置きました。
2.細かい描写を、よりミーコらしいことばに変えました。
 ミーコに関しては、やれることを全部やったつもりです。
 この物語は、ミーコという女の子のちょっとステキな話です。そんな話にしたかったのです。


ミーコのあめがふってくる

 ミーコはどこにでもいるふつうのおんなのこです。いつもどろだらけで、かみのけなんかはごしゃごしゃです。めはピカピカとかがやいています。
 ミーコはうたをうたうのがだいすきです。けれど、ミーコはじぶんのすむまちではうたいません。なぜならミーコのこえはものすごくおおきいからです。ミーコがうたうと、あかちゃんはないてしまうし、おじいさんやおばあさんは、びっくりしてこしをぬかしてしまいます。
 だから、まちにいるとき、ミーコはうたわないようにぐっとがまんしています。
 それでもうたいたくなると、ミーコはいつも、まちからすこしはなれたおかのうえにいきます。そして、そこでおもいっきりおおきなこえでうたうのです。
 ほらほらきこえてきたよ。みみをすましてごらん。

 「チカチカきいろいおひさまグルグル。おそらまっさおプルルンミーコ」
 ミーコがうたっています。そのおおきなこえは、そよかぜにのって、まちまでとどきます。そこで、まちにとどくまでのあいだにちょっとふしぎなことがおこります。ミーコのうたが、ことりのなきごえやかぜのざわめきにまじって、きれいなにじのようにかがやくうたになるのです。
 そのうたをきくと、まちのみんなはしごとのとちゅうでも、
 「ああ、きょうもよいいちにちになりそうだなあ。」
 なんていって、きもちよくわらいます。めをとじてミーコのうたをしずかにきいているひとや、いっしょにうたったりするひともいます。それからしばらくすると、みんなはまた、いつもとおなじようにしごとをしたり、ごはんのしたくをしたりするのでした。まちのひとはだれも、そのうたをミーコのうただとはおもわないのです。

 よいてんきです。あたまのうえでたいようがキラキラしています。
 そのひも、ミーコはおかのうえにいました。おかのうえには、ちいさなひかげをつくってくれる木がいっぽん、それからちいさいピンクの花がたくさんさいています。そこからはミーコのすむまちが、おもちゃみたいにちいさくみえます。
 おかのうえはミーコのひみつのばしょなのです。

 ミーコはおかのうえにくるとき、いつももってくるものがあります。それはミルクのはいったすいとうです。たくさんうたをうたうと、のどがかわきます。ミーコはすいとうのふたをあけて、ごくごくとつめたいミルクをのみました。のこったミルクはすぐそばにある、いっぽんのちいさな木にあげます。
 ミルクをあげながら、ミーコはまたうたいだしました。
 「ねえねえグングンのんだらねえ。きっとモリモリでかくなる。」
 ミルクがなくなったら、こんどはポケットからハンカチをだして木をごしごしふきながらうたいます。
 「ツルツルランランきれいになれば。ノンノンポコポコみがみのる。」
 ミーコはごしゃごしゃのかみをなでながらなんだかわくわくしてきました。

 そのときです。ミーコのまわりがざわざわとしてきました。ちいさなちいさなこえがたくさんきこえてくるのです。
 「ミーコさん、ミーコさん」
 ミーコはびっくりして、まんまるでおおきなめをいっそうピカピカさせました。
 ちいさなこえがまたいいます。
 「ミーコさん、ミーコさん。」
 ミーコはみみをすまして、そのこえのするほうをみてみました。なんとそれはあしもとのピンクの花のこえだったのです。たくさんのちいさなピンクの花が、ミーコのことをじっとみていました。

 「ミーコさん、おねがいがあります。きいてください。」
 「ええ、どうしたの。おどろいたわ。」
 ミーコはゆっくりとしたこえでいいました。でもほんとうはびっくりしてしかたがないのです。
 ピンクの花がもうしわけなさそうにいいます。
 「じつはさいきん雨がふらなくて、わたしたちののどはカラカラです。ちいさなこどもたちもやせて、ますますちいさくなってしまっています。どうかそのてにもっているミルクを、すこしわけてもらえないでしょうか。」
 なんてかわいそうなんでしょう、とミーコはおもいました。みずをあげたいなあ。でもこまったことに、すいとうはからっぽです。
 「ごめんなさい。すいとうのなかにはもうなにもないの。」
 ミーコがそういうと、ピンクの花はかなしそうにしたをむいてシンとしてしまいました。ちいさなこどもの花たちはいまにもなきだしそうです。
 
 それをみたミーコは、どんどんかなしくなってきました。ああ、どうにもならないのかな。でもそれでは、この花たちがかれてしまうかもしれない。そんなミーコのかなしいきもちが、うたになってくちからすこしずつこぼれてきました。
 「おひさまキンキラよっといで。ちっちゃいなみだをとめとくれ。」
 たいようは、あいかわらずキラキラひかっています。ほんのちょっとだけでもあめがふってほしい。そのきもちが、またミーコのおおきなうたごえになります。
 「ポロポロピコピコあまつぶひとつ。ズムムンおおきなくもひとつ。」
 ミーコのこえはますますおおきくなってきました。
 「おひさまムクムクさようなら。おっきいなみだがポチポチザザン。」
 するとどうでしょう。いっしゅんたいようがひかったとおもうと、かげがじわじわとおおきくなってきました。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。ポツリ、ポツリ、ポツリ。雨がふってきたのです。
 
 おおきな雨のつぶが、ちいさな花たちにあたります。またざわざわとしはじめました。それからそらをみあげて、花たちはパアッとわらいだしました。
 まちのほうもさわがしくなってきました。なにせひさしぶりの雨です。おとなもこどももりょうてをひろげておおはしゃぎしています。
 おかのうえで、ミーコはまだうたっています。どうやらたのしくてやめられないようです。雨のつぶのひとつひとつにミーコがうつって、まるでたくさんのミーコがふってきているようです。
 「ミーコだよ。」
 「ミーコのあめがふっているよ。」
 うれしそうにあめをたくさんあびながら、まちのひとたちはくちぐちにそういいます。
 まちやおかのうえは、うたと雨につつまれてミーコだらけになっているのでした。
 
 ミーコはどこにでもいるふつうのおんなのこです。いつもどろだらけで、かみのけなんかはごしゃごしゃです。めはピカピカとかがやいています。それから、うたをうたうのがだいすきです。
 きっときみのちかくにもいるよ。

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