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根本 紗弥花 横田裕子 課題2(2)さくらなみきの むこうがわ 2001年05月25日(金)20時52分47秒
pttp0001.html#pttp20010524110159への応答

はい、犯人は私です・・・。(と横田さん)
しかも間違えたのがこの↑二人なだけあって、再びタイトルのつけ方がわかりません・・・m(_ _)m
ご迷惑かけます・・・。

で、横田さんの作品。
簡潔でわかりやすい文体で、とても読みやすい作品だったと思います。
う〜ん、でも、何を書きたかったのか、はっきりしないような気がするんですよ。
書きたかったのは「はじめてのおつかい」なのか、「ゆりなちゃんへの友情」なのか、はっきりしないので、どちらもあまり印象的に響いていないようです。
第一稿と見比べてみて、たぶん前者なのでしょうが、それにしてはゆりなちゃんに関する話が、ちょっと長い感じがします。どこにウェイトを置いて読んでいいのかわかりづらいのです。
ようするには、この話の根幹にはいっそゆりなちゃんは居なくてもいいわけでしょう?
だとしたら、ゆりなちゃんの説明は「しゅんにはゆりなちゃんという仲良しのお友達がいます」の一行で、カタがついてしまうのではないでしょうか?
その分、ゆりなちゃんちに行くまでのしゅんのどきどき感をもっともっと膨らませた方が物語として面白いのでは?
それから、文体としては読みやすいのですが、細かいところでつっかかってしまうところがありました。
例えば、2段落目。
さくらの話をしてたんだっけ?ゆりの話をしてたんだっけ?
ちょっとこんがらがるんですよね。
さくらはピンクで、しゅんの好きな花。
ゆりは白で、ゆりなちゃんの名前。
書くのなら分けたほうがいいのではないでしょうか?
リボンはピンクじゃなくて白でいいと思う。細かい??
それから、はじめに
「しゅんが いちばん すきなのは、さくらです。
だから、さくらのはなが いっぱいにさく 
はるがやってくると、しゅんは とっても
うれしくなるのです。」
といっているのに、あとの方で
「しゅんがみた さくらは、とても おおきくて
それが さわさわしているので
 しゅんは とたんに こわく なってきました。
ひざが がくがく しています」
となっています。
「一番好きな」花が咲いているのに、たとえ一人だって、“膝が震え”たりするもんかなぁ?
むしろ、さくらは応援する立場が自然なのでは?
一番好きな花はさくら、手に持っているプレゼントもさくら、それなのに、おつかいの敵も、さくら。
これはちょっと、わかりづらい。
例えば、大きな交差点、歩道を走る自転車、散歩の途中の犬、魚屋の大声にだって、初めてのおつかいに行く子供は恐怖を覚えるんじゃないでしょうか?
そんな、危険に立ち向かうしゅん。それを、さくら並木が静かに応援する。(さくら並木を見て勇気付けられる、ってだけでもいいんじゃないでしょうか、一番好きな花なんだし)
そんな感じにするとはじめと終わりとがつながって、まとまりもよくなる気がするんだけど、どう? (なんか、訪問販売みたい(^^;))
あともうひとつ、全部書き終わったら、一度といわず二度三度、読み直しをした方がいいと思いますよ。
単純に誤植とかだけじゃなく、全体のバランスとか、相手への伝わり方とか、部分と部分のつながり方とかが、よく見えます。声に出して読む、というのもなかなか効果的でした。私には。
ま、私も人のこと言えた立場じゃありませんが・・・。

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寮美千子 タイトルの付け方を守ろう! 2001年05月25日(金)00時59分48秒


奥野さん。タイトルの付け方、間違っていませんよ。上出来上出来。
作品、浮かばないなら、書きたいイメージの断片を箇条書きにするだけでもいいです。それを「素材」として、みんなで、ブレーンストーミングをしてみましょう。


タイトルの付け方を守らずに、でたらめなタイトルをつける人が多くて困っています。タイトルの付け方がばらばらだと、後で簡単に検索ができません。結局、こちらでシコシコ訂正しなければなりません。みなさん、決まりを守って、投稿してください。タイトルの付け方は、こちらを参照してください。

../wako/pttp/index.html#bbs

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寮美千子 西浦多樹 課題2(2) 時の移動 2001年05月25日(金)00時46分59秒
pttp0001.html#pttp20010524014002への応答

「ひとつぶの海」

まず、西浦さんの書き込みの仕方がとてもよいことを、ほめさせていただきます。
指摘されたことをきっちり箇条書きにして、手を入れたポイントがみんなにもわかるように書かれています。

「物語の作法」の授業&掲示板でのディスカッションは、その人個人のためものではありません。他の人の作品の批評をしたり、書き直しを読むことにより、お互いがそれを参考にして学ぶこと=「物語の作法」を身につけること、を目標にしています。わたしが、怒濤のごとくみんなの作品に関する書き込みをしているのも、そのため。「他人の作品だから関係ない」などと思わずに、よく読んで、それぞれの参考にしてください。そして、書き込みをするときも、公の場でのディスカッションであるということを忘れず、みんなと情報を共有できる形で書き込むようにしてください。

西浦さんが書いてくださったスタイルは、まさにこの条件を満たしています。みなさんも、これを参考にしてください。


では、作品評です。すばらしく透明感のある、美しい掌編だと思いました。その磨かれた文体は驚くばかり。文体のすばらしさだけで、ぐんぐん読まされてしまいます。文体によって透明な悲しみに満ちた世界がかもしだされています。それだけで、理由もわからず涙してしまいそうになる。雰囲気の圧倒的勝利です。


しかし、よく読んでみると、どうも腑に落ちない。まずは、時間の移動の複雑さにとまどいます。
物語は、こうはじまります。
>わたしが小さいころ暮らしていた家の近くには、大きな森がありました。

現在から過去を回想しています。そして、その回想は「ある晴れた夏の日の夕方」に焦点が合わされ、その日の事件が語られ始めます。鳥が口をきいたのです。
>そう思っているうちに、鳥は話しはじめました。

そして、鳥が語った物語が、そこで語られます。鳥は語り終わります。
>そして、ふと鳥の方を見ると、そこにはもうその姿はなく、わたしの手の中に、まるで置き手紙のように白い巻き貝があったのです。

さらに視点は再び現在に戻ってきます。
>貝殻は今もここにあります。

さて、整理してみましょう。物語の時は、
1 現在のわたしによって語られる回想
2 回想のなかのある日
3 鳥の語った言葉としての、そこからさらに過去に鳥が見た出来事
4 回想のなかのある日
5 現在のわたし
という具合になっているわけです。これはかなり複雑です。しかも、8枚という枚数を考えると、実際無理のある複雑さです。作者はどうして、このような複雑な構造を採用したのでしょう? そして、採用せざるをえない、いかなる事情があったのでしょうか?


そんな七面倒くさいことをしないで、最初から「鳥か語った物語」を直球で書けばいいではないか、という考えもあります。現在のわたしも、過去のわたしもなく、ただ物語だけが語られる。しかし、それでは、この物語の不思議な空気は生まれてこないでしょう。


ここで思い出されるのが、宮沢賢治の「黄いろのトマト」です。これも、大人になった博物館員のキュステが、子どもの頃を思い出し、子どもの頃の自分が、博物館に展示されている標本の蜂雀から、蜂雀がまだ生きている頃にみた事件についての話をきく、という、複雑極まりない構造をしています。賢治はなぜこのようにまわりくどいとも思われる手法を採用したのか? それは賢治がおそろしく深い悲しみについて語ろうとしたからなのではないか、というのがわたしの説です。その悲しみがあまりに深くて危険なので、何重にも梱包し、現在から遠く離れた過去へと隔離したうえでないと語れなかったのではないか?(この説は、小論文として「季刊ぱろる4 宮沢賢治といふ現象」(パロル舎 1996)に書きましたので、興味のある方は参照してください)

西浦さんの「ひとつぶの海」にも「黄いろのトマト」に漂っているものと同質の、透明な悲しみの大気が満ちています。透明な喪失感、というべきものでしょうか。しかし、それが充分に功を奏しているかというと、それはちょっと違うかもしれません。


頻繁に時間を移動して語られる舞台。読者はそれに、とまどいを覚えてしまうのです。それは、作者が恣意的に語られる舞台の時を動かしているからではないでしょうか。つまり、そこに時間を移動しなくてはならない「必然の糸」が見えてこないのです。現在から過去へ、過去からさらなる過去へ、そして再び現在へ。そんな時間を結ぶ「必然」があれば、お話はもっと理解しやすくなります。


例えば、物語はいきなり過去の回想として始まっていますが、これを、現在のわたしからはじめたらどうでしょう。

主人公は、ビルの屋上(ないしヴェランダ)から、町をみている。夕日が沈もうとしている。主人公は、その夕日を見て、遠い昔、屋根に上っていつも夕日を眺めていたことを思い出す。「そのころ、わたしの家の近くには、大きな森がありました。」という具合につながると、現在と過去の時間とがスムースにつながります。そのころ暮らしていた家のそばに森があった、という設定ではなく、そのころこの辺一帯は森だった、という設定でもいいかもしれません。

過去を回想する中で、主人公は、夕暮れの空を飛んでいたふしぎな白い鳥のことを思い出す。ふと、空を見て、主人公は白い鳥を見つける。あのころ見た白い鳥ではないか、と主人公は思う。まさか、と思うまもなく、鳥は、主人公のところへ降りてくる。そして、いきなり話をはじめる。

白い鳥が主人公に物語を語っているのは現在。そういうことにすると、話はずっとすっきりすると思うのです。そして語られる物語。語り終わったとき、主人公の手の中の貝殻が残される。

「これは、あの貝殻ではないか」と主人公は思い出す。森の奥に貝殻を埋めたのは、幼い頃の主人公本人だったのだ! いつか、そこに引き返して貝殻の実が成っているか、確かめるつもりだった。けれども、忘れてそれきりになってしまった。それをずっと忘れていた。手の中の貝殻を見て、主人公はすべてを思いだし……うわあ、悲しい!


このような構造にすると、話に必然の糸が結ばれて、ずうっと感情移入しやすくなるし、語られている時が移動しても、読者は充分についていけると思うのです。さて、そうなると、白い鳥が語る物語の内容が問題になってきます。それについては、明日の授業でお話ししましょう。では。

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奥野美和 鈴木一業 課題2(4)と自分のこと。 2001年05月24日(木)23時04分07秒

鈴木氏!すてきよ。
これ、わたしが書いたのだったらいいなあと思いました。
でもでも、ちょっとくやしい。
でも、なんにも浮かばなくてかけなくて、
やっぱり今週も書けなかった。あせる。

鈴木くんのをよんで、うわあ!と思って、
寮先生の言葉をよんでそっかあ、そうだなあと思った。

明日の授業はどうなるんだろう?
がんばれ、わたし。

ちなみに題名が、規則にあっていないかもしれません。
どうしたらいいか、わかりませんでした。

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横田裕子 課題2(2) 2001年05月24日(木)11時01分59秒

「さくらなみきの むこうがわ」

 しゅんは おとこのこだけど はなをみるのが 
だいすきです。
あかい チューリップも、おひさまみたいな
ひまわりも、なつやすみ はやおきして みる
あさがおも、みーんな。らして
 しゅんが いちばん すきなのは、さくらです。
だから、さくらのはなが いっぱいにさく 
はるがやってくると、しゅんは とっても
うれしくなるのです。

 ゆりなちゃんは しゅんの ともだちです。
かみのけが ながくて、いつも ピンクいろの
リボンをつけて います。ゆりなちゃんに
「ゆりなちゃんって、かわいい なまえだね。」
あるひ、しゅんが ゆりなちゃんに
いいました。
「ありがとう。でも どうして そう おもうの」
「ゆりの はな みたいだからだよ。
いいかおりがして、すごく きれいなんだよ。」
しゅんが そう いうと、ゆりなちゃんは   
ピンクいろ、いや、さくらいろのリボンを
ゆらして よろこんでくれました。

 はるです。
さくらの はながさく きせつに ゆりなちゃんの
たんじょうびは ありました。
 しゅんは ゆりなちゃんに なにか 
プレゼントを あげたいな、と おもいました。
そして、いままで おかあさんと いっしょ
にしか いったことのない ゆりなちゃんの
いえまで ひとりで いって、プレゼントを
とどけるのです。
 しゅんは なんだか わくわく してきました。
なにを あげようかな、と かんがえて、
「そうだ!」
ぽん、と てを たたきました。
 しゅんがもってきたのは ピンクいろの
おりがみに ちゃいろの おりがみ。
しろい がようしに のり。
しゅんは おりがみを こまかく こまかく
ちぎりはじめました。
 そして、のりで ぺたぺたと がようしに
はっていきました。
 ちぎっては ぺたぺた。
 ちぎっては ぺたぺた。
みるみるうちに さくらの ちぎりえの
できあがり。
 それを くるくる まるめて 
おかあさんから もらった あかい
リボンを きゅっ、とむすびました。
「でーきた!」
しゅんは まんぞくそうに わらいました。

 さて、ゆりなちゃんの たんじょうびに
なりました。
 とても いいてんきです。
「いってきまーす!」
しゅんは プレゼントを もって
げんきよく いえを でました。
「きをつけてね。」
おかあさんが てを ふっています。
 ゆりなちゃん、この えを
きにいって くれるかな。 
 しゅんは そんなことを
かんがえました。おかあさんと
あるいた みちを おもいだしながら。
 てくてく、てくてく・・・。

 ゆりなちゃんのいえは さくらのきが
いっぱいならんでいる みちを ぬけた
ところにありました。
 だから、さくらのきが めじるしになって
います。
 そのさくらの ところに しゅんは
やってきました。
 ここを とおりぬけたら、ゆりなちゃんの
いえが あるんだ!
 しゅんは どきどきしてきました。
なにしろ、ゆりなちゃんの いえまで
ひとりで いくのは はじめてなのです。
 さくらのきを みあげて みました。
まんかいの さくらが さわさわ ゆれて
います。
 ところが、しゅんの あしは じめんに
ぴったり くっついたように はなれません。
じぶんの あしでは なくなった みたいです。
 しゅんがみた さくらは、とても おおきくて
それが さわさわしているので
 しゅんは とたんに こわく なってきました。
ひざが がくがく しています。
 でも このまま いえに かえってしまっては
ゆりなちゃんに あうことも できません。
 しゅんは それだけは いやだな、と
おもいました。
 もういちど、さくらのきを みあげてみました。
やさしい かぜに ふかれて はなびらが 
ふうわり ふうわり ちっていきます。
しゅんが つくった ちぎりえに
そっくりです。
 そのとき、しゅんが もっていた ちぎりえから
しろい ひかりが うかびあがりました。
 しゅんがぎゅっ、と めをつぶり、おそるおそる
めを あけて みると・・・。
そこには あの ちぎりえと おんなじ さくらが
ならんでいるでは ありませんか。
 ピンクいろの おりがみと ちゃいろの 
おりがみで つくった さくらが ずぅっ、と
つづいて います。
 もう、ばけものなんかに みえません。
 ちっとも こわくありません。
しゅんは おおきく いきをすって、
はしりだしました。
 さくらの トンネルを、しゅんは かぜを
きって はしってゆきます。
 すると、むこうに だれか いました。
ピンクいろの リボンに ながい かみ。
 ゆりなちゃんでした。
しゅんは さくらが ほんものの おおきなきに
もどっているのに きがつきません。
 しゅんは、とうとう ゆりなちゃんの ところに
たどりつきました。
 「たんじょうび、おめでとう!」
しゅんは プレゼントを ゆりなちゃんに 
わたしました。
 あかいリボンを しゅるん、と ほどいて
さくらのちぎりえを みた ゆりなちゃんは
 「わぁ、うれしい!これ、しゅんくんが
つくったの?」
 と、よろこんでくれました。
しゅんは おおきく うなずきました。
 
 それから ふたりは ゆりなちゃんの
おかあさんが つくった おいしいケーキを
たべました。
 ゆりなちゃんの へやには しゅんが
プレゼントした さくらのちぎりえが
かざってありました。


   おしまい


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寮美千子 鈴木一業 課題2(4) 2001年05月24日(木)02時18分31秒
pttp0001.html#pttp20010523144405への応答

「ぺよらま」


実に面白くて楽しいお話です。
矢継ぎ早に、こんなお話を出してくる鈴木さんは、ただ者ではない!
もう、べたぼめしてもいいくらい。


とはいうものの、やっぱり指摘すべき点はいくつかあります。
「物語」として、きちんと完結していない、というか、
やっぱり尻切れトンボ的なところがあって、物語としての体をなしていない。
これはどうも、鈴木さんひとりの問題ではないらしいと、
みんなの作品を読んでいて、気づきました。


「物語には作法はない」というのが、わたしの持論だったけれど、
「やっぱり作法はある」と言い直さなければいけないなと感じています。
わたしが「作法はない」といったのは、作法を充分に理解し、身につけた上でなら、
どんな掟破りもOKだということです。
意識的に破ることで、その人独自の表現が生まれる可能性がある。
しかし、意識的に作法破りをするためには、まず作法を身につけなければならない。
その作法が、まだ身についていないなあと感じたからです。


ひとつの物語を読んだ、という満足感を読者に与えるためには、
物語が、きちんとどこかに落ち着かなければならない。
作中で起こった事件や問題が、解決するか、ないしはある場所に落ち着くかしないと、
物語の完結感がなくなります。
宮田さんの「てのなかのゆうひ」も、のんちゃんは事実上トイレに置き去りだし、
鈴木さんの「ミーコ」も、町の人とミーコの関係が、きちんと閉じていない。


この「ぺよらま」も然り。
現在のシーンからはじまって、回想シーンに突入しているのに、
物語の結末が、きちんと現在に戻っていない。

>それからペヨラマはまいにちやってくるのです。

の一行で、すませてしまっている。
たったいまの主人公とペヨラマの入浴シーンに、きちんともどってくるべきです。


物語の中で「ひとりでお風呂にはいるのがいや」という主人公が、
ペヨラマに出会って、そんな自分をはずかしいと思う。
おや、これは「ひとりのお風呂はいや」の、克服物語なのかな、と読者に予感させる。
けれども、その結果が、書かれていない。
主人公は、その日以来ずっとペヨラマといっしょにお風呂にはいっているのですから。


そんなわけで、提案です。こうしたらどうでしょう。
ラスト、現在の入浴シーンに戻ってくる。
ペヨラマは、毎日ではなくて、その日以来、時々やってくる。
ペヨラマの来ない日も、主人公は「きょうはペヨラマが来るかなあ?」と
心待ちにしてしまう。
「来るかなあ」と思うだけで楽しくて、お風呂がいやじゃなくなったばかりか、
「もうちょっとしたら、くるかもしれない」と思うと、
いつもより、つい長くはいってしまう。
そのようにすれば「からすの行水」式だった主人公の入浴スタイルも改善される。
物語の中で投げかけられた問題を、きれいに解決して終われるわけです。


ペヨラマが語った「ぺよろん」の意味。
ここが物語でぐっとくるところ。
それを、ラストシーンにうまくとりいれたらどうでしょう。
こんどが、主人公の方がわざと「ぺよろん」といってみる。
その時のペヨラマの反応は? どうなるだろう。
これも、ペヨラマがある感情をあらわにした「呼びかけ」に対する「応答」。
一方的な呼びかけだけではなくそれに応える「コール&レスポンス」も
完結感をもたらす重要な要素です。


このような点を念頭に書き直せば、もっといい作品になると思います。
が、問題はそれだけではない。
ま、細かいことは授業で指摘しますが、いくつかあります。

まず、話者がだれであるのか?
現在のシーンは、どうみてもテクノの一人称。
それが回想シーンになると、いきなり三人称。
これはやっぱり、統一しないとヘンです。作法として。

主人公の名前はこれでよいのか?
「ペヨラマ」というよくわからないエキゾチックな響きを生かすためには、
主人公はむしろわかりやすい、現実の名前、たとえば「タロウ」のような
典型的な名前の方がいいのではないか?
主人公が「テクノ」では、物語ははじめから、ここではないどこか、
不思議の国の物語になってしまいます。
それでは、この「ペヨラマ」の不思議さが生きてこない。

さらに、表記の問題。
カギカッコ内と時の文章で、わざとカタカナとひらがなの表記を逆にしたり、
カギカッコとカッコを、わざと併用したりしている。
工夫しているな、とは思うけれど、充分にコントロールがきいて、
効果をあげているとはいえない。
むしろ、読む側に余計なつまずきを与え、物語を邪魔しています。
「作法破り=破格(文芸用語)」をするためには、
まず「作法=定型」を、使いこなしてからです。


以上、たらたらと細かい点まで指摘しましたが、これは作品がダメということでは、
まったくありません。その逆。
すばらしいイメージがその中心にある。そのことに感心します。
それを、どうやったら全開できるのか。
そのための「物語の作法」でありました。

それは、鈴木さんの作品だけに限らず、
この授業をとっているみんなの作品に感じています。期待してます。


しかし、このわたしが「作法」なんてことを言うようになるなんて、
夢にも思わなかったなあ! やれやれ。

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西浦多樹 課題2(2) 2001年05月24日(木)01時40分02秒

新しい作品も提出されてますね!すごいなあ。
さて、私はというと、前回提出した作品について、
前回の講義後に先生からコメントをいただきましたので、
それをもとに書き直してみました。
先に、先生からのコメントを簡単にお伝えしておきます。

・出し惜しみするべき言葉の多用が目につく。
  私の場合だと、やたら「美しい」という言葉があります。
  美しいものを「美しい」という言葉を使わずに表現する。
・ラストで印象が変ってしまった。説明のしすぎ。
  書いた後の居心地の悪さは、どうも最後のシーンが
  自分にもしっくりこなかったところにあるみたい(^^;
・伝聞として書くか「現在のわたし」まで戻して終わるか。
  ということで、今回「現在のわたし」まで戻してみました。

あとは、気が付いた細かいところのつじつま合わせをしました。
それでは、「ひとつぶの海」。ちょうど原稿用紙8枚です。


「ひとつぶの海」

 わたしが小さいころ暮らしていた家の近くには、大きな森がありました。夕方になってから屋根の上にのぼって森を眺めていると、木々が風になびいているのが見えました。風は木にふれるとあめ色に染まり、太陽は風をその大きな手の平で集めたかと思うと、一瞬にして森の向こうへと連れ去っていくのでした。
 その頃のわたしには、風が吹きぬけるほかは、なにもおこりませんでした。ほんとうは目をさましていなかったかもしれませんし、記憶まで風にさられたのかもしれません。しかし、たしかにあの晴れた夏の日の夕方、わたしがいつものように屋根の上から森をながめていると、一羽の白い鳥が、森のどのはじからもいちばん遠いと思われるところの上を、ぐるぐると一心に飛んでいるのがみえました。そして、一瞬、しずみかけた太陽がぎらっと強く、白い光を放ちました。眩しくてわたしは目をきつくつむりました。
「もういいかい」
 小さく声が聞こえます。声のする方を見ると、それは真っ白な鳥でした。まさに、森の上を飛んでいた、あの鳥でした。
「もういいよ」
 思わずつられてそう続けると、その鳥はくしゅんと小さく、くしゃみのような笑い声をたてました。それは、風よりもたしかに空気をふるわせました。
「それじゃあ、はなすよ」
 小首をかしげた鳥の姿は、まるで遠い国から流されて海岸に打ち寄せられた手紙のように、彼方にあるうすれた思い出のかけらをひきよせるのでした。
(なんだろう…なんだったろう…)そう思っているうちに、鳥は話しはじめました。

 森のいちばん奥にだって木はあるんだよ。え? 知っているって? いいや、ちゃんとそれを知っている人は、ほんとうはいなかったんじゃないかな。だって、もし知ったら、人はなんとか見つけ出して、その木をすぐに切ってしまったろうからね。
 そう、その木はとてもすてきだった。そして、あまりに小さかったんだ。まわりの背の高い木が空に向って歌っている間、小さな木は大地を見て考えごとばかりするようになった。まわりの木たちにもどうしようもなかった。小さな木はそれを知っていたし、決して誰にも文句を言うことはなかったよ。
 けれど、小さな木は、哀しかった。そして、まわりの木も、そんな小さな木がそこにいるだけで、やっぱり哀しい思いをしていたんだよ。哀しいけれど、それはほんとうに、誰にもどうしようもないことだったんだよ。
 そんなある夏の日の午後に、あの少女がきたんだ。晴れた空にうかぶ入道雲をいっぱいくっつけたみたいな真っ白いワンピースをきて、もも色のリボンがついた麦わらぼうしをかぶって、少女は森のいちばん奥の、小さな木が立っている場所に歩いてきたんだ。
 どうしてかわからない。きっと、うんと哀しいことがあったんだろう。少女は目にいっぱい涙をためて、小さな木が立っているすぐそば、その木の根本までくると、わっとつっぷして泣き出してしまった。そうしてしばらくして泣き止むと、少女はポケットからなにかを大事そうにとりだし、そっと指につまむと、光にかざすようにした。
 それは小さな巻き貝だった。小さな木はどきどきした。貝殻にどきどきしたんじゃなくて、少女がまた泣き出してしまわないかと心配したんだ。だって、光が届かなくて小さいままの自分よりももっと小さい女の子までなんて、ちっとも届かないと思ったから。
 けれど、少女は泣かなかった。泣かないばかりか貝殻を見つめる目はまぶしいくらいに輝いていた。涙にぬれた後だったからだろうか。たくさんの生きものが住んでいる海みたいな目をしていた。そして、少女はなにかつぶやくと、その貝殻を埋めたんだ。小さな木がたっている、その場所に。
 その晩、小さな木はなかなか眠れなかった。昼間の少女のことを思っていたから。少女が哀しかったことはなんだったんだろう、少女が埋めたものはなんだったんだろうってね。
森の奥の奥に小さく生きている木には知るよしもなかった。でも、小さな木ははじめて、足元に広がる大地から、たしかな鼓動と、自分の中に音をたてて流れる水脈を感じたんだ。
 すると、天上から光が注いできた。空を見上げた。そこには限りなく満月にちかい月があった。できうるかぎり枝という枝をのばすと、月の光を含んだ大気が体中に流れていく。そうして、深い眠りにおちていった。
 小さな木が目覚めると、そばには鹿がとろんと目を泳がせて寝そべっていた。そして、「ごきげんよう。今宵もお月さまがきれいですね。」とおちょぼ口ですまして言った。
「ご、ごきげんうるわしゅう、鹿さん」
 小さな木は思いつく限りでいちばんとっておきのあいさつをしたので、武者震いするように枝がふるえた。すると、聴いたことのない、染み入るような音色が、辺りいっぱいに飛び散ったんだ。
「ああ、なんて美しいのでしょう。」
 鹿はぴょんと立ち上がると、木にいった。
「ねえ、そのきれいに光っているもの、ひとついただけないかしら」
「え? 光っているものってなあに?」
「とって見せてあげるわ」
 鹿は小さな木に近寄ると、枝に口を近づけた。そして、かすかな音をさせて、それをとって、小さな木に見せたんだ。
「あっ、あの女の子が埋めたものだ」
 それは白く輝く巻き貝だった。月から注ぐ銀の光がまぶされて、まるで星のような。
「あなたの枝にたくさん実っているわ。きれいな声が風にのって聞こえてきたからここまできたのよ。そしたらこの実が遠い海の話をしてくれたの。ああ、ほんとうにすてきだったわ。ありがとう。海のお話なんて、わたしはじめてよ」
 鹿はこれ以上はないというくらいていねいにおじぎをすると、暗がりへと消えていった。
 そうして、次ぎの晩も、その次の晩も、目覚めてみると森の動物がきていた。そして、小さな木の知らない間に貝殻は海の話を動物たちにきかせ、動物たちは喜んで木にお礼を言っていく。それなのに、小さな木は一度も貝殻の話を聞いたことがなかったんだ。
 そうしているうちに、まるかった月は何かに急いでいるように欠けていった。貝殻もあとひとつしか残っていない。小さな木は感じていた。自分の命ももう長くはないことを。

 そこで鳥はほおっと息をつき、すっと見通すような目をすると、「あの時の月は、わずかに開いた窓からこぼれる光のようだった。それは森をほんの少し海の匂いにつつんで、そして消えていったんだよ」といって、またほおっと深く小さな胸をいっぱいにして息をついたのでした。
 森の向こうを見やると、太陽がぐんぐん森に吸い込まれていました。最後の一筋の光が空と森のすきまに差すと、ぐんとわたしたちの間を吹き抜けた風もまた、その場所へと流れ込んでいきました。そして、ふと鳥の方を見ると、そこにはもうその姿はなく、わたしの手の中に、まるで置き手紙のように白い巻き貝があったのです。
 貝殻は今もここにあります。けれどわたしはまだ、貝殻から海の物語を聞いていません。というのも、わたしにはこの巻き貝が、あの鳥がはなしてくれた、森の小さな木になっていた最後の貝殻のように思えてならないのです。これをなでるたび、森をつつんだかすかな海の匂いが、たえず遠く彼方へとかすんでゆくはずの時間とともに、すぐそばを流れているような気がするのです。

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根本 紗弥花 高橋阿里紗 課題2(1) 2001年05月23日(水)19時56分11秒
pttp0001.html#pttp20010523044038への応答

「心をください」の感想

ほとんど寮さんと同意見ですが。(多分)
ピノキオもそうだけど、うさぎや蛇のセリフなんかも、どっかで聞いた話のような気がする。
いろんなお話の要素をまぜて組み立てられてる感じがして、高橋さんのオリジナリティと言うものがよく見えない気がします。
それに、うさぎの視点と、ヘビ、ふくろうの視点にかなり食い違いがあるのも気になります。
うさぎは、うさぎにとって心とはどういうものか?という話をしてるのに、ヘビ、ふくろうは一般の話になってしまいます。こういう書き方では、うさぎが妙な浮き方をしてしまう感じがする。
物語としては、自己中な(?)森の動物たちにロボットがもっともっと翻弄されてる方が面白いと思う。
これじゃあ書きたらなかったろうなぁ、という感じがしました。もっと長い話にすると生きると思います。

▽ブレーンストーミング

ロボットが森を歩いていると小さなねずみにでくわしました。
ねずみは、ロボットを見るなり回れ右して逃げだそうとしました。
心がどこにあるのか知りたいロボットは、思わず「待って!」と、ねずみのしっぽを捕まえてしまいました。
「ぎゃっ!!」
ねずみは金切り声を上げて飛び上がりました。
「ごっごめんなさいっ!」
ところが、ロボットがそう言うか言わないうちにねずみは大声でわめきだしました。
「ごめんなさい!ごめんなさい!! お願い、ぼくを食べないで!!」
ロボットはきょとんとしてしまいました。
「大丈夫。ぼくは君を食べないよ。ただ、心がどこにあるか知りたいんだ。」
ねずみはまだぷるぷる震えています。
ロボットは、もう一度、今度はゆっくり言いました。
「ねぇ、心って、どこに、あるのかなぁ?」
ねずみは少し考えて、震える声で答えました。
「心?考え、るって、こと?そんな、こと、する、余裕が、ある、の、は、巣穴の、中で、だけ、だな。だから、心って、のは、穴の、なかに、あるんじゃ、ないのかな。」
「そうか、ありがとう。」
ロボットがしっぽをはなすと、ねずみは一目散に逃げ去っていきました。
そのとき、すぐ後ろでバサっと音がしたかと思うと、すぐ隣にタカが飛び降りてきて、大声で怒鳴りました。
「何で離しちまうんだよ!あのねずみはオレさまが狙ってたんだぞ!!」
「ごっごめんなさい。」
ロボットは自分がいいことをしたのか悪いことをしたのかよくわからないまま謝りました。
タカはまだ隣でぶつぶつ言っています。
ロボットは勇気を出してタカにも聞いてみました。
「ねぇ、タカさん、ぼく、ロボットなんだ。だから、心がないの。それで、心を探してるんだけど、どこにあるか、知りませんか?」
タカは腕組みをして少し考えたかと思うと、ばっと羽を広げて言いました。
「オレさまの心はこの空だな。
オレさまの調子がいいときは、空もスカッと晴れるし、狩も成功だ。オレさまが沈んでいれば空も一緒に泣き出すのさ。それに、こんなにオレさまに似合うものもないだろ?」
タカはそう言って、うんうん、と、勝手に納得してまたバサっと飛び立ってしまいました。
見上げると、木々の間からスカッと晴れた空と、その中に黒い一点になって消えていくタカの姿が見えました。
ロボットは、今までなんとなく、心とは体に中にあるものだと思っていました。
でも、タカもねずみも、心は外にあると言います。
ロボットはなんだかわからなくなって、途方にくれてしまいました。


・・・・長くなってしまった・・・。
でもこの感じで続けてっちゃうと、「自己とは他者との比較の中にのみ成り立つ」という壮大なテーマに持ってっちゃいそうなので、辞めた方がいいかも・・・。
あと、書いてて勝手に思ったんだけど、ロボットに名前が欲しい・・・そのほうが読み手を引き込みやすいような気がする。
あと、関係ないけど、私が書くんなら、ラストは「金の斧銀の斧」オチ(女神様オチ)じゃなくて、「青い鳥」オチにするかなーと思った。
発想の面白さと、文章の面白さを前面に出すんなら面白いストーリーの流れだなと思いました。
長くなってすみません。あたらしもの好きの根本でした。

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根本 紗弥花 鈴木一業  課題2(4) 2001年05月23日(水)18時43分15秒
pttp0001.html#pttp20010523144405への応答

「ぺよらま」の感想。

・・・かっかわいいっ!!
ほんとに、ミーコにしても、ぺよらまにしても、鈴木くんのって、世界も、名前も、言葉の使い方も、すごく独特で面白い!
私はすごく好きです。
で、ちょっと欲を言えば、お風呂が嫌いの説明のところで、テクノが楽しそうなことが、ちょっと引っかかる。
お風呂嫌い→好きという流れをもうちょっとわかりやすくしたらどうかなと思いました。
でも、
「きょうもはいったらすぐでよう。(あたまもからだもあらわないよ!)」
 そうおもいながら、ちょっとたのしくなってきました。まるでゲームみたいだとおもったのです。
 「よーし。どれくらいはやくでれるかな。(5ふんいないにちょうせんだ!)」
 テクノはそういってせっせとふくをぬぎました。それからすぐにおふろばにかけこみました。
のところは、これはこれでとても面白いので、こういうパターンでも作ってみたらどうかなとも思いました。
あと、もうひとつ欲を言えば、続きを読みたい!
これで続きもの、というのもいけるんじゃないでしょうか?
いいなぁ、すきだなぁ、鈴木くんの。

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鈴木 一業  課題2(4) 2001年05月23日(水)14時44分05秒

ミーコに似てるかもしれない。

ぺよらま

 「コンバンワ。てくの。」
 「コンバンワ。ぺよらま。」
 おふろにはいっていると、またぺヨラマがやってきました。いつもみたいにまどのすきまからムニューッとかおをだしながら、めをパチパチさせてあいさつします。
それからボチョンとおとをたててゆぶねにはいってきました。
 「うーん。きょうもいいゆだなあ。」
 ぺヨラマはしずんだりうかんだりしながら、いつもおなじことをいいます。
 「いいゆだなあ。」 「あったかいなあ。」
 「きもちいいなあ。」「ぺよろんぺよろん。」
 こればっかりです。「ぺよろん」というのは、「たのしくていいかんじ」といういみらしいのです。
 ぺヨラマがはじめてきたのは、いっしゅうかんまえのすこしさむいひでした。
 
 テクノはおふろにはいるのがだいきらいでした。なぜならひとりぼっちになるし、せまくていきぐるしいからです。
 「きょうもはいったらすぐでよう。(あたまもからだもあらわないよ!)」
 そうおもいながら、ちょっとたのしくなってきました。まるでゲームみたいだとおもったのです。
 「よーし。どれくらいはやくでれるかな。(5ふんいないにちょうせんだ!)」
 テクノはそういってせっせとふくをぬぎました。それからすぐにおふろばにかけこみました。
 すると……。ゆぶねのなかになにかがうかんでいました。

 「なんだかまるくて、もさもさしていて、ごろごろでへんだなあ。(あたらしいおもちゃかなあ!)」
 それをみてテクノはおもいました。それからちかづいてさわってみることにしました。ちかくでみるとますますへんでした。けがびっしりとはえていて、ざわざわとうごいていました。すこしこわかったけど、テクノはゆびでツンとさわってみました。すると、まんまるのめがくりっとあいたのです。
 「ああ。コンバンワ。」
 それはテクノにはなしかけてきました。

 もうテクノはなにがなんだかわかりませんでした。おもちゃだとおもっていたものが、しゃべったのです。そこでテクノはとりあえずあいさつをしました。
 「やあ。コンバンワ。(おばけだったらどうしよう!)」
 するとへんなものが、ぱあっとわらいました。なんだかこわいようなかわいいようなふしぎなかんじです。
 「これはすごくあったかいなあ。きもちいいなあ。ぺよろんぺよろん。きみもはいりなよ。うん。はいろうよー。」
 そこまでいわれたら、はいらないわけにもいきません。テクノはそっとゆぶねにはいりました。

 「ところできみ、なんていうの?ぼく、ぺよらまっていうんだ。」
 「ふーん。(おかしななまえだなあ。)ぼくは、てくの。」
 ぺヨラマはふしぎなかっこうです。ちょうどテニスボールなんかににています。
 「ちょっとあついなあ。ふう。」
 ぺヨラマがそういうので、テクノはじゃぐちをひねってみずをだしました。すこしぬるくなりました。
 「うーん。いいゆだなあ。」
 そういって、またぱあっとわらいました。テクノはだんだんとぺヨラマのことがこわくなくなってきました。

 ぺヨラマはゆっくりとうきしずみしながら、いいました。
 「あのねえ。ぼくはちょっとかわったかっこうだとねえ。だからいままではてくのとかがねむってから、ひとりでおふろにはいっていたんだー。みんなこわがるとおもったからさ。でもてくのはへいきみたいだねえ。うーん。だからちょっとおれいをするよ。」
 テクノはなんだかはずかしくなりました。ぺヨラマはいつもひとりだったのです。
 「ぼくのすきなばしょにつれてってあげるよー。」
 するとおふろばのかべがまっくろになりました。テクノとぺヨラマのはいったゆぶねだけがういているようでした。そしてかべにポツポツとあかりがうきでてきました。それはまるでほしくずでした。

 「すごいなあ!ほしのおふろにはいっているみたいだよ。」
 テクノはおおはしゃぎです。しばらくすると、またもとのおふろばにもどっていました。
 「ああ。ぺよろんぺよろん。」
 ぺヨラマがいいます。
 「ぺよろんって、なに?」
 テクノがききます。
 「ふたりでいることだよー。」
 そういって、まどからでていきました。
それからぺヨラマはまいにちやってくるのです。

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鈴木 一業  課題2(3) 2001年05月23日(水)13時29分15秒
pttp0001.html#pttp20010522173522への応答

ミーコのあめがふってくる  

 ミーコはどこにでもいるふつうのおんなのこです。いつもどろだらけで、かみのけなんかはごしゃごしゃです。めはピカピカとかがやいています。ミーコはうたをうたうのがだいすきです。ほらほら、きこえてきた。みみをすましてごらん。ミーコがどこかでうたっているよ。
 よいてんきです。あたまのうえでたいようがキラキラしています。ミーコはすこしとおくのおかのうえにいました。
 おかのうえは、ピンクの花がたくさんさいています。ここからはミーコのすむまちがおもちゃみたいにちいさくみえます。おかのうえは、ミーコのひみつのばしょなのです。

 「チカチカきいろいおひさまグルグル。おそらまっさおプルルンミーコ」
 ミーコのうたがきこえてきました。
 ミーコがまちでうたうと、みんなちょっとこまります。あまりにこえがおおきいのでねているあかちゃんはおきてしまうし、おじいさんはびっくりしてしまうからです。だからミーコはおかのうえでうたいます。
 それでもミーコのうたごえはすごくおおきいので、おかのしたのまちまでとどきます。するとまちのみんなは、
 「うーん。なんてばかでかいこえだ。まったくおかのうえでもかわらんな。」
 なんていって、すこしふきげんになります。
ミーコのうたはちょっとめいわくなうたなのでした。
  
 ミーコはおかのうえにくるときいつももってくるものがあります。それはミルクのはいったすいとうです。たくさんうたをうたうとのどがかわきます。ミーコはすいとうのふたをあけて、ごくごくとつめたいミルクをのみました。のこったミルクはすぐそばにあるちいさな木にあげます。ミルクをあげながら、ミーコはまたうたいだしました。
 「ねえねえグングンのんだらねえ。きっとモリモリでかくなる。」
 ミルクがなくなったら、こんどはポケットからハンカチをだして木をごしごしふきながらうたいます。
 「ツルツルランランきれいになって。こんどはミーコをきれいにしてね。」
 ミーコはごしゃごしゃのかみをなでながらなんだかわくわくしてきました。

 そのときです。ミーコのまわりがざわざわしてきました。ちいさなちいさなこえがたくさんきこえてくるのです。
 「ミーコさん、ミーコさん」
ミーコはびっくりして、どきどきして、わくわくして、まんまるでおおきなめをいっそうピカピカさせました。 
 ちいさなこえがまたいいます。
 「ミーコさん、ミーコさん。」
 ミーコはみみをすまして、そのこえのするほうをみてみました。なんとそれはあしもとのピンクの花のこえだったのです。たくさんのちいさなピンクの花が、ミーコのことをじっとみていました。

 「ミーコさん、おねがいがあります。きいてください。」
 「ええ、どうしたの。おどろいたわ。」
 ミーコはゆっくりとしたこえでいいました。でもほんとうはびっくりしてしかたがなくて、なんだかいまにもとびあがりそうでした。
 ピンクの花がもうしわけなさそうにいいます。
 「じつはさいきん雨がふらなくて、わたしたちののどはカラカラです。ちいさなこどもたちももうやせてますますちいさくなってしまっています。どうかそのてにもっているミルクをすこしわけてもらえないでしょうか。」
 なんてかわいそうなんでしょう、とミーコはおもいました。みずをあげたいわ。でもこまったことに、すいとうはからっぽです。

 「ごめんなさい。すいとうのなかにはもうなにもないの。」
 ミーコがそういうと、ピンクの花はかなしそうにしたをむいてシンとしてしまいました。
ちいさなこどもの花たちはいまにもなきだしそうです。でもどうにかみずをあげたいとおもったミーコは、かんがえました。もしかしたらミーコのおおきなこえなら、おそらにとどくかもしれません。ミーコはうたいはじめました。
 「ポロポロピコピコあまつぶひとつ。ズムムンおおきなくもひとつ。」
 ミーコのこえはどんどんおおきくなります。
 「キンキラたいようよっといで。ちっちゃいなみだをとめとくれ。」
 するとどうでしょう。いっしゅんたいようがひかったとおもうと、じわじわとかげがおおきくなってきました。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。ポツリ、ポツリ、ポツリ。雨がふってきたのです。
 
 おおきな雨のつぶが、ちいさな花たちにあたります。またざわざわとしはじめました。
 まちのほうもさわがしくなってきました。なにせひさしぶりの雨です。おとなもこどももおおはしゃぎしています。もうミーコのうたはめいわくなうたではありません。
 ミーコはまだうたっています。どうやらたのしくてやめられないようです。雨のつぶのひとつひとつにミーコがうつって、まるでたくさんのミーコがふってきているようです。
 まちやおかのうえは、うたと雨につつまれてミーコだらけになっているのでした。
 ミーコはどこにでもいるふつうのおんなのこです。いつもどろだらけで、かみのけなんかはごしゃごしゃです。めはピカピカとかがやいています。きっときみのちかくにもいるよ。 



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寮美千子 高橋阿里紗 課題2(1) 2001年05月23日(水)04時40分38秒

「”心”をください」という作品が高橋さんから提出されましたが、パソコンが壊れているとのことで、手書きでした。先日、みなさんにコピーをお渡ししましたので、それを参照してください。内容は、こういったものです。

あらすじ/おじいさんがロボットをつくる。ピノキオとおじいさんを彷彿とさせるシチエーションです。ロボットは「心」がほしい。心を探しにいくロボットは、途中であったうさぎ、へび、ふくろう、などに心の在処を尋ねる。そしてたどりついたのは、湖にいる森の女神。女神はいう「心はだれかに与えられるものではない。大好きな人のそばで育つのです」と。ロボットは、だいすきなおじいさんのもとにかえっていく。


古典的な繰り返しの手法を使った、よくまとまった作品です。ぐるりとめぐって、おじいさんのところにちゃんと戻ってくるのも、物語として完結感があっていい。よくできています。


強いて言えば、ちょっと説教臭い。説教が悪いわけじゃない。「説教臭い」と感じさせてしまうところが問題。しっかり説教をして、それでいて、少しも説教臭いと感じさせなかったら、作品は大成功でしょう。


そのためには、どうしたらいいのか。
物語が、文句なしに面白ければ、結論がどんなにまっとうな説教であっても、説教臭くなくなります。


この物語でいえば、繰り返しの面白さ。それがほんとうに面白くならなくてはなりません。
で、どうなっているかと見ると……、その面白さが充分に生かされてないように思います。


うさぎ、へび、ふくろうと、動物を出しても、それぞれの特徴がいまひとつ出ていない。「ははあ、あの動物なら、確かにそんなところに心があると思うだろう」という深い納得もない。それぞれの動物が考える、もっともっと面白い「心の在処」を考えてみたら、どうでしょう。もっとぶっとんだ、もっと面白い、もっと笑っちゃう、もっとはらはらするような「心の在処」。


そこで、緊急提案です。みんなで「森の動物が考える心の在処」を出しあってみてはどうでしょう。もちろん、作者本人もがんばって考えて欲しいけれど、みんなでいろいろと考えてみることで、思わぬアイデアが出たりするものです。
(こういった手法はブレーンストーミングと呼ばれ、広告業界ではよく使われます)
思いつき次第、掲示板に書き込んでください。次の授業では、それを題材に、みんなでブレーンストーミングしてみましょう。ともかくみんな、考えてみてください。よろしく。

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寮美千子 宮田和美 課題2(1) 追加と訂正 2001年05月23日(水)04時15分06秒
pttp0001.html#pttp20010523010530への応答

宮田和美 課題2(1)

宮田さんの作品の書き直し示唆で、訂正したい部分があります。

「てのなかのゆうひ」

この作品のなかで、感心した表現のひとつに、つぎの部分がありました。

>さあ ゆうひは どこにあるのかな?
>まくらのしたには ありません おといれにもないし 
>てーぶるのうえには めだまやきとみかんがあるけれど これもちょっと ちがいます

みかんと、めだまやき。
夕日とのイメージの類似。
これがすばらしいと思いました。
これを、ぜひ生かしたい。

ということになると、

3 あさ、目を覚まして、贈り物をさがす。なにがあるかな? とどきどきするのんちゃん。贈り物は、どこにもみつからない。

というというところは、変更せざるをえません。
夢の中で見ただけで、サンタさんには伝わっていないのだから
「なにがあるのかな?」という展開が自然ですが、
それを無視しても、宮田さんの「みかんとめだまやき」の表現をとりたい。
ということで、のんちゃんは、はじめから贈り物のゆうひを探すほうがいい。

まあ、いいわけはなんとでもなるでしょう。
このまま知らんぷりをして、原文のままでも、スピード感があるし、
スピード感を多少犠牲にできるなら、夢の中でサンタと約束したとか、
のんちゃんが寝ぼけていたとか、理屈もつけられます。
でも、ごちゃごちゃいうより、やっぱりストレートに探させた方がいいかなあ。

ともかくも、夕日と「みかん、めだまやき」というビジュアル・イメージは
凡庸なようでいて、思いつかず、説得力があると思いました。
それに、なにより、かわいいよねえ。

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寮美千子 杉本茅 課題2(2) 2001年05月23日(水)02時40分50秒
pttp0000.html#pttp20010518014115への応答

「トオルとカオルと時間の魔法」


8枚という規定をまったく無視しながらも、とても楽しいお話を書いてくれた杉本茅さんでした。ほんとうは、規定枚数を守り、それにふさわしい内容の作品を書く、というのも、勉強のひとつです。プロを目指すのだったら、そのような鍛錬も必要です。しかし、この授業では、それ以前に、なるべくそれぞれの資質を伸ばすような指導をしていきたいと考えています。というわけで、杉本茅さんの、規定枚数大幅オーバーのこの作品も、作品として受けつけることにしましょう。(ただし、公募の場合、規定枚数オーバーというだけで、読んではもらえないと覚悟してください)


この作品は、ざっと数えたところ400字詰め20枚弱あります。物語としては短編のうちに入る枚数です。この作品が、そんな枚数であるのも、内容の要請によるものであるということは、よくわかります。つまり、これだけたくさんの登場人物の性格を、それぞれ活かしながら、ひとつの物語としてまとめるのだとしたら、やはりこれくらいはかかってしまうでしょう。根本さんの指摘するように、冗長なところも見受けられますが、おおむね、これでいいと思いました。ただ、やはり冗長なところは、読者を飽きさせますから、よく推敲してもらいたいと思います。


何人かが、この作品を「漫画的」と評しました。わたしもそう感じました。また「ハリーポッター」的であるとも思います。(「ハリーポッター」それ自体が、ほとんど漫画ですが)。そして、それは悪いことではない、と思います。それが心から面白いと思うのであれば、それが作者の資質。その資質を充分に活かして「わたしが読みたかった物語」を書いていったらいいでしょう。課題1の回答を見ると、杉本茅さんは、やはり「ハリーポッター」のファン。なるほど、と思いました。


これは、少し手直しすれば、このまま学習誌の「読み物特集号」にでも載りそうな作品です。シリーズとして書きついでいっても、面白いと思います。むしろ、はじめから「大きな物語の一断片」として書かれているのではないでしょうか。その場合、「ハリーポッター」のように、「魔法」の背景にある物語、なぜ魔法があるのか? 社会の中で、どんな位置を占めているのか。そんなことまで、視野に入れて、作品をつくっていくといいでしょう。やってみる?


そのような資質の人に、8枚の作品を書け、というのは、むずかしことかもしれません。けれども、いい機会でチャレンジしてみようというなら、こんな方法があります。


8枚の作品に仕上げる場合、まず、これだけの登場人物を入れるのは絶対に無理だから、思い切って削らなくてはなりません。一番大事な骨格だけ残して、まったく別の作品を書くのだ、というつもりで考えること。そうしなければ、無理。


では、その「一番大事な骨格」とは、この物語の場合、なんでしょうか?
それは、アン先生でも、トオルでも、カオルでもありません。
この作品を「一話完結」の物語として成立させているもの。
そのアイデアの肝。それは「目の覚めないニワトリ」です。
「寝起きの悪いニワトリ」と言い換えてもいい。
だから、時計を盗まなくてはならない。
買えばいいけれど、起きられないので仕事にならず、給料がもらえないので、
買うこともできなくて、仕方なしに盗んでしまう。


そのニワトリの物語として描けば、まったく違う8枚の物語ができそうです。
時計を盗んだニワトリ。さて、どうなるのか?
どうやって、物語は収束するのか。
他の登場人物としては、ニワトリの雇い主であるおばあさんなどがいてもいいでしょう。
もちろん、この物語を収束させるために、魔法もいらなければ、アン先生と、双子も必要ありません。


というわけで、まったく別の物語として、再考してみませんか。
もちろん、杉本さんが書きたいのは、楽しい魔法の物語だということは、よくわかります。
それはそれで別に書くことにして、今回は、全く違うジャンルにあえてチャレンジ、という手もあります。そんな回り道をしないで、自分がほんとうに書きたい魔法物語を書きついでいきたい、というのなら、それもまた、いいでしょう。どっちにする?


「寝起きの悪いニワトリ」でなにか、お話のアイデアのある人はいませんか。アイデアだけでも、みんなで出し合ってみたら、面白いかもしれませんね。では。

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寮美千子 宮田和美 課題2(1) 2001年05月23日(水)01時05分30秒
../wako/pttp/assign2/miyata1.htmlへの応答

先日の授業で、宮田和美さんの「てのなかのゆうひ」を配布し忘れてしまいました。
宮田さん、ごめんなさいね。
ホームページにアップしてあるので、みなさん、そちらで読んでみてください。

../wako/pttp/assign2/miyata1.html

ここから先は、作品を読んでから、読んでください。

「てのなかのゆうひ」


あたたかいオレンジ色の光に満ちた、とてもいい作品だと思いました。
爪の中の夕日。
それが、夜になって消え、星がまたたく。
イメージがゆたかで美しく、ドラマ性もあります。
ことに、夕日がきえてしまって、爪の中がまっくらになったシーン。
どきっとしました。


けれども、物語として、どうも完結した気分になれない。
それは、なぜか?
爪がまっくらになって、トイレで泣いているのんちゃん。
物語は、こう終わります。

>でもね のんちゃん つめのなかを じーっと みてごらんなさい 
>まっくらくらの つめのなかに ちいさなほしが 
>きらきら きらきら またたいていますよ

さて、一体だれが、このせりふをのんちゃんにいっているのか?
謎です。
どこからいっているのか?
それも謎です。
作者がいっているのかもしれない。
それはのんちゃんに伝わったのか?
のんちゃんは、それで泣きやんだのか?
それも描かれていません。

これでは、のんちゃんがどうなったのか、わからないままです。
のんちゃんは、いまでもトイレでひとり、泣いているかもしれません。
これじゃ、どうも落ち着きが悪い。
物語として、いわゆる「尻切れトンボ」の状態です。

これがまず、一点です。


さらに、出だしにも問題があります。
「ゆうひ」は、誕生日のプレゼントとして贈られたことになっています。
贈ったのは、だれなのか?
「なにがほしいの?」と尋ねたパパなのか?
パパは、超常的な力の持ち主なのか? (まさか!)
そして、それを贈ってくれたはずのパパ(ないしだれか)は、
このまま消えてしまって、もう出てこない。
物語の中で、姿を消してしまうのです。
この、誰だかよくわからない贈り主のことも、読後、やっぱり釈然としなくて、
気がかりになってしまいます。


さて、このふたつの点を解決するには、どうしたらいいでしょう?
「問題は、このふたつだ」と思って、よーく考えてみると、自ずと答えは見つかります。
むしろ、問題の答えは、すでに問題そのものに含まれている、といってもいいくらいです。
では、考えてみましょう。


まず、夕日の贈り主は誰か? という問題。
ふつうのお家の、ふつうのパパに、そんな力があるというのは、無理があります。
はじめから、どこか超常的なところのある人物であれば、問題ないでしょう。
子どもにプレゼントをくれるような、超常的な人物とは、だれか?
それはもう、サンタクロースをおいて、ほかにはありません。
実にわかりやすい、誰でも知っているキャラクターです。

しかし、他のところでも指摘したように「イメージの安易な流用」に流れてはいけません。
もし、これをサンタクロースにするのだとしたら、
そこにちゃんと意味があるような登場のさせかたをしなければなりません。
では、どうしたらいいのか?
うんうん考えていても、わからないので、
まずは、もうひとつの問題点について、考えてみましょう。


終わり方が尻切れトンボ。
そして「ほしがまたたいていますよ」といったのが誰か?
最初に登場しただけで、消えてしまったその人物が、
ここでもう一度登場したらどうでしょう。
話が、すんなり落ち着くかもしれません。
では、試しにやってみましょう。

のんちゃんが、トイレでないていると、サンタクロースのおじいさんがやってきて、
のんちゃんにいいました。
「でもね のんちゃん つめのなかを じーっと みてごらんなさい 
 まっくらくらの つめのなかに ちいさなほしが 
 きらきら きらきら またたいていますよ」

おっと!
これもヘンだ。
サンタクロースの登場が唐突に過ぎます。


よく考えてみましょう。
だいたいが、幼稚園に現れるサンタクロースとは何者なのか?
白いヒゲをつけた、園の関係者です。
保父さんだったり、ボランティアのお兄さんだったり、
園長先生だったりするかもしれません。


ここまでくれば、ゴールは目前。
園の関係者なら、のんちゃんの鳴き声をききつけて、心配してトイレに現れても、
自然です。
では「サンタクロース=園長先生」ということに、仮に設定してみましょう。
そして、この設定で、もう一度物語を見直してみましょう。


1 クリスマスの前の日、ようちえんにやさしい目をしたサンタクロースがやってきて、みんなにお菓子を配り「なにがほしい?」と聞いてまわる。のんちゃんは、お人形はもっているし、ほしかったひらひらのドレスも、おばあちゃんに買ってもらったばっかりだし(まあ、ブツはなんでもいいのです)ほんとうにほしいものがわからない。だから、答えられない。

2 その晩、のんちゃんは夢を見る。オレンジ色のすてきな夢。目が覚めて、のんちゃんは「ゆうひがほしい」と思う。

3 あさ、目を覚まして、贈り物をさがす。なにがあるかな? とどきどきするのんちゃん。贈り物は、どこにもみつからない。

4 あきらめかけたとき、のんちゃんは爪の中に夕日を見つける。夕日は、爪のなかからにゅうっと逃げだそうとするので(そのとき、まぶしい光が爪からもれるかもしれない)のんちゃんは、あわてて手をにぎる。

5 ゆうひが逃げちゃうといけないので、のんちゃんは幼稚園で手をぐうにしたまま。

6 トイレでどうしても見たくなって、手をひらく。まぶしい光がもれてこない。みると、爪の中はまっくら。のんちゃん、泣き出す。

7 そこへ、園長先生がやってきて「どうしたの?」とのんちゃんにきく。のんちゃんがわけを話すと、園長先生はいう。
「でもね のんちゃん つめのなかを じーっと みてごらんなさい 
 まっくらくらの つめのなかに ちいさなほしが 
 きらきら きらきら またたいていますよ」
 
8 見てみると、そのとおり。のんちゃんは、びっくりして園長先生の顔を見る。白い眉毛の下で、きのうのサンタクロースとそっくりの目が、やさしく光っている。おわり


どう?
これなら、お話として、ぴったりまとまったと思うのです。
出だしと、結末を直せば、ほとんど原文を生かしたまま、いい作品になると思います。
宮田さん、この線で、書き直してみませんか。

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寮美千子 鈴木一業 課題2(2) 2001年05月22日(火)17時35分22秒
../wako/pttp/assign2/suzuki2.htmlへの応答

「ミーコのあめがふってくる」


雨を呼ぶミーコ。
雨の一粒一粒に宿るミーコ。

原始的な、アニミズムの力に満ちた、すばらしい作品だと思います。
文体も、それにふさわしい、リズミカルでシンプルなものです。
どこか、呪術の言葉を感じさせるような力があります。

しかし、残念なことに、細部の詰めが甘くて、作品が本来持っている力が生きてこない。
巫女的な力を持つミーコのパワーが全開していません。

どうしたらいいのか?


まず、冒頭の、ミーコと町の人の関係。
授業でも話しましたが、単に「よい関係」では、物語として起伏がない。
訴えてくるものがありません。
ミーコがなぜ、丘の上で歌うのか?
丘の上で、歌わなくてはならないのか?

そのことを、よーく考えてみると、すでに答えは、物語の中に書かれていました。
「とてつもなく大きな声」というのが、その答えとしか思えない。

声が大きすぎて、迷惑をかけるから、丘の上にのぼって歌う。
自然に、そういう展開が考えられると思います。

前々回の授業で指摘しましたが、この点、改稿でも直っていないので、
再び指摘させてもらいました。

そのような展開にすると、最後の場面もとても落ち着きます。
ミーコの声を迷惑がっていた人々が、ミーコの声によって、
乾きをいやされ、よろこびをもたらされる。
物語が、物語として、完結します。


もうひとつ、気になるのは、この部分です。

>でもどうにかみずをあげたいとおもったミーコは、かんがえました。
>そして雨をふらせるためにうたをうたうことにしたのです。

「雨をふらせるために」と、最初からミーコが思っている。
これでは、最初からミーコに超能力があることになり、本人もそれを知っているということになってしまいます。
それは、不自然。
やはり「雨が降ったらいいなあ」というミーコの気持ちが、天に通じる、という解釈がふさわしいと思います。


この路線でのさらなる改稿はいかがでしょうか?

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寮美千子 根本紗弥花 課題2(2) 2001年05月22日(火)15時10分02秒
../wako/pttp/assign2/nemoto2.htmlへの応答

「でいだらぼっちのせかいいっしゅう」

▼安易なイメージの借用ではなく、自分のことばで描こう!

根本紗弥花さんの作品「でいだらぼっちのせかいいっしゅう」。
とても面白い発想のものがたりですが、先日も授業で指摘させてもらったように、安易なイメージの借用が、作品が本来内包しているはずの力を弱めていると思います。惜しい。

たとえば「でいだらぼっち」というイメージ。
日本民話の大男伝説の借用ですが、どうしても民話のイメージに引っ張られる。
「ちぎって増える不思議な巨人」という作品固有の大男の有り様を
読者が心の中で納得するのに「でいだらぼっち」という名前が、むしろ邪魔をしていると思われます。

また、旅先の風景ですが、「国」と」「土地」の混同も気に掛かります。
ベトナム、ドイツ、イギリスといった国として描かれているものと、
アフリカのように、大陸として描かれているものが、ごっちゃになっている。
(オーストラリアも、「国」と書かれているけれど、実際には大陸のイメージ)
また、描かれている内容も、その国の人のやさしさが描かれているかと思えば、象徴的な建物が描かれたり、自然風土が描かれていたりする。
それら、スケールが違い、質的にも違うものが羅列されているので、どうしても物語が上滑りしてしまう感が否めない。旅行案内のパンフをぱらぱらめくったような感じがしてしまう。それが、物語のなかにとけ込んでいない。もったいないなあと思うのです。
それというのも、やはり安易なイメージの借用で描いてしまっているからだと思うのです。

>自分の書きたいように書いたののうちのひとつなんですけど・・・。

根本さんは、この物語のどんな部分を書きたかったのだろう?
ちぎって増える不思議な巨人のイメージ?
わくわくする世界旅行?
書きたかったことを、イメージの借用ではなく、自分の言葉で書いたら、この物語はとてもとても魅力的な、楽しいお話になると思います。そんな物語なら、わたしも喜んで読みたい。

ぜひ、自分自身のイメージで、言葉で、書き直してみてください。
必ず、いい作品になることと思います。がんばってね。

▼参考資料

「大男が世界を旅して歩く」という物語で、わたしが好きなものに、次の作品があります。

グリパリ作/赤靴下をはいた巨人
「木曜日はあそびの日」(岩波少年文庫2085 1978)

また、わたしの作品にも、雑誌「おひさま」に掲載した「おおおとこエルンスト」シリーズがあります。絵本の単行本にもなっています。

「おおおとこエルンスト うみにいく」(小学館 1996)

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仲田純 根本紗弥花 課題2(3) 2001年05月22日(火)15時06分02秒
pttp0000.html#pttp20010519010243への応答

「あおい、みずの、なか」の感想。

 事実があやふやなのは私はあまり気にしません。ただ、この作品の最後の、でんわが鳴ったために壊される幻想。ちょiといただけない様におもわれます。よくあるはなしなだけに。視覚、嗅覚、ときてなぜ聴覚は幻想てきにしてくれないの?と不満足です。スペースシャトルとふんわり震えの浮く水。月。静かなナニも言わない魚の目。空気。そして あおい、みずの、なか 吸い込まれる(映る)私、全ての現象はあおにゆだねられて・・・ 電話のオトはわたしとあおをふるえさせるひとつの鼓動。みたいにしては・・・うーん。 もしか月からのイメージが既に あおい、みずの、なか、 なのでしょうか? それにしてもすごい表現力ですね。うっとり。

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