ハルモニア Cafe Lumiere (No.0023)

寮美千子/軽い掲示板
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寮美千子  ノイ/音楽の会話 去りゆく命とこれから育ってゆく命 2003年01月08日(水)18時02分09秒 http://ryomichico.net
「星の魚」 へのコメント

▼鳥海さま
そういえば、鳥海さん、驚くほど猫の鳴き真似が上手で、いったい誰が鳴いたのか、わたしはすっかり混乱してしまうほどでした。猫の不思議な言葉を操れる鳥海さんは、言葉になる前の言葉を語れる人なのかもしれないなあ。

ノイちゃんに噛まれたこと、そういえば聞いたのに、忘れていました。ノイが誰かを噛むなんて、絶対に「間の悪い例外的出来事」だと頭から思いこんでいたわたしです。いろんな人からノイの思い出を聞いて「噛まれた」という話がでてくるので、びっくりしてます。思いこみは怖い。噛まれた方々、ほんとにごめんなさいでした。

そして、親バカなわたしとしては、そんなふうに強い警戒心を持っていたノイちゃんが、わたしにだけは「ノイは絶対に人を噛まない子だ」と思わせるほど心を開き、安心していたんだと思うと、なんだかノイが一層愛しくてなりません。

鳥海さん、あの時、ノイと何を話していたんだろう。ノイは、どんな言葉を聞いたと思ったんだろう。星になったノイに聞いてみたい気がします。

それから『星の魚』のレビュー、ありがとう。わたし以上にきちんと記録を残してくださって、感謝しています。みなさんも、ぜひ読んでみてください。

http://www.age.ne.jp/x/toriumi/ryo/garaxy.htm


▼MARIKOさま
おばさまが亡くなられたとのこと、ご冥福をお祈りします。おばさま、讃岐だったんですね。ご縁を感じないではいられません。

あの「ラジオスター忘年会」の夜、いつもノイの居場所にしていたところが騒がしくてノイがかわいそうだったので、別の部屋にノイを連れていきました。ノイのお気に入りの小さな籠に毛布を敷いて。ノイは、そこでおとなしく眠っていた。その脇で、蒼太くんがすやすやと寝息を立てていました。

もうすぐ命を終えようとして命と、これからさらに育ってはばたいていく命が、隣り合わせで静かな眠りのなかにいたと思うと、胸がいっぱいになります。

パルステラさんが描いてくれた蒼太のポートレイトの写し、あの次の日に撮った蒼太のシャボン玉の写真や公園の写真といっしょに送りますね。

山梨県立科学館のプラネタリウム番組「ラジオスターレストランへようこそ」の投影もあと少し。1月13日が最終日です。また、どこかでかかるといいんだけどなあ。みなさんも、ぜひ見てください。

http://www.kagakukan.pref.yamanashi.jp/Tenmon/An_Touei/An_Touei.htm

寮美千子  ノイ/赤ちゃんのような声 2003年01月08日(水)17時38分19秒 http://ryomichico.net
電話で話したノイちゃん へのコメント

▼一色さま
ノイの声のこと、書いてくださってありがとう。

ノイは、ほんとうに赤ん坊のような声で泣く子でした。編集者と電話で話していると「あれ? 赤ちゃん、生まれたんですか?」と聞かれることが何度もあったほど。そのたびに、わたしはちょっと誇らしい気持ち(?)で「いいえ、猫なんです」と答えたものです。

ほんとうに、幼い子どものように、わたしが電話をしていると、ノイはことさらに鳴くのです。電話の向こうの見えない者に集中しているわたしを見て、嫉妬して「こっちを向いてよ」といっているようでした。「ノイちゃん、ごめんね。あとでゆっくり話そうね」そう声をかけて撫でてあげると、ちゃんと聞き分けておとなしくなるのでした。

猫を飼うまでは、野良猫の顔立ちの区別もつかないわたしでしたが、メイとノイと暮らすようになってからは、猫といえどもそれぞれに性格も違い、その違いが顔にも現われるということを知ったのでした。感情もちゃんとあって、人間の言葉とは違うけれど、まるで音楽のような不思議な言葉で話すことも知りました。だから、あの子たちが言葉をしゃべれないと思ったことはなかった。彼らの動きや表情、その声の調子にいたるまで、すべてが「言葉」だと感じていました。

その声の表情の多彩なことは驚くばかりで、微妙なニュアンスも充分に含まれていました。たったひとつの声で、ここまで上手に複雑な感情を表現する役者は、人間にもいないんじゃないか、と思われるほどでした。そして「哀しい」「さみしい」「うれしい」などの声の表現が、驚くほど人間に近いことにもびっくりしました。哀しければ、ほんとうに哀しいという音の調子になるのです。同じ哺乳類だから、心の形もどこか似ているのだろうか、などと思ったものです。

猫と暮らして、わたしがいちばん変わったことは、なんだか大袈裟な話になるけれど、この地上に生きているのは人間だけじゃない、ということを実感できたこと。さまざまな生き物が、それぞれ豊かな感情を抱いて生きているということを実感できるようになったことでした。

人間同志でも、互いに理解できないことはある。けれども、哀しかったりうれしかったりする根本的な心の動きそのものは、人間じゃなくともみんな同じ。そんなふうに感じるようになりました。

わたしが電話をしていると、赤ちゃんのような声で鳴いたノイは、きっと幼い子どものような気持ちで電話しているわたしを見ていたのだ思います。最後に苦しくて苦しくて吐いたあの声も、きっと人間と同じ叫び声だったのだと思う。

幼い子どもが国家や経済や、いろんな大人の勝手な都合で、あんな苦しげな声や哀しげな声をあげないですむような世界にしなくちゃいけないなあ、なんて考えたりもしました。

「言葉」とはなんだろう? 「詩」とは? ノイを見ていると、そんなことも感じました。小さな体で精一杯生きたノイは、わたしにいろんなことを考えさせてくれ、教えてくれる巨きな命を持っていたのだと感じています。子どもに恵まれなかったわたしにとっては、ほんとにそんな存在でした。

一色さん、ほんとうにありがとう。

MARIKO  続けて 2003年01月06日(月)17時15分23秒
「星の魚」 へのコメント

年末26日からずっとこちらのページを訪れないままで、ついおとといようやく
ノイちゃんのことを知りました。すでに羽ばたき、寮さんの生きる力がふつふつと
沸き始めているときに、・・・だいぶ遅れてしまったので書くのを躊躇して
いましたが、鳥海さんの投稿があったので、続けてノイちゃんのことを。

パルステラさんと同じく、ノイちゃんのかなり最期に近いとき、ご一緒させて
いただきました。その前が11月、その前は・・・たぶん3月です。11月に行った
ときにあまりにやせてしまっているのにびっくりしました。
けれども、たきちゃんが書かれているように、ノイちゃんの印象はなんといっても
あの瞳。あの瞳だけは、やせてしまっても(だからこそもっと)深い深い優しさを
たたえていました。
パルステラさんが、最期にノイちゃんを描いてくれてほんとうによかった。
あのスケッチの中には、ノイちゃんの表現しうるすべてが詰まっているような
感じがします。 あのときのノイちゃんは、自分の実情をすべて受け入れて
眠っているようなそんな感じでした。それがスケッチには現れている。
しかも、うちの息子の顔まで入れてくれたものだから、親バカはあれを
コピーして送ってください、と頼んでしまうわけです。

ちょうど大晦日に叔母が亡くなり、正月早々に讃岐に行きました。
(うどん、食べ損ねましたが) それまで生きていたモノが、目に見える形で
いなくなる、という現実は、やはり生命とはなんだろうか、とあらためて
思わせてくれます。そして、多くの悲しみや思考の時間を経て、かならずや
残されたものの生きる力となっていくのだ、と思います。
同時に、肉体は見えなくても、残されたものの中で生き続けているのだと思います。

ところで、「ラジオスターレストランへようこそ」の投影期間があと残すところ
わずか1週間となってしまいました。まだご覧になっていらっしゃらない方、
南アルプス、富士山、八ヶ岳が神々しく見えるこの時期、ぜひ山梨まで足をお運び
くださいませ。

http://www.kagakukan.pref.yamanashi.jp

鳥海  「星の魚」 2003年01月06日(月)03時20分43秒

遅ればせながら。
初めてノイちゃんに会ったときのことです。
「ンミャ〜〜」と得意の猫の鳴き声で挨拶したら、
すかさず寮さんが「今のはノイ?」と、おっしゃいました。
近所の猫ならば、耳と尾をピンと立てて、不思議そうな表情をするのですが、
この時ばかりは、寮さんの方が先にキョトンとされ、
ノイちゃんも私も戸惑ってしまいました。
以降、ノイちゃんからは噛まれてばかりです。
けれど、服従したり機嫌を伺ったりする対象としての”ヒト”ではなく、
対等に生きるものとして向き合ってくれたような気がして、
まんざらでもなかったのです。
指先がかすかに覚えているノイちゃんの歯の感触と息の温かさ、
ここに記しながら記憶に留めておきます。

ところで、昨年末、写真家の赤阪友昭さんのスライドショーにおいて、
「星の魚」の出版の契機となったM君&Aさんと一緒に良い時間を過ごしました。
そんな時間の傍らにいつも寮さんの言葉と面影があります。

昨年に書いた「星の魚」のレビューですが、
ここに改めてその章立てを案内させてください。
全文はリンク先をご参照ください。

  ▼赤道上空36000キロから降り注ぐ言葉
  ▼地球の亀裂を繋ぎ合わせる言葉
  ▼「星の魚」が尾鰭を翻した夜
  ▼言葉に普遍的な命を与える営みとしての出版
  ▼そして、「星の魚」は泳ぎ始める

http://www.age.ne.jp/x/toriumi/ryo/garaxy.htm

寮美千子  20年の星のめぐり年表 2003年01月06日(月)01時03分37秒 http://ryomichico.net
いとてつ/「星の魚」が跳ねたあとの「偶然」という波紋 へのコメント

昨年の12月15日に、わたし自身が鳥海さんの掲示板「地球の自転を星野道夫に傾ける」に投稿して、こちらにも投稿したつもりだったのに、していなかった年表がありました。いとてつさんの投稿に刺激されて、いとてつさんと電波天文学を軸に書いてみた年表です。古いところは、ちょっとあやしいところもあります。猫のメイちゃんとノイちゃんのことを加えてここに投稿します。

1982年 野辺山電波天文台45メートル電波望遠鏡完成
1983年 寮美千子 横浜こども科学館開設準備のため野辺山電波望遠鏡一般公開を取材
    45メートル電波望遠鏡を見ていたく感動する
    多忙な森本雅樹氏に挨拶をするも、すぐにすれ違う
1984年 横浜こども科学館開館以前に失脚し横浜より事務所撤退
    5月5日 横浜こども科学館開館
    この頃 実家の猫クロが生んだ5月生れの子猫メイをもらう
1986年 寮美千子 毎日童話新人賞最優秀賞を受賞してデビュー
    岩波市民セミナー「電波天文学」受講 森本雅樹氏と再会を果たす
    このころより「ラジオスターレストラン」を構想する
1987年 いとてつ 野辺山を訪れ森本雅樹氏にサインをもらい人生航路決定
    寮美千子 このころ「ノスタルギガンテス」執筆開始するも苦しくなって中断
    息抜きのつもりで「小惑星美術館」を書きはじめる
    冬 東北沢の酒屋の裏で病気でボロボロだったノイを拾う
1988年 相模大野へ転居
    夏 現住所であるロビーシティへ転居
    10月〜翌年1月「小惑星美術館」毎日中学生新聞に連載される
1990年 初の小説「小惑星美術館」パロル舎より出版
1991年 寮美千子「ラジオスターレストラン」出版
    セント・ギガ正式開局
    寮美千子 セント・ギガに詩を提供しはじめる
1992年 寮美千子 野辺山10周年記念「ほしがうたっている」出版
1993年 寮美千子「ノスタルギガンテス」出版
1996年 7月7日朝 メイ逝く(12歳)
1997年 いとてつ 大学にて電波天文学を学びはじめる
    寮美千子 セント・ギガ新番組制作終了に伴い新作を書かなくなる
1998年 St.Gigaプロデューサー桶谷裕治氏永眠
1999年 寮美千子 怪我・入院など相次ぐ 「星兎」出版
     5月  たきちゃん 児童文学MLに「星兎」レビューをアップ
     9月 和光大学でリーディング 
       はじめてたきちゃんに会う
       たきちゃん、ここで未来の伴侶G氏に出会う
    12月 鳥海さん「星兎」を読みレビューをアップ
2000年  2月 「小惑星美術館」G氏の尽力によりNHK-FMでラジオドラマ化
     4月 寮美千子「星の井戸探検」に行く
     8月 G氏企画の横浜星兎ツアーで寮美千子、鳥海さんとはじめて会う
2001年 寮美千子 池澤春菜CD「CARAMEL」に詞「星の魚」を提供
2002年  2月 たんぽぽの家主催の朗読ワークショップにて
       寮美千子、いとてつにはじめて出会う
      寮美千子は前日に書きあげた「こわれかけた古い椅子」を初朗読
      いとてつは電波天文学の本を朗読する
      ここに鳥海さん、真理子さんもいる
       グレン横田氏、ここで未来の伴侶に出会う
     5月 奈良のたんぽぽの家へ 
       そこで働く婚約中のふたりが「星の魚」を朗読してくれて感激
    11月 たんぽぽの家のふたり 結婚
       寮美千子 3組の結婚を祝いたくて「星の魚」出版
    11月30日 たきちゃん&G氏 星兎の舞台の横浜で結婚披露宴
    12月26日未明 ノイ逝く(14歳)
2003年 5月 グレン横田氏 結婚式(予定)

寮美千子  いとてつ/「星の魚」が跳ねたあとの「偶然」という波紋 2003年01月06日(月)00時08分26秒 http://ryomichico.net
見落としていらっしゃるのでは? へのコメント

ありました、ありました。カフェルミにも書いてもらっていたんだよね。あの文章、とてもとても好きで、あんまり好きだったので、いつのまにかどこかへ消えちゃうことを恐れる余り、うっかりもう一度収録したくなってしまったのでした。ごめんなさい。ちょうどそのころ、心がざわざわしていて、記憶が混乱していました。

好きだったものが、いつのまにかわたしの見えないところへいって消えてしまうんではないか、という恐怖にちょっととりつかれているみたいです。あんなに好きで、あんなに存在感のあったノイちゃんが、もうこの世界のどこにもいないというのが了解できなくて、了解できないのに実際ここにはいなくて、それで好きなものや大事なものが見えなくなりそうだと、すごく心配になってしまう。そんな気持ちでいます。お許しください。

いとてつさんの記した『「星の魚」が跳ねたあとの「偶然」という波紋』は、しっかり下記に収録されています。みなさま、よかったらもう一度読んでみてね。

ネットって不思議だね。こうやって過去をそのまんま呼び出せるなんて。

lumi0021.html#lumi20021215030626

いとてつ  見落としていらっしゃるのでは? 2003年01月05日(日)17時55分40秒
星の魚の飛沫 へのコメント

寮さま、さっそくお返事いただきありがとうございます。森本先生にはぜひお会いしたいと思っています。でも私の不手際で忙しい日々が続いているのでこれが一段落したら…。
さて、鳥海さんのところに12月13日に書いたのとほぼ同様の文章を12月15日にこちらにもアップさせていただいたのですが、見落としていらっしゃるかな?それとも細部を直したのがよくなかったでしょうか。もちろん、もう一度載せていただけるならそれはそれでうれしいですけれども。

そうそう、「星の魚」六本木の青山ブックセンターにもありました。絵本のところで探してみてもなくて、書店の人に尋ねたところ、詩集のところにありました。

寮美千子  星の魚の飛沫 2003年01月05日(日)16時26分24秒 http://ryomichico.net
今年もよろしくお願いします へのコメント

▼たきちゃん
「星の魚」の偵察、ありがとう。そんなところにも、「星の魚」の小さなしぶきが飛んでいると知ってうれしく思いました。そのしぶき、誰かに届くといいなあ。

▼いつてつさんとわたしのこと
いつてつさんとの出会いは、昨年の2月、奈良の「たんぽぽの家」主催の「ケアする人のケア」ワークショップでした。東京の中野の会場の講師としてして招かれたわたしは、そこで天文学者の卵いとてつ氏と出会い、彼はそこで電波天文学を志すことになったきっかけである本を朗読してくれたのです。わたしが師と仰いでいる(マジ)日本の電波天文学の父(ホント)森本雅樹氏(通称おじさま)にも大きな影響を受けられたとのこと。いとてつ氏と森本雅樹氏は、まだ個人的にゆっくりお話ししたことがない、とのことなので、今年はぜひみんなでゆっくり飲めるような機会を持ちましょうね。

「ほしがうたっている」を制作して以来、天文や科学の絵本を制作したいという夢を持ち続けてきました。今年はぜひ実現したい。黒田武彦氏が天文台長をしている「西はりま天文台」にも、来年には2メートル望遠鏡ができることだし、限りなく遠くに眼差しを向け、自分の心のうちを深く知るような、そんな絵本をつくりたいと思っています。いとてつさん! ぜひ力を貸してくださいね。きれいなもの、すてきなもの、美しいものを、少しでも世界に生みだしていきたい。そうやって、この世界を、いままでよりもほんの少しすてきなところにしたい。

いとてつさんが、鳥海さんの掲示板「地球の自転を星野道夫に傾ける」に書かれた「星の魚」をめぐる文章『「星の魚」が跳ねたあとの「偶然」という波紋』。あちらだと流れて消えてしまって残念なので、鳥海さんといとてつさんのお許しがいただけたら、ここに転載させていただきたいと思っています。それも、この世界に残しておきたいきれいなもののひとつだから。よろしくね。

▼そしてもうひとつの出会い
前述の「ケアする人のケア」ワークショップでは、実はもうひとつ大きな出会いがありました。このワークショップに参加してくれ、カリンバでわたしの朗読とコラボレしてくれたグレン横田氏は、ここで未来の伴侶と巡りあうことになり、愛を育んで結婚! このお正月から奈良で新生活をはじめました。おめでとう!

▼祈り
そうやって、小さな出会いから、すてきなことがどんどん生まれていく。みんなが星の魚になって、跳ねとばすしあわせのしぶきをみんなに浴びせかける。すると、浴びた人がまたしあわせな気持ちになる。そんなことがどんどん起きる世界に生きているんだなあって、驚きを感じます。世界は大きな困難を抱えているけれど、足許から少しずつ、いい世界にするしかない。みんなにとって、今年が実り多き年でありますように!

たき  美しい魚を発見!! 2003年01月05日(日)15時53分34秒
今年もよろしくお願いします へのコメント

今年もよろしくお願い致します。

さて、年越しを奈良で過ごしていたのですが、
3日は京都でぶらぶらしていたところ、
ブックストア談 京都店 という本屋さんに寄ったら、
『星の魚』と『父は空母は大地』の対訳版がありました!
新年明けて早々の嬉しいことでした(^^)

いとてつ  今年もよろしくお願いします 2003年01月05日(日)13時10分39秒

一昨年のプラネ番組「オーロラストーリー」との出会いに続き、昨年は寮さんの作品に出会い、鳥海さんの企画なさったワークショップを通して寮さんに直接お目にかかる事ができ、さらに12月には「星の魚」という素晴らしい絵本と巡りあえました。昨年であった作品の中で一番はやはり「星の魚」だったように思います。詩と絵の両方をかかれた寮さんとともに、これを出版するきっかけとなった鳥海さんやその同僚の皆さんにお礼を言いたいと思います。年末には池澤春菜さんの歌う「星の魚」も手に入れて何度も聞いていました。歌詞を聞くだけだと絵本に比べて内容がわかりにくいのですが、それにもまして春菜さんの甘い声がよかったです。声の力を感じます。寮さんが朗読に力を入れていらっしゃるのもうなずけると思いました。

ノイちゃん、お目にかかったことはおろか、お声を聞いた事もありませんでしたが、ご冥福をお祈りします。

それでは今年もよろしくお願いします。

いとてつ  日本のお正月 2003年01月05日(日)12時55分11秒
新年を迎える へのコメント

マミさん、はじめまして。あけましておめでとうございます。

マダガスカルの話、いつも楽しく読ませていただいています。

日本のお正月はクリスマスに比べるとちょっと静かで厳かな感じがします。
遠くに遊びに行く人もいますが、多くの人は家族と家で過ごします。
クリスマスにはお祭り騒ぎをしていたのですが、
お正月には初詣(はつもうで)といって神社にお参りします。

この時期はみんな「あけましておめでとう」と挨拶するのですが、
前の年に親戚や大事な仲間が亡くなった人はそれを言いません。
これを「喪中」(もちゅう)といいます。だから、ここでも昨年末に
寮さんの大切な猫のノイちゃんが亡くなって、寮さんが深く悲しんで
いるので、みんな「おめでとう」とは書いてないんですね。
でもマミさんは日本のそのような習慣を知らないと思うので気にする
必要はないと思います。

マミさんも今年一年、よい年でありますように。

マミ  新年を迎える 2003年01月04日(土)15時40分18秒

新年、明けましておめでとうございます。

今、マダガスカルの季節は梅雨です。雨の降っているのは午後から夜明けまでです。

天気予服によると、年末と年始には雨がよく降っていると言いました。それで、みんなは家を出かけると、雨具などを持っていました。しかし、その時に雨はぜんぜん降らなかったのです。新年を迎えるのはいい天気でした。

新聞によると、今回、酔っぱらっている人が大勢だったそうです。若者だけじゃなくて年の上の人も女の人もいましたそうです。そのうちに飲みすぎたから、病入しなければなりませんでした。

その他に、タナの中心には年末の夜に渋滞が大変だったそうです。

皆様に「今年も良い年でありますように」。


徳島 北島町立図書館・創世ホール 小西昌幸(海野十三の会理事)  お正月から勇気をちょうだいしました 2003年01月03日(金)20時38分16秒

今朝起きて、パソコンをつけたら、
寮さんからの電子メールが届いていました。
3月23日の竹内博さんの北島町創世ホール講演会に、
パートナーの方と一緒におこしになるとあり、
私はいきなりひっくり返ってしまいました。
パートナー氏は怪獣愛好家だったのですね。あらまー。
感激です。どうかあまりご無理なさらないでくださいね。
池田憲章氏が竹内さんのために駆けつけてくださるので、
会場で、必ずご紹介いたします。
おじいさんのことをお話下さい。
北海道のリト氏からもメールが届いていて、
こちらも3月の件でした。ああ、ありがたや。
朝からみなぎるパワーで、胸がいっぱいです。

そして届いた郵便物。賀状の他、封書が4つありまして、次のものが入っていました。
1 『G-モダーン』23号
  (私が今回連載を落としてしまった明大前モダーン・ミュージック発行のミニコミ。
  後記に『ハードスタッフ』はまだなのかよーという趣旨の激励が書かれていた)
2 美能憲二『智美(さとみ)』玄文社
  (美能憲二は板坂剛氏の新ペンネーム。
  ある事情でしばらく疎遠になっていたのだが、新作小説の署名本が届いた)
3 『徳島ペンクラブ選集』20号
  (海野十三の会事務局長の板東氏が
  現在、徳島ペンクラブ会長をしているので届いた。
  鈴木綾子氏が海野十三夫人との交流を書いている)
4 CD「ゴジラ(東宝レコード復刻盤)」サウンドトラック
  (竹内博氏が酒井敏夫名義で企画構成したアルバム。オークションで落札。
  当アルバムと、同じく竹内氏の企画「SF映画の世界」が70年代末以降の
  伊福部再評価の端緒を事実上作った)

これで今年の私のなすべきことは決定されました。
竹内氏講演会では上記CDをかけ、
今度上京したら板坂氏に土下座して、
『板坂剛の世界』増補改訂復刻版具体化の打ち合わせに入り、
モダーン・ミュージックにもお詫びにまわり、
9年ぶりの『ハードスタッフ』に着手し、
『海野十三読本』の版下作りにいそしむ。
もう私の今年なすべきことは、これしかありません。

寮美千子様。
というわけで、朝から今日は凄く重要なことがめじろ押しの、
ある種の転回点のようなシンボリックな1日でした。
勇気をいただき深く感謝いたします。
極私的なことを、長々とスミマセンでした。




http://www.president.co.jp/pre/special/editor/050.html

一色真理  電話で話したノイちゃん 2003年01月02日(木)22時07分43秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
わがままなお願い へのコメント

一色真理です。ごぶさたしています。

寮さんに何度か電話したとき、必ず電話口に猫さんが出た。
最初は赤ちゃんが泣いているんだと思った。
「えっ、寮さんちに赤ちゃんが?」
いぶかしく思って尋ねると、猫なんだよと寮さんに笑われた。
電話がかかると必ず自分も会話に参加したがるんだって。
今思うと、あれってノイちゃんだったんだね。
ぼくはノイちゃんとはついに会わずじまいだったけど
電話でのノイちゃんとの会話は楽しかったよ。
ノイちゃん。新しい住所に着いたら、今度はそちらから
電話してね。ぼくの住所は「夢の解放区」です。
ではでは、また。

寮美千子  2003年 新しい天使と大きな羊 2003年01月01日(水)02時18分35秒 http://ryomichico.net

天使は――一瞬ごとに新しく無数の群をなして――創出され、神のまえで讃歌をうたいおえると、存在をやめて、無のなかへ溶け込んでゆく。
           ( ヴァルター・ベンヤミン「雑誌『新しい天使』の予告」より)
世界はやがて失われゆくものの総体。この地上でうたう歌は、喜びの歌であろうと、悲しみの歌であろうと、すべていまこの一瞬に存在する事への「讃歌」なのかもしれません。ノイは、せいいっぱいの讃歌をうたって無へと帰還していきました。

ベンヤミンはまた、クレーの絵「新しい天使」について、このような言葉を残しています。
楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれてるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでゆく。( ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」より)
時の流れは留めようもありません。新しい年がやってきました。元旦のきょうは、ノイの初七日。クリスマスの夜に亡くなったノイの魂が、透明な天使になり、元旦の夜明け前の空を星々の間へと翔てゆく姿が見えるような気がします。ノイ、とうい名は、ドイツ語の「新しい」という言葉からつけました。ノイ、新しい天使よ。
ねぇ、ノイちゃん、
私の中にも、ノイちゃんの跡がついているよ。
あの澄みきった体温の感触といっしょに。 by ちえちゃん
ノイの思い出を語ってくださった方々、ありがとう。わたしのなかだけではなく、砕けた星のかけらのように、この地上のいろいろな人の胸に、ノイの思い出が散らばって存在していることを知るのは、何よりもの慰めです。がんばりきったノイちゃんからもらった勇気と、ノイを応援し、悼んでくれたみんなからもらったやさしい気持ちを糧にして、新しい年を力強く生きていきたいと思います。よろしくお願いします。
あなたは千匹の大きな羊の子なんだから。* by パルステラさん
美しいという字は、大きな羊と書きます。大陸の大草原を思わせるおおらかな文字。わたしの名は「千の大きな羊の子」。そして、今年はわたしの年、ひつじ年です。あと一回りで還暦。

みんなが、太陽と月と星の光をたっぷりと浴び、やわらかな雨に潤されて、美しい年輪を重ねられる一年でありますように!

DORONKO  耳、そしてシッポ。 2002年12月31日(火)12時01分07秒
ノイちゃんへ へのコメント

何だか、まだ過去の話にしてしまうのはヘンな感じなんですけど、
ノイちゃんのことで、ぼくにとってとりわけ印象が深かったのは、
ノイちゃんの、あの耳とシッポですね。

ぼくは、音楽を聴いていると、ついリズムを取ったりするクセが
あるのですが、そうして寮さんちのテーブルの端をタンタタタン
と軽く叩いていると、ノイちゃんの耳が、それに合わせてピピッと
動くんですね。――最初は、動物の本能のようなもので、警戒
されてるからだろうとも思ったのですが、慣れてくると、それ
だけじゃなくって、ノイちゃんは危険はないということは承知の
上で、リズムというものを聴くというか――感じて、認知して
いたのじゃないかと思います。

もう一つのぼくのお得意は(などというと、寮さんに叱られそう
ですが!)、ノイちゃんとの「シッポ遊び」でした。王子も書いて
いるように、ノイちゃんをなでたり抱こうとしたりするのは
かなりの勇気と注意を必要とすることでしたが、無骨なオジサンで
あるぼくにとって、ノイちゃんのシッポは数少ない(唯一の?)
「安全地帯」でした。といっても、それほどムタイなことを
していたわけではありません。――ノイちゃんが近くにお座り
していて、彼のシッポがぼくの目の前にあるような時には、ぼくは
ノイちゃんのシッポのすぐそばに、ちょっと指をついてみたり
するわけです。するとノイちゃんは、顔は向こうを向いたままで、
でも、シッポの方に「何かがきたな?」ということは感じ取って、
シッポを左右に動かして、ぼくの指とかを探り当てるのです。
これを称して「シッポ遊び」でして、これはノイちゃんに会う時の、
ぼくのヒソヤカなる楽しみでもありました。
そのノイちゃんが、本当に、もういないんでしょうか――。

もう一つ。ノイちゃんのあの眼は、まさしく“別世界への扉”
のようでしたね。普通のイキモノのようではなく、鉱物のように、
そこに何かが存在しているという、たしかな感触がありました。

パルステラ  輝く羊たちが、すぐそこまで来てるよ 2002年12月31日(火)06時24分23秒

*美千子サン*

涙は出来れば今年いっぱいで涸らして、 

新年明けたら元気出せ!  

あなたは千匹の大きな羊の子なんだから。*

ちえ  ノイちゃんへ 2002年12月31日(火)04時12分49秒
わがままなお願い へのコメント

寝付かれずにむかえた26日の朝、パソコンの前で、
せいいっぱいの深呼吸をしました。

はじめて寮さんのお家にお邪魔した時、はじめてノイちゃんに会った日、
ノイちゃんは、窓際の陽の当たる場所で、たぷんとまるくなっていました。

たっぷりと、しなやかな後ろ姿、
愛されていることをそのままに受け止めているものの持つやわらかさ、
こんなきれいな猫は見たことないなぁ、と思ったのを憶えています。

思い出すのは、ノイちゃんの眼。
蝋燭の灯りの中で見た、あまりにも不思議で、美しい眼。
澄みきった暖かい水が、地球とは別の引力でそこにとどまっているような、あの眼。
きりりとしているのに、どこか微笑んでいるような表情。
寮さんの膝の上で、安心しきっている姿。
そして、いつもそこだけ違う生き物みたいに動いていた”しっぽ”。
そっぽむいてても、みんなのお話や音楽に合わせて動いていたり、
しっぽだけ、勝手に遊んでいるように見えたり。

ノイちゃんのしっぽって、うさぎの鼻とおんなじだ(^.^)
いつも、ひくひく、反応してしまう、とっても愛しいあの鼻と。

今日も、あの(たき坊とお揃いの)スーパーボールのキラキラを見ていました。
そこここに、感触が残っている。

ねぇ、ノイちゃん、
私の中にも、ノイちゃんの跡がついているよ。
あの澄みきった体温の感触といっしょに。



勇崎  よいお年をお迎え下さい 2002年12月31日(火)03時29分03秒

寮さん&松永くん。
ノイちゃんのこと知らずにいてごめんなさい。慎んでお二人をお慰めいたします。在りし日々の想い出を偲び、ノイちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。

みなさま。
よいお年をお迎え下さい。

大晦日さん。
私事ですが、
正月2日より19日まで札幌で開催する
札幌市写真ライブラリー開館10年記念写真展「タイム・スリップ!さっぽろ想い出旅行」を遊星たちの消息にこれからアップします。

寮美千子  死とは、もうひとつの世界に生まれること 2002年12月29日(日)23時52分23秒 http://ryomichico.net
流れ星 * * * へのコメント

ノイちゃんと寮さんの最後の20時間のお話から私が思いをつなげたのは、寮さんにとても酷なことかもしれないけれど、「出産」です。 by silicaさん
ほんとうに、ノイが陣痛の苦しみを経て、もうひとつの世界へ生まれたのだと思いたいわたしです。そのイメージは、救いになる。それが、心の内側に広がる神話的世界の真実です。けれど、外側に広がる現実の世界では、ノイはもうどこにも存在しない。

心の内側にある主観的な神話的世界と、外側にある客観的な現実の世界。矛盾するこのふたつを、自分のなかでどうひとつに重ねあわせていくか。理屈では、重ねられるはずだと思っていても、実際直面すると、心のまとまりがつかない。きっと、ゆっくりと時間をかけて、自分のものにしていくしかないのだと、そう感じています。ありがとう。

寮美千子  日本の年越し 2002年12月29日(日)23時36分52秒 http://ryomichico.net
越し へのコメント

▼マミさん
マダガスカルの年越しの様子を伝えてくれてありがとう。マミさんは、だれと、どんなお正月を迎えるんだろう? 大晦日にはどんな「楽しいこと」をするのですか? お正月にだけ、特別に食べたり飲んだりするものはありますか?


日本では「おせち料理」といって、お正月に食べるための特別の料理をつくります。栗きんとんや、黒豆、ごまめなど。でも、いまでは家でつくるより、スーパーで買う人の方が多くなりました。

またお正月には「お雑煮(おぞうに)」を食べます。これは、スープにお餅をいれたもの。

お酒は「お屠蘇(おとそ)」といって、薬草を浸けた独特の香りのものを飲みます。これを飲むと悪魔を払い、一年元気で過ごせるといわれているんですよ。


大晦日、いよいよ新しい年を迎えるときには「おそば」を食べます。おそばは、日本独特の麺。細くて長いので「細く長く生きられますように」という願いをこめてたべるのです。

地方によっては「うどん」。わたしの相棒はおいしいうどんで有名な讃岐の出身なので、今年はわが家では手打ちうどんで年越ししようかと思っています。


よいお年をお迎えください。

マミ  越し 2002年12月29日(日)20時48分45秒

マダガスカル人には年越しと新しい年の迎えの行事が大切な時期です。
人々はその時に一番楽しいことを探しています。お金がかかっても気にしません。
それで、食べること、踊ること、歌を歌うこと、飲むことなどが多いです。
12月31日の夜12時になると、道が賑やかになって、挨拶します。
知らない人でも、道で会えば挨拶します。
1月1日に道が静かになります。


寮美千子  κ王子/地球の裏側から(日本語版) 2002年12月29日(日)20時23分02秒 http://ryomichico.net
tikyuuno hantaikawa kara へのコメント


先日、2年間勤めた某大会社をやめて、フロリダへと新しい人生航路を見つけに旅立ったκ王子。今月の5日には、κ王子とグレン氏との送別会を、わがキップルハウスで開きました。その時が、ノイちゃんに会ってもらった最後になってしまいました。κ王子から届いた心あたたまる言葉に、わたしは胸がいっぱいです。ありがとう、κ王子。ローマ字で読みづらいので、わたしが勝手に日本の文字に直させてもらいました。漢字など、王子の気分と違うところもあるかもしれなけれど、許してください。
今、海外にいるため、日本語書けないので、読みづらくてすいません。κ王子です。
寮さんからの連絡があるまで、ノイちゃんのこと、知りませんでした(;.;)。

5日に寮さんの家におじゃました際、ノイちゃんのこと気になっていたので、本当に悲しい……。

星になってしまったんだね、ノイちゃん。

ノイちゃんの思い出――
初めて会ったときに、なんてかっこよくてすてきな猫なの? って思い、手を出してすぐ攻撃を受け、それ以来、(ノイちゃんに)怒られた記憶しかありません。
寮さん、ごめんなさい。

でも、絶対的にかわいく美しいノイちゃんに、その後も懲りずに同じ過ちを何度も繰り返したことか……。

結局、一回もぼくの腕に抱くことは叶わなかったけれど、いま思えば、ノイちゃんは、ぼくの自分勝手な人との関わり方について「それ、いけないよ!」って、根気強く教えてくれていたのかな?って感じます。

ぼくがかわいがりたいときに、ノイちゃんに手を出せば噛まれたり、引っかかれたり……。かとおもえば、あまり意識せずに手を出せば、すうって寄ってきてくれて、触らせてくれたり……。

いつも相手のことを考えて、自分を押しつけず人に接するという、本当ならこの歳になって当たり前に身につけていなければいけないことが、ぼくには足りないから、ノイちゃんはいつもそれを教えてくれた、感じさせてくれた。

それがぼくの会社生活でどれだけ役に立ったか……。

今後ぼくは、人との関わりの中で、いつもノイちゃんの姿を見ることでしょう。
新しい出会い、いままで出会った人たちとの再会、いつもノイちゃんをそばで感じていくから……。

いつも暖かいのに、きょう起きたら寒くて、でも逆にいつもは水蒸気の多い空が吸いこまれそうな青空に変わって、そして寮さんからの知らせを受けました。
お母さんからの便りとともに、たぶんきみが大きく吐いた息の粒々も、いっしょに届いた気がするよ。

ノイちゃん、苦しかったと思うけど、きみが大きく吐いた空気は、遠くここフロリダで大きく吸いこみ胸にしまいます。

しばらくはゆっくり休んで、そうしてまた、こんどは空を、宇宙を飛んで走って、すてきな星猫になってね。

ほんとうにノイちゃん、ありがとう!!!!!!
                                    κ王子

ノイちゃんはとても人なつこい性格で、ほとんど誰にでも寄っていきました。動物としてはあまりに無防備といっていいほどで、ことに動物好きな人には自分から進んでくっついていきました。そんなノイちゃんが、王子に噛みついたときいて、わたしはずいぶんびっくりしたものです。あんなにやさしい王子を、なぜ噛んだりしたのだろう? と不思議に思っていました。まさか、一度も王子の腕に抱かれなかったなんて、知りませんでした。

不思議だねえ。ノイちゃんは、どんな基準で自分から人の膝に乗ったり、そうしなかったりしたのだろう? 単なる気まぐれではない、ノイ独自の基準があったように感じます。

もしかしたら、王子が感じたこと、ほんとうにノイちゃんが伝えたかったのかもしれない。わたしは、王子は人との距離がうまくとれないなんて少しも感じない。たしかに、無邪気で無防備で、むきだしのまま心で近づいてくるような素直さがあるけれど、でも、わたしはすこしも嫌じゃなかった。むしろ、その素直さが好ましかった。けれど、王子よりずっと小さな生き物であるノイちゃんには、どんなにやさしく素直な王子でも、怖く思えたのかもしれない。相手が怯えるのは、相手からこちらが大きく強く見えるから。自分がどんなに大きな力を持っているか、気づかないでじゃれつくと、相手に致命傷を与えかねない。傷つけなくても、怯えさせてしまうかもしれない。

そう、それはわたし自身にもいえること。自分の力を自覚していない。いつまでも、弱い小さな女の子のような気分でいる。でも、それは間違いなんだよね。いまのわたしには、強い力も心もある。そのぶん、人にちゃんとやさしくしなくちゃいけないんだよね。

王子の言葉から、また学ぶことがありました。そして、なによりやさしい言葉をありがとう。あの苦しいノイの呼吸。あの呼気を、王子は遠くフロリダで受け取ってくれたんだね。感謝します。新しい暮らし、がんばってね!

k-ouji  tikyuuno hantaikawa kara 2002年12月29日(日)16時11分24秒

ima kaigaini irutame nihongo kakenainode yomizurakute sumimasen.
kappa ouji desu.
ryousan kara no renrakuga kurumade noi-chan no koto sirimasendesita(;.;)

5th ni ryousan no ie ni ojama sitasai noi-chan no koto kininatteitanode
hontouni kanasii...

hosini natte simattandane , noi-chan...

noi-chan no omoide,,,,
hajimete attatokini nante kakko yokute sutekina nekko nano?tte
omoi tewodasite sugu kougekiwo uke,soreirai okorareta kioku sika
arimasen.
ryousan gomennasai.

demo,zettaitekini kawaiku utukusii noi-chan ni sonogomo korizuni
onaji ayamatiwo nando kurikaesitakotoka...

kekkyoku 1kkaimo bokuno udeni daku kotoha kanawanakattakeredo,
ima omoeba noichan ha bokuno jibunkattena hitotono kakawarikatanituite
[soreha ikanaiyo!]
tte konki-zuyoku osiete kurete itanokana? tte kanjimasu.

bokuga kawaigaritaitokini noi-chan ni tewodaseba kamaretari hikkakaretati...
kato omoeba amari isikisezuni tewodaseba su tte yottekitekurete sawarasetekuretari...

itumo aiteno kotowo kangaete jibunwo ositukezu hitoni sessurutoiu hontounara
konotosini natte atarimaeni minituketenakereba ikenaimonoga bokuniha
tarinaikara noi-chan ha itumo sorewo osietekureta, kanjisasetekureta.

sorega bokuno kaisha-seikatu de doredake yakunitattaka.... .

kongo bokuha hitotono kakawarinonakade itumo noi-chan no sugatawo mirukoto
deshou.
atarasii deai, imamade deatta hitotatitono saikai, itumo noi-chan wo
sobade kanjite ikukara..




itumo atatakainoni kyou okitara samukute, demo gyakuni itumo ha suijoukino
ooi soraga suikomaresouna aozora ni kawattete, sosite ryousan karano sirasewo
ukemasita.
okaasan karano tayorito tomoni tabun kimiga ookiku haita ikino tubutubu mo
isshoni todoita kigasuruyo.


noi-chan kurusikatta to omoukedo, kimiga ookiku haita kuukiha tooku koko
Florida de ookiku suikomi munenisimaimasu.

sibarakuha yukkuri yasunde. sousite mata , kondoha sorawo ,uchuu wo tonde
hasitte sutekina hosi-neko ni nattene.

hontouni noi-chan ,arigatou!!!!!!!!!!

k-ouji









silica  流れ星 * * * 2002年12月29日(日)14時04分09秒
▼Review Lunatique:Voice/永訣の翼 ノイに へのコメント

寮さん・・・
ノイちゃんと寮さんの最後の20時間のお話から私が思いをつなげたのは、寮さんにとても酷なことかもしれないけれど、「出産」です。ええ、ノイちゃんはもちろん雄猫です。
意思を超えたところで主張する心臓や呼吸や体液の流れ・・・しばしの休息、そしてまた、激しい波。
その繰り返し。苦痛はやがて麻痺して、ただただ呼吸の激しさに自分の意識がすがりつく感覚。

ノイちゃんが逝ってしまった後の夜、ものすごく星空がきれいな日がありました。気づかれましたか?
オリオン座の縦の小三ツ星も鮮明に見えるほどの日だったのです。
見とれていると子いぬ座のプロキオンのあたりにまっすぐで美しい光がスッと走りぬけました。
私は、東京に住んでいて、流星群の日以外で星が流れるのをめったに見たことがありません。
寮さんは「青いナムジル」のお話のときにモンゴルでは流れ星は死とつながるものと教えてくださいました。
でも、そのときの私には「星の魚が大気に生まれ落ちた瞬間」に思えました。

寮さんと過ごされた最後の時間はノイちゃんが生まれ変わるためのもの、という物語が私の中には広がりました。(ああ、どなたかが、おんなじ流れ星を見てくれていたら、証明できるのになあ。)



寮美千子  ノイ/思い出されたその瞬間に甦る 2002年12月29日(日)03時47分38秒 http://ryomichico.net
追悼ノイちゃん 一度だけだけど会えてよかった へのコメント

▼Eliちゃん
やさしい言葉をかけてくれてありがとう。おもわず涙が滲みました。年下のEliちゃんにまで、こんなに思いやってもらって、わたしはしあわせ者です。あの夜、終電に間に合わなくて、ノイちゃんに会ってもらってほんとうによかった。心からそう感じています。いっしょだった望ちゃんも、追悼メールくれました。望ちゃんらしい、まっすぐで透明な言葉に、とても励まされました。望ちゃんも、ありがとうね。

▼たきちゃん
うれしい。そうやってぽつりぽつりと思い出してもらえるの、とてもうれしい。人の心のなかにしまわれた記憶は、まるで本のようだと思います。いつもはただそこにあるだけの紙の束の上のインクのシミに過ぎない。読まれたときだけ、生きて立ちあがってくる。記憶も、思い出したその瞬間、再び命を与えられる。そして、こうやって言葉で記されると、もう、その人ひとりだけのものじゃなくて、いつでもだれでもが呼び出して命を与えることができるようになる。その瞬間、ノイが甦ります。ほんとに、ありがとう。

▼川合慶一さま
佐治晴夫氏のクリスマス講義、いっしょに行けるのを楽しみにしていたけれど、とうとう行けませんでした。それでも、前日まではノイの調子がよければ出かけようかなんて考えているくらいだった。「普通」にしていたかったのです。特別なことをすると、ノイちゃんが死んじゃいそうで、それが怖くて意地でも普通にしていたいわたしがいた。けれども、ノイが夜明けにわたしを鳴いて起こして、もう足もよろけるのにわざわざ枕元へやってきてぴったり寄り添って寝たのをみて、きょうは出かけないでおこうと思った。そう思ったら、ノイの痙攣がはじまったのでした。それからはひと時も離れることができず、結局はノイを看取ることになりました。ノイが痙攣の発作を起こしている頃、静岡ではパイプオルガンでバッハが鳴り響いていたはずです。そんな美しい時間とノイちゃんとが、見えないところできっと共振していたと信じたいわたしです。いろいろありがとう。

たき  今になって… 2002年12月29日(日)03時17分34秒
感謝/そして再びわがままなお願い へのコメント

思い出しました(?)
記憶から浮かび上がってきたことを書きます。

そういえば私、ノイちゃんと二人っきりになったことがあるんです。
12月に入ってすぐの、王子と横田氏の送別会の日に。
だから、私が最後にノイちゃんに会った日です。
ノイちゃんは自分のお部屋で横になっていて、私はお台所にいて、
寮さんたちが買い物から帰ってくるのを待っていたのでした。
そうだ。あの時だけは、私、ノイちゃんを一人占めだったんだ。
ということは、ノイちゃんに、ヒトリウタを聴かれてしまったかも。
私は「ラララ」とか「ルルル」じゃなくて「なぁー」と歌うから、
最初に会った時のように、あの言葉で話しかけているように聞こえたかな。
あの時は何故かふたりっきりっていうことを特に意識しなかったのです。
でも、今になってとっても意識しています…なんだかヘンなことですが。

もうひとつ。ノイちゃんが天国へ行ってしまった時のほぼ半日前から、
私は、急に襲ってきた激しい具合の悪さに、食べられず飲めず見られずで、
真っ暗な中ぐったりしていました…明日何か降るかな?と頭の隅で思いながら。
(私も静岡の佐治先生の講義、応募が当たって行けたのに…行けませんでした。)
ちょうど奈良で挙式をした日のあの不思議な夜の時ような症状で、
ただ「あ、低気圧だ、もうすぐ雨が降る」という普通の時とは違う状態。
あの5月のは、異様な満月の影響と長時間の妙な雷の前兆としての症状。
先日25日から26日にかけてのは、もしやノイちゃんとシンクロして…

なんて、いろんな自分のことをノイちゃんと繋げたくなってしまいます。
なんだか今はそんな風にさせていてもらいたい気持ちです。


寮さん:
>一方通行じゃなかった。つまり、そこに互いに交流する何かがあったから、悲しみが生じる。

一方通行の積み重ねは痛みを麻痺させてしまう恐いものだと思う。
寮さんに出会ってからなんですよ。
人と私の間に確かだと感じられる(感じたいと思う)何かがあったり、
人と人との間に私がいられる(いたいと思う)ようになったのは。
私がうずまっていた世界にどんどん光が入って、そこにあったものを、
そこにあるって知っているのにちっとも姿が見えなかったものを、
見たくて、さわりたくて、確かにあるのだと確かめたくてたまらなかった
"うさぎ"を、ちゃんと自分の手にとってみることができるようになったのは。

ここからいなくなったら哀しくて哀しくてしょうがなくなってしまう存在がいる。
ある意味弱くなったかもしれない自分。でも、すごく愛しいです。

ノイちゃんとちー坊とおそろいの透明ボール、
うさぎのふわふわがついている袋にいつも入れています。
来世でも会えるっていう切符だったらいいな。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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