ハルモニア Cafe Lumiere (No.0022)

寮美千子/軽い掲示板
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Eli  追悼ノイちゃん 一度だけだけど会えてよかった 2002年12月29日(日)03時10分31秒 http://boat.zero.ad.jp/cross-road/
感謝/そして再びわがままなお願い へのコメント

私がノイちゃんに会ったのは一度だけ。
はからずも寮さんちに転がり込むはめになった、アイヌのイベントのときでした。
会った瞬間、「わ、すごく美猫さんだなあ〜〜」と思った。
大きなきらきらとした目が印象的でした。
ノイちゃんで思い出すのはヒーターの上にうずくまっている姿。
あたたかいところをちゃんと知っているんだなあ、と微笑ましかった。

あのときは終電を逃して、望ちゃんとともに、むりやり寮さんちに
お邪魔してしまったのですが、でもそんなことでもなければ、なかなか
寮さんちにお邪魔する機会もなくて、ノイちゃんにも会えずじまいだったかもしれない。
と思うと、あの日、終電を逃したことも何かの巡り合わせだったのかな、と思います。
あの日、ノイちゃんに会えておいてよかったな、と、心からそう思っています。

私は小学校4年から中学3年まで犬を飼っていました。
飼っていたのは5年ほどで、しかも、ときどき散歩に連れて行くのが
めんどくさくなったりして、決して良い飼い主とは言えなかったと思います。
でも、その犬が病気で死んだとき、私は受験生だったので、
いつもと同じように塾に行ったのですが、気が付いたら授業中勝手に涙が出ていました。
「悲しいんだ」という自覚もなかったけれども、とにかく勝手に涙が出て止まりませんでした。
今でもそのときの気持ちや光景が鮮明に思い出されます。
それ以後、動物は飼っていません。
それは、あの犬を充分に可愛がったり世話をしてやれないまま、死なせてしまったな、
という負い目があるからかもしれません。

寮さんとノイちゃんはきっと可愛がるとか、世話をするとか、そういう次元を超えて、
お互いに充分に愛しあっていたのだと思います。
だからこそ、より悲しみが深いのでしょうけど。。。

寮さん、今は、辛くて悲しくて当然でしょう。
思うぞんぶん悲しみに浸ったってかまわないと思います。
わがままでも情けないことでもなんでもいくらでも言ってください。
ぞんぶんに語れるほど私にはノイちゃんの思い出が無いのが悔しいのですが。。。

川合 慶一  ノイちゃん、あなたもまた星のかけらだよ。 2002年12月29日(日)02時52分07秒
わがままなお願い へのコメント

 もう十年以上も前のことになってしまいましたが、我が家で飼っていた猫が3ヶ月ほどの闘病生活の末、手当ても空しく逝ってしまいました。最後の日に非常に苦しんでいたそうですが、あとで家族から、一人だけその場にそろっていなかった私が仕事から帰るのを待って、苦しみに耐えていたのだろうと聞かされたことが、今でもつらい思い出として心に残っています。もう今日明日の話であろうことはわかっていたつもりでしたが、早く戻ってやってと泣き声で勤め先に電話をかけてきた妹の言葉の本当の意味が、その日の夕方帰宅するまでとうとうわからなかったのでした。

 そんな思い出と重なってしまって、悲しみをこらえて連絡を下さった寮さんに、とてもすぐにはお返事できませんでした。ごめんなさい。
 ノイちゃんとはもうだいぶ前にしらいしさんたちと深夜寮さんのところになだれこんで、寮さんの手料理付きで一晩お世話になったときの一度だけしか会っておりませんが、どういうわけか猫という猫から嫌われ続けた(思うに頭やアゴ、背中を撫でる手加減がどこか不快感を与えているのでしょう)私を、ノイちゃんは嫌わないでくれました。特別好かれたというわけではなかったのですが、何だか不思議で、うれしい気分でした。

 ノイちゃんが、寮さんと一緒に居続けようとして苦しみと戦っていた頃、私は楽しみにしていた佐治晴夫先生のお話とパイプオルガンの演奏を聴くために、静岡まで行っておりました。
 尊敬する佐治先生が講演の際によく語られる言葉をお借りして、ノイちゃんに贈ります。
「ノイちゃん、私たちと同じくあなたもまた星のかけらだよ・・・・・・!」

寮美千子  永訣の翼 2002年12月29日(日)02時34分45秒 http://ryomichico.net
お赦しを。 へのコメント

▼ドロンコさま
ありがとう(泣)いつもノイをかまいすぎて煙たがられていたよねえ(泣)でも、あのホーボーのお刺身は、いつもは食べ物に強い興味を示さないあのノイがいたく気に入って、うれしそうに食べていたよねえ(泣)あの瞬間、ノイはきっとうれしかったに違いない。そう思います。ありがとう。そして、そんなノイの小さな仕草を覚えていてくれてありがとう(泣)

実は、わたしもまだノイが亡くなったことを了解できないでいます。心に親しい者が亡くなると、どうしたって了解しがたい。桶谷さんが亡くなった時も、お通夜にもいって対面したし、焼き場で窯に入っていって灰になるのも見届けたのに、やっぱり了解できなかった。江ノ島沖の海にその灰を撒いてもまだダメだった。いまでも、ふいに桶谷さんから「次の仕事だけど……」って電話がかかってきそうな気がする。ノイはわたしの腕のなかで息を引き取った。それでもやっぱり了解できない。わたしの心は頑固だ。

でも、ひとつだけ確かに了解できることがある。ノイがしあわせだったかどうかはわからないけれど、わたしはノイといられて、とてもとてもしあわせだったということ。

▼追悼詩
ノイ追悼のVoiceを書きました。病み衰えていくのはゆっくりだけど、生から死への移行は一瞬。まるで、超新星爆発のようだ。いまでも了解しきれないその不思議な瞬間のことを、言葉に留めました。読んでみてください。

review0005.html#review20021229021548

DORONKO  お赦しを。 2002年12月29日(日)01時04分38秒
感謝/そして再びわがままなお願い へのコメント

ヒカラビたように生きていて、なおかつ、
生きることに追われているぼくには、ノイちゃんがもう
いなくなってしまったということが、まだよく実感できず、
その死に十分に思いを致すことができないのです。
ただ義務感から何かを書こうとしたりすれば、
それは寮さんやノイちゃんを蔑むことにもなってしまうだろう。
――良し悪しは別として、ぼくはどうしてもそんな風に
思ってしまう、古いタイプの人間なのです。

あるいは、ノイちゃんの死に見合うような、それによく似た
経験がぼくにあるなら、事情は違うのかも知れません。
しかし、どうやら、それに等価でありうるようなものは、
ぼくの内にはないようなのです。

つづめて言ってしまえば、ノイちゃんに対してのぼくは、
いつもイジワルなオジチャンだったのではないかと
思います。ノイちゃんにはどうしてあげるのがいいこと
なのかがいつまでもよくわからなくて、要するに
ちょっかいばかり出しているような、かなり困った存在
だったのではないでしょうか。
それでも、しばらくぶりに寮さんのところに寄らせて
いただいたりすると、トトトッと軽い足取りで寄ってきて、
挨拶をしてくれました。実に愛らしいノイちゃんでした。

いつだったか、寮さんたちとの食事のオカズにでもと、
ホウボウの刺身を買って行ったことがありましたが、
あの時は、ノイちゃんもあの刺身をとても気に入ってくれた
ようで、たしか、2切れか3切れぐらいは食べてくれたのでは
ないでしょうか。あの時は、多少でも日頃のオワビが
できたような気がしたものです。

でも、ノイちゃん、本当にもういなくなってしまったんですね。
まだ大丈夫じゃないかなんて思っていたのだけれど――。

さようなら、ノイちゃん!

ぼくたちもきっと、いつまでもきみのことを忘れない
だろうと思います。
きみも、お空の上のネコの国から、寮さんやコワイオジチャンの
ことを、ずっと見守っていて下さいね。


寮美千子  ノイの出棺/地上では痛みさえ輝く 2002年12月29日(日)00時26分23秒 http://ryomichico.net
ノイちゃん逝く へのコメント


昨日、ノイの出棺をしました。いつも寝ていたお気に入りの籠に寝かせてやり、お気に入りの毛布(とてもよく似合う)をかけて、腕に抱いて家を出ました。あのノイが大好きだった透明ボールもいっしょにいれてあげたんだよ、たきちゃん。

出るときは、悲しかった。遺体はノイじゃない。元ノイちゃんでしかないのに、それでもやっぱり他にノイはいないから、それがノイとしか思えない。そのノイが、もう二度とここに戻って来ないのかと思うと、泣けて泣けてならなかった。胸が潰れるようでした。どんなお葬式でも、出棺はほんとにつらいね。


ノイを連れていったのは、経堂。「ハセ川はく製」という小さな剥製屋さんです。剥製にするわけじゃない。そこで、きれいな白いお骨にしてもらうのです。メイの時もそうしてもらった。

メイの時は、別れがたくて夏だというのに7日間も保冷剤を敷いていっしょに添い寝をして、挙げ句に元伴侶に電話で叱りとばされて「ハセ川はく製」へと連れていったのでした。わたしは博物館の標本みたいな骨格標本にしてほしかったんだけど(クレージー!)それは無理というので、ただお骨にしてもらうことにしました。

剥製なんて嫌いだと思っていた。ちっともステキじゃない。不自然だし、かわいくない。ニューヨークの自然史博物館で大量の剥製を見たときも、そう思った。

けれど「ハセ川はく製」の小さな応接室に並んだ剥製たちを見ておどろいた。小さな小鳥でさえ、表情がある。タヌキやイノシシたちは、ぬいぐるみのようにかわいい。確かに生きてはいない。けれど、そこには別の新しい命が宿っているように感じられたのでした。こんなにかわいいなら、剥製を考えてもよかったと思われるほどだったけれど、亡くなって7日も経ってしまっては無理だとのこと。そうか、とあきらめました。

ノイの遺体を撫でていると、この感触が失われるのはたまらないと思う。小さな頭を掌に包んでいると、この小ささを、ほのかな重さを忘れたくないと思う。けれどもやっぱり、剥製じゃあ、ノイじゃないとも思う。「ハセ川はく製」の剥製たちは、とてもすばらしくて、かわいくて、あれならいいかもしれない、とも思うけれど、やっぱり踏ん切りがつかなくて、お骨にしてもらうことにしました。

ノイのお骨は、メイと同じように家に持っていて、わたしが死んだとき、いっしょに葬ってもらおうと思います。わがままだね、わたし。


「ハセ川はく製」へは、電車でいきました。向かいのおじいさんとおばあさんが、不思議そうにこっちを見て話しているのが聞こえました。
「赤ちゃんかしら?」
「いや、それなら毛布でふさがないだろう」
わたしは手袋をはずし、そっと毛布の間から手を入れ、ノイを撫でていた。

「ハセ川はく製」のおじさんは不思議な人。この世とあの世の境目にいる、やさしい守人のような人です。マージナルな世界の住人。この人にならノイを、メイを任せられる、預けられると感じさせてくれるような人。いつか、このおじさんのことをきちんと書きたいと思っています。


ノイの遺骸がなくなってしまったので、家の中はからっぽ。戻ってきても、もうノイちゃんはいない。いなくても呼んでしまう。「ノイちゃーん、ただいま」と。そして、いないとわかっているノイを探してしまう。

家に帰るのが怖い。ノイのいない家に帰るのが。友人夫婦は、2年間泣き暮らしたっていうから、まだまだずっと悲しいんだろうなあ。きょうも、東林間の「グリム書房」に、遅れ遅れになっていた約束の本を届けに行くといって出かけ、そのままずっと話し込んでなかなか戻らず、グリムを出てからもしばらく街をほっつき歩いてしまいました。


こんなに悲しいのは、愛していたからで、もし、野良猫が死んでいるのを見ても、かわいそうとは思っても、こんなにはつらくないと思う。しかも、ノイもわたしを求めてくれた。求められていたから、ノイの不在が堪えるのだと思うのです。一方通行じゃなかった。つまり、そこに互いに交流する何かがあったから、悲しみが生じる。

「動物はいやだ。死ぬから」という人がいます。だから、飼わないと。それは違うとわたしは思う。愛するから、別れが悲しい。悲しみの深さは、愛の深さ。悲しみは、愛することを知ったという証拠。だから、思う。ノイちゃん、ありがとう。こんなに愛させてくれて。痛みを恐れて愛のない世界を生きるより、痛くても愛を知っていたい。

お釈迦さまは、愛別離苦からの解脱だなんていって、涅槃の境地を求めた。ほんとうに苦しかったとき、わたしも涅槃の境地が得られたら、どんなにいいだろうかと思ったこともあります。でも、いまは違う。言葉や意味で悲しいなんていうんじゃない。なんだか、自分の奥の底の方から湧きあがってくる感情。時々耳の奥で嵐がびゅうびゅうと吹きすさぶような痛み。そんなふうに「痛み」を感じられることがうれしい。それは、それだけノイを好きだったということだから。それだけ大切なものがわたしにはあったということだから。そこまで愛せたということだから。「悲しみや痛みさえ、この地上では輝く」とか「痛みを味わおう。それが生きているという証だから」と、お題目のように唱えても、いままでなかなか実感がわかなかったけれど、いまはほんとうに心からそう思う。ノイ、ありがとうね。ノイ、こんなに愛させてくれて。だから、こんなに純粋に悲しいんだよね。ね、ノイ。

▼リトさま
ありがとう。ノイちゃん、あっちでノナちゃんと仲良くしてるといいね。なんだか、親しい者たちがたくさん移住して、あっちの世界がやさしくすてきな場所に思えてきました。

リト  ノイちゃんへ 2002年12月28日(土)23時59分40秒
感謝/そして再びわがままなお願い へのコメント

ごめんなさい。寮美千子姉御のHPここしばらく訪問してなかった。ノイちゃん、ご苦労さまでした。なんたって1週間以上、ご一緒したもんね。今年だけの出会いだったけど本当に、居候させてもらってありがとう。1日だけイビキうるさくてごめんね。Dさんほどじゃないけどね。

本当に相模大野はなんて居心地がいいのだとずっと思ってた。その原因のかなりはノイちゃんがいたからなんだ。間違いない。ボクも猫さんはいろいろ知っているけど、本当になにかおおらかな、存在だったな。何か11月の日々を思い出して急に寂しいよ。

うちもね。82年から95年までノナって猫さんと一緒に住んでいたんだよ。本当に人見知りが激しくて。でもそこにいるだけでうれしかった。そそうもするし、イタズラも何度もした。でもいてくれるだけでうれしかった。ノナが突然、逝った時、信じられないくらい泣いた。いつも「このイタズラもんが!」と怒鳴っていたうちの家族も本当に泣いていた。あぁ思い出してしまった。

もしノナって白い猫と知り合ったらよろしく言ってくださいね。

本当にピリカなチャペでした。安らかにお休みください。猫も人間も殺される戦争をやめさせるためになんとかない知恵ふりしぼって考えるからね。ゆっくりおやすみ…

寮美千子  感謝/そして再びわがままなお願い 2002年12月28日(土)23時29分02秒 http://ryomichico.net
わがままなお願い へのコメント

▼パルステラさま たきちゃん 目玉おやじさま silicaさま
わたしのわがままなお願いをきいてくださり、ノイの思い出を寄せてくださってありがとう。ノイがこの地上から消えてしまったいま、みんなのなかのノイの思い出を聞くことが、こんなにもありがたいことなのだとはじめてわかりました。ほんとうに感謝します。

そうだよね。目玉おやじさん、いつもノイに海苔をおみやげに持ってきてくれたよね。ノイは海苔、大好きだったなあ。silicaさん、アイヌのライブの日、いきなり「アイロンお願い」なんて頼んでごめんね。おかげであの日の舞台衣裳、ぴしっと決まりました。さすがプロの主婦。わたしがかけたよりずっと上手でした。人なつっこいノイは、silicaさんにもご挨拶にいったんだね。ノイ、なんていったんだろうなあ。たきちゃん、ノイの好きだったあの透明ボール、たき坊とちえ坊にもあげたんだったよね。映画「クロエ」いつか見ようと思います。心あたたまるまっすぐな言葉をありがとう。たき坊の言葉は、いつだっていちばんまっすぐわたしの心に届きます。ノイって「星兎」だったなあって、いま、思っています。パルステラさま。最後の最後にノイに会ってくれた人のひとりになったね。ノイのスケッチ、ありがとう。悲しすぎて、いまはまだ見られないでいます。もっと時間が過ぎたら開いてみるね。

▼他者のなかにある思い出に癒されるということ
遺族の方に故人の思い出を語ると、それがどんな些細な思い出でもとても喜ばれる。そんなことがいままで何度かありました。ああ、こういうことだったんだと、今回しみじみ実感しました。

なぜ、こんなにうれしいんだろう。癒されるのだろう。

ノイが、記憶という形でみんなの中にある。地上からすっかり消えてしまったと思っていたのに、小さな破片のようにノイの記憶が世界に散らばっている。月並みな言葉で言えば、みんなのなかにノイが少しずつ生きているのがうれしいのかもしれない。

抽象的な言葉でいえばそうだけれど、それはもっと体感的なことかもしれない、と思うのです。生きているノイはとても自律的に動く。こちらの予測通りの動きをすることもあれば、思いもかけない動きをすることもある。わたしが見ていても見ていなくても、ノイちゃんはそこにいて、存在している。みんなが語ってくれるノイちゃん、というのは、そんなノイにとても近い。ふいに机に上ってきて、キーボードの上を歩いて超抽象的な現代詩を書いていくノイを見ているような、そんな気持ちになる。意外な動き。ああ、そんなふうに動くね。そんなこともあったね。ノイが、生きてそこにいるのを見ているような気がする。だから、こんなにうれしいんだ、きっと。

いち早く弔問メールをくださったMさんと電話で話して、そんな話がでました。Mさんは、奥さまを亡くされたとき、みんなから奥さまの思い出話を聞くのが何よりもの慰めになったとおっしゃっていました。そして、身近な友からの話が出切ってしまうと、Mさん自身はそれまで会ったこともない奥さまの同級生まで探しだして、話を聞こうとした、ということです。

「だからね、スズメ(わたしのこと)どんなことでも聞きたいんだよ。聞ければうれしいんだよ。例え悪口でもいいんだ。誰かの口からあいつのことを聞いていたい。そしてね、笑っちゃうだろうが、生きているあいつを知ってる人は、ぼくにとってはそれだけで善人になってしまうんだ」

いまだから、Mさんのその気持ち、とてもよくわかる。わたしも、いっぱいいっぱい、ノイの話を聞きたい。ノイに会ったことのあるみんなから聞きたいと思ってしまいます。

▼再びわがままなお願い
だから、再びのお願いです。ほとんど懇願です。みっともない、うっとうしい、たかが猫一匹で情けない、世界では飢えて死にかけている子どももいるのに、戦争が起きようとしているのに、たかが猫の死にかまけていていい気なもんだ、と思われる方もいるかとは思いますが、どうか、ノイの思い出のある方、どんな欠片でもいいからお聞かせください。メールじゃなくて掲示板がいいです。わがままだけど、その方がノイがみんなにノイのこと知ってもらえて、ノイがこの世に存在した確かな証拠になるような気がして。なんてわがままで情けないと自分でも思いますが、えーん、お願いだよお。たのんます。

追伸:おい、ドロンコ、きみがいちばんたくさんうちでメシ食ってるんだから、なんか言えよ! いつもいつもあんなにノイをいじくっただろうが、このっ!

パルステラ  ノイちゃんとの『対話』のとき/愛する者が教えてくれる事 2002年12月28日(土)06時45分17秒
わがままなお願い へのコメント

ノイちゃんの、まだ温かい記憶が鮮烈です。言葉にするには難しいのですが、
文の不備はどうかお許し下さい。


寮さん宅へ初めてお伺いした時、メイちゃんとノイちゃんが出迎えてくれました。
驚くほど大きな瞳のハンサムなお二人さんは、一方はちょっとはにかみ屋さん、
もう一方は人懐っこくて、幾度かしなやかな身体をすり寄せてくれて、
そのうち「クシクシ」毛繕いもさせてくれました。
ある日メイちゃんが花に囲まれて、しずかに横たわっていたのにも会わせてくれましたね。
(自分の犬が逝って間もなかった頃で、寮さんの寂しさ、悲しみはとても他人事ではなかった。)
その後も幾度か遊びに行くと、 いつも元気なノイちゃんがいて、お行儀良く特別席にちょこんと座り、
時々我々の相手をし、またメイちゃんの分まで甘えん坊さんでした。

つい22日(日)のこと、寮さん宅で、お願いしてノイちゃんとの「対話」の時間をもらいました。
それまで幾度かお目にかかっていたけれど、この日は特にノイちゃんと静かに向き合う時間があったら
と強く思ったのです。
その少し前、寮さんが「かなり弱っている中、よろけながらでもトイレに行こうとする姿は
『生』に向かって、神々しいくらいなのよ。」と電話で話してくれた、その言葉にとても惹かれたのか、
あるいは傲慢にも、私なりの「励まし」が出来るのではないかとどこかで思っていたのかも知れません。

とにかく、寮さんは私の申し出を快く受けてノイちゃんのいる寝室にそうっと入れてくれたのでした。
この日、MARIKOさんと一緒に来ていた小さな王子様S君が、疲れて気持ち良さそうに寝息をたてていた
そのすぐ枕元近くに毛布にくるまれたノイちゃんがいました。
ノイちゃんの顎や背中を撫でてみました。背中の骨格が数えられるくらいに細くなった身体ながら、
しっかりと息をして暖かく、時折ペーパーウェイトのような眼を開けてこちらを見ては嫌がりもせず、
またふうっと微睡んだりして----。静かな微睡みの中にあっても、こんなにも確かに脈打つ命の姿が
あるのかと、眩しくて愛おしかった。

この時、ノイちゃんの「姿」そのものが語ってくれた貴重な一瞬一瞬を、
私は寮さんに贈るべく持って来た「秘密の手帖」に自分なりの方法で記録させてもらいました。
しばらくするうちに、艶やかで美しい模様もぴんと張った耳も足の形も寝息も声も心音も、
すっぽりと私の手の中に入ってくれたような気がして、 いったいどのくらいそうしていたでしょう。
手帖を閉じようとした時、ふいに彼は起き上がって、傍らのヒーターの上にぴょんと飛び乗りました。
そこでまた一枚。寮さんが、「まだ描いてる?」と廊下のほうから声をかけるまでは
時間が止まっていたようでした。

これが決して最後の肖像であって欲しくはなかったのに、
もっと元気になった彼と再び対話する時のためにこの時間をもらったはずなのに、
私のハンドパワーはあまりに無力でした。無念が残ります。どうかお許し下さい。

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動物と一緒に暮らすという事の素晴らしさと、その最後を見届ける事の大切さ、辛さを
同じように思い知る者として、改めてノイちゃんと寮さんとの「縁」を想います。
動物との暮らしの中で(その死を含めて)、彼等がその全身全霊を以て、言葉以上に
我々に教えてくれる事の偉大さを想います。
「かけがえのない」という意味、「祈り」という本当の意味をはじめて全身で悟るのは、
まず無条件に愛する者が重大な危機に瀕した時です。
その対象がペットであろうと 恋人であろうと 家族であろうと、その本質に変わりはありません。

寮さん、今最も大切に思われる存在とのひとときに精一杯心を向ける事、
その心のまま、ありのままを昇華して下さい。ノイちゃんにとって最高のママでしたね。

私自身がメイちゃんやノイちゃんと寮さんとの交感に立ち会えた事に感謝しています。
そして、ノイちゃんとの高密度な「対話」の時間を下さった事に心から感謝しています。 静慮。

たき  私のノイちゃん 2002年12月28日(土)01時04分34秒
わがままなお願い へのコメント

私もお話しにきました。
私のノイちゃんの話をさせてください。

幼い頃に猫に近づくと高熱を出して猫アレルギーと診断され、
長い間どんな猫にも近寄ることがなかった私。
でも、ノイちゃんは特別でした。

2000年の夏、8月だったと思います。
相模原の宇宙科学研究所の一般公開日でした。
カフェルナでその情報が流れたので、意気揚揚と相模原へ行き、
研究所を見て回り、そろそろおしまいという時間になって、
外にあった掲示板にうさぎのらくがきをしてから、
さぁ帰りましょう、と門の方へ歩いていったところに、
寮さんと松永さんと平林久先生が立っていました。
その後、平林先生のお部屋にお邪魔して歓談した後、
寮邸へ招いてくれたのでした。
その日が、ノイちゃんとの初対面でした。

お家に入るなり、すーっと足元に寄ってきたノイちゃん。
自然に「なぁー、なぁー」とおしゃべりしていました。
不思議な感じがしたな。あれはハーモニウムの言葉だったと思うのです。
何を伝えようとかどう伝えようとか考える以前の、音だけで伝わるコトバ。
ノイちゃんと話していたあの時、とても気持ちが良かった。
きっとノイちゃんだって(と私は信じているのです。)
だから、いつまでもふたりしてなぁーなぁー言っていたのだと思います。

ごはんをご馳走になった時、ノイちゃんは私のお皿にもひくひくしました。
ノイちゃんがひくひくしてくれたことで、何か素敵な勲章をもらったような、
誇らしくて、くすぐったい気持ちになりました。
ちゃんと確かめなければ気がすまない、という風情がすごく可愛いくて、
美味しいごはんに私自身ひくひくしながらも、まじまじと見てしまいました。

今思えば、私は、ノイちゃんの横顔が特別好きだったようです。
横から見る眼がものすごく綺麗だということを最初に会った日に知って、
その後ノイちゃんに会うと、必ず横から眼を覗き込みました。
透き通っていて、ノイちゃんがじっと見つめている
そのものも透明にしてしまうような、そんな眼でした。

何度か会った中で、とても記憶に残っている光景のひとつに、
結婚のご報告をしにお邪魔した日のことがあります。
どんな風に報告しようかとドキドキしつつちー坊とG氏と3人で座敷に座り、
その日寮さんからもらった透明で多角形のス―パーボールで遊んでいたら、
ノイちゃんが来て、スーパーボールを転がしてみると、案の定興味を示しました。
食卓の下の床に転がすと、もうどうしようもない、どうにもやめられないという風に、
そのきれいな透明なものを追っていました、何度も何度も。
何度も何度もやる我々も我々だわ、まったく、と思ったのだけれど、
いかんともしがたく透明を追ってしまうノイちゃんが見たくてしょうがなくて。
お互いにつかれたようにしてそれを見ていました。
春分の日の光の中、きらきらをつかまえようとする、ノイちゃんの姿。
なんだか妙に残っています。

そう、そう言えばそのスーパーボール、後日、
望ちゃんに教えてもらって、ちー坊と見に行った、
「クロエ」という映画の中に出てきて、
上映中思わずふたりして顔を見合わせてしまいました。
ボリス・ヴィアンの『日々の泡』原作の日本映画なのですが、
とってもきれいなシーンで使われていたのですよ。
胸の中に白い花を宿らせてしまったクロエが、
まっさらなお部屋で、窓からの光に透明な多角形のそれをかざすのです。
すると、その場所の静けさを壊すことなく、きらきらと動き出すのです。
あのきらきら、映画のようにしたら、ノイちゃんどんな風に見ただろう…

なにかと寮邸へ集まりたがって来るいつまでも世話がやける者どもを、
寮さんのそろえた両足の上ですんとして寝そべって見ていたノイちゃん。
あんな仲良しでいいなあって見ていたみんな。
ノイちゃんのこと、大好きだったよ。ノイちゃん、ありがとう。

ノイちゃん、今ごろ、ノイちゃんの眼のような透明な大気になっているかな。
寮さんのこと、ずっとその眼で見守っていてください。
寮さんが大好きな一匹として、お願いします。

silica  ただ一度だけ会えたノイちゃん 2002年12月27日(金)02時21分29秒
わがままなお願い へのコメント

寮さんへはメールを送らせていただきましたが、ここの掲示板にノイちゃんの記録が残ることを寮さんは望まれていらっしゃると思いましたので、おじゃまさせていただきます。

私は、寮さんが企画された11月のコンサートのお手伝いの時に寮さんのお宅へ伺う機会がありました。
準備で大わらわだった寮さんからアイロンがけをバトンタッチしてまもなく、ノイちゃんは「みゃ〜ん・・・どなたですか・・・?」とごあいさつに来てくれたのでした。声の感じからすると、「寮さんはどこ行っちゃったの・・・?」とおたずねになったのかもしれません。たった一度だけでしたが、お会いできて嬉しかったです、ノイちゃん。

活字倶楽部2001年春号には、寮さんにしっかり抱っこされたノイちゃんが映っていますね。
男前です。いいお写真。

寮さんのコメントをずっと拝見していたら、人と猫という姿を超えて、もう魂と魂の交感そのもののように感じられました。 ノイちゃんはきっと幸せだったにちがいありません。

目玉おやじ  ノイちゃんの想い出 2002年12月27日(金)01時07分53秒
わがままなお願い へのコメント

相模大野のロビーシティーにある寮さん宅にお邪魔すると、いつも足元に来て8の字を描きながら私の脚に体をこすり付けていたノイちゃん。
海苔が好きだったノイちゃん。会社の売店で安売りの海苔があると、たまに買って持って行ってあげましたね。
食卓テーブルの上を食器に触れないよう上手に歩いたりしてましたね。でも匂いを嗅ぐだけで、おいたせずにちゃんとお利巧さんしてましたね。
一年以上のご無沙汰でしたが、現世ではもう逢えないのですね。
「小惑星美術館」のパラレルワールド円環惑星(名称失念)に居るノイちゃんはどうしているのかな?
じゃあね、バイバイ★

寮美千子  わがままなお願い 2002年12月27日(金)00時21分26秒 http://ryomichico.net
ノイちゃん逝く へのコメント

▼猫母さま
ありがとう。勇気づけられます。近くに住んでいたんだから、ノイに一度会ってもらえばよかったなあ。ちょっと残念な気がします。

▼みなさま
ノイに会ったことのある方、電話で声を聞かれた方、いっぱいいると思います。どんな小さな思い出でもかまいません。記憶の端にあるノイのこと、ほんの一言でもいいから書いていただけたらうれしいです。よろしくお願いします。


世界とは、いずれ滅びるもの、失われゆくものの総体なのだと強く感じました。だから輝き、だからこんなにも愛しいのだと。今晩は、ノイと過ごす最後の夜。がんばってがんばってがんばりぬいてくれたノイをねぎらいたいと思います。

今も昔も駄猫の母  逝ってしまったノイちゃんへ・・・ 2002年12月26日(木)11時42分58秒
ノイちゃん逝く へのコメント

追慕の念を捧げ 心よりお悔やみ申し上げます。

ノイちゃんの報告が書かれなかったので、もしや、と思っていました。
最期まで毅然と「生きた」ノイちゃんに、最期までしっかりと
「生きさせてあげた」寮さんに、頭が下がります。
あらゆる可能性を探し調べ実践し、一途に前向きに
力を尽くされた寮さんは本当にスゴイ!
ノイちゃんは感謝の気持ちでいっぱいのはずです。だから・・・
寮さんが確実にそばにいてくれる時間を選んで、旅立ったのだと思います。

寮さん、泣いてばかりいてはだめですよ。
悲しい想いは一人で抱きかかえずに吐露し、そして書いてください。
ノイちゃんは今もこれからもずっと寮さんのそばにいます。
ママはいつだってシャキっと、気丈に、テキパキとしてなきゃ。

寮さんのお体が心配です。くれぐれも無理をされませんよう。

寮美千子  ノイちゃん逝く 2002年12月26日(木)06時53分17秒 http://ryomichico.net

12月26日未明、闘病中だった我が家の猫のノイちゃんが逝去いたしました。
東北沢の酒屋さんの倉庫で拾ってから、もう14〜5年になるでしょうか。
生前は、みなさまにかわいがっていただき、ほんとうにありがとうございました。
飲み会のときには、いつもノイ用の特別席に座って最後までいっしょにいたノイちゃんでした。
最期の20時間は、絶え間なく襲ってくる痙攣の発作に苦しみました。
それでも、悲鳴らしい悲鳴もあげずに、
あの甘ったれのノイが、ここまで立派に頑張り抜くかと、胸が詰まりました。
あまりの苦しみようなので、夜があけたら、いっそ獣医さんを呼んで安楽死を、
と考えていたところ、自ら遠いところへ旅立っていきました。
わたしに心の負担をかけまいとする思いやりにも思えました。
いままでのわたしの人生の中で、いちばん苦しい時も
片時も離れずにそばにいてくれたノイちゃんでした。
そのかわいらしさ、まるで犬のようにすなおでまっすぐな心。
それに、どれだけ勇気づけられたかしれません。
ノイちゃん、長い間ほんとうにありがとう。

大長老  A merry Christmas to you! 2002年12月25日(水)00時35分46秒

ども…。

マミ  クリスマス 2002年12月22日(日)06時02分21秒

マダガスカル人もクリスマスを祝っていますから、25日は休日になっています。
その日にだいたいみんな教会へ祈りに行って、一番なきれいな洋服を着ます。イエス様の生まれたの日だったそうです。
クリスマスも子供達の日です。なぜかというと、両親が子供におもちゃをくれます。
家族の食事は普通よりちょっと違います。ごちそうな料理を作ります。

素敵なクリスマスを!!!

川島由紀代  ノイちゃん、寮さん、スゴイ!/日食 2002年12月22日(日)03時06分14秒 http://www005.upp.so-net.ne.jp/kobuta/
生キルチカラ へのコメント

☆ノイちゃん
大切なご家族がそんなに大変な病気になって、いつどうなるか分からない
ような不安な時に、そのことときちんと向かい合って、ご自分の気持ち
だけでなくノイちゃんの本当の気持ちや体のことを考えてあげられる
寮さんて、あらためてスゴイなぁって思います。
私だったら、どうしたらいいか、ただオロオロしてしまうばかりで
きちんと向かいあうこともできないかもしれないと思います。
ただひたすら生きようとする姿、つらいからと言って逃げないこと・・・
いろいろなことをノイちゃんと寮さんから教えていただいている気がします。
ノイちゃんが少しでも回復されて一日一日を気分良く楽しく生きられる
ように陰ながらお祈りしています。
寮さん、ご自身のお体にもお気をつけてください。


☆日食
オーストラリアでの日食、とてもすばらしかったようですね。
ご覧になった方々がとってもうらやましいです!
私は、寮さんとご一緒したトルコでのツアーで1度だけ皆既日食を
見たことがありますが、その時のことを思い出し、今回はどんな
だったんだろう?と、もっといろいろお聞きしてみたい感じです。



寮美千子  生キルチカラ 2002年12月21日(土)15時36分54秒 http://ryomichico.net
ぎりぎりの猫2題 「星ねこミューンのオルゴール」絶版!/ノイちゃんの一寸先は光 へのコメント

先日の抗生物質投与後は、激しく吐いたりして一時は死ぬんじゃないか、と見えたノイちゃんですが、きょうは少し回復。足はヨレながらも、意外としっかりして、洗面台に飛び乗ろうとしたりしています。(力足りず、前足だけがひっかかった状態でばたなたしていたけれど)。ともかく、できるできないは別としても、意欲があるのはすごい。

ノイちゃん、見るからにぐったりして、ほんとにもうダメと思った時も、力を振り絞ってトイレに起きていました。そして、ちょっとでも具合がよくなると、さっそく自分で水を飲んだり、ごはんをせがんだりするのです。実際にごはんを目の前にすると食べられなかったり、食べてもごく少量だったりする。それでもやっぱり、生きていく方向に意欲が湧きあがるところがすごい。

わたしだったら、と思う。病気でつらいという事実に精神的に負けてしまって、生きようと意欲を持つことを放棄してしまうかもしれない。人間には「想像力」というやっかい、かつすばらしいものがあって、それで明るい未来を思い描きもすれば、暗い未来を思いわずらい、つらい過去を反芻したりもする。「想像力」のベクトルで、どちらへでも転んでしまう。できれば、明るい方へ転びたい。

けれども、動物はきっと違う。未来にも過去にも煩わされることなく、きっと「いまそのもの」を生きている。いまこの瞬間、少しでも体が軽くなれば、生きようとする方向に全力を傾ける。「生キルチカラ」が内在されている。ノイちゃんを見ていると、その強さに感嘆してしまう。

「この一瞬を生ききる」というの、老子のようでもあるし、仏教の教えのようでもある。生き物は、すごいなあ。

ノイちゃん、ほんとうはカロリー制限しなくちゃいけなかったのかもしれないのに、ブドウ糖なんて食べさせてごめんね。却ってつらい思いをさせちゃったね。ダメージを与えていたのに、それでも生きようと必死の努力をしていたノイは、ほんとうにえらい。ノイちゃん、ありがとう。

夕べから、K獣医師の指示に従って、砂糖や高カロリー食を与えないようにしている。補液もたっぷりと、一回に180ccすることにした。体重計で計って、補給した水分が出てしまったころを見計らって入れている。昨晩補給した水は、12時間ですっかり排出されてしまったようだ。アンモニアを吸着する活性炭の小さな粒も投与している。きょうはかなり元気で、機嫌もいい。ああ、よかった! ノイハハもがんばるぞ!

寮美千子  ぎりぎりの猫2題 「星ねこミューンのオルゴール」絶版!/ノイちゃんの一寸先は光 2002年12月21日(土)03時34分51秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:一寸先は光/セカンド・オピニオンの必要性 自信過剰と思いこみの怖さ へのコメント

▼絶版
「星ねこミューンのオルゴール」(小学館1995)が絶版になることになりました。残念。いまならまだネット書店で手に入ります。即、注文だ!
「星ねこミューンのオルゴール」注文

▼一寸先は光
この言葉、実感しました。ノイに新しい可能性が! 下記参照のこと。

review0005.html#review20021221032446

寮美千子  ありがとう/ノイちゃんのこと 2002年12月20日(金)14時56分01秒 http://ryomichico.net
参考にも慰めにもならないかも知れませんが・・・ へのコメント

▼猫母さま
励ましをありがとう。読んで、すぐにわかりました。あの古本屋さんの奥さまですね。新刊の本を持っていきますとお約束したのに、まだでごめんなさい。姪御さんのクリスマスの贈り物にとおっしゃっていたのに、間に合わなくなってしまいますね。後で、ノイの調子のいい時を見計らって、自転車でひとっぱしりお伺いします。

動物病院が休診だった今週の火曜日。自宅でそっとしておいただけなのに、ノイの調子は驚くほどよくなりました。吐き気も止まり、逆立った毛も元に戻って、近づくだけで喉をならすまでになったのです。それを見て決意しました。もう通院はやめようと。

それから、自宅で療養させることにしました。生理的電解質溶液(リンゲル液)の皮下注射をすることにしたのです。脱水症状がなによりこたえるらしく、皮下注射をすると、みるみる体調が回復します。病院に通いはじめてから自分からは飲まなかった水も飲み、ごはんも少量ですが口にするようになりました。それでも、目に見えて弱っていきます。けれども、機嫌はいい。ごろごろと喉を鳴らし、毛を逆立てることも吐くこともありません。

もうだいぶ弱ってきて、あんまり心配なのでつてをたどって友人の知り合いの獣医さんの意見を聞きました。やはり、慢性腎不全の猫にはストレスがいちばんの敵だということ。できるなら、自宅でリンゲル液の皮下注射をしてあげるのがベターだとおっしゃっていました。わたしの判断は正しかったと一安心。深大寺の先生ですが、今晩往診していただくことにしました。治療というより、終末医療のケアの仕方を教わるのが主眼です。

というわけで、ノイちゃんは弱ってはいるけれど落ち着いています。なるべく、そばにいてあげようと思っています。ご心配してくださってありがとう。また、報告しますね。

今も昔も駄猫の母  参考にも慰めにもならないかも知れませんが・・・ 2002年12月20日(金)02時40分53秒
▼Review Lunatique:猫介護/恫喝ではなく理解のためのインフォームド・コンセントを! へのコメント

寮さん 初めまして。(ここでは)。胸が詰まって、なにか書きたくて。ノイちゃんのこと。
通院はやめるべきだと思います。経験からしか言えませんが。16年9ヵ月一緒に生きた私の猫と同じ状態です、たぶん。饒舌な医師を私は信用していません、特に獣医は。夜中に駆け付けてくださった先生、早朝パジャマ姿で処置してくださった先生、一緒に泣いてくださった先生・・・信頼できる獣医は私の場合、みな寡黙でした。死生観とおっしゃいますが、私は自分がそうありたい、と考えることを猫に当てはめることはできません。ノイちゃんに聞いてみましたか?答えてくれるはずです。うちの猫は答えました。
 退院して何日も経たない内に症状は一気に悪化し、私達の手に負えなくなった時、夫はまた病院に連れて行くと主張しました。私は拒絶しました。猫にとって病院がどれほど怖い場所か痛いほど分かっていたから。夫は「治療費をケチるのか?」と激怒。「そうではない。助かるとは思えない。このまま1分でもそばにいたい。いてあげる方を選びたい。」けれど最善の治療は施したい、もしかしたら助かるかも知れない、とも。激しいやり取りの後、猫に言いました。「病院へ行こう。このままでは死んじゃうよ。病院へ行こう。元気になろうよ。元気になってくれなきゃ、困るよ。」と。大きな声で猫は「イヤ〜〜〜〜〜〜!」と鳴きました。「じゃ、おうちにいるの?ここがいいの?このままでいいの?」と聞くと「みゃーん。みゃーん。」と。赤ちゃんのような声でした。目には涙がたまって(いるように見え)ました。さすがに夫は何も言えなくなり、ただ猫の頭を撫でました。
 いつもの場所でいつものようにノイちゃんはゆらゆらしていたいのではないでしょうか。命あるものは全て終焉があります。ひとり?ぼっちでは逝かせない、絶対に私と夫で看取りたいと思いました。その願いは叶えられましたが後悔はもちろんあります。しかし「死」に満足など あり得ない。いつだって反省と後悔と懺悔のくり返しです。父を送った時だって。
 猫は言葉をしゃべらない。なにか言いたかったのではないかと、8年経った今も心が痛みます。

川合 慶一  今さらですが・・・・・・ 2002年12月18日(水)23時42分05秒
始めまして。(...オーストラリア皆既日食レポートつき) へのコメント

 寮さんこんばんは。こちらでは本当にお久しぶりです。ノイちゃんの具合はいかがですか。
 今になって二番煎じ、いや三番煎じくらいになるでしょうが、去る4日の皆既日蝕の報告を少々。

 私はAventurineさん、それから私と同じくこちらにもうだいぶごぶさたのしらいしさんと同じツアーで、12月1日から8日までオーストラリアまで出かけてきました。
 当日はサウスオーストラリア州のCedunaという海辺の小さな町にある牡蠣養殖場の敷地内(これがとてつもなく広い)の海岸の岩場で観測しましたが、当日は午後かなり遅くまで曇り、部分食も見え隠れに進行していきました。
 ところが皆既の直前に太陽が帯状の雲と雲との間に入り、見事な皆既日蝕を雲に邪魔されることなく観測することができました。皆既が終わり、光を取り戻した太陽がその後間もなくまた雲に覆われてしまったことを思えば、実に幸運だったと思います。

 大小マゼラン雲や南十字星をはじめ、南天の天体もゆっくり楽しむことができました。Cedunaの牡蠣は実に美味で、日蝕の前夜と観測が終わったあとの小パーティーでたくさん食べました。また、行きと帰りに立ち寄ったAdelaideはとても美しい街並みでしたが、そこの中華料理店で6日の夕食をとったときに、店内の壁に貼られたお品書きに「回鍋肉」ならぬ「回鍋袋鼠」(「鼠」の字体がちょっと違っていましたが、あれはまさしく「鼠」でした)というものを見つけました。土地柄もちろんそれが何物かはすぐに見当がつきましたが、それにしても中国語のネーミングはストレートでいいですね。「スーパーマーケット」は「超級市場」ですから。

 しらいしさんも道中元気で、日蝕も食事も星見も楽しんでいましたよ。都合で私たちより1日早い帰国となりましたが、いずれご自身のHP上で、今回の旅について報告してくれることでしょう。

 道中の詳しいお話はまたいずれのおりに。それでは、また。

寮美千子  猫介護の日々/きょう「千歳アイヌの歌と踊り」開催! 2002年12月18日(水)13時57分07秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:猫介護/恫喝ではなく理解のためのインフォームド・コンセントを! へのコメント


カフェルミの店主がさぼっている間も、すてきな話題でカフェをにぎわせてくれてありがとう。お返事したいと思いつつ、こんなすてきな話題、せっかく返事をするなら話題にふさわしいすてきなものにしなくちゃ、と思ってしまい、腰を据えて書く心の余裕がなくて、ついついお返事しそびれていました。みなさん、ごめんなさい。日蝕も、祖父佐吉のことも、遠いマダガスカルのことも、一昨日のヒクメットの催しのことも書きたかったし、新しい旅立ちをしたグレン横田氏とカッパ王子を送る水餃子パーティを我が家で催したことも書きたかったのです。


書きたいことを心ゆくまで書く余裕がないのは、うちの猫ノイちゃんの介護にあけくれているから、というのが一因。病状に一喜一憂し、動物病院に行き、毎日のように何かの判断を迫られる毎日です。そのことについてちょっと書いてみましたので、読んでみてください。

猫介護/恫喝ではなく理解のためのインフォームド・コンセントを!


きょうは、東京音大主催の公開講座「千歳アイヌの歌と踊り」。以前にお目にかかったことのある蘭越の中本ムツ子さんと、リト氏も所属する千歳アイヌ文化伝承保存会が代々木上原にやってきます。中本さんの対談相手には、作曲家の伊福部昭氏が予定されていましたが、伊福部氏突然のご入院のため、かわって伊福部氏の甥であり工学博士の伊福部達氏になりました。
http://www.hkd.meti.go.jp/hokig/seeds/obj0678.htm

達夫氏は、伊福部昭氏の兄君である宗夫氏のご子息。宗夫氏も工学博士でしたが、病気療養のため二風谷のアイヌ研究家であるマンロー宅へ移住。そこで見聞したイオマンテ(熊送りの儀式)について、理数系の技術者らしい克明かつ正確な記録を残しています。(伊福部宗夫著「沙流アイヌの熊祭り」1969 みやま書房) 達氏は、そのマンロー邸でお生まれになったとのこと。どんな話が聞けるのか、楽しみです。


ノイが心配ではありますが、きょうの公開講座は見逃せない。ノイちゃんも、今日明日にも、という容態ではないようなので、いってきたいと思います。書きたかった日蝕のこと、佐吉のことなど、また時間を見て書きます。では。

DORONKO  横浜の宴への追想。 2002年12月18日(水)10時16分44秒

<遊星たちの消息>の方でご案内した“ナーズム・ヒクメット生誕100年記念・
詩と歌の夕べ”(16日、なかのZERO小ホール)は、500人を越えようかという人
が集まり、素人の寄り集まりで企画・推進したイベントとしては大成功だった
と言えそうです。
忙しい中、寮さんにも中野までご足労いただいたりして、みなさんからは
お叱りを頂戴しそうですけれども――。

ぼくは当事者ですので、論評などすべき立場ではありませんが、ここでは、
寮さんのリーディングの素晴らしさを改めて確認した、とだけ申し上げて
おけばよいでしょう。――オープンではなかったので、ややフェアじゃない
かも知れませんが、先日のG-WHO氏とたきちゃんの披露宴でのリーディング、
まさしく絶品でしたね!
寮さんは、しばらくは執筆活動に専念したいということのようですが、
あれほどのリーディングをまた聴けるならうれしいですし、披露宴の会場に
乱入もできなかったみなさんにもぜひお聴かせしたいなあと思うぼくです。



silica  皆既日蝕 ネットライブ組 2002年12月16日(月)10時02分14秒
始めまして。(...オーストラリア皆既日食レポートつき) へのコメント

わぁ・・・素敵。Aventurineさん。
貴女が御覧になった皆既日蝕が見えるようです。
子持ちで、これから教育費がますますかかりそうな私には日蝕ツァーは夢の夢です。

私はその日、インターネットでのライブの画像を見ていました。 昼間のアフリカでの日蝕は初めから終わりまで雲ひとつなく、欠けてゆく太陽に劇的な瞬間が訪れるまで、家事をしながらのんびりとパソコンの画面をちらちらのぞいていました。寮さんがマダガスカルの日蝕に行らした時はネット中継が肝心なところで、見えなくなるというアクシデントがあり、(後から思うに呼びこみ直せば良かったようなのですが・・・)非常に残念な思いをしていたのでした。アフリカからの映像は左上から欠けていくように見え、ダイアモンドリングの時は強い緑の光線が縦に反射し、白いコロナが映りました。

オーストラリアの映像は、つけたとたん、まっくろな画像に雲がしぶい顔をしている表示が映り、「あちゃ〜
こりゃぁ・・・」と思ったものでした。
ほんと、Aventurineさんがおっしゃるとおり、こちらもドキドキものでした。欠けた太陽が姿を見せては隠れ、見せては隠れ・・・私も思わず力が入って、念じてしまいました。こちらの日蝕は夕食のしたくもほったらかして画面に見入っておりました。
私が見た中継の画像では真下から欠けてゆくように見えましたが、現地ではどうだったのでしょうね。
各国から行らした方々の願いが一丸となって天に届いたようで、太陽は一番見事な姿を披露してくださいましたね。本当に良かったです。オーストラリアの映像のほうがコロナが少しオレンジがかって(金色?)見えました。

空全体の変化や色や空気は、とてもとてもネット上では味わうことはできません。でも、実際にいらしたかたの
感動を伝える言葉はその時間を見守っていた私にも嬉しく響きます。
お話を聞かせてくださって、どうもありがとうございました!

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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