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寮美千子  小田急高架化訴訟/原告適格 沿線住民に拡大 2005年12月08日(木)15時25分20秒
歴史的な判決になりました。 へのコメント

ドロンコさま、ご報告ありがとう。朝日新聞の記事、すぐにリンク切れになってしまうので、引用します。
【原告適格、沿線住民に拡大 小田急高架化訴訟で最高裁】>asahi.com
2005年12月07日22時08分

 東京・小田急線高架化についての国の事業認可をめぐり、違法性の有無の判断に先立って、裁判で違法性を問える資格(原告適格)を審理していた最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は7日、上告した沿線住民40人のうち、都の環境影響評価(アセスメント)の対象地域内に住む37人に原告適格を認める判決を言い渡した。「事業地内の地権者」に限ってきた過去の最高裁判例を変更。40人全員の原告適格を否定した二審判決を全面的に見直した。

 事業認可が違法かどうかの本論については今後、第一小法廷で審理される。

 都市計画法に基づく道路や鉄道などの設置認可に対し、違法性を問える住民の範囲が広がった。原告適格を考える場合には様々な要素を柔軟に解釈して広く認めていく姿勢を示したもので、今後の行政訴訟に与える影響は大きい。

 大法廷は、今回のようなケースでは、都市計画法のほかに、公害対策基本法や都のアセス条例の趣旨や目的も含めて考慮に入れるべきだとの初判断を示した。そのうえで「騒音や振動などによる健康または生活環境に著しい被害を直接的に受けるおそれがある人は、原告適格がある」との結論を導いた。

 具体的な原告適格の範囲については、アセスの対象地域に住んでいるかどうかで線を引くという新しい手法をとった。対象地域外に住む3人については原告適格を認めず上告を棄却した。

 原告適格を判断する際には、許認可などの根拠になった法律の文言だけではなく、関連法令の趣旨や目的など様々な要素を考慮せよ――という新しい規定が盛り込まれた改正行政事件訴訟法が4月に施行された後、初の最高裁判決だった。大法廷は原告適格の範囲を「法律上の利益がある人に限る」という基本的な考えを維持しつつ、改正法にそって様々な要素を柔軟に解釈し、原告適格を広く認める立場を示した。

 また、町田裁判官と藤田宙靖裁判官は補足意見で「法律上の利益」よりも広い、「(事業によって生じる)リスクから保護される利益」という概念を新たに提唱。この利益が侵害される場合には原告適格を認めるべきで、「特定の法律だけを根拠に判断する必然性はない」と述べ、より柔軟に原告適格を認める考えを明らかにした。

 問題になっているのは、小田急小田原線喜多見付近―梅ケ丘付近の間の連続立体交差事業。

DORONKO  歴史的な判決になりました。 2005年12月08日(木)10時59分17秒
明日、ぜひ最高裁の傍聴に!! へのコメント

先にご案内した小田急線高架・複々線化事業(正確には「連続立体交差
事業」といいます)をめぐっての最高裁大法廷の判決が、昨日出ました。

新聞をご覧の方は、全国紙各紙が1面のトップで報じていますので、詳しく
お伝えするまでもないでしょうが、歴史的といってもよい画期的な判決に
なりました。ぼくも支援者の一人である原告住民側の、完勝といってよい
判決です。

以下は、今朝の朝日新聞の1面トップに載った記事のネット版です。
詳しくは、実際の新聞をご覧下さい。


http://www.asahi.com/national/update/1207/TKY200512070237.html

ムー大陸  バラ売りしない店 2005年11月25日(金)10時32分13秒 http://www003.upp.so-net.ne.jp/immig/

87才の父の介護度が上がったため、4月から介護老人保健施設に住むようになった。
その施設は、実家と同じ世田谷区にあり、最寄り駅の二子玉川からバスに乗り、終点の停留所から歩いて15分の、とても不便な所にある。しかし、眼の前に多摩川が流れ、晴れた日には富士山や丹沢の山々の景色が見れるので、それを楽しみにである。毎週末に出来るだけ時間を作り、片道2時間半かけ、行くようにしている。施設の周りには、未だに畑が残っており、住宅地のため商店がなく、バス停近くの最寄のコンビニまで歩かなければならない。

最近は、「10月から食費だとか部屋代がとても上がって嫌になった。こんな歳になるまで生きているとは思わなかった。早くお袋の所に行きたい。」と言うのを、「親父だったら100歳まで生きるよ。生きているからおいしい物を食べられるんじゃないか。今日はアイスクリームを食べる?それとも、こっそりビールを飲む?」となだめながら、河川敷で野球をやったり、近くの大学のグラウンドでサッカーをしているのを眺めながら、1km程、多摩川の土手の上の道を、車椅子を押して歩く。

先週の土曜日の午後も、いつものように、車椅子を押してコンビニまで行き、かりん糖だのアイスクリームだのを買い、店を出た。

コンビニの斜め向かいには、100円ショップやら果物屋やらがある。父が、果物屋(昔ながらの造り)に柿が並べてあるのを見て、「柿を食べたい。」と言うので、「柿は皮を剥かないといけないから、みかんでもどう?」と聞いたら、「みかんでもいい。同室の人にも上げないといけないから、3個。お前の分も入れると4個あればいい。」と父は答えた。TVドラマだったら、親切そうな店主が出て来て、「柿なら剥いてあげるから、此処で食べてってよ。みかんも安くしとくよ。」というような展開になるのだろうが、現実は厳しい。

その店では、みかん8個をざるに載せてあり、一山400円になっていた(かなり高いと思った)。既にコンビニでかなりの買物をしている。荷物を持つと車椅子を押せないため、帰り道は、荷物を父の膝の上に載せて置くしかない。できるだけ荷物を軽くしたいと思ったのと、スーパーやコンビニでは少量でも買えるので、同じ様な感覚で話していたら、客がいなくて暇そうな店主らしきおっさんが、胡散臭そうに、「みかん4個では売れないよ。みかんは腐るものじゃない。500円の物を既に400円にしてあるんだい。みかん4個売ったんでは、商売上がったりだい!」とベラベラとまくし立てた。そこで、「それではしょうがないね。」と言って店から離れた。

100m程車椅子を押して歩いてから、父が、「一山買った方が良かったかな?」と聞くので、「もういいよ。次に来る時に、別の店で買って来るから。」と答えた。土手の上に出て、いつものように、「ここでアイスクリームを食べようか?」と父に聞いたら、「寒い。もう帰ろう」と答えた。なんか体だけでなく心の中まで寒い気持ちになってしまった。

DORONKO  明日、ぜひ最高裁の傍聴に!! 2005年10月25日(火)16時19分36秒
11/2は、ぜひ下北沢に!! へのコメント

26日…って、もう明日ですが、最高裁判所の大法廷で、大変な見物だと
思われる裁判の口頭弁論が開かれます。ご都合のつく方は、みなさん、
ぜひ傍聴に行かれますよう、お勧めいたします。

これ、何の裁判かといいますと、《小田急線連続立体交差事業認可取消し
訴訟》という行政が相手の裁判(行政訴訟)で、第一審の東京地裁では、
この事業の根幹にかかわる国の事業認可は違法であるという原告の住民側
が勝訴する画期的な判決が出たものの、第二審の東京高裁では、原告には
「原告になれる資格がない」という、いわゆる「原告適格」の問題を理由に、
第一審の判決を棄却して住民側が逆転敗訴するという事態になっていた
裁判の上告審なのです。

そして、とりわけ大事なことは、(最高裁では書面のみでの審理がほとんど
らしいのですが)これまでの通例では、口頭弁論が開かれる(しかも大法廷
で)場合は、第二審の判決が見直される可能性が非常に高く、しかも、
第二審判決の前提になっている判例の見直しが行なわれる可能性もかなり
高いということです。

そして、明日の大法廷での口頭弁論は、まさしくこの「原告適格」の問題を
論点として開かれるものであり、この法廷が下す判決は、今後のこの国に
おけるあらゆる行政訴訟についての裁判所としての基本姿勢を示すものに
なるのです。――このへん、裁判というものをご存じない方には、いささか
難解すぎるかも知れませんが、社会的に大変に意義の大きな裁判が明日
開かれ、傍聴もできるのだ……ということを理解していただけたらと思います。

また、難しい理由はさておき、弁護士の方からお聞きしたところでは、最高裁
の大法廷での口頭弁論というもの自体がめったに開かれるものではなく、その
法廷の様子を見るだけでも、間違いなく一見の価値がある…そうです。つまり、
大法廷というと、この国の司法の頂点にいる最高裁の判事(裁判官)15人が
ずらりと壇上に並び、明日の法廷では50人以上もの敏腕の弁護士が集結して、
内6人とかの弁護士が意見の陳述を行なうという、大劇場での演劇なみの
舞台になる――ようなのです。

そんなわけで、興味があるという方は、ぜひ明日、以下の要領にてご参集
下さい。大法廷には160人分の傍聴席があるそうですが、弁護士の数も多い
ため、傍聴できる人数は100人ほどになりそうで、傍聴希望者が多い場合は
抽選になりますが、今のところ抽選なしでも何とか入れそうです。


 小田急線連続立体交差事業認可取消し訴訟
 《最高裁判所大法廷 口頭弁論》

 開催日:10月26日(水)
 開 廷:14:00〜15:30

 集 合:最高裁判所「南門」前に12:30までにお集り下さい。
    (この時間に、傍聴するための整理券が配付されます。)

 *最高裁は、東京メトロ半蔵門線の「半蔵門駅」か「永田町駅」から
  徒歩約10分です。「南門」は、青山通りの「隼町交差点」の近く
  です。


なお、明日の法廷につき、朝日新聞(9月15日・夕刊)は以下のように
報じています。

「大法廷が原告適格を判断するのは初めてで、住民側の原告適格を
 認めなかった二審・東京高裁判決が見直される可能性がある。」


DORONKO  みなさんに、味読してほしい。 2005年10月18日(火)12時16分56秒
「疑り深い人になろう」再び へのコメント

細かなところまで読み込んだわけではないのだけれど、「2050」からの
アピールを読んで、ぼくも、「これはちょっと違うのでは?」、「善意
からではあっても、この人たち自身、感違いしているのではなかろうか?」
という印象を受けました。

それだから、この寮さんのコメントには、深く共感します。

とくに、この指摘はとても重要だと思います。

>緊急援助も同じです。寄付金が集まってから動き出したのでは、遅いのです。
>まず動き、後からお金を投入する。だから、慌てなくてもいい。きちんと
>情報を検証して、納得するだけの時間をかけても構わない。あなたがいますぐ
>振り込まなかったからといって、世界のどこかで、あなたのせいで子どもが
>死んでいる、などと思わなくていい。

さらに言えば、「2050」のアピール自体もふれていたように、今回の
パキスタンの地震については、当然、すでに様々な国際機関が活動を
始めていて、募金も行なわれています。
ぼくは、募金に応じるのだったら、そのどこに出してもよいと思います。
それを「2050」が独自に募金を行なうというのは、「お金の効率的な
使い方」という観点からしても、どうも変だな?と思います。

もし、「2050」として、すでに現地の状況をよく把握できているので
あれば、彼らがまずすべきことは、関係諸機関にその状況を伝え、世界中
からの募金の使途についても、ぜひ配慮してほしい旨、要望するなり
折衝することではないかと思います。

しかし、そうではなく、独自の募金を呼びかけるというのは、彼らとして
独自の予算を確保したい(その場合、かなりの額は「活動費」に消えて
しまうでしょう)とか、あるいは、募金の結果をNPOとしての「実績」に
したい……といった思惑があるからではないのだろうか?という気が
しますね。

もちろん、これは大変に意地の悪い見方ですが、かといってぼくには、
彼らの活動を頭から否定しようなどという気持はありません。おそらく、
かなり大事な活動をされているのだろうとは思います。
しかし、たとえそうであっても、彼ら自身、自らを律すべきものに
ついて、もっと注意してほしいと思うのです。

――みなさんすでにご存じのように、泉鏡花賞を受賞することになった
寮さんには、あまりこの掲示板で頑張りすぎず、作品の執筆に集中して
ほしい…というのが一友人としてのぼくの率直な気持なのですが、
それでも、今回のコメントはよくよく味読すべきものと思いました。


寮美千子  友に感謝!/善意をより正しい方向に使うための鉄則 2005年10月17日(月)02時29分45秒
「疑り深い人になろう」再び へのコメント

高橋喜治さんから、直接お電話いただきました。「転送自由」と書かれた情報の信憑性を確かめずに、そのまま転送してしまうことの危険性をご納得していただいたとのことです。「理解するまで時間がかかってすいません」とのこと。でも、高橋さんのお陰で、ここCafe Lunatique掲示板で、その危険性について再度語ることができ、みなさんにもお知らせすることができました、とお伝えすると「反面教師としてお役に立てれば、さいわいです」とおっしゃっていただけました。そのように、素直に受け取ってくださる高橋さんに感謝。

わたしは、他者の痛みを思う美しい心や善意が、正しい方向に使われることを心から願っています。そのやさしさが、本人はそう思わなくても、知らないうちに危険な社会を作ることに加担してしまうことを、もっとも残念に思います。

ひとりひとりが、誰かに何かを伝えたい、と思うとき、その情報をきちんと検証するようにすれば、デマが広がることも、煽動されて危険な選択をしてしまうこともなくなるでしょう。「情報を発信するときは、その元情報にあたり、信憑性と妥当性を確認してから発信する」、これをみんなの常識とすることで、世の中はずいぶんよくなると思うのです。

せっかくの高橋さんや山口さんの善意、やさしい心を、これをきっかけによりよき方向に向けていただければと、心から願っています。

そして、こうやって感情的にならずにきとんと「対話」のできる友がいることを、わたしはとてもうれしく、誇りに思います。高橋さん、ありがとう! わたしはとてもうれしいです。

寮美千子  「疑り深い人になろう」再び 2005年10月15日(土)23時08分35秒
本当の善意の発動を/安易な善意は悪のための温床を準備する へのコメント

▼疑り深い人になろう
さきほどは、出かける前で急いでいたので、舌足らずなところがあったかもしれません。以前に書いた「疑り深い人になろう」から、一部引用します。
「これはいいことだから」といって、情報を流通させる。その気持ちはよくわかります。でも、多くの人がそれを無邪気にプリントし、コピーしている姿を見ていると、わたしは心配になってしまう。ほんとうに大切なのは、その内容ではなくて、その方法論ではないか。人々が、でたらめな情報や、恣意的な数字に惑わされないで、事実を見据える力をつけるために、どうしたらいいか。「これはいいことだから」といって、吟味なしに情報を流し、また受け取る人は、恣意的なデマや嘘も、吟味なしに信じてしまう可能性があるのではないでしょうか。子どもたちに情報を流すのだとしたら「じゃあ、みんなで調べてみよう!」「自分で調べてみよう!」という言葉や行動とセットでなければ、と思います。

悪意の、ではなく善意の問いかけを、世界に、そして自分に対して常に怠らないこと。それこそが、世界を少しずつ美しい場所に変えてゆく方法論だと思うのです。一発逆転なんていう劇的な形で世界はよくなりはしないのだから、たゆまずに問いかけることが大切だと思います。
▼ほんとうに大切なのは、その内容ではなくて、その方法論
人が、悪をなす場合を考えてみます。
1)悪いことをしようとして、悪いことをする
2)気づかないこと、何もしないことで、結果的に悪いことをしたことになる。
3)いいことをしようとして、悪いことになってしまう。

1とは、正面切って戦うしかない。2の場合は、人々の注意を促すこと、心に訴えかけることが必要。高橋さんは、目の前に見えない惨事、そこで苦しんでいる人々のことをみんなに知ってもらいたい、いますぐ行動を起こしてもらいたい、という一心で、寄付金の件をお書きになられたのだと思います。それはもう、疑う余地がありません。他者の痛みを自分の痛みのように感じられるその有り様を、わたしはとても美しいと感じます。

しかし、問題は3です。いいことをしようとして、結果的に悪いことに加担してしまう。本人も周りの人も、いいことだと思っているから、これを阻止するのはほんとうにむずかしい。そして、何より悔しいのは、せっかくの善意を「悪」に利用されてしまうことです。

今回の「特定非営利法人2050」は、善意の団体かもしれません。しかし、それが善意の団体であろうがなかろうが、検証無しに情報を流せば、それだけですでに「悪」に加担したことになってしまうのです。どのような「悪」か。それは、情報を検証無しに鵜呑みにすることが当然だと誰もが信じてしまう世の中を作ってしまう、ということです。その意味に於いては、「特定非営利法人2050」が善意の団体だった方が、その悪影響は大きい。なぜなら「あの時、それでいいことができた」ということが既成事実になり、人々の記憶になり、その次に情報が回って来たときに、それを検証無しにやすやすを信じる素地をより固めたことになるからです。

つまり、「特定非営利法人2050」が善意の団体か、詐欺なのか、という問題ではない。大切なのは、それを一人一人が「自分の眼できちんと確かめたかどうか」ことなのです。

善意の情報を流通させる時でさえ、人は自分が流したその情報に責任を持たなければいけません。「ぼくの信用する誰々さんがそういったから」といっても、では、その人がだまされている可能性がゼロだといえるでしょうか。人は、間違う生き物です。その人がどんなに信用できる人でも、その人が流した情報まで、鵜呑みにできるかどうかは別です。

▼情報を流すという責任
もし、自分が安易にコピー&ペーストして流した情報が嘘だったら、詐欺だったとしたら、責任を持てるでしょうか。情報を流すということは、それが「転送可」と書いてあるものを右から左に流したとしても、流した本人に責任が生じるということです。その責任を引き受けてこそ「善意」が本物になるのです。

UNFPA(国連人口基金)のサイトに、「特定非営利法人2050」が寄付金を取りまとめて同基金に送る旨、記されています。
【パキスタン地震被災者への支援を--東京事務所長からのメッセージ】
最低限、このサイトを検索で探しだし、そこへリンクを貼る、という手間を惜しんではいけません。これにより、この団体「特定非営利法人2050」の信憑性がかなり高いと言うことを推測できます。

ひとりひとりが常に、このような検証をしていくこと。それが習慣となること。当然の責任として認識されること。それが大切なのです。そのような一人一人のチェックの目をきちんと光らせることができれば、デマが安易に蔓延したり、それを躍らされる危険は、ずっと少なくなるでしょう。

わたしはもっとも憎むには、善意が無惨に消費されることです。そして、せっかくの善意が、危険な社会を作るために加担してしまうようなことになることです。

▼やさしい心につけいる方法
「妊婦」「子ども」というアイテムも、人の心をつかみやすい。やさしい心につけいるには、絶好のアイテムです。そういうところに、まず胡散臭さを感じる感受性を養うべきだと、わたしは思います。

援助をするのにも、まずターゲットを絞る必要があるのかもしれません。そうしないと、援助のシステムもつくれないのかもしれない。

しかし、わたしは疑問に思います。子どもだろうが老人だろうが、妊婦だろうがそうでなかろうが、関係ない。緊急に救うべき命に一切の格差はない。まず、目の前の救える人から救うべきではないでしょうか。瓦礫の街で、妊婦を捜しだすのでしょうか。棺桶に片足突っこんだ老いぼれや、もう妊娠できない更年期の女が死にかけていたら? 見なかったことにして、妊婦と子どもを探しに行くのでしょうか。

もちろん、そんな理不尽なことがなされるわけではないでしょう。しかし、あえて「妊婦」「子ども」と打ちだすところに、わたしは軽い不信を覚えます。

「妊婦」とか「子ども」を出せば、人は容易くやさしくなる。でも、一歩間違うと、それは差別のはじまりでもある、ということをしっかり見据えなくてはいけないと思います。やさしさを発露するばかりでなく、その裏に潜んでいるかもしれない自分自身の差別意識にも、敏感になるべきだと思うのです。

▼「緊急」という脅かし
「いますぐ行動しないと、彼の地の子どもが死んでしまう!」というのは、大変効果的な脅かしです。

しかし、これは「振り込め詐欺」に似ている。「あなたの娘さんが、交通事故を起こしました。被害者は7歳の少女二人で、一人は救急車で搬送中、息を引き取りました。もう一人は虫の息です。いますぐ、お金を振り込んでください」というのと、よく似ています。

しかし、よく考えてみれば、いますぐ必要なのは、医師の適切な処置であり、もしもお金がないと瀕死の患者を診察しない、などという救急病院があったら、人権問題です。

緊急援助も同じです。寄付金が集まってから動き出したのでは、遅いのです。まず動き、後からお金を投入する。だから、慌てなくてもいい。きちんと情報を検証して、納得するだけの時間をかけても構わない。あなたがいますぐ振り込まなかったからといって、世界のどこかで、あなたのせいで子どもが死んでいる、などと思わなくていい。

「なんとかしなくては!」と慌てまくり、情報を検証しないで流す人が増えると、世の中、どうなるか。その方が問題です。政府が、何か脅しをかけたとしましょう。だから「いますぐ○○しなくてはならない。でないと、間に合わない」などと脅かされ、よく考えもせず、検証もしないでいいなりになったとしたら?

「いますぐ行動しないと、彼の地の子どもが死んでしまう!」という言葉に躍らされることは、いざというとき、いいなりになる大衆をつくることに貢献してしまうのです。

▼「善意の疑り深さ」を持とう
「一人の小さな力が集まって大きな力になる」と高橋さんは書かれています。もしそれが、間違った方向だとしたら? しかも、それぞれが「善意」だと思い、「よいことをしている」と思いこんでいて、結果として恐ろしい方向に向かっていたとしたら?

その「一人の小さな力」のひとつずつが、方向を間違わないためにも「情報を鵜呑みにせず」「自分で検証し」「流す情報に責任を持つ」ことが必要なのです。それで、はじめてその力は、正しい方向に向かうのです。

高橋さんの善意、やさしい気持ち。その気持ちを間違った方向に向けないためにも、情報に責任を持つことが大切なのです。情報を流したこと自体ではなく、ご自身で検証しなかったこと、それをコピー&ペーストで安易に流してしまったことに、問題があったと思います。善意そのもの、知らせたいという気持ちそのものを否定するものでは、まったくありません。

わたしは「疑り深い人になろう」と提唱しました。悪意を持って、人を疑い、信用しないという意味ではありません。そこにある本当の善意を見抜き、それを大切にするために、人々ひとりひとりの善意を、間違った方向に導かないために「善意の疑り深さ」を持とうという提唱です。

▼明日は我が身
さて、関東・東海地方に巨大地震が起こる確率が高くなっているのは周知の事実。いつきてもおかしくありません。いざというときのための備えは? みなさん、サバイバルの用意はできていますか? サバイバル用品の点検をして、カシミール地方の地震救援に関する寄付先を自分でしっかり検証し、月曜になってから銀行や郵便局にいっても遅くありません。慌てないで、ゆっくり着実に考えましょう。それが、世界を、遠くにいる子どもたちを、そしてあなたを救うのです。

http://www.unfpa.or.jp/2-1.html

寮美千子  本当の善意の発動を/安易な善意は悪のための温床を準備する 2005年10月15日(土)11時56分55秒
いのちの伝言 へのコメント

高橋さま みなさま

掲示板主催者として、取り急ぎ意見を述べさせていただきます。

世界のなかで虐げられている人々、悲惨な目に遭っている人々に、目を向けること、我が身のことのようにその痛みを感じることは、とても大切なことだと思います。ただ、その「善意」が、消費されてしまうことに、わたしは危惧を感じています。

>僕は最初にこのメールを送ってくれた友人の山口由里子さんを信じます。
>山口さんにメールを送った山口さんのご友人も信じます。

高橋さんの正直なお気持ちだと思います。けれども、だからこそ、ここに陥穽があると思うのです。これは、募金とは無縁です。まったく関係のない話です。たとえ、山口さんやそのご友人がどれほど誠実な方であろうと、そこにある募金の事実の正当性を証明はしません。つまり、その人がどれだけいい人であるかどうかは、募金の内実とは無関係なのです。大切なのは、元情報に当たること。そして、その情報が確かであるかどうかを「自分の眼で」確かめること。それしかありません。高橋さんが、自分の眼で確かめて、それゆえに勧めるのであれば、納得がいきます。しかし、「信用できる友人から勧められたから」は、何の意味も持ちません。

そしてこの「信用できる友人がそういっているから信用する」という構造自体が、デマの温床となる危険を孕んでいるということに、わたしは注意を促したいと思います。みなさんに自覚してほしい。ことに、ネット時代、今まで比較すると想像を絶するほど早く、大量の情報を流通させることが可能になりました。ひとたび、デマが流れれば、恐るべき速さで流通する。もしもそれが「善意」の装いをしていれば、大変なことになります。いいえ、それは必ず善意の仮面を被っているはずです。

いかに火急であれ、善意であれ、必ず元情報にあたり、「誰々の勧めだから」ではなくて「わたしし自身がこの正当性を確信するからよろしく」という文脈で語ること。それが、よき世界をつくっていくために欠かせない条件だと思います。そして、いかに高橋さんを信用したとしても、自分自身も元情報にあたり、最後は自分の判断で自己責任において選択することが大切です。

今回のご投稿においても、高橋さんがご自分でその募金の正当性を確認して書かれたわけではない。わたしは、高橋さんの善意は疑うところはありません。しかし、善意の行使の仕方は間違っていると思います。

「一人の小さな力が集まって大きな力になる」と高橋さんは書かれています。確かにそうです。しかし、もしそれが間違った方向であったらどうなるでしょう。大きな力が間違った方向に働いたとしたら。それは、恐ろしいことではありませんか。

安易に他者を信用し、元情報を確認しないで「善意だから」と情報を流すこと。それが、いざというときにデマを流布させてしまう恐ろしい温床になるのです。それを防ぐためにも、それが善意であっても、火急であっても、元情報を確かめ、誰かのお薦めだからではなく、自分自身の判断で他者に伝言するかどうかを判断しなければなりません。

わたしは、悪意の人が悪をなすのは、確信犯なので、まだましだと思っています。戦いようがある。しかし、善意の人が、そうとは思わず悪をなしてしまうことが、なにより恐ろしい。世の中が、だあっと悪へなだれこむのは、みながそれを「正しい」「善意だ」と思いこんでいる時です。元情報を自分で判断しないで、情報を出した人の信頼性のみを丸呑みした時、そこに必ず間違いが起こります。

善意の「メール転送」は、そんなことの起こる温床の準備に他ならないのです。そのことをしっかり見据え、ほんとうの善意を発動させていただきたいと思います。

高橋喜治  いのちの伝言 2005年10月15日(土)06時28分15秒
善意を生かすルール へのコメント

 松永さん、一通りリンク先を読ませて頂きました。僕としては余りの速さでしたので、まだ認識が抜け落ちているところがあるかもしれません(日本ホワイトバンド云々に関しては後回しにさせてください。必要に応じて後から補います)が、今の時点でやはり言っておかなければならないと思うことを書かせて頂きます。
 パキスタンでは地震から一週間が過ぎましたが未だに被害の全貌がつかめないほどのひどい状況であるようです(参照)が、そこでは今この時にでも、生か死かの瀬戸際の人たち、今お産を控えている人たち、生まれたばかりの赤ん坊とその母たちが助けを求めていることでしょう。募金には時間を要するので、これは緊急事態であり、一刻を争うものがあります。
 募金の意味は単純に「一人の小さな力が集まって大きな力になる」ことであると思っています。こうしたメール転送が、いのちの伝言となることを信じるしかありません。僕は最初にこのメールを送ってくれた友人の山口由里子さんを信じます。山口さんにメールを送った山口さんのご友人も信じます。ご判断は自由ですが、僕からもご協力をお願い致します。
 このNPO2050の方々は前の投稿文の中にありますように「約4万人の妊産婦を中心とする被災者に対する緊急支援」と限定されていますが、他団体による様々な呼びかけもあります(下記リンク参照)。
 どうか少しでも多くのいのちの救済を!!

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/kashmir_earthquake/

高橋喜治  追伸 2005年10月15日(土)00時42分20秒
大変申し訳ありませんでした へのコメント

被災地の方々へ心よりお見舞い申し上げます。

高橋喜治  大変申し訳ありませんでした 2005年10月14日(金)23時42分21秒
善意を生かすルール へのコメント

 信頼出来る友人からのメールでもあり、「これはHP上で公開しても良いか」との質問によいとのことで、すぐさま自分のHP上にと、こちらに投稿させて頂きましたが、NPO2050のHPを見ると、これはまだ本当に新しい情報なのだということが判り、「本当に良かったのかなぁ」と少し不安になり始めていたところでした。そして今松永さんのこの記事を拝読させて頂きました。大変申し訳ありませんでした。確かに今回の投稿は僕自身が情報の確実な検証過程も踏まずにたまたま自分の中にあった思いに共鳴したところで簡単に動かされてしまっての行いでした。これは報せてくれた友人を疑るからということではなく、大切な友人から自分が受けたメッセージを十分理解し納得した上でなければ、第三者にそのメッセージを受け渡す事は出来ないということで、実は仕事柄もそうしたことはいつでも考えさせられていたことのはずでしたのに、我ながら本当に軽はずみなことをしてしまったと反省しています。
 今の時点において「日本版ホワイトバンド・キャンペーン」に関しては僕はほとんど無知ですし、実のところ「NPO2050」についても今日友人のメールによって知ったばかりであることを告白します。友人からは「いつかご紹介できると思いますが、本当に信頼できる大人の方々の団体ですから」という言葉を頂いていますので、実際団体の方ともお会いし、お話を伺い、十分納得したところで、こうした形での運動に加わるのが筋であったかもしれません。
 話は変わりますが、実は昨日、差出人が僕のメールアドレスの迷惑メールが僕自身に送られて来てびっくりしました。慌ててブロバイダーに問い合わせて調べたら、送信元で利用しているメールソフトの機能によってメールの送信元情報(From: )に宛先(To: )のアドレスを表示させている可能性があるとのことでした。もし自分のアドレスで迷惑メールが第三者に送られていたらと考えるとぞっとしますが、その可能性は低いということでしたのでとりあえず少し安心していました。
 そんな騒ぎがあっての今日のこの投稿の不手際でした。悪質迷惑メールに怒り心頭していた自分自身が、この軽率さだとそうした迷惑メールを発信する側になってしまうかもしれなかったのですね、何と言うことだ!! どうも最近気が落ち着かないというか、不安定です。「憲法改正(=改悪)」「大地震」「アスベスト」など生活の大変さに加えていろんな不安が一度に押し寄せてくるようで落ち着きません。
 しかし、そんなことも言っていられません。これは社会的責任問題です。現行憲法を拠り所にして政治権力の暴走を止めさせるのも社会的責任でした。自分を静かに見つめて地道に仕事に励みましょう。今後こうした投稿には十分気をつけます。
 またこの投稿の内容に関しては触れさせて頂くかもしれませんが、問題の投稿を残すか削除されるかはご判断にお任せいたします。ご教示ありがとうございました。

松永洋介  善意を生かすルール 2005年10月14日(金)20時49分21秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
パキスタンのこれから生まれてくる子供たちのために! へのコメント

高橋さん

>尚、以下の文面はメールにコピーしてお知り合いにお報せ頂いてもいいです。

ストップ! そんなことを言ってはいけません。

こういう、募金とか署名とかいった「悪用されると困るもの」「手順に不備があっただけでも大きなトラブルを招くもの」については、特に注意して情報を提供してください。人に知らせたいと思った人は、自分の責任で、自分の言葉で紹介し、十分な情報源の所在を示す義務があります。決して「コピペ」を推奨しないでください。
「振り込め詐欺(オレオレ詐欺)」や、偽のサイトを使った巧妙な詐欺(フィッシング)も横行している現状です。これは最低限のネット・リテラシーです。

今回の「パキスタン大地震救援 緊急キャンペーン」については、国連人口基金(UNFPA)東京事務所のサイトを見ると、以下のような説明があります。
パキスタン大地震救援 緊急キャンペーン
                   2005年10月12日
10月8日にパキスタンで発生した大地震の被害は、日に日に明らかになっています。何万という人々が被災し、支援を必要としています。
UNFPAは既に主に妊産婦を対象とした救援活動に入ると共に、支援のための緊急アピールを発表しましたが、日本でもこれに応える動きが始まりました。
UNFPAのパートナーNGOであるNPO法人 2050が、UNFPAの緊急アピールに呼応して、次のようなキャンペーンを開始してくれたのです。
みなさんのご協力を、UNFPA東京事務所からもお願い致します。
UNFPA東京事務所 - 所長からのメッセージ
これでまあ、今回のお知らせが詐欺でないことは納得できます。
国連人口基金は、ちょうど『世界人口白書2005』を発表したばかり。わが国の「少子化問題」(人口減少が「問題」だなんて、デタラメもいいとこだと思います)との関連もあるので、読もうと思っていたところです。今回の募金の情報は、その本物のサイトに情報があるから、やっと信用できます。

特定非営利法人2050のサイトでは、さまざまに問題が指摘されている「日本版ホワイトバンド・キャンペーン」も無批判に推奨されています。この団体のサイトで書かれているだけならば、わしは、とてもじゃないけど信用できません。
ましてや「知人の掲示板に書き込まれていた」とか「友達からメールで転送されてきた」からといって、その宛先に募金をするのは、軽率としか言いようがありません。そのような態度では、募金詐欺に引っかかるのは時間の問題です。うっかり「寄付」してしまったら、それは犯罪者に寄付をして、犯罪を促進するのと同じです。

わしが悪い人だったら、「パキスタン地震キャンペーン」とかいう口座を開いて、口座番号の部分を改竄したメールをあちこちに送ったり、掲示板に書き込みまくろう、とか考えて実行に移すかもしれません。あとはカシミール地方の惨状に心を痛める善意の人が情報を広めてくれるのを待つばかりです。集まったお金のごく一部を国連人口基金に寄付すれば、なおいいかもしれません。

インターネット上の情報伝達については、Review Lunatiqueでも繰り返し注意喚起が行われています。今後の参考に、あらためてリンクしておきます。
寮美千子■ネット・リテラシー/匿名性と信憑性(27 Jan. 2003)
寮美千子■ネットロアという怪物/ETV2002 池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」(19 Jun. 2002)
寮美千子■疑ぐり深い人になろう(20 Oct. 2001)

転送メールについてはこういう提言もあります。
寮美千子 青山ブックセンター再建署名チェーンメールに関する提言 2004年07月23日

そういうわけで、募金などの件については、ともかくも注意深い情報提供をお願いします。情報をご覧になった方には、各人よくよくご検討の上、判断されることをおすすめします。
今回のご案内については、どうせ週末なので、すぐには送金はできません。じっくり情報収集して、最善の貢献方法をご検討ください。

最後になりましたが、今回の地震の被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い恢復と復興をお祈りいたします。

高橋喜治  パキスタンのこれから生まれてくる子供たちのために! 2005年10月14日(金)19時16分40秒 http://homepage3.nifty.com/haruan/

友人の山口由里子さんから緊急メールが届きました。そのまま掲載させて頂きます。
尚、以下の文面はメールにコピーしてお知り合いにお報せ頂いてもいいです。


国連人口基金は、今回のパキスタン大地震で被害をうけた約4万人の妊産婦を中心とする被災者に対する緊急支援として320万ドルの要請をしました。その内約は、1)、母体の健康管理と緊急産科ケアーのために220万ドル、2)、衛生用品調達のために100万ドルとなっています。

壊滅的な被害を受けたパキスタンの国民、特に貧困妊産婦たちのために、この国際アピールに積極的に呼応したいと存じます。どうぞ、すべてを失ってしまった妊産婦たちが安全なお産ができ、子ども達の命が救えるよう、このアピールに参加いただくようお願いいたします。皆様のお志は次の口座にお払い込みください。皆様からの募金は2050が取りまとめて国連人口基金に送金させていただきます。 どうぞこのメールはお知り合いの方々に転送し、少しでも日本の国民の善意が早くパキスタンに届くようご協力ください。

 2050理事長 北谷勝秀


口座名: いのちのキャンペーン

郵便振替口座番号: 00150−4−499989

東京三菱銀行広尾支店
普通預金口座番号: 1233873

--------------------------------
田尾敏郎(理事・広報担当)
tao@npo2050.org
NPO2050(特定非営利活動法人2050)
www.npo2050.org

http://www.npo2050.org/

DORONKO  11/2は、ぜひ下北沢に!! 2005年10月14日(金)13時26分43秒
▼遊星たちの消息:トーク&ライブ:「下北解体」――下北沢を揺さぶる再開発の欲望を問う へのコメント

“音楽と演劇の街”として、あるいは“若者の街”として、全国にも広く
知られている東京・世田谷の街<下北沢>に、街を大きく破壊・分断する
「都市計画道路補助54号線」という大きな道路を建設する計画が進められて
いることをご存じの方も少なくないと思います。

行政は、広域の交通がどうのとか、やれ防災がどうのなどと言っていますが、
これらの「口実」には、日本を代表する都市計画の専門家たちからもノーが
突きつけられています。

ともかく、来月のアタマ、文化の日の前日の11月2日(水)に、そんな下北沢で
オモシロクもためになるイベントがありますので、「遊星たちの消息」に
ご案内を載せました。

どうか、みなさんお誘いの上、おいで下さい。

11/2は、ぜひ下北沢でお会いしましょう!

白石治比古  戦争に反対するために何をするか? 2005年09月26日(月)23時20分05秒

はじめまして。57歳の会社員です。子供は上の男子は28歳で建築デザイナーの卵、下の女子は26歳で宇宙物理学専攻ですが来年普通の会社に就職予定です。
寮さんのホームページは友人からの紹介で知りました。
表題については、青年の頃からの長いテーマです。
父の実家は広島市内で原爆で家財もろとも蒸発しました。
家族は運よく祖母も叔母も母も離れていて助かりました。ご近所の方でなくなられたり
原爆症になられたりした方もいたようですが、母は多くを語りません。6年前死んだ父はインドネシアで軍属として働いていたので助かりました。
叔母の夫は海軍の情報将校でレイテで撃墜され戦死しました。
その娘(従姉妹)は日本画家になり、深い青を得意としています。死んだ父親の海のイメージとか言っていました。
子供の頃はなんとかしてアメリカともう1戦して勝ちたいとばかり思っていました。
しかし、高校の頃「きけわだつみのこえ」を読んで前の戦争がいかに無意味なものだったかつくづくわかりました。
さらに大学で中国語をまなび、51歳から韓国語を学んでいくうち、外国と戦争をすることはいかにその国の国民の人生を翻弄するかつくづく考えさせられました。
どうしたわけか、英語で日本との戦争の記録を勉強することはありませんでしたが、テレビで元アメリカ兵が硫黄島の戦いを英語で話しているのを聞いて、逆の側にも激しい感情の葛藤があったんだなぁと感慨深く思ったことがあります。
戦争のはじまりには一方的な国民世論づくりがあります。前の戦争には徹底的な思想の統制がありました。小学校から、授業でも遊びでも運動会でも漫画でもいさましい軍隊賛美一色でした。政治ではテロが横行し、戦争反対は口に出しただけで命の危険にさらされました。戦争賛美に従わない者は日本国民ではないというレッテルを貼られ生活上様々な差別をうけたとのことです。現在は一見なにも規制がないようです。しかし、何事も深く考えることをやめる、目先のことだけしか見ない風潮が強く流れています。
強くなければならない、弱いものはこの世から消されて当然、という傍若無人の思想が新聞やテレビで堂々と支持されています。勝ち組は過剰に賛美され、中学生によるホームレス殺人が白昼堂々とおこなわれるありさまは、ある意味戦前に近いものがあるように思います。大切なことは戦争で死ぬ人には敵味方限らず関係者がいてその人生がありその喜怒哀楽があるという事実にまっすぐ向きあうことです。暴力による決済の結果を修復するには100年の年月をかけても足らないことをお互い確認しあうことです。
これを世界中の人と共有することです。

まれびと  はじめまして 2005年09月23日(金)11時16分36秒 http://www.geocities.jp/marebit/

(ここでは)はじめまして。
奈良在住の5歳の娘をもつ父親です。Cafe Lumiereでは投稿済みですが、わたしの拙いサイトに寮さんより書き込みをしていただいたのが縁でこのサイトを知りました。
「まれびと」という気取った名がネット上でのわたしのネームですが、わたしはこの「まれびと」を「はみだしもの」くらいの気持ちで使い始めました。(くわしいゴタクはわたしのサイト表紙の黒丸にリンクを貼ってます)
次のような故深沢七郎氏の言葉に共感を抱くものです。
「私が気がついたことは、勿論悪人たちの集団に入っていることはできないのだが、私は善人たちの仲間入りもできないのである。どんな善意の集合へも入っていられないのである。私はひとりだけがいいのだ。ずーっといままで、私はそうだったのだ。(生態を変える記)」

戦争に関する真摯な投稿をずっと拝見していました。

先日、大阪の地下鉄で拾った「デモクラシーの冒険」(姜 尚中&モーリス‐スズキ‐テッサ・集英社新書)とういう対談を読みました。
その中でお二人が「では私たちにできることは何なのか?」と未来への提言をしている点に好感を抱きました。

わたしの好きなミヒャエル・エンデさんが生前、こんなことを言っていたのを思い出しました。
「未来のための、ほんとうに魅力的なあたらしいゲームの規則というものがないんだよ」
「ところが相変わらず大袈裟に革命家ぶったり荒ぶったりしながら、価値をこわしつづけている連中がいる。相変わらず連中は、進歩的でモダンだといわれている。それは新しい俗物だ。だが今日では、価値を提案する方がずっと進歩的だし、はるかに大きな勇気もいるんじゃないか。新しい共同性を発見することが、ぜひとも必要だからなんだ」

またかれが残した、こんな言葉も好きです。
「人間というものは、じぶんが愛するものについて語り出すと、しかもその愛する対象がほんとうにふさわしいものだとすると、ほんとうにみごとに語ることができるものです。聞いていて退屈させられるのは、いつでも、人が何かをきらっているとき、あるいは批判しはじめるときです」

「まったく突然に雪が溶けることがある。そういうことは絶対にあると思うな。もしもね、----これはぼくの願望夢なのだけれど----「世界をひびきはじめ」させる有名な呪文が発見できるなら、いいかえれば、醸成されているものの名前をいいあてることができるなら、きわめて短期間のうちに状況全体を、すっかり新しく別のものに変えてしまうことができる」

脈絡がありませんが。


寮美千子  挨拶すらできない人とは「対話」は不可能です 2005年09月18日(日)21時29分01秒
自己紹介とは何か へのコメント

「いるか」と称する方の2つの投稿を削除しました。

いるか 少数者の横暴 2005年09月18日(日)20時52分39秒
いるか 退場します 2005年09月18日(日)11時14分50秒

>すぐ論破されるような書き込みを排除したいルールは分かりました。
>敷居を高くして護憲論議を平穏に行っていきたいのですね。
>少数意見保護のためなら、多数意見は排除可というここのルールには違和感を感じます。

などの的はずれな非難が羅列されていました。
こういう言葉を誹謗中傷、あるいは「捨て台詞」と呼びます。

問題は、主催者の意見に賛成か反対かということではありません。
親しい仲にも礼儀ありといいます。
ましてや、面識もない人に対して反論を述べ、議論をしようとするならば、
人としての礼節を守り、語り合うための配慮や誠意が必要です。
そうでないと、必ず、罵倒合戦や言葉尻を捕らえた不毛な言いあいになってしまいます。
人と人が語り合うための最低限の礼儀を満たしていない人とは、対話は不可能です。

「自己紹介とは何か」をあれだけ懇切丁寧に教えて差しあげたのに、
いるかさんは、一向に聞く耳を持ちません。
この掲示板にどのような経緯でいらしたのか、
初対面の人間が最初に必要とする挨拶すら、なされていません。
こちらから求めたのに、ノーコメントです。
異なる意見を持つが故に迫害されたかのようにご自身はお感じのようですが、
実際は、まったくそうではありません。
挨拶ひとつできないから、お引き取りいただいたのです。

ご自分の論は、どうぞご自分のサイトをおつくりになってご開陳ください。

寮美千子  自己紹介とは何か 2005年09月18日(日)02時55分08秒
自己紹介ですね。 へのコメント

いるかさま

定型通り、職業や趣味を羅列すれば、自己紹介になるか、といえば、そうではありません。まず「何ための自己紹介か」を考えなくてはなりません。

見知らぬ人の掲示板に入ってくるということは、見知らぬ人が話をしている輪のなかに入るのと同じことです。そんな時、人はどのような挨拶をするでしょうか。

まず、自分がなぜここへ来たのか。そのきっかけはなんだったのか。どういうつながりでやってきたのか。人々とコミュニケーションを取りたいならば、まず、それを説明するでしょう。誰かの家の集まりであれば、その家の主、つまりホストに対しても敬意を払い、挨拶をするでしょう。そして、自分が何者であるか。何を話したいのかを語るでしょう。それが世間の常識というものです。

他人の家にいきなりやってきて、持論をとうとうをぶちかますような人は、当然ながら敬遠されます。自己紹介を求められ、自分が何者かだけを話して自己紹介をしたつもりになっている人も、常識のない人だと思われるでしょう。どのような経緯でその場にやってきたのか、常識として、まずそれを挨拶の言葉として述べるべきでしょう。

議論とても、コミュニケーションです。そのいろはを無視すれば、そこにはコミュニケーションは成り立ちません。まず、人としての最低の礼儀をわきまえなければ、その人は相手にされません。

そのような当たり前のことを、「民主主義」を語る「公務員」という大の大人相手に、一々この掲示板に書かなければならないとは、なんたることでしょうか。

>民事法関係から社会や国民のお役に立つ事ができればと思っていますが、
>情報化社会の中において一個人として出来る事はないかと考えた時、
>自己の考えや意見表明を積極的に行う事もひとつあるなと思いました。

であれば、どうぞご自分のブログを開設なさって、そちらで意見表明を行ってください。

対話の基本的態度がなってない方と、議論したくはありません。というより、そのような方とは、議論は成立しません。だいたい、見ず知らずの、本名も名のらぬ、どこからどうやってきたのかもわからない奴に、なれなれしく「美千子さん」呼ばわりされたくありません。失礼にもほどがあります。ご退場ください。今後のあなたの投稿は削除します。

参考文献:「自己紹介とは何か」by 黒木玄氏

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/SelfIntro.html

松永洋介  疑問符だらけ/提案 2005年09月18日(日)02時16分18秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
自己紹介ですね。 へのコメント

▼疑問符
いるかさんについては、何がなんだかさっぱりわかりません。「?」が浮かんでしょうがない。
  • 掲示板のご案内に「必ずお読みください」としてCafe宣言へのリンクがある。この掲示板の運営目的が書いてあるのだが、理解した上での投稿なのだろうか?
  • 同じく「「匿名」による批判の禁止ルールについて」と並んでリンクしている「自己紹介とは何か」を読んだ上でなお「自己紹介ですね。」を投稿したのだろうか?
  • どうしてCafe Lunatiqueで自説を開陳したのだろう? どうも「寮美千子ファン」ではなさそうだし、自己紹介抜きで突然登場した経緯がさっぱり読み取れない。この人は、寮美千子作品を一冊でも手に取ったことがあるのだろうか。そもそも「寮美千子」が作家だということを知っているのだろうか?
  • 全然面識もないのに「美千子さん」と呼ぶ人は初めて見た。面識のある人でも必ず「寮さん」か「寮美千子さん」なのに、なんかスゴいな。この人は、ふだんからこういう感じなのだろうか?
▼自己紹介について
自己紹介の要点について、念のために黒木玄さんの掲示板から引用しておきます。
「匿名」による批判の禁止ルールについて から1クリックで読める記事
その場の状況に合わせてどう自己紹介すればコミュニケーションがスムーズに進むかについて何も考えてないということなんでしょう。普段の生活では人間関係が全然ない人に話しかける機会は少ないので、その点にはよく考えた方が良さそうですよね。

さて、議論で恥をかくというのは他人に「こういうアホなことをいう人だったのね、これじゃあ他の発言も要注意だとみなした方が良さそうだな」とみなされてしまうことです。大事な点は自分の発言に対する評価が他の場所にもついてまわることです。そうでなければ匿名の安全圈から好き勝手に馬鹿なことを言う行為の抑止になりません。

発言した場所以外にもその発言に対する評価がついてまわることになるような自己紹介をした人だけが恥をかけるだけ十分に自己紹介したことになるのです。

わかり易いのは、自分自身の趣味や考え方を十分に表現したウェブサイトを公開していることです。そういう人の場合は、他の場所での発言が自分自身がウェブサイトの評価にもはねかえってくるかもしれない。このやり方の欠点は手間がかかることなのですが、その代わりに実名や所属を公開しなくても可能であるという利点と他の人に自分自身の趣味や考え方を把握してもらえるという利点があります。
「恥をかける十分な自己紹介」の要求は、むやみな参入障壁を作るためではありません。すぐ論破されるような発言をする「匿名」の人がひっきりなしにやってきて、掲示板でのコミュニケーション・コストが跳ね上がり、せっかくの場が機能しなくなる、という致命的な問題を回避するために採用された考えです。

▼提案
ここまでの発言を見るに、いるかさんは、あえてCafe Lunatique掲示板で発言する必然性があるようには思えない。そもそも、対話に必要なスキルが身に付いていないように見える。
そこで提案なのですが、新たにウェブログを開設して、そこで自説の蓄積と洗練、そしてコミュニケーション・スキルの鍛錬を図られてはいかがでしょうか。
ウェブログの記事はやたらと検索にかかりやすく、地道に掲載しつづけていれば、どこからかお客が集まってきて、コメントしてくれたりするようです。ここの掲示板と違って、対話的でなくてもいいし、対話もできるという仕組みです。
どうでしょう?

いるか  自己紹介ですね。 2005年09月17日(土)23時23分00秒
「匿名による批判の禁止」ルール へのコメント

ここのルールを無視していたことについては申し訳ありません。
下記の自己紹介で「匿名」の定義から除外されるか分かりませんが述べさせてもらいます。
私は法務省外局に勤務しているしがない公務員です。民事法関係から社会や国民のお役に立つ事ができればと思っていますが、情報化社会の中において一個人として出来る事はないかと考えた時、自己の考えや意見表明を積極的に行う事もひとつあるなと思いました。しかしながら、一般紙などへの投稿は事柄の是非を問わず、批判の矢面に立たされる事例が数多くあります。大阪市役所の問題でも職員側から何も意見が漏れてこない事も一事例でしょう。この様な体質は改善されるべきものだと考えていますが、自助努力では無理なのが役所たる所以でしょう。ですから、政治や国民の側からの積極的なアプローチをお願いしたいのです。
現実と法制度の不備をいかに無くすのか、どう調整するべきか悩むところです。
現実に法制度をあわせればよいか、法制度に現実をあわせればよいか?
そのどちらも正解でも不正解でもないと考えます。今の状況においてどちらがベターかを比較検討した上で結論を出すべきなのでしょう。
憲法議論についても同じ事がいえると考えています。詳細は皆様と同じ議論のテーブルに乗せていただいてから述べていきたいなと思います。
上記で私の考え方はご理解いただけたでしょうか?自信はありません。
趣味・嗜好について、野球・サッカー大好き。無類の酒好きです。

なお、美千子さんからの反論について、疑問点などが沢山ありますがココでは割愛いたします。

寮美千子  「匿名による批判の禁止」ルール 2005年09月17日(土)21時52分59秒
民主主義の過程だと思いますよ へのコメント

▼ルールを守らないところに民主主義なし
当掲示板は、はじめての投稿の方には必ず自己紹介をしていただくことにしています。このことは「掲示板のご案内」に明記してあります。

にもかかわらず、匿名投稿が絶えません。「いるか」と称する方の「民主主義の過程だと思いますよ」も匿名による批判投稿。たかが掲示板のルールさえ守れない人に、民主主義が語れるでしょうか。

不思議なことに、憲法第9条改正賛成、軍備化賛成、原発賛成の意見を述べる人のほとんどが匿名投稿。しかも、人を小馬鹿にした挑発的口調で、まともに向き合おうという姿勢が感じられません。対話ではなく、言いっぱなしの独白です。

▼反論
このようなものは即刻削除する方針です。一々反論していては、人生の時間の無駄遣いになってしまうからです。しかしながら、反論するに価しないようなずさんな意見を繰り返してほしくないので、要点のみ反論します。

>国家として武器を放棄する選択肢はあると思いますが、
>放棄した後、数百年〜数千年間、平和が保たれると保障できますか?

武装を選択したとしても、数百年〜数千年間、平和が保たれる保障はありません。武器は、結果的に多くの人の命を奪ってきました。武力のあるところ、本当の平和はないのです。

>それとももう一度、歴史の勉強をしてみますか?

軍備競争の果てに原子爆弾が誕生、それが使用された歴史を人類は持っています。歴史に学ぶべきは、そのような愚を繰り返さないことです。

>「武器を捨て丸腰になる勇気→外交の知恵」ではなくて
>「外交の知恵→武器を捨て丸腰になる勇気」が正しいと確信します。

「武器を捨てた後に、外交をせよ」などという発言はどこにもしていません。外交は常に怠りなく努力すべき最優先事項であり、すべての前提です。不断の努力なくして、平和の維持はありえません。

>「特定政党の圧勝→ファシズム」の理屈は無理があります。

強権を持った政治権力は、実際に人々の言論を弾圧しています。それは、この掲示板でも既に論じられている「都立七生養護学校問題」でも明らかです。実際に肌身に感じているからこそのファシズムの恐れです。

>郵政民営化の先に憲法改正問題もある事は有権者は百も承知です。

承知している人もいたでしょう。しかし、そうではない人も多かったことは、すぐ下の「内容はわからないけどカッコイイ 自民に入れる二十代のココロ」に引用した、東京新聞の取材でも明らかです。他者の発言に耳を傾けず、自分の意見だけを自明の絶対是のように語る。そのようなところには、対話もなければ、民主主義も育ちません。

>政治に対して悲観的に見ている方もいますが、
>前向きに見ている方々もいる事を知ってください。
>決してファシズムなんかにはさせません。

ファシズムにさせないという決意はすばらしいと思います。しかし、そのために、本当に何をすべきか、深く考えなければなりません。ルールを守って対話をし、互いの考えを深めることは、その第一歩です。

▼テロリズムに支配されないために
武力によって守らないと「国家」「民族」が滅ぼされる、という恐れを強く抱いている人が、憲法改正を求めているようです。「恐怖」によって心が支配された結果の選択でしょう。まさに語源としての「テロリズム」に支配されているのではないでしょうか。

戦争に勝ち負けはない。勝ったとしても痛みを抱える。すべての人類にとっての大きな損失であり痛みであるのが戦争です。そして、その戦争は、武器によって実行される。武器によって人は人を殺し、殺される。

地上の武器がすべてなくなれば、というのは夢想に聞こえます。しかし、その実現に向けて何ができるか。どうやって一歩一歩近づくか。目先の恐怖による強迫的選択ではなく、遠くにある大きな目標を見据え、いまここでどう対処するかを考えることが大切なことだと思います。

▼匿名による批判の禁止ルールの確認

以下にリンクしました。これに反するものは、削除します。
ルールを守って、有意義な対話をしましょう。

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Anonymous.html

いるか  民主主義の過程だと思いますよ 2005年09月17日(土)10時50分06秒
自民党圧勝 民主主義の成果か? ファシズムの足音か? へのコメント

【この投稿には、自己紹介もなく、「匿名による批判の禁止」にも抵触するため、本来ならば削除するところですが、このような対話の成立しない投稿を繰り返して欲しくないため、あえてそのまま掲載します。管理者】

>武器があるところに、本当の平和はありません。
武器を捨て丸腰になる勇気と、外交の知恵こそが、平和を生みだすのです。人は勇気と知恵を持たなければならない。
 本当にそうでしょうか?人類の歴史上、武器を捨て丸腰になった民族や国家は存在しました。ですが、それら民族や国家は、一定期間は平和が保たれましたが、外部の武装民族や軍事国家にあっという間に滅ぼされてきましたよ。その民族名や国家名を掲載しましょうか?それとももう一度、歴史の勉強をしてみますか?
国家として武器を放棄する選択肢はあると思いますが、放棄した後、数百年〜数千年間、平和が保たれると保障できますか?
過去の歴史や人類の行動パターンを推測した場合、周辺諸国との不可侵条約も締結せずに一国だけ非武装しても平和を維持する事は無理でしょう。
非武装するには解決すべき優先順位があると考えます。「武器を捨て丸腰になる勇気→外交の知恵」ではなくて「外交の知恵→武器を捨て丸腰になる勇気」が正しいと確信します。上記でも述べましたが、世界中どの国でも非武装できればしたいのです。ですが、過去の歴史上その結果がどれも悲惨な末路に行き着いたからこそ、外交の知恵を先行させているのですよ。諸外国や国連などの外交活動をご覧になれば分かる事ですよ。

今回の選挙結果を悲観的に見ている方々がいるのは承知しています。私は民主主義の成果であると前向きに考えています。この20〜30年、欧州諸国などでも、自民党圧勝以上の圧勝劇を経験している事例はいくつもあります。それらの国で民主主義が衰退したと言い切れる事例は聞いた事がありません。自民党圧勝をナチスドイツと結び付ける思考は単純すぎませんか?「特定政党の圧勝→ファシズム」の理屈は無理があります。今の欧州諸国民もこんな馬鹿げた理屈は持ち合わせていません。ドイツがファシズムへ傾倒したのは選挙結果以外にもいくつかの要素が組み合わさった結果である事はドイツ国民自身も自覚していることです。
郵政民営化の先に憲法改正問題もある事は有権者は百も承知です。郵政しか見ていないと国民を愚民だとか言って馬鹿にしているマスコミがいくつかありますが、事実誤認もいいとこですね。
国民は実現させてほしし政策の優先順位くらい、ちゃんと考えていますよ。時には強い権力を政権に与えてでも実現させるべき改革が今の日本にあるからこそ、この選挙結果が生まれたのです。同様な事例は欧州諸国でも実践済みです。その結果、つぎの選挙で逆の結果にする事もできるのが小選挙区制度なのですよ。
政治に対して悲観的に見ている方もいますが、前向きに見ている方々もいる事を知ってください。決してファシズムなんかにはさせません。


高橋喜治  そうですね。 2005年09月17日(土)06時32分12秒
内容はわからないけどカッコイイ 自民に入れる二十代のココロ へのコメント

 小泉さんは国民をテロの攻撃の標的にしてしまった。尚かつ「おれは死んでもいい」とは、全く、自爆テロにも近いとんでもないことであると思います。「官から民へ」という言葉が恐ろしげに響いてしまうのもそのせいでしょう。
 それにしても精神的に随分振り回されてしまいましたが、結局僕はまだ修行が足りないのですね、やるべきことは山積みなのに。
 でも、寮さんや松永さんとは同じものを観て同じように僕は把(とら)えていると思える。それだけでも心強い。地道に頑張りましょう。いつも寮さんには励まされます。ありがとう。

千佳子  イエス・キリストは、ありのままの私たちを愛しておられます 2005年09月16日(金)21時06分20秒

【この投稿は、自己紹介もなく、メールアドレスも架空のものでしたので、削除しました。管理者】

寮美千子  内容はわからないけどカッコイイ 自民に入れる二十代のココロ 2005年09月16日(金)15時03分17秒
裁判員制度 へのコメント

自民党、まさかの「歴史的圧勝」の衆議院選挙でした。
東京新聞が、自民圧勝の理由を探る特集を組んでいます。
【小泉自民寄りくっきり 20代のココロ】>東京新聞特報から抜粋

・自民党に投票した理由
「小泉さんがいいと思ったのは、おれは死んでもいいと言ったこと。格好いいなと思った」
「命がけでやってるというのが顔から伝わってきた。だから入れた」
「やっぱり覚悟っていうの? そういうのが人生には必要でしょ」
郵政民営化は賛成だが、中身はよく分からない。
「でも分からなきゃ投票しちゃいけないってわけじゃないでしょ。
ほとんど分からないままじゃないの?」
「ぜんっぜん政治には興味ない。テレビ見てるけどバラエティーばっかりだし、
ニュースになるとチャンネル変えるし。新聞は一度も読んだことない。悪いけど」
と言うのは制服姿でたばこを吸っていたコンビニ店員(21)
「亀井さんとか自民党の中の悪いのを敵にしてやったんでしょ、
今回は。そういうのをズバッと切ったんでしょ。
なんかクールっていうか格好いいじゃない」
「小泉さんは負けたら政権を投げ出す覚悟で選挙に臨んでいた。
手法は強引でも、やっぱり小泉さんの方がリーダーとして頼りがいがある」

・精神科医による分析「思考放棄だ」
近年は、テレビのバラエティー番組のネタになるような
キャラクターのはっきりした人物を常に求めるような雰囲気がある。
「個人が何か強い決断をするというドラマを好むようになった。
特に今の二十代は、いじめ問題をくぐり抜けてきた世代で、
目立てばいじめられるため角が立つことに対する恐怖感がある一方で、
強い者の決断を、内容を問わずにリスペクト(尊敬)する。つまり思考放棄だ」

・自分の言葉で語る若者は反自民の傾向
「小泉流は気に入らないことがあるとちゃぶ台をひっくり返すような
横暴な手法で支持できない」
きちんと意見を話す若者のほとんどが野党の支持者だ。
とどのつまり、自分の頭でモノを考えず「わかりやすいキャラ」「わかりやすい主張」という宣伝にのせられた若者(大人も)が多かったということなのかもしれません。

歴史を振り返れば、この手法で圧勝して権力を握った政治家がいました。ヒトラーです。

反対勢力を切って、自分の周囲をイエスマンだけで固める。民衆の絶大なる支持を得て議席を拡大し、どんな法案でも通る絶対的権力を手にする。今度の選挙は、ファシズムを具現化するもののように感じられてなりません。

このようにやすやすと宣伝戦略に乗ってしまう「国民」。その人々が「裁判員」になったとき、きちんと自分の頭で考えられるのか。例え決定的証拠に欠けていても「あいつは極悪人だ。死刑にしろ!」という大衆の気分を単純に反映してしまうのではないか。こんどの選挙で、それは間違いないことであると感じました。恐ろしい。

少数派だからこそ、背筋をしゃんと伸ばしてきちんと発言していかなければと思う今日この頃です。たしかに現状況には鬱々とするけれど、ノイローゼになっている場合じゃないです。腹をくくって地道にやろう!

高橋喜治  裁判員制度 2005年09月16日(金)08時45分34秒
陪審員制度の導入 へのコメント

 実はよく知らなかったのです。正しい名称は「裁判員制度」でした。
 2009年には実施らしいのですが、僕は反対します(ノイローゼに陥っている)。
 寮さん、皆さん、この制度 どう思われますか?!
(下のリンクの最高裁判所のページをご参照ください)

http://courtdomino2.courts.go.jp/saibanin.nsf/

寮美千子  わたしはなぜ戦争に反対するのか 2005年09月13日(火)07時14分35秒

「なぜ戦争はいけないか?」という問いは「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いと本質的に変わらない哲学的な問いです。「戦争というものは、一体何であるか」も同じ哲学的な問いです。そんな哲学をじっくり考える時間が、もし人生にたっぷりとあるのだとしたら、それは、徴兵されて銃殺されたり、空爆で木っ端微塵にされたり、原子爆弾より強力な兵器で一瞬のうちに蒸発させられたりせず、ここに生存しているからに他なりません。戦争がいいか悪いかは別として、戦争で殺されていないからこそ、そのようなことを考えることもできる、というのは、紛れもない事実です。

わたしは、人を殺すことの善悪の哲学を語ろうとは思いません。ただ、わたしは、誰かに殺されたくありません。わたしは自分が嫌なことは、人にもしないようにしたいと思います。ですから、人を殺したくありません。人を殺すことに加担したくもありません。

殺されたくない、ということは、わたしのごく個人的な感情です。しかし、生物は個体保存の欲求を持っています。ですから、殺されたくないというのは、生物としてのごく妥当な感覚だといえるでしょう。人間は本能が壊れているので、生物の根源的な欲求がそのまま誰にでもあてはまるわけではありませんが、それでも、殺されたくないと思う人が人類の多数派であることは否めないでしょう。

であれば「人を殺してはいけない」ということを、もし人類の共通理解にできれば、すべては解決するはずです。互いに殺されずにすむわけですから。

しかし、困ったことに、生存の欲求と共に、生物には闘争の本能も備わっているようです。この欲求をどうコントロールするか。それが大きな問題として立ちはだかってきます。しかし、この闘争の欲求も、元を正せば生存の欲求に由来しています。生存のためにテリトリーを獲得しなければならず、また遺伝子を残すために配偶者を獲得しなければなりません。動物行動学から見た生物の闘争とは、そのようなものです。

であれば、自己の生存と子孫の生存が確保されれば、闘争の欲求をコントロールすることも、ある程度は可能でしょう。例え、闘争の本能が根深く残っていたとしても。

しかし、さらに困ったことに、人間にはさらなる「欲望」があります。生存が確保されただけでは満足できず、その欲望はもろもろのものに向かいます。その欲望のベクトルをどこに向けるか。経済的勝者となることか、権力の頂点に立つことか、芸術や哲学の探求か、日常生活の充実か。「豊かな暮らし」とは何なのか、がいま問われているのは、いままさにそこが問われているということです。

「豊かな暮らし」のために、その前提である「生存」そのものが侵されるようであれば、本末転倒です。しかし、その本末転倒の事態を起こしているのが、いまの人類です。豊かな暮らしのために、環境を汚染し、豊かな暮らしのために、戦争を行う。そして、自らを傷つけてしまう。生存の基盤さえ危うくしてしまう。そのナンセンスぶりにきちんと想像力が及ぶことこそ、いま、大切なことではないでしょうか。つまり、生存の基盤を脅かさない、ほんとうの意味での「豊かな暮らし」を見つけなければならないのです。

「戦争反対は戦争の敗者の論理でしかない。勝者にとってはどうか?」という人がいます。まさにその通りです。勝者にとって、戦争は「いい戦争」に他なりません。しかし、そこにも大きな想像力の欠如があります。戦争があるということは、常に敗者が存在するということです。勝者であるのは、たまたまそうだからでしかありません。自分が勝者の側に立つのか、敗者の側に立つのかは、自分では決められません。否応なしに運命のようにやってくるのです。そして、その運命さえ、恒久的にどちらかに決められているのではなく、いつだって、敗者の側に立つ可能性があるのです。国として勝利しても、兵隊にいった息子が戦死すれば、個人にとっての痛みは敗者と変わらぬものがあるでしょう。自分が兵士として死んでしまえば、勝ち負けなどなんの関係もありません。また、勝ったとしても、テロリズムの脅威にさらされ、心落ち着かない日々を送ったり、実際に殺されたりもするのです。その可能性をリアルに感じられない想像力の欠如が「いい戦争」を招く要因のひとつです。戦争を勝者と敗者の理論に分割するということ事態が、想像力の欠如なのです。

いま、アメリカがしているイラク戦争は「テロリズム撲滅の正義の戦い」という大義を掲げてきました。これも、人々の「生存の欲求」に訴えかけたものです。ブッシュ政権は、戦争をしなければアメリカ中がテロでやられるといった恐怖を国民に植えつけ、世論を操作してきました。フセインが大量破壊兵器を準備している、というのも「生存の欲求」に訴えかける脅しでしした。そうやって遂行した戦争のために、すでに千五百人を超える米兵が戦死し、イラクではその何十倍もの人々が殺されているのです。なんというナンセンス。恐怖によって人々を操るアメリカ政府こそが、語義本来の「テロリズム」そのものです。

そして、そのテロリズムの原動力となっているものが、単なる個としての幸せへの欲求ではなく、「国家」という組織と経済の原理だというところが、心底恐ろしいところです。国家が国民を守るのではなく、国家を守るために国民が存在するという転倒が起きています。国家がモンスターになっている。その転倒に人々が気づかなくては、大変なことになるでしょう。

わたしは、自分が殺されたくない。生存の基盤を脅かされるような社会に生きたくない。だから、戦争にも軍備にも反対します。「人を殺してはいけない」ということを、いますぐ人類の共通理解にすることは、むずかしいことでしょう。地上から戦争をなくすことが本当にできるのか、といわれれば、それも困難であると、現時点ではいわざるをえないでしょう。しかし、未来永劫まで絶対に無理とは誰もいえません。いま人類は、空疎で軽薄な「豊かさ」のために、その生存基盤さえ失ってしまいそうな勢いです。国家組織と経済の原理というモンスターに飲みこまれ、個の尊厳を失おうとしています。そんな愚かなことにならないように、わたしは、いま自分ができる範囲で誠実に語っていきたいと思います。たとえそれが、激流を堰きとめようと、ひとつの小石を置くような行為であろうとも。

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