ハルモニア Cafe Lunatique (No.0036)

寮美千子の掲示板

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寮美千子  自転車でもヘルメットを着用しよう! & 戦争反対! 2004年04月24日(土)21時52分21秒

▼事故の経過
事故の件、書いたら、みなさんから心配のメールや電話、いただきました。ご心配かけてすいません。情報がないと、みんなによけい心配かけちゃうので、ご報告を。

先日の日曜日、相棒とふたり、自転車で近所に届け物に行きました。よく晴れていたし、せっかくだからと境川沿いのサイクリングロードを通って戻ろうと、そちらへ。一般道ではないから、車両も通らないし、そちらのほうが安全、という判断もありました。

風が強く、しかも向かい風。相棒と「ゆっくり行こうね」と確認しあい、普段に比べてかなりゆっくり走りました。川を右に見て、わたしが左、相棒が右。ちょうど橋にさしかかり、上り坂になったので、自転車の速度はさらに落ちて、かなりゆっくり。橋の手前にさしかかったときのこと、左からいきなり自転車がもの凄い勢いで飛びだしてきました。びっくりして「きゃあ」と叫び、ブレーキをかけましたが、どういうわけが、相手はノーブレーキのまままっすぐに突っ込んできて、わたしの自転車の前輪に激突。わたしはそのままがしゃんと自転車ごと倒れ、右半身が道路に激突。いたたたた。うーん、あの時は息もできないくらい痛かった。

覚えているのは、倒れるときに、右ハンドルに顎がぶつかりそうになったこと。ああ、ぶつかるな、と思った瞬間、スローモーションのようにハンドルが近づいてきました。その後はよくわからなくて、気がついたら道路に倒れていた。がつんと顎をぶつけて、ちょっとだけ記憶が飛んだのかもしれません。

橋を渡ろうとしていた車から人が降りてきて、道の端っこに行けといわれたような記憶があります。いたたたた、といいながらも、立ちあがって道の端に。座っていたけれど、具合が悪くなってきたので、横になりました。ズボンのなかで膝がすりむけていたくらいで、目立った外傷もないし、自分でもどれくらいのダメージなのかわからない。大丈夫なような気もする。「救急車、呼ぶ?」と聞かれ「大丈夫」と答えたけれど、なんだか貧血でも起こしたような感じ。

とりあえず事故報告をと相棒が警察に電話。警察が来るまで9分。それが、なんだかもの凄く長く感じた。気分では、一時間ぐらいでした。わたしの具合が悪そうなので、相棒が救急車を呼んでくれました。救急車がくるまでの間、警察は現場検証をしていたみたいだけれど、わたしはひっくり返っていただけ。救急車が来て、救急病院へ。血圧がかなり低くなっていたのは、事故のショックだと思います。

レントゲンでは骨に異常がなく、頭を打った様子もないので、一安心。家に戻る前に、警察に寄りました。ぶつかってきた自転車の人もいっしょに病院まで来てくれていたので、相棒、わたし、もうひとりの3人で警察へ。

▼事故の責任はだれに?
結局、ぶつかってきた彼は、後ろから自動車が来たので、追いつかれる前に橋を渡ってしまおうと、スピードを出していたとのこと。ブレーキはかけたのだけれど、ブレーキの調整が甘くて、自転車は止まらなかったとのことでした。方向転換せずにまっすぐ突っ込んできたのも、後ろから自動車が来ていたので、道の真ん中に出れば自分が危ない、という判断があったのかもしれません。結局、自動車は橋のかなり手前で止まっていて、だれにも接触しませんでした。

ぶつかってきた人は全面的に非を認め、治療費を出してくださることになりました。彼は「重過失傷害」で書類送検。ちょっと気の毒な気もしたので、診断書を提出しないことにしようかと思いましたが、本人が「いえ、ぼくがいけないのですから」と潔くいうので、提出することにしました。

わたしも調書を取られました。調書には「わたしの落ち度は」という文言が、すでに印刷されていました。「落ち度はなかったと思います」と主張したものの「橋の手前で、一旦停止していれば、事故には遭わなかったはずでしょう」といわれ、反論できずに指で捺印してきました。わたしにも「自己責任」ありというわけです。

確かに、警察のいうとおりです。ないとはいわない。しかし、町で横道があるたびに一旦停止していたら、自転車は自転車として走れない。一般には、交差点では速度を落とす、ということで、何かあればすぐ対処できるぐらいのスピードで走ります。相手もそのつもりで走っていてくれれば、交差点で出会っても、譲り合って事故にはならないはずだけれど、今回は、違った。相手が全然そのことを考えていなかったし、猛スピードだったし、ブレーキもきかなかったので、事故に。うーむ。

今回は、相手が自分が悪いと認めてくれたので、わたしの「自己責任」は追及されませんでした。ぶつかってきた相手の方は、とても誠意のある方で、大変恐縮していました。そんなに恐縮するなら、スピード出すな、とか、ブレーキ整備しろ、といいたい面もありますが、起きてしまったことは仕方ない。

そして、わたしにも確かに「自己責任」があった。走るときは、もっと慎重にならなければと思いました。だからって、交差点で一々一旦停車するわけにもいかない。やっぱり常識を超えたものがやってきたときには、対処できないよなあと、思ったのでした。


そうなると、町を歩くのが怖くなる。これは一種のPTSDというやつか? きょう、相手の方が、事故現場に置きざりにしたわたしの自転車を我が家まで届けてくれたのですが、彼もやっぱり、思い出すと心臓がドキドキしてしまうそうです。

突発的なものに、人は対処できない。まっとうに歩道を歩いていても、居眠り運転の自動車がノーブレーキで飛びこんできて、轢かれてしまうこともある。人生には、いつそんなことが起こるかしれない。今回、つくづくそう感じました。

いちばんの反省点は、ヘルメットを被っていかなかったこと。「かっこわるいから」と野球帽にしてしまいました。さいわい、頭を打たなかったからよかったけれど、一歩間違えば、危なかった。倒れる時に、橋の欄干にでも頭をぶつけていたら、どうなったかわからない。「かっこわるい」とかいってないで、きちんと備えなくてはと大反省。

みなさん。自転車に乗るときは、ヘルメットをかぶりましょう! 絶対です! 高い自転車用である必要はありません。ホームセンターで売っている災害用のでも、ないよりあったほうが百万倍まし。1500円くらいで買えます。因みに、わたしはそれです。自分で、反射テープを貼りつけて、夜もよく見えるようにしてあります。


大きな事故ではありませんでしたが、まだあちこち痛いし、ムチ打ちの症状もあって、ちょっとつらいです。けれど、ほんとうにこれくらいですんでよかった。相棒は、わたしが機嫌が良くても悪くても「♪生きているから笑うんだ♪」とか「♪生きているから怒るんだ♪」なんて歌っています。わたしもそう思う。一瞬で、命は持っていかれる。そして、二度と戻らない。

あらゆる厄災をくぐり抜けて、きょう生きてここにあることの不思議、をつくづく感じています。命は、大事にしなくちゃ、と思いました。月並みだけど、それはほんとうにほんとのことだと思う。自分のためにも、そして周りの人のためにも。


そして、その命を軽視した「掃討作戦」なんか、絶対に許されるものではないと思います。一般市民であろうが、兵士であろうが、命はみんなひとつしかない。きょう、朝日新聞に、本国に帰還する米兵の棺の写真が大きく載っていました。星条旗に包まれた棺がずらっと並んでいた。この世界のだれも、彼らに「命を賭けて戦え」と命令する権利はない。彼らに「人の命を奪え」と命じる権利もない。だれも、他人の命を奪う権利なんかない。わたしはそう思います。

そよか  今問われていること 2004年04月24日(土)14時37分48秒 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4328/
三人とその家族の生きることの尊厳 へのコメント

 こんにちは。

☆寮美千子さま;
 お邪魔致します。どうぞお大事になさってください。

☆勇崎さま;

>僕には、善悪、是非、恥、なんて、そんな議論は、どうでもいいんです。
この件についての最初の投稿から、三人とその家族を、賛美しようなんて気だってないです。<

 まったく同感です。 
言うならば今日本の「正義」が問われているのかもしれません。
今井さんが昨年12月に設立して代表を務める「NO!!DU サッポロ・プロジェクト」サイトです。
http://members.jcom.home.ne.jp/no_du_sapporo/
志高く未来に羽ばたこうとしていた彼のような若者を潰さないように、そのお気持でどうぞ暖かい励ましをお願いします。
彼は「月間自然と人間」の編集委員でもあります。
http://www.n-and-h.co.jp/

☆辻井 豊さま;

「外来魚問題」でのサイトありがとうございます。
ゆっくりと興味深く拝見させて頂きます。
滋賀県の琵琶湖で問題になっているのは以前新聞で知りました。



http://2.pro.tok2.com/‾higashi-nagasaki/iraq_index.html

てるてる  外国の人との意見交換など 2004年04月24日(土)13時57分27秒 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/lunacontents.html

先日、紹介させていただいたblogの更新をお知らせします。

きのう、Yahoo!掲示板であった、外国の人と日本の人との興味深い意見交換や討論を引用しています。

「カナダ首相『何でもする』人質家族に電話で約束」(カナダ放送協会)(1)
http://terutell.at.webry.info/200404/article_15.html

「カナダ首相『何でもする』人質家族に電話で約束」(カナダ放送協会)(2)
http://terutell.at.webry.info/200404/article_18.html

諸外国から見た、日本への人質の帰還(1)
http://terutell.at.webry.info/200404/article_16.html

諸外国から見た、日本への人質の帰還(2)
http://terutell.at.webry.info/200404/article_17.html

なぜ日本の多くの人々は人質とその家族に対して怒るのか?
http://terutell.at.webry.info/200404/article_19.html

http://terutell.at.webry.info/

勇崎  気苦労をおかけしました 2004年04月24日(土)01時44分08秒
住所を聞くのは反則です へのコメント

事故、知らずにおりました。
早く、回復されるよう、お祈りいたします。
そんなおり、気苦労をおかけし、ごめんなさい。

辻井 豊  非難合戦は飽きるまで続く 2004年04月24日(土)01時19分10秒
三人とその家族の生きることの尊厳 へのコメント

 ネットで公開されている掲示板は、誰でもが読むことが出来ます。この掲示板も、キーワードで検索して、たどり着く人がいるかもしれません。そして、投稿されている発言のどれかを見つけ、別の掲示板に貼り付ける。

「お前らアホか!」は、たとえ敬語で言ったとしても、どれだけ多くの飾りつけをしたとしても、やっぱり「お前らアホか!」なんだと思います。非難合戦は、飽きるまで続くでしょう。



寮美千子  住所を聞くのは反則です 2004年04月24日(土)01時09分27秒
気取ってられない/手遅れになる前に へのコメント

寮美千子(実は日曜に自転車で事故にあって右半身打撲・生命に別状なし・ただしまだ痛い)です。みなさんのご投稿に、わたしもいろいろと感心したり、思うところがあったりして、書きたいこともいっぱいあるのですが、体が本調子ではないので、存分に書けません。けれど、これだけは黙っていられないので、緊急に書かせてもらうことにしました。

>どなたか、三人の住所、僕に教えてくれませんか。
>お手間をかけますが、僕のメール・アドレスへ。 by 勇崎さん

これは困ります。いくら励ましの手紙であったとしても、本人が自ら公開していない住所に送るのは反則です。住所を知りませんか、と誰かに聞くのだっていけない。それは、個人情報の漏洩を求めていることになります。相手が励ましてくれる人であろうと、だれで人であろうと、自分の知らない人が、自分が明かしていない住所を知っているというのは、気持ちの悪いものです。不安が募ります。

励ますなら、彼らが関係しているHPのアドレスにメールを送ることもできます。それなら、フェアです。

勇崎さん、やさしい気持ちはわかります。酔っぱらっているのも、わかります。でも、住所なんかきいたら、いけません。

辻井 豊  「対話〜相対する人たちの中から、話を聞いてくれる相手を見つけることと、話ができる環境を作ること」 2004年04月24日(土)00時56分27秒
辻井 豊 さま へのコメント

 そよか様、唐突に割り込んだ投稿に対して、ご返事ありがとうございます。そして、改めて、初めまして。イラク戦争について、わたし自身の考えは、まだはっきりしていません。何かを書いてみても、それを読み返してみると、何処かで誰かが言ったことのブラック・カーボン・コピーのような気がして。



 突然ですが、そよか様、他の皆様、
 激しい対立を含む問題には、いくつもあって、その中の一つに、「外来魚問題」があります。わたしは、昨年より、この問題に首を突っ込んでいます。以下にご紹介しますサイトで、わたしは活動しています。もし、よろしければ、以下のサイトをご覧になって下さい。多くの人々が対立し、傷つけあっている、この「外来魚問題」について、わたしがどのようなスタンスで関わっているか、わかります。



 まず、わたしが参加している掲示板のあるサイトです。わたしは、「794@前スレ」というハンドル・ネームで参加しています。このサイトの掲示板は、昨年の9月頃から参加者が増え始め、活発な意見交換がおこなわれています。特筆べきは、外来魚問題において、コアな役割を担っている研究者の方々が参加しておられ、それらの方々と、ごく普通のバス釣り人の対話が成立していることです。公開のシンポジウムでも、誹謗中傷のヤジが飛び交うことがある「外来魚問題」では、とても珍しいことです。参加者同士のメール交換や、実際に顔をあわせての意見交換も含めて、この状態が成り立っています。長文の投稿や、専門的なデータの提示も多く、全てのログを読むには、とても労力がいります。もし、ご興味がありましたら、このサイトの掲示板、ぜひご覧になって下さい。

「ゼブラノート バス問題を通して移入種問題を考える」
http://bio-diversity.hp.infoseek.co.jp/



 次に、わたし自身が開設しているサイトです。昨年より更新が滞っています。

バス・ギル モニタリングプロジェクト(仮題)本館
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2851/
釣果データのモニタリング(オンライン釣果データベース)について記載しています。
滋賀県水産試験場の琵琶湖調査報告と事業報告を掲載しています。

バス・ギル モニタリングプロジェクト(仮題)別館
http://x794maesure.hp.infoseek.co.jp/
琵琶湖の湖岸を歩いて撮影した水辺の画像を480点余り掲載しています。



 人の思いを円だとするならば、その中心を重ねることは難しいかもしれません。しかし、円を広げて、重なる部分を増やすことは可能だと思います。思いが違っていても、共感や、理解は可能だと信じます。そのために、必要なことは何か。相対する人たちの中から、話を聞いてくれる人たちを探し出し、話ができる環境を作る。思い込みで話すのではなく、調べ、データを開示する。


勇崎  三人とその家族の生きることの尊厳 2004年04月24日(土)00時48分57秒
横レスすいません。 へのコメント

僕には、善悪、是非、恥、なんて、
そんな議論は、どうでもいいんです。
この件についての最初の投稿から、
三人とその家族を、賛美しようなんて気だってないです。
拘束から解放までに、起こりうることを想像して、先まっわりして、
三人とその家族の生きることの尊厳を、
踏みつぶす力と抗したかっただけです。
(少しお酒入ってます)

勇崎  ものさし 2004年04月24日(土)00時23分22秒
身体の帰還と心の帰還の長い長い時差 へのコメント

冬山遭難、というものさし。
自己責任、というものさし。
寸法違い、見当違い、気違いのものさしで、
人間を計り、なぶりものにして、
人間の尊厳を、カッターナイフで、
切り裂いている。

勇崎  気取ってられない/手遅れになる前に 2004年04月24日(土)00時07分49秒
勇崎さま へのコメント

100%ピュアじゃないから、と気取ったりして。
“動機”には、“不純”が付着する、といったりして。
この自己矛盾。やっぱ、気取りすぎ。
三人が、ますます異常に、追い込められていることを想像すると、
気取ってられない。

死んじゃうかも知れない。
再起不能に落とし込められる前に、
手遅れになる前に、
せっかく背中を押して貰ったのだから、
あれらの投稿を届けるのではなく、
手紙を書こうと思います。

どなたか、三人の住所、僕に教えてくれませんか。
お手間をかけますが、僕のメール・アドレスへ。

なにか怖い想像が、はたらきすぎてしまいます。

そよか  辻井 豊 さま 2004年04月23日(金)12時44分14秒 http://bbs10.otd.co.jp/1008792/bbs_plain
横レスすいません。 へのコメント

 こんにちは、初めまして。

そのことについては私はこのように思っています。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26958&range=1
「烏合の衆」「付和雷同」「(思想・信条等からくる)私怨」という言葉が私の頭の中を駆け巡っていました。
つくづく情けなく、この国の政治家、官僚、当事者のことを考えると悲しく辛い思いの毎日です。
主権者の一人として、「この政治家にしてこの国民あり」の一人ではいたくないものだとつくづく願います。
*****************************

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=27014&range=1
 帰国後、拉致された三人の「声」を家族が押さえつけている と見える方もいらっしゃるようです。
なぜ家族がそのようになったのか...話し合っていこうと思っていますが、兎に角、民衆をそのようにリードする政府・一部結託したメデアの姿勢に暗澹たる気持です。
怖いですね、権力が意図すれば善意の人を捻り潰すのなんていとも簡単なのだということがはっきりとわかりました。
長い間不思議だった”なぜ民衆は先の大戦であんなにも力差あるアメリカに無謀な先制攻撃するのを止めなかったのだろう”という疑問が今回の体験によって解明された気分です。
私達は確実に同じ道を歩いている、歩かされている。
==============================

 すみません、このような意志の表し方でいいのでしょうか。





http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26958&range=1

  身体の帰還と心の帰還の長い長い時差 2004年04月23日(金)02時23分43秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
自身の示すべき旗 へのコメント

(連続書き込みすぎてませんか? わたし)

わたしがいま少しだけ恐れるのは、
このことが、解放された時点で解決した、
と感じられて良かったねと安心されることです。
そして周りの人だけが安心して彼らの存在が忘れられることです。

何が忘れられることがいちばん怖いかというと、それは、彼らがしようとしてい
たことでもなくて、彼らの身に起きたことが問題提起した政治のことでもなくて、
彼らの中にじっと積もって閉じている、表現しようのない何かが、

表に現われるまでに時間と、ともかく受け入れ聴く耳を持つ人間と、
何よりもう一度帰ることのできるひとつの場、
狭いところから広いところへの相似系の
社会というもの
の手を必要とする、
否応なく持たされてしまったひとつの経験を、

誰も見ることがなく、あることを知らず、待つこともなく、
あるいは聞くことを焦りすぎ、
聞きたいことだけを望みすぎること。

それを恐れています。

できれば本当に、そうしようと思い、言葉を得るまでは、
誰のための記者会見なんて、しないで、
ただ、ただ、
御自身を確保するために時間を使ってほしいと思います。

すべてのことはその後でいい。
義務があるとしたらそれはご自身の命の保護、それだけで。
それがしっかり安定を得られるまでに、使えるだけの時間を、使うことだと思い
ます。


少しでもその手助けになるような場所で、日本があったら良かったのにと、
本当に思います。



>吉木さん

 ありがとうございます。
 私の言葉をキャッチしてくださって……。
 こちらこそ、です。
 ありがとうございます。


>たきさん

>丁寧に、その人の言葉を聞こうとすること。わたしが感じることを、あなたがい
>ることで見えてくる世界を、伝えること。そこから、生きていこうとすること。

「心の静寂に降りる記憶を語りたいと望む」気持ちが、いまここで呼吸してます。
たきさんもここにいてくれてうれしい。いまここで言葉が消えて行かないと感じ
られることがとても嬉しい。
 あのことの上に立って話す自分というものが、ものを、憎まないでいられるこ
とが、うれしい。


>勇崎さん

>ところで、僕も当然ながら、ボランティア(正しくは、ボランタリィを持ち合わ
>せている人)や戦場カメラマンが正義だなんて思っていません。なにかに向かう
>“動機”という名のエモーションは、多かれ少なかれ“不純”が付着するもので
>あり、それを自覚せずに“純化”を目論めば、ムーブメントとしてのダイナミズ
>ムを失墜させ、求めるべき共感が損なわれると考えます。

 上記にとても共感しました。
 いつだって自分の動機は不純で、それを自覚することを忘れた時に、盲目にな
るのだと、いうのが、どうして危ないのか、理解できた……ように思います。
(わたしはいつも『優しいのね〜』と言われると、いや、むっつり助平なだけだ
よ、と思うのでした)

 自覚した上で動いている人間の行動を頭ごなしにイメージで否定することも、
 その踏まえている部分を無視してただ賞賛することも、
 理解とは言えないのですね。

 そして踏まえた上で誉めてくれる人と、ただ結果を誉めてくれる人と、
 誉められるだけで有頂天になっちゃうと躍らされたりしちゃうのでした。
(わたしよくあることです……(笑))

辻井 豊  横レスすいません。 2004年04月23日(金)01時52分02秒
勇崎さま へのコメント

わたしは、外国のメディアでどうこう言われたから、恥しいとか、偉いとかは思いません。
わたしは、「この政治家にこの国民」などとも思いません。

わたしは、わたしや、わたしの知人達を卑下しません。
そこに、わたし自身がいる、その実感があるなら、やらなければならないことは、なんでしょう?
お前らアホか!
その一言を言うのは易い。
だからこそ、ネットには、誹謗中傷が溢れかえる。
わたしは、そう思います。


そよか  勇崎さま 2004年04月22日(木)20時54分23秒 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4328/
自身の示すべき旗 へのコメント


 レスありがとうございました。
ご意見とても納得致しました。

二つの某大手掲示板に悪意とともに彼ら三人の現住所の貼り付けがあり、膨大な
悪質手紙が届いているようです。
彼らから依頼を受けた弁護士が掲示板管理人に申し入れその投稿は削除されたとのことです。

いったい、今のこの日本はどうなっているのでしょう.....
東京の各国特派員によって日本の政治家、付和雷同して嫌がらせする人達の有様が批判をもって記事にされているようです。 実に恥ずかしいことですね。

「この政治家にこの国民」ですね。


http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_index

勇崎  反省してます:推敲足らず 2004年04月21日(水)02時12分33秒
自身の示すべき旗 へのコメント

そよかさまへ>
僕の先ほどの投稿の4ブロック目に「どなたかがこの投稿を当事者にご紹介下さることは」とありますが、これは間違いです。このBBSは、いろいろな人たちの多様な発言のバランスの上に成り立っています。僕のふたつの投稿にしても、それ以前に投稿された方々の発言趣旨を前提にしているので、誰かの投稿だけをとり出してみても、本当の真意は、こぼれ落ちてしまうと思うのです。

このようなことから、「どなたかがこの投稿を当事者にご紹介下さることは」ではなく、「どなたかがこのBBSを当事者にご紹介下さることは」であるべきでした。そうなると、そのあとの「一向にかまわないとも思っています」なんて僕が言っちゃていいことではないですね。

もうひとつは、最初のブロックの「自身の旗の表出」というのは「自身の旗の色や柄」と書くべきでした。

さらにもうひとつ、投稿後読み直して、気づいたのが「● ● ● ● ●」のあとの2つのブロックのつながりでした。
「入国の目的を果たして欲しかったと想うのは」は、
「入国の目的(動機)を果たして欲しかったと想うのは」と、括弧付きの(動機)を入れておくべきでした。

おそ松さまでした。

勇崎  自身の示すべき旗 2004年04月21日(水)01時30分44秒
初めまして。 へのコメント

そよかさまへ>
僕の投稿をお気にとめて下さり、ありがとうございます。
拘束され、解放された三人の方々に向けた、僕のふたつの投稿は、“キミたちへ”としながらも、実は自分自身に向けた日記のようなものといえます。つまり、届くアテのない手紙をかくことで、僕自身の示すべき旗を忘れぬよう、この同時代の瞬間に記しておきたい。しかもBBSのように、半ば公開の場にさらすことで、自身の旗の表出に責任を持ちたいと考えました。そして、“いまここに”投稿することで、あわよくば、僕と同じような旗を掲げようとする人たちと励まし合いたい、とも意図しました。

記すにあたっては、政局的、あるいは直截的な言葉を極力用いず、なるべく平易な言葉で起こりうることを予測することに努めようとしました(そのように記すことが出来たかについては、全く自信が持てませんが)。それは、それぞれの言葉が、時代の波に汚染されながら記号化し、立場によってその“意味されるところ”が対立的に異なっていると感じているからです。

今回のような事件は、なにが正しくて、どこが間違っているのか、という答えは直ぐに見いだせるものではなく、時(歴史)を経なければ、本当のことが分かるものではありません。そのような状況において、僕自身にとって確かなこと(ウソのないこと)は、自身の主観しかありえませんし、その主観に議論をはさまれること(議論のための議論に似た傾向)をできるだけ回避したいがために、三人やそのご家族への私信の体をとったこと、つまり、僕の投稿は100%ピュアな行為といえぬことを、正直に告白したいと思います。

そんなことから、せっかく、そよかさんから背中を押して励ましをいただいたのですが、この投稿を僕自身から当事者の方にお送りすることは、差し控えたいと思っています(お二人のご自宅には、車で走って探せば、いずれも30分程度で辿り着くところに、僕は住んでいるのですが)。ごめんなさい。とはいうものの、書き記した事柄や自身の心情については、示すべき旗以外のなにものでもありませんので、どなたかがこの投稿を当事者にご紹介下さることは、一向にかまわないとも思っています。

● ● ● ● ● ●

ところで、僕も当然ながら、ボランティア(正しくは、ボランタリィを持ち合わせている人)や戦場カメラマンが正義だなんて思っていません。なにかに向かう“動機”という名のエモーションは、多かれ少なかれ“不純”が付着するものであり、それを自覚せずに“純化”を目論めば、ムーブメントとしてのダイナミズムを失墜させ、求めるべき共感が損なわれると考えます。

今回、拘束され、解放された5人の方々にその意志があって残られるのなら、入国の目的を果たして欲しかったと想うのは、そこから報告される成果を是非とも送り届けて欲しかったと考えるからです。送り届けられるレポートは、多数の方々の五感(体験)を通じた、多様な立脚点が示されるるほうが、受け取る側の判断力やイマジネーションを拡大させてくれます。送り手の立脚点の是非論(いいひと・わるいひと?)よりも、受取手の想像力の鍛え方の問題だと自覚します。

前の投稿で、もし僕が同じ立場だったら、解放後に残って、自らの使命を遂行したいと考えると述べたのは、あのような現場には独特の“緊張感”があり、その緊張感には、精神力の持続を支えるという、不思議な力があるからです。この国の異常とも言える世論のプレッシャーを諭され、この緊張感を未消化なまま、連れ戻される(?)のは口惜しく、5人の方々にとってのトラウマは現場での体験ではなく、その口惜しさを心に棲まわせて送る、帰国後の体験に訪れるかも知れません。そこが、とても心配なんです。

最後に、話題になっている“自己責任”ということについてですが、社会性を持って生きている存在である以上、“自己責任”なるものは、いわずもがな付きまとっているものです。それをあえて持ち出して他者に突きつけるのは、分析力と問題解決力にかける人に見うけられる傾向だと感じます(ハイ、僕のことです)。また、それを突きつけることによって、「あなたに責任があり、私には責任がない」と別に確認することもないことを、言わんとしているのであり、いささか狡く卑怯な態度なのではと感じます。ので、そんな人にはなりたくないなあ、と自戒するココロです。このつづきは次回に、ということで、いつものようにサブい失笑をいただいたところで、今日も幕をひきます。

たき  自分がほんとうにしたいと思うこと 2004年04月20日(火)11時43分18秒
無責任なバッシングと無責任な賞賛/ほんとうにそこにあるものを見つめる力 へのコメント

 「自己責任」という言葉によるバッシングに命を脅かされるような危機感を覚えます。
 他者に接した時、その人に起こったことを知った時、自分は何をするか。したいと思うのか。相手を非難したり持ち上げたりすることじゃないと私も思います。それは人を生きにくくしてしまうだけと思います。そういう言動の先には何があるだろうかと思う。「ほんとうは私、何が言いたいんだろう?」と、自分の心に問うてみると、きっと、心に見えてくるものとその言動は重ならないと思う。何か、いびつな形になって現れてきたように感じられます。
 そこにまず「違和感」を感じる力が必要、そして、感じたら、軌道修正しようとすることが大事ですよね。
 非難することでは、危険の只中にある命は救われない。素晴らしいとただ持ち上げられても、何も動かない。何かを届けようとしている人の身体を頑なにさせてしまうような、そんな言動がなくなるには、どうしたらいいだろう。たいへんな場所から帰ってこようとしている人が、自分が立っている場所まできて、手を差し伸べて(それは、ほんとうに、たいへんな力だ)心から思うこと、その人が持ちかえった願い、それに辿りつこうとする言葉を聴きとりやすい世界にするには、どうしたらいいだろう。
 自分が、こういう風に求めたい、と思うことを、するしかないだろうと思う。丁寧に、その人の言葉を聞こうとすること。わたしが感じることを、あなたがいることで見えてくる世界を、伝えること。そこから、生きていこうとすること。生きて持てる願いを見つけ出そうとすること。

>ただ助けてって言うことさえ、許されない (>望ちゃん)

 そういう状況にしてしまわないようにすること、ほんとうにしなければならないことだと思う。

吉木克実  ゆっくりと 2004年04月20日(火)10時05分37秒
冷静ということ へのコメント

望さんこんにちは。
長い引用ですみませんが、

>私の思う現実は、目の前にあるものです。
>手で触(ふ)れるものです。
>いつもいくつものひらめいている動いている可能性です。
>それが同時に不可能性でもあっても、
>針の振れる先がいつも半々なら、
>それは希望です。
>動かないものの横に動くものがある。
>絶望してても希望を持つ。


>どうしても手を出せない気力が生まれないならそれは、
>現実でなく、自分自身の中の、理由です。
>それは現実だからじゃないのです。

心にしみこみました。
望さんの心を何が駆り立てているのかわからないけど、
きっとゆっくり見回さないと見えてこないもののような気がします。
僕は鞭打たれました。
ありがとう。

  冷静ということ 2004年04月20日(火)03時53分32秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
命からがら渡ってきた人を受け止める腕がない へのコメント

ダブル投稿すみません。

ちょっと熱くなってしまったので。。

他者が私のためを思っていたかすっきりしたかったかは私にゃわかりませんので、
すっきりしたいからだーなんて言ってしまうのも一つの嘘かなーと思います……。

つまるところ
人の行動に釘をさせることが冷静ということじゃないということを言いたいです。
人を批判できることが冷静でもないです。
助けを必要としている人間の前で、自分の見た冷めた現実を示して、
それが現実なのだからしょうがないよね、と同じように冷めた人と話し合っているだけで
手が出せないのはやっぱり、冷静じゃないです。

それが現実を知っているということではないです。

現実にあきらめているだけです。

自分をあきらめてしまっているだけです。

私の思う現実は、目の前にあるものです。
手で触(ふ)れるものです。
いつもいくつものひらめいている動いている可能性です。
それが同時に不可能性でもあっても、
針の振れる先がいつも半々なら、
それは希望です。
動かないものの横に動くものがある。
絶望してても希望を持つ。

どうしても手を出せない気力が生まれないならそれは、
現実でなく、自分自身の中の、理由です。
それは現実だからじゃないのです。

やーカラスが鳴いているし、書きすぎているので、これにて失礼します。

  命からがら渡ってきた人を受け止める腕がない 2004年04月20日(火)03時31分40秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
無責任なバッシングと無責任な賞賛/ほんとうにそこにあるものを見つめる力 へのコメント

寮さん、返信、ありがとうございます。
いつも私は自分の言葉が恥ずかしくなって洞穴に隠れ込んだりしてますが、
すっと受けとめてくださるので、そのたびに自分の足元が出来上がって行くよう
な気がします。自分の感じたことを発すること。
たきさんもサンクスアミリオンです。
自分の言葉にした声で、なにか思ってくれるのうれしいこと。

テレビを見ていて聞こえてきたことに残念、と思いました。
“元気な声を聴かせてください”
3人に掛けられた声。
誰が誰のために、笑って見せなければいけないでしょうか。
私たちは子供なんでしょうか。
命を左右する経験をして、憔悴して帰ってきた人に笑顔を求めるほどに。


以下、引用です。

>つまり、寮美千子は、元人質バッシングにも礼賛にも違和感を感じている、とい
>うことです。バッシングは違和感どころか、とんでもないと思っている。確かに、
>彼らに一ミリも落ち度がなかったとはいえない。けれど、それは痛い思いをした
>彼ら自身が感じるべきことであり、他人がとやかくいう筋合いじゃない。

 私は個人的に上記の寮さんの言葉にパソコンの前でイエーイといいました。
(わたし自分甘やかしちゃだめだけど)

 人質になった3人が自分と同じかわからないですが、
 私は常ならぬ体験をしてわけわからんところからどうにかひとりで家に帰って
きてからこっち、日常というものの中に自分が経験したことをどう置いていいの
かわかりませんでした。

 あー、親に言ったら理解されないな。
(経緯がわからないと思いますが、まあそういう経験をしたものだと思って読ん
で下さい)
 自分いま逃げられない家んなかで白い目で見られたり、誤解されたまま諭され
たりしたら崩壊するなー、と思い、口をしっかり閉じてました。
 自分で説明できる言葉がないまま他人に語られたら、辛うじて残っている自分、
生きて帰ってきた自分は消し飛ぶからです。

 けれど相談してみようと思える他者はいて、自分が悪いところはあると思いま
すがこのどうにも落ち着いて行かない状態をどうしたらよいものでしょう、と問
い掛けたものでした。

 どころがこの「自分に悪いところがあるとは思いますが」というところが、
 人の食いつきどころだったのでした。
「きみにも落ち度はあったと思うよ、○○○○」
「落ち度はあったかもしれないけれど、でもね、○○」
「大変だったね、でもきみにも落ち度はあったのは事実だよね」
 あはー。

 だいたいは後から良いことを言って励まそうとしているようなのですが、
 正直よく後半は覚えていません。

 この一件で悪く学んだことは、こういう話は病院の診療室かカウンセリングルー
ムか膝の上のノートに閉じ込めておけ、ということでした。

 いや、それは置いておいて。

 どうにも人はすっきりするために突っ込みどころは突っ込むような気がしてな
りません。いまは。一見諭しているようだけどこれは私にとってなんの有効な効
果もなく、逆効果も逆効果。自分の立場上、わかってるんじゃぼけ、ということ
もできず、ただひたすら「自分が悪いのはわかってるから(リフレイン)」

 そして助けを求めることは永遠にできないのです。
 そんな資格は私にはないということなのでした。
 自分の落ち度を100回くらい紙に書かないときっと、ただ助けてって言うこ
とさえ、許されないようなこと、わたししたんだーーと、弱かったので納得し、
その後、撃沈人生でした。

 何がわかっているつもりで人は釘をさすのか。
 実際何も知らないから釘がさせるというしか言いようがないです。
 それ、言いすぎ、と私の弱気が言うけれど、
 私が見聞きしたり経験したことの一ミリも聞くことがないままに。
 ただ、俯瞰する目で。差し出す手もなくて。
(相手は充分話を聞いたつもりなのです。我慢したつもりなのです)
 川の向こうから野次だけ飛ばせるなら、
 その身体と心と声を持っていて、そこにいる意味なんてないんだから、
 とっとと好きなところへいって好きなことして輝いてればいいんです。
 それ以上余計なことを言うんじゃないのです。

 私は「それ」を伝えられなくて茫然としているのだけれども、
 相手はすべてをわかっているのでした。
 わかりやすい物語で、いちばん初めのイメージで、
 私が馬鹿を見た話を、理解していたのでしょう。

 どこかしら、それ見なさいといわれたような気がして、
 私はそれまでの自分の信じてきたものもみんな、
 その事件を呼んだ要因のように思ったものでした。
 それはその後長らく自分自身への信頼を打ち壊したままでしたし、
 すべてのよきものを私から一度空高く持っていってしまいました。



 私は、自分自身の偏見に立った上で思うのですが。
 今回の件への非常に厳しいバッシングは、
 それそのまま、ボランティア、それをする人に対する人々のイメージ、白い目
なのだと思います。
 人がやらないようなことをわざわざやって痛い目見ても知らないよ、っていう、
囲われた中の安全を愛する人たちの不安。
 門を出て遠出して、帰って来た人を迎え入れる腕を、残念ながら私たちは持っ
ていませんと、テレビは馬鹿みたいに表現しているけれど、本当は、いると思い
ます。言葉や声は静かに、たちあがってくるのなら。

 注意深く拾っていけばテレビの中にも新聞の中にもそういう言葉が少しだけで
もある。それを心に残して行こうと思います。

 3人が持ち帰って来てくれたことを、聴く耳を持てる場所が、静かに広がれ、
と思います。

寮美千子  無責任なバッシングと無責任な賞賛/ほんとうにそこにあるものを見つめる力 2004年04月20日(火)01時36分13秒
知らないでいることの距離からの立て直し へのコメント


望ちゃん、ありがとう。望ちゃんの、心の底からゆっくりと取りだされる言葉の、その真摯な響きに、いつもいつも胸を打たれます。今井紀明さんの文章を読んでの望ちゃんの言葉、すなおで、目に曇りがありません。

>この記事を読んでよかったと思います。
>この記事の言葉は、ちゃんと届く言葉でした。  by 望ちゃん

それは、今井さんが発信したものを、望ちゃんがまっすぐに、色眼鏡なしに受け取ったからだと思います。雑音にまぎれたたくさんの情報の中から、望ちゃんが、ほんとうに大切なものをきちんと聞き分けたからだと思います。

たきちゃんも、望ちゃんに対して、わたしと同じように感じたのだと思いました。たきちゃんの言葉から、引用させてもらいます。

>様々な手段で「伝えられていること」の中から、
>自分の心にまっすぐ届く言葉へ、手をのばそうとすること。
>そこへいって、相手が何を感じ、伝えようとしているのか受け取ろうとすること。
>そして、伝わり、受けとめた言葉を、育て、届けようとすること。
>望ちゃんの投稿を読んで、そのことの大事さを改めて思いました。  by たきちゃん

情報にまどわされ、時に借り物の言葉や思想を、自分のものだと錯覚して丸呑みにし、消化しないまま再び放出する。そんな薄っぺらな言葉や情報が満ちあふれているいま、望ちゃんとたきちゃんの、心からの素直な言葉は、ほんとうに価値のある、大切なものだと感じます。そして、小西さんの真摯な言葉にも、心打たれました。ありがとう、望ちゃん、たきちゃん、小西さん。混迷した世界に、こんなふうに清らかな風を吹きこんで大切なことに気づかせてくれる人が、カフェルナに集ってくれること、わたしの誇りです。なによりもの励みになります。


わたしも、今井紀明さんの文章を読んで、感心しました。正直言って、高校を卒業してすぐに「劣化ウラン弾の絵本をつくりたい」とイラクへ出かけてしまう青年というのは、いったいどんな人だろうかと思っていました。とても思いこみの激しい、エキセントリックな人ではないか、というイメージを、漠然と持っていました。

けれど、そうだと決めつけたわけではありません。実際、どんな人なのかは、見てみなければわからない。判断を保留にしておいたところ、今井さんの文章を見つけました。読んでみて、その冷静さ、きちんと人の話を聞く態度、焦らずに語る姿勢など、とても十代の青年のものとは思えない落ち着きと誠実さに、驚きを禁じ得ませんでした。しっかりした、いい青年だと思いました。今回のイラク行きの是非は、簡単には判断はできませんが、少なくとも、浮ついた気持ちではなかったこと、感じました。応援したい、という気持ちになりました。


人質になり、解放されて戻ってきた三人のことに関して、世の中はいま、大騒ぎです。「自己責任」をかざしてバッシングする人々と、彼らはすばらしいとたたえる人々に、二分されているように見えます。

人質になった人々に対する「自己責任」についての大合唱を聞くと、なんと心が貧しいのか、想像力が貧困なのかと悲しくなります。いま、大切なのは、この問題が起きた根本、つまり、なんで彼らが誘拐されなければならなくなったのか、を問い直すことであり、目の前の三人を責めることではありません。そして、その本質を語り、検証することこそが、わたしたちの「自己責任」であると思うのです。これについて、ここによく登場するドロンコ氏が、ご自身の掲示板「ドロンコだ・より」(なんてすてきなネーミングだ!)で一言で言い当てていたので、引用させてもらいます。
本質的な問題、根本にある問題に、しっかりと、誠実に対応することが政府に求められていることは明らかだし、ぼくたち市井の人間にも、そのように政府の後押しをする責務があると、ぼくは思うのです。何より、それこそが、いわゆる危機管理、つまり、自分で自分の身を守るということの、基本中の基本であるに違いないのだから。
ドロンコ氏の○×論にはついていけませんでしたが、これには心から賛同しました。ドロンコ氏は時々、ものすごくいいことをいいます。


とはいえ、わたしはもうひとつの立場、つまり「ボランティア=絶対善」「戦場ルポライター=絶対正義」を信じて疑わない人々の態度にも、強い違和感を感じています。これには、信介さんも違和感表明をしていました。
おれが、おれが、っていう家族たち、ボランティア、正義、
それもブッシュたちと同じような雰囲気がするけどね、 by 信介さん
わたしは、信介さんの気持ちはよくわかりました。「ブッシュと同じような雰囲気」っていうのは、あまりに乱暴な言い方だと思ったけれど、気分はわかった。「ボランティア&戦場ルポライター=絶対善&絶対正義」という構図と「アメリカ=絶対善&絶対正義」っていう構図は、とてもよく似ている。おなじ匂いがするといってもいい。

その気持ちはわかったけれど、それを乱暴にいい放つだけ、というのでは困る。誰にも伝わらない。伝える努力をしないで、結論だけ投げ出すのは、掲示板という、他人同士が言葉だけを頼りにコミュニケーションする場では無責任にすぎる態度です。もちろん、これが酒場ならいいけれど。そこで、わたしは退場勧告をすることになりました。信介さんの意見を否定したくて、退場勧告したわけではありません。


つまり、寮美千子は、元人質バッシングにも礼賛にも違和感を感じている、ということです。バッシングは違和感どころか、とんでもないと思っている。確かに、彼らに一ミリも落ち度がなかったとはいえない。けれど、それは痛い思いをした彼ら自身が感じるべきことであり、他人がとやかくいう筋合いじゃない。

第一、その前に、われわれ一人一人が「自己責任」をとるために、真剣に考えなくてはならない問題がある。一体、だれが日本を、国民が政治的目的で人質にされるような国にしてしまったのでしょうか。それは、選挙権のある日本国民一人一人です。自分のことを棚に上げて、なにをかいわんや、だとわたしは思います。

では、礼賛派に対して感じる違和感とは何か。それは前述した「ボランティア=絶対善」「戦場ルポライター=絶対正義」が見え隠れするからです。それは、ファッショです。押しつけです。善意による押しつけは、悪意による押しつけより、たちが悪い。

ひと口にボランティアだ、戦場ルポだといっても、その実態がなんであるのかは、きちんと内容を見てみなければわからない。それを知る前に「すばらしい」「命がけなんてエライ!」というのは、おかしい。

というわけで、わたしは人質となった彼らが、実際にどんな活動をしてきたのだろうか、と思っていたわけです。そして、今井紀明くんの文章を発見した。読んでみて、しっかりしたいい青年であると感じ、好感を持ちました。応援したい気持ちになりました。


戻ってきた彼らに「これにめげないで、がんばって活動してください」という人々がいます。わたしは、それはおかしいと思う。例えば(これはちょっと違うかもしれないけれど)山登りをして遭難して生還した人に、「これにめげないで山登りを続けてください」というでしょうか。

彼らが、今後もイラクでの活動を続けるかどうかは、彼らが選択することであって、誰かが押しつけたりすることじゃない。がんばれ、もう一度行けと励ましたりするなんて、無責任です。彼らがいままでやってきた活動をすばらしいと評価することはどれだけやってもいいけれど、これからのことを云々するのはおかしい。命をかけなければならないような場所に「がんばって行け!」というのはひどいし、彼らに余分なプレッシャーを与えてしまう。気の毒です。行くか行かないかは、よくよく考えて彼らが自分で決めればいい。周りの人は、自分がやりたくてもできないからといって、彼らに肩代わりしてもらうような気分でガンバレと安易にいってはいけない。わたしはそう思います。

彼らを支援したいなら、彼らが命の危険なしに活動できるような状況を整えることに全力を尽くすことだ思います。アメリカのイラク攻撃を支援する日本だからこそ、ボランティアやカメラマンが狙われる。その日本をなんとかすることこそが、ほんとうの意味で、彼らを支援することではないでしょうか。

そよか  初めまして。 2004年04月19日(月)23時25分11秒 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4328/

 突然恐れ入ります。
「飛翔・友情と信頼」BBShttp://bbs10.otd.co.jp/1008792/bbs_plainの管理人をしています京都在住のそよかと申します、よろしくお願い致します。

勇崎さん、こんばんは。
あなたの「解放された“キミたち”へ 」を読ませて頂いて、
これはぜひご本人達に届けてあげてほしいと思いまして、思い切って投稿させて頂きました。

今井紀明さんの関係するプロジェクトサイトが「二度とこのようなご迷惑をかけることのないよう、きつく自戒してまいりたいと思います。」このような文言を載せないといけないような政府主導の雰囲気世論の中、あなたのようなご意見を彼らに届け、新たなる勇気をもってほしいと願います。

どうぞ心無い仕打ちにくじけないで と願っています。
彼らは「自己責任」の元に行動したと思います。
彼らが迷惑かけたのではない、彼らはイラクの人々にアメリカの「侵略・虐殺」の手助けをする間違った国の施策に巻き込まれてしまった拉致被害者でしょ、
本当にイラクの方々の為に行動していたのが彼らでしょ、
と思います。


http://members.jcom.home.ne.jp/no_du_sapporo/

勇崎  解放された“キミたち”へ 2004年04月19日(月)22時00分06秒
拘束された“キミたち”へ へのコメント

あのとき思うところを綴っておこうと考え、12日未明に「拘束された“キミたちへ”」を投稿しました。晴れて解放され、帰国された今井紀明さん、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さんの“キミたちへ”、いま思うところを、また綴っておきたいと思います。

“キミたち”は帰国前に、日本のメディアの喧噪ぶりをお聞きになったでしょう。あるいは、拘束されている間の日本のテレビ報道などを、いまVTRでご覧になっているところかも知れませんね。メディアや国民は自分で勝手に心配や大騒ぎをしておいて、「我々を心配や大騒ぎさせた。謝罪しろ」とかいって、その責任を“キミたち”に押しつけようとしています。なんと身勝手なメディアや国民でしょう。その押しつけは“キミたち”のご家族にも当初から向けられていました。心を丸裸にされ、それでも耐えておられる様子が、とても気の毒でしたが、僕には益々ご家族のみなさんに感動させられたしだいです。

「謝罪しろ」って言われたって、どんな「罪」? 「強制被心配罪」?「メディア空前騒乱罪」?「海外渡航不注意罪」? “キミたち”はリスクは承知で、極めてリスキーだからこそ、その時・その地に生きるイラクの人たちと関わりたい感じて、彼の国へ入国されたわけですね。結果的に拘束されたけど、それは“キミたち”が不注意だったわけではないと思う。税金云々についてとやかくいわれることについても、前にも書いたから略すけど、厚生年金や国民年金の使途や政界・官界汚職のことには無関心で、声を上げて怒ったこともない人たちの盲言だから、気にしない。

イラクの人々が置かれている状況を世界中がもっともっと心配したり、不正なことだと大騒ぎして当然なのに、そっちはしょぼしょぼで、それ以上に拘束された自分たちのことをヒステリックに心配したり、大騒ぎしているなんて、、、まさか考えもつかないことだよね。もっとイラクの人たちのことを心配してよ!といいたくなっているのでは?。

いくら兄や弟たちに「この国でおこっているキミたちの現実を受け止めろ」といわれても、困っちゃうね。この国の人々やメディアが異常なのであって、大多数が異常な人たちの場に正常な少数が入り込むと、正常な人が異常扱いされる。そんな感じ。だから、正常な“キミたち”が異常な人たちに共感させうる言葉を見つけられるまでは、しばらくは記者会見なんか応じない方がいいと思う。
前にも書いたけど、自国の政府がキミたちの命を見捨てても、他国のイラクの人々は拘束したキミたちの実体を知ったとき、キミたちの命を救おうとして奔走してくれた事実を、誇りにして欲しい。高遠菜穂子さんが涙を溢れさせて「(どんなにイヤな目にあっても)イラク人を、嫌いになれない」を語られた時、僕はとても感動したし、その言葉が、嬉しかった。

“キミたち”の後に拘束され、解放された二人も、解放後このまま残って仕事(使命)を続けたい、といったね。“キミたち”も同じ気持ちだったと思う。僕も同じ立場だったら、そういうと思う。誰に引き留められようが、自らの使命を抱いて入国したのだから、使命を果たすまでは帰れない。それが、まるで雪山遭難者でも扱うように、帰国させられるなんて、、、。「この国におけるキミたちの現実を受け止めろ」といわれても、困っちゃうね。それよりも「この国の人たちは、イラクの人々が置かれている現実を正確に受け止めて、大いに心配して、大騒ぎしろ」と、叫びたいかも。

僕がいま“キミたち”に心配してるのはね、これも前にも書いたことの繰り返しだけど、「この国におけるキミたちの現実を受け止め」たりして、心へこませて、今後の活動や行動を後退させたり、鈍らせないで欲しい、ということ。それから、イラクで体験したこと(もしかしたら、拘束自体はたいしたショックではなく、拘束中に某国の犯した虐殺現場に案内され、その残虐な痕跡を見せられたかも知れないし)のショックや、帰国したあとで示されるこの国の異常さにショックを受けたとしたら、心の回復には充分に時間をかけて欲しい。活動の再開をあせらずに、ということ。

ぜんぜん喩えにもならないけど、僕は北京で、偶然にも天安門事件に遭遇し、帰国後全く情緒不安定に陥り、本来の自分を取り戻すのに2ヶ月もかかったという経験があります(そのことは、以前にこの板にも書いたことがある)。単なる観光客の僕でも、大きなショックを受けるとこうなるのですから、やはり“キミたち”のことが心配です。ましてや、天安門事件の比ではない、あの現場に当事者として暮らすイラクの人々のことが、やはり心配です。

どうか、ゆっくりと元気になってください。ご家族のみなさんのご回復も心よりお祈りしております。

たき  何ものをも傷つけることのない結晶 2004年04月19日(月)19時30分30秒
知らないでいることの距離からの立て直し へのコメント

 様々な手段で「伝えられていること」の中から、自分の心にまっすぐ届く言葉へ、手をのばそうとすること。
 そこへいって、相手が何を感じ、伝えようとしているのか受け取ろうとすること。
 そして、伝わり、受けとめた言葉を、育て、届けようとすること。
 
 望ちゃんの投稿を読んで、そのことの大事さを改めて思いました。

 私は「中距離の言葉」をなかなか持てずにもどかしく思うことが多いけれども、どんな言葉を持っているとしても、持てずにいるとしても、それでも変わらず強く思うだろうと感じているのは、伝え合いたいことをどんな風に伝え合ったら、交わしたことが"幸せなこと"になるか?ということ。この身体と知覚でもって存在している間に、それを問い探し求めたいのだ、ということです。

 イラクの人質事件で、「自己責任」という言葉が言われていますが、ジャーナリストの江川紹子さんがそのことについて書かれている記事を読みました。心に届くものだったので、長くなりますが、一部引用させていただきます。

▼いわゆる「自己責任論」について(2004/04/13)
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_28.html
―――引用開始
今回の件を、冬山での遭難にたとえて自己責任を論じる人がいるが、仮にその例えに沿って話を進めたとしても、その捜索にあたる警察の山岳救助隊が、救助作業の途中で遭難者の「自己責任」を云々するだろうか。そんなことはありえない。
 本人と無線で連絡が取れれば、ひたすら励まし助言を与え、そうでなければ持ちうる情報を元にとにかく捜索を行う。救助隊員も決して安全が100%確保されているわけではない。それでも彼らが考えているのは、一刻も早く助けることだけだ。
 純粋に命を想う山岳救助隊に比べ、外務省の態度はどうだろう。
 こうした言説が積み重なることで、本人たちの無謀な行動が国を巻き込んだ騒ぎを招いたという雰囲気が醸成され、一部の歪んだ心に正当性を与えてしまっているのではないか。
―――引用終了

▼「自己責任」と想像力(2004/04/15 )
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_29.html
―――引用開始
 しかし、命や肉親への情愛という点では、この2つの事件の関係者に、相通じるものはあるのではないか。政治でも思想でもない、命を思い、肉親を愛する気持ちは、少し想像力を働かせれば感じ取れるのではないか。
 そんな思いは、「自己責任」を論じる人々には、感情的で抽象的で甘くくだらなく見えるのかもしれない。しかも、「論」として主張を展開しにくい。「自己責任論」は短くインパクトのある言葉で語れるのに比べて、こうした話はだらだらと時間と行数を要し、時にはとりとめのない話に陥ってしまう(今も陥っているかもしれない)。そうこうするうちに、今の風潮に対する違和感や疑問を感じる心は、「自己責任」という「論」に押されて、隅の方に押しやられているような気がする。
(略)
 でも、あえて言いたい。
 こういう隅に押しやられている思いこそが、どんどん暴力がエスカレートしていく今の事態を考える時に、一番大事なものではないか。
 想像力――日常の人と人との関わりも、命や平和の問題を考えるのも、人の心を慮ったり、遠い異国の地で殺されていく子どもたちのことに思いを巡らしたりする想像から始まる。
 人が持つ、この力を、私は信じたい。
―――引用終了

▼「江川紹子ジャーナル」より
http://www.egawashoko.com/


 「自己責任」という言葉は、もしかしたら、相手に何かを伝えるための言葉なのではなくて、そうすることで自分に何も届かないようにしているものなのかもしれない。でも、この言葉は、痛々しい。発することによって別の「自分に届いてほしくない嫌なもの」を自らその心に塗り付けてしまっているのだから。
 私は言葉が好きです。それを持っていてよかったと思うことがたくさんある。けれども、発せられることで相手を傷つけることしかできないでいる言葉を見ると、ひたすら哀しくやりきれなくなる。自分がそういう言葉を発すると、相手はもちろん、自分もものすごく傷つくということが分かるから。
 そんな時、寮さんの「未来のための呪文」という詩の、「世界は少しずつ美しくなる」という言葉を思い出します。何度も繰り返し繰り返されるこのフレーズ。祈り、願い、望むこと、その強さ。以前、「正しく絶望すること。そして何度も立ち上がること。」とおっしゃっていたけれど、この言葉は、正しい絶望の先に育った(そして、育ち続けているような)言葉だと感じます。

 寮さんの、「命」と「魂」 という投稿を再び。
 http://ryomichico.net/bbs/cafe0035.html#cafe20040412022018

 「純粋に命を想う」ということが、切実に必要だ。これは「何ものにも傷つけられることのない結晶」なんじゃないかと思う。そして、「何ものをも傷つけることのない結晶」でもあり、誰の命をも怯えさせない、ほんとうの強さだと思います。
 そういうもので世界を育てていこうとすることで、みんなの幸せに向かえるのではないか。まずは、向かおうとすること。

 そこから。ですよね。ここにあるのは、そのためのたくさんの声なのだと感じます。
 何ものにも傷つけられず、傷つけることもなく存在する強さ。そこから出てくる気持ち。言葉。自分も相手も大切な愛しい命であることを感じられる声。私はそれを聴きたい。それに触れたい。そんな言葉を発せられたらと思う。これは、いつになっても手放すことのできない、求めたい幸せへと向かう、願いです。
 みんなきっと、幸せを感じていたいという願いをどうにかしたくて、それをいろんな形にしてみながら、迷っている。
 私も、その迷いの中で自分の心に届いた言葉を受けとめて、まずは今、自分自身の心にある声を放ってみようと、ここに来ました。

 さいごに、ひとこと。
 スナフキン、かっこいい。

吉木克実  ○でもXでも 2004年04月19日(月)15時17分11秒
◯な人、×な人……全否定ではないということ。 へのコメント

フィリピン周辺の海域は海賊が出る。
ロシアはチェチェンのゲリラがある。
東南アジアには共産ゲリラが出没する国がある。
アメリカ本土ではまたテロが発生するかもしれない。
スペインはすでに狙われたし、
南米、アフリカ、どこへ行ったって危なくないとはいえないじゃないの。

ま、確かに発生頻度の差はずいぶんあるけどね。
そういう国で仕事をしている人だって結構いるんじゃないのかなあ・・・

だいぶ前のことになるけど、ペルーの大使館人質事件のときはどうだったんだっけ?
それを全部まとめて、危険が予想される国への渡航は全て自己責任。
まあそこまではよしとして、
かかった費用(裏取引も含むのか?)の弁済も考えるべきだって?
う〜ん公党の要職にある人の発言だからね、これが。
僕はずいぶん恐ろしい国に生まれてきちゃったのかもしれないなあ。

まあそれはおいといて、
情勢の安定したところに、武装した人員を送り込むとか、ナンセンスだよね。
そう思わない?
危ないから武器を持っていたんでしょっ!!

どうでもいいんだけどさ、いいかげんアメリカに「NO」って言ってやれば? 純ちゃん。
あの大統領を見ていると、なんかこっちが惨めな気持ちになってくるよ。
ねえ、石原さん。 そう思わない?

DORONKO  ◯な人、×な人……全否定ではないということ。 2004年04月18日(日)17時08分02秒
知らないでいることの距離からの立て直し へのコメント

まだ根本の問題は何も解決されていないけれど、今回の人質事件の
「残る二人」だった安田純平さんと渡辺修孝さんも無事が確認されて、
本当によかったなと思います。

そこで、一昨日から昨日にかけての主要な人々の発言を振り返って、
これまで自分が述べたことについて、簡単に補足しておきたいと
思います。

まず、ぼくは、そもそも政府がイラクに自衛隊を派兵(公式には
「派遣」なのでしょうが、国際的には、そんな理屈などまったく
通用するものではないことについては、改めて説明する必要も
ないでしょう)したことが誤りだったと考えてはいますが、それでも
自分の国の政府である以上、彼らのすることなすことのすべてを、
憎しみをもって見ているというわけではありません。もちろん、
与党に所属している国会議員については、政府の政策を決定し、
遂行する一員としての連帯責任があるという目では見ていますが、
おそらくそれ以上に、一人ひとりの実際の発言に即して、その人の
識見なり人柄を見るということの方に、ぼくはより多くの関心を
持っているといってもよいかと思います。

で、結論から言っておきますと、今回、◯な人は3人いて、×というより、
ほとんどサイテーだとしかいいようがない人物が一人います。

まず◯な人ですが、その筆頭は、何といっても、あの「イスラム
法学者協会」の聖職者・クバイシ師ですよね。もちろん、マスコミでも
報じているように、今後の情勢をにらんで、イラク内外への発言力や
影響力を高めたいという思惑もあるのは当然だとしても、ぼくは、
クバイシ師の発言はとても冷静で筋の通ったものであり、彼の立ち居振舞い
の一つひとつにも温かい人柄がにじみ出ているようで、決して打算だけで
行動しているわけではないだろうと感じました。――もし、彼のような
人がいなかったら、今回の5人はいったいどうなっていたのか、政府の
閣僚一人ひとりがよく胸に手を当てて考えるべきですし、小泉首相直々に
彼に礼を述べるのが最低限の礼儀ではないかとぼくは思うのですが、
その気配さえ伝わってこないのは、いったいどういうことなのでしょう?

次に◯な人は、アメリカのパウエル国務長官ですね。もちろんパウエル氏は、
ブッシュ政権を支える主要な閣僚の一人であり、現在のイラクの情勢に
ついて負っている責任は決して軽いものではありません。しかし、昨日?
パウエル氏は、TBSの記者のインタビューに答えて、解放された直後の高遠
菜穂子さんたち3人について、「日本人は、彼ら3人のことを誇りに思う
べきだ」と述べたと言います。もちろん、パウエル氏にはパウエル氏の
コンテキストというものがあるはずであって、それを無視してこの部分
だけを取り上げてどうこうは言えないとは思うのですが、これはまさに
政治家ならではの発言であることは疑いなくて、ぼくは「よくぞ言って
くれた!」「日本の政治家も、彼の爪のアカぐらい煎じて飲んだらどうなの?」
と思いました。(パウエル氏の発言の意味については、多分、どこかに
載っていると思うので、新聞等の解説でも読んでみて下さい。)

三人目の◯ですが、これは、今回、ヨルダンまで出向いて事件の解決に
当たった逢澤外務副大臣です。ぼくは、今回の事件の「解決」には、日本政府は
ほとんど有効な手は打てなかったのではないかと思いますし(ちなみに、イラクの
情勢についての最も信頼できる専門家の一人であると思われるアジア経済研究所の
酒井啓子氏も似たような見解を述べていました)、その点では逢澤氏にも格別の
力があったとは思わないのですが、氏のとても温かそうな人柄には好感が持て
ましたし、何より、他の政府や与党の関係者とは一線を画した、政治家としての
非常に節度のある発言(おそらく、政府の関係者で「自己責任」の大合唱に
加わらなかったのは、彼ぐらいじゃなかったでしょうか?)には心がなごみました。

――最後は、極めつけの×な人になりますが、これは公明党の冬柴幹事長です。
彼は、高遠さんたち3人が解放されたとのニュースに接して、一体、何と語った
と思います?何と、「彼らを救出するのには大変な費用がかかっている。その
経費の一部でも、請求できるものは請求することも考えていい…」(完全な再現
じゃありませんが)などと言ったのです!――これって、いやしくも、責任ある
政党の要職にある人間が口にすべきことでしょうか?あまりにも打算に満ちている
とぼくは思いますし、悪ノリにもほどがあるのではないのでしょうか?これではもう、
人としての品性のカケラもありませんし、ただただ卑劣だというしかないと思います。
そんなことを言うのなら、公明党は、国民の税金から支払われている政党助成金を
すべて返上しろ!と、ぼくは言いたいですし、これまで公明党を支持してきた人たち
にも、これほど破廉恥な人間が幹事長として仕切っているような政党を支持していて
恥ずかしくありませんか?と聞いてみたいですね。

……最後に、もう一人付け加えるなら、いったい、どこの誰かはわからない
のだけれど、高遠さんたち3人の内「少なくとも2人」が、あのままイラクに
留まりたいと言ったなどというデマを流したマスコミの記者は、もちろん
大×です。彼ら3人の解放時の映像を何度見ても、彼らがそんなことを語った
確たる証拠などありません。唯一「それらしい」のは、高遠さんが「今後は
どうしますか?」と、イラク人のコーディネーターのような人物に聞かれて
泣きながら答えた「続けたいです…」という言葉ぐらいのものですが、これは、
あの場の状況から補足すれば、「(これまでに自分がやってきたイラクの
ストリートチルドレンを助ける活動は何らかの形で)続けたい」と述べた
だけのことで、その後、ドバイから家族が送ったメール(ファックス?)にも
あるように、彼らがあのままイラクに留まりたいと述べたなどというのは、
とんでもないガサネタだと言わなければなりません。しかし、これはどこかの
記者一人だけではなく、どうやら、複数の記者がこのデマの流布に加担した
ようで、小泉首相に対して「彼らはこのままイラクに留まりたいと言っている
ようですが?」と質問した記者のやり口は、まさにスキャンダルジャーナリズム
そのもので、この男は、ほとんど犯罪者だと言うべきだろうとぼくは思います。
まあ、こんな質問に軽々と乗ってしまう小泉純ちゃんも、軽薄なことこの上も
ないわけですが――。

というわけで、望ちゃんのカキコには何の関係もなさそうな話になって
しまいましたが、なんともユーウツな話で、ヤレヤレ…でございます。

小西昌幸(徳島/北島町立図書館・創世ホール)  寮美千子さんへの私信 2004年04月18日(日)06時58分29秒 http://www.infoeddy.ne.jp/kitajima/hole/bunka/200404.html
国の決定を簡単に覆してはいけない=自衛隊の撤退 へのコメント

■徳島の小西です。「何をやっても無駄」という虚無的な考え方は、どんな文化・芸術・社会・政治活動をするときにも起きる議論です。私は昔からかなりこの種の議論に付き合ってきましたが、「それなら問うが人間はどんな人もすべていつかは死ぬ、あなたも死ぬわけだが、あなたが今存在していることも無駄なのか」というところにどうしても行き着いてしまいます。
■私は高校生のころ、大好きだった「ムーミン」のある回で、「無駄じゃ、無駄じゃ」が口癖のヘムレンさんがムーミンたちの努力に対して興ざめするような虚無的な言葉を投げかけているのを見たスナフキンが、「ヘムレンさんの存在も無駄なのですか」と問いかけ、ヘムレンさんが絶句するというシーンを見て心に焼き付けました。
■寮さんが懸命に掲示板で訴えていることが無駄であってたまるものですか。
■太陽はやがて(数億年後か数十億年後に)大きく膨張して、地球を飲み込んでしまい、最後は燃え尽きてしまう。
■だからといって、キリスト紀元2004年4月のイラクでのさまざまな事件・例えば礼拝している多数の一般人がいるモスクをロケット攻撃して大量惨殺した米帝に対して、声を上げる必要がないなどということには、全くならないと思います。それが世論ではないですか。
■私は労働運動にも深く関わっている人間ですが、何をやっていても、必ず無駄だからやめておこうという人がいます。そんなときはにっこり微笑を返して「それならば壮烈な無駄をお目にかけてあげましょう」といったこともありました。
■今、北島CATVで伊福部先生卒寿記念祭の放映をしています。寮さんと相棒氏を励ますために、近いうちにプレゼントしますからね。

http://www.infoeddy.ne.jp/kitajima/hole/bunka/200404.html

  知らないでいることの距離からの立て直し 2004年04月18日(日)03時36分50秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
今井紀明くんのルポ へのコメント

 こんにちは。望です。
 正直、今回のイラクでの日本人の人質事件については、なかなか気持ちがもや
もやとしていて「どうとも言えない」状態でした。
だからどこか、自分から切り離してしまおうと思っていましたし、今も時々思い
ます。

自分の中にも偏見がありました。(今も)
事件を知ったときにまず思ったのは、「ああとうとうこんなことが起こってしまっ
たなあ」ということでした。
これで、イラクで起きていることはもう日本のことだよってみんなにわかるとい
う嫌なわかり方が待っているのかなと暗澹とした気持ちになりました。

それから慎重にニュースを追おう、安易な被害者バッシングは「しないようにし
よう」、と心がけてニュースを拾っていたのですが、
(というのはつまりもうどういった場合でも近頃では事件が起こると当事者にす
べての原因を求めるという流れが馬鹿みたいに当たり前になってしまっているこ
とをいやんなるほど自分勝手に知っていたからですが)

どうしてか、犯行声明と共に送られたビデオの映像とされるものを見てから、だ
んだん腹が立ってきてしまいました。
人質となった方たちの家族がテレビに出演しているのを見て、最初はテレビに対
して腹が立っていたのですが、それがだんだん自分自身の疲れと混じって呆れへ
と変化して行きました。

それで最後に待っていたのは「慣れ」と「無関心」です。

「わたしわかんないや」という投げでした。
「わかんないけどなんか腹が立つ」
 ↓
 周りの人のバッシングに合わせてしゃべっている。

 今日ここへ来てはじめて今井紀明さんの文章に触れました。
 文章は、他人の撮り編集した映像より、その人の意志がきちんと通っています。
 それを読んで、もうこの事件が起こるよりずいぶん前から私の頭はストップ、
思考停止、丸投げ、状態だったんだなー、と思いました。

 自衛隊が帰ってきたら、学校の修復や給水はどうにかなるのかな?
 自力でなるのかな、
 だれかやってくれることなのかな、
 それだけしかわからなかった。

 劣化ウラン弾の存在は知っていても、日本人や自衛隊の人間は安全なところへ
行くのだから大丈夫だという、確証はないと思いながらも、そう願う簡単な思い
込みが自分の中にありました。
 あるいは危険な場所へ行くのだから危険は承知の上だという、頭で考えられる
だけの自分の身が痛まない覚悟というものです。

 この記事を読んでよかったと思います。
 この記事の言葉は、ちゃんと届く言葉でした。

てるてる  イラクの日本人誘拐事件について 2004年04月17日(土)21時03分36秒 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/lunacontents.html

おじゃまします。ずっと前に、「奇跡の詩人」のことを書き込んだことのある、てるてると申します。

最近、イラクでの日本人誘拐事件に興味を持っていろいろなサイトを見ています。

きょう、初めて、ブログというものを作ってみたのですが、事件に対する多くの人の反応を、
六本木ヒルズの回転扉の事故に対する反応と比較してみたり、
パウエル国務長官の発言について、考えてみたりしました。
よろしければ、御覧くださいませ。

http://terutell.at.webry.info/

DORONKO  「国って何なの?」ということ。 2004年04月17日(土)12時40分53秒
国の決定を簡単に覆してはいけない=自衛隊の撤退 へのコメント

>ドロンコ氏にどうしてそんなふうに言われなきゃいけないのかなあ。

済みませんです。
趣旨はわかりました。
ぼくは、貴女とよりも(貴女とは多くの点で意見が一致しているので)、
まず「ある友人」の方に、ここに出てきてほしいので、
あれを書きました。
「国家」って何なのだろう?とか、
論じるべきことは多々あると思うんですよ。
ぼくは無条件に「国」というものを信じたり、それに過剰な期待を
寄せたりはできない人間なので、
「国家」には実体もあるけれどもフィクションの要素も大きくて、
だからこそ、「フィクション」というものが宿すことができる
プラスの意味を、しっかりと見つめなきゃならない
という思いからカキコをしています。
その点についての考えを整理しないと、多分、混乱が避けられない
だろうと思います。
寮さんは、よくわかってくれていると思っています。

寮美千子  今井紀明くんのルポ 2004年04月17日(土)01時28分53秒

黄色いハンカチが舞う「銃後」の町で(月刊『自然と人間』2004年3月号)

http://www.n-and-h.co.jp/archive/imainoriaki.html

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