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寮美千子  スケープゴートとしての万景峰号 2003年08月27日(水)15時04分35秒
万景峰号入港のニュースを見て へのコメント

万景峰号の件、わたしも常々不可思議に思っていました。確かに、いろいろと問題はあるでしょう。けれども、北朝鮮と国交を正常化して、拉致された人々の家族が自由に行き来できるようにするためには、北朝鮮との交流のパイプは、少しでも太い方がいい。「交流しながら、地道に会話を続けて解決の道を探る」というのが、平和的解決のための唯一の方法であると、わたしは思っています。

それなのに、拉致被害者の家族の会の人々までが、万景峰号の入港を拒否している。どうしてそんなことになるんだろう。

報道もおかしい。日本人は、いま、北朝鮮の話題が大好き。ニュースも、ワイドショーも、みんな競って北朝鮮のことを話題にしています。その放映時間もやたらと長い。25日は「住基ネット」が本格稼働されたという重大なニュースがあったのに、それはスポーツニュースといっしょくたにされて後ろに追いやられてしまった。日本政府は、刻々と国民に対する「管理体制」を強めている。それを目くらましするために、「北朝鮮」に目を向けさせているのではないか、とさえ思えるような報道姿勢です。

さらに一歩進んで、北朝鮮を「仮想敵国」として国民感情を煽り、よりアメリカ寄りの政治を行おうとしている。そう思えてなりません。

金日成・金正日を奉り、一丸となってマスゲームなんかしてしまう北朝鮮の人々の姿は、異様です。けれども、よく考えてみれば、それは戦前の日本によく似ている。彼らの姿は、少し前のわたしたちの姿です。「理解できない」「わけがわからない」人々ではない。わたしたちが変わったように、彼らだって、変わることができる。

わたしたちは「明治維新」「敗戦」のふたつで、ほとんど暴力的に大きく変わらざるをえなかったけれど、ほんとうにそれだけが「変わる」ための手段だっただろうか。そのような暴力的な変わり方をして、わたしたちが失ったものも多かったはずです。西欧諸国が侵略的な方法さえとらなければ、日本が自ら、もっと穏やかに変わってゆく方法もあったのではないか。古い因習の中で、人々をしあわせにしないものを少しずつ是正しながら、守りたい伝統や心を大切にする方法もあったのではないだろうか。そう思うのです。

万景峰号に対する執拗な「検査」は、ほとんど嫌がらせとしか思えない。万景峰号にそれだけの検査をするなら、日本に寄港するすべての外国船舶に同じ検査をするべきです。だいたい、ひとんちの船をそんなにしつこく検査しておいて、新潟港の自由通路が「何もしないのに崩落」とはどういうことか。たまたま、人がいなかったからよかったようなものの、たくさんの死者を出した可能性もあります。行政と癒着した業者の手抜き建築の検査を、もっとまじめにするべきじゃないのかと、腹が立ちます。

この夏、わたしは「アイヌ文化」の勉強をしています。アイヌ民族のことを学ぶと「国」とはなんだろうか、という問題に直面する。彼らには「国」などなかった。大地と人間との素朴なやりとりのなかで暮らしていた。だからこそ、大地への深い敬愛の念もあった。大地は、富を搾取する対象ではなく、まさに「恵みをもたらしてくれる母なる大地」であったのです。そうやって大地に感謝して生きていた人々が、侵略され支配され、土地も森も奪われて、貧しい暮らしを強いられてきた。「国」に奉仕する労働力として酷使されるようになった。

「わたしたちのための国」のはずが、いつのまにか「お国のためのわたしたち」になっていることに、人々はあまりに鈍感です。その鈍感さが、結局は戦争を招き、名もなき庶民が苦しむことになる。

「名もなき庶民」は、戦争の悲惨を語ります。いつも、かわいそうな被害者の立場で。しかし、その戦争を遂行する世論を作ったのもまた、庶民自身であることを忘れてはならないと、わたしは思います。戦争への道へと走るようなことを黙認し、追従していると、わたしたち自身が加害者となるのです。そして、その被害者となるのも、わたしたち自身なのです。

それなのに、いまの日本の世論は、戦争への道をまっしぐらに走っているように見える。イラクに自衛隊を派遣したりしちゃ、絶対にいけないとわたしは思います。

ドキュメント映画「ヒバクシャ――世界の終わりに」の鎌仲ひとみ監督と先日お話しした折りに、イラクへの経済制裁のむごたらしさを語ってくださいました。アメリカのイラクへの経済制裁によって、戦争で犠牲になった以上の人々の命が、貧困によって奪われてきた。ただの下痢で命を失う子どもたちが続出していた。

北朝鮮に「圧力」をかけると日本政府はいうけれど、そんなことをすれば、餓死し、病気で亡くなる人々が激増するでしょう。そんなことをしていいのでしょうか。それもまた「戦争」ではないか。

衣食足りて礼節を知る、というけれど、いっそ、北朝鮮の人々すべてが食べきれないくらいの食料援助をしたらいいんじゃないか。そうなったら、政府高官だけが甘い汁を吸わけにいかなくなる。なんてことすら、考えたりします。

北朝鮮のことは、全然興味を持たないのに比べたら、興味を持った方がいい。その方が、まだましです。でも、妙な宣伝に乗って、北朝鮮をスケープゴートにしてはいけない。わたしはそう思います。

辻井 豊  万景峰号入港のニュースを見て 2003年08月26日(火)06時50分43秒

 お久しぶりです。辻井です。
 万景峰号入港のニュースを見て思いました。
 今でも、北朝鮮と日本の間は自由に行き来できるのですね?
 法律上の問題がなければ、日本政府にはそれを阻止する権限が無いのですね?
 拉致被害者の方々や、その家族も、自由に行き来できるはずですよね?
 日本には、それを阻止する法律はありませんよね?
 でも、拉致被害者の方々は、昨年まで帰ってこれませんでした。
 その家族の方々は、今も行き来できません。
 拉致被害者の方々と、その家族の、自由な行き来を阻止しているのは誰ですか?
 日本なのですか?

鳥海  黒島で見たタローの「夢」 2003年08月22日(金)01時25分40秒
心のランドマーク へのコメント

勇崎さん、「吹田のシンポルを描こう美術展」の立上げに際しては、
ご尽力いただきありがとうございました。
今年は会として呼びかける前に、
子どもや小学校の方から「美術展はいつ?」という声が寄せられました。

沖縄の黒島という、
人間よりも牛の数が多い島を歩いていた時のことです。
農作業を終えた農夫が
家の縁側に腰をかけてぼんやりしていました。
庭も雑草が繁っていて手が回らないといった感じです。
庭のもの干し竿には手拭いが1枚だけ干してありました。
その木綿の手拭いには藍色で「夢・TARO」と描かれていました。

岡本太郎は晩年に多くの絵文字を書きました。
原画を幾枚か観ましたが、
私にはそれらの魅力がまったく理解できません。
けれども、黒島のもの干し竿の「夢」の絵文字の前で
私はずいぶんと立ち止まって見入ってしまいました。

あばら家の粗末な佇まいも、
手拭いの使い古された感じも、
老いた農夫のくたびれた風体も、
渾然一体となって圧倒的な生活臭を放っていました。
「夢」の絵文字はそんな生活臭に紛れながらも、
ギリギリのところで挑発しているように見えました。

黒島の農夫の生活と岡本太郎の作品との拮抗関係は、
吹田の自分の生活と”太陽の塔”との関係にも
あてはまるような気がして、
老いた農夫に一方的な親近感を覚えたのでした。

勇崎  沖縄、という名の学校 2003年08月21日(木)23時13分34秒 http://www.zpi.ne.jp/
マイノリティであるということ/夏のアイヌ文化講座はじまる! へのコメント

マイノリティ、というのがスタイルとして、
トレンド的にはま(嵌)ってくる人たちも多々居ます。
見分け的には、癒し、という言葉を多用してきたらご用心。

寮さんが伝えられたいこと。
僕は、かつて(みなさんが生まれる前かも)、
沖縄から学んだように思います。
そう。沖縄、というのは学校でした。
いまは、どうなのか。
それは、いまの若い世代に聞いてみるしか、ないでしょうね。

勇崎  心のランドマーク 2003年08月21日(木)22時51分01秒 http://www.zpi.ne.jp/
太陽の塔のある風景 へのコメント

吹田のこどもたち(含む:鳥海さん)の心なかに、くっきりとランドマークがある。
そんな地にお生まれになったのが、うらやましいですね。
そして、これから生まれてくる、未来のこどもたちもなおのこと。
“作品”というござかしい概念を飛び越えて、そのランドマークが語りかける思想や理念がある。
というのも、うらやましさの2乗状態ですね。

鳥海  太陽の塔のある風景 2003年08月21日(木)05時18分39秒 http://www.age.ne.jp/x/toriumi/
▼Review Lunatique:だれが岡本太郎を「裸の王さま」にしたのか/私的岡本太郎論 へのコメント

寮さん、勇崎さん、こんにちは。
とても興味深く拝見しました。
「評論家・思想家としての岡本太郎」が好きであることを告白した上で、
それでもなお、太陽の塔について記したいと思います。


万博を体験せずして、育った土地に”太陽の塔”がありました。
高い建造物に出会うと、反射的に”太陽の塔”が思い浮かび、
両者を比較しながら建造物の高さを目測していたりします。
”太陽の塔”はJR吹田駅前の商店街のスタンプにもなっています。
吹田市のマンホールにも”太陽の塔”が象られていますので、
”太陽の塔”を靴の底で踏みつけながら歩いています。


無意識下に押し込められていた”太陽の塔”が自身の中で顕在化したのは、
「岡本太郎とEXPO'70展」という美術展でした。
国家権力と企業とが総力を挙げて、
日本の経済力と科学技術力を世界に誇らんとする大阪万博において、
「進化と調和」というテーマに、
その作品でもって異議を唱えた人が2人いることを知ったのです。
手塚治虫と岡本太郎です。


岡本太郎は、まず、建築家の丹下健三と大喧嘩をして、
テーマ館の大屋根をつき破り、その建築美の調和を崩します。
さらに、”太陽の塔”の内部に、
”生命の樹”と称する巨大なオブジェを造り、
ミトコンドリアから人類にいたるまでの生命の進化をなぞらえました。
”生命の樹”の根元の部分には、
世界中の民族の生活道具や祭具が展示され、
枝の部分には世界中の無名の生活者のポートレートとともに、
戦争やヒロシマや飢餓の写真群が展示されました。
これらの展示物が「進化と調和」というテーマに一致しない、
と当時の万博協会は難色を示したそうですが、
「現代人の精神が縄文人よりも進化しているとはいえない」、
という岡本太郎の主張が貫かれました。
以降、”太陽の塔”のある風景を眺め直す作業をしています。


先々週の日曜日、万博公園の入口で
3歳ほどの男の子がダダをこねていました。
母親らしき人物が男の子に向かって言うのです。
「お化け屋敷じゃないよ。絶対に動かないから大丈夫。」
男の子は何者かから目を背けるようにして出口へ向かおうとします。
怯える彼が目を合わせないでいたのは”太陽の塔”でした。
”太陽の塔”が怖くて足がすくんでしまったようなのです。
泣きじゃくり始めた彼は、
とうとう親に抱えられて公園内に運び込まれてしまいました。
芸術はときに嫌ったらしい震撼をももたらします。


川崎市立岡本太郎美術館の建設を巡って、
川崎市、環境保護団体、地域住民との協議の場で、
住民として参加していた長距離トラックの運転手が語られたそうです。
「僕は美術のことがまったく分からないけれど、
 高速道路の吹田インター付近で”太陽の塔”が見えると、
 ”無事に大阪に着いた”とホっとするんですね。」
当方も含めて北大阪で暮らす者の多くが、
長距離トラックの運転手に共感することができるはずです。
吹田のランドマークに相応しいパブリック・アートとして機能しています。


世界で催された万博会場の跡地が、
巨大な森と化しているのは稀有なことではないでしょうか。
先人のそのような選択に感謝をしています。
しかしながら、最近の吹田では、
市町村合併と絡めて万博公園を取り壊し、
新市政の拠点にしようという動きがあります。
そのような論者においては、
エキスポタワーも国立国際美術館も太陽の塔も邪魔な物であり、
実際に、エキスポタワーは昨年に壊され、
国立国際美術館も来夏に壊されようとしています。


そのような不穏な動きに反対するべく、
微力ながらも市民活動に参加しています。
その活動の1つである「吹田のシンボルを描こう美術展」も3年目を迎えました。
子どもからの応募作品の9割に”太陽の塔”が描かれていますが、
その想像力の豊かさに目を見張ると同時に、
彼らの想像力をいかにして擁護できるか、
ということが当方も含む地域住民に問われているのだと思います。
8月24日から31日まで万博公園駅構内で催します。
近郊にお立ち寄りの際にはどうぞご覧ください。
(同期間には万博公園内の国際美術館で
ヤノベケンジのMEGARO MANIA展も開催されています。)


「ここから逃げてはいけない」
そんなことを”太陽の塔”から言われているような気がするのです。
コンクリートの路上を歩き、
コンクリート造りの建物の中で多くの時間を過ごしている私にとって、
トーテムポールに向き合うには、何ともうしろめたく、
いっそ、コンクリートの塊に向き合う方が、
せいせいとした感じがするのは何故でしょうか。
岡本敏子さんはかつて吹田で語られました。
  「”太陽の塔”がスゴイだなんて声高に語る必要はない。
   あなた方の潜在意識にあるのならそれでいいじゃない。
   そうやって骨に沁みていくのが芸術だと思うから。」
つまり、吹田で生まれ育った人は、
メキシコの土産物屋でお面を手にしたとき、
「太陽の塔みたいやなぁ」と呟くのであろうと思われます。

http://www.i-love-suita.com/

寮美千子  ヤノベケンジ@丸亀 猪熊弦一郎美術館 2003年08月20日(水)02時27分11秒
追記(極私的岡本太郎観 ) へのコメント

17日、丸亀の猪熊弦一郎美術館で開かれたヤノベケンジ氏の講演会を聞いてきました。ヤノベ氏は、いま、大阪府吹田の万博跡地にある国立国際美術館で「ヤノベケンジ-MEGALOMANIA」展を開催中。その展覧会に関する講演でした。「サバイバルからリバイバルへ」というテーマで、自らの創作動機の変遷を語ったヤノベ氏。万博の「未来の廃墟」の記憶との絡みもあり、当時「太陽の塔」に登って籠城した「目玉男」を探しだしてのインタビュー映像などを交え、いろいろな意味で、興味深いというか、興味ないけどというか、感じるもののある講演でした。かなりきびしい質問などしてみた寮美千子。質問内容とヤノベ氏の受け答えなどは、いずれご報告したいと思います。きびしい追及にもひるまず、素直に答えるヤノベ氏のお人柄には、心打たれるものがありました。

ヤノベ氏の作品と現代美術界におけるその評価については、万博、岡本太郎との絡みもあり、じっくり語ってみたいことのひとつです。いや、わたしが語りたいのは、ヤノベ作品ではなく、むしろ、それを持ち上げる「現代美術」なるものについてなのですが。時間が出来たら、書きます!

勇崎さん、東川、ご苦労さま。昨年の熱気、思い出します。

http://www.nmao.go.jp/

勇崎  追記(極私的岡本太郎観 ) 2003年08月18日(月)00時21分12秒 http://www.zpi.ne.jp/
極私的岡本太郎観 へのコメント

ひとつ肝心なことを書き損ねていました。
彫刻作品についてですが、ふたつの母との振幅運動の中で、彫刻作品が生まれていったのでは、と仮説を立てましたが、もうひとつ常々感じていることがあります。
それは、彫刻作品に顕れる顔が、岡本敏子さんに似ている、ということです。

サルトルとボーボワールの男女関係は興味深いものがありますが、
岡本太郎と岡本敏子さんの関係は、それ以上の探求すべき人間としての深さを感じます。

そして、そこに母(母性)というポジションを据え、岡本太郎・母・岡本敏子というトライアングルで彫刻作品の成立を考えてみると、なにかものスゴイ仮説もありうるのではないかと感じ、僕はにわかに震えてくるのです。

勇崎  極私的岡本太郎観 2003年08月17日(日)23時49分00秒 http://www.zpi.ne.jp/
▼Review Lunatique:だれが岡本太郎を「裸の王さま」にしたのか/私的岡本太郎論 へのコメント

寮さんがカフェルミに投稿された「空の青 二つの虹」は、しばしご無沙汰の僕を誘惑しようとしたタイトルかな、と勝手に思い(空の青は息子に関係し、二つの虹は、以前投稿した「 彩 」2003年04月25日(金)23時29分12秒 ▽虹がでた! へのコメント と関連〜札幌市写真ライブラリーでの企画展「彩」のメインビジュアルに使用した写真は、ふたえの虹ですよ。)、自意識過剰になって、()内の過去ログを探しにいったら、[寮美千子] 私的岡本太郎論 (2003/08/09 03:20:27)に遭遇し、レビューを拝読しました。
本来であれば、カフェルミに投稿すべきでしょうが、「軽く」はすまないかも知れないので、「重い」ほうであるカフェルナへの投稿を選ばせてもらいました。

寮さんの認識は、概ね僕も同感です。
>「岡本太郎ブランド」に目が眩んではいないか。
は、寮さんのなかを超えて、極めて正しいと思います。
ただ、正しい、間違っている、という議論は歴史の中では淘汰されるに決まっているので、好きか嫌いかを語り合うことのほうが、ずっといいし楽しいことです。
そのようなことから、まずはじめに、僕は岡本太郎作品が「めちゃ大好き」ということを告白しておこうと思います。

以下好きな主な作品を僕のメモファイルからコピペします。

好きな主な絵画:『傷ましき腕』1936/1949、『夜』1947、『二人』1948、『美女と野獣』1949、『重工業』1949、『森の掟』1950、『クリマ』1951、『赤』1961、『赤のイコン』1961、『ツラ』1983、『疾走する眼』1992。以下は実物はまだ見ていませんが、名古屋メルサのコロンバンにある『夢』、富山県立近代美術館にある『赤い兎』などです。

好きな主な彫刻:『顔』1952、『マリオネット』1952、『動物』1956、『サカナ』1960、『梵鐘・歓喜』1965、『太陽の塔』1970、『樹人』1971、『こどもの樹』1985?、『母の塔』1999?。彫刻は実物を見ないとなんとも言えないので、この程度の列記とします。

好きな理由を簡単に述べたいと思います。
絵画、彫刻に共通する、岡本太郎特有の生命感(力)が僕の粘着的な体質に極めてマッチします。その粘着力は僕にとって絵画が醸し出すことに求める理想とも思える位です。『傷ましき腕』の前では立ちつくしてしまいます。何度見ても感動は増すばかりです。
ただ、僕が好きに感じる粘着性は、ある人たちにとっては大嫌いだということも知っています。我が身に置き換えて、僕もある人たちにとっては大嫌いだと思われていることを、ときたま察知しているからです。

『森の掟』『重工業』『クリマ』『夜』『二人』『美女と野獣』の爆発感が、僕には快感です。しかも、これらの作品が僕が生まれる年に前後して制作されていることが脅威です。僕は田舎者として生まれているので、このような絵画がこの時代に描かれていたことを知りませんでした。モダニズム全盛のなかで、これだけモダニズムを否定し、自然への畏敬と文明への警鐘を作品にしていた人はいないと僕は認識しています。

岡本太郎の絵画の表層は時代を経ても変わっていきません。変わらないことをマンネリとして否定する人がいます。僕は岡本太郎に関しては、全く否定しません。人間として、表現者として、変節しなかっただけなのです。だから、僕にはことさらに信頼できるし、だから大好きなのです。

ただ、変わっていることがあります。若い時代とは違って、手練手管を廃し、絵筆に込められた生命力だけを益々旺盛にさせていくことです。そこが、僕にはたまらなく好きです。その変容を見るだけで、加齢(ageing)を意識せざるを得ないところに片足を入れている僕には、元気をもらえます。

次に彫刻ですが、彫刻は生命感とともに、可愛い感があるのです。これは僕の感じ方かも知れませんが、全ての彫刻は生命を生み出す「母」へのオマージュなのではと思うのです。母、といえば岡本かの子、となりますが、そのような特殊な母と、いわゆる普遍的な母性とを往ったり来たりしながら、彫刻作品が生まれているように感じることがあります。
たとえば、特殊な母と普遍的な母との往復を振り子運動に見立ててみます。振り子は特殊な母と普遍的な母の間を勢いよく振り子(?)します。その振れの勢いが彫刻に見られる生命感を生み出します。そして振り子は、両端のいずれかの母に辿り着くと速度を落とし、一瞬止まり、反対側へと翻って、また勢いよく振り子(?)します。その、一瞬止まる瞬間、岡本太郎は、双方の母に自らの可愛い仕草を表出するのではないか。彫刻にみられる「可愛い感」はそのように発露されるのではないか、と僕は思うのです。

寮さんWrote>
「本当の芸術作品」とは、作者の名前を知らず、その付随情報も知らず、美術史の文脈とも関わりなく、ただそこにある造型のみを見て、心を打たれるようなものをいうのだと思っている。

これは、好き嫌いではなく、正誤の提示なので、僕も正誤で考えたいと思います。
寮さんの論旨には概ね賛成です。ただ、僕は美術ではありませんが、写真に関し展覧などのキュレイションをしている人間として、正確にしておきたいと思います。「美術史の文脈とも関わりなく」とありますが、僕はキュレイションするときに、まず「歴史」を第一の認識に据えています。人間史を最上位に据え、表現史、技術史、これらの文脈から、まず読み解こうとします。歴史の文脈を知らなければ、眼前にある作品が過去の模倣に過ぎぬことにも見抜けませんし、ましてや未来にプロジェクトされうる今日的な意味を読み解けません。
日本の表舞台を闊歩する評論家たちのなかにも、模倣は見抜けても、未来にプロジェクトされうる今日的な意味を読み解けない人が多々います。だから「トレンド」に逃げ込む。「トレンド」に逃げ込むだけではなく、過去の優れた類型と合致しているから優れているとする全くアホは評論家もいます。

ここで大切なのは「美術史の文脈とも関わりなく」ではなく、「文脈を熟知し、それをも超越した作品」であるか、ということかと思います。寮さんが伝えようとされていることも、きっと僕がここで述べようとしていることと同義だと思います。

さて、そのような意味において、岡本太郎作品を歴史認識から見つめてみたいと思います。
前述のように、1950年前後、モダニズム全盛のなかで、これだけモダニズムを否定し、文明への警鐘を作品にしていた人はいない。しかも変節無く、ブレることもなく、生き抜いた人間。

寮さんWrote>
彼の作品は確かに強烈だ。忘れられない。強い印象を残す。一目で「岡本太郎だ」とわかる個性も持ち合わせている。

日本はさておき、世界の表現史のなかで、これは重要なファクターです。しかも、世界のなかで日本人にしか持ち合わせない感性と個性。フェノロッサあたりから逆輸入のワビ・サビ(幽玄)なんかクソ食らえ。アホ・エセ文化人の象徴の「幽玄」。
縄文の遺伝子。鬼をも拉ぐ、日本人固有の感性。大空を泳ぐ、世界にここにしかない鯉のぼり。そこに原日本人を見極めた日本人。僕が知る限りでは、岡本太郎と伊福部昭。

寮さんWrote>
わたしは岡本太郎は「真の芸術家」ではなかったと思う。己の人生を生きる芸術家ではあったけれど。

まさに、岡本太郎はそこに生きた。彼は自分の「本業は人間」と語った。芸術の目的は作品だけにあるわけではなく、人間としてどう生きるかを探り知ること。

僕も一時期、岡本太郎に不信感を抱いたことがありました。それは学生時代のこと。つまり万博の太陽の塔の時、1970年です。
太陽の塔のような像はネイティブ・アフリカの偶像のなかに多様にあり、そのパクリと当時は感じたからです。でも、僕の感じ方は一方的すぎて間違っていました。それがもし類似するものだったとしても、優れた「引用」であり、「進歩と調和」へのカウンターとしてネイティブ・アフリカをぶつける、岡本太郎の人間としての根性の凄さに気づくべきでした。

やがて、僕にはそのバチがあたりました。
翌1971年から73年にかけて、僕は沖縄で暮らしますが、当時のそんな僕でしたから、岡本太郎の「沖縄文化論」と出会えなかったのです。そこに気づいたのが、2000年。なんとも遅すぎます。写真集「岡本太郎の沖縄」に驚愕し、はじめて「沖縄文化論」にふれました。

「沖縄文化論」の読後感。
1971年から73年に、この本を手にしていたら、
僕の人生は、いまの僕ではなかっただろう。

寮さんWrote>
あらゆるラベルや権威をはがし、自分自身の眼で世界を見、自分自身の体で宇宙を感じること。それこそが、岡本太郎が真に伝えたかったことではないのか。
それなのに、人々は「岡本太郎作品」を、一個の純粋な造形物としてではなく「岡本太郎という神話」とともに受け取ろうとしている。それは、岡本太郎自身がもっとも忌み嫌ったことではなかったのか。
「岡本太郎が好き」という人に問いたい。ほんとうにその作品までも好きなのか。高く評価するのか。岡本太郎の作品を、岡本太郎という神話抜きで、裸眼で眺めたことがあるのか。素の心で受け取ったことがあるのか。「岡本太郎ブランド」に目が眩んではいないか。

まさにその通り。
寮さんが訴えておられること、
それは僕も何度の自戒したことです。
そして僕も常々、エセなアホどもに言いたかったことでもあります。
寮さん、ありがとう。

寮美千子  アイヌ講座速報! 2003年08月09日(土)03時29分07秒
マイノリティであるということ/夏のアイヌ文化講座はじまる! へのコメント

お、信介さん。サンダより生還! うれしい!

ところで、下記で書いた「アイヌ文化普及啓発セミナー」に参加した寮美千子は、夏期講習を受ける受験生の如く、きちんと出席、レポートまで制作したのでした。どんなことをやっているか、これを見れば一目瞭然。

セミナーは、ともかく面白い。毎回、いろいろと考えさせられます。インスピレーションを得たりもする。わたしって、意外と勉強が好きだったのだと知ってびっくり。好きなことなら、いくらがんばっても苦にならないんだよね。

というわけで、セミナー要約、読んでみてください。リト、北海道のセミナーはどう?

■アイヌ文化セミナー2003要約1/わたしとアイヌ語 菅原勝吉
■アイヌ文化セミナー2003要約2/アイヌの口承文芸――語りの形式 志賀雪湖

本多信介  そういえば 2003年08月09日(土)00時09分10秒

馬鹿な憲法学者ってやつはまだ

まさか先生やってるんかい?

寮美千子  マイノリティであるということ/夏のアイヌ文化講座はじまる! 2003年08月05日(火)15時41分49秒
本当に叫びたいこと へのコメント


きょうから、東京八重洲のアイヌ文化交流センターで開かれる「アイヌ文化普及啓発セミナー」に参加します。全部で14講義。お盆の時期を除いて、ウィークデイはほぼ毎日東京駅まで通うことになります。暑いだろうなあ!

以前、この手の連続講義を聞いたのは、電波天文学と地球生態学。電波天文学の講師は森本雅樹氏で岩波書店の主催。地球生態学は国立科学博物館主催の生物教師用の講座で、そこで三島次郎先生にお目にかかりました。

連続講座のいいところは、それだけの「量」をまとめて浴びると、おぼろげながらにその世界が像を結んでくることです。本を読むのと違って、生身の人間の言葉を浴びると、その世界の匂いや手触りまで実感することができます。アイヌのことも、いままで切れ切れに勉強してきましたが、今回、そんなわけでまとめて学んでみようという気になりました。うおっす。がんばるぞ!


世界には2種類の人間がいるように思う。自分をマイノリティに規定して物事を見る人と、自分をいつもマジョリティに規定する人。普通の暮らしをしていると、自分をマイノリティに規定するのはなかなかむずかしいことのようです。普段の暮らしの中で、マイノリティであることの痛みを感ずることがないから、マイノリティの痛みに気づくこともなかなかない。だから、マイノリティを迫害しても、そのことにすら気づかなかったりします。

たとえば、オウム真理教のサリン事件後、アレフと改名したオウム真理教の人々の子どもが、地域の学校に通うことを拒否されるという事件がありました。義務教育として、等しく教育を受ける権利を持つはずの日本国民が、地域住民によってあからさまにその権利を侵害されたのです。

わたしは、オウム真理教を支持する者ではありません。現在のアレフに対しても批判したいことはいろいろある。けれども、それと、その子どもたちが教育を受ける権利を侵害されることは別の話です。彼らには、教育を受ける権利がある。だれも、それを拒否できない。

それなのに、平然とそれをするのはマジョリティ側のエゴです。マジョリティ側は、そうやって迫害することで、アレフが自分たちの土地から出ていけばいいと考えているのでしょう。マジョリティ側の人々は、自分がいつかマイノリティ側に回る可能性なんか、ひとかけらもないと思っているにように見えます。自分が、何かの理由でマイノリティになったとき、同じようなことをされたらどんな気持ちがするか、そんな想像力を持ちあわせていないかのごとく行動します。

人は、いつ、どんな理由でマイノリティ側に回るかもしれない。事故や病気で体が不自由になっただけでも、あっというまに社会の中でマイノリティになってしまう存在です。車椅子で町を歩こうとすると、必要もない段差があらゆる場所にあることに気づき、公園の入り口や遊歩道に杭が打たれて車いすが通行できないことを知り、放置自転車が行く手をふさぐことを知る。そうなってみないと、弱者の痛みに気づかなかったりするものです。わたしも、かつて自分が車椅子生活をしてみて、はじめて実感として気づきました。

マイノリティにやさしい世界。それはきっと、だれにとってもやさしく住みやすい世界のはずです。それは、互いが互いの違いを認め合い、尊重し合う世界だから。


テレビで「大地の子」という中国残留孤児のドラマを再放送しています。この「残留孤児」という言葉にも、わたしは違和感を覚えます。なんていう残酷な響きを持った言葉でしょうか。

彼らの多くには養父母がいたはず。彼らはその意味では「孤児」ではありません。それを「孤児」と呼ぶのは、彼らにも、養父母にもあまりにも失礼ではないか。それに、中国の養父母と大地に育まれた彼らは、もう「孤児」ではなく、りっぱな大人です。

「残留」という言葉にも、違和感を覚えます。確かに戦争に翻弄されて日本に戻ることができなかった人々です。でも、中国には中国の暮らしがあったはず。そこで育った歴史があったはずです。「残留」という言葉には、それをすべて否定しかねない響きがある。中国の暮らしは「残留」ゆえの仮の暮らしで、そこにはほんとうの人生がない、といっているような気分が流れている。

日本で暮らすことが正しくまともなことで、中国で中国人に育てられて成人になることは間違いである、といった感じが、どうしてもしてしまうのです。

確かに、肉親と引き離された悲劇は追求されるべきでしょう。けれども、中国という大地で育ったということにも価値を置いて、そこにもっと大きな敬意を払うべきだと思うのです。

では、どんな呼称が適当か、というと、いますぐには思いつかないのだけれど「残留孤児」というのは、いかにも日本中心の、日本だけが正しいといった匂いのする不適当な言葉だと思うのです。


北朝鮮に残された拉致被害者の子どもたちに対する日本の風潮にも、どこか同じような匂いをわたしは感じてしまいます。彼らは北朝鮮に生まれ育った。北朝鮮が故郷です。そこには友人もたくさんいるはずです。恋人もいるかもしれない。肉親と引き離される悲劇は大きいけれど、大切な友人や恋人と引き離されることもまた悲劇です。

ただ日本に連れてくれば、それでいいとするような今の風潮には、わたしはまったく同意できません。日本と北朝鮮というふたつの故国に引き裂かれた彼らにとって大切なのは、どちらの国で暮らすか、ということではなく、どちらの国とも自由に行き来ができ、大切な人々といつでも自由に会えるようになることではないでしょうか。

「拉致被害者の子どもを返さなければ、交渉に応じない」などと、彼らの存在を外交の切り札のような使い方をする日本政府のやり方は、失礼きわまりないと思います。国交を断って、どうやって話をするのでしょう。粘り強く話し合い、少しずつ門を拡げていって、交流可能な状態をつくることが大切ではないでしょうか。


アイヌから話が中国、朝鮮とずれていきましたが、結局の所、日本人、というか大和民族には、強い選民意識があるように思えてなりません。アイヌも中国も朝鮮も、どこか見くだすような視線がある。世界におけるアメリカの立場と同じような気分を、日本もまたアジアのなかで持っているように思えてなりません。世界の独裁国アメリカのアジア縮小版、といった感じがします。

けれど、歴史をたどれば、いつもそんなふうだったわけではない。大陸の文化を敬い、それを学ぼうと必死だったころもありました。帰化人を尊び、朝鮮使節団の博士たちの講義を待ちわびた時代もありました。さらにさかのぼれば、狩猟を中心とした狩猟採集文化である縄文文化が、すばらしく高度な芸術性を発揮した時代もあったのです。明治以前にアイヌの人々が持っていた文化、思想哲学に、その面影を見ることもできるのです。


わたしは「寮」という変わった苗字を持っています。一説には、室町時代に大陸から渡ってきた文化使節の一員だった、などといわれていますが、よくわかりません。あきらかに少数派です。

わたしは自分をマイノリティに規定して世界を見るようになったのは、そのせいもあるかもしれません。また、性格的にどうしても少数派になってしまうといったことも影響しているかもしれません。体が弱かったことも一因しているでしょう。

マイノリティの側から世界を見ると、世界はぐっと厚みを増してきます。一元的ではない価値の有り様が見えてきます。夏のアイヌ講座。何が見えてくるか、楽しみにしています。

http://www.frpac.or.jp/jigyo/seminar/seminar15t.html

リト  本当に叫びたいこと 2003年07月13日(日)00時07分14秒
▼Review Lunatique:傷つけるな・殺すな/長崎の少年による幼児殺害事件と自衛隊のイラク派遣 へのコメント

北海道の自営業者・山田雄司です。今年は精神的にも体調的にも調子悪く掲示板にはあまりお邪魔しておりませんでしたが(でも何回か書いてるな)、どうしても思いがあり書きます。

去年は相模大野に安東ウメ子さんをお招きしての企画では寮さんをはじめ皆様には大変お世話になりました。今でも地味に、商売の傍らアイヌ語、アイヌ文化の勉強をしております。

私がアイヌ語にこだわるのは、本来は北海道の公用語であるべきアイヌ語が日本国家によって片隅に追いやられていることへの異議申し立てもあります。が、それ以上に、北海道の大地、空気、水、動物、植物、すべての恵みものを(今日、日本国家によって加速度的にその破壊が進んでおりますが)北海道に生まれ育った私に与えてくださった、1000年以上ものアイヌ民族の行ないに心から感謝したい、その一念でもあります。北海道の自然はアイヌ語で守られた。それによって、その土、水、空気で自分が生かされている。本気で思うことです。

 同時に差別と経済破壊によってアイヌ語を学ぶ時間すら奪われているアイヌ民族の方々の存在を片時も忘れてはいけない。私がお世話になっているアイヌ民族のある方は「戦争が起きたらアイヌのことがすべて後ろにおしのけられる」と口にされております。また、イラク派兵法が成立すれば北海道の自衛隊がその最大部隊になるといわれています。私の友人、知人、いっぱいいます。全身が痛くなるほどつらいです。以下、私の未熟なアイヌ語でありますが、自衛隊のイラク出兵に対する私の思いを書き記します。

アメリカ or wa イラク utari ronnu kusu wen tumi wa
ku=koirska fumi ne na.
kasikeun 日本軍(自衛隊)oro wa イラク utari ronnu
kusu p  tan iyotta ku=cis rusuy p ruwe 
ne.
tan tumi anaku sine−tukaha wen nispa 
イラク kor 石油 eikka kusu ikkap tumi ruwe 
ne.
「大量破壊兵器」oar isam wa,ブッシュ、ブレア、小泉 itak 
sunke as pe ruwe.
イラク or ta pirka poho,pirka okkaipo,
pirka menoko,pirka ekasi,pirka fuci,
opitta eramstne kusu nankor.
teeta日本 oro wa poronno 朝鮮 utari,中国utari,
アジア utari wen tumi ani ronnnu ruwe ne.
suy iki=an ka somo ki.
「イラク自衛隊復興支援特別措置法案」hemu,自衛隊イラク派兵hemu,
somo iki.
tumi okere wa cyaranke=an ro.
tumi okere wa utekanpa=an ro.
tumi okere wa siknu=an ro.

訳:アメリカによってイラクの人々が殺されるための悪い戦争に私は怒りを覚えま
す。さらに日本軍(自衛隊)がイラクの人々を殺そうとすることは今一番私が泣きた
いことです。この戦争は一握りの悪い金持ちがイラクの石油を盗むための強盗戦争で
す。「大量破壊兵器」はまったくありませんでした。ブッシュ、ブレア、小泉が言っ
たことはデタラメです。イラクで生きるすばらしい子供、すばらしい青年、素晴らし
い女性、素晴らしいおじいさん、素晴らしいおばぁさん、みんなが苦しむでしょう。
昔、日本はたくさんの、朝鮮の人々、中国の人々、アジアの人々を悪い戦争で殺しま
した。また繰り返してはいけない。「イラク復興特別措置法案」も自衛隊イラク派兵
もやってはいけない。戦争はやめて話し合おう。戦争はやめて手をつなごう。戦争はやめて生きよう。

寮美千子  「生徒であること」が第一義的属性になる新聞報道の怪 2003年07月12日(土)17時26分16秒
▼Review Lunatique:傷つけるな・殺すな/長崎の少年による幼児殺害事件と自衛隊のイラク派遣 へのコメント

長崎の12歳の子どもによる4歳児殺害事件、ショックでした。レビューを書いたので、読んでください。

ところで、朝日新聞では、加害者である子どもを匿名で示すために、「生徒」という言葉を代名詞として使用していました。また、埼玉の15歳の女性殺害事件では、新聞の見出しに「殺害の高一」というように、高校一年であることが強調されています。彼女は、通信制普通科の生徒で、普段はブティックのアルバイト店員として働いていました。

彼女はアルバイトとはいえ、立派に働いて社会に貢献していたわけです。しかし、その肩書きは背後に隠され「高一」が前に出てくる。「学校に所属すること」が、その人間の属性の第一義にきている。「学歴の方が大事」という社会の通念が、ここに現われているのではないでしょうか。

わたしだったら、きっと「作家」よりさきに「大学非常勤講師」が先にくるのかもしれない。書評欄などで書評を書いている人の肩書きを見ると、そのようになっていることが多いので驚きます。

その人がその人自身であることより、学歴や所属している会社などが大事。ということを、みんな不思議と思わずに受け止めているんじゃないだろうか。さらに一歩踏み込めば、「男子・女子」「女性・男性」という言い方も、ほんとうはちょっと違うのかもしれない。

「当たり前」ということも、疑い始めると、実はいろんな問題を含んでいて、その偏った「当たり前」をベースにして、さらに問題が特化して事件や差別へとつながっていく。そんなことも考えました。

寮美千子  新しいプラネタリウム像の模索 2003年07月12日(土)15時53分40秒
サンシャインのNPO法人化について へのコメント

▼加藤おさむさま

さっそくのご意見、ありがとうごさいます。プラネタリウムNPOのことは、まだ海のものとも山のものともわかりません。サンシャインの閉館をきっかけに、行政や企業に「お願い」するばっかりではなくて、自分たちの手で何か創造的なことをして積極的に関わっていこうよ、ということじゃないかなあと、わたしは思っています。科学畑ばかりでなく、いろんなジャンルの人が関わっていける文化拠点としてプラネタリウムが機能していけたらいいのになあという気持ちが、わたしのなかにはあります。
あと一言だけあえて言わせていただければ、サンシャインプラネタリウムの最近の10年間は正直面白い番組とは思えませんでした。(中略)実力のあるクリエイターが制作しているにも関わらず、その能力を半減させていたようにも思えます。
わたしも一度だけ、あるサウンド・デザイナーの要請でサンシャインの番組作りに関わったことがありました。音楽番組のなかで、宇宙に関する詩を提供するという仕事でしたが、そのサウンド・デザイナーは、ファッションショーなどの音設計を専門とする方でした。センスはあるけれど、実は科学的素養がほとんどなく、トンデモ本の「ムー」などを読んで、太陽の反対側にもうひとつの地球があるんじゃないか、なんていうことを、シャレじゃなくていうような人でした。そんなわけで、音と言葉との連係プレーもきちんとできず、結局は雰囲気に流れた深みのないものにしかならなかったのが残念でした。

比べちゃ悪いけれど、昨年、山梨県立科学館で「ラジオスターレストランへようこそ」の制作に関わらせてもらったときには、総合プロデューサーが学芸員の高橋真理子さん。きちんと科学の素養があり、番組制作に関して信念と理想を持った方でした。サウンド・デザイナーの野川和夫さんも、しっかりと科学の素地があり、博物館の音環境設計なども手がけていらっしゃる方でした。イラストは芸大出身で宮澤賢治の画本をシリーズで手がけていらっしゃる小林敏也氏。わたしをよく知る盟友・本多信介氏が音楽を担当してくれたこともあり、非常にクオリティの高い番組制作ができたと自負しています。

一口に「クリエイター」「専門家」といっても、さまざまなジャンルがあり、結局は、その人々をどんな視点でどう取りまとめていくか、という総合プロデュースの手腕にかかっているところもあると思います。番組制作に関して、きちんとしたポリシーや哲学なくしては、どんな専門家を呼んでも、的はずれになることも多々あるかと思います。

つまり、映画製作と同じではないでしょうか。監督にポリシーがなければだめだし、それがあったとしても、いい俳優や技術者なしでは、ほんとうにいい映画は撮れない。サンシャインの実態がどうであったか、わたしは知らないのですが、一回だけ自分が関わった経験では、そんな風に感じました。そして、もったいないなあ、と思ったのです。

以上は「商業映画」としてのプラネタリウム番組制作、という観点ですが、それで中途半端なものをつくるくらいなら、むしろ地域密着で、市民参加型のお祭りのようなプラネをつくっていったほうが、ずっとずっといいなあと感じています。宗像ユリックスプラネタリウムの試みは、その点ですばらしいなあと思っています。

池袋サンシャインは、都心ですし、加藤さんのおっしゃるように「池袋でしかできない夢のあるプラネタリウム」ができたらすばらしいなあと思います。

しかし、実際問題、莫大な資金が必要なので、むずかしいと感じています。サンシャインに限らず、プラネタリウムの新しい試みを模索することができたら、それだけでも価値があるのでは、と思っています。わたし自身は、実は作家活動により専念したく、NPOの幹部として動くのはむずかしいというのが本音。しかし、協力できるところでは力を惜しむつもりはありません。ことに、立ち上げの時期、音響デザインや現代美術関係者など、いままであまりプラネタリウムに縁のなかった人々を広く紹介できたらと思っています。

加藤おさむ  サンシャインのNPO法人化について 2003年07月11日(金)18時24分40秒 http://hosizora.com
宗像ユリックスは日本初のNPO運営の市民参加型プラネタリウム! へのコメント

寮美千子さん お返事ありがとうございます。

NPO法人MYPを設立したいわゆる「張本人」です。「地域」をテーマに市民が運営するプラネタリウムを目指して日々運営しております。宗像の人口は10万弱、プラネも12mと小さいのですが、だからこそ、地域に必要なものであり、プラネを楽しんで頂きたいという思いがあります。地域基盤、経営基盤をしっかり作り上げ、強いプラネをつくろうと思っています。

さて、サンシャインプラネタリウム についてですが、私は以前は名古屋パルコにあった(すでに閉館しています)アストロドームという、サンシャインと同じ民間のプラネタリウムで8年間働いておりました。ですので、サンシャインという存在は常に興味と研究の対象であり、閉館に際してもいろんな状況を拝見しておりました。
もちろん組織の違いはありますが、サンシャインの経営者の考え方も理解できる部分もあることも事実です。
ある業界のMLには、サンシャイン閉館に際し「ビジネスとして話をすすめることが大事」という旨のメールを流しました。それは署名運動などを通じて説得できた?のかな?とも思いますが、さて、閉館してしまった今、復帰は間に合うのか、いつまでプラネを保管してくれるのか?という次元に来ているだろうと思います。
さて、サンシャインのNPO化についてですが、NPOといってもいろんな活動形態があることは承知しておりますが(私はNPOの中間支援組織の理事も名前だけですが参加しております)自分の経験からして正直なところ相当に難しいだろうなというのが実感です。理由はいろいろありますが、長くなりますので省略します。個人的にはある意味フレキシブルな有限か株式の方がこの場合優れているかもしれません。
あと一言だけあえて言わせていただければ、サンシャインプラネタリウムの最近の10年間は正直面白い番組とは思えませんでした。民間でありながらもっと面白いサンシャインならでは番組が提供できていなかったと思います。(公共のところの方が面白いところもいっぱいありました)実力のあるクリエイターが制作しているにも関わらず、その能力を半減させていたようにも思えます。理由はわかりませんが、いろんな足かせがあったのだろうと思います。
もし、復活するとなったら、その足かせもなくなるでしょうから、池袋でしかできない夢のあるプラネタリウムを作ってほしいと思います。そう願ってやみません。


寮美千子  宗像ユリックスは日本初のNPO運営の市民参加型プラネタリウム! 2003年07月11日(金)02時47分22秒
メディアグローブ へのコメント

▼加藤治さま
メディアグローブの情報、ありがとうございます。

福岡の宗像ユリックスプラネタリウム。日本ではじめてのプラネタリウム運営のためのNPOによって運営されているんですね。不勉強のわたしは、そんなことも知りませんでした。すいません。事業目的のページから、引用させていただきます。
http://www.hosizora.com/myp/index.html
今、日本のプラネタリウムは低迷を続けており、危機的な状態になりつつあります。
宗像ユリックスプラネタリウムでも、今後の状況を見渡しますと予断を許さない状況であります。
そこで、今までのプラネタリウム(見せる)から脱却し、
愛されるプラネタリウム運営を目指し、プラネタリウムNPO法人を設立しました。
「地域に愛される」「地域に根ざす」ことを目的に活動を続けてまいります。
加藤さんは、このNPOを立ちあげた張本人?! すごい行動力。すばらしい。いろいろご苦労もあったかと思います。いまでもあるかとも思いますが、こんなふうに「利潤」以外の、もっと大切なものを大切にした市民参加型のプラネタリウムがあるなんて、ほんとうに感激です。

▼サンシャインNPO化構想
6月1日で閉館となったサンシャイン・プラネタリウム。企業に存続をお願いするだけじゃなくて、ここはひとつNPOを立ちあげて、市民自らの手で運営したらいいのに! という力強いアジ演説が、先日の天文教育普及研究会であがりました。声の主は科学ジャーナリストの林衛氏。林氏の音頭で、みんなで本気で考えて見ようか、という具体的な動きもあります。加藤さんのような大先輩の助言が、きっと必要になることもあると思います。よろしくお願いします。

▼「利潤追求」から「しあわせ追求」へ
このごろ考えるんだけれど、企業なんて、ほんとうはみんなNPOでいいんだよね。「利潤追求」の世の中じゃなくて「しあわせ追求」の世界になればいいのに。「利潤追求」は、人をあんまりしあわせにしてこなかったように思うのです。宗像ユリックスプラネタリウムのサイトを見て、いきいきと楽しそうなのを見て、とても心強く思いました。7月6日には、柳家小ゑんさんの創作ほしぞら落語があったんですね。小ゑんさんとは、以前西はりま天文台でごいっしょしたことがありました。まだ、小ゑんさんの創作ほしぞら落語を聞いていないので、一度、聞いてみたいなあ。それに、宗像ユリックスプラネタリウムでは、地元アナウンサーや地元アーティストもたくさん起用しているんですね。すばらしい。そうやってみんなで盛りあげていくプラネタリウムって、理想です。がんばってください。

http://www.hosizora.com/myp/index.html

加藤おさむ  メディアグローブ 2003年07月11日(金)00時14分36秒 http://hosizora.com
メディアグローブ/新機軸かと思ったが…… へのコメント

はじめまして。加藤おさむと申します。
福岡県宗像市の宗像ユリックスプラネタリウムを受託運営しているNPO法人の代表をしております。

メディアグローブですが、あれはプラネタリウムというより、展示品のアイテムと考えるほうがいいと思います。発想自体は面白いのですが、画質はあまりよくない。本体の下にはWindowsパソコンで動作しておりまして、そのパソコンのポテンシャルで動画性能が決まります。2年ほど前に見たときはそれがかなりネックの印象がありましたが、今ではずいぶん改善されたかもしれません。
プラネタリウムといっても★は綺麗とは言えず、また、本格的なものに比べると星は綺麗じゃないので、やっぱり科学館の展示品、ドームも4mですから、そういったものと捕らえるべきですね。

勇崎  これはイケル! 今年もいっこうに儲からない「東川町国際写真フェスティバル」 2003年07月05日(土)23時59分28秒 http://www.zpi.ne.jp/
これならイケル! 儲け主義「いちばん長い夜のキャンドルナイト」企画 へのコメント

レス投稿したい!とそそられるのですが、残念・・・いまの僕はそれどころじゃありません。今年の東川町の写真甲子園&東川町国際写真フェスティバルの準備の佳境にあるからです。ごめん、それどころじゃない、といいつつ、今年の東川に関するPRさせてね。

去年、寮さんをゲストとしてお招きし、お願いした「受賞作家フォーラム」の今年の「寮さん的役割」は、岡本敏子さんと友部正人くんにお願いしています。

去年のことは、寮さんがカフェルナ
http://ryomichico.net/bbs/cafe0017.html#cafe20020813033355
とレビュー
http://ryomichico.net/bbs/review0004.html#review20020808171647
http://ryomichico.net/bbs/review0004.html#review20020804012557
などに執筆されています。

今年の詳しいことをお尻になりたい方は(面白いのでミス変換のママ)、東川町HPの下記URL「空飛写助(そらとびしゃすけ:これ7年前、僕によるネーミング)」を見て下さい。

「空飛写助」
http://town.higashikawa.hokkaido.jp/cyber/cyber.html

見終わったら、アドレス欄から/cyber/cyber.htmlを削除し、東川町のHPに行って下さい。

http://town.higashikawa.hokkaido.jp/jp

東川町のHPの「日本語」をクリックすると、インデックスがあらわれます。
「トピックス(TOPICS)」欄の上から2行目にある「■東川町フォト・フェスタ2003」をクリックすると募集モノを中心とした詳細にジャンプします。

ところで、例の「光画文化研究所(特定非営利法人申請準備中)」に関する、仮のWebを弊社の下記アドレスのHPに昨日立ち上げました。募集モノがあるので、その告知をする必要があったからです。(隠していたわけではありませんが、実は弊社にもHPはあったのです。プラネタリウムとはまんざら無縁ではなさそうな社名ですね)

http://www.zpi.ne.jp/

上記URLのインデックスにある
「What's New」
「光画文化研究所主催イベント情報追加!!」
をクリックしてみて下さい。

そのなかで、地元小学生を対象とした「ひが先生のはりあなカメラ探検隊」は、チラシ配布48時間後には定員オーバーしたので、もう受付は終了してしまいました。
「糸崎公朗の出現!フォトモ系ワークショップ」の参加者募集は、はじまったばかりです。(応募者数:現在1名/定員12名)
フォトモとは、プラモ(プラモデル)みたいに、写真を切り抜いて立体に組み立ててつくる作品で、このワークショップは絶対!絶対!絶対!おすすめ!!

弊社HPに、「写真展」というスレッドがあります。ここは必ず覗いてみて下さいね!!
僕執筆による写真家の評伝が(「みんなの写真家シリーズ」から)4編あります。この評伝もあと4編、おいおい追加する予定です。

以上、偏執的PR活動を完了します。

寮美千子  メディアグローブ/新機軸かと思ったが…… 2003年07月05日(土)02時59分51秒
ミノルタプラネタリウムの新機軸! へのコメント

はやくもがっかり。ミノルタプラネタリウムの「メディアグローブ」。解像度はたいしたことないらしいし、ソフトのタイトルと概要も旧態依然。製造販売は2001年から。新製品じゃないのに、なぜいま、朝日新聞の夕刊一面に? メガスターが大フィーバーだから、これを機にミノルタ製品も売り込んじゃおうっていう作戦か? その片棒を朝日が担いだ? などと勘ぐりたくなってしまいました。やれやれ。でも、実物見てみなくちゃわからないからなあ。だれか、見た人いる?

http://www2.minolta.com/japan/mp/hard/mg.html

寮美千子  これならイケル! 儲け主義「いちばん長い夜のキャンドルナイト」企画 2003年07月05日(土)02時26分17秒
個性化という名のマスゲーム へのコメント

▼美しい疑似神話としての「100万人のキャンドルナイト」
6月22日の夏至の夜、午後8時から10時まで、2時間だけ電気やエアコンを消そうというキャンペーンがありました。

環境省『CO2削減・百万人の環』キャンペーン
http://www.wanokurashi.ne.jp/campaign/index.html
「100万人のキャンドルナイト」
http://www.candle-night.org/

わたしは、これがどういうわけだか気に入らなくて、一体どこが気に入らないのかを自己分析したり、みんなに聞いてみた顛末は、みなさんご存じの通り。なるほど、という意見が寄せられました。

「演出された善」のシナリオに則って「演じさせられている」?/目玉おやじさん
恫喝とも思える電力不足のPRか?/グリムさん
「個性化という名のマスゲーム」をしてるだけの「集団」/勇崎さん

メールで意見を寄せてくれた方もいました。うれしいけど、困る。ここでお願いしますが、掲示板上の討論は、ぜひ掲示板で語ってください。でないとみんなと共有できません。ああ、いい意見だなあと思うほどに、メールで送られてきたことを残念に思います。

▼いっしょじゃなくちゃ意味がない?
池澤夏樹ファンが集る掲示板でも、この催しのことが話題になっていました。一部引用させてもらいます。「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけは、こんなふうにはじまりました。
ご存じのかたもいらっしゃると思いますが、
100万人のキャンドルナイト、という呼びかけがあります。
私もついさっき知ったのですが、なんとなく素敵な呼びかけだな
と思って、こちらに書き込ませてもらいました。
上記にサイトアドレスを入れておきましたので御覧下さい。
この「なんとなく素敵な呼びかけ」というのがミソです。そして、参加者からこんな投稿が。
参加したいと思っていたのに、気付いたら22時を過ぎていました。(中略)実生活ではそのろうそくのあかりを利用することなく過ごしてきたので、これを機会に体験しよう、と思ったのですが。(中略)参加しなかったことが残念!
結局、この人は蝋燭の火は灯さなかったようです。わたしは、これを読んでぶっとびました。別に、参加なんかしなくてもいいのに。やりたいときにやればいいのに。どうしてだろう? この人はなぜ「みんなといっしょ」じゃなくちゃ意味がないと思うのだろう? 

▼儲け主義「いちばん長い夜のキャンドルナイト」計画
そこで、わたしは代案を考えました。こういうのはどう?

わたしは「キャンドルナイト」が、地球環境問題の美しい神話なんかに祭りあげられるんじゃなくて、もっとリアルだったらいいんじゃないかと思います。つまりこれが「資本主義社会の陰謀」「儲け主義のブーム作り」とはっきりしていたら、逆に許せる。

この言い方は誤解を招きやすいから、言い換えましょう。

例えば、これが夏至じゃなくて冬至のキャンペーンだったらどうだろう。名づけて「いちばん長い夜のキャンドルナイト」計画。クリスマスに蝋燭はつきものだから、真夏の蝋燭よりなじみやすいかもしれない。深く長い夜の方が、きっと蝋燭の灯りのありがたさも、身にしみると思うのです。

それで、これを「バレンタインデー」みたいに一大国民的イベントに仕立て上げる。蝋燭会社とタイアップして「大切な人に蝋燭の時(キャンドルナイト)を贈ろう」というキャンペーンを展開するのです。卓上で使えるティーライトを贈ってもいいし、大切な人を招いて蝋燭の時間(好みによってはSMも可)を過ごしてもいい。もちろん、家族でやってもいい。

プレゼント用に、いろんな蝋燭をつくっても楽しい。ヴァレンタインのチョコレート売り場みたいに、趣向を凝らしたいろんな蝋燭が並ぶのです。いろんな色、形、香り。きれいで、楽しいだろうな。みんなが押すな押すなとそれを買いにきたら、面白いだろうな。わたしも、買いに行きたい!

ちゃんとパッケージになっていて、宛先札を貼るだけで郵便や宅急便で発送できるセットも売り出すのです。カードもつけて。カードには、ロマンチックな写真や言葉があってもいい。わたし、書きます!

それに合わせて「蝋燭の光で撮った写真コンテスト」(キャンドルナイト・フォト・コンテスト)も開く。これは、カメラ会社、フィルム会社とタイアップ。高感度フィルムを売り出すいいチャンスにもなる。「夜だからフラッシュ」じゃない、自然な写真の撮り方、への提案にもなる。

ネット上でデジタル・フォト・コンテストを開いてもいい。暗いところで、デジカメは威力を発揮するから。これも、デジカメ会社と提携。

エッセイ・コンテストなんかもいいよね。その夜を題材にした「ショートショート」なんかもいいかも。

衰退しているという燐寸業界とのコラボレもありかも。燐寸業界は、がんばっているのです。このサイト、すごくかわいいよ。「information about us」をクリックしてみて。
http://www.match.or.jp/

これはすべて「企業の策略」「儲け主義」のためのキャンペーン。「地球にやさしい」とか「スローライフの提案」とか「節電」とか、そんな立派なものじゃない。それが第一義じゃない。ブームを創ることが第一義的な目的。

で、その結果どうなるか。というと、一度でもキャンドルでテーブルを囲んだ人なら知っているだろうけれど、すばらしくステキな時間が出現するのです。まるで魔法のように。そして、人は知る。たったこれだけで、こんな豊かな気持ちになれるのだと、それも、蝋燭一本でできるのだと。安あがりの、最高の贅沢。

それなら、もっともっとそんな時間を持とう。持たなければ、損してしまう。そんなふうに考える人も多いでしょう。時間の過ごし方、家族や恋人との過ごし方を見直すきっかけなるでしょう。

その結果(ここが大事、あくまでもその結果として)、社会全体の気分がわずかだけれど変わってくる。人々が、いままでと別の喜びを見いだす。風が吹けば桶屋が儲かる式に、地球環境問題への提言にもなる。

「火」「炎」には、それだけの力があります。

天の邪鬼のわたしは「地球環境問題」をでかでかと掲げるのが、どうしても気に入らない。「儲け主義」「ブーム作り」の結果として、どうしても「地球環境問題」に貢献しちゃう、という図式なら許せる。

どう? これなら「ファッショ」と違うでしょう。「資本主義の手先」です。単なる「マスゲーム」とも違ってこないかしら? いいえ、一見マスゲームのように見えて、それを体験してみると、否応なしに「とても個別な体験」になってしまうところがミソなのです。

そして、これがいかなる宗教とも関係ないのもいいと思うのです。自然の時間にのっとっている。そして、どっかのまねっこじゃなくて「日本発」にする。「冬至にカボチャ」だけじゃなくて「冬至に蝋燭」というのを日本の新しい風習として定着させる。

勇崎さん。正しくいかがわしい?プランナーとして、こういうの、ぶちあげてもらえないかなあ。どうかしら?(マジ)

追記:我が家ではパーティの時、よく蝋燭の灯りをともします。来た人はよく知ってるよね。そして、その時間がとてもすてきなことも。部屋のアラも隠れて、家がいきなりロマンチックなカフェかレストランみたいになります。こういうのって、習慣にすると、とてもいい。なにも「せえの」で同時多発させなくったって、いつだってステキです。ぜひお勧めします。

寮美千子  ミノルタプラネタリウムの新機軸! 2003年07月05日(土)01時41分30秒

札幌で、ミノルタプラネタリウムが開発した新装置が公開されているそうです。フルカラーで、恒星の色調まで正確に再現できるとのこと。直系4メートルのドームということだから、まだ試作段階かもしれません。

先日のメガスター、恒星の一部に色がついていました。いまのところ一等星だけとのこと。それでも、色がついていると全然違いました。とてもよかった。今後2等星にもつける計画だそうです。

ミノルタの新機種。デジタルだということだけれど、星の美しさや輝きはどれくらいシャープなんだろう。メガスターの方が段違いに美しいだろうと予測されるのだけれど。本物を見てみたいな。

しかし、デジタルだと違う使い方も可能。国立天文台の「4次元デジタル宇宙」と組んだら、光速を超えた「ヴァーチャル宇宙旅行」も可能になるでしょう。

各方面が垣根を超えて交流して、すばらしいものをつくれるようになればいいんだけどなあ。4次元デジタル宇宙のヴァーチャル宇宙旅行と、メガスターの圧倒されるような星空の美しさとでは、その意味するところも役割も違うと思います。それぞれの特性を生かし、コラボレできるところはして、最高の宇宙をみんなが楽しめるようになれたらいいな。

ミノルタ関連の記事はこちら。

http://www.asahi.com/science/update/0704/005.html

寮美千子  カフェ・ルナティークへようこそ 2003年07月05日(土)01時27分47秒
在り来たりかもしれませんけれど。 へのコメント

freyjaさま
Cafe Lunatiqueへようこそ。プラネタリウム問題に関して、事実上の独占企業であった五藤光学研究所とミノルタプラネタリウムの怠慢を一貫して非難し続けている寮美千子です。この掲示板では、責任ある発言によって円滑に対話をしていくために、初めての方には必ず自己紹介をしていただくようお願いしています。よろしくお願いしますね。
http://ryomichico.net/bbs.html#bbs

▼ギョーカイ関係者の方々へ
ところで、プラネ業界の内部の人が、ナニを考えているのか知るのは、とても有意義なことだと思います。そこから、新たな方向性も見えてくるかもしれません。よろしくね!

freyja  在り来たりかもしれませんけれど。 2003年07月03日(木)22時13分45秒
「4次元デジタル宇宙」に、なにかステキな名前を! へのコメント

デジタリウム(ディジタリウム) digitarium

本多信介  「4次元デジタル宇宙」は 2003年07月03日(木)18時55分41秒
「4次元デジタル宇宙」に、なにかステキな名前を! へのコメント

「タイム・スペース」ってーのは?

うーーん書いてみるとたいしたこたーないな、ま、第1案ね。

ディズニーに「インナースペース」ってゆっくり宇宙旅行できる
やつあったじゃん、あれ好きだったなー、それから体感できる
「スターツアーズ」だっけか?椅子が揺れるやつ、あれも大好きでさー
渋谷にも2年くらいあったっけ、結構かよった、、

「ガーデンスター」、@ーーんちょい冴えないおじさんでした、(そーとー)

寮美千子  「4次元デジタル宇宙」に、なにかステキな名前を! 2003年07月03日(木)00時04分19秒
五島プラネタリウム元館長・村山定男氏 本日ニュースステーションに出演! へのコメント

▼ひたすら後ろ向きだったニュースステーション
6月30日のニュースステーション。同日で閉館する渋谷の東急文化会館の特集でした。昭和31年に、渋谷に文化の拠点をつくるという意気込みで開館。その象徴的存在が「プラネタリウム」だったそうです。特集は、閉館にあたって人々の感傷をことさらに煽るようなつくりでした。東急文化会館が時代に果たした役割の総括もなければ、未来への展望もなく、ただただ情緒的なばかり。「プラネタリウム」もそのネタの一環として扱われていただけで、残念です。

おそらく、村山定男氏はもっといろいろなことをお話になられたのでしょう。「感傷を煽る」のに都合のいい部分だけ切り取ってコラージュしたような印象を持ちました。日本の報道なんて、まあ、そんなもんかなあ。

▼silicaさま
抽選漏れ、残念でしたね。ご報告ありがとう。それだけ注目が集っているという情報を得たこと、とても意味があります。世間は「理科離れ」などというイヤな言葉をつくって、世の中をそういうものだと規定しようとしているけれど、ほんとうは違うのかもしれない。宇宙はどうなっているのか、人々の純粋な好奇心に応えられるだけのものをつくってこなかったから、みんながそっぽを向いたように見えているだけかもしれません。「メガスターII」と「4次元デジタル宇宙」の爆発的人気が、それを表しているのかもしれないと感じました。

▼「4次元デジタル宇宙」というネーミング
しかし「4次元デジタル宇宙」というネーミングは、何とかならないものか。「メガスター」というわかりやすくインパクトがある名前に比べて、どうにもわかりにくいしダサイ。国立天文台は「3D(立体視)に、時間の流れも入れる事ができるので、4D、つまり4次元にした」といっていましたが、やっぱりぱっとしません。釈然としない。だれか、いい名前を思いつかないかな。みんなで勝手に考えて提案してみようか。

「4次元デジタル宇宙」とは、立体視によって、光の速さよりも速くヴァーチャル宇宙旅行できる装置。時間をさかのぼって宇宙の過去の姿を見ることも可能。つまり、ヴァーチャル・タイムマシンの機能も備えている。立体プラネタリウムの機能もある。そんな装置です。

引き続き、プラネタリウムのことなど、自分のなかで考えていきたいと思っています。近々、某新聞の文化欄にも書かせてもらうことになりました。がんばります。

silica  国立天文台4Dシアター・・・はずれました。 2003年07月02日(水)16時50分17秒

7月公開の抽選に応募しておりましたが、定員150名のところ、なんと1000名以上の申し込みがあったそうです。
メガスターIIの人気もすごかったですが、こちらも大変注目されているのですね。

(落選通知はがきより)
次回、往復はがきで申し込む一般向けの公開日は9月12日(金)16:30〜18:30 各回20名程度ずつの入れ替え制 です。(くわしくは国立天文台のホームページでお確かめください。)
10月25日(土)10:00〜16:00 の国立天文台特別公開日では事前申し込みは必要ないそうです。
8月5日(火)・7日(木) 10:00〜16:00も事前申し込みは必要ありませんが、「夏休みジュニア天文教室」内での開催で内容も子供向けになります。

寮美千子  五島プラネタリウム元館長・村山定男氏 本日ニュースステーションに出演! 2003年06月30日(月)14時25分42秒
プラネタリウム/メガスターII 三昧 へのコメント

本日6月30日の午後10時からのテレビ朝日「ニュースステーション」の中で、天文学者である村山定男氏のVTR出演があるとの情報が、天文関係者より入りました。村山氏は、五島プラネの設計段階から関わり、最後には館長も勤めた方です。50年近くに渡ってプラネを制作する側として見つめてきた視点からのお話が聞けそうです。

プラネタリウムの今後を考える上で参考になると思います。ぜひご覧ください。
(突発的な大ニュースがあれば、吹っ飛ぶかもしれません)

寮美千子  プラネタリウム/メガスターII 三昧 2003年06月30日(月)01時51分28秒

きょうは、渋谷の東急文化会館閉館イベントのメガスターII上映会にいってきました。J-WAVE制作の「スローライフ・ギャラリー」に、拙著『父は空 母は大地』からの引用部分があったので、招待という形で見ることができました。並んだ人は、なんと午前2時半から並び始めたそうです。

5時半〜6時  スローライフ・ギャラリー
6時半〜7時  星ノ記憶
7時半〜8時半 復活、五島プラネタリウム〜解説員、村松氏をお招きして(有料)

3つ目のプログラムは、管轄が違うとかで、招待というわけにいきませんでした。しかし、公明新聞の文化欄にプラネタリウムのことを書かせてもらうことになり、その取材という形で申し込んで入場許可を得ることになりました。昨日、秘書の松永が連絡をとってくれたのですが、五島プラネタリウムの名解説員として名高い村松氏ご本人が快く許可をくださり、見ることができました。感謝です。

村松氏の流れるようなすばらしい生解説はさすが。この機会に聞くことができて、ほんとうによかったと思います。プラネタリウムの今後を考えるうえで、大きな参考になりました。

以上の3つのプログラムのレビューは、近日中に書きたいと思います。

ひとつだけ、きょう、書き留めておきたいことは、終演後、村松氏ご本人にお伺いしたこと。「プラネタリウムの未来について、どのようなビジョンをお持ちですか」とお伺いすると、このように答えてくださいました。
ぼくは、星の投影機と、星座の絵と、矢印が出れば、それでいいと思っているのです。それから、音楽。ほかのものはなくてもいい。大切なのは”想像力”だと思うんです。人間は、心の中で宇宙旅行だってできるんですから。
なるほど、と思いました。わたしも、基本的には村松さんの考えに賛同します。ヘイデン・プラネタリウムみたいなすごいCGができなければ意味がない、ということは、絶対にないと思うのです。

そして、肝心の「星の投影機」の性能が、メガスターIIによって画期的な進化を遂げたこと。これは、村松さんも文句なしにすばらしいと絶賛していらっしゃいました。ともかく、見せるだけで美しい星空に誘うことができる。それは、すばらしいことです。

3公演連続で見た美しい星空。それがいま、わたしの頭蓋のなかにまで、きらめいています。美しいということは、ほんとうにそれだけで力がある。こんなものをたったひとりで創ってしまった大平さんは、すごい。この一人の努力が、失速するプラネタリウムに、新しい追い風を起こしました。これは、今後のプラネタリウムの運命さえ変えてしまうものとなるでしょう。

逆にいえば、たったひとりでも開発できるものを、いままで開発しようともしてこなかった企業は、プラネタリウムのために一体何をしてきたのか。それを問いただしたい。「プラネタリウムという名の教育施設」に出される県や市のお金をアテにして、胡座をかいていたのではないか。ハード開発のみならず、ソフトを洗練させることも怠ってきたのではないか。それが結果として、自分の首を絞めることになったのではないか、とも感じます。

メガスターIIは、現代の夢物語です。硬直した組織が何もできないでいるときに、最新のテクノロジーを手にした若者が、たったひとりですばらしい星空を創った。英雄譚であり、冒険と革命の物語でもあります。

一人の英雄が風穴を開けてくれたプラネタリウムという世界。さらに大きな風を起こして、みんなですばらしい場にすることができたらなあと思いました。勇崎さん、プラネタリウムも「光画」だよ!

勇崎  個性化という名のマスゲーム 2003年06月29日(日)01時56分27秒
「100万人のキャンドルナイト」と「千人針」 へのコメント

僕はプランナーとして「100万人のキャンドルナイト」みたいな大量動員をかけるプランを好めるなら、きっとお金持ちになれたかも。
寮さんご指摘のように、僕もファッショにつながると感じると、プランする思考は止まってしまう。
「湘南ゴミ拾いオフ」は僕もスキ。
なんとなく個性的に見えるんだけど、実は「個性化という名のマスゲーム」をしてるだけの「集団」が、僕はキライ。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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