ハルモニア Cafe Lunatique (No.0018)

寮美千子の掲示板

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征木高司  ユリイカ10月臨時増刊号『矢川澄子・不滅の少女』を 読んで・・・遅ればせの反歌。 2002年11月25日(月)13時44分42秒
▼Review Lunatique:書評/矢川澄子著「アナイス・ニンの少女時代」 へのコメント

寮美千子 さま。

《不滅の少女》というタイトルだけでも凄いのに 上記ユリイカ増刊号は 若き日の矢川澄子氏のセルフ・ポートレイトが表紙という いささか衝撃的なモノでした。
                 ・
オプティカル・パターンの大胆なミニ・ワンピースを着て 鏡に向かって二眼レフを構え 足を組んだ澄子さんが背にした壁には 金子國義の『夏休み』と題された画が掛かっています。             (捕虫網を持った夏の女の子)
                 ・
写真説明によると66年8月から68年3月まで住んだ北鎌倉の家で撮ったもの。
やや沈んでみえる表情から類推すると 離婚を決意したのも おそらくこれを撮ったのも67年の夏だったのか・・などと思います。年表と照らし合わせると 7月生れの彼女はこのとき37歳か8歳です。

「若き日の写真」と云いましたが この写真には何だか男からは 直視し難いモノを含んでいる雰囲気があります。 

 揺れている感じ 不安定な感覚がドキッとするほど生々しく【女・おんな】・・・を主張している からでしょうか・・・


それはともかく 
この増刊号を読んで一番驚いたのは 澁澤龍彦との離婚の背景に谷川雁の存在があったことです。
谷川雁と再婚する予定だったとは・・・(良く知られた話なのかもしれませんがボクは知らなかったので) 黒姫に移住したのも 雁氏の近所に終の棲家を持ったということのようです。

澁澤龍彦と谷川雁。戦後の日本文化を考える上でも 大変 面白い組み合わせだろうと 思います。
                 ・

このユリイカ増刊号は 全体にかなりずっしりと重たい内容なのですが 中でも 松山俊太郎と池田香代子と佐藤亜紀の 鼎談が緊迫して面白かった。
矢川サンと同い年で 澁澤との関係の最初期から知っている俊太郎氏が かなり正直に 矢川サンの負の側面(と氏が思っていること)を語っている為 佐藤亜紀が本気で怒ったりしています。
松山俊太郎 ってホントに面白い。一時期の 稲垣足穂みたいで 言いたい放題(笑)。

                ・

70年代 神谷美恵子に「その自虐趣味はいいかげんにして」と云われたのを (今年になって) 書いているのが 何とも印象に残ります。
『いつもそばに本が/朝日新聞2月3日付』


それにしても 矢川澄子という人は 29歳で一緒になった澁澤と自分のことを「少年と少女」って 云ってはばからないんだよなー。


ともあれ 彼女が 様々な意味で 先駆的だったことは 確かです。

          
                 ・

艸々。

吉木克実  相変わらずの直情型・・・それでこそ!! 2002年11月18日(月)14時44分02秒
あのさー へのコメント

それでこそ、本多信介じゃあないか!ってことで、
信介さん、お久しぶりです。
相変わらずのテンションで・・・
さてさて、

>怒る心、がなきゃやさしいきもちにもなれんのんじゃないの
>もっと怒ろうぜー、人を殺すくらいの気概、なきゃほんとの
>和気あいあいはないさ

まったくもってそのとおり!
というか、それでしか話は進まんのではないかと思います。
感情ってものは、出し切らないと、冷静にはなれない類のものもありますしね。

私の持論はこの際無視することにして、
いっそのこと、アメリカの水爆をこっそり借りてきて、金正日をはじめとし、全北朝鮮人民(在日を含む)を抹殺するというのはどうでしょう。

ついでに、イラクもやっちゃいますか。
いちいち善人か悪人か調べるの面倒だし、男はもちろん、女子供、老人みんなひっくるめて。

金大中氏拉致事件のときも、毅然とした態度の取れなかった日本政府が、
独立した国家としてどの程度成長したのか、力量が試されているときなんですがねえ。
今の日本国内の雰囲気を考えたら、もう極論から逆にたどって考えていくしか、
熱病に対する有効な薬はないのかもしれません。

役人や政治家にもっと信介さんみたいに「本質を大事にする直情型」が多ければ、
日本も今頃は世界に胸張れてたのかもしれないのに・・・

(もっともみんながみんな信介コピーだったら、国民はどえらく迷惑するでしょうが・・・ははは!)

最後に、16日の安東ウメ子さんのコンサートとても良かったです。
人柄からにじみ出るほのぼのとした雰囲気と、アイヌ民族としての強固な意志とがあいまって、
ほんと、良かった!!


こめんとまん  こめんとまん 2002年11月17日(日)19時10分42秒 こめんとまん
“この投稿は、わたしの一部を編集したものです” へのコメント

こういうシステムが嫌いじゃわい

おかしいぜ

辻井 豊  “この投稿は、わたしの一部を編集したものです” 2002年11月16日(土)21時04分15秒

 今話題の週刊金曜日、2ch系サイトによると、全国の図書館にリクエストして、その結果、あちこちの図書館に置いてあるみたいなんですね。一般書店では、殆ど見ませんが。
 業界紙と称するものを、雑居ビルなんかに入っている小さな事務所に定期購読させている輩と、同じ手法ですよ。ニュース23では、筑紫氏、逃げ捲ってたみたいですが、みっともないです。

 あと、記事や報道番組のあとで、以下のような一文を掲載したらどうでしょう。

「この記事(番組)は、事実の一部を編集したものです。読者(視聴者)の皆様に、事実とは異なる印象を与えている可能性があることを、あらかじめご了承下さい」

 ドラマの最後に、わざわざ、“このドラマは……”ってやるぐらいですから、問題ないと思うのですけど。

勇崎  怒りはね 2002年11月12日(火)02時44分04秒
あのさー へのコメント

下には書き忘れたけど、
死亡と報告された、5人以外の人々のこと。
“死”ということへの、あの無神経な取扱方。
これに怒られずにいようはずはありません。

勇崎  犠牲になるのは、いつも、名もない地球人たち 2002年11月12日(火)02時32分20秒
あのさー へのコメント

信介どんのように、素直に怒りを表出できない、ふにゃら〜とした僕なのです。
信介どんのようになれたら、僕もちょっとは表現者になれたのに、と考える今日(否・昔から)この頃なのです。
気持ちは今も、10月1日にここに投稿した内容そのままです。(下記URL)

北朝鮮は天皇制の戦時下の日本と同じかも、のように思います。
口は災いのもと。その災いは情報レベルで済むのではなく、拷問処刑という種類の死にもいたるという現実。決して被害者の口から永住帰国希望なんていえるはずがない。だから、もうひとつの国家から言ってもらわないと危ないし、5人がカメラの前で胸からはずさない“金”バッチは、最悪の事態を回避する守護札のようなもの。

子供たちの日本帰国のカルチャー・ショックを危惧する世論もありますが、終戦(敗戦)時の日本の180度転換のありようを思いおこせば、そんなに危惧することはないと思います。それは、彼らの頭脳が柔軟性のある、まだ若い時代だから。
天皇元首から国民主権への移行落差(昇差?)は、そうとうなカルチャー・ギャップだったはずです。北朝鮮をオウムに同定するのはふさわしくなく、やはり天皇元首下の戦前日本のような気がします。

誤解を恐れずさらに言うなら、少し違うのは、天皇家は軍部などに利用されていたフシがあるのに対し、北朝鮮は独裁型元首、と言うことでしょうか。

僕がよく通う焼き肉屋さんの店主は北、奥さんは韓国の出身です。店主のおじさんは、「恥ずかしい」とつぶやかれ、今回のことで猛烈に苦悩されています。狂牛病風評被害とダブル・パンチ。9月以降、なぜか僕はこの店に頻繁に顔を出すようになってしまいました。この名もない(アノミマスな)ご夫妻のことは、以前からなぜか好きだったんですよね。

国や政治に翻弄され犠牲になるのは、いつも、名もない地球人たちです。

今日はこれにてGood-Night

cafe0018.html#cafe20021001025848

本多信介  あのさー 2002年11月11日(月)13時40分11秒

怒る心、がなきゃやさしいきもちにもなれんのんじゃないの

もっと怒ろうぜー、人を殺すくらいの気概、なきゃほんとの

和気あいあいはないさ、、平和なやつはうそつき小僧だーー

なんだか儀式が多くて書きにくい掲示板じゃのーー

かと  総論としては日本人として共感しますが 2002年11月10日(日)03時05分03秒
「お国のため」なんてナンセンスだ へのコメント

SF掲示板をふらふらと検索してきてこちらを見たものです。こんにちは。
ところで発言を見ておりまして、レスしようと思って書かせてもらいました。
http://www.web-arita.com/sui1210b.html
一応こういう情報(被害者本人はオフレコで泣きながら「帰りたくない」と言っている)もあるので書いておきます。
何故家族が本人の代わりに口を出すのか、という意見は多いしそれ自体は分からないでもないのですが。
本人が帰りたいというと家族が殺されるかも、という状況が現に存在してる所で「さあいえ!思った通りの事をいえ!」
これも一種の拷問という気がするのですが…

総論として本人の事は本人が決めるべきというのは全くその通りなのですが。
少なくとも拉致関係については、問題は北朝鮮の方にあると思われます。
フジテレビで見た(文春にも出ていましたが)「俺は死にたい」と発言したという寺越さんの事も含め、何が正しくて何が正しくないのか本当に混乱します。

寮美千子  音楽が降りてくる 2002年11月09日(土)02時22分56秒 http://ryomichico.net
或る夜の酔っ払いの脳髄に浮かぶ《水晶こそが廃墟だ。》 へのコメント

音楽が降りてくる
空から 星から
音楽が流れる
川のように 絶え間なく
天の河の 透明で希薄な水が
地上に 流れこむ
水晶の水に浸されて 洗い流される地上の塵
都市は 美しい廃虚になる
潮の満ち引きのリズムを
ゆっくりと 思い出しながら

時が ゆるやかに 流れだす
わたしたちは いままで
なにをそんなに 急いでいたのだろう

体のなかの海が 静かに満ちてくる
水平線から 月が現われる

音楽が打ち寄せる
わたしのなかの 海から
そして 遥かな星から

星のしぶきをあげて 砕ける波
わたしは じっと 耳を澄まし
小さな 渚になる
セント・ギガという放送局の開局の日に流された作品です。
「水晶の水に浸されて 洗い流される地上の塵/都市は 美しい廃虚になる」
開局という晴れがましい日に「都市は廃墟になる」という言葉を放送するのはどうか? という反対意見もあったそうです。それに対して「これでいい」とゴーサインを出したのは、編成局長の横井宏氏だったそうです。

「都市」という幻想が壊れ、美しい廃墟になること。それこそが、わたしたちが見ることのできる美しい夢ではないか。都市に潮の満ち引きと月の満ち欠けの記憶を取り戻そうとしたセント・ギガは、都市が、実はわたしたちが脳内に描いた砂上の楼閣であることを思い出させようとしたメディアだったのではないか。

「国境」もまた、人間の脳のなかにしか存在しないもの。そのあちらとこちらで、家族を引き裂き、人の腕を引っ張り合う。鳥たちは国境などないかのごとく自由に行き交う。人もまた、鳥と同じ日々を精一杯暮らす生き物であるはずなのに。

厭世的にならないで、辛抱強くその「当たり前」であるはずの大前提を語りかけていきたいと思うのです。

征木高司  或る夜の酔っ払いの脳髄に浮かぶ《水晶こそが廃墟だ。》 2002年11月08日(金)22時59分14秒

あの 透き通っている「廃墟」を
懐かしく 想う。

廃墟とは 棄てた 場所 の こと 。

寮美千子  辻井豊さま 2002年11月07日(木)03時11分56秒 http://ryomichico.net
“無慈悲な選択”ができないと結局“無慈悲な選択”をするはめになる? へのコメント

>“辻”ではなく、“辻井”なんですが…… (´・ω・`)ショボーン

ごめーん。ワルカッタワルカッタ。直しといたよ。ションボリしないで〜!

辻井 豊  “無慈悲な選択”ができないと結局“無慈悲な選択”をするはめになる? 2002年11月07日(木)01時42分23秒
「お国のため」なんてナンセンスだ へのコメント

 ああ、今年の冬、北朝鮮ではどれくらいの人が亡くなるのでしょうか。
 軍事侵攻によって、現政権を倒した場合は、その前後の混乱を含めて、どれくらいの人が亡くなるでしょうか。
 なにもせず、この冬に亡くなる人たちと、どちらが多いでしょうか。

 “殺される、あるいは殺しにいく立場”ではないからこそ、想像できる無慈悲な選択。

 もし、本当にこんな選択を、私達、日本がせまられたら、できることは、やっぱり“金を出す”ことだけ。

 日本に一時帰国した5人、北朝鮮に予定通り返して、もし、なにかあっても、あらゆる手立て(軍事力と限らない)を尽くして、その家族ともども救い出せる。そんな、自信が、今の私達にあったなら、今回の一時帰国、違った結果になっていたかもしれません。なんといっても、かの国から“信義違反”と揶揄されることを、潔しとしないだけの誇り。そして、拉致された人々を、これ以上犠牲にしないという、本当の覚悟ができたなら。

 私達は、いろんな意味で、牙を抜かれていると思います。もちろん、牙が必要とされない世界が来れば、本当はそれが一番いい。

 もっとも、牙の強さを過信すると、まあ、いつか来た道って、わけですけど。

 “辻”ではなく、“辻井”なんですが…… (´・ω・`)ショボーン

寮美千子  「お国のため」なんてナンセンスだ 2002年11月06日(水)18時15分15秒 http://ryomichico.net
ちょっと話がそれるかも知れないけど… へのコメント

北朝鮮に拉致されていた人々が帰国、日本政府に逆拉致され予定の日程を過ぎても北朝鮮に戻ることができなくなってから半月が経とうとしている。拉致被害者が、北朝鮮にいる子どもや夫と引き裂かれ、いつ会えるともしれない不安な日々を過ごすことを余儀なくされている。問題は、核ミサイル問題などと複合してさらに混沌の様相を見せ、解決がさらに長引くことは必至だ。拉致被害者の気持ちを思うと、胸が痛まずにはいられない。

わたしは、なぜ日本政府が「個人の希望」を全く無視して勝手に日本滞在を決定したのか、まったく納得がいかない。また、その件について政府が話し合いを持つのが、拉致されて戻ってきた本人ではなく、いつだって「拉致被害者の家族の会」だったことも、全然納得がいかなかった。

個人の希望は、必ずしも家族の希望と一致するわけではない。そんなことは、だれもが承知していることだ。本人を無視して家族とだけ話し合う。北朝鮮で洗脳されてきた拉致被害者には、まともな判断力はないということなのだろうか。まるで「未成年扱い」あるいは「禁治産者扱い」ではないか。それは「人権無視」ではないか。

そんな政府が、ようやく本人と話し合った。拉致被害者の蓮池薫さんが、11月5日、新潟県柏崎市の自宅で安倍晋三官房副長官らと面談をしたという。面談後、記者会見した蓮池さんは、こう語った。

「私たち家族の問題が国と国の交渉ごとになった以上、見守りたい」
http://www.asahi.com/national/abductees/K2002110501187.html

家族の問題が、国の交渉ごとになる。そんな馬鹿げたことがあっていいはずがない。「蓮池、怒れ!」とわたしはいいたい。「家族の問題が国と国との交渉ごとになるなんて、納得がいかない。まずは、わたしにわたし自身の希望を訊ねてほしい」といえといいたい。

けれど、個人は弱い。ヘタに振る舞えば、一生家族と離ればなれになってしまうかもしれない。だとしたら、黙って国の方針に従うしかない。蓮池さんも、家族からそのように説得されたのだろう。

それは、何かに似ていないだろうか? お国のためにがんばることが、結局は自分たちの暮らしや人生を守ることになるのだと言われ、人びとは赤紙一枚で従順に戦地へ赴いた。そして、死んだ。逃げだそうとする人は「非国民」と呼ばれた。その感受性と、いま行われていることは、匂いがひどく似ていないだろうか。

そんな戦争の悲劇を描いた物語はたくさんある。戦争はひどい。こんなにむごい。それを訴える映画。人々はそれを見て、涙を流す。

けれど、わたしは思わずにはいられない。「庶民」はただ犠牲者だったのだろうか? 確かに、権力の構造が違った。だから、民意が国政に反映されず、一部の支配者によってすべてが決められてしまったという悲劇もあっただろう。けれど、それだけだろうか? それに迎合した人々が、それに逆らわなかった大衆がいたから、世界はその方向へと大きく動いてしまったのではないか。
政府がふらふらしてるのも、お役所がへたれなのも、そして、マスコミがカスなのも、なんか、み〜んな“私達自身の日々の行動の結果”なんじゃないかと……。
辻井さんのこの言葉に、わたしも深く同意する。

拉致被害者の「人間としてのしあわせ」を、政府は優先して考えるべきだと、わたしは思う。拉致被害者とその家族が、北朝鮮と日本とを自由に行き来して、自己の意志で永住の地を決定できるようにするべきだ。そのために、政府は全力を傾けるべきであると。

「もともと日本国籍で、無理に拉致されたのだから、戻ってくるのが当たり前」というのは、あまりに乱暴な考えにすぎる。これを、逆の立場にして考えてみればすぐにわかる。もしも、あなたがある日突然「実はあなたの両親は北朝鮮から拉致されてきた人々だ。だから、明日から北朝鮮へ戻って暮らしなさい」といわれたら、どうだろう? 言葉もわからない、異国に行けといわれたら。

拉致被害者の子どもたちをなにがなんでも日本に連れ戻せというのは、そのようなことなのに、どうしてそれが世間一般に「正義」のごとく語られているのだろうか。確かに、報道されている北朝鮮の情況はひどい。ファシズムの国家だ。けれども、だからといって、日本に戻ることだけがしあわせとは限らない。日本と北朝鮮、自由に行き来して架け橋となるような、そんな立場を、日本と北朝鮮は彼らに確保できないものか。

拉致被害者は、最初に拉致という被害を受け、いままたここで苦しみを得ている。北朝鮮の被害者であると同時に、日本という国の被害者でもある。北朝鮮は、確かにひどい。ながらく拉致などないとシラを切ってきた。けれど、拉致を認めてすぐに、被害者を日本に帰国させた。交渉カードとして人質にとるような真似はしなかった。それなのに、日本は実力行使で彼らを日本に留まらせている。ほんとうに、そのような強引な手段しかなかったのか、わたしは疑問に思う。その強引さが、軟化しようとしていた北朝鮮の面子を潰して硬化させ、結局は拉致被害者の家族を人質と化してしまったのではないか。

いわゆる「外交」に関して、このように絡まった糸をどうしたらいいのか、わたしにはわからない。けれども、外交よりも前に「個」の意志を大切にすること、それがいちばんではないか。「個」が消え去り「国の交渉ごと」が個の意志に優先するこの事態を、多くの人がおかしいと憂う感性がほしいと心から思う。

四国新聞の「一日一言」欄は、いつも歯切れのいい言葉で胸がすく。拉致被害者を日本に留まらせると政府が発表した10月24日付けでは、こう語っている。わたしは大いに賛同する。
 それは意味もなく憎み合うモンタギュー家とキャピュレット家の間に生まれた悲劇の構図を連想させないでもない。拉致被害者五人の思いは二つの家族の間で揺れ続けているらしい。
 北朝鮮から帰国した五人の暮らしが連日報道される。食べ物から訪問先、訪問者、家族の会話までマスコミが取り上げる。北朝鮮にいつ戻るかという個人的かつ微妙な問題までテレビで論議する。
 二十四年ぶりに息子や娘、兄弟姉妹を取り戻した日本の家族にすれば、北に残る子供も含め全員が完全帰国して初めて事件は解決。政府にもその措置を求めている。しかし五人は完全な帰国案に疑問を感じているようだ。
 無理もない。政府が手をこまねいていた二十四年間、五人は孤独の中で言葉を学び、仕事を持ち、喜びも悲しみも含めてそれぞれ幸福を積み上げてきた。そのすべてを捨てろ、このまま帰るな、というのは乱暴にすぎる。
 まして日本人と知らされずに育った子供たちが、そのまま日本で幸福になれると考えるのも短慮にすぎる。現実を無視して一方的に帰国を迫る雰囲気に帰国者の一人は「洗脳するつもりか」と怒ったそうだ。当然だろう。
 確かに拉致は許せない。しかし五人を帰さなければ、北に残された子供にはそれも「拉致」になる。国家が奪った人権を回復するには、まず国家が自由に行き来できる環境を作ること。そうすれば五人の苦悩は軽減する。
 敵同士の間柄でどちらかを選べと迫れば、ロミオのような救いようのない悲劇が生まれる。拉致事件の本当の原因は日朝間に国交がなかったことだ。解決しなければ、いつかまた別の悲劇が生まれる。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/column/200210/20021024000066.htm

目玉おやじ  ちょっと話がそれるかも知れないけど… 2002年11月02日(土)11時28分54秒
すいません、追加させて下さい。 へのコメント

お久し振りです。思わず膝を叩いてしまうようなご意見を見たので反応してしまいました。

☆辻井 豊さん
> 政府がふらふらしてるのも、お役所がへたれなのも、そして、マスコミがカスなのも、
>なんか、み〜んな“私達自身の日々の行動の結果”なんじゃないかと……。

それ、すごく良いです。常々私もそう感じています。

ちょっと、思いのベクトルがずれるかもしれませんけど。
例えば、駅構内の喫煙コーナー以外の場所で平然とタバコを喫っている紳士。
「自分の快楽」のためには「周囲の迷惑」なんて屁とも思わないような人間がゴロゴロしている
国ですから、人のため、国民のため、を思うような政治家が居ないのは当たり前の話ですね。

本多信介  そんな柔じゃない 2002年10月27日(日)18時28分31秒
拉致被害者永住帰国決定/北朝鮮による拉致と日本政府による逆拉致 へのコメント


彼らの目を見たか、もう彼らは人生(宿命?)に拉致されてることを知っているのさ

なんだって怖くないいのさ、すべてを受け入れる用意ができてる、

許せないのは自分の既得権益からのがれられない人種だぜー、その中にも「こころの専門家」たちも

そうだろう、国交正常化なんてどういう事かおれにはわからん、金なんとかって不審なやつと取り巻き

と自民党とか「老人の門」をとっくにくぐってるやつらの国にそんなことはありえんだろーー


辻井 豊  すいません、追加させて下さい。 2002年10月26日(土)21時11分00秒
無題 へのコメント

「日本政府とかも、“私達”に置き換えて読んでます」

 この置き換えには、異論のある方もいらっしゃるでしょうけど。

 政府がふらふらしてるのも、お役所がへたれなのも、そして、マスコミがカスなのも、なんか、み〜んな“私達自身の日々の行動の結果”なんじゃないかと……。

 規制頼み、コネ頼み、ゴシップ大好き、駄目とは言わないですよ、もちろん。私自身、そんな、お綺麗な生活しているわけじゃないし。でも、メリハリが無かったかなと反省してるんです。アメリカみたいに、めりはりバリバリは、嫌ですけど。いや、つまり、自己主張のことなんですが。デモとかね、そう言うのじゃなくて。小中学校の学級会なんかで、体験した人もいるんじゃないかと。馴れ合いの委員選出とか。う〜ん、なんか具体例が思い浮かばない。これも問題かな。まあ、そんなわけで(どういうわけ?)、ネットには、ちょこっとだけ期待しているのです。

 なんか、青臭いな……、
 2chでは、こういう匂いが、香ばしい、と言われるのだな。
 最近、2chでカキコも始めました。当方かな?と思われる書き込みを見つけたら、まあ、生あたたか〜く、見守ってあげて下さい。
 メリハリないな。

辻井 豊  無題 2002年10月26日(土)17時32分21秒
拉致被害者永住帰国決定/北朝鮮による拉致と日本政府による逆拉致 へのコメント

 国民とか、市民とか、民衆とか、大衆とか、そんな主語を使いたくない、今日このごろ。

 25日のフジTVの報道、真意はさて、以下のどれでしょう?

1.視聴率が欲しかった
2.世論を煽るために道化を演じた
3.報道機関としての使命感に燃えた

 あんな番組を見たがっていると、そう制作者に感じさせてしまう、私達って……。

 色んな意見、文章の主語、日本とか、国民とかを、“私達”に読み替えて見る。

 なんか憂鬱な、今日この頃でした。

寮美千子  拉致被害者永住帰国決定/北朝鮮による拉致と日本政府による逆拉致 2002年10月26日(土)14時02分00秒 http://ryomichico.net


拉致問題で北朝鮮から戻ってきた5人を日本に永住させると、日本政府が24日決定した。
「本人の意向にかかわらず、北朝鮮には戻さず、このまま日本に永住させたうえで、北朝鮮に残した家族の早期帰国を北朝鮮側に求める方針」だという。
http://www.asahi.com/politics/update/1024/007.html

なぜ「本人の意向にかかわらず」なのか。新聞は、日本政府が北朝鮮に対して「抜きがたい不信感」を抱いているからだと報道している。つまり、拉致された人々を一端北朝鮮に戻してしまうと、再帰国のメドが立たず、北朝鮮に国交正常化交渉で交渉カードを与えてしまうという懸念があるからだという。

また「本人の意思」に関しても、その本人の意思がもともと北朝鮮に操作されている可能性があるとして「邦人保護」という名分で政治的に決断したとのことだ。

政府の記者会見では「政府が(永住を)決定したので、(本人には)『日本人なんだから従って滞在して下さい』とお願いする」と記者団に強調したという。
http://www.asahi.com/politics/update/1024/011.html


「それでは、日本政府による『逆拉致』ではないか」というのが、このニュースを聞いたときのわたしの最初の印象だった。

拉致被害者は、被害者である前に、まず人間だ。家族もいるし、普段の暮らしもある。日本政府は、そのことを度外視して、単なる外交問題の駒として人々を扱っている。つまり「人間」として扱っていない。人を人間として扱わずにその人を「救う」ことなんてできるはずがない。

拉致被害者の心を思うと、気が遠くなり、目眩さえ覚えるような気持ちがする。突然拉致され、言葉もわからない異国へ連れ去られる。もう、日本には戻れないらしいと知る。家族にも会えない。そこで、どうやって生きていくか。気が狂わずに生き延びるために、人々はいったいどんな心の仕事をしたのだろう。自分になにを言い聞かせ、望郷の思い、家族への思いをどう処理してきたのだろう。

恐らく、順応できなかった人々は心を患い、自ら命を断ったか、あるいは殺されたかしたのだろう。つまり、それは死に至るような過酷な心の仕事だったはずだ。生き残った人々は、どれだけの辛苦をやり過ごしてきただろう。この人生を受け入れるしかないのだと諦念し、そこに新たに生きていく力を見いだすために、何をしてきたのだろう。何かを見ないふりをしなければならないこともあっただろう。過剰な合理化をしなければならない場面もあっただろう。でも、そうしなければ生き延びてこられなかったのだ。

そうやって築いてきたはずの生活であり、家庭だったと思う。

それが、24年後、突如として帰国を強制される。その驚きと戸惑いは、察して余りある。そして帰国。もみくちゃな報道。子どもを、夫を北朝鮮に残しているのに、突如として「永住」を日本政府から命じられ、北朝鮮の家族に会えない不安な日々が長引くことになる。

「個」の人生を踏みにじった、あまりといえばあまりなやり方ではないだろうか。確かに、拉致されて異国に連れ去られたという事実は許し難いことだ。しかし、すでに日本で暮らしてきた以上の月日がそこで経過し、そこに暮らしの本拠地がある。なによりも「生活」がある。その生活を、心の準備もなしにいきなり変えさせることは、心に対する大きな暴力だとしか、わたしには思えない。

「北朝鮮にマインド・コントロールされている」との考えがある。そうだろうと思う。マインド・コントロールに染まらなければ、きっと彼らは生き延びてこられなかっただろう。けれど、そうやって生き延びてきた人々のマインド・コントロールを解くためには、時間が必要なのではないか。北朝鮮と日本を自由に行き来し、ゆっくりと考えるための環境を整えることこそが、日本政府のなすべきことではないだろうか。そのために、国交を正常化し、行き来を自由にし、また、いままで政府が彼らを救出できなかったことへのお詫びとして、彼らが自由に行き来できるための旅費等を完全に確保し、北朝鮮での彼らの自由をも確保しようと努力すべきではないか。

拉致被害者は、これからの人生への不安も大きいと思う。永住帰国を決定するなら、彼らに日本と朝鮮の文化の架け橋となるような職を確保し、場合によっては公務員として終身雇用することもオファーすべきではないか。それを受けるか受けないかは拉致被害者の自由だけれど、少なくともそのような用意はあるということを伝え、将来への心配を少しでも軽くしてあげることが先決ではないだろうか。

「個」の人生のひとつひとつを大切にし、それを守ることが「国家」のあるべき姿だと、わたしは思っている。そのための国家だと。「国益」とは、一体だれのための「益」なのか。拉致被害者を北朝鮮に戻し、もしも今後帰国がままならなくなると、小泉政権の人気が落ちる。そのことを懸念しての決定だともいわれているが、それでは拉致被害者は小泉政権の人気取りに利用されているだけではないか。24年前、彼らを利用しようとして拉致した北朝鮮と、変わるところがないではないか。「個」を無視する国家には、個をしあわせにする力などない。


そもそも、と身も蓋もないことをいえば、国とはなんだろう。生まれたとたんに、その国の国民として暮らすことが強制的に決定されているということの理不尽。人はみな、どこかの国民であるまえに、一個の人間だ。世界共通普遍の「人間」という存在なのだ。

宇宙飛行士はいった。宇宙から見たら、国境なんて見えなかったと。そして、哀しみをこめていった。戦いの火が見えたと。

日本政府は拉致被害者に『日本人なんだから(日本政府の決定に)従って滞在して下さい』といったそうだ。24年もの長きに渡って、救い出すこともできないで、異国で生活の地盤を築かざるを得なかった人々に、何が今さら「日本人なんだから」だよ!と、わたしは憤慨する。


拉致被害者が過剰適応であれ、そうしなければ生きてこられなかったはずの北朝鮮での日々。心に固く刻印されたマインド・コントロールを解くためにはどうしたらいいのか。彼らにほんとうの「心の自由」を取り戻してもらい、後半の人生をより実りあるものにしもらうには、どうしたらいいのか。すでに北朝鮮で築いてしまった生活と家族を、どうしたらいいのか。心の専門家と相談することも必要だろうと思う。そのようなケアを保障することも。

いまの拉致被害者の状況を見ていると、オウム真理教にはいった信者を力ずくで取り戻そうとしている家族と教団との綱引きのようにも見える。そのどちらもが、自分こそが正しいと狂信しているのだ。信者は、両方から手を引かれ、身も心も引き裂かれてしまう。

大岡捌きだったか、歌舞伎だったか忘れたけれど、幼い子どもを、自分こそが実の母親だと主張する二人が取り合うという話があった。両方から、その子どもの腕をとって引き合うと、子どもが痛がって泣きだしてしまう。見かねたひとりが、とうとう手を放してしまう。子どもを引っ張り寄せた方の母が、これで子どもが自分のものになったと喜んだとき「子の手を放したほうが、実の母」との判定が下されるという話だ。

いまの日本は、子の手を引っ張り続けた方の、ニセの母だ。自分喜びと利益しか念頭になく、子が泣いても痛がってもおかまいなし。人間の暮らしに、ほんとうは国なんか関係ない。人間ひとりひとりが日々をしあわせに生きていくための方策を見いだす。外交も、そこから発想してくれたら、世界はおかしなことにはならないはずなのにと思う。

寮美千子  さようなら ブックス・アミ本店 2002年10月24日(木)20時16分40秒 http://ryomichico.net

相模大野駅前の書店「ブックス・アミ」が突然閉店した。
おかしいな、閉まってるな、棚卸しでもしているのかしら、
と思いつつ、翌日も閉まっていたので、張り紙を見に行くと「閉店」のお知らせ。
わが目を疑った。
何の前触れもない、ほんとうに突然の閉店だった。

「ブックス・アミ」は、駅前ビルの2階から4階まで
すべてのフロアーが売り場という大型書店。
登山や自転車旅行用の2万5千分の1の白地図も完備してある頼りになる本屋さんだった。
小さな「街の本屋さん」という風情のアミの支店2店は残るという。
相模大野に残った書店は、その支店2店と、駅ビルにはいったくまざわ書店と、
伊勢丹デパートの紀伊國屋書店。
どれも、閉店したブックス・アミほど頼りにならないし、閉店時間も早い。

閉まった後には、パチンコ店とコンビニのファミリーマートが入るという。
とほほ。

ブックス・アミで働いていたKさんは、相模原の天文同好会のメンバー。
わたしの作品にも理解を示してくれて、応援してくれた人だ。
Kさん、どうしているのかと電話してみて、こんな話を聞いた。

閉店が決定したのは10月10日。
閉店したのは10月18日。
10日足らずで、閉店処理のすべてをこなさなければならなかったという。
夏頃に、閉店の噂はあったが、それがいつになるのか通知がなく、
そのために他の仕事を見つけることもできなかったので、
突然失業者になってしまったそうだ。

閉店の理由は、小泉政権の政策とモロ関係があるという。
ブックス・アミが入っているビルは、その半分が自社ビルのようなもの。
もともと持っていた土地に建てたものだ。
しかし、ビル建設のために、アミは多額の借金をした。
バブル全盛のころの借金で、利息も驚くほど高かったという。

書店自体は儲からなかったわけではなく、業績もまあまあだったという。
しかし、その借金を支払わなければならない。
いままでは、銀行側の締め付けもゆるかったので、
とりあえず利息だけはきちんと払う、ということですんでいた。

しかし、政府による不良債権処理の締め付けにより、
銀行が元金返済を迫り、返済計画書を提出したところ、
現状の売り上げでは、利息返済だけで手一杯で、元金に回らないので、
もっと利益の上がるテナントを入れなさい、ということになり、
パチンコ店とコンビニ出店となったという。

本屋さんが、パチンコ屋とコンビニに……。涙が出ちゃう。
それも、儲からなかった本屋ではない。
過剰な利息返済さえなければ、充分に健全経営できた書店だ。

銀行はなぜ、利率を下げて借り換えをさせるということができなかったのだろう。
利率が下がれば、いままでの利息返済と同じ額を支払い続けることで、
元金返済も可能になったはずだ。
過剰な利息そのものが、どこかおかしいのだ。
どうして、それをカットすることができないのだろう?

そして、本屋はパチンコ屋に。
もしかしたら、この変化は、いまの日本の姿を象徴しているのかもしれない。

不良債権処理が必要なことはわかるけれど、
このような方法でいいのだろうか?
無駄金なら、もっととんでもない無駄金を使っているはずだ。
地道に地元文化に貢献してきた本屋を潰してパチンコ屋にすることが、
これからの日本をよくする礎になるはずがない。

本屋さんがなくなれば、出版社も潰れる。
潰れた後にできるのは、パチンコ屋とコンビニばかり……。
というわけにいくはずがない。
ギャンブルと消費だけを目的とした店舗も、
そこにつぎ込む消費者のお金があってこそだ。
ドミノ倒しのように次々倒れていけば、パチンコに使うお金も、
コンビニで浪費するお金もいずれはなくなっていくだろう。

あーあ。日本はどこへ行くのだろう。いや、世界は。
テロ、戦争、連続狙撃事件、クーデター人質事件。

これは、いままでの西欧中心のバブリーな世界構造自体が
問われ直しているということだろうか。
この混乱の時代を抜けて、落ち着いた「まともな」世界が到来するのだろうか。

儲からなくていい。
贅沢もいらない。
人々が飢えず、ゆっくりと暮らせる、そんな世界が来ないだろうか。

ほんとうに大切なことを書いた、上等な本をゆっくりとつくっていく、
そんな世界が来たらいいのに。

まあ、世界の流れとは関係なく、
わたしはわたしで、そんな本を作っていきたいと思うけれど。

混乱の果てに、きちんと「本物」だけが生き残る、そんな世界が来ることを祈りたい。
いや、祈るだけではなく、できることを地道にやっていきたいと思います。マジに。

本多信介  ちょっと。憤り、極論かも 2002年10月20日(日)21時00分26秒
きれいごとはいらんよ へのコメント


なんで、一時帰国なんていってるのか、おれにはわかんないんだけど

北の国?(国じゃないか)にいる家族は強制帰還じゃよ、

んで金なんとかっていう不審なやつは逮捕じゃろ、


本多信介  きれいごとはいらんよ 2002年10月16日(水)22時20分00秒
拉致事件/グラウンド・ゼロ/バリ島大爆破事件 へのコメント


おこれーー、

おれの子供が殺されたら、絶対に犯人、殺すぜ、


辻井 豊  すいません、“辻井”です。m( )m 2002年10月15日(火)23時30分15秒
拉致事件/グラウンド・ゼロ/バリ島大爆破事件 へのコメント

 小泉首相の発言、某サイトからのコピーです(2chじゃないですよ)。

メディア:「(北朝鮮は)けしからん国だ。(日本人を)誘拐して、拉致して殺してしまう」

某サイト:上の発言プラス、「日本はいろいろなことを話し合って進めて来た国なんです。それを、その場を蹴って帰って来いとか、現体制とは話し合うなという極端な話が出てくる。(中略)日本はアメリカとは違うんです」

 音声や、映像のソースはないので、信憑性はなんとも言えません。でも、伝え方によって、随分、印象が変わって来ます。
 普通に暮らしているつもりでも、知らないうちに、何色かに染まってしまう。自分の勘だけが頼りなんて、情報がこんなにも氾濫しているのに……。

 Air-H"128Kにしてから、ますます2chにハマッテいます。染まってしまいそう……。

吉木克実  音の語り部 2002年10月14日(月)04時19分05秒

02:40。帰宅して何気なくテレビのスイッチを入れました。
そこにたまたま出てきた映像は何と伊福部昭氏!!
NHKの特集です。
最後まで見終わって、音楽は好きだけれど、日本クラシック界の序列主義あるいは権威主義的な印象から、
食わず嫌いだったクラシック音楽に対する見方が、まさに音を立てて崩れました。
以前から、この掲示板で度々話題に上ったり、勇崎氏の血縁者でもあるということで、
多少興味をくすぐられてはいたのですが、興味の順番としてはまだ少し後の方に位置していました。
映画音楽の製作に携わった伊福部氏の発言。
それは、あの「ゴジラ」の主題曲に関してでした。
「音楽なんて確かにでたらめみたいなもんだけど〜」
ここで一つ目の感激。
でたらめはちょっと言いすぎかとは思うけれど、所詮作られたものということで、「現実」「事実」とは確かに違う。
この人は、ここまで言うか・・・
強烈な一撃です。
私は、「ゴジラ」という映画は好きではありません。
円谷監督の特撮も、平べったい遠近感がたまらなく嫌いです。
それはさておき、伊福部氏が、実物を見ないと曲が書けないと円谷氏に、まだ誰も見ていないゴジラをみせてもらうエピソードが語られたとき、
ひとつの確信が私の中に湧き上がりました。
「語り部だ」。
いわゆる主題曲と総称されるものは、確かに物語の展開や結末を暗示しているものが多くあります(当たり前か)。
しかし、伊福部氏の作品は、客観という他者の目よりむしろ、ストーリそのものの、いわば部品としてその中に組み込まれ一体となって「動く」ように作られている。
ストーリーに流れる主観(あるいは主体そのもの)でありながら、そのにおいを表に見せず、
ただ流れる・・・
ゴジラの鳴き声を作ったときのエピソードもまたなかなか。
「哺乳類的だ」とか、科学する目で音を捉えようとしている。
門下の人々の氏に対する評価も、一般的な音楽家のイメージと異なり、実にヒューマニスティックです。
「一風変わった」「ほかの教授陣とは異質な・・」「教え込むというより、まずは大きく育てる」。
ふ〜む・・
偉大な音楽家というより、ストーリーテラーとでも言うべきか・・・
まさに、語り部という表現がぴったり。
ほかにも多くの作品を残し、「映画音楽家」としての伊福部氏の評価は確かに高いのでしょうが、
監督よりも、時には原作者よりも深く主題を語ろうとするその姿に、人間「伊福部昭」の素晴らしさを感じました。
確固たる哲学を持ちながら、おごらず、平易な言葉でやさしく、しかし力強く語る伊福部昭。
私の感激は、おそらくあの小泉氏の「感激した!」より大きいものだと思います。

優れて人間的な自然科学者伊福部昭氏に乾杯!


寮美千子  拉致事件/グラウンド・ゼロ/バリ島大爆破事件 2002年10月14日(月)01時54分34秒 http://ryomichico.net


拉致問題をはじめ、いろいろと思うところがありましたが、多忙ゆえ、きちんとした書き込みができずに、自分でも歯痒く思っていた寮美千子です。そこへ、バリ島の大爆破事件。衝撃を受けました。テロを起こした人々に強く抗議するとともに、犠牲者を心から悼みます。そして、このようなテロ行為が起きることのない世界を実現することを、深く深く願います。そのために、わたしたちは何をしたらいいのだろう?

▼拉致問題について
正直いうと、わたしは「拉致」に関して、疑惑を感じていたひとりでした。でっちあげであると確信していたわけではないけれど、仮想敵をつくりあげるための日本側の過剰報道ではないかと疑う気持ちがあった。それが、今回北朝鮮が「あっさりと」白状したので、本当にびっくりしました。そして「本当だったんだ」を改めて驚いた次第です。

「だから北朝鮮は怖い」「信用できない」という声がある。確かに、北朝鮮はすべてを明らかにしたわけではないと思います。けれども、事実の一部を認めた北朝鮮は、開かれつつあると思う。「国交回復などけしからん」という意見もあるけれど、国交を持たずしてどうやって話し合っていくのか。交流をしつつ、少しずつ真実に近づくしかないと、わたしは思います。

国家も、人と同じように精神を病むことがあるのではないか、とわたしは感じています。拉致などというクレージーで効率の悪い手段に出た北朝鮮という国は、やはり病んでいるとしか思えない。まるで、スパイ映画を見て、すっかりその気になってしまった電波な人の行動のようです。なぜ、北朝鮮がそのように病むことになったのか。それが問題だと思うのです。そして、そのような病み方をしないためには、どのようにしたらいいかを、根本的なところから探っていかなければならないと思う。

病んでいるといえば、アメリカもまた病んでいる。自我の異常な拡大。全能感を否定されると、過剰にヒステリックに攻撃に出る。

それを諫めるべき立場にある日本は、諫めるどころか、茶坊主状態。日本の行動は、まるでギャング映画に出てくる、ボスの顔色ばかり伺って、強い者には頭を低くし、弱い者にいばる、とても貧相な人物のように思えてならない。ああ、情けない。

「拉致」で被害者としての日本人がマスコミにクローズアップされているけれど、加害者だったことはまるでなかったかのような素振り。日本人による朝鮮人強制連行と強制労働という巨大な拉致事件を、改めて振り返るべきではないか。その報道は、あまりに少ない。その不均衡がとても気になります。
これをよい機会とし、日本が、アジアの国々とともに歴史を振り返り、また、ともにそれを精査し、まず何をなさねばならないのかを、「ともに考える」べきだと考えます。
わたしも、吉木さんのこの意見に賛成です。

▼グラウンド・ゼロという言い方への違和感
アメリカが、世界貿易センタービルの跡地を「グラウンド・ゼロ」と呼び、日本のマスコミもそれに追従していることに、違和感を覚えずにはいられません。グラウンド・ゼロとは本来「原水爆の爆心地」という意味。原水爆のような、広範にわたる地域を壊滅させる巨大爆弾だからこそ、爆心地の特定が必要になり「ゼロ地点」という言葉が生まれたわけです。

世界貿易センタービルは、確かに大惨事だったけれど、そのような武器を使用したわけではない。武器は旅客機2機。本来武器として人を殺すために開発された原水爆とはまったく異なるものです。それなのにあえて「グラウンド・ゼロ」と呼ぶ。原水爆と同じ用語をあてはめてみる。そこに「こんなにひどい被害を出したんだ」と、ことさらに被害者意識を煽るような言葉遣いを感じないではいられません。

▼被害者と加害者の関係を超えて
ここにも、日本と北朝鮮の拉致問題と同じ構図が見える。被害者であるアメリカはまた、かつてのもっと巨大な加害者であった。それが、被害者の立場になったとたん、自己の被害ばかりをクローズアップする。相手をヒステリックに攻撃する。

「おまえも加害者だったのだから、被害者ぶるな」というつもりはありません。元加害者には、被害者だと声を張り上げる権利があるのないの、という話では、全然ない。

そのように、被害者だったり加害者だったりした、その一連のことを互いに認め、他方を責めるばかりでなく、こちら側にあった非も同時に振り返らなければいけない、ということだと思う。そして、その「非」は、過去形のことばかりではないと思うのです。

▼アメリカのイラクへの武力攻撃に反対する
10月10日、アメリカの議会は、ブッシュ大統領にイラクへの武力攻撃の権限を与える決議をいずれも賛成多数で採択しました。
http://www.asahi.com/international/update/1011/001.html
暴力と殺戮から、平和は生まれない。あらゆる手段を講じて武力攻撃を回避しようとするところからしか、真の平和は生まれない。

アメリカが求めているのは平和ではない。武力と経済力による支配による世界の安定。自国の反映と利益。そのような安定でもいいからと、安定を求める人もいるでしょう。そういう人が多ければ、世界はそのような「乱暴者」の言いなりになる。

けれども、そうでない世界をわたしはこころから求めます。日本政府は、アメリカのイラク攻撃に反対する声明を出すべきだと思います。

▼バリ島の大爆発について
アメリカのアフガニスタンへの報復攻撃の時、きちんと反対表明をしたのは、中国と、そしてインドネシアのメガワティ大統領だったと思います。インドネシアは世界最大のイスラム教徒人口を抱えているという背景もあっただろうけれど、報復攻撃にはっきりとノーといった女性の首相を、わたしは頼もしく感じたものでした。勇気を持ってまっとうなことを語った首相のいる国で、こんな事件が起きるとは! 理不尽だと感じないではいられない。やるせない気持ちでいっぱいです。

目的達成のための殺戮は、テロであろうが戦争であろうが何であろうが、すべて否定されるべきであるとわたしは思いますう。「あんたがそう思っても、実際に殺しあいをする世界なんだから、黙って殺されるわけにはいかないんだよ。報復しなくちゃ」という声も聞こえてきそうだけれど、それでも、人殺しはいけない。わたしは心からそう思う。

辻さんが以前に書いてくれた心情は、きっと多くの人の心情と重なる正直なものだと思う。そのような「多数派」の心をも汲みながら、真の平和に向かうためにはどうしたらいいのだろうか。指をぱちっと鳴らして解決するような、そんな方法は存在しない。ゆっくりと「大切なこと」を語り続けるしかないのだろうと思っています。

吉木克実  ひとりよがりかな?アジアの良心(長文御免) 2002年10月04日(金)21時08分37秒
拉致と帰属/四方田犬彦氏原稿 へのコメント

あえて誤解を恐れず言うならば、拉致疑惑は日鮮両国間にそれぞれ存在するもので、
また、北朝鮮工作組織による拉致事件は平時の国家による犯罪とするのは、
平和ボケした我々日本人側からの一方的な見方に過ぎないと思います。
北朝鮮は、先の大戦以来独自の主体思想体制の下、
常に独自の共産主義革命の実現を目指していたわけであり、
現に、日本とは政治的には戦争状態を終わらせてはいないのです。
かつての共産主義の目指した理想が、党幹部の特権階級化、政治的腐敗という、
きわめて人間的な理由からも疑わしくなり、また、
世界の共産主義国家が、党指導部自体の政治的理論的力量の低下もあいまって、
社会資本主義との境界があやふやになってきた現在の情勢でも(だからこそ)、
北朝鮮という体制にとって、「日本国」とは、北朝鮮人民に対する政治的プロパガンダのためにも、
必要不可欠な相手に他ならなかったのではないかと思うのです。
国民を良くも悪くも、盲目的に導くためには、ひとつ強大かつ国民共通の「敵」を
作り上げるのは、実に有効な手段です。
それは今のアメリカ政府がとっている行動とも重なりますが、それはさておき、
今まで長々と述べてきたのは、「盲目的」について言及したかったからです。
かつて(?)我が日本国も「南京大虐殺」、「慰安婦、労働者の強制(連行)」、
また、「皇民化教育の後、兵士として徴用」等、いろいろ物議をかもしました。
それらに対し、「存在しなかった」と主張する人々を見ていると、
つい最近まで朝鮮総連が「拉致など存在しない」という主張を繰り返していたのと重なり、
なにやら複雑な気分になってきます。
「首領は決して過ちを犯さない」。
これは、かつての日本の様相と見事に重なります。
御前会議で、昭和天皇が熱心に開戦を主張し、その「赤子」に、
命をささげよと勅令を発し続けたのでしょうか。
私には知る由もありませんが、「勅令」「大本営発表」により、
日本国民が大きく動いた(領導された)のは事実としか思えません。
「盲目的追従」、これこそがすべての根源であり、日鮮両国民の犯している過ちなのではないでしょうか。
「伝聞」にしろ、「メディアの報道」にしろ、それを読み、聞くものは、
それぞれにそれを咀嚼し、時には疑いを持ちつつ解釈する行為が必要に思えます。

拉致被害家族の方々の怒りは、想像するに余りあります。
しかし、ここで北朝鮮に対し宣戦布告し、(日本が全面的勝利を収めたとして)北朝鮮人民の
血によってその怒りを流し去ることができるのでしょうか。
「盲目的追従」によって新たな悲しみと、
また新たな「怒り」を生み出すことにしかならないと私は考えます。
私自身、中国や、北朝鮮、韓国政府の主張する、戦争被害者の数をそのまま信用できるとは、思っていません。
相手の過ちに対し、声がより大きくなるのはいたし方ありません。
同時に、自分の過ちは認めては不利になります。
しかし、確かに統計的数字の正確さも大事ですが、事実の把握はそれ以前の問題であり、
なされなければならないことです。
これをよい機会とし、日本が、アジアの国々とともに歴史を振り返り、また、ともにそれを精査し、
まず何をなさねばならないのかを、「ともに考える」べきだと考えます。
アジアや、南方の島々に対しとった日本の政策が正しかったとは思いませんが、
それまでの「欧米諸国による」植民地支配からの解放のきっかけとなったのも、確かに事実です。
それらをきちんと整理しなおし、互いに認めるべきは認め、謝るべきは謝る。
感情は押し殺し、そういった当たり前のことから、今こそ始めるべきなのではないのでしょうか。

世界の警察はアメリカなのかもしれない。
でも、アジアには良心が歴然たる力として存在する。
そうなれたらいいなあと、思う最近の私です。

勇崎  訂正と補足させてください 2002年10月01日(火)03時19分18秒
四方田犬彦氏の提議によせて思うこと へのコメント

先ほどの投稿に、一部言葉足らずで、誤解をもたらす表現をしてしまいました。
以下のように訂正させてください。

誤「北朝鮮側メディアのお門違い?な論調」
正「北朝鮮側メディアの、拉致被害者とその家族の心情を顧みず逆撫でするような、お門違い?な論調」

勇崎  四方田犬彦氏の提議によせて思うこと 2002年10月01日(火)02時58分48秒
拉致と帰属/四方田犬彦氏原稿 へのコメント

  
 まず、四方田氏の提議をこのWebに転載下さり、ひとつの指標を紹介いただけたことを感謝いたします。

 拉致被害にあわれた当事者やそのご家族の苦悩と苦痛は、僕自身のどの体験にあてはめても想像することが出来ぬほど、底知れず激しいものと察します。拉致問題がメディアで報道されるたびに、そのように察して余りある、激しい怒りと悲しみへの深い同情に襲われながらも、思いがもうひとつの方向へと出向いてしまいます。それはとても皮肉なことですが、ご家族の想像もできぬほどの心境を垣間見ることで、かつての歴史上の事実への想像を逆にリアルに働かせてしまったのです。

 終戦までの35年間に及ぶ日本の植民地支配の時代。朝鮮の人たちを日本に強制連行し、いわゆるタコ部屋に監禁して、家畜の以下の扱いで死に至らしめる労働を強いたうえ、死者をゴミのように捨てたり、モノのように焼却した歴史の事実が頭をかすめ、当時の朝鮮の人たちが抱かれたであろう怒りと悲しみにも想像が至り、その皮相に僕の感情と思考は混乱をきたし、やりどころのないどんよりとした思いで、いつもどうどう巡りをしてしまい、心を着地できずにいます。

 このような僕のモノ言いは、四方田氏の原稿中にもある「かつて天皇の軍隊のために性奴隷とされた朝鮮人の家族たちが受けてきた悲しみと苦痛を思い出せと論じた」とする北朝鮮側メディアのお門違い?な論調にも類似しており、自嘲して、ますますどんよりしてしまいました。
 拉致などという行為は、絶対に否定したい。しかし、日本のかつての行為は戦時下に行われたことであり、いま報道されている拉致事件は平時に起こったこと、というバイアスをかけて、日本のメディアが煽っているような憎しみを深める方向にはどうしても向かえないのです。

 どうどう巡りのなかで、最近ふと頭をかすめたは、北朝鮮はいまも“戦時下”にあるのではないか、という仮説的認識です。そのような認識にたてば、憎むべき対象は“戦時下”という状況なのであり、国民とか民族ではない、と少し冷静になれるような気がする。しかし、少し冷静になれたとしても、それは認識への一枚目の扉を開けたかどうかに過ぎず、どうしたらこの世界から“戦時下”が無くなるのか。そこが解明されない限り、心を解決できる部屋にはたどりつけないのです。

 それにしても、「現在に日本社会がもっとも必要としているのは、日本人の帰還である以上に、逃げ延びてくる朝鮮人に対していかなる歓待の掟を築き上げるかという問題である」という四方田氏の提議の鋭さとリアリティに比べ、僕の思いは、あまりにも幼稚で、センチメンタル過ぎますね。幼子とともに亡命を求めた家族に、怒りで震えるほど破廉恥な対応をした某国の領事館の振る舞いを思うと、四方田氏の提議を換言し、「“戦時下”から逃げ延びてきた人をどのように“歓待する掟を築き上げるか”」へと、思いを巡らせてみたいと感じました。

辻井 豊  選択肢が変わったかもしれない 2002年09月30日(月)08時48分58秒
拉致と帰属/四方田犬彦氏原稿 へのコメント

 四方田氏の原稿を読んで思ったこと。

 17日以降の私の家の者の反応。
 17,18日:テレビの拉致報道を見て、「悪いのは北朝鮮やろー」
 19日以降 :テレビの拉致報道を見て、「もう飽きた……」で、チャンネルを変える。

 少なくとも、私のまわりの日常は、あんまり変化しているようには見えません。でも、17以前の私達とは、これから色んな場面での選択が変わっているかもしれません。
 一方、2chでは、一時の狂乱ぶりもすっかり収まっています。今は、拉致は無かったと発言していた人達と、その変節振りの晒しあげが行われています。半島叩きは、いつもの通り。
 メディアの熱狂ぶりとは裏腹に、少なくとも、私に見えている範囲は、以外に冷静。それが、今回の総理訪朝での、私の感想です。
 四方田氏の懸念は理解できます。でも、実感が湧かない。それが一番危険なのかもしれないけれど。これからの選択には、今まで通り、実生活上での判断が最優先。でも、17日以前とは違う。朝鮮半島から、難民があふれた時、私はどんな選択をするか。それ以前に何をすべきか。いまのところ、確信をもって言えることはありません。自身の生活に余裕が無い時、他者を思いやることは、難しい。本当に余裕が無いわけではないけれど……。

 明石隼汰様、大長老様、レスありがとうございます。
 これからも、あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、思いを重ねてゆきます。

寮美千子  拉致と帰属/四方田犬彦氏原稿 2002年09月29日(日)04時18分51秒 http://ryomichico.net

9月28日、四方田犬彦氏より、来週NEW YORK TIMESに掲載される予定の四方田氏の原稿(英文)の日本語訳がメールで届きました。「22日にバンコクから帰国して、ぼくをおそったのは日本における異常なまでの拉致キャンペーンでした。ながらく韓国社会を日本の側から見つめてきた者として、ここでキチンと発言をしておきたいとおもいます」とのことです。四方田氏のご了承を得て、ここに転載させていただきます。
▼拉致と帰属――日本海を渡航する    四方田犬彦

日本海は渡りやすい海である。6世紀から10世紀にかけて、成立したばかりの日本という国家は朝鮮半島に次々と現われたシルラ、コグリョ、パルヘといった国々と使者を交換し、彼地を通して先進の中華文明の取得と交易に勤めたが、それらはもっぱら日本海を通して行なわれた。航海技術が充分に発展していなかった古代において、安全な航路を選ぶことはきわめて重要なことであった。日本と朝鮮半島の間にさながら巨大な湖のように横たわるこの海は、日本文化が独自のものとして築き上げられる時期に、化学でいう触媒の意味をもっていたといえる。ポール・ヴァレリーはこの海が、ヨーロッパにおける地中海に似た文化史的役割を担っていたのではないかと夢想したが、それはけっして的はずれではなかった。

20世紀の後半、朝鮮半島が南北に分断され、冷戦体制が不動のものとなったとき、この海はふたたび多くの渡航者を抱えることになった。北朝鮮の秘密工作員たちは機会あるたびに海を渡り、夜の闇に乗じて海岸に上陸した。彼らは日本国内にいる一部の朝鮮人と緊密な連絡をとりながら情報収集を行なった。韓国から日本にきている留学生を言葉巧みに籠絡すると、彼らを秘密裏に北へ送り出して、スパイに仕立てあげるのだった。このきわめて渡航しやすい海は、ゴムボートを用いるのに最適の空間だった。

9月17日、日本の小泉首相がこの海をうえを飛んでピョンヤンに日帰り旅行を行ない、北朝鮮の金正日総書記と会見した。その結果判明したのは、1970年代からこの方、北朝鮮の工作員に拉致された日本人11名のうち、わずか4名しか生存していないという事実だった。犠牲者のなかには、拉致された時点でまだ十三歳だった少女も含まれていた。金正日は拉致に関して公式に謝罪したが、それは北朝鮮のメディアでは明確には発表されなかった。

ニュースが伝えられると、日本国内はただちに騒然となった。メディアを通じて大掛かりなキャンペーンがなされ、犠牲者の家族たちの発言が大きく報道された。もっとも現在の時点では、詳しいことは何ひとつ明らかとなっていない。拉致されたのが本当に11名だけだったのか。死亡者はどのように死亡したのか。死亡と発表された人物をその後目撃したという、元北朝鮮工作員の証言を、どう理解すべきなのか。さまざまな謎が残るなかで、日本人の間には、ふたたび帝国主義時代に培われてきたあの古い偏見が頭をもたげようとしている。それは「やっぱり朝鮮人は恐い」というものである。

日本人拉致問題が報道されたとき、韓国側が感じたのは、北朝鮮に対するさらなる怒りであった。というのも、朝鮮戦争が1953年に休戦を迎えてこの方、南側からも500名近い人間が北に拉致され、消息不明となっているからである。金正日はかつての敵であった日本に謝罪をしたものの、どうして同胞であるはずの自分たちには同じ謝罪をしないのかというのが、彼らの主張である。一方、北朝鮮側は、日本人数名が死亡したことをもって日本側が度を越した敵対意識の宣伝をしていると非難し、かつて天皇の軍隊のために性奴隷とされた朝鮮人の家族たちが受けてきた悲しみと苦痛を思い出せと論じた。

日本という国家は、あらゆる場合に日本人と非日本人を峻別し、前者には帰属と帰還を要求する。敗戦した直後に旧満州地域で置去りにされた植民者の子弟が、共産党政権下の中国で生存していることが判明したときにも、日本のメディアはこぞってメロドラマの論理のもとに大騒ぎをした。彼らが本当に日本人であるかが調査され、審査に合格した者は帰国を許された。だが帰国者の少なからぬ部分は、日本社会に適合できず、さまざまに不幸な事件が生じた。

今回の大騒ぎでわたしが奇妙に思ったのは、日本、南北朝鮮のいずれもが、拉致に先だって日本海で生じた、きわめて大規模な人間の移動にいささかも言及しないことであった。1959年から84年の間に、およそ9万人の在日朝鮮人が、北朝鮮こそは「約束の土地」であり、地上の天国だというスローガンを信じて、「故郷」に帰還している。彼らはただちに新国家の実態に幻滅したが、もはや日本に戻ることはかなわなかった。それどころか彼らはスパイの可能性をもった危険分子と見なされ、ごく少数の例外を除けば辺境の鉱山や荒地、さらには収容所に住むことを強制された。日本に残された家族は、人質同然となった彼らの安全を願ってせっせと日本円を送金し、日本国内の北朝鮮人組織に献金することを強いられた。それはこの奇妙な独裁国家を支える強力な経済基盤となったばかりでなく、在日朝鮮人の生活を歪んだ不自然なものとした。ひとたび「祖国」を信じて渡航した人々にいかなる悲惨が到来したかは、日本ではほとんど報告されていない。かつて日本国籍をもち、日本人として戦地に赴いた人たちの末裔が、11名の日本人と同じく恐怖と孤独のうちに生き延び、死んでいったことには、いささかも関心を払おうとしない。だが、この「帰国者」の存在は北朝鮮の問題である以上に、日本社会の問題であるのだ。

わたしが真に恐れているのは、現在の加熱した拉致報道が契機となって、日本の若い世代に新たなるracismの動きが生じることである。日本が朝鮮を植民地支配して9年目の1919年3月、朝鮮半島の全域にわたって独立運動が生じ、日本人ははじめて抵抗する朝鮮人の姿を目の当たりにして、強い恐怖を体験した。その反動として生じたのが、4年後の東京での大地震にさいに生じた朝鮮人大虐殺であった。今回の拉致騒動がこうした日本人の無意識に眠る恐怖心をふたたび覚醒させてしまうとすれば、その後にいかなる心理的補償作用が生じるのか。それがグロテスクな憎悪の形をとらないことを、わたしは願ってやまない。

繰り返していう。日本海は実に渡航の簡単な海である。近い将来に、アドリア海や南シナ海のように、この海がわずかな全財産を手にした人々の乗る小舟で溢れないという保障は、どこにもない。日本政府も日本社会も、予想されるべき北朝鮮からの難民の対応をめぐって、いかなる共通了解をももちえていない。現在に日本社会がもっとも必要としているのは、日本人の帰還である以上に、逃げ延びてくる朝鮮人に対していかなる歓待の掟を築き上げるかという問題である。

大長老  おーい 2002年09月12日(木)03時54分32秒 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8863/rojin/rojin_index.html
油まみれの水鳥の亡霊 へのコメント

野菜を育てるのではない。土を育てるのです。

さて、辻井さん。あなたの書き込み、全てを賛成するわけではないですが、
あなたの書き込みには、土からはじめる姿勢を感じましたので、共感してるよー、
と、表明致しておきます。ぜい弱な土からはひょろひょろと背の高い木しかはえませんからね。
とても有意義な書き込みでしたよ、あなたの書き込みは。

小生的には、右だ左だなんて40年前におわっててますよ。
あなたは、あなただ。あなたは孤です。ゼロから裸眼で思考してくださいまし。

全体的には、あなたの思考方法、
北の国からの泥のついた2万円みたいで、ほんとーに、共感してるよ。敬具。

ピーエス。北の国からは、札ビラや数字としての金額ではなく、
ブツとして、一枚一枚のお札を凝視つづけてたドラマとして俺は好きでした。
広島の事はねー、気持ち悪いのはわかるけど、
ちんぼこにぎってさー、腹括ってなれろよ、おまえ、、それだけのこと。

明石隼汰  喜納昌吉 2002年09月11日(水)21時28分49秒 http://www.holopla.com/
やっぱり、私は右よりなんだ。 へのコメント

先日、喜納昌吉&チャンプルーズを
彼の経営する那覇・国際通り「チャクラ」で見てきたんだけど
彼がうまいこといってました。
「私は右翼でも左翼でもないの。なかよく。」
僕も〜!

http://www.champloose.co.jp/

寮美千子  尾仲浩二写真展 MATATABI-9 2002年09月11日(水)05時33分51秒 http://ryomichico.net
尾仲浩二氏のシリーズ展in新宿pgg へのコメント


新宿のファトグラファーズ・ギャラリーで開催中と、ドロンコ氏よりの報告。
ありがとう!

ファトグラファーズ・ギャラリーって、
写真家の北島敬三さんたちが開いたギャラリーなんだよね。
北島さんには、何度かお目にかかったことがあるけれど、
ギャラリーにはまだ行ったことがないのです。行かねば!

ギャラリーのサイトを見たら、なんと本日9月11日、
ギャラリーにて東川のビデオライブ&ミニコンサートがあるらしい。
夜の7時より。うーん。
わたしはきょうはむずかしいけれど、みなさま、ぜひ!


北島さんといえば、2000年4月に横浜で開催された
彼の個展を見に行ったのがはじめての顔合わせだった。
PORTRAITS というタイトルの個展で、女性も男性もすっぴんの素顔、
みんなに一様に白いYシャツを着せ、表情すらもなくしたという写真だった。
強烈だった。

今年の7月13日、新宿のバー「風花」で中上健次を偲ぶ朗読会があり、
そこで映写された北島さんのニューヨークの写真もすごかった。
わたしはすっかり「あたって」しまった。
湯あたりの、あのあたっちゃうである。
ぐらぐらして、ぐったりしてしまったのだ。
北島さんの写真は、ほんとうに「強い」。


ニューヨークといえば、きょうは9月11日。
あれから一年。
TVでもずいぶん特集番組を組んでいる。
ニューヨークのテロのドキュメントを見て、改めてショックを受けてしまったけれど、
あれから一年の間に、アメリカの報復でどれだけの人が傷つき、命を奪われ、
まっとうな日常生活を奪われたのだろうか。
それもまた、ニューヨークの出来事と何らかわりない「ひどいこと」なのに、
ニューヨークのテロ事件のようなショックとはどうしても別扱いされてしまう。
「気の毒な人々」として同情こそすれ、「明日はわが身」とは考えない。
同列に見ていないのだ。
人間らしい生活を奪われる。それは同じことなのに。
どこまでいったら、それを「わが身」と感じられるのだろう。
わたし自身も含めて。


しかし、あれ以来、都市という存在が、よりヴァーチャルなものに思えてきた。
深いところで「これは幻影である」と感じるようになった。
自分の食べるものを、一生の間生産しないで生きる。
そんな人々ばかりで構成された「都市」が、まるで世界そのものであるような誤解。
それは、世界の一部でしかなく、
その世界の一部である都市を支えているのは、
都市ではないところで生産された食べ物、それを生産した人々なのに。


いろいろいいたいこと、伝えたいことがあるのに、現実で手一杯、
なかなか書き込めない。残念。辻さんの「右寄り」の話も、とても興味深い。


尾仲さんの個展開催中のフォトグラファーズ・ギャラリーのサイトはこちら。
本日の案内もあります。

http://www.pg-web.net/

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