ハルモニア Cafe Lunatique (No.0012)

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寮美千子  「遠TONE音」と伊福部昭/レビューにアップ 2002年06月14日(金)23時27分11秒 http://ryomichico.net
6/6報告その2『日本狂詩曲』道内初演 へのコメント

▼リトさま

「日本狂詩曲」の道内初演のレポートの連載第2回、ありがとうございました。リトさんの素直な心の震えに、心洗われる思いでした。
聴き終えて思ったのは…。なぜ67年なの?オレだって色々なクラシック聴いたけど、そりゃ人それぞれ好みはあるにしてもこんな美しい曲、なぜ北海道の音楽人はやろうとしなかったの。という正直な気持ちでした。

この曲を作った時の札幌の仲間〜音楽評論家・三浦淳史、作曲家・早坂文雄、昭氏に多大な影響を与えた兄〜宗夫、勲の両氏、そしてアイ夫人はもういないのです。毎年毎年同じ西洋の同じ作曲家の同じ作品を演奏する機会も時間もあったなら、なぜ『日本狂詩曲』がやっと演奏されたのか。by リトさん
西洋音楽崇拝の姿勢の強かった日本の音楽界の不明が、わたしも残念でなりません。「情報」や「文脈」に惑わされ、そこにあるそのものの裸の本質を見ようとしない、という状況は、いまも変わらないかもしれない。いいものに対して「いい」という声をあげないと、情報の海の中にそれらが埋もれてしまうような気がします。インターネットが普及して、それらの情報を一部のマスコミや評論家だけが握っているのではなく、わたしちのような一般人もまた、声を上げられるようになったのは、すばらしいことだと思っています。いいものをいいということで、少しでも本物発掘の力になればと思います。

わたしは「門坂流」という画家も、そのように現代美術の文脈のなかで語ることのできない、孤高の輝きをもった画家だと思っています。文脈と無関係なその輝きを、どう言葉に転換するか。そのむずかしさを感じながらも、応援していきたいと思っています。

それにしても、リトさんのレポート、心打たれました。ぜひ続きをお願いします。カフェルナという場で、リトさんの心を感じる言葉を受け取ることができ、このような有意義な対話ができることを、心からうれしく思っています。カフェルナは、このような場でありたいと願っています。

▼「遠TONE音」と伊福部昭/ふたつの北海道音楽 をレビューにアップ

リトさんのレポートに触発されたのと、昨日「遠TONE音」という、やはり「北海道」を音楽の基底において作曲演奏をしているというトリオのコンサートを聴いたことに触発され、レビューに小論文をアップしました。

「遠TONE音」と伊福部昭/ふたつの北海道音楽 と題したもので、わたしが感じた伊福部昭の音楽の本質について書いています。ぜひご覧になってください。こちらです。

review0003.html#review20020614225846

目玉おやじ  「元発言をよく読む」だけでは足りない場合もあります 2002年06月14日(金)18時24分33秒
お願いだから、元発言をよーーーーーく読んで!(大泣き) へのコメント

例えば僕がAさんの発言を拝見して何か意見を感じてコメントを投稿したいと思ったとします。
もしもAさんの発言が「言い出し発言(つまり新スレッドの先頭)」である場合はまだしも、
誰か他のBさんの発言に対してコメントしたものである場合は、そのBさんコメントをも、
よく読まないと、Aさんがどうしてそういう意見になったのかを「正しく」理解できない。

更に、「言い出し発言」の場合でも、Aさんがそういう意見を考えた背景は、きっと掲示板の
過去記事に関連しているケースがあるだろうから、普段から足繁く掲示板をウォッチして、
みんなの意見傾向や、考え方の傾向を自分なりに理解していた方が良いと思う。

まあ、これらを完璧にこなすのは「理想」ですけど、努力する必要はあると思います。
特に「賛同意見」じゃなくて、「反論」とか「助言」などを書こうとする場合にはね。

寮美千子  お願いだから、元発言をよーーーーーく読んで!(大泣き) 2002年06月14日(金)15時18分52秒 http://ryomichico.net
ぼく、もう、アキマヘンね? へのコメント

わが友ドロンコ氏は、またもやわたしの発言をよく読まないで誤読しちゃったようです。ドロンコ氏いわく
寮さんの発言に対するぼくの誤読と、それが寮さんをかくまで苛立たせるのは、きっと、寮さんとぼくの「考え」のトーンの違いに由来するのだろうと思います。
トーンの違いは何も関係ありません。よく読んでください。わたしは「他者の発言をよく読んでから応答してください!」と、呼びかけているだけです。ドロンコ氏だけでなく、あらゆる参加者に呼びかけています。それは、トーンの違い云々以前の問題です。
そもそもぼくは、今回の「ゴジラの時代」展のことについて、あまり進んで書きたかったわけではないのですが――。
ドロンコ氏は以前の発言で上記のように書いていますがこれも明らかな誤読です。よく見てください。わたしはこう書きました。
突如として「ヤノベケンジ氏VS松永青年」の対談が実現。わたしはスケッチブックに向かって自作のお絵描きにいそしんでいたため、ちゃんと参加できませんでしたが、ふたりは忌憚ない意見交換をして別れた模様です。真夏を思わせる一日にふさわしい、爽やかな交歓風景でありました。レポート待望。
この文脈で、誰に向かってレポートを請求しているのか、フツーわからないでしょうか? ドロンコ氏は、「レポート待望」は自分に向けられたものだと下記のように早合点しています。
「レポート待望」というと、その場にいた顔見知りはぼくぐらいなものなので、寮さん直々のご指名と観念してご報告してみます。> 蛇足的レポート――発奮せよ、川崎市民! byドロンコ氏 より
明らかに誤読です。わたしは、ご多忙のドロンコ氏に過剰な負担を強いたりしません。

耳の穴をかっぽじって、よーく聞いてください。穴ボコ掘って、そこにわたしの頭を突っこむくらい頭を低くしてお願いしますから、わたしのお願いを聞いてください。トーンの違いも考え方の違いも思想の違いも、なんにも関係ありません。それ以前の、コミュニケーションに関する基本的な問題です。最低限のルールです。

他者の発言をよーーーーーく読んでから、応答してください!

あーあ、一言ですませるといって、またエネルギーを使ってしまった。(泣)

そろそろわかってよ、ドロンコ、お願いだよ(泣)。「ざっと読んだ」「印象」で答えないで、わたしが何を言いたいか、よく読んでよ。お願いだからさあ! ねえ(涙涙)。わたしが苛立っているのは、きみがわたしの発言をよく読まないで、すぐに応答し、見当はずれなことを連発するからなんだよお!(泣)

追伸:これは、きみを責めてるんじゃなくて「愛」ゆえに、対応しているっていうことを、どうか「よく読んで」理解してください。くれぐれも誤読しないでね。よく読んで応答してくれるんなら、ドロンコ氏はいつでも歓迎です。

DORONKO  ぼく、もう、アキマヘンね? 2002年06月14日(金)14時20分25秒
ともかく「元発言」をよく読んでから応答してくれ!(泣) へのコメント

寮さんの発言に対するぼくの誤読と、それが寮さんをかくまで
苛立たせるのは、きっと、寮さんとぼくの「考え」のトーンの
違いに由来するのだろうと思います。そして、このような違い
というものは、ぼくがさらに注意しようとしてみたところで、
容易に解消されるものではないだろうと思います。

とすると、ぼくにできることはただ一つ、意味もなくここに
出没したりするのはやめる、ということしかないだろうと
思います。そもそもぼくは、今回の「ゴジラの時代」展のこと
について、あまり進んで書きたかったわけではないのですが――。

寮さんには、重ね重ねの誤解を招く書き込みについて、改めて
お詫びしたいと思います。

このテーマについては、ぼくはもう沈黙させてもらうことに
します。


寮美千子  ともかく「元発言」をよく読んでから応答してくれ!(泣) 2002年06月14日(金)13時31分57秒 http://ryomichico.net
感謝とお詫び。 へのコメント

▼レビューに対する誤読の訂正

岡本太郎美術館の「ゴジラの時代」展ワークショップについて、わたしがレビューで書いたレポートについて、まだ誤解が解けないようなので、説明したいと思います。ドロンコ氏のこの部分が誤解です。
――ただ彼らは、さまざまな年齢の人間を一度に相手にすることには慣れていなかったのでしょうし、とくに、子どもたちと一緒に何かの作業をするという経験は、お世辞にも豊富ではないのだろうと思います。

だとすれば、寮さんが書いているように、もっと年齢別に分けて行なうということも検討すべきかも知れませんが(これも、寮さんの言葉通りではありませんが、どうかご容赦を!)、講師の都合や予算なども考慮すると、それも大変だろうな、という気がします。
ほんとうにお願いだから、わたしのレビューをよく読んでください。そのように誤解される書き方をしただろうかと、自分でも確かめましたが、はっきりとこう書いてありました。
そのため、子どもたちは、大人向けの解説を二時間も聞かなければならなくなった。せめて「内容は十五歳以上向けで、怪獣映画の歴史の解説など、むずかしいところも前半二時間ほどありますが、ご了承の上ご参加ください」との但し書きがあればともかく、それもなし。ほんとうなら、子どもの参加は、「実際に怪獣の絵を描いてみる」の後半二時間でもよかったはず。たとえ、子ども相手であろうと、市民が「自分の貴重な時間を割いてやってくる」ということに対する配慮の欠如した対応だったと思う。
はっきりと「子どもの参加は、『実際に怪獣の絵を描いてみる』の後半二時間でもよかったはず」と書いています。お絵描きの時間こそ、子どもの参加にふさわしい時間だったと明言しています。

4時間という長丁場のワークショップは、参加者にとってもかなりの負担です。その前半の2時間がどう見ても大人向けであるということを無視して、安易に年齢制限を引き下げた美術館の対応を、責めているのです。子どもたちはむしろ、後半だけの参加の方が楽しめたのではないか。そして、わたしは続けてこう書いています。
わたしは、黒沢明監督の「生きる」に描かれて以来綿々と変わらずにある、このような「お役所仕事」の公共意識の欠如に対して、大層イカッテいるのだが、そのことはいずれここレビューで詳しく説明したいと思う。
ここで自明のように、わたしが「イカッテいる」のは何かというと、誤解がないようにもう一度しつこく引用しますが、つぎの文脈にかかっているわけです。
ほんとうなら、子どもの参加は、「実際に怪獣の絵を描いてみる」の後半二時間でもよかったはず。たとえ、子ども相手であろうと、市民が「自分の貴重な時間を割いてやってくる」ということに対する配慮の欠如した対応だったと思う。
ドロンコ氏の前記の発言に続く以下の発言も、大きな誤解だということになります。
また、寮さんの「イカッテいる」は、「もっと真剣にやりなさい!」ということなのかな?という気がするけれど、あのようなワークショップの場で、主催者側があまりに「真剣勝負!」という感じでいたら、空気までピリピリして、オトナだって辛いと感じる人間がいるだろうし、子どもなら泣き出す子も出てくるんじゃないか?――ということだってあるんじゃないのかな?
わたしは、そんなこと全然いってないだろうがあ!!! わたしがはなはだしく誤読の余地がある文章を書いたならともかく、きちんと読めばわかることです。それをきちんと読みとろうとしないで「印象」だけで反論を語ったり、疑問を呈されると、わたしはその誤読の訂正ののために、このようにエネルギーと時間を費やさなければならない。なぜなら、わたしが黙っていると「そうか、寮さんはそういっているのか」という誤解が増殖するから。わたしは、自分の発言が誤解されることを防ぐために、モグラたたきのように、誤解を訂正して歩かなければならない。そのために、真の創作の時間も削られる有様です。

▼誤読は健全な議論を阻害する

わたしは、みんなに心からお願いしたい。平身低頭頼みたい。他者の発言に意見を述べるときには、その元になる他者の発言をよくよく読んでからにしてください。

ドロンコ氏だけではなく、自分に対して言われたのではない言葉をそう勘違いし、喧嘩腰になった人もいました。幸い、相手の人が冷静に受け止めてくれたので、大事に至らなかった。しかし、これが相手までカッとなっていたら、大変なことになるところだったと思うと冷や汗が出ます。誤解に基づくものだから、いずれ解けるにしても、それまでの時間にカフェルナに流れる時間を思うと、ぞっとします。当事者や、それをウォッチングしている人々まで含めて、心落ち着かない日々を過ごさなければならない。管理者であるわたしは、それを放置するわけにはいかず、事態の収拾に努めざるを得ません。

そして、このような誤読の最大の問題は、その誤読を解くことにエネルギーも時間も費やされ、ここで本来展開したいと思っている発展的、建設的意見交換ができなくなってしまうことです。意見が食い違ってもいい。そのために掲示板はある。本当の意味での意見の食い違いを検討できればいいけれど、防げるはずの誤読や誤解を解くために時間とエネルギーを使うなんて、まったく馬鹿げている。

わたしは、勇崎さんが「ゴジラの時代展」に寄せてくれた発言にいたく感心し、さすが企画のプロフェッショナル、具体的な提案に満ちていてすばらしいと思いました。けれども、それを語り、さらに話を発展させる前に、誤読の訂正のためにエネルギーを使い、力尽きてしまいました。ああ、もったいない! 勇崎さん、その話は、また今度にしましょう。

▼誤読に対する寮美千子宣言

わたしはもう、モグラ叩きのように丁寧に誤読に対応し、誤解を解くことをやめます。これからは「それは誤解です。元になる発言をよくお読みください」の一言ですませます。それで、元発言に再度当たってみても、やっぱりどこが誤読なんだかわからない、理解できない、という場合にのみ、丁寧な対応をすることにしました。

▼ともかく他者の発言をよく読もう!

重ね重ねお願いします。「ざっと読んだ」だけの「印象」で、安易な発言はしないでください。他者の発言に応答するときは、きちんとその元発言を読みましょう。

DORONKO  感謝とお詫び。 2002年06月14日(金)04時00分21秒
「ゴジラの時代」展を観て へのコメント

――勇崎さんのご指摘には、ウン、ウン、と頷くしかありません。

ぼくが「ゴジラの時代」展に行った当日の状況から申し上げますと、
とにかくワークショップへの参加ということが第一で、美術館には
ワークショップが始まる30分ほど前に着いたものの、それだけの
時間でしっかり見れるわけもありません。それで、寮さんも書いて
くれていたように、ワークショップの一環で、品田冬樹氏の解説
付でもう一度ざっと会場を回りましたが、これも変則的なもの
だったに違いありませんし、ワークショップは閉館時間近くまで
続きましたから、再度展示を見ようとしても、もう時間切れなの
でした。ですから、そもそもぼくには、「ゴジラの時代」展そのもの
については、ここで論評するほどの資格はなかったのです。

――ただ、そうは言っても、会場内の様子ぐらいは見ているわけ
だから、すると、ぼくの行った日は子どもたちの姿が目立っていて、
岡本太郎美術館としても、決して子どもたちの来館を拒否している
はずなどなくて、むしろ当然にも歓迎しているに違いないのに、
それにしては、展示の内容も方法も、やや学術色が強すぎるように
思えたのですね。

けれど、今回の「ゴジラの時代」展がまったくつまらないものか
というと、もちろん、ぼくはそうは思いませんでした。たとえば、
以前に、今回のワークショップの企画内容について松永氏が
疑問を呈した際にふれていた、あのオキシジェンデストロイヤー
の現物だって展示してありましたし(実に魅力のある“物体”
でした!)、ベン・シャーンの版画(ペン画?)などもありました。
それに、これだけは走り書きで書き写してきたのですが、一番
目立つパネルには、初代「ゴジラ」の脚本を書いた人物の、次の
ような言葉がかなり目立つように書かれていたりもしました。

 ぼくはこの作品(=初代「ゴジラ」の脚本のこと)を構成
 するにあたって、故意に程度を低くしたり、俗受けを
 狙ったりするような態度には出ませんでした。それどころか、
 ぼくはぼくなりに、原子兵器に対するレジスタンスを精一杯
 投げつけてみようと、それに重点を置きました。
                    ― 香山 滋 ―

それに、いくら展示が学術色の強いものだったとしても、当日
来ていた子どもたちが、みんな今回の「ゴジラの時代」展を
つまらないと思ったかといえば、そんなこともないと思うのです。
できれば、内容にも方法にも、もう少し工夫がほしかったなとは
思いますが、もちろん、結構楽しそうにしていた(と、ぼくには見えた)
子どもたちもいたのです。

そして、勇崎さんがおっしゃるように、

 ゴジラなどというテーマを美術館で扱うという岡本太郎
 美術館の決断と勇気

は讃えるに値するものじゃないかと、ぼくも思います。ですから、
ぼくも、みなさんにも今回の「ゴジラの時代」展を見に行って
いただきたいと思います。

……ワークショップについては、これも先に書いたように、ぼくは
自分のことで精一杯でしたので、なおさらに大きなことを言える
ような立場ではありません。ただ、寮さんが指摘しているように、
かなり不手際も目立つものだったということはあったと思います。

しかし、ぼくの目には、館員の方が、とくにおざなりな気持ちで
やっていたというようには見えませんでした。彼らには善意の
明るさのようなものがありましたし、彼らの姿勢は、ぼくたち
参加者と「楽しみをわかちあえたらいいな」というものでは
なかったかと、ぼくは感じています。――ただ彼らは、さまざまな
年齢の人間を一度に相手にすることには慣れていなかったので
しょうし、とくに、子どもたちと一緒に何かの作業をするという
経験は、お世辞にも豊富ではないのだろうと思います。

だとすれば、寮さんが書いているように、もっと年齢別に分けて
行なうということも検討すべきかも知れませんが(これも、寮さんの
言葉通りではありませんが、どうかご容赦を!)、講師の都合や
予算なども考慮すると、それも大変だろうな、という気がします。

また、寮さんの「イカッテいる」は、「もっと真剣にやりなさい!」
ということなのかな?という気がするけれど、あのようなワーク
ショップの場で、主催者側があまりに「真剣勝負!」という感じで
いたら、空気までピリピリして、オトナだって辛いと感じる人間が
いるだろうし、子どもなら泣き出す子も出てくるんじゃないか?
――ということだってあるんじゃないのかな?

さらには、ワークショップはぼく(たち)が参加した8日だけじゃ
なくて、翌日の9日にも行なわれたはずだし、そこからさらに、
集まった案の選考や、それをもとにしたヤノベ氏たちによる
立体作品制作などもあるわけだから、そうしたプロセスがすべて
終ってみないと、評価のしようがないということもあるかと思うし。

ぼくはぼくなりに、寮さんの書き込みは注意して読ませてもらった
つもりだけれど、ぼくの書き込みは寮さんには誤読の結果だとしか
思えず、それで迷惑でもかけてしまっているようであれば、それはもう、
本当にお詫びするしかないよね――。ゴメン!



リト  6/6報告その2『日本狂詩曲』道内初演 2002年06月13日(木)03時08分19秒 http://rito.2.hotspace.jp/

こんにちわ。2回目のレポートです。なお会場では勇崎さんとともに木部与巴仁さんの『伊福部昭 音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』の即売店員をやっておりました。ゆえに休憩時間になったらダッシュで売場に向かい、接客。釣り銭不足は予想してましたが、私、致命的に暗算のできない男でして。今度は計算機必ず持ってきます。完売させていただきました。

では演奏会。『日本狂詩曲』が67年目の年月を経て流れました。聴き終えて思ったのは…。なぜ67年なの?オレだって色々なクラシック聴いたけど、そりゃ人それぞれ好みはあるにしてもこんな美しい曲、なぜ北海道の音楽人はやろうとしなかったの。という正直な気持ちでした。『日本〜』札幌初演を実現させた釧路のKさんを讃えたりすれ「山下洋輔とはミスマッチ」だ、なんて口が裂けても言えません(いや批判は自由ですが、オレはそうです)。

この曲を作った時の札幌の仲間〜音楽評論家・三浦淳史、作曲家・早坂文雄、昭氏に多大な影響を与えた兄〜宗夫、勲の両氏、そしてアイ夫人はもういないのです。毎年毎年同じ西洋の同じ作曲家の同じ作品を演奏する機会も時間もあったなら、なぜ『日本狂詩曲』がやっと演奏されたのか。

演奏はすばらしいです。生で聴くのとCDでは全然違います。そして「野蛮」「土俗」よりも私はなんて美しい音楽なんだろう。そればっかり思っていました。第1楽章「夜曲」で不覚にも涙が流れ、その後、一部の客席から拍手が起きました。それが現実です。第2楽章「祭り」ではかねてから聞いていたヴァイオリン奏者が楽器をギターのように持ち演奏する姿も確認いたしました。「祭り」ではもっと迫力がほしかった、と一瞬思いました。でもこれも『日本狂詩曲』なのです。1人で、いや三浦や早坂、兄たちと西洋の様々なオーケストラの楽譜を見て、楽器の写真を調べ、自分の頭の中にあった『日本狂詩曲』を伊福部は書きあげました。この札幌で。その時伊福部昭の頭にあった『日本〜』は私は知らないのです。

いろいろな指揮者、演奏者の『日本狂詩曲』があっていいと思っています。指揮の小松一彦氏はしっかりとした自分の伊福部音楽像をお持ちでした。素晴らしい指揮であることに何の異論も挟めません。小松氏の個性がさらに存分に発揮されたのは次の『管絃楽 日本の太鼓<ジャコモコ・ジャンコ>』だと思います。これは(すいませ〜ん!)明日に。

そして最大の感想は「自分は伊福部昭を何もわかっていなかった」という点です。そりゃ6歳の頃から聴いてますし、道内の数少ない生演奏はほとんど聴いてます。本も読みました。知識もあるでしょう。しかし『日本狂詩曲』の「夜曲」の美しさは私の知っていた伊福部ではありませんでした。でもこれが本当の伊福部なのだと思います。シベリウスがこれを聴いて涙したというエピソード。本当かどうかわかりません。ただ、シベリウスなら泣いてもなにもおかしくありません。私はシベリウスの数億倍以下の音楽才能のない人間ですけど。ただ、ず〜っと北海道に住んできたものとして、やはり札幌を徹底的に感じました。CDでは永遠に伝わらない瞬間だと思います。

だからこそ。どんな形態であろうが、東京での伊福部氏のオーケストラの生演奏はぜひ行かれてください。5/19の生演奏を体験したから思わず伊福部氏のサイト作ってしまいました。6/6の後はあらためて自分自身「創作」に励もうと誓いました。いや誓ってるだけじゃだめなわけでして。少しでも21歳の伊福部に迫りたい。自分はそれは音楽ではないけれど。

本気で第2回伊福部昭音楽祭をやるべきだと思いました。会場は小さくなってもいい。でも北が生んだ作曲家を北の人間が讃え、演奏しないでどうする。誰がやる。な〜んてね。でも本気ですワ。

ワールドカップ警備と称した常軌を逸した警察の過剰警備。札幌の町にはウジャウジャ警官がいる。でもあの時間のキタラだけは警官だろうが評論家だろうがジャマできない大切な時間でした。超生意気にいえば札幌で私と伊福部昭さん2人だけの対話の時間でした。デートしてたようなものです。そういう方がもっとたくさんいらっしゃったと思います。札幌時代の若き伊福部氏を知っている方も大勢いらっしゃいました。それらの方もそれぞれの思いをこめて2人きりで伊福部氏と対話していたに違いありません。私もそこに入り込む権利は一切ない…。
*寮さんごめんなさ〜い!あと1回だけ書かせてくださ〜い!

勇崎哲史  「ゴジラの時代」展を観て 2002年06月12日(水)23時34分41秒
▼Review Lunatique:「ゴジラの時代展」ワークショップ参加レポート/公共美術館の公共性を問う へのコメント

まず、ゴジラなどというテーマを美術館で扱うという岡本太郎美術館の決断と勇気と快挙に拍手を贈ります。

展覧の展開コンセプトのひとつの柱は、ゴジラを産み出した時代背景、つまりゴジラは時代の申し子であり、なかでも時代の病巣から生まれてきたことを示すことでした。最初のゴジラは1954年、ビキニでの水爆実験によって第5福竜丸の乗組員が被曝した事件が引き金でした。2作目は単なる2匹目の泥鰌。3作目は日米怪獣対決という娯楽作。4作目は、、、と進む中で商業的な娯楽路線がつづき、実際には高度成長期の浮かれた日本人像を反映させただけで、1作目のような時代の病巣を告発するテーマを示した作品は、VSヘドラ(公害怪獣)、VSビオランテ(バイオテクノロジーの台頭による生物操作への危機)ぐらいで、展開上のインパクトを発揮できなかったのではと感じます。そのコンセプトは図録ではとても明確に示され、なかなかよい編集内容だったと思います。

寮さん、DORONKO氏が指摘された、パネルの羅列に終わってしまったのは、企画アイデア時点で、1作目のインパクトが強すぎて、企画者はそれに幻惑されたまま、2作目以降のゴジラへも幻想を抱き、その点をあまり詰めずに実現決定にいたった。あるいは図録は成功されていることを思うと、エディトリアル的な発想を展覧に昇華させ得なかった、ともが想像できます。もちろん最大の要因は、DORONKO氏も言及されいるように制作予算上、あのような方法に着地せざるを得なかったのでしょう。

展開のもうひとつの柱は、造形としてのゴジラ美をきぐるみや撮影に使用した模型や構想段階でのフィギャーなどです。展示数の多い・少ないの議論はあるでしょうが、さすがに東宝が全面協力しただけのことはあり、展示状態を網膜に入れず、提示されているものだけを見つめると、みごとな造形美としてのアウラを放っていました。造形家たちのこだわりの結晶のようなものを直に感じられたことは、お金をはらって入場した価値がありました。

DORONKO氏は見落としてしまったようですが、会場では、1作目のゴジラのハイライトシーンのダイジェスト上映とゴジラ全作品の予告編の上映をそれぞれ別室で行っていました。僕にとって一番面白かったのはこの上映でした。やはり、映画について展示するしても、映画そのものにかなわない、というところでしょうか。しかし、それではプランニングや学芸行為(キュレイション)する側は空しい。

ここで、その空しさを吹き飛ばす為の根本的な批評へと移行します。東宝は全面的に協力しながらも、ゴジラのイメージを守る主旨での版権管理という厚い壁もあったのではないかと想像しますが、寮さんが「デパート催事」という言葉に象徴して感じられた不満は、岡本太郎美術館に期待した“岡本太郎美術館らしさ”と岡本太郎美術館で開催する必然性の欠落感なのではないかと思います。
たとえば、岡本太郎の創造工学ともいえる“対極主義”をこの展覧に応用されてはいかがでしょう。ゴジラは“科学文明”と“原始”との対極がぶつかり“爆発”する、まさに“対極主義”を具現化したような映画です。前述のように寮さんらがパネルの羅列に終わってしまったと指摘された点について、1作目のゴジラにもっとスペースを使い深く突っ込み、以降は1作づつ“律儀に”紹介するまでもなく、ポスターなどは曼陀羅的かつ立体的に示し、その中にいくつかの、時代の事象を象徴的に“対極主義”的に配し、見る人に直感的に“時代”を感じさせてもよかったと思います。その方が見る人の心の中に爆発が起こったのではないかと思います。(知ったかふりをするようですが、導入部分で1ヶ所間違いがありました。ゴジラの声はコントラバスではなく、それよりも低音域のコントラファゴットの弦を縦に振動させてつくったものです。北海道では、僕のように偉そうなことを言う人を「いいふりこきのシラミたかり」といいます)

ところで、いみじくも「デパート催事」という比喩がありましたが、実は18年前の1984年に、僕は札幌でゴジラの「デパート催事」を企画制作しました。展観モノはデパート側の意向もあり、いわゆるデパートや遊園地で小屋掛けしているような有料催事でしたが、僕はそこに数々の「事件」を仕掛けてみました。「イベント」は「出来事」とか「催事」といった意味に解されていますが、「大事件」という意味もあります。イベントを“対極主義”的に考えていくと、“爆発”もさることながら「事件」になります。
今回の展覧が、いわば“ゴジラ”と“時代”とを対極化させようとしたといえますが、僕のデパート催事では、“恐怖”と“笑い”、“真面目”と“不真面目”を“対極主義”的に用い、事件(爆発)に仕立てました。
ヘッド・コピーは「怖くて、面白い。」です。例えば、ジェットコースターは怖くて面白い。ジェットコースターを対極主義的に解釈すれば、怖くて面白いから、心にすかっと爆発が起こる(ジェットコースターは爆発だ、と太郎さんはいわないかもね)。その面白さというのは、危険だけど、危険じゃないように設計されているところにあります。ゴジラ映画も同じ事で、どれだけ恐怖をひきおこさせようが、映画館から一歩外に出れば日常が約束されている。お化け屋敷も同じ。怖いだけでは、パニックにはなっても“爆発”はおこらない。この「怖くて、面白い。」がヘッド・コピーであり、イベントのコンセプトでした。

このイベントの内容の一部は某BBSで触れたことがありましたが、ここでは触れないことにします。この投稿はあくまでも太郎美術館でのゴジラ展のことですので、後日別のスレッドとして、寮さんの「遊星たちの消息」にでも投稿します。あ、、「遊星たちの消息」では18年前のイベント告知なんて、なしでしたね。じゃ、このカフェルナにでもやがて書き込みます。

最後にこの展覧への提議ですが、寮さんが「子供が楽しめない」という点を指摘されていましたが、美術館などのミュージアムのこれからの重要な課題のひとつはそこにもあると思います。美術館での展覧が、学芸員の研究成果の発表行為であることは、むしろ望むべきことだ、と僕は基本的に考えています。しかしながら問題はその研究内容であり、内容がシリアスであればあるほど、市民へのプレゼンテーションはその対極としての非シリアス(わかりやすさ、笑い、ユーモア、子供っぽい、などなど)が意識化されるべきではないか、と考えます。なんとなく日本の風潮として「非シリアス=商業主義的」と思われがちですが、決してそれだけではありません。非シリアスで、非商業主義的な方法はいくつもあります。寮さんが期待されたのは、そのことであるように感じますし、あの太郎さんの美術館だからこそ、なお期待されたのではないでしょうか。
村田館長が「この美術館は岡本太郎という芸術家の墓場ではない」といった主旨のことを開館時に語られたそうです。ならば、東宝に遠慮なさらず、もっと大胆に、「ゴジラは爆発だ!」と叫ばれ、それをコンセプトにされてもよかったとのに、と感じました。

寮さんの尻馬にのって、批判めいたことも書いてしまいましたが、みなさん是非「ゴジラの時代」展を見にいって下さい。今回のような美術館にあるまじき、と思われるようなテーマの展覧に、より多く来場されることで、太郎さんの美術館は従来の美術館イメージからの逸脱を怖れず、さらに大胆になってもらえるはずですから。

リト  すいません!訂正 2002年06月12日(水)10時04分51秒 http://rito.2.hotspace.jp/
アイヌからゴジラへ/ふたつの展覧会 へのコメント

以前、伊福部昭氏と知己のある方から伺った記憶で、二風谷で昭氏が終戦を迎えたと書きましたが、誤っておりました。木部与巴仁『伊福部昭 音楽家の誕生』P348(オンデマンド版)でもわかる通り、氏が終戦を迎えたのは札幌豊平の帝室林野局です(さきほど木部さんにも電話で確認しました。ありがとう木部さん)。お詫びいたします。

ただ伊福部昭と二風谷は縁深い土地であることには何も間違いはありません。

で、演奏会レポート2回目は今夜にでも…。
*そう、マンロー展行けなかったのです。横浜に行きますか…。

寮美千子  アイヌからゴジラへ/ふたつの展覧会 2002年06月12日(水)04時03分36秒 http://ryomichico.net

▼リトさま
熱のこもった伊福部昭コンサート報告、ありがとうございます。二風谷と伊福部昭氏のつながり、驚きました。伊福部昭氏が、終戦を二風谷で迎えたとは! そして、マンロー博士とのつながり。伊福部昭氏の長兄、宗夫氏の著作『沙流アイヌの熊祭り』(みやま書房・69年刊)。あまりにも感慨深いものがあります。伊福部宗夫氏のいらっしゃった北海学園には『おおかみのこがはしってきて』制作の時にお世話になり、帯広図書館でわたしにユーカラの一節を歌って聞かせてくださった藤村久和先生がいらっしゃいます。なんという、不思議な糸のつながり……。感動して、思わずレビューに長文書きました。読んでみてください。

「海を渡ったアイヌの工芸 英国人医師マンローのコレクションから」展

▼ドロンコさま
待望のレポートありがとうございます。わたしの文章が足りなかったために、伝わりきっていないところがあったかもしれません。
寮さんは、今回の「ゴジラの時代展」について、かなり手きびしく批判していて、その批判の再重要ポイントは、「子どもたちへの配慮が足りない。というより、全くといってよいほど欠落している」(寮さんが、この通りに書いているわけではありません=念のため)ということではないかと思いますが(後略)
これは、最重要ポイントではなく、またポイントでもありません。ワークショップの年齢制限を恐らくは「お客が集まらないから」という理由で、なし崩しに引き下げた、その配慮のなさを「公共性」の点から責めたものです。このために、小学生たちはかなり退屈な2時間を過ごさなければならなかった。講師の側も予め用意したプログラムでは、子どもに対して対応しきれないという事態が生じてしまった。これは、講師に対しても失礼にあたります。わたしがもし、前々から大人向けにプログラムを用意したワークショップで、突然「年齢制限10歳に引き下げました」といわれたら、怒るよ。対応しきれないもの。わたしが小学生の参加者でも文句いいたくなるよ。
寮さんのレポートのもう一つの論点である「公共性」ということについてですが、これはとても大きな問題で、正直に言わせていただくなら、寮さんも、この概念に関しては、まだ考えがうまく整理できていないのでは?という気がしますね。
とご指摘のあった公共性の問題ですが「まだ考えがうまく整理できていない」とは、本人は毛頭感じていません。

「デパートの展覧会」は極論すれば「デパートの屋上で開かれる仮面ライダーショー」と、本質的に変わらない部分があります。なぜなら、企画する側のデパートは「利潤追求」のための一企業に過ぎないからです。税金を使って開催するわけじゃない。もし、その内容が結果的に「公共の利益」に合致するものであれば、拍手だし、そうでなければ「残念でした」「不親切だなあ」ということになる。

しかし、公共の美術館の企画は、それと同列に扱えない。もともとが、我々の税金を使って運営されているものです。利潤追求を目的とするのではなく、広く公共に福祉することが最初から問われている。そこの自覚が足りないのではないか、ということを、わたしは指摘しているのです。

勿論、デパートの美術館でも、公共性の問題は問われる。資本が集中したところは、それを社会に還元する義務がある。けれども、一企業として、しなくてもいい美術館事業を展開しているだけでも、拍手に値する。ところが、公立美術館に対しては、そんな寛容な話ではいけない。お役所仕事的なおざなりな企画や、来館者や参加者の身になって考えられていない企画には、びしびしと文句をいうべきです。

この点は、既に遠い過去になりましたが、国立科学博物館の天文学普及講演会問題について論じた折りに、さんざん語り合いました。彗星の軌道と離心率を延々と読みあげるだけの時間。それが果たして「普及講演会」といえるのか? せっかく星に興味を抱いて参加した初心者が、逃げだしたくなるような講演会は、むしろ天文学の普及を阻害しているのではないか?

今回のゴジラ展。企画内容の貧困さもさることながら、ワークショップの運営方法、つまり、年齢制限の突然の変更が、公共の利益、ということをよく考えていないおざなりなやり方だったのでは、という問いかけでした。

「海を渡ったアイヌの工芸 英国人医師マンローのコレクションから」展は、よく練られたいい企画だったと思います。アイヌの工芸家との共同企画、という点も、高く評価されるべきもので、単なる美術展という以上の価値を持っていた。そこから、新たな展開や広がりもある。そのような「親身な」企画が、果たして今回の「ゴジラの時代」展にあったでしょうか? わたしは、なかったように感じました。お金の問題もあるとは思います。マンパワーも足りないかもしれない。けれど、手作りでももっと愛のある企画ができたのではないか? そう感じないではいられません。それこそ、インターネットをもっと有効に使って「ゴジラ展の企画募集」をかけてもよかったはず。ドロンコ氏のいう「伊福部音楽」と映像の関連についての展示も、そんな場所があれば提案できたはず。熱烈なゴジラ・ファンは山ほどいるから、いろいろな意見も聞けたことでしょう。それをたたき台として企画を練ればよかったのにと思うのです。

真意が伝わらない未熟な書き方をしたことを、ここにお詫びしますが、それにしても、もっとよく読んでくれたらなあ、と泣きたい気持ちです。えーん。

リト  6/6伊福部昭『日本狂詩曲』札幌初演 2002年06月11日(火)23時30分33秒 http://rito.2.hotspace.jp/

こんにちわ。6/6『伊福部昭と山下洋輔』札幌キタラ大ホールで伊福部昭『日本狂詩曲』(1935)、『管絃楽 日本の太鼓<ジャコモコ・ジャンコ>』(1951/84)が札幌で初演されました。山下洋輔さんに最大の敬意をはらいつつ、でも伊福部さんの作品だけ感想を書きます。この企画を知った時からそう決めてたものでして。なお第2部の山下さんの壮絶なピアノ演奏はそれだけでまた聴きに行きたいと思わせるものでした。必ず伊福部作品の比較にもなってしまうので、今回は感想はこの1行だけで。すいません。

『日本狂詩曲』は伊福部昭21歳の最初の管絃楽曲です。当時は北大生。曲を書いた場所は札幌市中央区南13条西13丁目の自宅。現在は建てかえられましたが北大工学部教授の伊福部達さん(昭さんの長兄・宗夫氏のご子息)が住んでおられます。達教授のお仕事はそれだけで書かなければならないほど尊敬するものなのですが、次の機会に。今回は早朝から『伊福部昭 音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』の著者・木部与巴仁さんの1日アシスタント(?)をしました。お昼頃に北大を訪問。達教授とはじめてお会いできました。ここでの1時間ほどの話の密度の濃さはいずれ木部さん、または達さんが目に見えるものとして世に出されるでしょう。私も末端ながら刺激を受けまくりました。

その達さんの父・故・伊福部宗夫さんは北海学園工学部の部長でありました。あたしは何を勘違いしたのか最初、木部さんを北海学園大学工学部にご案内するところでした。北の北大と南の学園大学、正反対の位置…。木部さんのオンデマンド本を委託販売していただける札幌萌黄書店さんでなんとも運命的なことにずっと捜し求めていた宗夫さんの『沙流アイヌの熊祭り』(みやま書房・69年刊)を発見、即購入します。宗夫さんは戦時中、病気療養のために平取町二風谷のマンロー邸に住まわれておりました。伊福部昭さんが終戦を迎えたのも二風谷と聞いております。達さんも二風谷でお生まれになられました。自分にとってアイヌ民族について考えるきっかけになったのは高校の頃の二風谷ダム問題。あの頃はそこと「伊福部」がリンクするとは1%も思ってなかったのですが。『沙流アイヌの熊祭』最初のページを開けば「祭場で暴れる熊」の説明とともに写真が載っております。これの撮影者がダム問題で強制収用に対し貝沢正エカシとともに最後まで闘われた萱野茂氏です。まさかこんなに簡単に(?)入手できると思わなかったので、別の古書店に予約(というのかな?)しました。寮さんその際は連絡しますのでぜひお買い求めください。次回の絵本には最高の資料であると言い過ぎではありません。

あぁ!時間がなくなってしまった!演奏会の感想ではなく本の感想ばかりだぁ!すいません。よろしければ続き、明日も書かせてください。でわ!
*『沙流アイヌの熊祭』伊福部宗夫の著者略歴より〜現住所・札幌南13条西13丁目〜すなわち伊福部昭『日本狂詩曲』誕生の地です。

DORONKO  蛇足的レポート――発奮せよ、川崎市民! 2002年06月11日(火)13時33分25秒

8日に、寮さん、松永氏とともに「ゴジラの時代展」のワークショップに
参加したドロンコです。「レポート待望」というと、その場にいた顔
見知りはぼくぐらいなものなので、寮さん直々のご指名と観念して
ご報告してみます。

ただし、Review Lunatiqueでの寮さんのレポートが、すでに相当に詳しい
ものですので、まずこれをお読みになっていただきたいと思います。

さて、ワークショップについて述べるに先立ち、まず「ゴジラの時代展」
そのものについての感想を述べておかねばなりませんが、これは、
寮さんと似たようなもので、ぼくにとってもかなり期待はずれなもので
あったことは否定できません。全体の印象を一言でまとめるとすれば、
今回の展示内容は、「資料で見るゴジラ映画の変遷――社会的背景に
ついてのコメント付き」とでもいうべきものじゃないかなと思います。

たしかに、撮影に使われたゴジラや他の怪獣の「実物」も、あちこちに
展示されてはいます。しかし、映画からはみ出てしまうようなゴジラ
という存在の意味なり魅力というものをまざまざと「体感」させて
くれるようには、ちっともなっていないのでした。

寮さんは、今回の「ゴジラの時代展」について、かなり手きびしく
批判していて、その批判の再重要ポイントは、「子どもたちへの配慮が
足りない。というより、全くといってよいほど欠落している」(寮さんが、
この通りに書いているわけではありません=念のため)ということ
ではないかと思いますが、これは、本当に「その通り」と言うしかない
のです。
――やや細かくいえば、よく見ると、会場内のパネルには、ゴジラなり
「怪獣」というものについての、かなり興味深い指摘の言葉が「読める」
ようになっていたりもするのです。でも、あれって、子どもたちには
もちろん、ほとんどのオトナたちにも、「何か書いてあるな?」という
程度にしか受け取れないのではないでしょうか。「ゴジラをテーマにして
卒論を書きたい」という学生でもあるなら別でしょう。でも、たいていは
子ども連れであるオトウサンやオカアサンたちに、じっと立ち止まって
「読んでもらう」のは、かなり無理であるように見えました。

具体例を一つ上げましょう。このカフェルミではおなじみの伊福部昭の
音楽についてです。――あの伊福部さんの音楽について、さすがに一言も
ふれられていないわけではありません。「ゴジラの成立」についてと
いうか、昭和29年に作られた初代「ゴジラ」について多角的な説明を
試みているような大きなパネルの片隅に、伊福部さんの音楽が「重要な
役割を果たした」というようなことが書いてありました。でも、あれでは、
子どもたちにはもちろん、たいていのオトナたちにも、どういうこと
なのか、さっぱりわからないだろうなと思いました。――ぼくならば、
伊福部さんの音楽が「重要な役割を果たしている」歴代のゴジラ映画の
ハイライトともいうべきシーンを拾い出して45分程度のプログラムに
編集し、それをずっと上映し続ける半オープンのブースを作ることを
考えたでしょう。で、もちろん、そこでの音響システムは、一般の家庭では
味わえないような迫力が出せる上質なものを使用します。……というよりも、
ぼくは、今回の「ゴジラの時代展」には、当然、そのようなコーナーが
「あるもの」と、ほとんど信じてさえいたのでした。が、そんなものは
まるで見当たらなかった。これは本当に残念なことでした。

――寮さんのレポートのもう一つの論点である「公共性」ということに
ついてですが、これはとても大きな問題で、正直に言わせていただく
なら、寮さんも、この概念に関しては、まだ考えがうまく整理できて
いないのでは?という気がしますね。

まず、「美術館あるいは美術展の公共性」ということについてですが、
これは、公立であろうと私設のものであろうと、一般に公開されるもの
ならば「公共性」はすべてのものにあると考えるべきだと、ぼくは思います。
寮さんは「デパートのゴジラ展と、どこが違うだろう?」と書いていますが、
「デパートのゴジラ展」だからといって、ツマラナイものであっていい
なんてことはありませんよね?逆に、デパートで行なわれる美術展でも、
本当に質の高い、内容の充実したものならば、立派に「公共的役割」を
果たすことができるということは、否定すべくもないでしょう。
――まあ、これは、今回の「ゴジラの時代展」への失望に発する“筆の
勢い”というものだろうと思いますけど。

寮さん自ら、「お役所仕事」について(常々?)「イカッテいる」とも
書いているように、寮さんの公共性論というのは、決して美術館や美術展に
限ってのものではないようですが、ここでそちらにまで深入りしてしまうと、
この書き込みもレポートでも何でもなくなってしまいますので、この問題に
ついては、ここまでにしておきたいと思います。
(→昨日、某古本チェーン店で、『文化政策入門』(丸善ライブラリー
=新書版)という本が目に入ったので買ってきました。なかなか
面白そうです。興味と時間のある方は、これをお読みになるのも
よいのではないかと思います。)

えー、ここから本題であるワークショップについてご報告いたします。

――結論から申し上げますと、(自分の仕事に関することなら別ですが)
人前で課題などを出されて、それに答えなければならないなどという
状況とは、もうン十年も遠ざかっていたぼくには、周囲のことを気に
かける余裕などほとんどなく、ちっとも「意のまま」にはなってくれない
「わが手」を叱咤激励しつつ、ともかくも何か描きあげねば、ということで
精一杯だったのでございます。
ですから、松永氏とヤノベ氏が、何やら「いー感じ」で遭遇を果たして
いるよーだな、という光景が目に入ってきたりもしましたが、それに
じーっと見入るような器用なマネはできませんでした。
また、寮さんも「賞も出る公募であり、応募作品を閲覧できる、という
ことに関しては、厳密にいえば反則である」と述べていますが、ぼくも
これには驚きました。ぼく自身は、上述のように、とにかく余裕ナシ
状態でしたので、それらの応募作品を見たりすることも一切しません
でしたけれど。

まあ、ワークショップについては、寮さんのレポートで、ほぼ尽きて
いると思います。――そういえば、このワークショップについての
告知(内容も日程も)は随分遅かったよな?ということも憶えておく
べきかとは思いますが、うまく参加できた一人のオジサンとしては、
品田冬樹氏、ホントにいい人だなあ!ということや、ヤノベケンジ氏
とは、やっぱり「遭えてよかった!」だし、また、場を改めて、
お会いしたいなあと思った、ということでしょうかね。

「今後」のことについては、まさに寮さんが書いているように、
「市民の側から」行政(公的セクター)に対して問題点を指摘し、
よりよい(と思われる)プランを提示するなどの積極的な働きかけを
行なうこと、つまり「声をあげる」ことが、決定的に重要だろうと
思います。――その前提として、相当に踏み込んだ「情報公開」が
日常のことになっていなければならないわけですが、国はもちろん、
大半の自治体においても、そのような住民や市民の姿は、まだほとんど
「見えていない」のが現状かと思います。でも、インターネットという
ツールを使えば、もう「見えません」などとは言っていられなくなる
はずだと思いますけどね。
(一方では、すべてを市民に委ねてしまえばよいというほど、コトは
簡単ではないと、ぼくは考えています。やはり、専門の人間の職能
というものに対する敬意は必要であると考えます。だから問題は、
その<両者>がいかに「連帯」できるかということになるだろうと
思いますが。現状では、行政の側にその<姿勢>が欠如している
ケースばかりが目立っているとしても、われわれが、そのための
マナー=流儀を身につける必要があることは疑いありません。)

最後に、蛇足になるかとは思うのですが、今回の「ゴジラの時代展」が
ぼくや寮さんの目から見て、かなり残念なものになってしまった理由
としては、そもそもの岡本太郎美術館の規模や予算の制約ということも
あったのではないかと思います。ですから、今回の「ゴジラの時代展」に
まったく意味がないというわけではなく、これは、あるべき「ゴジラ展」
に向けての第一歩だと考えればいいんじゃないかな?と、ぼくは思います。

で、その「本番」ですが、これはぜひ、今回の汚名挽回のためにも、
同じ川崎市の(規模もずっと大きい)川崎市民美術館?でやってほしい
ものだと思います。差し当たっては、「頑張れ、川崎市民!」ですよね。
もちろん、寮さんを筆頭に、われわれカフェルミ市民一同も、協力は
惜しまないわけだし!

まあ、こんなところでしょうか……。

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吉木克実  テーマは馬の死亡記事なのか? 2002年06月11日(火)04時01分16秒
青いナムジル議論/なぜこの物語を絵本化しようと思ったのか? へのコメント

寮さん、人をネット上でこんなに恥ずかしい思いさせて楽しかった?
覚えといで!いつか必ずうううううううう〜〜!!
仕返ししてやるからね!


と、本題。
事実を事実だけで捉えれば、きっと飼い馬が遠く異国の戦場からどういうわけか戻ってきて息絶えたってだけです。
どうして戻ってきたのか、どうやって戻ってきたのかなんて、馬が教えてくれるわけなんかない。
その単純な事実より、その死をどう捉えるかってことでしかありませんよね?
言い方を変えれば受け取り手側の問題でしかないわけです。

新聞報道に置き換えれば、ただ腹を減らし、本能的に自分の大好きなえさを食べに戻って息絶えた馬の囲み記事になるか、動物の種の垣根を越えた心のつながりや感動的な愛のお話として一面トップ五段抜きくらいで報じられるかというのに似ていません?

「作品」を創造するという行為を考え直してみた僕が得た現在のスタンスが以下です。

息絶えた馬を目前にしている事実をどう捉えて、その人間がどう行動したのか、
それをさらにもう一つ外側から見ていた人間がそこから何を感じ導き出したかその感性こそが、作品の中で語られるべきなんだと思います。
モンゴルの古事(?)から得た「作家寮美千子」の「イメージ」こそが、「寮美千子」の作品なのであって、本意は、さまざまな原典の否定とは全く次元の異なるところにあると僕は理解しています。

土葬しか知らない人種がいたとして、天に召されると聞いても言葉自体の意味さえも伝わらないでしょう。
宗教観が異なれば、「召される」という言い回しさえ理解しがたいものになるのではないでしょうか。物語の中で、「この種族は宗教的にはこういう成り立ちで、こういう価値観を持って行動している。したがってこの行為は以下のように解釈されるべきで云々」と、これを童話的にどう表現すればよいのでしょう。

まず、童話であって、解説書やドキュメンタリーではない。
第一義的には子供に読み聞かせる本であるという観点(作法)が無視されては、童話として表現する意味が成り立たないと思うのです。

はなはだ不謹慎を承知であえて言うなら、いままさに、生死が目の前で別れる、イスラエルとパレスチナの間に立って「仏の御心とは云々」と説法するようなものではないでしょうか。
生死の境に余裕のある時期であれば、悪くとも険悪な宗教的価値観の応酬で済む可能性はありますが、影が動いただけで声を上げるまもなく全周から熱い弾丸を全身に受けてしまうような現状では何かを伝えることさえできません。

もって回ったような言い方をしていますがお許しください。
極論とは言っても、書く側と読む側(童話ですから読み聞かせる側というのも加えましょう)の価値判断の位相をなるべく近くに設定しておかねば、書く側の意思を読み取るのは難しいと思うのです。
だからこそ、なるべく平易にモンゴルの感性を翻訳しようとする作業の途上で「寮美千子」が立ち往生しているのではないでしょうか。

僕は、モンゴルで「しか」理解されない童話なら、寮美千子が書く必要は皆無と言い切りたいのです。
話が飛んで恐縮ですが、ますむらひろしだからこそ書けた「宮澤賢治」と僕が言いたいのとあるいは根っこはつながるかも知れませんね。

やっと最後。
ふと気がつくと、鼻をひくひくさせている僕ら。
僕は寮美千子が僕らにモンゴルの風の薫りを運んでくれるものと期待しています。

立て続けに長いレスでした。
みなさんごめんなさいね。

では。
おやすみなさい。


吉木克実  人呼んで、「あさはらしょうこう」 2002年06月11日(火)02時32分56秒
舌多しでした。ごめんなさい。 へのコメント

これで、「寮美千子」の幻想は摩周湖の彼方〜〜〜〜〜っと!

勇崎さん、ありがとうございました。
こう言っちゃ何ですが、あ〜た、(ま! 調子に乗ったいい方。なんてやつでしょ!!)二回目のレスあたりから、
勝手に僕のことを友達にしてませんでした?
僕は勝手にそう思っていましたので「同病相哀れむ」(ちょっと意味が違うか?)
てことです。
勇崎さん?
勇崎さんは、友達って「なってくれませんか」って言われてなるものだと思ってます?
本当は違うでしょ??
僕としては、「そんな・・・こっ恥ずかしい・・・」って感じであります。
まあ、勇崎さんの相手の意思を尊重するって姿勢の現われと解釈して、大目に見てあげましょう。
(何を偉そうにって? 照れ隠しです。白状します・・・)

ちょっと真面目に戻って、僕は論争が成り立つって時点で友人関係は成立すると思っています。
どんなに辛らつな批判であろうと、相手の側面あるいは背面をしっかり見据えているってことは相手の意見を自分の感性で理解しようとする姿勢そのものだと思います。
理屈っぽく言えば、何か一つの事象について、深く論争をするということは、その事象に対する価値観のベクトルは向きが違ったとしても、お互いにとってその事象の重さ、重大さは同じく感じているってことだといえばいいのかな?
掲示板上では、論友って言い方もあるかな?ってことです。
全く同じ価値観(ベクトル)の持ち主だったら、友人ってこととはちょっと違うと思いますしね。
だからこそ大事なんだと思います。
お互いにとってと言うより、自分自身にとってこそ。

んなわけで、改まったお返事はくすぐった過ぎて堪えられそうもないので、勘弁してください。
いやほんと、屁理屈でごまかさせといてください。お願いいたします・・・・・
涙腺もゆるいけど、くすぐられると、爆発しちゃうんですから・・・
どうかお慈悲を〜!

ところで、山之口獏ですって?
ふふふ・・・
ひょっとして、あの「いわし真っ黒」の?
つっこみよろしく!
(高田なんとかって愛すべき酔っ払いにおこられるかなあ・・ちょっと怖いかも・・)

勇崎哲史  物語の作法 2002年06月11日(火)01時08分23秒
▼Review Lunatique:青いナムジル/なぜこの物語を絵本化しようと思ったのか? へのコメント

研究者のかたが配られたチラシにある、あの「ナムジル」がモンゴルの人の心象を害さないのであれば、寮さんの「ナムジル」は、もっと害さないだろうと感じました。
調べてみた他の「ナムジル」には、いってみれば、夜ごと不倫を続けているだけじゃん、という物語もありましたし、そんなことを前提に「ナムジル」の未来を考えれば、寮「ナムジル」は、どこかの教科書に載せたくなる内容です。
また、内容の結末の死後観についても、研究者のかたはモンゴルでは天に召すので土に成るというのは馴染まない、といった趣旨のことを述べられていましたが、それがモンゴルの死後観の全てではないと僕は思います。天に召すという考え方は日本にも、西欧にもあります。そして、土に還る、という考え方も洋の東西を問わず、普遍的な死後観です。
観念的な死後観としての、黄泉とか冥土(冥途)、あるいは天国というのは何処にあるのか、という議論はあるでしょうが、いまだに鳥葬が続いている地域でもない限り、「天」に限定できるものではありません。もし現在のモンゴルが「天に召す」しか一辺倒に認めぬ国だったとしても、遅くとも22世紀には、死後観とは別のエコロジカルな、土に還る、という考え方を民族を侮蔑するものだと捉えるとは思えません。
まあ、この際、21世紀はあきらめて、22世紀を見据えた寮「ナムジル」をよろしくお願いします。
ところで、あの西方でナムジルを待つ娘は、寮さんの初稿のように、モンゴルのいたるところに自生するという白い花(エーデルワイスの亜種)の種になって風に乗り、土になったナムジルの元にやってくる、という、あのエンディングにしてほしいなあ。
いまでは誰もが凛々しい!と僕のことをいいますが、むかしの僕は少女趣味少年でしたねえ。

勇崎哲史  舌多しでした。ごめんなさい。 2002年06月10日(月)23時58分27秒
舌足らずでした。ごめんなさい。 へのコメント

吉木さま>

早速の、ほんとうに素朴で真摯なレスありがとうごさいます。
僕の方こそ、文脈の読み切れず、舌多しのレスをしてしまい、ごめんなさい。
実は、吉木さんのこれまでの投稿を拝読していて、とても好感を抱いていました。こういう人とは是非とも友だちになりたいなあ、とホンキで思っていました。
ところが、あの投稿は僕が好感を抱く吉木さんとは少し違うところを感じて、可愛さあまって、というか、僕が友だちになりたいと思ったのは本当だったのだろうか?、という“賭”みたいな気持ちで、反論を投稿したんだと思うんです。
でも、反論してみてよかったなあ。
吉木さんへの好感は、これで揺るぎのないものになりました。
こんな僕ですが、
もしよかったら、友だちになってください。

ところで、研究者A氏には寮さんへの気取りと惜しみない助力をただただ願うばかりですが、僕は沖縄と30年かかわっていますが、研究者の方々とは全くと言っていいほど交わることはしませんでした。僕の場合、気が弱いものですから、交わるとイメジネーションを閉じらされると直感したからでした。僕にいちばんの助言をしてくれたのは詩人・山之口貘の詩集です。モンゴルのモンゴルらしい詩人って、きっといると思うんだけど。そのあたりのこと、ボルドーさんに聞いてみようかな。全くの偶然ですが、ボルドーさんが学生だった頃、僕も少し面識があります。しかも、今度の日曜日には、ある会で彼と同席すると思います。

寮美千子  名誉高揚罪? 2002年06月10日(月)23時51分24秒 http://ryomichico.net
カッチョイイ先輩のこと へのコメント

思った通り、吉木先輩より
「そんなにカッチョよく書くのは、やめてくれ〜。削除してよ〜」
という意味の悲鳴が届きました。
ははははははははははははっははははは!
名誉毀損は削除対象だけど、名誉高揚は、削除の対象にはならないよね。
へへん。
書き忘れましたが、吉木さんはわたしの心象風景としては
とてもカッチョイイ先輩ですが、
現実の見てくれがどうであるかは、保証の限りではありません。
判断は、各自の美意識にお任せします。ふふっ。


寮美千子  カッチョイイ先輩のこと 2002年06月10日(月)10時14分08秒 http://ryomichico.net
舌足らずでした。ごめんなさい。 へのコメント

吉木さんは、わたしの中学校のふたつ上の先輩。
わたしが中学三年の時だったか、高校一年の時だったのか忘れたけれど、
むずかしいけれどやけに美しい漢字や当て字をちりばめた
自作の作品集を見せてもらったことがありました。
かっこいいなあと、わたしは内心憧れた。
あの漢字は、どこで覚えたんだろう?
その後、わたしは当用漢字じゃない漢字や当て字満載の用字用語辞典を求めたり、
古本屋さんで戦前の辞書を買い求めたりして、
むすかしくてきれいな字を漁ったりしたのでした。
そんなことも、わたしを「物書き」の世界に近づける一因だったかもしれません。
吉木さん、責任とって!(笑)

吉木さんとの再会は、昨年暮れの稲毛「フルハウス」での信介&寮美千子ライブ。
吉木さんがかけつけてくれ、そのうえ無償でPAも買ってでてくれました。
吉木さんは、イマジネーションも行動力も抜群です。

あの当時から、吉木さんは心やさしい思いやりのある先輩でした。
この掲示板での吉木さんの発言は、
頼りない後輩が、研究者から手厳しい指摘を受けておろおろしてるんじゃないか、
と心配してくれてのことだったと(自分に都合よく)解釈していました。
だから、あれはメールをくれた研究者へ向けての言葉だって、わたしは理解した。

見ていても危なっかしい後輩だったと思うんだ、わたし。
大人になると、二歳ぐらいの歳の差はどうってことないけれど、
あのころは、ずいぶんと大きかった。
吉木さんは、頼りがいのある先輩って感じで大きくて眩しかったし、
吉木さんからみたら、わたしはずいぶん幼く見えたかもしれない。
そういう印象って、成長してからもなかなかはずせないもの。
わたしは、いまもひとつ上の館野公一さんのことを「先輩!」って呼んで
「おいおい、ひとつしか違わないのに、いいかげんその『先輩』っての
やめてくれないかなあ」とぼやかれています。
二十年以上も経ったいまも、吉木さんにとって、わたしはきっと「かわいい後輩」。
そんなわたしのこと、心配してくれたに違いない(と、勝手に思っています)。

それにしても、吉木さんの自分の発言に対する説明、理路整然としてわかりやすい。
頭脳明晰。さすがだなあと思ってしまいました。
やっぱり、吉木さんはいまでもカッチョイイ先輩です。

(寮美千子、いいかげんにしろ! くすぐったいぞ! という叱責の言葉が飛んできそう)

勇崎さん。
「フィールドワーカーの方」と書いた吉木さんの言葉遣いに関する、勇崎さんの厳密さ。
それもさすが、と思いました。
確かにそう。一括りにしちゃいけない。
「フィールドワーカーの方」っていうのは、特定個人を指していたんだと思うけれど、
日本語は微妙だから「フィールドワーカーの方々」というようにも読めちゃう。
細部の表現のむずかしさを、わたしも改めて感じました。
吉木さんの解説で、吉木発言の真意、きっとご理解いただけると思います。

吉木克実  いまさらすみません。自己紹介です。 2002年06月10日(月)06時06分25秒

吉木克実・・・・本名です。
1953年10月12日神奈川県長津田にて出生
現在は 千葉県千葉市美浜区高浜在住
職業 ノートブックパソコンの修理。
趣味 音楽(60〜70年代のアメリカンロックが中心)

写真(もう20年くらい離れてしまったけれど撮ることよりどちらかと言えばDPE)

掲示板荒らしのつもりは毛頭なかったのですが、ルールを守らなかったこと遅まきながら皆さんにお詫び申し上げます。
申し訳ありませんでした。

吉木克実  舌足らずでした。ごめんなさい。 2002年06月10日(月)05時47分17秒
追伸:もうひとつ読み落としていました へのコメント

自分の投稿を読み返してみて反省しています。

>あなたなら寮美千子に貴重な材料を最短距離で提供できるはずなのに

というくだりは、あの投稿をなさったフィールドワーカーの方のことです。
コメントをつける場所の単純な操作ミスでした。
申し訳ありません。
また、僕が「フィールドワーカーの方」として表現したのは、勇崎さんのご指摘のとおり、明白な誤りでした。あれでは、個人の方の意見に対するアピールではないですね。
完璧に「ひとくくり」していると批判されても仕方ない表現でした。
「A氏」なりの表現を用いるべきでした。深く反省しております。

内容についてですが、

寮美千子の作品を媒体としてしてモンゴルを紹介する側面も必然的に生じるわけですから、作家「寮美千子」には当然責任が発生します。
「最短距離」といったのは、現地での捉え方の違いや、
それぞれの特徴や背景を寮さんに伝えられるのではないか。
「寮美千子」が作家としてどのように情報を選択するかは、本人の責として、
彼女の見落とした、あるいは知らない材料のヒントを与えられないかということです。
それが、両者にとって前向きの選択肢としてA氏は提案できたのではないかということです。

あの方の文面からですと、
「正確に知らないなら一切書くな」と、とられかねないかなと僕は感じました。

勇崎さんのおっしゃるように(と僕は理解しているのですが)、
底流に流れる、「省いてはならないもの」が先ず第一であると僕は考えます。
作家「寮美千子」が見逃した、あるいは明らかな誤りがあるなら、
それを提示し、補完するのも一つの道ではないか・・・と。
また、僕自身日本人です。日本国あるいは日本人についてはそれなりに知識はあるつもりです。
しかし、僕の唱える日本観や日本人観が絶対唯一正しいのかと聞かれれば、
答えは「NO」です。
僕はは自分の考えは正しいと思っていますが、
自分自身また違う側面に気づけば論を変えるかもしれません。
同様に現地を知っているからといって、それが全て正しいこととイコールではない。
その落差さえはっきり認識しているならば、貸せる手があるなら「寮美千子」に手を貸してやってほしいという気持ちでした。
はっきりそう書けばもっと気持ちが伝わったのに、取り返せない失敗でした。

広島は現地に足を運びました。
長崎、沖縄は、まだ訪れたことがありません。

>「体感」の意味を、「体験」あるいは「経験」の意味とはき違えておられないでしょ>うか。
>もしそうだとすれば、現存する場にトリップすることはできても、過去にタイムトリ>ップすることが出来ないことは、知性を発揮せずとも誰にでもわかることです。今回>の件は「現存する場」のレベルで話し合ってます。そこに別の階層のレベルを持ち込>むのは、議論のための議論になるおそれがありますので、避けられるべきでしょう。

おっしゃるとおりです。
現実に体験できるものと、「現存しない、物理的に体験し得ない場」に対する混用という過ちを犯したようです。
確かに当時のモンゴルに言って事実を目の当たりにすることは不可能です。同様に僕が、過去の大戦を経験することも不可能です。
しかし、モンゴル現地で検証すること、あるいは、沖縄でひめゆり部隊の話、塹壕跡を検分することは可能ですよね。
そして「そこから先はイマジネーションに関る問題である」と。
そう勇崎さんはおっしゃりたいのだと思います。
間違ってたらご指摘ください。

何に対してかは自分でもわかりません。ずいぶん焦って書いてしまいました。
残した言葉たちに対して無責任でした。申し訳ありません。

>吉木さんの上記のご発言は「議論が好きで“行動力”と“イマジネーション”に欠落>した人」とも受け取られかねません。

ご指摘を受けて、そのとおりかもしれないと思い始めています。
それはじっくり自省してみます。

自己紹介の件ですが、弁解しようがないので、遅まきながら、別にアップさせていただきます。

とりあえず釈明になってしまいましたが、先にアップさせていただきます。
ご容赦ください。


寮美千子  青いナムジル議論/なぜこの物語を絵本化しようと思ったのか? 2002年06月10日(月)03時22分29秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:青いナムジル/なぜこの物語を絵本化しようと思ったのか? へのコメント


つい一ヶ月前まで、メキシコの環境省事務次官だった友人のアルベルト・グレンデル氏が、その仕事を辞め、メキシコ・インドネシア・マレーシア・南アフリカなど、15カ国の連合組織を立ちあげることになりました。これは、各国の地場産業を育成し、それを連合国内で有効に輸出入しようというプロジェクト。例えば、いままでアメリカやヨーロッパの国際的大企業に独占的に買い上げられていたカカオ豆。これを、国内で精製し、国内で最終製品化することを推進しようというもの。一次産業の生産品を地元で最終製品にして活用しようという考えです。いわば、アンチ国際大企業政策。国連がバックアップをしてくれるそうです。これは「うさぎ党」の「食品移動税」(輸送コストをかけないために、地元で獲れた産物を地元で消費することを促進するためには、どうしたらいいか?)という考え方とも、基本的に同じもの。アルベルトの新たな旅立ちを祝福するとともに、このような「地元主義」を応援したいと思っています。

きょうは、ようやく腰据えて仕事をしようと思っていたのだけれど、突如アルベルトから電話。「いま、東京にいるんだけれど、会えないか? 六時半から原宿のレストランでみんなと集まることになっているから、ぜひ来てほしい。火曜日には日本を出るので、きょうしかない」といわれ、あーあ、と思いながらも旧友に会えることがうれしくて出かけたのでした。上記のことは、そこでアルベルトから聞いた話。お酒の席だったので、詳しいことはわからず、あとでメールで問い合せることにしました。そんなわけで、詳しい話はまたいずれ。

そこにいたのが、水戸芸術館の学芸員だった鈴木朋幸氏(われわれはトモと呼ぶ)。アルベルトはトモさんに「芸術とは何? という古典的かつ先鋭的な話をしたい」と持ちかけ、民族と風土という土壌から生まれる芸術、というものを、現代美術では評価するのか、とトモさんに問いかけていました。わたしの英語力では、話の30パーセントくらいしかわからなくて残念。

わたしはそこで、伊福部昭の音楽と「ゴジラ」という映画の世界的ヒットとの関連について述べたりしたのですが、酒の席ゆえ、話はワールドカップへと移行。残念でした。


吉木さん、勇崎さん、「青いナムジル」議論へのレスポンスありがとう。この問題は、私自身も自分にもう一度深く問いなおさなければ、と思っていることで、簡単にわたしの結論やまとまった考えを述べることができず、せっかくのレスポンスにお返事もお礼もできなかったことをお許しください。

で「コレが結論」と断言することはできないのだけれど「コレが発端」なら語れるので、そのことについて説明したいと思います。レビューに「青いナムジル」を書くことになった経緯について書きましたので、ご参照ください。

review0003.html#review20020610015753

勇崎哲史  追伸:もうひとつ読み落としていました 2002年06月09日(日)22時52分18秒
フィールドワーカーの方誤解しないでください。 へのコメント

もうひとつ読み落としていました。
吉木さんは
>あそこまで突っ込むなら、あなたも寮美千子の力になってあげて欲しい。
>フィールドワーカーとして作家を利用するという構図でも構わないかもしれませんね。
と書かれていますが、僕には全く意味不明で、なにをおっしゃりたいのか、よくわかりません。
読み落としたというよりは、答えようがないので、答えなかった、というほうが正確かもしれません。

先ほどのものは投稿後に推敲?してしまいましたが、
題名は、「“行動力”と“イマジネーション”の問題」ではなく「行動力と想像力の問題」のほうが気取りが無くていいかも。

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