ハルモニア Cafe Lunatique (No.0010)

寮美千子の掲示板

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DORONKO  ウルサイお願い。 2002年05月20日(月)12時12分53秒
これっきり! へのコメント

>ネットでは議論にならないねーー
>おれは・・・研究者ってのはいつも信じられないんだよね  by 信介さん

……勇崎さんとは、ほぼ完ペキにすれ違ってしまっているなと、
残念ながら、ぼくも思っています。で、ぼくはただ一般論を
述べようとしたのではなく、信介さんの疑問にお答えしようと
無理をしてみたワケなんですが、やっぱりダメでしたか?

それにしても、信介さんの研究者不信というのは、きっともっともな
理由があるに違いないと思いますが、勇崎さんが清水先生に対して
ほとんど敵意に近い態度を示されているのは、ぼくには理解しがたい
ことで、「それは違うのでは?」と言いたかったのです。

――これは、清水先生に対して、反論したり疑問を投げかけ
たりしてはいけないとか、すべきではないということでは
もちろんありません。彼だって、ごく普通に人の子として
生きているのですから、間違うことも勘違いすることもある
のは当然です。だから、「それは違うんじゃないか?」とか、
「言ってることがよくわからない」と思えるようなことが
あったなら、それはどんどんぶつけてみるべきだと思います。
(すべての疑問に即座に答えてもらえるわけではないとしても。)

――とくに、勇崎さんに申し上げたいと思いますが、単なる
誹謗や中傷ではなく、どうしても納得できないこととか、
ぜひみんなに「わかってほしいこと」などがあるのでしたら、
それを我慢して押さえたりせず、どんどんお書きになって
いただきたいとぼくは思います。(ただし、ここに適した
話題であり述べ方であるかどうかは、最終的には寮さんに
判断してもらうしかありませんが――。)

ただしその場合も、相手(この場合はぼくのことです)が
何を言っているのかについては、もう少し注意して読んで
いただきたいと思います。生意気を承知で申し上げますが、
最近の勇崎さんは、その注意力が、かなり低下しているように
思えるのが残念です。……信介さんにも、質問するならするで、
<できるだけ誤解を招かないような質問の仕方>を心がけて
いただければうれしいのですが――。

ここで、ぼくが出向いた5/3の横浜での集会のことに話を
移します。この集会は“グローバリゼーションと人権―憲法の
「国際貢献」―”をテーマとしていて、そこで清水先生は
「平和憲法の現状と可能性」というテーマでの講演を行ない
ました。(こんな言い方は、ご本人には迷惑かとも思い
ますが)当日の発言者の中で、割り振られた時間も最長でしたし、
質疑応答の際にも質問のほとんどは清水先生に集中しました。
ですから、これもあまり品のいい言い方ではないと思いますが、
清水先生は、明らかにあの集会での「主役」だったといってよい
でしょう。――しかも、その「主役の座」というのは、別に
清水先生の「地位」や「序列」で決まったというようなもの
ではありません。あくまでも、彼があの日あそこで話した内容、
偉ぶったところのないフランクな態度、そして、問題に
取り組むたしかな熱意、等が参加者の共感を誘った結果で
あることは(その場にいた者として言わせてもらいますが)
まず疑いありません。「ああ、こんな研究者もいたんだ!」
――というのが、あの集会に参加した人間の多くが感じたこと
ではなかったかと思います。
さらに、彼はあの日、演壇の上からどんなことを呼びかけて
いたのかといえば、「研究者はそれほど信用できるものじゃない」
「研究者にあまり期待しないでほしい」、「憲法を守ると
すれば、それは結局、みなさんたち市民の力によるしかない」
ということだったのです。

――実際にぼくが接したかぎりでの清水先生というのは、
以上のような人でした。ですから、(勇崎さんの“勘”には
共感できても)彼に対する勇崎さんの不信の念?のようなものは、
ぼくにはとてもフシギなことにしか思えないのです。

ところで、こうした「議論の整理」だけで問題がすべてが片付く
などとは、もちろんぼくも考えていません。――憲法という
ものの意義を認め、それを擁護しようとすることは、
<基本的には>「文明」というものを擁護しようということに
ならざるをえません。これは、この機会に強調しておきたいと
思いますが、ここにはとても大きな問題があるということを、
ぼくもずっと以前から考え、感じてきています。それは、
<決して誤解しないでいただきたい>と思います。

……ここを訪れるみなさんもきっと感じていると思うのですが、
「文明」には多くの「野蛮な側面」があったということ、むしろ、
現在のぼくたちの素朴な思いからすれば、「文明」の方こそが
「野蛮」であったと考えざるをえないような歴史的な事実が
とても多いということも明らかだと思います(その点については、
これまでに寮さんがここでくり返し論じてきていますし、その
主張にぼくも基本的には異論はありません)。

けれども、ぼくは、(これは到底十分な回答とは言えない
ということを承知で申し上げておきたいのですが)憲法が、
そうした、いわば「汚辱にまみれた文明の産物」に他ならない
としても、「それには何の意味もない」とか、さらに「否定
すべきものだ」と考えるのは、やはりナイーヴすぎるのでは
ないかと思っています。
――これは、とても大きな問題ですので、ここで十分に論じる
のは不可能だろうと、ぼくは思います。ただ、この問題に
関心のある方には、以下の本がとても参考になると思います
ので、一読されるようお薦めします。
『テロ後―世界はどう変わったか―』(岩波新書)
(とくに、西谷修氏と岡真理氏の文には考えさせられました。)

……今の勇崎さんのお気持は、きっと大阪のTさんの掲示板の方に、
よく出ているのですね。そこで勇崎さんは、山之口貘の「思弁」
という詩を引用されています。その一部を再引用します。

>文明ともあらう物達のどれもこれもが 夢みるひまも恋みるひまもなく
>米や息 などみるひまさへなくなつてそこにばたばたしてゐても文明なのか

――これは、端的に言ってしまうなら、「文明」というものが
どうしようもなくかかえ込んでいる「負の側面」についての
ニヒリズムだといってよいでしょう。そして、ぼくもまた、
一切のニヒリズムと無縁でいられるほど陽気なだけの人間ではない
ということを申しそえておきたいと思います。

Tさんの掲示板は以下の通りです。

http://6004.teacup.com/michio/bbs

本多信介  これっきり! 2002年05月19日(日)22時23分03秒
ミリタリーからボランタリーへ へのコメント

ネットでは議論にならないねーー

ギロチンかーー??

でもさー、おれは・・・研究者ってのはいつも信じられないんだよね

ただそれだけの酔っぱらいだーーい、

勇崎哲史  ミリタリーからボランタリーへ 2002年05月19日(日)04時16分02秒
言わせてもらいます。 へのコメント

 
DORONKOさま>

真摯なレスありがとうございます。
明日、というよりは、すでに今日(今は午前3時過ぎです)、都内で「伊福部昭米寿記念演奏会」に行くため、11時の飛行機に乗る僕です。ですから、とりあえず今は簡単にレスしたく思います。

まず、憲法というのは国というコミュニティにとっての「理念」だと思います。「政治」は本来その「理念を実現」するために行われる行為であり、実現のための施策が「政策」だと思います。もちろん、現実に起こりうる問題に対処することも政治行為でありますが、行為のもたらす結果について、憲法にそぐうかそぐわないかが、行為を決定する規範になるかと思います。
憲法の具体化とその解釈によって法律が形成されていくのだと思いますが、今回の「有事法」というのは、周知のように、明らかに日本の憲法に反するものです。
ただし、提出されているような「有事法」は日本以外の国には存在すると思います(ちゃんと調べていませんが)。それは、その国の憲法に反するものではないからです。
これがまず、信介氏の投稿が「有事立法の根幹に関わる素朴な問い」と感じた理由です。

有事法を考える、あるいは議論するということは、日本国憲法の第9条を考えることだと思います。
憲法第9条はなぜ創られたのか? そこに立ち返れば、この条文の大切さを認識すると思います。そして「有事法」を粉砕すれだけで、よいのではなく、第9条を理念とした「政策」が対案として創出されるべきだと考えます。
例えば、「被災国医療援助法」とか「国際教育機会創造法」とか、、。武器を買ったり、それを持って派兵するお金(つまり軍事費)を人的援助活動に振り替える(つまり「軍事費」という項目を抹消し、「国際平和貢献費」などの予算項目を創出する)。

僕は第9条を理念とした政策によって国際貢献が出来れば、日本に“有事”などおこることはありないと考えます。ですから、日本にとって必要なのは「有事法」ではなく、憲法第9条の理念を実現するための政策であり、その政策を動かすための立法だと考えます。

ここで提案していることは、例えば自衛隊の人たちを失業させようということではありません。彼らは廃止される「ミリタリー」機関から、立法により新しく創設される「ボランタリー」機関へ転勤するだけですから。

もう4時になりそうです。推敲もせず、このまま投稿します。
おやすみなさい。

DORONKO  言わせてもらいます。 2002年05月18日(土)12時40分41秒
別の感慨 へのコメント

勇崎さん>

またも「本人不在」のまま、周辺でだけ言葉が行き来するようなことは
好きではないのですが、このままでは混乱するばかりのようにも思えます
ので、ぼくからも反論させていただきます。

まず、信介さんからの最初の問いに対して、清水先生が「私の設定した
テーマで議論するのが筋」だとお答えになったところは、そもそも、
その「設定されたテーマ」って何だったっけ?ということにもなるわけで、
明らかにすれ違いがあったと思います。――また、そこに介入したぼくも、
信介さんが「中国の行動に――」ということをマクラにしていたので、
正直に申し上げますが、後半部分の問いはほとんど見落としていました。

しかし、今、読み直しても思うのですが、あそこで信介さんが出されている
問いにしても、(「聞いちゃいけない」などと言うつもりはこれっぽっちも
ありませんが)ぼくには、清水先生に尋ねるしかないことなんだろうか?
という気がしたのも事実です。

勇崎さんは、信介さんの問いに、「この疑問こそが、いま問題にしている
有事立法の根幹に関わる素朴な問いだ」と感じたとおっしゃっています。
ぼくも、それには賛同します。勇崎さんの勘は、外れていないと思います。
しかし、勇崎さんが、そこまで見通せるのならば、単なる反論のための
反論ではなく、まさに、あの問いが「有事立法の根幹に関わる素朴な問い」
であるユエンを、勇崎さんご自身の言葉で書いていただきたかったと、
ぼくは思います。――それをせず、「ぼくはそうは思わない」的な言葉
だけのやり取りになってしまったら、結局、混乱が増すばかりです。
掲示板というものには、多少の混乱もありうべきものだとは思いますが、
と同時に、筋道をはっきりさせる努力は放棄すべきではないと、ぼくは
思っています。

――前置きはこれぐらいにして、せっかくですから、ここでは、ぼくの
考える、そのユエンを述べさせてもらうことにしましょう。ぼくは
しっかりと法律の勉強をしたこともないただの素人ですから、あるいは、
トンデモナイ勘違いもあるかも知れません。でも、とにかく、蛮勇を
ふるって書いてしまいましょう。

まず、「そもそも憲法って何なのだろうか?」ということについては、
ぼくは、「それぞれの国や社会が理想とするところや、そこで暮らす
人間の基本的な権利についての考えを集約的に表現したもの」では
ないかと理解しています。さらに言えば、その国や社会の仕組みなり
「組み立て方」の基本、専門用語で言う「政体」についての規定なども
盛り込んであると思いますが、その方面は、かなりヤヤコシイ話になる
ので、ここでは無視してもよいだろうと思います(興味のある方は、
図書館で「比較社会体制論」などという本を探してお読みになると
よいでしょう。ぼくは断じて読みたくありませんけど。)

――以上のように考えてよいものならば、先の信介さんからの問いに
対しての答は、こうなります。すなわち、「…人類の根本的な憲法の
ありかた。――残念ながら、そういったものはありません。」という
ことです。憲法というものは、あくまでも「それぞれの国や社会」が
制定し、それに属するものである、というのが現実でしょう。

しかし、以上のように言ったからといって、それは、われわれ個人
個人が、一人の人間として、あるいはまさに「人類の一員として」、
理想を持ってはいけないとか、そんな理想なんてあるはずがない、
などということでは断じてありません。(ひとまずは「タテマエ上の
こと」になるかも知れませんが)この世界のすべての人間に共通する
ものと「見なされている」価値や権利があるのは事実で、それを表現
したものとして歴史上最もよく知られているのは、1789年にフランス
革命の最中に書かれて発表された「人権宣言」だろうと思います。
その後(とりわけ戦後!)制定された世界各国の憲法は、そのほとんどが、
この「人権宣言」の精神の影響の下に書かれている、と考えてよいのでは
ないでしょうか。それはつまり、憲法というものは、それぞれの国や
社会が“理想とするところ”を述べるべきものだからです。

ここで、「じゃあ、憲法って、現実とは関係ない(なくていい)んだ?」
などとお考えになるアナタ、残念ながら、答は「ブーッ!!」です。
憲法の言葉は「理想」を述べたものであるとは言っても、それが現実
とは関係のないものだと考えるのは、まさに錯覚にすぎません。
哲学の用語に「当為」という言葉がありますが、それは、まさに
「為すべきこと」、「命令」に他なりません。もしアナタが憲法を
尊重してもいいというのでしたら、アナタが「アナタの現実」を考える
場合に、アナタは憲法の言葉に含まれるこの「命令」に服することを
認めるということでなければならないでしょう。

以前にここで話題になったテーマとの関連では、じゃあ、憲法や
人権宣言とかと先住民の問題の関係は?ということが問題になるかと
思いますが、歴史的には、フランスで人権宣言が書かれた時に、
それを書いた人間たちが先住民の人たちのことをどれだけ意識して
いたのかはとてもアヤシイとは思いますが、その「精神」の上では、
決して自動的に先住民の人たちの権利を排除するというようなもの
ではなかっただろうと、ぼくは考えています。これは、実証的には
グレーゾーンの問題でしょう。(この問題については、どうか
しばらく「後回し」にして下さるよう、強くお願いします!!)

……結局のところぼくは、憲法って、「他者」を発見するための
言葉なんじゃないかな?と思っています。すべてマイウェイで、他人の
ことなんかどうでもいい、知ったことじゃない、という人間には、
そもそも憲法のような「人為的工作物」は不要だし(現実には、たしかに
その「恩恵」に与っているとしても!)、それこそ「関係ない」のかも
知れません。でも、「他者」もまた、「自分」と同様にかけがえのない
存在だと感じる人間は、人間には憲法のような「命令の大系」が必要なのだ
という考えに大きな違和感を持つようなことはないだろうとぼくは思います。
もちろん、ここでいう「命令」は、あくまでも人為的なものですから、
「神の言葉」ほどに絶対的なものではなく、理性のレベルで十分に理解
できるものであり、改変することも可能なものだと考えるべきでしょうが。

――蛇足になりますが、ぼくは決して「素朴な疑問」の意義を認めない
わけではありません。しかし、その「素朴な疑問」を発する前に、
アナタにできることはないのですか?というのが、先の書き込みで
ぼくが言いたかったことです。ぼくは、そう問い返すことが、とても
大変な要求をすることになるとは思いません。――具体的には、失礼ですが、
勇崎さんは、すでにここで紹介されている「市民と憲法研究者をむすぶ
憲法問題Web」(http://www.jca.apc.org/‾kenpoweb/)に発表されている
(清水先生もその一員である)研究者の方たちのアピール等をお読みに
なったのでしょうか?

有事法制とか憲法のことなど、「とくに関心もない」というのでしたら、
別に、あのアピール等を読む必要などもありはしないでしょう(それは
断じて義務などではありません)。しかし、「関心がある」とおっしゃる
のでしたら、まず「あれぐらい読んでみてもいいのじゃありませんか?」と、
ぼくは思います。信介さんの疑問に関しても、そのまま、直接に、というの
ではありませんが、あそこでかなりのことがすでに答えられていると、
ぼくは思っています。

今度の法案の問題については、国会議員の中では、中村敦夫氏がとても
明快に述べているのを先日見つけました。以下で読めますので、関心の
ある方はお読みになってみて下さい。


http://www.monjiro.org/message/top.html

勇崎哲史  別の感慨 2002年05月18日(土)01時17分10秒
ゴメンナサイですけど…。 へのコメント

DRONKOさま>

僕は信介どんの投稿には別の感慨を抱いていました。
彼が求めたのは、
>?でも字にはならないものもあったんじゃないのか、
>人類の根本的な憲法のありかた、教えてほしいけどな
のであって、
清水氏がが反応した
>日本(人)の問題を話しているときに、
>中国の問題を持ち出す本多さんの議論の仕方はすり替えがあります。
>中国が問題あるからといって、
>それで日本(人)の問題が免責されるわけではありません。
>まず、私の設定したテーマで議論するのが筋だと思います
というのは、的違いと僕は感じています。
が、清水氏は投稿のタイトルごと「ごめんなさい」と述べられていて、ご多忙であることから、僕の言うところの的違いは、ご多忙状態を理解すれば、全くOKなのであります。

ただし、信介どんの
>人類の根本的な憲法のありかた、教えてほしいけどな
という訴えに、僕が感じたのは、この疑問こそが、いま問題にしている有事立法の根幹に関わる素朴な問いだ、ということでした。
さすが、信介どん! と僕は会ってもいない彼に、益々愛着心を抱いてしましました。

僕の深く関わっている分野の問いがあった時に、僕も「多忙だから、ごめんなさい」で済ませるかも知れません。
でも、これが沖縄や写真の問題の問いを僕に向けられたとしたら、後で必ず応えたいとお伝えするか、参考となる図書やWebなどをご紹介して、対処すると思います。
ネットの限界はわかっているつもりだけど、そういう風な対処が許されるネットの可能性だって考えてみたいと思っています。

>まず、私の設定したテーマで議論するのが筋だと思います
の言葉には、実は閉口しました。
清水氏はこの僕の投稿を必ずご覧になると思うのであえてここに書きます。これまで、この板を荒らしちゃいけないと思って自制してきましたが、清水氏ご自身も、僕が「私の設定したテーマで議論するのが筋だと思います」のに、それをあなたの論点の“土俵”に乗せてしか語ろうとしていません。僕の主題としようとしているところや論点なんか、全く読み込もうとはしてくれていません。あくまでもご自身の“土俵”です。

清水氏はこのBBSと過日決別予告をされ、先日柔らかな決別の言葉を記されました。
いまのご多忙状況が去ったら、必ず帰ってきて来てください。
そして、この板の主宰者が、もし許して下さるなら、僕は自制心を解き放ち、清水氏への反論を投稿いたします。

僕がこのように書いてしまうのは、清水氏とは同じ方向を向く同志だから、と確信しているからです。ただ、言葉の使い方や、行動の仕方が違うだけ。

この投稿は、いってみれば、この板に出来るだけ早く帰ってきて欲しい清水氏への、僕のラブコールなのかも知れません。

出来る限り早く帰ってきてもらうためにも(という言い方はヘンですが)、僕(たち自身の問題であることですから)は、有事立法阻止の言動、行動をとり続けます。

清水氏がおられない間に、この板で、“持ち前”にかわって、“憲法”とは何かを、素人なりに探検しあってもいいかも知れませんね。

DORONKO  ゴメンナサイですけど…。 2002年05月17日(金)15時07分01秒
あのねー へのコメント

>国民性と憲法の関係ってどうなってるんだろうなーって、思っただけなんで〜


信介さん、今は名古屋ですよね?きっと、聴衆をうならせる素敵なライブを

展開されていることだろうと思います!でも、これはちょっと、信介さん

らしくもない外し方だと思います。なぜって、「国民性と憲法の関係」

なんて、一つの国につき本一冊じゃ足りないくらいの問題ですよ?それを、

この掲示板で教えてほしいというのは、ちょっと無理がすぎると思います。

もしそれを本当に知りたいのであれば、清水先生の和光大学での授業でも

聴きに行って、そこで質問するぐらいの手間を惜しんじゃいけないのじゃ

ないでしょうか?

――信介さんばかりにではなく、ぼくはこの機会に、みなさんにも、

インターネットは決して万能じゃないんだってことについて、よく

考えてみていただきたいと思います。

(清水先生は今、とても大事な問題に忙殺されている最中だと思います。
 それも考慮すべきだと思うのですが?)


本多信介  あのねー 2002年05月14日(火)02時03分54秒
ごめんなさい へのコメント

私は議論などするつもりはありませんよ。

ただね、国民性と憲法の関係ってどうなってるんだろうなー

って、思っただけなんでね、

清水雅彦  ごめんなさい 2002年05月13日(月)22時13分46秒
提案 へのコメント

金曜日から授業・有事法制取組会議、論文校正、学会×2と、GWに続きまた休みの日が潰れてしまいました。バイクも3月の九州ツーリング以来乗っていない状態で、トホホ。

そんな事情で本多さんへのコメントが遅れてしまいました。ただ中国のどの行動について述べておられるのかはっきりしないので、すみませんがコメントしようがありません。中国は色々な点で問題がありますから。領事館問題であれば、ドロンコさんが的確な指摘をしていると思います。中国側の日本側の同意があったとの主張や在日中国大使館で日本の警察が98年に似たようなことをしていたことを考えれば、単純な中国批判はできないと思います。事実関係がはっきりしていないので、それ以上なんとも言えません。

ただ、日本(人)の問題を話しているときに、中国の問題を持ち出す本多さんの議論の仕方はすり替えがあります。中国が問題あるからといって、それで日本(人)の問題が免責されるわけではありません。まず、私の設定したテーマで議論するのが筋だと思います(特に本多さんが日本人であるのならば、まず日本の問題を論じてほしいと思います)。本多さんのコメントの後半部分は、ごめんなさい、抽象的で質問の意味がよくわかりませんでした。何を問題にしたいのか、具体的に書いていただけると助かったのですが。

さて、この有事法制問題について、私たち憲法研究者有志では、今後研究者の1000人規模の声明発表、専門家向け批判コメント作成、一般向けQ&A作り、講師団結成と各地への派遣、自治体・関係労組・国会議員・政党への働きかけなど、色々な取組が始まります。私もそのメンバーとして先週から動いており、もう国会が終わるまでは土日も休みがないものとあきらめております。以上の行動については、先に案内した憲法問題Webで来週以降公開していきますので、関心のある方はそちらをご覧になって下さい。廃案に向けて全力で取り組んでいくつもりです。

そんなような事情で、寮さん、皆さんごめんなさい。しばらくの間このHPから離れます。せっかく寮さんに期待していただいて、申し訳ないです。今後、有事法制、原子力、うさぎ党、持ち前論など、ここで活発な議論が行われることを期待しております。

一色真理  生きてます 2002年05月11日(土)21時45分34秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
私信 へのコメント

勇崎さんに呼び出されてしまった。

生きてはいるんですけどね、めちゃ忙しいので、書き込もうとしても
タイミングがずれちゃうんですよ。

寮さんが「夢の解放区」のことに触れてくださっていたけど、
今アップされている夢には、有事法制下で戦争に巻き込まれた夢が
すごく多いんです。
みんなが無意識にこの法案に不安を感じていることが、
またぼくらが根本的に戦争を心からいやだと思っていることが
夢をウォッチしているだけでよく分かります。

夢は目覚めているとき以上に、人間の真実を映し出す。
だから、この活動はやめられない。
どんなに忙しくても。

DORONKO  日本政府にも疑問アリです。 2002年05月10日(金)15時59分05秒
提案 へのコメント


信介さん。今度の亡命未遂事件ですが、あれは、そもそも、現場の警官と

中国の指導部の間で、どの程度の意思(行動指針)の統一があったのかも

不明だという点を考える必要があると思います。もちろん、「阻止する

ように」という指示は出ていたでしょうが、中に入った人間まで引きずり

出せとまで指示していたとは考えにくいですね。とすると、あれは、

「結果」については突発的な事件だったとも考えられるわけです。

ぼくは、中国政府の釈明は、いささか苦しまぎれではあるとしても、

ウイーン条約そのものを否定しようとしてはいなかったし、むしろ、

一時期の強権そのものの姿勢(天安門事件の頃とか)に較べれば、随分

スマートで、柔軟になったものだなと思いました。ただ、現場を眺めていた

だけの日本の領事館の館員たちのミットモナサには、弁明のしようもない

ものを感じました。――また、他の先進諸国では、年に万単位での政治

亡命者を受け入れているのに対し、年に20名?とかしか亡命者として

認定してきていない(認定しなかった人間は第三国へ送致)日本政府が、

今回にかぎって、この国がさも人権を尊ぶ国であるかのような「ポーズを

してみせている」(それは主権国家としては当然のことでもあり、あの5人を

見殺しにしないで済むのが望ましいことであるのはたしかですが)ことに、

ぼくはとてもアヤシくてワリキレナイものを感じます。マスコミの報じ方も、

詳しくチェックしたわけではありませんが、かなりセンセーショナリズムに

傾いているように思えます。


☆なお、寮さんから、有事法制のことで、かなり不安に駆られている人が
いると聞きました。ですが、ぼくも含めて、個人でできることは限られて
いますし、ただ「大変だ!」と叫んでもどうなるものでもありません。
それに、ついに国会での審議も始まりましたが、大まかな見通しとしては、
今の国会で有事法案が成立する見込みは、それほど高いともいえない
ようです。――ただ、マスコミ(とくに新聞各紙)も、野党の指導者等も、
もう一つ問題点の把握が甘いようにぼくには見えますし、清水先生も、とくに
その点を気にかけておられるのだろうと思います。ともかく、今度の有事法案
の問題を、一番わかりやすくまとめてあるのは、以前にもここでご紹介した
「週間金曜日」の4/26号だろうと思います。まず、これに目を通してみては
いかがでしょうか?……入手がとても難しいという方には、ちょっとルール
破りになるのは承知で、ぼくからコピーをお送りしてもいいです。その
事情も含めて、ぼくにメールを出してみて下さい。



本多信介  提案 2002年05月09日(木)23時53分28秒
国際社会が認定した石原差別発言 へのコメント

清水さん、小長老です、

中国の行動におこっている、小市民です

君はどーします、

明快な頭脳をちょっと、向きをかえて

どういった時期にどういった憲法ができたのかって研究してほしい、

中国がなんで共産主義になってどんな憲法だったのか、国民性とか、ソ連も、ナチス、

今のイスラエルはどんなのか、憲法って明確には歴史は浅いの?でも字にはならないものも

あったんじゃないのか、人類の根本的な憲法のありかた、教えてほしいけどな

清水雅彦  国際社会が認定した石原差別発言 2002年05月09日(木)20時14分25秒
石原発言の補足もまた後でします へのコメント

石原都知事の三国人発言が国際社会で差別発言であると認定されたことはご存じだとは思いますが、紹介しておきます。

2001年3月20日国連人種差別撤廃委員会の最終所見勧告
「13. 委員会は、高い地位にある公務員による差別的発言、これに対して条約4条cの違反の結果として当局がとるべき行政上の措置も法律上の措置もとられていないこと、当該行為が人種差別を扇動し助長する意図がある場合にのみ処罰されうるという解釈に懸念をもって留意する。日本に対し、かかる事件の再発を防止するための適切な措置をとること、とくに公務員、法執行官および行政官に対し、条約7条に従い人種差別につながる偏見と闘う目的で適切な訓練を行うよう求める。」

ここでは名指しされていませんが、委員会で名前が出たのは石原だけなので、これは彼のことを指しています。委員会では以下のような委員の発言もありました。

「石原発言は、三国人差別であり、外国人は犯罪者とする。残念ながら日本政府は何の対応もしなかった。それはなぜなのか。」(ロドリゲス委員)

「表現の自由と人種差別処罰は両立する。表現の自由は人種的優越思想の表現の自由ではない。こうした行為を野放しにしているように見える。石原都知事の差別発言に対応が講じられていない。」(デァコヌ委員)

「石原発言には非常に傷ついた。政府が見過ごすべきではない。中国帰国者もいる。多くの外国人が日本に行きたがる、そのもとで差別が起きるのはどの社会でもあることだが、大切なことはどのように対応するかである。」(タン委員)

「石原発言は単に差別であるだけではなく、外国人を犯罪者扱いしようとしたものであり、驚きを禁じえない。公の発言で外国人一般に対する表現を使っている。」(ユーティス委員)

これもご存じかと思いますが、これに対して石原は記者会見で委員会を誹謗する発言を行い、政府も最終所見の勧告を実施するつもりはないと表明しています。

あまりに他の政治家がひどいから、石原や小泉がよく見えるのでしょうか。でも、日本で人気のある石原は、世界ではこのように批判されているのです。昨日の朝日報道によれば、石原は来春の都知事選で2期目を目指すようです。私は都民ではありませんが、来春の都民の選択が問われると思います。

勇崎哲史  私信 2002年05月09日(木)04時25分18秒

いやーー、いま仕事おわったさ。
何時じゃ。あじゃー、そとはあかるいっちゃ。
大長老さーん
小長老さーん
一色しゃーん
息してるかやー
あれれれここ、カフェ・ルミじゃ、なかった

寮美千子  スパンの違いと恩讐を超えて 2002年05月09日(木)00時00分31秒 http://ryomichico.net
舌足らずの弁明。 へのコメント

ドロンコ氏のこの発言……
 念のために申し上げたいと思いますが、もちろんぼくは、巨視的に考えること、大きな時間的スパンに照らして考えることの大切さを、いささかも否定するものではありません。しかしぼくの頭からは、「現実に、自分の目の前にいる人間に対してどう言えばいいだろう?」という思いが消えないのです。
というこれは、わたしが 必要悪としての「所有」 で書いたこの発言とほとんど同一のことじゃないだろうか。
わたしたちがどこへ向かうのかという遠い眼差しを持つこと。地球生態系規模で物事を考え、遠い未来まで考慮することと、目先の直面している事実に立ち向かうこと。このふたつは、車輪の両輪だと思います。どちらが欠けても車はちゃんと走れない。目先の問題を解決するのに、その指針となるべきは、遠い未来を見通した眼差しだし、遠い未来をしあわせに導くのは、目先のひとつひとつの現実に対する、きちんとした対応だからです。
この点で、ドロンコ氏とわたし、結局は、同じことを大切に思っていると思うのです。その会話が食い違っちゃうのは「時間的スパン」の違うことをいっしょくたに語ってしまったからですね。清水さんが、そこのところ、すっきりと整理してくださっています。
まず、所有論についてですが、これは私が以前に書いた通り、何の所有論か限定しないとかみ合ったものになりません。勇崎さんは「土地の所有」について、ドロンコさんと私は「生産手段の所有」について議論しているのであり、それに対して寮さんが資源等もっと対象を広げて話しているのです。だから、対象を絞らないといつまで経ってもかみ合わないと思います。
目先の問題を考えるときに、その根底で、いつも地球規模でモノを考えていたい。地球生態系の一員であることを忘れず、その上でいまある目先のことを判断したい。わたしはそう思っています。それが、これからの人類にとって必要不可欠であると考えています。

けれど、それは簡単じゃない。例えばイスラエルのことなどにしても、「地球の歴史」というスパンとは別に、「人間の歴史」のスパンで、「民族の歴史」や「宗教の歴史」などが複雑に絡み合ってしまっている。「人間だけのための大地じゃない」なんていっても、簡単には通用しない根深い感情の絡まりがあるわけです。

それを、どうやって解消し納得していったらいいのか。むずかしい問題です。けれど、そのような民族や宗教の恩讐を超えてなにがしかの合意点が見いだせるとしたら、すべての人間に共通の基盤に見いだすしかないのではないか。「ここは、人間だけのための大地じゃない」「人間もまた、すべての生き物とともに生態系の一部として存在している」という認識が必要なんじゃないか。

しかし、レベルの違う「地球時間」と「人間時間」というものを、どうやって結びつけたらいいのか。「憲法」や「有事法制」と「地球生態系」をどう結びつけて語っていったらいいのか。むずかしいことだけれども、その努力をしていかなくちゃならないと思っています。

清水雅彦  石原発言の補足もまた後でします 2002年05月08日(水)22時39分33秒
プチブルな飲み会とノーテンキかつマジメな掲示板の行方について へのコメント

ドロンコ様

私信メールで書かれていたこと(私信なので私からは明らかにしませんが)、頭が下がります。今回の有事法制に対するドロンコさんの怒りの行動というか、こういう形で全国各地で声を上げ・働きかけをしていけば、有事法制も潰せます。勇気づけられました。

この有事法制問題のおかげで、私はこのGW中、3本原稿を抱え、遊ぶ暇がありませんでした。ドロンコさんに紹介していただいた憲法問題Webで、来週以降順次私たちの批判コメントが出ますので、関心がある方はお読み下さい。私の原稿が雑誌に載りましたら、また情報を流したいと思います(来週は、和光大学の教職員組合の学習会で私がレクチャーをします)。

寮様

あの飲み会が高いという感覚を持たれていて安心しました。ただ、飲み屋での社会構想論ですが、まだ引っかかることがあります。私たち研究者は、もちろん議論は酒のない場所でやるのですが、確かに酒の場での議論の意味もわかります。でも、酒の場って参加者に優劣が出ることにお気づきですか? 酒が飲めない・嫌いな人は来なかったり、その場を楽しめなかったり、弱い人は思考能力が徐々に低下してきちんとした話ができなくなる。私はお酒が大好きで、弱い方ではないと思いますが、一方で体質上色々な人がいることに配慮すべきだと思います。酒の場は、結局酒が強い人が優位に立ってしまう場なのです。だから、本当に真面目な議論は酒の場はふさわしくありません。

そうは言っても、中身がわからないと何とも言えません。もし可能なら、そのうさぎ党の社会構想論を公開されてはいかがでしょうか。

宇宙論という視点は別ですが、寮さんが松井批判をきちんとされていたことはさすがですね。その批判文は読んでいませんでした。こういう議論は大いにやるべきだと思います。

議論といえば、私は厳しい表現をするかもしれませんが、日本人は議論に慣れていないから引く人がいるかもしれません。ここは寮さんファンが多いHPでしょうから、ひんしゅくもかうかもしれません。でも、研究者の世界の議論はもっと厳しいものがあります。そういう意味で物足りない掲示板なのは確かなことなのですが、研究者の集まりではないからそれもわかっています。ただ、カフェ・ルミに軽い話題で書いても、さほど反応がないので、様子を見ながら両掲示板とのおつき合いの仕方を考えていきたいと思います。



DORONKO  舌足らずの弁明。 2002年05月08日(水)21時44分57秒
必要悪としての「所有」 へのコメント

 「所有」について、以前から会話がすれ違っているような気がしてなりません。
                                ―寮さん―

 ――これは、「どうしてなんだろう?」と、ぼくも不思議で仕方がありません。

 ぼくは、このテーマについての3月11日の最初の書き込み「自然vs人工?」の中で、
以下のように述べました。
 
 ぼくは、この世界には所有したりできないものが多々あると感じてもいます。

 われわれが生き――組み込まれている近代社会においては、国家が領有権を主張し、
 互いに争ったりもしているけれども、空や海、そして大地等を人間が「所有」
 しうるという考えが、多分に倒錯したものであることはたしかでしょう。

 さらに、これに続けてぼくは、「現実には、その総体は別として、『部分』に限る
ならば、水も鉱物も土地も、資源や私有地として商品化もされ、大規模に流通している
わけですけれども。」と書きましたが、これはもちろん、ここでいう「現実」が
全面的に正しいのだ――などとと言おうとしたのではありません。むしろ、ぼくもまた、
これらの「商品化」や「流通」の実態には大きな疑問を持っている――ということを
言おうとしたのに他なりません。これは、強いて言うならば、ぼくの「基本的立場」
であるといってよいだろうと思います。

 ――ここで、今回、ぼくの「発言」として寮さんが引用されたフレーズに飛びます。
「個人の所有なり財産まですべて放棄することにこそ未来がある――などと」という
部分は、ぼくが積極的に主張したいことではありませんから、そもそもが極めて大雑把な
表現になっています。その不備をことさらに取り上げられるのは、率直にいって、
かなり心外でした。ぼくはまず、「これはしばらくお預けにするしかなさそうです」と
述べ、その流れの中で、勇崎さんに対してであることを強く意識しながら、「ちょっと
待っていただけませんか?」と言っておきたかっただけなのですが、今回は、
「それも容赦できない」と、寮さんから言われたような気がしました。

 ただ、読み直してみると、ここには、ぼくと寮さんの「すれ違い」なり「くい違い」
が、どんなところにあるのかというヒントもあるようだな、と気付きました。

 ぼくの言う「個人の所有なり財産まですべて放棄することにこそ未来が」という
フレーズの<放棄する>は、<未来>を対比していることからもわかるように、
あくまでも<現在>における仮定的な行為を意味するものです。
 これに対して、寮さんは、<本来>、<大きな目で見れば>、<結局の所>と
いった言葉を多用していて、つまり、(少なくともこの箇所に関しては)「時間的
スパン」についての考えが、ぼくとはまるで違うのですね。――これでは、話が
かみ合わないのも当然かもしれません。

 念のために申し上げたいと思いますが、もちろんぼくは、巨視的に考えること、
大きな時間的スパンに照らして考えることの大切さを、いささかも否定するもの
ではありません。しかしぼくの頭からは、「現実に、自分の目の前にいる人間に
対してどう言えばいいだろう?」という思いが消えないのです。――「そんなこと
じゃいけない」と言われればそれまでですが、どうか、これだけは理解していただき
たいと思います。

 今、申し上げられるのは、これぐらいかと思います。


#清水先生へ

>あれは、高かった。正直、懐が痛かった。普段、わたしたちはあのような
>スタイルでの飲み会を持つことはありません。
>会場設定をしたプランナーの方が、わたしたちの金銭レベルとはまるで違う
>感覚の持ち主だったということです。
>いつもは、わたしの家でやっています。
                              ―寮さん―

ぼくは、「原宿の飲み会」には行きませんでしたので、それがどんなものだった
のかは、よくわかりません。しかし、ここで寮さんが言っているのは掛け値なし
のホントです。寮さんは、いわば「民衆食堂・寮」兼「りょりょみパン工房」の
オーナーシェフのようなもので、その姿を見なければ、寮さんの素顔はわかる
はずもないでしょう。これは、かなり“不幸な偶然”だったのでは?
……寮さん、やはり、一度、清水先生をお招きするべきじゃないかな?

>ドロンコさんと私は「生産手段の所有」について議論しているのであり〜

より正確を期すなら、ぼくは、マルクスの理論にはその限定があったのでは
ないかと述べたのであって、その後の社会運動の歴史の中で、しばしばそれが
拡大解釈されてきたことには疑問を持っている一方で、いつまでもこの限定を
絶対視すべきだと思っているわけではありません。かつて、入会地の問題が
長く裁判で争われたように、「国家による土地所有」にどれだけ正当性がある
のかには、大いに疑問があります。


寮美千子  カフェルミより移動/DORONKO  「有事法案」のこと 2002年05月07日(火)04時18分35秒 http://ryomichico.net

ドロンコ氏より以下の投稿が、もうひとつの掲示板Cafe Lumiereにありましたが、こちらの掲示板にふさわしい話題なので、こちらに移動させていただきました。>寮美千子
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DORONKO  「有事法案」のこと。 2002年05月07日(火)03時14分22秒
はじめに断わっておきます。これは、どちらかといえばLunaの方のネタです。
実際に、このテーマでの書き込みは、これまですべてLunaの方に出ています。

しかし、現在、国会に上程されている「有事法案」(3つの法律案があって、
やや詳しくいえば「有事法制三法案」と呼ばれています)が、あまりに大きな
問題を蔵したものであることを知るに及んで、「自分に何ができるだろう?」
と考えてみて、まず、その問題点を、一人でも多くの人間に正しく理解して
もらうことから始めるしかない、と考えるに至りました。

ただし、ぼくは専門家ではありません。この「有事法案」が、ぼくにはどの
ようなもの見えるかを述べることができないわけではありませんが、それで
お伝えできることには限度があります。幸い、この掲示板でもおなじみの
和光大学の清水雅彦先生が、他の憲法研究者の方たちとともに運営されている
ホームページがあり、そこで、清水先生の論説や、憲法研究者の方たちが
共同で出されたアピール等を読むことができますので、まず、これに目を
通してもらえたらと思います。

「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web」
http://www.jca.apc.org/‾kenpoweb/
このHPで、まず読んでいただきたいのは、以下のものです。

・有事法制3法案の閣議了承に抗議し、緊急に訴える(2002年4月16日)=共同アピール

・「有事法制・改憲論を考える」=清水先生の論説

・「米軍支援法案」・自衛隊法改正案に反対する憲法研究者の緊急共同アピール
 (10/10/2001)
→これは、昨年の9・11後の状況について理解するには、ぜひ読むべきものでしょう。

なお、朝日新聞をとっている方は、5月4日の朝刊の8面・9面の「私の視点」で、
この問題を取り上げていますので、これをお読みになるとよいでしょう。
あきれてしまうような意見も載せられていますが、ぼくが読んでほしいのは、
古関彰一氏と沖縄出身の作家、目取真俊氏の意見です。
(寮さんやぼくの考えをお知りになりたい方は、Lunaの方をご覧ください。)

寮美千子  石原慎太郎都知事の「有害なものはババア」発言について 2002年05月06日(月)23時37分02秒 http://ryomichico.net
再コメントと話題提供 へのコメント

▼『週刊女性』2001年11月6日号
「石原慎太郎都知事吠える! 東京で、日本で、世界で、いま、何が起きているのか」
「今何が起きているかって? 人類は滅亡に向かって進みつつあるんですよ」
「松井教授が『人間圏が構えられてから地球はどんどん滅亡へ急いでいる』といっているけど、そのとおりなんだ。人間圏というのは、文明ってことですよ」
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄な罪です』って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。
 まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね」
都議会での石原知事の答弁
私の週刊誌等の発言についてでありますが、これは私が一時間余、松井教授とMXテレビで話をしました。その後、それがどういうふうに編集されたかはわかりませんが、人間の存在をめぐるこの地球の環境悪化について、惑星物理学の泰斗であります松井さんからいろいろ話を聞いて、慄然とした思いでありました。その話の連脈の中で、彼はかなり思い切ったレトリックで、人間がいかに地球にとって尊大で、傲慢で、自然の共存の循環その他を壊してきたかという話をしております。
 結論から申しますと、今のご質問は、私の発言のごく一部を引用しているだけで、極めて恣意的といえば恣意的ですが、卑劣なデマゴーグ的な手法で、これは私は非常に危険な発言の構造だと思います。時間がたったから、皆さんお急ぎかもしれません。ゆっくり大事な話をしますので、お聞きいただきたい。
 私が松井さんとした話は、なかなか暗示的、啓示的でありまして、私、議員のころ、十数年前ですけれども、東京のある場所で、例のブラックホールを発見したホーキングの話を聞きました。この人は筋ジストロフィーで、もう死ぬ死ぬといわれて、その後長生きして、奥さんも取りかえたみたいだけれども、言葉が出ずに、コンピューターで言葉をつくって講演しましたが、その後質問が許されまして、ある専門家らしい人が、しからばこの宇宙に、この地球並みに高い文明を備えた星が幾つぐらいあるんでしょうかと聞きましたら、ホーキングが言下に、二百万ぐらいだろうと。みんなびっくりしました。そしたら、その後また若い人が質問しまして、なぜ我々は、それだけ文明の進んだ星が周囲にありながら、宇宙人とか宇宙船を、映画では見たりしますけれども、実際に目にすることはないんだろうかといったら、ホーキングは、それはあり得ない、宇宙船を飛ばすようになった惑星というのは、地球に限らず、宇宙全体の時間の総量からすると、本当に瞬間的な時間帯で不安定になって消滅する、地球も必ずそうなるといいました。
 そんな話を松井さんとしまして、松井さんは、そのとおりだといった。しかも、そのころちょうど私、ある本屋から本を贈られました。それは日本以外の、外国の人も含めて、ある専門性を持った専門家と称する人たち、これは人文科学も含めてでありますが、この文明の状況の中で、人類はあと何年ぐらい存在するだろうかという質問に対して、八五%の専門家がたしか、七、八十年から百年以内という答えをした。中には永遠なんていう人もいましたが、これは論外であります。
 私がその話をしましたら、松井さんも、実にそのとおりだ、地球なんかもう長くない。どんなに長くたって百年で人類は滅亡する。人類だけが、人間だけが存在というものを、難しくいえば、哲学の命題として心得ている。つまり、地球というものの存在を認識できる動物というのは人間しかいないわけですから、人間がいなくなってアブラムシやカラスがばっこしても、地球が存在するという形にはならない。ということで、私は、やっぱりそんなにもちませんかといったら、もたないでしょうと。
 地球に一番近い、高度な文明を持っている星というのはどこですか、宇宙の何とかという星だろうと。しかし、石原さん、それはべらぼうに遠い、とにかく太陽と地球の間の距離を十円銅貨の直径に例えるなら、それで換算すると、三十三キロある、とてもそんなものは、地球に、いかなる宇宙船でも人間が乗ってくるわけにいかないという話をしていました。
 話は少し長くなりますが、多分、私たちが行政を考える、人間のための行政を考えるために、いいよすがになると思いますけれども──共産党、嫌なら退室されて結構ですよ。(「すりかえなさんな」と呼ぶ者あり)いや、すりかえてないんだ。大事な話をしているんだよ。最後まで聞きなさいよ。長くかかると断ったでしょう。
 でありまして、松井さんは、五十万年前に人間が人間として発生した、それから狩猟を続けてきて、一万年前に人間は牧畜、農耕を始めることによって、備蓄というものを覚えて、物をもっともっと生産するという非常に強い願望を持つようになったと。そして、牧畜を通じて、この地上に生存する他の動物を人間のために使役する方法を覚えた。そのあたりから地球の自然の循環が狂ってきて、地球圏に人間圏という別の世界ができた。私はそれは文明ということだろうといったら、まさにそうです、その文明が始まってから、人間は地球に張りついたがんのようなものですと。今さらになって、危機感を感じて、地球に優しいとかなんとかいったって、そんなものはちゃんちゃらおかしい。とにかく我々はこの地球の存在の形を狂わして、ここまで来たので、百年足らずで多分人類は滅びるでしょうということを彼は平然といいました。
 そして、他の動物、他の生命とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在の主張をし過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。
 それを、私は他の座談会なりにわかりやすく説明したつもりでありますけれども、それを共産党がどう解釈するか別でありますが、いずれにしろ、私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年とった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。
 ゆえをもって、私はそれを私なりに受けとめたわけでありまして、あなたは何か私の発言を撤回しろというけど、私は私で女性を敬愛しております。ゆえに私の発言を撤回するすべもございませんし、する必要もないと思います。終わります。
▼松井孝典批判
清水さんがご指摘くださいましたが、石原発言はあまりにひどいので、あえて再録してみました。清水さんが再録してくださったものに、付け加わった部分があります。松井孝典発言の引用の部分です。「ああ、石原知事の、こんな馬鹿げた傲慢な発言の裏に、やはりこの人がいたのか」と、わたしは改めて嘆息せざるを得ませんでした。

松井孝典氏は東大の大学院の教授。宇宙時間のスケールで文明論を語る学者としてあちこちで引っ張りだこで、NHKの科学番組にもよく名を連ねています。しかし、わたしは以前から彼の傲慢な視点に強い怒りさえ感じてきました。

地球生成の時間スケールで生命や文明について考えること、それは実に大切なことです。実際、それなしには、人間はいま自分たちが立っている位置を確認できない。その視点を持つことができれば、人はより謙虚にならざるを得ないと、わたしは考えてきました。

しかし、松井孝典氏の発言に出会い、人間はこのようにも傲慢になれるのだということに気づき、驚きを禁じ得ませんでした。地球生成の時間スケールで生命や文明について考えること。それは松井孝典氏にとって「神なる者の視点を持つこと」とイコールであったようです。もちろん、ここでいう「神なる者」とは、松井孝典氏のイメージのなかにある貧困な神のイメージですが。

長い長い時間のことを考える。わたしたちがなぜここに存在しているのか、その来歴を知る。そのこと自体には、実は「思想」はないのかもしれない。その事実を知って、より傲慢になるか、深く謙虚になるか、それは人それぞれなのかもしれない。その分かれ道はどこにあるのだろう? 松井孝典氏の言説を見て、わたしはそう思わざるを得ませんでした。

しかし、例えばわたしの敬愛する地球生態学者の三島次郎先生の講義を受けると、やはり知れば知るほど「自然」に対しての敬意を感じないではいられない。深く謙虚に自然に学ばなければ、と痛感します。これは、地球生態学という学問のなせる技なのか、それとも三島次郎先生のお人柄なのか? 三島先生のインタビューは「さうすウェーブ」で見られますから、みなさん、ぜひご覧になってください。

もちろん、三島次郎先生の人格もあるだろうけれど、同時に、地球生態学という学問が、三島先生のお人柄を形成してきたのでは、とも思えてくるのです。

ともかくも、松井孝典発言は、一見長い長い時間を見通して人類のことを考えようよ、という心ある呼びかけに見えますが、その本質は違う。確かに、文明の登場そのものが地球にとって「反自然」であった認識は必要ですが、だからこそ謙虚にどうするべきかを考えるべきであり、地球という生命体の一部としてどう調和していくかを真剣に模索すべきなのです。それを考えてこそ文明であり文化ではないでしょうか。それを「百年足らずで多分人類は滅びるでしょうということを彼は平然と」言い放つ。松井氏の言うように「地球というものの存在を認識できる動物というのは人間しかいないわけですから、人間がいなくなってアブラムシやカラスがばっこしても、地球が存在するという形にはならない」のだとすれば、反自然である文明を築き、そのことに気づいてなお、どう調和していこうかという努力を無益だとして滅亡を唱える人類など、アブラムシにも劣る存在であり、その意味で言えば、すでに地球は存在しないも同然、ということになるのではないでしょうか。松井孝典氏が、そのような発言をしているということを、心ある人々が読み間違えないでほしいと願い、松井孝典批判の文章をすでにレビューにも掲載してあります。

このような人物が東大の教授であるということに疑問を感じないではいられませんが、(人格の問題だけでなく、松井氏の専門である太陽系生成のシミュレーションに関してさえ、同業者から疑問の声があがっています)松井氏の発言を引いて、このような発言をする石原慎太郎という人物が都知事であるという日本の現実も、まるで悪ふざけのシュルレアリズムの世界を見ているような気がします。

わたしは都民ではないので、都知事選には投票権がありませんが、やはりこれはまずい、まずすぎる。そう思って、ここに再録しました。この発言に言及する機会をくださった清水さんにお礼を申しあげます。

寮美千子  プチブルな飲み会とノーテンキかつマジメな掲示板の行方について 2002年05月06日(月)23時23分53秒 http://ryomichico.net
飲み屋で出た社会構想論? へのコメント

▼原宿の飲み会について
あれは、高かった。正直、懐が痛かった。普段、わたしたちはあのようなスタイルでの飲み会を持つことはありません。だいたいが、外で飲むことはほとんどないといってもいいくらい。わたしのライブとか、信介さんのライブとか、そんなイベントのあるときだけです。あの時は、北海道から勇崎さんが見えられて「ぜひ」というお声がかかり、勇崎さんのご都合に合わせての飲み会でした。勇崎さんは、お友だちの原宿のプランナーの方にお任せして会場を決めたようです。つまり、会場設定をしたプランナーの方が、わたしたちの金銭レベルとはまるで違う感覚の持ち主だったということです。

そんなわけで、いつも、あんなスタイルの飲み会をしているわけではないことをご了解ください。いつもは、わたしの家でやっています。

▼ゆるゆる行きたい
>飲んだ場で議論した社会構想論て、一体どの程度の理論なんでしょう
清水さんは、いつも「完成度」を大切になさるようですが「誰もが気軽に政治の話をするべきだ」というのであれば、理解度、完成度を問わず、気軽にそういうことを話題にする態度や、それを受けいれる態度が必要だと思います。そういう入り口なしでは、やはり「政治はむずかしい」といって、敬遠されてしまう。「わたしのいうことなんか程度が低いから、会話には入れないな」と思われてしまう。わたしだって、専門家の清水さんにそういわれれば、やっぱりそう感じて怖じ気づいてしまいます。それでは、もったいない。政治のことも話したいな、という人が、ほんとうはいっぱいいるんだから。入り口の敷居は低くしておいて、みんなが参加できる雰囲気をつくって、そして、そこで提案されたことをみんなでゆるゆると(焦らないで)話題にする。そうするうちに、少しずつ理解も深まり、また関心も高まってくると思うのです。

▼頼りになる専門家の存在
そのようなところに、清水さんのような、ばりばりの「専門家」がいて、われわれがトンチンカンなことをいったときに「啓蒙」のつもりで、いろいろ教えてくださると、とても助かります。清水さんから見たら、話が通じなくていらいらするだろうし、そんなボランティア、いちいちやってられないよって気分かもしれませんが、わたし自身、清水さんにはいろいろと教わりたいなあ、というスタンスです。「政治」が専門ではないCafe Lunatiqueにとって、そのような専門家がいることは、とても心強いことなのです。

▼掲示板という新しいメディア
掲示板のいいところのひとつは、答えても答えなくても構わない、ということだと、わたしは思っています。基本的に、みんなが自分の空いた時間を使って見ているわけで、毎日見られる人もいれば、忙しくて目を通せない人もいる。そのことをみんなが了解の上で、ゆるゆる話を進めていく場所です。すぐに反応がないからと、がっかりする必要も、怒る必要もないとわたしは考えます。さいわい、この掲示板はログが残るし、半年たってからでも、話を蒸し返して語ることも可能です。空間も時間も超えて対話できる。それが、掲示板という新しいツールのいいところではないでしょうか。

▼提案
完成度の高い、意識の高い対話の場が火急に必要であれば、清水さんご自身で掲示板を主催なさることも、効果的かと思います。掲示板には、主催者の人柄やレベルが表われますから。ほんとに。Cafe Lunatiqueにご不満であれば、それは参加者のレベルの問題ではなく、むしろわたし自身のレベルの問題だとお思いください。

清水雅彦  飲み屋で出た社会構想論? 2002年05月06日(月)09時55分21秒
再コメントと話題提供 へのコメント

寮さんの書き込みにもう一つ答えるのを忘れました。その社会構想の話ですが、私はてっきりここで論じられていた「持ち前」論のことだと思って書きました。その「うさぎ党」については、どういう「党」でどういう議論をしているのかわかりませんので、中身についての議論はできません。

ただ、飲み屋での話ということで思ったことを一つ。ひんしゅくを買うような話でもあります。前に個人的に一部メールで書いたように、私は口では構造的暴力の解消を訴えても、実際には日本で生活しているから矛盾にまみれながら生活しています。私にとってはささやかな月に一度ほどの贅沢ですが、バイクにも乗ります。そこそこ物にあふれた生活をしています。しかし、ほんのわずかながら、例えば山谷の日雇い労働者やホームレス、アフガン難民に対する支援もしています(ほんのわずかな支援で、自己満足してしまう問題があります)。

地球環境資源が大事だ、という場合、みんなの少しずつの努力で大きな力になるはずなのに、結局日本はアメリカ的な浪費社会なんですよ。それにどの位の人が自覚をしているか。『世界がもし100人の村だったら』で、正面からのアメリカ批判の記述がありますが、でもこれは日本もそうなんですよ。細かい数字をあげると嫌らしいですけど、私自身なるべく無駄遣いしない努力はしています。今だと2ヶ月の水道代は1200円台で、1ヶ月の電気代は平均100kwは越えません。外で飲むことほど無駄なことはないので、本当に最低限に(残念ながら)とどめています。

そういう意味で、あの勇崎さんを囲んでの3月の飲み会はなーと思います。あそこでの議論は全否定しませんが、あれだけ(私の感覚だと)お金をかけて飲んで議論をして、どの程度実益があったのか。先に書いた、人から物をもらったときの対応の仕方の問題と考えあわせれば、なんだ結局社会でそれなりに地位・肩書のある人たちとは傲慢で自己満足になってしまうのか、と思ってしまいます。あの場で言ったとおり、自分たちがプチブルだということの自覚が足りない。うさぎ党の話に戻せば、飲んだ場で議論した社会構想論て、一体どの程度の理論なんでしょう(また大分挑発してしまいましたね。でも実は私はこの掲示板からの引き際を考えつつ書いています)。

清水雅彦  再コメントと話題提供 2002年05月06日(月)01時43分48秒
有事法制について/わたしの考え へのコメント

寮さんが私の挑発に応えてかなりのご意見を書いていただいたので、寝る前に少し応答しておきます。

まず、所有論についてですが、これは私が以前に書いた通り、何の所有論か限定しないとかみ合ったものになりません。勇崎さんは「土地の所有」について、ドロンコさん(集会報告ありがとうございました。でもその「先生」はやめてくださいよ)と私は「生産手段の所有」について議論しているのであり、それに対して寮さんが資源等もっと対象を広げて話しているのです。だから、対象を絞らないといつまで経ってもかみ合わないと思います。

次に、芸術家論に関連してですが、私は人は政治と切り離して生きていけないから、政治に関心を持ち、意見表明をすべきだと考えています。医療費や国立大学の学費は無料にするのか否か、税金は直接税中心でやるのか否か、税率はどうするのか、有給休暇は最低何日保障するのかなど、日常生活に関係するもの何でもいいですが、これらは全て国会と政府の力関係、政治の問題です。遊び、趣味、仕事について考え、語るのはもちろんのこと、政治についても同様の態度が求められていると思います。今、反ルペン問題でスポーツ選手や俳優まで発言していることをどう考えるか、ということでもあります。もちろん、各人がどう対応しようと自由ですが、私は日本人は「無関心右翼」が多すぎると思います。

寮さんの有事法制に関するコメントについては同意いたします。中谷防衛庁長官も認めているように、日本が直接攻撃を受けるような事態を政府は否定しています。政府や一部マスコミなどが9・11事件や不審船問題であおっていますが、今回の法案にはこれに対処する規定はありませんし、これらは警察・海上保安庁が対処すべき問題です。朝鮮(前にも書いたかもしれませんが、私は政府・マスコミ用語の「北朝鮮」という表現はしません。東西ドイツの例があるから「北朝鮮」という表現もわかりますが、その場合は韓国を「南朝鮮」と表現しないとおかしいです。私は大韓民国のことを「韓国」と、朝鮮民主主義人民共和国のことを「朝鮮」と表現しています。朝鮮総連のように「共和国」という言い方もしません。それにしても本当にこの「韓国」に対する「北朝鮮」という表現はなんなんでしょう。もちろん、皆さんに「朝鮮」と表現すべきだと強要するものではありません)。テポドン発射は、日米交渉のためのプロパガンダにすぎませんし、原油を中国から輸入している朝鮮が中国が反対するような軍事行動を起こせません。装備の貧困さや国際世論のことを考えても、朝鮮が日本侵略なんてするわけがない。講演でも言いましたが、「備えあれば憂いなし」ではなくて「備えあれば嬉しいな」と思っているから推進勢力が有事法制の立法化を図ろうとしてるのです。

前回、石原に触れたので、以下話題提供を。皆さんもご存じのように、彼は三国人発言に見られるような外国人差別主義者であり、「生きている価値はあるのかね」発言に見られるような障害者差別主義者です。ディーゼル規制などいくつかの個別政策や、はっきりものを言うくらいで何であんなに支持されるのか。彼はヨーロッパに行けばネオ・ナチでしょう。そこで、知らない方もいると思うので、今年の授業のガイダンス時に授業のネタとして紹介した彼の差別発言を紹介しておきます。これを聞いて皆さんどう思いますか。

「石原慎太郎都知事吠える!」という石原へのインタビュー内容(週刊女性01年11月6日号)
「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東大大学院教授)がいっているんだけど、『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄で罪です』って。男は80,90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。なるほどとは思うけど、政治家としていえないわね(笑い)。 まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけれど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうよね」

都議会で週刊女性での発言撤回を求められて(01年12月11日)
「私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いた「姨捨て山」という『楢山節考』というね、年をとったおばあさんを、その部落の貧困ゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは非常に、年とった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的なひとつの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。ゆえにもって私は、それを私なりに受け止めたわけでありまして、あなた、なんか私の発言を撤回しろというが、私は私で女性を敬愛しております。ゆえに私の発言を撤回する術もございませんし、する必要もないと思います」

勇崎哲史  当面の夢 2002年05月05日(日)22時25分43秒

  
「所有」をめぐってのBBS上での語り合い、当事者の僕は企画展制作で2週間前の10日間、社内キャンプ状態でほぼ徹夜の連続、ようやく展覧が開幕し、この3日間、怠惰をむさぼっておりました。この間の投稿が多く、まだきちんと読んでいません。I am ソーリ(私は総理ではありません)。
寮さんが僕にかわって弁明してくださっていて、かたじけない、だったけ、、武士用語でサンキュー・ベラマッチャの意なのですが、、、。
そもそもこの「所有」論?は、寮さんの投稿「未来のための呪文」へのレスとして“持ち前”探検の語り合いの延長上で投稿したものです。これまでの所有の概念を考え直しては?といった問題提起的な投稿です。
(寮美千子 未来のための呪文 [voice] 2002年03月06日(水)03時12分10秒)
cafe0007.html#cafe20020306031210
(続“持ち前”探検隊:“所有”をめぐって 2002年03月08日(金)00時56分40秒)
cafe0007.html#cafe20020308005640
過去ログを読み返していただけるとありがたいのですが、僕は土地の所有(資本主義型と共産主義型)に限定して発言しているのであって、いわゆる“財産”論ではないのです。そしてマイノリティをその対極とし、いきづまった状況を打破するひとつの方向として、彼らの“持ち前”に学んでみてはどうだろう、という趣旨の投稿です。
そこで、数々の多様なレスをいただきました。僕が述べようとする「所有」論にシンプルな答えがあるなら社会はすでに変革されていると思います。答えのない問題であることを前提に僕は提起したわけで、そのようなことから、この件については次にイマジネーションの問題を提起させていただきました。(イマジネーション〜国際立公園という発想 2002年03月19日(火)05時44分35秒)
cafe0008.html#cafe20020319054435
所有の概念から離脱してみた想像力で考えたことです。〜(僕は所有をめぐって、例えばこんな話がしたかったのです)これは僕の当面の夢でありまして、沖縄の基地をインターナショナル・トラストによって国際立公園にすることなのです。僕はやるぞー。
愛すべき某氏より、僕は「アバウト」で「変な人」とのお褒めの言葉?をいただきましたが、それなりに反省&自戒しながら、、、今日はこれでおしまい。

(有事法制についての投稿はあらためてします。おやすみなさい。)

寮美千子  有事法制について/わたしの考え 2002年05月05日(日)17時25分10秒 http://ryomichico.net
昨日のこと、それに関連して へのコメント


有事法制について「どうしてこんな馬鹿げたことになっちゃうんだろう?」というのが、わたしの正直な感想です。わたしは、この法制を通すことに全面的に反対です。

前提として「戦争はいけない。無益である」とわたしは思っている。人と人が殺しあうことを合法的に認めるなんて、野蛮でしかない。お互いの「正義」が食い違えば、お互いが殺しあうことになる。そのとき、一体どこのだれが死を宣告するに値する「絶対の正義」を判定する権利があるのだろう。地上の誰にも、そんな権利はありません。殺されるのがいやなら、誰に対しても殺すことを「絶対に不可」と規定せざるを得ない。殺すことを認めたら、殺されることも認めざるをえないからです。その意味に置いて、わたしは「死刑廃止」を唱える者でもあります。

「戦争がいけないのは認めるけれど、でも、ならず者国家が侵略してきたら、きみはどうするつもり?」というのが、有事法制を成立させたい人の言い分だと思います。

武力に対して武力で応戦する。それは、同じ土俵に乗ることです。結局は戦争を容認することにしかならないから、そんなことをしたくない。

「そうはいっても、じゃあ、やられっぱなしでいるつもり? 黙って殺されるつもり? 備えをしなくていいとでもいうの?」

それは、確かに問題です。けれど「攻めてきたら」という前提を、もう一度ここで考え直してみるべきじゃないか。

「攻めてくる」には、それだけの理由があるからでしょう。攻めてこないように、きちんと話し合いは持てないものか。外交というものが大切なのは、そういうお互いの齟齬やなにかをきちんと話し合い、調整するためだと思う。その外交を司る外務省が紛糾してまともに機能していないのに、そのことへの対処をきちんとしないで「有事法制」を持ち出してくるのは、順番が違うんじゃないか?

安全保障、というけれど、アメリカ軍が日本にいることが、果たしてほんとうに「安全保障」だろうか? より危険なのではないか。「きみを守ってやるよ」という米軍が「きみは言うこときかないから、きみを支配することにした」といいだしたらどうなるのか? 第一、そこまでいわなくても、現実として攻めてくるかもしれない幻想の北朝鮮より、いま頭の上を無謀に旋回している米軍機が墜落する危険の方がずっと大きいんじゃないか。

日本が、アメリカのいうことをきいて、腰巾着のような真似をするのは、実は駐留して売る米軍が恐いからではないか? また、経済的に制裁を受けることが恐いからではないか? 結局、脅かされてヘエヘエしているのが現状?

どうやったら、そんなにヘエヘエしなくてすむようになるのだろう? わたしは食料の自給率とエネルギーの自給率を高めることが、安全保障には不可欠だと思う。

エネルギーの自給率を高めるために原発を推進せよ、などということではない。低エネルギーで回る社会をつくっていくこと。マイクロ分散発電で環境負荷を高めないでエネルギーを作りだすこと。そのための研究開発に、資金を注ぐべきだと思う。原発に注いできた資金を、すべてそのような研究に振り向けていたら、いまごろどれだけの成果があがっていただろうと思うと、くやしい気持ちになります。

日本列島は、いまのところ日本の人口を養えない、と言われている。このへんのところも、ちゃんとした試算のデータが欲しいところだけれど、ともかく現状として日本の人口を養う耕地の3分の2は海外に依存している、といわれている。そうなると、いざ戦争といって食料が封鎖されたら、ひとたまりもない。だから、なるべく食料の自給率を高めるべきであると、わたしは思う。

人口増加率の低下が問題視されているけれど、わたしはそれはいいことだと思う。適正人口になれば、食糧自給率のパーセンテージもあげられる。生態系の問題からしても、日本はこの面積にしては人口が過剰だ。大型ほ乳類がこれだけいるなんて、やっぱり自然の許容範囲をこえた状態だと思います。

しかし、人口減少にあたっては、目先の経済問題や社会構造など、クリアしなければならない課題が山積みのことも確か。しかし、それをクリアしながらやっていくしかないと思う。根本に「人口減少は是」とするべきではないか。

人口が減ると、他国から人々が流入してくるはず。その時、どう対処するかも、難しい問題のひとつだと思う。移民により人口爆発が起こるとしたら、描いてきたシナリオはパーになってしまう。

ということはつまり、日本のことだけを考えていてもダメで、やっぱり近隣諸国の人口問題も、いっしょになって考え、方策を立てて、協力できることは協力していかなければならない。近隣諸国の問題を親身に考えて協力していくことが、日本の安全保障につながると思う。

そのような意味においても、近隣諸国の心情も考慮せずに、靖国神社に参拝する小泉首相の態度は間違っていると思う。このような行動をとって国民を危険に晒すことは、許されないことだ。有事法制云々以前に考えるべき問題だと思う。

誤解されては困るが、これは近隣諸国の顔色をうかがってゴマを擦れ、という意味ではない。靖国神社の存在そのものに端を発することであり、また歴史をどう捕らえるかという史観の問題だと思う。日本の侵略行為は当時においても間違っていたとわたしは思う。近隣諸国とのきちんとした対話をするためには、まずそれをきちんと認める必要があるのではないか。

う、しまった。また熱が出てきた。耳から煙も出ているかも????

▼うさぎ党政談について
松永さんが、内輪で話している社会構想をまとめたいと考えられており、このHPの主催者・寮さんの課題でもありますが、それはまだまだですよ。まだ議論の質が不十分だと思いますし、議論に加わる人が少なすぎます。
という清水さんのご意見に、ちょっと意見があります。「うさぎ党の政策案をまとめて発表しよう」という飲み屋でのヨタ話をさしていると思うのですが「うさぎ党」それ自体が実体のあるものではなく、政策案も「これが決定版」ではなくて「アイデア」の段階。気軽に、そういうものをWEB上で発表して、みんなに見てもらい、それを話のタネにして、そこからいろんな話を広げてみようよ、という意味なのです。充分な討議がなされていないから発表はまだまだ無理、というスタンスではなくて、むしろ、そこから討議を進めていけないかなあ、というスタンス。政治や政策の話も、そんなふうにある意味気軽にできたらいいなあとの気持ちです。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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