ハルモニア 偏光図書館/寮美千子の書架

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■石の花 ―林芙美子の真実― 太田治子/著

 ⇒http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480885265

Tue, 05 Aug 2008 21:55:57

 林芙美子といえば自伝的作品「放浪記」が知られているが、いま、この作品を読む人は、そう多くはないかもしれない。むしろ、来年、上演二千回を迎えるという森光子主演の舞台「放浪記」の主人公・芙美子の、明るくたくましく、多少がさつだが、ひたむきな人物像が、原作を離れて一人歩きしてきた感がある。
 林芙美子の評伝「石の花」の著者太田治子は、このイメージに長らく違和感を抱いてきた。著者は中学生の頃、映画「浮雲」を見て「腐れ縁の世界ではあっても」「純愛としか思われない」恋愛に感動、後に芙美子の原作を読み、「どの頁を開いても息づまるような情景がたちのぼ」る描写に強く惹かれる。
 しかし、著者が芙美子に惹かれた理由は、それだけではなかった。「生まれたての赤ん坊のころに、林芙美子に抱っこされたことがあった。昭和二十三年の秋、父の太宰治が入水してまだまもないころである。」著者は芙美子に、養女にと望まれたことがあったのだ。
 そんな芙美子に寄せる著者の思いは強い。資料を徹底的に調べ、検証し、芙美子の足跡をたどってパリへ屋久島へと赴き、生前の芙美子を知る人や関係者に直接会って話を聞く。
 綿密な取材を重ね、芙美子に近づけば近づくほど「わからない」部分が際立ってくる。その闇の部分に、著者はさらに踏みこんでゆく。文中に「という気がする」「に違いなかった」という語尾が頻出するようになる。
 するとそこに、明るさとは裏腹の深い孤独を抱えた繊細な芙美子像が浮上してくる。それは、従来の芙美子像に新しい光を投げかけると同時に、著者自身の心の鏡像ともいえるかもしれない。この著者の「小説・林芙美子」をいつか読んでみたいと、切に思った。

『石の花 ―林芙美子の真実―』 太田治子/著

 筑摩書房 2008年4月24日
 ISBN 9784480885265 本体価格2200円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

公明新聞 2008年7月28日書評


■「宇宙」の地図帳 新常識がまるごとわかる! 懸秀彦/監修

 ⇒http://db2.dcube.co.jp/seishun/search/FMPro?-db=seishun_db.fp5&-lay=cgi&-format=detail.html&-RecID=12884367&-Find

Fri, 25 Jan 2008 01:03:06

 星を見て美しい思わない人はいないし、宇宙の果てに思いをめぐらせない子もいない。たかだか百年ほどの寿命しかないのに、何億光年も彼方のことを思うなんて、人間とは、なんと不思議な生き物なのだろう。
 日常の忙しさにかまける大人の心の片隅にも、宇宙へのロマンは、きっと眠っているはず。『「宇宙」の地図帳』は、そんな心に応えてくれるうれしい一冊だ。これ一冊で、天文学の基礎から、最新宇宙科学の成果まで、すべてがわかってしまう。
 さっそく中身を見てみよう。第一章は「ここまでわかった! 宇宙の秘密最前線」。電波や赤外線、X線などの最新の観測によって得られた新しい宇宙像が紹介されている。
 科学は苦手という方は、第二章「いまさら聞けない宇宙の基礎知識」から読めばいい。宇宙の構造、太陽系の構造、日蝕の原理など、基礎の基礎から理解し直すことができる。
 雑学王になりたいなら、第三章「宇宙のギネスブック〜なんでも宇宙一〜」が強い味方。
 第四章「早わかり!宇宙を読み解く大法則」では、コペルニクスの地動説から最先端の超ひも理論までをわかりやすく解説してくれて、頭がスッキリ。最終章は「それでも解けない宇宙の謎」。宇宙にある物質とエネルギーのうち九六パーセントは、まだ全くの謎、と知って、改めて驚いてしまう。
 見開き単位なので、開いたところから拾い読みができるのがいい。通勤途中でも気軽に読める。しかも、とてもわかりやすい。
 それもそのはず、著者の縣秀彦氏は国立天文台で唯一の教育畑の出身者。現在は普及室長を務め、高校での理科教師の経験を生かして、実に楽しくわかりやすく解説してくれている。ペーパーバックだが、内容がしっかりしているのはそのためだ。コンビニや駅売店でも売られ、五百円という価格もグッド。ワンコインで宇宙の謎を手にすることができる。これ一冊で、あなたも宇宙通まちがいなしだ。

『「宇宙」の地図帳 新常識がまるごとわかる!』 懸秀彦/監修

 青春出版社 2007年11月10日
 ISBN 4-413-00916-9 本体価格476円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

公明新聞 2008年1月21日書評


■幸せの時間 (1)〜(19) 国友やすゆき/著

Tue, 25 Dec 2007 01:49:05

1巻目を読了したら、即座に2巻目を手に取らないではいられなかった。2冊目を読了したとき「まるで『岸辺のアルバム』のようだ」と思った。

国友やすゆき氏は、大衆路線のちょっとエッチな漫画を描いてきた漫画家。この作品も、大衆漫画のセオリーを崩してはいない。エンターティメントとして、ページを繰らせる力があり、随所にエッチな場面が鏤められている。でも、それだけではないのだ。大衆漫画でありながら、人間の姿が深く描かれている。まるで、ハリウッドで創られた上質の映画のようだ。映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』がサスペンスでありながら、アーミッシュの暮らしを描くことで、文明社会の歪みを深く描きだしたように、この漫画もまた、どこにでもあるありふれた家族像を描きながら、人間が持つ深い心の歪みを余すところなく描いているのだ。

家族が、郊外に建てられた新築住宅に引っ越してくるところから物語は始まる。ローンではあるが、7千万円という豪邸を新築する甲斐性がある父親は、エリートサラリーマン。美人で聡明で常識がある妻。子どもは二人、大学受験を控えた真面目な息子と、高校生活を謳歌する明るい娘。誰もがうらやむような家族。しかし、小さなことから家族に亀裂が入ってゆく。

引っ越しで久しぶりに開いたアルバムには、何枚かの写真が抜け落ちていた。それはすべて、母親の親友の写ったもの。なぜその写真がないのか。そこには家族の秘密が……。

一見、百点満点に見える家族が、その内実をあらわにしてボロボロに崩れていく過程が、これでもかというほど描きこまれていく。3巻目では、その重さが少し息苦しく感じたけれど、それを過ぎるともう止らない。次から次に起こる事件に、目が離せなくなり、どうなるのだろうと次々手が伸び、とうとう最終巻の19巻目まで、丸一日で一気読みしてしまった。

ありふれた日常にドラマが内在され、それが人間の本質を表わす。作者はその事を熟知している。まるでシェイクスピアが人間関係のゴタゴタを描いて普遍の文学を成立させたごとく、この漫画は普通の人間の愚かさを徹底的に描き、だからこそ愛しい人間の普遍的な姿を描いている。これをして「文学的」と呼ぶのは、漫画に対して失礼だろう。いまや力を失った文学は、この漫画ほど何かを描ききってはいない。

登場人物の下半身が少々だらしないのは、作品の性質上仕方ないのだろう。恐らく、それがないとこれだけの雑誌連載も勝ち取れないのかもしれない。ここまでするかぁ? と思う節はあるけれど、それもまた、日常をそのまま敷衍すれば、まさにその姿になるという形をしている。事件の設定も、作者が恣意的に動かしているという感じがしない。物語の運びが絶妙だ。それだけ、よく練られているからだろう。一巻目で張られた伏線が、きちんと最終巻で物語を集結へと導く。大衆漫画の底力を見せつけられたシリーズだった。

『幸せの時間 (1)〜(19)』 国友やすゆき/著

 双葉社 ACTION COMICS 1998〜2001年
   ⇒アマゾン  ⇒bk1

■初雪のふる日 安房直子/作、こみねゆら/絵

Thu, 22 Nov 2007 15:41:07

怖い話、というのは、独特の魅力がある。安房直子の「初雪のふる日」も、抗いがたい魅力を持った怖〜い話だ。

秋の終り、少女は地面に描かれた石蹴りの輪を見つける。それは、村の一本道をどこまでも続いていた。というだけで、もう怖い。その輪にうっかりケンケンパッと跳びこんでしまった少女は、輪から抜けられなくなってしまう。もうやめよう、もうここでお終いにしようと思っても、どうしてもやめることができないのだ。そこに現れたまっ白い兎たち。それは、初雪を運ぶ兎たちだった。前にも後ろにも、ずらりと連なった一列の兎の列に、少女は紛れこんでしまったのだ。このままいけば、凍え死んでしまう。ここから抜けだす方法はひとつ。それはおばあちゃんが教えてくれたおまじない。けれど、その声も兎の掛け声にかき消され……。少女の運命やいかに。

心騒ぐ季節の変わり目。大気の匂いの違いを気づいたときの、うれしいような恐いような胸のざわめきが、見事に物語に結晶している。やめようと思ってもやめられない心持ちも、誰もが経験したことがあるだけに、一層リアリティを持って迫ってくる。そのまま黄泉の国に連れていかれそうな不安。それだけに、最後の救いの温かいことに、ほっとすること。

作者の安房直子氏は、1993年にわずか50歳の若さで急逝。あちらの世界から「まだまだそっちの世界でがんばりなさいね」とやさしく声をかけてもらったような気がした。

『初雪のふる日』 安房直子/作こみねゆら/絵

2007年12月
 ISBN 4030164501 本体価格1400円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

■川の光 松浦寿輝/著

Tue, 20 Nov 2007 23:49:29

 著名な詩人や小説家が童話を書く、という企画が時折あるが、成功した例をあまり見ない。子どもにもわかるようなやさしい言葉で魅力的な物語を書く、というのは、実はとてもむずかしいことなのだ。
 東大で教鞭を執る仏文学者・松浦寿輝は、詩、小説、評論で、一流の賞を総なめしているという、とんでもない人である。
 その人がとうとう童話を書いた。さて、どんな出来映えだろう、といさかか意地悪な気持ちでページを開いたとたん、わたしはもう、夏の終りの夕暮れの、光に満ちた川原に立っていた。詩人ならではの美しい、しかもやさしい言葉が、まるで流れる水のように、わたしを速やかに物語世界へと連れ去ったのだ。 川原の草むらにいたのは、兄さんネズミのタータと弟のチッチ。かわいらしい仕草に頬がゆるんだとたん、チッチが川に流され……。
 と、そこから息をもつかせず、次々に起こる事件、襲いかかる困難。しかも、ネズミ親子の住む川に、ブルドーザーがやってきて、川が暗渠にされるというではないか。町のネズミになって路地裏を走りゴミ箱を漁る、という生き方もあったが、彼らは「川に生きるネズミ」として誇り高く生きる道を選ぶ。
 新天地を求めて、川を遡る旅に出た親子。性悪のイタチや、獰猛なドブネズミ軍団に襲われ、情の深いモグラの奥さんや無邪気な犬に助けられての旅。さまざまな出会いと別れがある。絶体絶命の危機を、智恵と勇気と愛によって乗り越えていくネズミたち。もう、そこで落ち着いてもいいじゃないか、と読んでいるこちらが妥協しそうになっても、ネズミたちは初心を思い起こし「豊かな自然」という目的の地を求めて、果敢に旅を続ける。
 読み終わって思った。これからはネズミを見たら、旅の途上のタータだと思うに違いないと。世界にシンパシーを抱けるようになること、それがすぐれた物語の持つ力だ。物語の王道をゆく作品。これは間違いなく名作だ。

『川の光』 松浦寿輝/著

 中央公論新社 2007年7月25日
 ISBN 978-4-12-003850-1 本体価格1700円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

公明新聞 2007年10月29日書評


■詩集 漁師 谷口謙/著

Sat, 09 Jun 2007 23:48:46

わたしは衛星放送ラジオに大量の詩を書いてきたが、活字としての詩集は一冊も出していない。詩の世界での評価もゼロなのに、ありがたいことに詩集の献本が送られてくる。まったく知らない著者からの本も多い。必ず目を通すが、なかなかきちんと書評を書くと言うところまで行かなくて、申し訳ない。

先日も、見知らぬ著者本人からの献本。『漁師』という詩集だ。ぱらっと開いて、何だか様子がおかしい、と思った。
放置

最終生存確認 八月十七日正午頃
家族の一人
同日午前六時三十分 近所の人が草引きをしているのを見ている
「お早う ――さん」 声もかけた」
発見 八月二十一日午後零時十五分頃 家族
本屋から約五〇〇メートルの隠居
同区畳二間の部屋
(後略)
なんと、検死の記録ではないか。

著者は医師。個人病院の院長を勤めながら、平成七年から京都府警察医として管轄内の変死の検死を行っているという。この詩集は、その検死の記録を淡々と描いたものだった。素っ気ないほどの記述なのに、それが単なる記録ではなく、詩になっているのは、著者が検死医である前に、一個の人間であることを忘れず、亡くなった方への深い哀悼の意が込められているからだろう。
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/kenkostation/memo/ishi/200609-1.html

いろいろな生があるように、いろいろな死がある。ハングル文字とともに海に流れ着いた胴体だけの死体、ついさっきまで元気だった人の突然死、老衰による穏やかな幕引き、自殺……。

次から次に現れる「死者=さっきまでの生きていた人々」。まるで散歩にでも出るように、人々はやすやすと生と死の境界線を超えてゆく。

「最終生存確認」という言葉は、きっと警察用語なのだろう。生きているその人を見た最後。その時、その人は何をしていたのか。

「物を感じたり考えたりできるのは、生きているうちだけなのだ」という当たり前のことを、突きつけられる思いがする。当たり前に続くと思っていた「日常」は、時として、突然ぷつんと途切れてしまうのだ。わたしの「最終生存確認」をすることになるのは、誰なのか、いつなのか。

これは、なによりも雄弁な「メメントモリ」の詩集だ。

わずかに心情を滲ませた事実の羅列の言葉。それが「詩」になるとは……。「詩の言葉」とはなにかを、もう一度考えさせられた。

そういえば、ワシントンD.C.に行ったとき、エイズで亡くなった人々の追悼のイベントがあり、ボランティアが延々と亡くなった人の名を読みあげていた。それだけで、何かが深く胸に刻まれる思いがした。そのことを、この詩集は思い出させてくれた。

後書きを見れば、検死詩集はこれで7冊目になると言う。著者は余計なことを言わないが、仕事とはいえ、一つ一つの死を受け止めるのは重いことだろう。そのやるせない思いが、著者に「供養」の詩を書かせるのではないか。素っ気ない書類の記述にも似た「詩」のなかに、亡くなっていった人一人一人への深い慈しみの眼差しを感じる。

最後に、京丹後市のサイトから、著者の自己紹介を引用させてもらう。
〜老医の記〜
谷口 謙 院長(谷口医院 院長・京都府警察医)

 昭和二十五年十二月二十五日開業と申しますと何年になるでしょうか。開業五十年を一つの目標としていましたが、あれよあれよと過ぎてしまい、朝起きると診察室の机の前に座っています。開業当初は、蛔虫(かいちゅう)症が目茶苦茶に多かったことが記憶に残っています。
 腹痛にはサントミン投与、こんな一時期がありました。現在は、各分野に別れ、多くの専門医がいらっしゃいます。お恥かしいですが、処方された薬品名をみても、薬価基準を引かなければわからないことがあるほど薬品の開発も進んでいます。八十歳を過ぎた老医としては、ただもう自分でできることを老人らしく、ていねいにすることに限ると思っています。
 高齢にもかかわらず、小学校医・保育所医をさせていただいていますが、子どもたちの健康を考えて診察することは、やはり仕事をしたとの思いが残ります。
 前任者の先生が急死され、平成七年七月一日から、当時の峰山警察署(現在の京丹後警察署)の警察医の仕事を受けさせていただいています。この仕事には待ったがないので深夜でも出かけます。今回は、豪雨のため発生しました墓地公園崩落による災害で、家屋に押し潰されお二人のかたが亡くなられました。列車事故による死亡例は数例経験しましたが、このような災害は初めての経験でした。
 事情に詳しい警察のかたが横に付き添ってくださり、いろいろ教わりながら、検案書を書かしていただきました。
 高齢ではありますが、地域の医療に貢献するため、できるだけのことはやっていきたいと思っています。
 みなさんには何のご関係もありませんが、開業以来、生活にかかる「詩」を書き綴って参りました。稚拙(ちせつ)なもので人様にお見せできるような作品はありませんが、確かに唯一の私の楽しみであります。

『詩集 漁師』 谷口謙/著

 土曜美術社出版販売 2007年5月30日
 ISBN 978-4-8120-1615-2 本体価格2000円 

■fantasia[ファンタジア] 高樹のぶ子/著

 ⇒http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/3/24/56/416324560X.shtml

Sat, 06 May 2006 14:06:50

 この本を読むことは、作家の仕掛けた美しい罠にはまり「共犯者」になることだ。犠牲者ではなく、あくまでも共犯者。高樹のぶ子の「ファンタジア」を読んで、そう感じた。
 見てはいけないもの見たさにページを繰る手が止まらなくなり、物語世界に呑みこまれ、翻弄され、揺さぶられ、困惑し、読書の快楽に耽溺させられてしまう。もちろん、それだけでは単に作家の罠に易々とはまった一読者でしかない。それが共犯者となるのは、その「見てはいけないもの」が、実は自分の心の底にも確実に眠っていると知った時だ。その時、読者は知る。自分もまた、この物語を快楽とともに読んでしまう種類の人間であると。いや、人間である限り誰もがそのような存在―心に深い闇を抱えた生き物―であると。
 六編の短編は、すべて旅の物語。どれもちょっとした小旅行だ。オペラ鑑賞の旅であったり、息抜きのための一人旅であったり、時にはパック旅行であったりする。行く先はヨーロッパ。ウィーン、パリ、ヴェネチアなどの名だたる古都。異国への小旅行に誘われるように、読者はさりげなく物語世界へと誘われる。さあ、どんな物語が待ち受けているのかと、舌なめずりしながらページを繰る。
 それぞれの物語の扉には、門坂流による瀟洒なペン画が掲げられている。一見するとごく普通の絵だが、よく見ると不思議だ。その絵には、輪郭というものがない。一本の線が、あるところでは水を表現し、あるところでは確実にゴンドラになっている。輪郭という境界線がないままに滑らかに移行し、そうでありながら目を離せば、やはりそこに水に浮かぶゴンドラがくっきりと見えてくる。
 物語も、そのようにして進む。旅、という設定自体が、すでに非日常の空間であり、それ自体が幻想性を帯びているところへ、するりと、更なる幻想が紛れこんでくる。旅先で起こった怪奇な出来事が差し挟まれてくるのだ。どれも、とても信じられない物語だ。それなのに、現実と断絶のない滑らかさで、読者はあちら側の世界に立たされている。
 キリストの死を悼むマリア像。その苦悩の表情があまりに官能的だと感じたことはないだろうか。はじめて来た場所なのに、いつか見たと感じたことはないだろうか。作家の想像力は、そこからとめどなく広がる。「魔」への入口には裂け目などない。現実は、境界線などないように魔界へと滑りこむ。
 聖なるマリア像に淫夢を盛りこんだ中世の彫刻家。それを見て発情する乙女。日食の翳りのなか、時を超え、すべてを承知で乙女と交わる日本の老紳士。それを覗き見して「射精で終息することなどない、表現者、芸術家としての欲求を満たす」彫刻家。「日食のヴェローナ」に登場するこの彫刻家こそ、高樹のぶ子本人であり、物語を快楽する読者は、芸術家の至高の罠にはめられた哀れな犠牲者であると同時に、したたかな共犯者なのだ。
 斬首された自らの首を持って歩いたという聖人の視たものを追体験する「サン・ドニの二十秒」。そっくりの壺二つが祀られている聖堂で、前世からの夫婦の契りを取り戻そうとする二卵性双生児の兄妹を描く「マントヴァの血」。暴力、近親相姦、悪……怪しくおどろおどろしい幻想世界が、いつのまにか聖なる光に満たされていくように感じられるのは、きっと人の心の光と闇とが、境目のない、ひとつながりのメビウスの輪だからだろう。

『fantasia[ファンタジア]』 高樹のぶ子/著

 文藝春秋 2006年1月15日
 ISBN 4-16-324560-X 本体価格1328円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

週刊読書人 2006年2月24日号書評


■クマにあったらどうするか アイヌ最後の狩人姉崎等 姉崎等/著、片山龍峯/聞き手

Fri, 21 Oct 2005 00:32:07

▼狩人の中に融合する土俗と科学の世界観
 来年八十歳を迎える姉崎等さんは、一年前まで現役の熊撃ちの狩人だった。これは、その姉崎さんからの聞き書きの本だ。
 姉崎さんは和人の父とアイヌの母の間に生まれアイヌの村で育った。「混血児」ゆえ、アイヌの古老たちからは、直接教えを受けられなかったという。十二歳で狩りをはじめた姉崎さんは、一人で山に入って、自分で狩りの仕方を覚えなければならなかった。
 「熊がわたしのお師匠さんです」と姉崎さんはいう。熊の足跡を見つけたときには、一生懸命それを追う。すると、熊が何を考えてどんなところを歩いたのか、だんだんとわかってきたというのだ。
 学者も及ばない徹底した観察眼。いや、熊を倒さなければ生活していけなかったからこそ、学者も遠く及ばぬほど真剣だったのだ。
 姉崎さんが独学で狩りの達人になると、村人も一目置くようになり、アイヌの風習を教えてくれるようになる。姉崎さんは、古いアイヌのやり方に従って、祈りの言葉を述べ、しとめた熊を神の国に送る儀礼をする。
 透徹した科学的観察眼を持った姉崎さんの心に、アイヌの土俗的世界観が矛盾なく重なることに、わたしは心打たれる。アイヌにとって熊は、毛皮や肉という贈り物を人間に渡すために神々の国からやってくる神なのだ。
 最先端の地球生態学が明らかにしたように、人間は、すべての生き物が互いに支えあう「生命圏」の一員にすぎない。食べ、食べられることで、命はめぐり、物質もめぐる。豊かな自然とは、多様な生き物が同時に存在できる豊かな環境のことなのだ。
 姉崎さんも、同じ結論にたどりつく。「生きているものには、それぞれの働きがあるんです。人間だけが生きていればいいと考えていると、人間はいつかひどい目にあう」
 ひたすら熊と向きあい科学的な目で山を見てきたからこそ、自然に深く共感して神を感じる。伝統的世界観と科学的世界観とが、姉崎さんという一点で見事につながっている。

『クマにあったらどうするか アイヌ最後の狩人姉崎等』 姉崎等/著、片山龍峯/聞き手

 木楽舎 2002年4月5日
 ISBN 4-907818-14-9 本体価格1524円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒セブンアンドワイ

公明新聞 2002年7月29日読書欄掲載


■ホエール・トーク クリス・クラッチャー/著、金原瑞人/訳、西田登/訳

Fri, 25 Feb 2005 00:10:51

 主人公はアメリカの高校生。白人と黒人と日本人の混血。長身でスポーツ万能、頭がよくてハンサムで、正義感が強く、とことんやさしい心の持ち主だ。完璧な主人公の唯一の弱点は、集団行動が苦手なこと。
 そんな主人公が、ひょんなことから、プールもない学校に新設された、水泳部の部長にさせられてしまう。集まってきた部員は、超肥満児、義足の者、知恵遅れの者など、平均値から大きくはずれた者ばかり。
 勝てるわけがないと思われる部員を引き連れ、主人公は爽やかに奮闘。なんと、ホームレスの男をコーチに迎え、チームはまさかの快進撃。人種差別も障害者差別も乗り越え、栄光の勝利と、深い友情の絆を手に入れる。
 つまりこれは、不可能を可能にするおとぎ話。スピード感溢れる語り口で、ぐいぐい読まされる痛快無比な青春スポーツコメディだ。
 ところが、話はそれだけではすまない。登場人物のだれもが、実は深く傷ついている。心の傷を軸に、差別や虐待の問題がえぐられていく。虐待する側だけではなく、虐待されているのに逃げだすことのできない者の屈折した心理や、手助けをしようとして裏切られる周囲の落胆までもが、リアルに描きこまれる。
 「クジラになりたい」という父さんのつぶやきが胸にしみる。喜びも怒りも、苦しみも憎しみも、すべてをあるがままに語り、その声を、仲間のすべてが、まっすぐに受けとめる、そんな生き物になりたいと。
 混血の少年の心を一人称で語る作者は白人。実生活ではカウンセラーもしているという。
 卓抜な物語展開を縦糸に、リアルな問題提起を横糸に織りなされたこの物語。差別を語り、深い理解を示しながら、そのやさしさこそが、一歩間違えば形を変えた差別にもなりかねないという危うさを、物語の存在そのものが語っている。
 読み終わったとき、心にずしんとくる、大変な荷物を預かってしまったように感じた。

『ホエール・トーク』 クリス・クラッチャー/著金原瑞人/訳、西田登/訳

 青山出版社 2004年4月5日
 ISBN 4-89998-050-7 本体価格1600円   ⇒アマゾン  ⇒セブンアンドワイ

共同通信 2004年5月配信


■フューチャー・イズ・ワイルド 驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界 ドゥーガル・ディクソン/著、ジョン・アダムス/著、土屋晶子/訳、松井孝典/監修

 ⇒http://www.diamond.co.jp/~PB3/future/

Tue, 27 Apr 2004 01:13:23

 森のなかを群れとぶ極彩色の魚、地上をのしあるく体重八トンの巨大イカ、カンガルーのように跳ねるカタツムリ。動きまわる樹木は、実は藻類と共生したムカデだ。二億年後の地球、人類はとっくに滅んでしまい、奇妙な生き物たちが地上をかっぽしている。この本を開けば、わたしたちは二億年後の、めくるめく生物世界を探検できる。
 これは、第一線で活躍するさまざまなジャンルの科学者たちが、頭を寄せあってつくった未来の生物図鑑。五百万年後、一億年後、二億年後の地球の変化が予測され、そこに進化しているであろう生物たちの驚くべき生態が、詳細に記述されている。
 まさか、こんな生き物がいるわけがない、と度肝を抜かれる生き物たち。けれど、解説を読んでみれば、なるほどと納得させられてしまう。科学的な裏づけがあるからだ。
 けれども、間違えてはいけない。二億年後の地球が、ほんとうにそんな生き物で埋まるというわけではないのだ。「科学的」という言葉は、いまや「真実」の代名詞のように使われる。水戸黄門の印ろうのような威力があるけれど「科学的=真実」ではない。科学的とは「だれとでも共有できる論理的な説明が可能である」ということに過ぎない。
 この本に載っている奇妙きてれつな生き物たちは、科学者が綿密な予測を重ねた結果として、そこにあるのではない。逆だ。思いっきり変わった生き物を想定してみて、はたして、それを現代科学で矛盾なく説明してみせられるだろうか、という高度な知的遊戯なのだ。ありえないと思われる密室殺人事件のトリックを、超能力も奇跡も使わずに、いまある現実世界の法則で説明していくミステリーと同じ種類のものだ。
 科学者たちの知的遊戯は痛快無比。次回は、愚かな人類が二億年後も地球に生き残るために、一体どんな手があるのか、知力の限りを使ってシミュレートしてほしい。

『フューチャー・イズ・ワイルド 驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界』 ドゥーガル・ディクソン/著、ジョン・アダムス/著、土屋晶子/訳、松井孝典/監修

 ダイヤモンド社 2004年1月8日
 ISBN 4-478-86045-9 本体価格2400円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒イーエスブックス

公明新聞 2004年3月22日書評


■漆芸―日本が捨てた宝物 更谷富造/著

 ⇒http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334032192/harmonia-22

Sat, 10 Jan 2004 18:13:42

 チャイナといえば英語で陶器の代名詞であるように、ジャパンといえば漆器の代名詞だ。世界にそれほどの興盛を誇った日本の漆芸だが、近年、漆芸作家は減少する一方だし、日本産の良質の漆も、絶滅寸前だという。
 どうしてそんなことになったのだろうかと不審に思っていたところ、この本を読み合点が行った。
 著者は海外で一匹狼として生きてきた「さすらいの修復師」。道具を携えウィーンの貴族の館へ、イギリスの骨董商へ、アメリカの大金持ちの屋敷へと漆芸品の修復に赴く。
 実は、海外には多くの漆芸作品が存在するという。明治維新と第二次世界大戦敗戦後、伝統工芸である漆芸の評価が著しく落ち、大量の漆芸作品が海外に流出したのだ。年月を経て、それはいま、修理を必要としていた。
 海外に秘蔵されていた漆芸作品を見て、著者は衝撃を受ける。そこには、想像を超えた高度な技法を駆使した膨大なコレクションがあったのだ。
 著者は、作品を実際に手にして詳細に調べ、古文書を参照して、独学で古来の技法を習得していく。そのなかには、すでに日本では失われた技法も含まれていた。
 技術の粋を集めた作品群が海外にあるため、手にとって調査研究できないことが日本漆芸零落の一因だと著者はいう。
 また、江戸以前は大名たちが家具や嫁入り道具など、こぞって漆芸作品を作らせ、権力を誇示していたが、明治以降は強力なパトロンも存在しなくなってしまった。
 ゴッホの絵に何億円と出す企業はあっても、漆芸を後押しする企業の話は聞かない。日本漆芸はまさに「日本が捨てた宝物」と化そうとしている。
 「扱いがむずかしいから」と敬遠されがちな漆だが、本来は三百年は持つ堅牢な実用品。大量生産の粗悪品が出回ることでイメージがさらに落ちたと作者は嘆く。
 九五年、帰国した著者は、北海道は美瑛に工房を構え、世界から依頼される修復をする一方で、新たな創作に挑んでいる。現在、五十四歳。硬直化した日本漆芸界に、新しい風が吹きこまれることを熱望する。

『漆芸―日本が捨てた宝物』 更谷富造/著

 光文社新書 2003年
 ISBN 4-334-03219-2 本体価格700円   ⇒アマゾン  ⇒bk1

共同通信 2003年11月20配信


■ぼくの見た戦争 2003年イラク 高橋邦典/写真・文

 ⇒http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.cgi?shosekicode=49000790

Fri, 09 Jan 2004 01:48:14

朝日新聞1月3日の全面広告に、この写真絵本の広告が掲載されていた。キャッチコピーは「子どもに見せられないことを、大人たちがやっている。」瀕死の戦友の頭を膝の上にのせ、アメリカ軍兵士が泣いている。片手で戦友の頭を支え、もう片腕は涙をぬぐうために自分の顔に押しつけられている。ニッポンのお正月にいきなりのこの写真。それが、いまの世界を端的に表わしている。その写真だけでも、胸がいっぱいになった。

きょう、はじめて本屋で見て、ページをめくるごとに驚きの気持ちに打たれた。言葉がでない。涙だけが滲んでくる。

テレビよりもなによりも、この写真は、きっとそこにあったほんとうの空気を伝えている。行く先を告げられずに装甲車に押し込まれ、灼熱の道を10時間も揺られる兵士たち。放心したような無表情な顔。だれも、正義のためなどとは思っていない。彼らはチェスの駒にしかすぎない。それが仕事だから、はやくやっつけて国へ帰ろうと、ただただそう思っているのだ。写真家はその事実を淡々と語る。

撮影と文は、アメリカ在住の日本人写真家だ。アメリカ軍の従軍カメラマンとしてイラクへ入った。そうでなければ、取材許可がおりなかったという。誇張もなく、まっすぐに語る言葉がいい。冷徹な殺人マシンのように見える兵士たちも、鉄かぶとに恋人や家族の写真をはりつけているふつうの青年であることがわかる。そんな青年が、殺人マシンになる。その兵士に殺されるのは、イラクの兵士ばかりではない。町の女や男、子どももまた犠牲になる。ページをめくれば、そこには写真家がはじめて見たアメリカ軍兵士の死体の写真。さらに、その先に、傷ついたたくさんのイラクの人々の写真。それを目の当たりにした写真家の驚愕が伝わってくる。まさに「ぼくの見た戦争」。むごい。戦争はほんとうにむごい。写真家は、後書きでこう語る。
この本に出てくる人びとには「善人」も「悪人」も存在しません。誰が悪くて、誰が良い人であるという区別はないのです。
その善人でも悪人でもない同士が殺しあい、傷つけあう。それが戦争というものの愚かさで、無惨さなのだ。
人間同士が殺しあわなくてはいけない戦争は、「絶対なる悪」
と現場を見てきた写真家は言いきる。

だから、戦いはなんとしてもやめなくてはいけない。傷つける立場になるのも、傷つけられる立場になるのも、戦争を決めた人々ではない。駒として動かされる兵士であり、平穏に生きる民間人なのだ。わたしたちはどうして、そのことに気づかないのだろう。

いま、遠くで起っていることは、やがてここにやってくる。テロリストが東京を狙う日も近いだろう。東京ほど無防備な大都市はない。政治的配慮だからとイラク派兵に賛成する人は、自分がある日そのテロの犠牲者になると想像しないのだろうか。自分たちが、戦争を招く道を、着々と作っていることに気づかないのだろうか。

対戦車砲や小銃をもって外国に行くということは、つまり戦争に行くということだ。どう考えてもそうだ。それが「戦争」という名で呼ばれようと、呼ばれまいと、それが正当防衛であろうとなかろうと同じだ。それを戦争と呼ばずして、いったい何を戦争と呼ぶのだろう。政治家たちは、あいかわらず詭弁ばかり弄して、ほんとうに大切な真実の言葉を語ろうとしない。

行くな、自衛隊員。とわたしはいいたい。みんな、この絵本を見るといい。男たちよ、国のために命を捧げる決意なんかしなくていい。勇敢になんかならなくていい。そんなのは、目先だけの勇敢さだ。ほんとうに勇敢な者は、もっと巨きなものと戦う。人間が互いに命を奪いあうような、そんな世界をなくすために戦う者こそが、ほんとうの勇者だ。そして、その戦いは「武器」でするものではない。武器を手放す勇気こそが、ほんとうの勇敢さだ。行くな、自衛隊。

死体写真が掲載されているセンセーショナルな絵本。警戒して読んだけれど、深く胸を打たれた。これは、ほんとうのことを伝えている。そして、もしこの本を子どもたちに見せてはいけないという人がいるとしたら、その人は、イラク派兵に反対しなければ嘘だ。子どもに見せられない世界をつくっている自分たちを、深く問い直さなければ嘘だ。子どもたちに読ませる前に、まず、すべての大人に読んでほしい。

『ぼくの見た戦争 2003年イラク』 高橋邦典/写真・文

 ポプラ社 2003年
 ISBN 4-591-07965-1 本体価格1300円   ⇒アマゾン  ⇒bk1

■月のしずくが輝く夜に アイヌ・モシリからインドへの祈りの旅 チカップ美恵子/著

 ⇒http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-6864-0.htm

Sun, 23 Nov 2003 22:41:00

 「針がするすると布の上を走っていく」という一文から、この本ははじまる。著者のチカップ美恵子は、アイヌ民族の血が流れるアイヌ刺繍家。アイヌ刺繍は単なる装飾ではなく、魔除けと祈りの模様。女たちは、着る者の無事を祈って、一針一針縫いあげるという。
 針と糸が布を滑っていくかそけき音が、いきなり宇宙を統べる聖なる音「AUM(オーム)」の壮大な物語につながっていったので、正直いって面食らった。著者はその音を「宇宙との交信音」であり「祈り」そのものだと語る。遺跡を訪ねて歩いたインドの石窟に共鳴する音を聞いて、それを確信したのだという。
 そこで「祈り」と題した著者自作の詩が出現。その次は、古代インドの世界観から聖音「オーム」を解説するちょっと難解な文章が続き、しかも、そこにアイヌの世界観が重ねられる。さらには、著者の伯父であるという山本多助が採集したアイヌ民話も登場。
 万華鏡のように、めくるめくスピードで繰りだされるイメージの奔流に、悲鳴を上げそうになった。けれども、妙な魅力がある。読み進んでいくと、やがて急流は和らぎ、見えない世界を流れる大河にたゆたうような、豊穣な世界に連れていかれた。
 これは、チカップ美恵子がインドの大地を旅し、その底にアイヌの文化と通底するものを発見していく心の軌跡を描いたエッセイ。旅は空間を超え、時間旅行へと向かう。自身の幼い頃の思い出のなかに、あるいは遠い異国の古の文化に、やすやすとワープする。チカップ美恵子の心の小舟に乗せてもらい、移り変わる風景を楽しみながら、時空を貫いて流れる「文化の基層」という、悠久の大河をいっしょに旅していくような気持ちになった。
 旅の終わり、大河の流れついた海は、虐げられた者たちの悲しみと、失われた文化への悼みで、透明な光に満ちていた。深い安らぎのなか、アイヌ文化の新たな日の出を見る思いがした。

『月のしずくが輝く夜に アイヌ・モシリからインドへの祈りの旅』 チカップ美恵子/著

 現代書館 2003年9月5日
 ISBN 4-7684-6864-0 本体価格2000円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒イーエスブックス

公明新聞 2003年11月10日書評


■人形の旅立ち 長谷川摂子/著、金井田英津子/画

Sun, 23 Nov 2003 22:29:13

 神社の巨木の根元に打ち捨てられた古いお雛さまたち。いつの間にか消えてなくなるそのお雛さまの行方は、ぽっかりとあいた木の洞だった。洞の中には、まばゆいばかりの海が……。
 まっ青な海に、次々に飛びこんでいくお雛さまたちの姿が、息も止まるほど美しい。翻る金糸銀糸の裳裾に、飛び散る光の滴。壇ノ浦の平家伝説を思い出さずにはいられない。
 作者の長谷川摂子は「めっきらもっきらどおんどん」で知られる童話作家。宍道湖のほとりの平田という町で、天保年間に建てられた座敷のある旧家に育ったという。
 来年還暦を迎える作者の、子ども時代の思い出を核に紡がれた短編が五編。それが「昔はよかった」という単なる懐古趣味に陥っていないのは、そこに創造の秘技が働いているからだろう。
 自身の体験という核は、濃厚な想像力の海に浸され、胚胎から二十余年を経て、みごとな結晶となった。
 人魚の肉を食べて不死となった八百歳の旅芸人の嘆き。市松人形のような姿で、あの世とこの世を軽々と行き来する十歳で亡くなった叔母。現実と幻想とがやすやすと地続きに存在する濃密な世界が、緻密な文体で周到に描きこまれ、驚くほど鮮やかに目に映じる。
 奔放な想像力がしっかりと地についているのは、二十余年という歳月のせいだろうか、それとも島根という古き神々の土地の力だろうか。
 文体に引けを取らない細密な描写で描かれた金井田英津子の挿画もすばらしい。
 レイアウトも綿密に作りこまれていて、言葉と画とが呼応し、工芸品のように美しい世界が構築されている。この本そのものが、螺鈿をちりばめた麗しき小箱のようだ。
 軽さを意識したのか、濃密な内実を反映していない表紙の装丁が残念。肝心の物語に、物語性が希薄なのも物足りないが、それを差し引いても、近年まれにみる、ずっしりと手応えを感じる一冊だ。

『人形の旅立ち』 長谷川摂子/著、金井田英津子/画

 福音館書店 2003年6月15日
 ISBN 4-8340-0619-0 本体価格1700円   ⇒アマゾン  ⇒bk1  ⇒イーエスブックス

共同通信 2003年7月23日配信


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