「物語の作法」課題提出板の検索

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課題8|課題8 の検索結果(ログ26)


五十嵐 舞 課題8/滝さんのプロットについて 2003年06月17日(火)12時11分54秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

 内容自体は別にちょんとあらすじを書くぐらい出来ているので私はあまりふれませんが、安易に扉という形で異世界(異空間)とこのこだまがいる世界をつなぐものを作らないほうがいいとも思うし、ワンクッションをおくような形で「不思議の国のアリス」みたいな演出をさせて知らず知らずのうちに吸い寄せられるように行くほうがいいんじゃないかと思いますが。だってエコー(こだま)を思う少年の気持ちがあった異世界(異空間)にきたと書いてあったと思うので、その少年らしきと遊んでるとか誰かが自分を呼ぶような夢をみるというような演出や現実世界でその少年の影らしきものを追うというようなかたちで扉のある方向にいくというような感じのほうがいいと思う。ふだってこだまはもといた世界にあまり未練らしきものは持っていないような気がするので、あまりにも神隠し的に原因なく異世界(異空間)にいくよりはいいような気がしますがどうでしょう??また、特に異世界(異空間)との仕組み(世界観というか概要)が今一歩理解しにくい部分があるのでそれは授業のときに説明をお願いします。
また、似た感じ話で異世界に飛ばされてしまって活躍するRPG的な話で丘野ゆうじ「ハイランディア」シリーズがありますが、この場合はトラックによる交通事故の瞬間に異世界に飛ばされたというような記憶があります。あと、異世界に飛ばされるというかいってしまう話では「天空のエスカフローネ」(題名がアイマイです)や篠田真由美の「根の国の物語」シリーズや荻原規子の「これ、王国のかぎ」(題名がアイマイです)などがあります。これも参考にしてはいかがでしょう。では、授業で。
(参考文献のタイトルが違うかもしれませんのでレジメを作る方は一応調べて見てくださいまたは書かなくて結構です。)
もうちょっと細部にふくらみをもたせたら、どうでしょう。

圓山絵美奈 課題8/  2003年06月17日(火)14時33分19秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

ファンタジーは皆そうかもしれませんが、作品を作るにあたって
皆が分かってるきになって文章を作ったり、自分だけがもってるかも
しれない世界観があるということを気をつけて作ったほうがいいんじゃ
ないかと思いました。プロット自体がそうだと言うのではないのですが、
これから作品を作るにあたってそういう危険性が秘めているような
気がしたので。
あらすじや全体的な印象としては、先生の小惑星美術館に似ている部分が
あると思いました。

菊池佳奈子 課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント 2003年06月18日(水)04時18分00秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

まず思ったのが主人公、こだまとエコーの関係性があやふや。このまま作品を作っても勢いで終わってしまう気がします。物語の冒頭部分から、こだまの進んでいく物語と、エコーの過去の物語をわざとバラバラに書き、最終的にそれがエコー→こだまの事実が明らかになる、という風に書いていったら、読み手を結構のめりこませるものになるかもしれません。と思います。かなり独断的な意見かもしれませんが…。

あと、物語の中で1つのキーとなる「扉」の設定、背景などが他の設定などに対してあいまいかもしれません。他の、世界観、背景などわりと細かく書かれているところは書かれているのですが、全体にむらがあると思います。その中でも「扉」についてはもう少しつっこんで細かい設定を作っても無駄じゃないんじゃないかなぁ。

キャラクターについて。現在プロットに出てくる登場人物が、こだま、エコー、少年、青年、他に2〜3人とありますが、登場人物がほとんど、こだまよりなのは、その『世界』を理想郷にみたてるような形にするのでしょうか?そうでなく、別の1つの『世界』として独立させるなら、こだまに敵対的なキャラクターを一人、二人、描いてみてはどうでしょうか?そうすることでこだまの、『世界』と『元の世界』との間での葛藤がより深まる気がします。


個人的にはかなり読みたい!と思いました。
この作品をつくっていくにはかなり大変だろうと思いますが、
頑張って完成させてみて下さい。
きっとおもしろい作品になると思います。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/1583/

瓜屋香織 課題8/プロットについて 2003年06月18日(水)12時26分09秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

現実に退屈していた女の子が、不思議な世界を知ることで
自分のいた世界を再確認するという話は、よくあると思い
ます。「現実に退屈する」人が多い中で共感を呼ぶ部分が
あるのかもしれないけれど、ありふれていてつまんない気が
しました。意外性が欲しいです。世界観的には、どんな世
界が出来上がるのか楽しみでした。登場人物の中にもっと
パンチの効いた人がいるとおもしろいと思います。そういう
人物がいると気になって先をずんずん読みたくなると思うか
らです。

東條慎生 課題8/滝さんの「プロット」について 2003年06月18日(水)18時40分21秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

プロットの段階で気になったのは、こだまが現実世界に帰るべき理由が説得的には書いてないことです。
おそらくこの物語は、現実に対するつまらなさ、退屈、不機嫌な日常的気分を、異世界を見ることで解消するという物語を志向しているのだと思われます。いわば「ハレ」と「ケ」という言葉があるように、日常を更新し再生する非日常の場を現出させることを目的としている物語です。
それはそれで強力な物語類型の一つですが(だからこそ、類型に陥る危険もあります)、現われた異世界=「こだまが「エコー」として存在する世界」の現実との関係がそれに対するノイズになりかねないのではないでしょうか?
つまり、われわれがディズニーランドに行って「楽しかった」と思い「明日から頑張ろう」というのが、このプロットが志向する物語の乱暴な要約ですが、「こだま」が「エコー」であったという「本当の自己の発見」という展開は、その物語と相容れないのではないかという疑問です。ディズニーランドで一生暮らしたいという人だってどっかにはいるでしょうし。
これでは、非日常の世界こそが「本当」の日常であるという逆転が起こってしまい、そうであるならば「こだま」としての自己=退屈さ、に帰還すべき理由がなくなってしまいます。(非日常世界から日常に帰還する物語が、いわば「夢」の物語であるとすれば、今までの日常=現実が虚偽のものであったという物語は「悪夢」の物語です。)

こだまが異世界の眼で現実の自分を見つめ直し、今度は現実を拒否することなく頑張ろう、という方向なのだと思うのです。それならばこだまのなかで「エコー」という存在(イコール異世界)が何であるかについての突っこんだ分析が必要なのではないかと思います。実作のなかでどのようにしてこれを説明/解決するつもりなのかは分からないのですが、プロットを見る限りその問題については書かれていません。
考えられるのは、以前の自分の選択を想起することで、もう一度その選択の意味を考え、なお現在また選択するという形で、自己決定による意思を強調するというものなのでしょうか?

結末についてですが、元の世界に帰ってきて、何だか分からないけれども前向きになった、というのは、読者としては納得できる(ふたつの世界のことを知っているのは作者と読者だけですから)かも知れませんが、「こだま」としては、単に「洗脳」されたことと何ら変わらないのではないですか? (常道の物語であるならば、夢の世界と現実との小さな繋がりを持たせて、「非日常の夢の世界」が嘘ではなかった、と思わせることでそれを解決します)日常への嫌悪も理由不明であるなら、日常への積極性も不明であるというのは、物語として何ともすわりが悪いのではないでしょうか。
また、SF的設定がなされていますが、何の為にあるのかちょっとよく分からないです。

異世界と現実とをどう対比するか、がこういった作品での大切な部分であると思います。死なない人々と、時間の止まったような世界から、なぜエコーが抜け出したのか、そして「こだま」となった「エコー」が異世界に帰って何を見たのか、また何故、「エコー」は再び「こだま」となることを選ぶのか。

ところで、こだまを追ってくる少年は

最後は記憶を持ったまま彼女を追って同じ世界に旅立つ。

とありますが、プロットにその後の展開は書かれてないですよね? この人物とこだまとをどう描くかでまたまったく印象は変わってくると思います。異世界と現実の両方を知る人物であるのなら、決定的に物語に影響を与えるはずです。そしてそれはまた、滝さんがこだわっている「ふたつの世界」の邂逅に繋がるものを含んでいるのだと思います。それを詰めていくのであれば、それは非常に興味深いものになるのではないでしょうか。

室橋あや 課題8/滝夏海作品プロットコメント。 2003年06月18日(水)21時57分45秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答


プロットを読んでいるとどうしても「ドラえもんのび太のアニマル惑星」が浮かんでくるのはなぜでしょう。前回のプロットが少年少女向け小説が浮かんできたのに対し、こちらは絵本や、物語、青い鳥文庫などのイメージがあります。
しかしプロットだけですと、やはりその人個人の表現方法が読みとりづらく、批評するにはとても難しいと思います。滝さんの使うアイテムはそれを聞いただけだとどこにでもあるなんでもないもので、あまり圧倒的な恐怖や言いしれない不安といったものを感じません。でもそれはあくまでプロット段階のことで、そのなんでもない扉に生々しい変化が現れたりすれば突然魅力のあるものになるのかもしれません。
彼女の話を聞いていると、空間の移動という展開が多くあって、本人もそれにこだわっているようです。その空間の移動を単なる異世界ものだととらえてしまうのは勿体ない気がします。

ところでキャラクターですが、あまり目立った特性を持っていないようなので、場面が平坦になってしまうのではないかと思います。こだまや少年の顔や姿がどうしても浮かんでこないので、
特徴など知りたいのですが・・・

古内旭 課題8/いかに典型の中にオリジナルを作るか〜滝作品2 2003年06月19日(木)05時22分27秒
▼課題と連絡:課題8/滝夏海作品2(プロット)へのコメント への応答

あらすじを一読した印象では、あまりにもありふれた感想となるかも知れませんが、『千と千尋の神隠し』を想起せずにはおけません。少女こだまと、その分身たるエコー、鍵を握る少年、という3者のキャラクターがそれぞれ近しいことと、異世界ファンタジーであること、最後に帰還が訪れ成長物語となっているところなど、物語の核心となる部分での類似が多いです。『千と千尋〜』において、千尋は異世界で「千」という名前(源氏名)を与えられ湯屋で働かされます。この千という名前は、千尋の「チ」であるに違いありません。千尋になるには「尋」が足りないので、ここでは不完全な存在となりますが、両者とも同じ「1000」を背負っています。滝作品においては「こだま」と「エコー」ですから、どちらかが不完全というわけではなく、対等の名前を持っています。補完し合う関係性があるのかも知れません。そのあたりで、『千と千尋〜』との差異を作る可能性があります。

こだまの世界への認識はどのようなものなのでしょう。現実世界と異世界との違い、あるいは退屈な現実世界を戻るべき場所と考えを改める認識の変化には、どのようなきっかけがあるのでしょう。『マトリックス』の中で、メンバーを裏切りマトリックス世界の中で贅沢に暮らすことを選ぶ人物が現われますね。また、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で、最後に主人公がとる選択は。2つの世界のどちらか一方を選ぶ、というラストはしばしば見受けられますが、それには相当な説得力が必要だと思います。

最も重要と思えるのは、以前にこだまが「すでに選択していた」という部分です。この部分への説明がプロットの段階ではほとんどなされていないので、合評を待ちたいと思います。非常に興味深い部分です。

細かいSF的設定がなされていますが、私は個人的にはとても好きです。この設定は文章としてはほとんど書かれないということですが、こういうある種のどうでもいい細かさ、というのはものによってはとても魅力的になります。うまく使ってほしいと思います。ところで、SF作家・小林泰三はSFとファンタジーはイコールだというようなことを『海を見る人』(ハヤカワSFシリーズJコレクション)のあとがきの中で言っています。科学的説明(あるいは解決法)を試みるものがSFとなり、それを説明しないものがファンタジーとなる、というようなことです。

異世界(に迷い込む)ファンタジーということでは、すでに多くの作品が世に出ていますし、エンデのような純ファンタジーから、SFに至るまで名作と謳われるものも多くあるだろうと思います。しかし我々にとって馴染み深いのは、やはり『千と千尋〜』しかり日本のアニメです。日本のアニメにおいて、異世界に飛ばされるファンタジーというのはそれはもう完成された典型なのです。最近ではTVでアニメ化された『十二国紀』がなかなか人気を博しているようです。なぜかセーラー服とかを着たまま向こうの世界で戦うなんていうものが多いですね。既出の感想にもありましたが『天空のエスカフローネ』もそうです。少し古いかも知れませんが、富野由悠季(先日、和光にも来ました。私は富野氏のファンなのでぜひ行きたかったのですがかないませんでした。残念…)の『聖戦士ダンバイン』を始めとするバイストンウェル・サーガもそう。私の個人的な思い出によれば、小学生高学年頃に流行った『魔神英雄伝ワタル』とか『魔道王グランゾート』なんていうのは非常に印象深い。『ドラえもん』にしても大長編(映画)はほとんど異世界SFファンタジーとなっています。

管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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